トラウマの精神世界
「さて…何から始めようか」
提案を求めるようなそうでもないような
言葉を残されて、部屋は静まり返った。
克己に喋らせるのは酷だし、
この男は期待できない。
私が言うしかないか。
「自己紹介…とか?」
「おお、いいね」
全員がこちらを向く。
こういうのには言い出しっぺの法則があるから、
あまり自分から言い出したくはなかった。
「えと…濱崎柳、七乙女中学の二年生です、
十四です。趣味は…動画鑑賞」
これ以上の紹介は思いつかない。
真ん中の私が言い出してしまったので、
克己と男でどちらが先か探りあっている。
「次は…そこの少年」
お姉さんが上手く舵を取ってくれた。
「あ、矢面克己です、鯉登小学校の五年生です、
十一歳です、趣味は…ゲームです」
反時計回り的に考えれば次はお姉さんの番だが、
視線は男に集まっている。
「あえーと、種子島フランシスコです、
杉山高校二年の十六歳、
趣味は…アニメ鑑賞とか…です、
よろしくお願いします」
偽名であっても、ふざけた名前をしている。
「…まあ確かに、真実を話す必要もないのか」
完全に疑いがかけられているよ。
「いえ、本名です…」
「まあいい、私は英縁、長い間ここにいるせいで、
年齢も曖昧になってきた、以上」
サラッとすごいことを言った。
年齢が分からなくなるほど
ここに閉じ込められてしまうのは勘弁願いたい。
「あの…」
縁さんに目線を合わせ挙手する。
「何?」
「どうやってここで生活しているんですか?」
「…それもひっくるめて、今から説明しよう」
縁さんは三人をつぶさに確認しながら、
語り出した。
「今から、私がこの世界で得た情報や規則性、
現実とは違う点を話させてもらう。
質問があるなら逐一受けつける」
縁さんは自分の頭を指さす。
「まずこの世界が異空間か精神世界、
どちらかという問題だが、
私は現在精神世界だと結論づけている。
第一に、この世界には代謝が存在しない。
垢も溜まらないし排泄もする必要がない、
というかできない。
故に、食べる必要も寝る必要も無い。
ただ三大欲求的なものはふと訪れてくることもある、
性欲も例外無く」
気恥しいことを恥ずかしげなく話す人だ。
「そしてこの世界は、
細かな規則性などは無いものの、
概ねその人が最も嫌悪、
畏怖しているものが反映されている世界である、
と考えている」
ああ、やはりそうだったか。
「保健室で彼女が寝取られたり、
お化け屋敷が怖かったりと、
まあある種トラウマを反映していると言ってもいい。
この空間は、
よっぽど暇を恐れた
囚人か看守が作りあげたんだろう、
変化が一切ない」
暇なら喜んで歓迎したいものだが。
「そして…この空間で死ぬことは恐らく無い、
直面した時に自分が元いた場所に転送されるからだ」
それは一度体験した話だ。
「死ぬような目にあう以外にも、
空間に個別で設定されたタイムリミットが訪れたり、
心が折れたりしても転送される」
そうなると、自分も一歩間違えれば
道中で転送されていたかもしれない。
克己の気丈さをまた褒めたくなる。
「空間はそれぞれによって大きさが全く異なる。
家一件ほどの広さのものもあれば、
無限に広がるものもある。
あと、空間は中に人間がいる時に時間が経過し、
中の人間の意識が無くなれば
初期の状態にリセットされる、
空間に一定時間人が入らない場合も
同様にリセットされる」
あの住宅街もリセットされているだろうか
「代謝が無いとは言ったが、一つ例外が存在する、
来て欲しい」
立ち上がる縁さんに着いて行くと、
先程の吹き抜けの空間に出た。
彼女はそこの大きな柱に手をかける。
「これを見てくれ」
柱には、刃物で切りつけたような横線が、
不規則に並んでいる。
見覚えがある。
「背え比べ…」
克己が言った。確かにそうだ、よく似ている。
「その通り、これが例外の一つ、
この空間では成長をする、これは私の記録だ。
何回か空間がリセットされたから
正確な記録ではないが」
そんな…だとすると、
一番下の線は彼女の肩くらい、
私の目線と同じくらいの高さにある。
この人は、縁さんは何年閉じ込められているの?。
「改めて、この世界から出たい者は、
挙手して欲しい」
全員迷わず手を挙げる。
「わかった、ではこの空間から出る知識を授けよう」
縁さんは柱に手を置いた。
「この空間から出るには、精神的な成長、
すなわちトラウマを克服する必要がある」
この言葉に三人が固まる。
抱えているからこそ、
それを乗り越える困難さという者は、
三人とも共有している。
「未だここにいる私だが、
何人かの脱出を手伝ったことがある、
そこから得た脱出の手順がある」
縁さんは二本の指を立てた。
「早いが荒療治の方法と、
時間はかかるが負担の少ない方法、
どちらがいい?荒療治の人は挙手」
