第21話 聖女様、はじめての街デート
その日、屋敷の門前に現れたのは――まさかの、あの女だった。
「……オージ・グランファルム。少し、話がある」
ぴしりと背筋を伸ばし、神聖な白装束を揺らすその姿。
堅物聖女――ファムナーレ・ル=シャファルム。
先日、俺の鑑定眼を“異端”と断罪しにきた張本人。
……そして、俺に夜の秘密をバラされて、顔を真っ赤にして帰った“聖女様”でもある。
「……なんだ。異端裁判、延長戦か?」
俺が気だるげに答えると、ファムナーレは一瞬むっとした顔を見せたが、すぐに視線を逸らした。
よく見ると、手に小さな布袋を持っている。
「……これを受け取っていただきたくて来た。先日のこと、どうか口外せぬようお願いしたい」
差し出された袋からは、金貨の重みが伝わってきた。
……口止め料ってことかよ。
「……ふーん。聖女様ってのは、“沈黙”に値段をつけるのか。なんか興ざめだな。受け取らねぇよ……」
「っ……そ、そんなつもりでは……!」
言葉に詰まるファムナーレ。
慌てて金貨袋を引っ込めるその仕草が、どこか“後ろめたい子供”みたいで笑える。
「別にそんなもんなくても言いふらす気なんかねーよ。俺にそんな趣味はねぇ」
「……っ」
ファムナーレが、ぎゅっと唇をかみしめた。
その瞳に、ほんのわずかに揺らぎが見えた。
「そもそも、お前……それを言いに来たってのは、建前だろ?」
「っ……な、なにを……」
「俺に“会いたかった”だけじゃねぇの?」
鑑定眼を使うまでもなく、そう顔に書いてある。
どうやら、俺はこいつにかなり好かれちまったらしいな……。
やれやれ……。
からかうように言ってやると、ファムナーレの頬が、瞬く間に染まっていった。
「……っ、そ、そんなわけが――!」
「へぇ。なら、なんで今、顔真っ赤なんだ?」
「~~~~~~~~っっっ!!」
耳まで真っ赤になって、言葉が詰まったファムナーレは、視線を泳がせる。
「ま、なんでもいいけどよ。俺でよければ、いつでも話し相手くらいにはなってやるよ。なんか……思い詰めたような顔してるけど……」
そして――
「……優しいんですね、あなたは……」
ぽつりと、絞り出すような声が落ちた。
張り詰めた空気が、少しだけ和らいだ気がした。
そして、ファムナーレは唐突に話しはじめた。
「……あんな、こと……。本当は、やめたいんです」
「……ん? あんなこと?」
「夜に……その……ひとりで……。あんなことを……」
言いながら、顔を伏せるファムナーレ。
それはもう、聖女でもなんでもない、
ただのひとりの、悩みを抱えた少女の顔だった。
俺は、少しだけ真面目な声で言った。
「……ストレス、たまってんだろ。聖女ってのは、息抜きもしにくそうだしな。まあ、仕方ないよ。別に、変なことじゃないと思うぜ」
「……っ」
ファムナーレが、目を伏せながら、小さくうなずいた。
その肩が、すこし震えていた。
だから、俺は――
「じゃあさ。今日は“普通の女の子”らしく遊んでみるか?」
「……えっ?」
顔を上げたファムナーレは、きょとんとした顔をしていた。
「ちょっと、外に出ようぜ。市場でも劇場でも、酒場でも……“聖女じゃないお前”を見せてくれよ」
俺は小説を読んで知っていた。
ファムナーレの聖女という立場は、遊びにいくなんてことできないくらい、厳格な規則がある。
そんなファムナーレを外に連れ出して、主人公がいろんなことを体験させてやるというエピソードがあったっけ……。
今のファムナーレには、そういった息抜きが必要だ。
それに、俺もいち小説のファンとして、ファムナーレのことをもっと知ってみたいと思っていた。
あれ、でも主人公くんの役目奪ってしまって、いいのかな……?
