矢面克己のトラウマ
種子島くんの空間で、最後の打ち合わせを行う。
「では手筈通り、私と矢面くん、
種子島くんと濱崎くんの二手に分かれて
タイムリミットを経験してもらう。
二人はタイムリミットが訪れ次第、
二人で矢面くんの空間の様子を見て欲しい。
タイムリミットが訪れていないようであれば、
すまないがそのまま各々の空間で待機、
訪れているようであれば駅で
待機している矢面くんを拾って、
保健室の空間まで行ってほしい。
私もなるべく早く合流する」
「分かりました」
「矢面くんの空間は電話ボックス、
保健室の空間は橙色の屋根の家の扉から入れる。
よろしく頼む」
「頑張ってね」
「うん」
親類ではないらしいが、
濱崎くんと矢面くんは非常に仲が良いように思える。
対して種子島くんはなんともぎこちない様子。
メソッド通りに進めたが、
人選を間違えたかもしれない。
「では、行ってくる」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
電話ボックスのガラス戸に手をかけ、開ける。
聞いていた通り、
駅前の景観が反映されている空間。
出てきた場所はファミレスか。
「あう」
近くに人影。
話に聞いていた通りの、モデル体型のナース。
それが幾人も辺りに散らばっている。
「一人の時に襲われたんだっけ?」
「うん…あ、はい」
「畏まらなくていいよ」
ナース達を観察する。
この空間にいるということは、
こいつらは矢面くんのトラウマの
一部である可能性が高い。
一見見つめると微笑み返す、
よくできたマネキンのような怪異。
だが聞くところによると。
「一瞬目を離す、何かあったら手を握り返して」
「うん」
ファミレスのガラスに反射しているナースを見る。
「うう…」
全員歩みを止めて矢面くんを凝視している。
濱崎くんから聞いた通りの性質。
「追いかけられた時の状況を
細かく教えてもらえるかな」
「えっとね、最初一人だけだったんだけど、
あとからどんどん増えてって」
「ふむふむ」
空間に入った時から既にナースは複数体いるが、
まだ増加は傾向も見られない。
空間への恐怖が増して、
少しだけ補強されたのか?。
「それでね、怖くなっ…
全然怖くなんてなかったんだけど、
走ったら追いかけられちゃった」
「走ったら…」
気丈な振る舞いは置いておいて、
走ることで追いかけられるのは引っかかる。
追いかけるのなら最初から追いかけるだろう、
怪異に論理を持ちかけるのは不都合が生じそうだが。
「少し、走ってみないか?」
「走るの?」
「ああ、準備運動も兼ねて」
「わかった」
人の空いている方向、
商店が並んでいる沿道を向き、構える。
「よーい、ドン」
同時に走り、ナースを横目に見る。
走った直後は何も無かったが、
一定距離離れると唐突に走り出した。
「一旦止まろう」
「え?でも…」
「確認したいことがあるんだ、
大丈夫、私がついてる」
「分かった」
銀行のような色合いの建物の前で止まる。
ナース達も怪物じみた反応速度で止まった。
「やはりな」
「なんで…?」
「恐らくだが、現状ナース達は君を中心として
見つめるという行動パターンを持っている。
だから急に離れたら
急に追いかけてくるというわけさ」
「じゃあ、襲われない?」
「そうとも限らない、タイムリミットが近づけば
攻撃をしてくるかもしれない」
「うん」
『キーンコーンカーンコーン』
「あ」
学校の…チャイム?。
「そういえば学校どうしよう」
「今は…それをあまり気にしない方がいい」
この世界の時間が緩慢なことを祈る。
それよりも。
『キーンコーンカーンコーン』
ナース達の動きが止まった。
歩行を中断し足を浮かせている者、
表情が笑顔になりかけで止まっている者もいる。
不気味なのは、
全員の髪の毛も止まっていることだ。
『キーンコーンカーンコーン』
三回目のチャイムで、空の色が変わった。
青から橙色に漸進的に変わっていく。
「なに…?」
「落ち着いて、大丈夫だ」
怪奇現象の前では、気休めにもならない言葉だが。
『キーンコーンカーンコーン』
四回目の、恐らく最後のチャイム。
当たり前のように、空が暗くなる。
ナース達は妙に震えた後、全員こちらを向いた。
「ひっ」
整っていた髪は逆立ち、乱れ始める。
眼光が鋭くなったかと思うと、
顔の中心に赤い縦線が入る。
その縦線にそって、
蕾の開花を早送りしたかのように、顔が割れ始める。
「あ…あ…」
「グロいな」
最終的には、
エイリアンのような正気が削がれる大口を開け放ち、
涎を垂らす始末だった。
もはやナースと呼んでいいのか
分からない怪物たちは、徐々に歩みを寄せてくる。
「走れる?」
「ひぅ…ぅぅ」
完全に怖気づいている。
「心を折るんじゃないぞ」
矢面くんを抱え、走る。
「わっ」
怪物たちは何も言わず追いかけてくる。
以前のような整ったフォームの名残は微塵もなく、
ただ本能のままに駆けている。