誰も手を上げない。
克己がこちらをチラチラ見ている。
「負担が少ない人」
私と種子島が手を挙げ、遅れて克己が手を挙げた。
「分かった、負担の少ない方法を伝えるが、
長くなるので先程の部屋に戻ろう」
先程の部屋に戻り、
先程の配置で各々体勢を整える。
「まず準備として、各々自分が現れた空間で、
タイムリミットを経験してもらう」
「へ…」
克己が気の毒な声を出す。
「個別の空間は各々のトラウマへの恐怖が
大きくなるほど、より怪異が強まる傾向にある。
だからこそ最初に全容を把握し、
次の工程や最終工程に備える。
自分のトラウマを既に分かっている人も
いるかもしれないが、記憶が封印されている
可能性も考慮して欲しい」
口ぶりから察するに、
三段階に分けられているようだ。
「その次に、
空間から自分のトラウマを細かく認識し、
それを吐露する、誰だっていい、
とにかく人に話すことが重要だ」
「とろって?」
克己が声を小さくして聞いてくる。
「まあ…相談することかな」
「そして最後に、トラウマと和解する」
ここに来て抽象的な方法になった。
「その具体的なやり方は…?」
「空間によって異なるだろう。
怪異と仲良くなったり、
あるいは怪異を打ち倒したりといった具合だ。
以前同行した精神科医と構築し実践した方法だ、
信頼してくれていい」
「あの…」
種子島が挙手した。
「質問か?」
「はい、タイムリミットについても知りたくて…」
そういえば種子島は経験していなかったような。
「タイムリミットは、やはり空間によって異なる。
怪異が溢れすぎて圧死したり、
雷が一帯に落ちてきたりなどだ。
ただこの空間のようにタイムリミットが
そもそも存在しなかったり、
一瞬で殺されるがそれを
工夫しだいで乗り越えたりなど、
タイムリミットは
暫定的なものだということを覚えて欲しい」
私の空間もタイムリミットが伸びたりするだろうか。
「はい!」
克己が勢いよく挙手する。
「はい、矢面君」
以外とノリがいい。
「その銃は、どこで手に入れましたか?」
気になる質問を堂々と言ってくれた。
縁さんは渋ることなく拳銃を取り出す。
「この銃は、
私よりもこの世界に詳しい老人から貰ったものだ。
怪異に近いものらしく、
一見中に弾は入っていないように見えて、
その実いくらでも撃てる」
「いいな〜」
「あげないよ」
確かに持つことが出来れば、
怪異を退けるのに心強いものとなるだろう。
「濱崎くんは何かないか?」
ついでのように求められ、一瞬固まってしまう。
「空間を行き来する時の扉…を見分けるための、
何か共通点はありませんか?」
「ああ、確かに言ってなかった。
というのもあの扉は、
空間を形作っているトラウマを抱えた本人が、
比較的心が穏やかになる場所にあることが多い。
だから極論どこにあるかは分からないんだ」
「そう…なんですか」
私の空間の岩礁には、
そういった意味があるのだろうか。
「まあ扉がガラス製だったりすると、
奥を覗いて別の空間に繋がっているかわかる。
どこに繋がるかは法則性はないが」
「あと、質問ではないんですが、
一応私、タイムリミットを経験してます」
「ほう、差し支え無ければ聞かせてもらっても?」
あの空間を思い出しながら、頭の中で推敲する。
自分で自分のトラウマを
ほじくり返しているようで、気が滅入る。
「ええと、まず空間自体が浜辺で、
時間が経つにつれて海の水かさ?
が増えていって、最終的に怪異に足を掴まれて
強制的に溺れさせられます」
「うわ…」
無駄に同情的な声を上げるんじゃない種子島。
「なるほど、まあありがちなトラウマだな」
「あっそうなんですか」
「でだ、皆、一度タイムリミットを迎えた後、
自力でこの刑務所の空間には来られそうか?」
誰も挙手しない。
道順を覚えてはいるが、
色々と不安要素があるので
必ず行けるとは言いきれない。
「ではこの空間から一番扉を挟む空間は?」
「私の空間だと思います、種子島さんの次の、
矢面くんのその次の空間にあたるので」
「どの空間までは来れる?」
「保健室までは行けるかもしれないですけど、
どの家に入るかまでは曖昧です」
「わかった、では種子島君の空間で集合するとして、
タイムリミットの時間差をどう攻略するかだな」
こればっかりは推測しか立てられず、
正確な時間は経験しないと分からない。
「矢面くんの空間は直接襲ってくるやつなので、
誰か一人は着いていた方がいいと思います」
「濱崎くんは矢面くんの空間に
入ったことがあるの?」
「はい」
「なるほど、元より主観、
客観でトラウマを分析する手筈だから、
二対二で別れるつもりだった。
既に矢面くんの空間を知りえているなら、
話が早くて助かる、
その二人はもう組む必要は無いね」
「え、それってまさか」