まあ、まだ主人公くんと出会うまえだし、別にいいか……。
むしろ、先にフラグを進めておくことで、主人公とファムナーレが結託して俺を追い詰めるというシナリオを破棄することができるかもしれん。
とにかく……
「俺と、遊びにいこうぜ」
――俺がそう言ったとき
ファムナーレの瞳が、一瞬だけ、静かに揺れた。
それは、初めて世界を知ろうとする少女の、純粋なときめきのようだった。
◆ ◆ ◆
ファムナーレは、鏡の前で硬直していた。
「……こ、これが……“私”……?」
頬にかかる髪は、いつもの堅牢な結い上げではなく、ゆるやかなハーフアップ。
装束ではなく、淡い藍色のワンピース。胸元に小さな白い刺繍が入っている。
本人が選んだわけじゃない。
用意したのは、もちろん俺だ。
俺の鑑定眼を使えば、どの服装が一番彼女に似合うのか、すぐにわかった。
まあ、あとはほんの少し、俺の趣味を入れた。
「……うん。ちゃんと“普通の女の子”に見えるぞ」
俺が後ろからそう言うと、ファムナーレは鏡越しにこっちを睨んできた。
「ふ、普通の女の子に……って、どういう……っ!」
「そりゃお前、いっつも“神の代行者”だの“清廉な乙女”だのって仮面かぶってんだろ? 今日は、それ脱いでいいんだよ。肩の力、抜けよ」
「…………っ」
ファムナーレは唇を引き結んで、小さく深呼吸した。
それから、控えめに一歩前へ進み――おそるおそる、俺の袖を引いた。
「……わたし、変じゃないですか?」
その小さな声に、俺は一瞬だけ返事を止めた。
いつものファムナーレだったら、こんなセリフは絶対に出てこない。
たぶん、今だけなんだろうな。
こんなふうに、誰かを頼る彼女が見られるのは。
新鮮なその姿に、俺も……
不覚にも、ドキッとしてしまった。
「……似合ってるよ。マジで、誰にもバレねぇんじゃねぇか?」
「……っ」
ほんの一瞬だけ、ファムナーレの頬が赤くなった。
◆ ◆ ◆
街は、ちょうど昼下がりのにぎわいだった。
市場では魚の行商人が大声を張り上げ、広場には芸人が火を吹いている。
「……こんなに賑やかだったんですね。王都の街って……」
「教会の中ばっかいたら、見れねぇもんな。今日はぜんぶ見てけ」
最初はぎこちなかったファムナーレも、
色とりどりの果実や、ぬいぐるみの露店、ちょっと珍妙な大道芸などを見ていくうちに、徐々に笑顔が増えていった。
「わ、あの子たち、剣舞を踊ってます……! しかも、動きが……!」
「興味あるなら、もうちょっと近づいてみるか?」
「い、いえ! 見てるだけで充分ですっ……!」
劇場の前では、小さな人形劇をやっていた。
人形たちは恋に落ち、やがてすれ違い、それでも想い合って――というベタな演目。
「……こういうの、初めてです」
「こういうのが普通の“デート”ってやつだな」
そう言ったとき、ふとファムナーレの視線が横を向いた。
俺の顔を、ちらりと見て――そして、すぐに逸らした。
……ふぅん。
気づいてないと思ってるのかもしれないけど、
残念ながら、俺の《鑑定眼》に隠し事は通用しない。
(……お、思ったより楽しんでるじゃねーか、聖女様)
ファムナーレの【状態】の項目が:ご機嫌 になっていた。
◆ ◆ ◆
陽が傾きかけたころ、人気の少ない公園のベンチに並んで腰かけた。
ファムナーレの手には、買ったばかりの小さなキャンディ袋がある。
ひとつ口に放って、彼女はほっとしたように目を閉じた。
「……こんなふうに、笑ったの……いつぶりでしょうね」
呟くように言ったその言葉は、
不思議なほど、俺の胸に残った。
「教会では、そんな暇もねぇのか?」
「“笑顔”は、あります。でも、“笑っていい”場所が……なかっただけです」
その横顔は、どこか寂しげで――
でも、ほんの少しだけ誇らしげだった。
意味深だな……。
俺は、言葉もなく空を仰いだ。
沈みかけた夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。
しばらく、ふたりとも黙っていた。
気まずさではない。
言葉にしなくても満ちていた、妙に心地のいい沈黙だった。
風が通り抜けるたびに、ファムナーレの髪がふわりと揺れる。
いつもはきっちりまとめている金髪が、今日は風になびいて、どこか無防備に見えた。
ふと、彼女がぽつりと呟いた。
「……私、なんだか、あなたと一緒にいると……知らない自分になれる気がします……。こんな私、自分でも知らない……」
その声は、まるで自分でも気づかず口にしたような、かすれた調子だった。
「……いつもは、“聖女様”でいなきゃいけなくて。誰にも弱さを見せられなくて。笑うときですら、“教会の顔”を意識して……」
言葉が、徐々に熱を帯びていく。
彼女は目を伏せたまま、両手を膝の上に重ねていた。
「でも今日は……全部、忘れていられました。名前も、肩書きも……戒律も」
そして、静かに顔を上げた。
「――これが“息抜き”というものなんですね。……オージ様、ほんとうに、ありがとうございました」
その笑顔は、作り物じゃなかった。
誓いでも、義務でも、責任でもない。
ただひとりの少女が、ようやく見せられた“ほんとうの表情”。
「……どういたしまして。そういってもらえると、俺も誘った甲斐があるよ」
俺はそう答えて、ひとつだけ、思いつきで手を伸ばした。
そして――彼女の頭を、ぽんと軽く撫でてみた。
何気なしに、なにも考えずに、無意識にそうしていた。
「っ……!」
ファムナーレの体が、ぴくんと小さく跳ねた。
目をぱちくりさせて、固まったように俺を見つめてくる。
「がんばりすぎるなよ、聖女様。お前はお前だ」
そういえば、原作で主人公がファムナーレに言ったセリフだっけ……。
無意識に、俺はそう言ってしまっていた。
ファムナーレは、ぽろりと何かがこぼれそうな顔で、そっと目を伏せた。
――そして。
「……ずるい人」
小さな、けれど確かな声が、風に乗って耳に届いた。
それは、どこか拗ねたようで。
でも、ほんの少しだけ――甘えているようにも聞こえた。
いつの間にか、空は茜色から群青へ変わりかけていた。
ひとつだけ、星が瞬いている。
ふたりでそれを見上げたことに、言葉はいらなかった。
新作を書いたのでぜひこっちも読んでもらえるとうれしいです。
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