第2話 奇跡の癒し手
奴隷市場ってのは、想像よりずっと、くさい場所だった。
いや、マジで。獣の匂いと人の汗と、なぜか魚の腐ったような臭いが混じっていて、嗅覚がめちゃくちゃになる。
俺は鼻をつまみながら、市場の入口に足を踏み入れた。
「オージ様、本当に……こんな場所に用事があるんですか……?」
背後から聞こえるのは、ドジっ子メイド・カリヤの泣きそうな声。
そりゃそうだ。貴族のご令息が、泥まみれの奴隷市場に自ら足を運ぶなんて、ありえない。
でも、俺はもう【奴隷商人】だ。ここから始めるしかない。
(それに……ここには、きっと“原石”が埋もれてる)
鑑定眼があれば、誰もが見落とす才能だって見つけられる。
まずはお試しだ。市場に並んだ奴隷たちを、順に見て回る。
最初に目に入ったのは、筋骨隆々の男。
名前:ゴルド
年齢:30
攻撃:B 防御:C 魔法:E 身体:B
―才能―
肉体労働:B 門番:C
(うーん、悪くはない。悪くはないけど、フツーだな……)
次。
よく日焼けした少女、見た目は元気そう。
名前:ティナ
年齢:16
攻撃:C 防御:D 魔法:F 身体:C
―才能―
洗濯:C アイドル:E
(アイドル!? そんな職業適性あんのかよ……)
市場の商人が、歯の抜けた笑みで話しかけてくる。
「旦那、見る目があるな。こいつはまだ若くて……夜のお供にもなりますぜ?」
「パス。趣味じゃないんで」
さらっと流して、奥のほうへ進む。
だけど、なかなか“当たり”がいない。才能のランクはどれもCかD。
Sなんて影も形もない。
(本当に、こんなとこで才能の原石なんて見つかるのか……?)
少し不安になりかけた、そのときだった。
視線の先――市場の最奥、日陰の端に置かれたボロボロの木檻の中。
その中で、誰にも気づかれないように、ひとりの少女が蹲っていた。
ボロ布に包まれた痩せ細った体。
白とも灰ともつかない髪は泥で固まり、顔色は悪く、息も荒い。
(……これは、やばいな)
見た目だけなら“今にも死にそう”の一言に尽きる。
けど、俺の鑑定眼が、そんな彼女に反応した。
名前:リリア
年齢:13
攻撃:E 防御:F 魔法:E 身体:F
―才能―
至高の癒し手:SSS
聖霊親和:S
生命波長制御:S
(でた。でた……! チート級の才能!!)
眩しすぎて、思わず目を細めたくなるほど。
今まで見たどの奴隷よりも、桁違いに輝いている。まさに“原石”そのものだった。
「おい、この子はいくらだ?」
俺はそばにいた奴隷商人に声をかける。
「ああ、そいつ? やめときなって、旦那。病気でな、肺をやってんだ。三日保たねえ。ま、墓場送りになる前に処分できればって感じでな……」
「処分って……」
「見てのとおりさ。まともに歩けねえし、魔力量も測定不能。文字通り“ゴミ”だよ。だから……銀貨一枚、いや、半枚でいい。棺桶代と思えば安いもんだろ?」
「いいだろ、買おう」
「……は?」
「銀貨半枚。即金で払う」
商人の目が丸くなった。
「ま、マジかい!? 本気で!? うひゃー、売った売った! いやー、在庫処分できるとは思わなかったぜ!」
ガラガラと錠前が開けられ、リリアが引きずり出された。
彼女はほとんど力なく、俺の顔をうっすらと見上げた。
「……どうして……?」
その声は、風が吹けば消えてしまいそうなほど小さかった。
「私……もうすぐ死ぬのに……なんで……?」
俺はしゃがみこみ、そっと笑った。
「理由は二つ。ひとつは、俺が気まぐれだから。もうひとつは――」
俺は彼女の目を見つめる。
「君が、世界一すごい“癒し手”の才能を持ってるからさ」
「……癒し、手……?」
「そう。誰も気づいてないけど、君は“奇跡を起こせる”子なんだよ」
リリアは、信じられない、という顔をした。
無理もない。これまで誰にも期待されたことがなかったんだろう。
でも、俺の目には見えている。確かに、彼女は“本物”だ。
(あとは……この才能を引き出すだけだ)
俺は彼女の手をそっと握って立ち上がる。
「行こう、リリア。君の新しい人生を始めに、うちの屋敷に連れて帰る」
震える体をそっと支えながら、俺は心の中でガッツポーズを取った。
これでいい。この子が最初の“原石”だ。
(俺の鑑定眼は、間違ってなかった)
屋敷に戻る馬車の中、リリアは俺の隣で静かにうずくまっていた。
