第19話 努力の方向性
久しぶりに、一人で外をぶらついていた。
カリヤたちの訓練も順調、リリアの回復魔法も安定してきた。
ヴァルナとゼフは勝手に模擬戦を始め、ティグはユキと追いかけっこしていた。
どうやら、俺の手がなくても大丈夫そうだ。
なら、たまにはひとりで酒でも飲みに行くのも悪くないだろう。
◆ ◆ ◆
ふらりと立ち寄ったのは、街の片隅にある小さな酒場だった。
店内はそれなりに賑わっていて、奥の舞台では、見習いの歌い手らしき少女が歌を披露している。
……が。
客の反応は――いまひとつだった。
歌が下手というわけじゃない。
音程もそこそこ合ってるし、リズムもズレてない。
けど――何かが、足りない。
軽い違和感というか、耳がほんのり疲れるような感覚が残る。
(……高音、キンキンしすぎだな)
声質が張りすぎてて、ちょっと聞いてるだけで頭が締めつけられる。
歌そのものは努力しているのがわかるだけに、なんとも惜しい。
「――ありがとうございましたっ!」
歌い終えた少女が、ぺこりと頭を下げる。
ぱら、ぱら……と、申し訳程度の拍手が返るだけだった。
少女はしょんぼりと舞台を降り、店の隅のテーブルに座った。
その席、ちょうど俺の隣だった。
気まずそうに小さくため息をついた少女は、俺の存在に気づき、あわてて笑う。
「あっ……す、すみません、うるさかったですか?」
「いや、別に。がんばってたと思うぞ」
「ありがとうございます……はは、でも、がんばってるだけじゃ駄目なんですよね、こういうのって」
そう言って、少女はコップの水を両手で包み込むように持った。
「……わたし、ミーナっていいます。歌、聞いてましたよね?」
「オージだ。……ああ、聞いてた」
「変な感じしませんでした? なんか……刺さらないっていうか……」
「まあ……ちょっとだけ、な」
「やっぱり……!」
ミーナは苦笑しながら、肩を落とす。
「夢だったんですよ。舞台で歌って、たくさんの人に聞いてもらうこと。でも、王都の舞台は遠すぎて……今はこうして酒場で歌ってます」
「夢を追ってるだけで、立派だと思うけどな」
「……それだけじゃ、ダメみたいです。上手くならないし、客も増えないし……。毎日喉も鍛えてるし、音も練習してるのに……どうしても、届かないんです」
ミーナは、悲しそうに小さな笑みを浮かべた。
「ねえ、オージさん。……どうしたら、もっと歌が上手くなれますか?」
……来たな。
こういうときにこそ、俺の出番だ。
「じゃあ――ひとつ、試してみるか。君の“本当の才能”を見てみよう」
俺は、静かに“鑑定眼”を起動した。
「試すって……なにを?」
ミーナが首をかしげた。
俺は黙って彼女の顔を見つめ、意識を集中する。
すると、視界の端に――あのおなじみのウィンドウが浮かび上がった。
《ミーナ・フェルスタット》
【年齢】:17
【職業】:歌い手見習い
歌の才能:S
《歌唱適正》
・高音域:D
・低音域:SS
・バラード:A
・アップテンポ:C
・音程安定性:B
・感情伝達:A
《備考》
明朗快活な性格により、アップテンポを好む傾向あり。
しかし、身体的には柔らかく深い低音に圧倒的な適性を持つ。
深層感情との親和性高し――バラードで真価を発揮。
(……やっぱりな)
間違いなく、彼女には歌の才能がある。
それは鑑定眼を使わなくても、わかることだ。
けど、なにかが足りないと思っていた……。
それは……。
彼女の本当の強みは、明るく跳ねた高音じゃない。
むしろその正反対――静かで、柔らかくて、聴く者の心に沁み込むような“低音”にある。
「おい、ミーナ」
「は、はいっ?」
「お前、今までずっと高音の練習ばっかりしてきたんだろうけど……それ、たぶん向いてない」
「っ……!」
彼女の瞳が、すこし揺れた。
「な……なにを、いきなり……。向いてないって……」
「落ち着け、最後まで聞けって。お前の低音は、すごい。――とんでもなく、綺麗だ。それもただ出るってだけじゃない。“響く”声を持ってる。バラード……つまり、ゆったりした感情系の歌でなら、本来の力が出せるはずだ」
「……そんな、私……明るい歌のほうが好きだし……そういう雰囲気のほうが、合ってるって思ってて……」
「たしかに、お前のキャラは明るくて元気だ。でもな、“元気な人間が静かな歌を歌うとき”――そこにこそ、本音が出るんだよ。それが、人の心を打つんだ」
「……」
ミーナは、小さく息を呑んだ。