銃が使えれば一時的に追い払えるかもしれないが、
今は両手が塞がっている。
幸い追いつかれる速度ではないので、
なるべく時間を稼ぎたいところ。
「や、やだ…」
抱えている矢面くんが呻く。
「どうしたの?」
「病院、やだ…」
現在直進している方向、
その先に大きな病院が構えていた。
「どうして?」
「わかんないけど、やだ…」
声色は深刻そのもので、
病院に近づくにつれ表情が悪くなっていく。
ただその反応は、
病院がトラウマに
関係があることの示唆でしかなかった。
「すまない、行かせてもらう」
彼がこの世界を脱出する手がかりを得るためには、
避けては通れない道。
その代わりしっかりと分析させてもらう。
「酷い…」
「ああ、最悪酷い目にあってもらう」
病院の前に着く。
自動ドアを抜けると、
駅前とは違い設備や配置がしっかりとした、
具体的な病院であることが一目見てわかった。
ま白い壁や床に照明が反射しているのに、
何処と無く薄暗く感じる。
トラウマに近くなるほど、
鮮烈な記憶とともに空間の解像度が上がる。
危険度も当然増してくるだろう。
「立てる?」
「あい」
矢面くんを下ろし、自動ドアを見る。
ナースだった者たちはやはり病院前に集結し、
自動ドアの緩慢な動きを無視して
我先にと割って入ってくる。
その先頭へ目掛けて銃を発砲する。
空間によって怪異と銃の関係は異なる。
空間を作っているトラウマに対して、
保持者がどの程度銃を信頼しているかによって
効力が変わってくる。
種子島くんの空間は欧米色が強かったので、
銃声だけでも退けられた。
この矢面くんの空間の場合、
やはり銃などは信頼どころか想定の内にないだろう。
銃弾に怯えずに後続はやってくる。
ただ肉感は人に近いかそれ以下なので、
弾丸の運動エネルギーはしっかりと
伝わり近づけさせないことには成功している。
だんだんと怪物達から距離を離し、
射線が通らなくなるギリギリまで引き付けて、走る。
「どこ行くの?」
「あてはないが、
時間稼ぎをしつつトラウマの根源を探ろうと思う」
「そっか…」
今にも泣きそうな顔をされるが、
躊躇している場合ではない。
「その…矢面くんは心当たりあるかい?」
「…ある」
涙を零して足取りが
弱々しくなったところで拾い上げる。
「3010号室…」
「よし」
階段を駆け上がり、
三階に到着したところで道が左右に別れる。
「どっち?」
「あっち」
左のさらに詳細な方向を指し示してくれた。
それに従い、3010号室に着く。
「入るよ」
「うん…」
引き戸を開け、中に入る。
内装は空の病室そのものだ。
「うぅ…ヒック」
泣いている彼を降ろすと、
自らの意思で奥のベッドに腰かけた。
「ここ…」
そのベッドで起こった出来事が、
トラウマの根幹なのだろうか。
「勇気を出してくれてありがとう、
ゆっくりしていて」
「うん」
なるべく奴らを見ないように、
ベッドのカーテンを下ろそうとしたが、
矢面の手が制止した。
「カーテンは閉めないで」
「ああ、分かった」
病室から半身を出し、
こちらに来る怪物達を射撃する。
タイムリミットまでこのやり方で凌ぐ。
その間もつぶさに空間や怪物を観察し、
トラウマを探る。
最初は凝視してくるナース。
夜になると顔が割れ髪が逆立つ。
そして襲ってくる。
何か掴みかけてきたところで、
怪物達の量が増えていることに気がつく。
奴らに急所などないので、
ミンチにでもしない限りは這いずってやってくる。
そんな奴らが増え続けるとなると、
いずれ対処に負えなくなる。
この空間のタイムリミットは、
怪異の増加による圧死か。
あるいは怪物に食われでもするか。
どちらにしろいいものではない。
撃たれて伏せた怪物によって怪物が転び、
またそれによって転ぶなどして
波のように押し寄せてくる。
こうなるといくら撃っても仰け反りなどしない。
部屋に戻り扉を閉める。
「鍵が…?」
見たのところ壊れてはいないように見えるが、
機能しない。
「大丈夫…?」
「ああ、任せて」
矢面くんが座っていない方のベッドを掴む。
「ふん!」
力いっぱい扉の方に引き寄せ、
近くの棚も置いてバリケードを形成する。
引き戸なので大した効果もないと思うが。
「そろそろ終わりが近い、
眼を瞑って耳を塞ぐといい」
「ん」
窓から地上を見下ろす。
地上にナース達は居ない。
扉から入ってくるというシチュエーションも
トラウマに関係があるとみていいだろう。
窓を開くことはできず、密室を強調している。
『ガタガタガタ』
引き戸が無理に押され、
だんだんとひしゃげてくる。
おおよそ恐怖だけを受け取ったトラウマ。
その愚行をよく現しているように思える。
『ミシミシ』
扉が悲鳴をあげている。
そろそろ限界か。
矢面くんの隣に座り、守るようにして抱きしめる。
せめてもの一助になればいいが。
扉が折れ、バリケードを押しのけながら
津波のように怪物が押し寄せる。