ちょっとした揺れにも体がぐらつくくらいに弱っていて、まるで壊れかけの人形みたいだった。
俺はそんな彼女に、そっと毛布をかけてやる。
「……あの……」
か細い声が、ふいに聞こえた。
「どうして……私を、助けたんですか……?」
「理由は言ったろ? 君には、奇跡の才能があるって。それに助けたんじゃない。これから君が、いろんな人を助けるんだ。俺はそのために、ちょっと手を貸しただけだ」
「でも……私にはなにもできません。魔法も使えたことないし、病気だって治せないし……。人からは“死にかけのゴミ”って言われて……」
リリアはうつむいたまま、震える手で自分の胸を押さえた。
「……どうせ、期待されても……裏切っちゃうだけ……」
「そんなこと、ないさ」
俺はそっと、彼女の肩に手を置いた。
「俺には見えるんだ。君の中にある力が。誰にも見えない、君だけの光が」
その言葉に、リリアはほんの少しだけ顔を上げた。
だけど、その瞳にはまだ自信の色はなかった。
(なら、見せてやろう。自分の力で、自分のことを救えるって)
◆ ◆ ◆
屋敷の裏庭。
といっても今は使われてない空き地みたいな場所で、俺はリリアを寝かせたベンチの前にしゃがみ込んでいた。
リリアはぐったりとしたまま。顔色もまだ悪く、呼吸は浅い。
けど、このまま寝かせておくだけじゃ、治るものも治らない。
「リリア。君の中にある魔力、感じたことある?」
「……いいえ」
「そっか。でも、君には“癒し手”の才能がある。それも、最高ランクのSSSだ」
「……そんな、わけ……」
「あるんだよ」
俺はリリアの手を取る。
「いいかい? 君の中には、いまもちゃんと魔力が流れてる。ただ、うまく使い方がわからないだけ。ちょっとだけ、俺が手伝うから――感じてみて」
そう言って、俺は鑑定眼でリリアの魔力の流れを視た。
体の中で、薄く淡く、よどんだ川のように魔力が滞っている。
(ここを、少しだけ――)
俺は手のひらを重ね、イメージで導いた。
詰まっていた魔力の流れが、ほんの少しずつ、解けていく。
リリアの指先が、微かに温かくなる。
「……あれ?」
「そう、それ。君の魔力だよ。感じた?」
「……うん……なんか、あったかい……でも……」
「大丈夫。そのまま、自分の胸に手を当てて。そこが一番痛い場所なんだろ?」
リリアは戸惑いながらも、言われたとおりに手を動かす。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
沈黙――。
風の音だけが、草を揺らしていた。
と、そのとき。
リリアの手のひらから、やわらかな白い光がふわりと浮かんだ。
「……っ!」
リリアの体が小さく震える。
光は彼女の胸に吸い込まれ、その瞬間、彼女が大きく息を吸い込んだ。
「……はっ……く、る、しくない……!」
呼吸が楽になったのか、顔色が一気によくなる。
青白かった頬に、血の気が戻ってくる。
「え……? え、え……?」
混乱したように、自分の体を見下ろして――
次の瞬間、リリアの瞳に涙があふれた。
「わ、たし……治った……? わたし、自分で……自分を……!?」
「ああ。君が、自分の力で、癒したんだ」
俺が微笑むと、リリアはぶわっと泣き出した。
「ううっ……ありがとう、ございます……! 生きててよかった……! 生きてて……!」
俺の手をぎゅっと握りしめて、しゃくりあげながら、何度も何度もお礼を言った。
その声には、もう“死にかけのゴミ”なんて言葉の影はなかった。
「リリア。君の力は、まだ始まったばかりだ。これから、どんどん伸びていく」
俺はその頭を、そっと撫でた。
「……はい……! 私、オージ様の役に立ちたいです……! この力で……誰かを、救いたい……!」
その顔は、さっきまでのリリアとは別人みたいに、明るく、希望に満ちていた。
◆ ◆ ◆
その日の夜。
俺は部屋の窓から、王都の大聖堂を見下ろしていた。
その塔の上――淡い光が、天へと立ちのぼっている。
(……“聖なる反応”を探知する儀式、か)
つまり、誰かが“奇跡”を起こしたってことを、教会が察知したってわけだ。
俺はニヤリと笑った。
「さてはて。これから、どんな奴らが、こっちに興味を持つのかね……?」
鑑定眼の奴隷商人、オージ・グランファルム。
最初の“奇跡”は成功した。
そして、俺の――“世界を変える商売”が、本格的に始まったのだった。