「今まで自分が思ってた“自分らしさ”が、本当の自分の“才能”と違ってたって、気づくのは……ちょっと怖いんだよな」
「……でも」
俺は、少しだけ笑ってみせた。
「お前は、それを“変えるチャンス”を持ってる。やってみるか? 自分の、本当の声を」
沈黙のあと、ミーナは――小さく、でも確かに頷いた。
「……やってみます。オージさんが、そこまで言ってくれるなら……信じてみたいです」
◆ ◆ ◆
その夜、もう一度、ミーナは舞台に上がった。
照明もない、喧噪が広がる酒場の隅。
「さっきの子、また歌うのか?」
「さっきは微妙だったけどなぁ……」
ざわめく中、ミーナが深く息を吸う。
曲は、静かなバラードだった。
前とは違う、低く、深く、まるで心の底を撫でるような――
……一音目が響いた瞬間、酒場の空気が変わった。
騒がしかった酔客の話し声が、ぱたりと止む。
誰もが、息をひそめるように、耳を傾けていた。
ミーナの歌は――
どこまでも、柔らかく、温かく、そして、透き通っていた。
静かな旋律が、酒場の空気を包んでいた。
ひとりの少女が奏でる、低く、柔らかく、深く沈みこむような歌声。
誰もが耳を澄ませ、誰もが言葉を失っていた。
──ただ、聴いていた。
誰かが泣いていた。
誰かが笑っていた。
そして、多くの者が、まるで夢から醒めたような顔をしていた。
その中心に立っていたのは、たったひとりの少女。
──ミーナ・フェルスタット。
「……ありがとうございました」
歌い終わった彼女が一礼すると、
しばしの静寂の後、酒場中に割れんばかりの拍手が起こった。
「すげぇ……」「あの子、さっきと全然ちがうぞ……!」「泣いた……」
ミーナは、ぽかんとその光景を眺めたあと、はにかむように笑った。
そのときだった。
「やはり……私の耳に間違いはなかった」
拍手の中を割るように、ひとりの老紳士が歩み出る。
シルクのスーツに銀の飾りボタン、胸には小さな劇団章――
一目でわかる、只者ではない気配。
「君の名前は?」
「……えっ? あっ、わ、わたし……ミーナです。ミーナ・フェルスタット……です」
「ふむ……君、王都の“サン・リュミエール劇団”という名を聞いたことは?」
「さ、サン・リュ……えっ!? し、知ってます! あの超有名な……!」
老紳士は頷く。
「私はそこの演出を任されている、モルヴァンという者だ。君の歌声……久々に、心を揺さぶられた。ぜひ我が劇団に来てくれないか?」
「え……えぇえええええっ!?!?!?!?!?」
ミーナの目が、ありえないぐらい大きく見開かれた。
◆ ◆ ◆
酒場の裏口。
ミーナは何度も何度もお辞儀をしながら、俺に頭を下げていた。
「本当に……本っっ当にありがとうございました、オージさん……!」
「いや、礼を言うのはこっちだよ。あの歌、聞かせてもらえて良かった」
「私……ずっと“高音で元気に”が自分らしさだと思ってて……でも、それが全部間違ってたなんて……」
「間違ってたんじゃない。可能性を一つに絞りすぎてただけだ。人には向き不向きがある。その“向いてる方向”を、選びなおせばいいだけさ。君には十分な歌の才能があるんだから……ただ、それをうまくいかせてなかっただけなんだ。これからまた方向を変えて頑張ればいい」
「……はいっ!」
ミーナはぱっと笑って、真っ直ぐに俺を見る。
「わたし、王都に行きます。あの劇団で……夢、叶えてきます!」
「応援してる。お前なら、きっと大舞台でもやれる」
「……オージさん」
ミーナは一瞬、何かを言いたげに迷ったあと――
小さく、こう呟いた。
「“自分を信じろ”って言ってくれたの、オージさんが初めてでした。だから、わたしも信じます。自分の声と……これからの未来と……そして、あのときの言葉を」
彼女は、ゆっくりと、しかし軽やかな足取りで夜の街に消えていった。
その背に、星が滲んでいた。
◆ ◆ ◆
「……さてと」
俺はコートの襟を立て、夜風を受けながら小さく呟いた。
「“歌い方の才能”も、見抜けるってわけか……。俺の鑑定眼、やっぱり使い道はかなりあるな……。これまでは別の才能を見抜くばかりだったが……同じ才能があるやつでも、さっきみたいに努力の方向性が間違っているやつもいる……。今後はそういう奴の才能も見逃したくないな……」
戦場だけじゃない。市場だけでもない。
この世界に生きる、すべての“本当の才能”を――
俺は、見抜いてやる。
「……なんか、楽しくなってきたな」
夜空を見上げた俺の目に、酒場で聴いたバラードの旋律が、静かに蘇っていた。