面子が揃い、爆音が支配する
扉の先の空気は、今までのどれとも異なっていた。
やや乾いて、やや冷たい。
周りの建造物は、
精々が二階三階までのものがずらりと並んでおり、
見た限り住宅街といった印象。
ただ、家の大きさや建築様式からして、
どこか日本的ではない印象を受ける。
ナースのような見てわかる怪異は
見たところ居ない。
自分たちが出てきた建物は、公衆電話。
「ふぅー」
ひとまずは安心だ。
「ここどこ?」
「うーんどこだろうね」
どこかで見たことがあるような気がするが、
こういう時に限って思い出せない。
悠長に構えてはいられないのだが、
この場所の牧歌的な雰囲気がそうさせてくる。
「ふわ…」
「はわ…」
克己が欠伸をし、それが伝染ってしまった。
「あ」
「ん?」
克己がなにかに気づいた。
「誰かいるよ」
克己が指した道の先、
かなり遠くの方に人影が見える。
「よく見えたね」
「へへ」
人影は歩いてこちらに向かってきている。
こちらも人影に向かって歩き、
やがて人影の正体が分かる。
まず男で、背丈は私を優に超えている。
学ランを着ているので、中高生なのだろう。
前髪は長め。
下を向きながら歩いている彼は、
こちらを見ることもなくそのまま通り過ぎて行った。
自分から怪異という地雷を踏むのも癪だが、
自分たちのような巻き込まれた
人間である可能性は放っておけない。
「あの…」
「うおっ」
「キャッ」
「わっ」
大きな声で驚かれるものだから、
こちらも驚いてしまった。
「え?ここ…どこ?というか…誰ですか?」
こちらの台詞を全部言ってくれたところを見るに、
この人は何も知らないのだろう。
それが逆に、
血の通った人間の証のようにも思えた。
「今まで意識はありましたか?」
「意識?えと…なかったと思います」
「では落ち着いて聞いてください、
あなたは今、異空間に迷い込んでいます」
「…は?…え?」
何も分かっていない様子。
「もう一度言います、
あなたは異世界に迷い込んでいます」
「…ああそうか、夢だな」
だめだこりゃ。
「夢じゃないよ」
「夢だね、明晰夢ってやつさ」
小学生の言葉にすら耳を傾けてやれないとは。
「夢見がちな性格じゃあないから、
ここらで退散させてもらうよ」
そう言って彼は自分の頬をつねる。
「痛ッえ?痛…」
何度も頬をつねり、
その度に表情が現実味を帯びていった。
「え、やだ…恥ずかし…」
こっちが恥ずかしくなってくる。
「分かっていただけましたか?」
「あぁうん、そうだね…ってここは…」
彼は辺りを見回し、段々と表情が暗くなっていく。
「ここがどこか分かるんですか?」
「ここは…うぅ…」
彼は頭を抑えながら屈んだ。
本当に頭が痛いのだろうか。
「fyfssvbfdtyjn
csgukbcklobfaw!!!」
「っ!」
「ッ!」
「ぅぅ…」
突然の怒号に喉が縮む。一体何が起こった?。
「esguihheqszcnm
pjtdesgjfey!?!」
またもや怒号。
男の後に女が続いたところを考えると、
夫婦喧嘩?というか何語?。
「aefcjojggklp
jvvnhfdetdqyv!」
「kwgurvmoqpk
lagenblxdt!!!」
「なん…だろうね…これ…」
「わかん…ない…グス」
恐怖で全ての行動が萎縮してしまう。
克己涙ぐみ肝心の一番大きな男は、
縮こまって何の役にも立たない。
仕方がないので、自分が調べるしかない。
脳に直接響くような怒声は、
どうやら一番近くの家から発せられている。
聞いていてもいい事は何一つ無いだろうし、
離れよう。
「行こう、克己くん」
「うん」
「あなたも、ほら」
「…、…」
彼の肩を叩くも、
ぶつぶつと何かを呟いて全く反応を示さない。
「ちょっ、ええ…」
年下である克己には献身したが、
こいつにはそうも言っていられない。
力づくでも運べないので、置いていくしかない。
「行こう」
「でも…」
克己は見捨てようとする私に、
不安な目で見つめてくる。
まるで先程まで私が等しく人を
助ける人間であって、
今それを裏切ったかのように。
年下の少年からそんな目で見られることなど、
今まで無かった。
「っ…」
この期待に答えられれば、
この後も滅茶苦茶気持ちのいい
羨望の眼差しを向けられるだろうなと、
こんな状況で打算的になった。
「行、き、ま、す、よ〜」
「ん〜」
二人してこいつを持ち上げようとするが、
精々上半身が持ち上がる程度。
「tsjgesbkoqjo
pkgdgtdjikbswf!!」
「gtudfyjvjfdik
ljfsdddgb!!?」
「koiudrvhawbu
hyrdplncghsrvi!」
「うわっ!?」
「うそ…」
近くの一軒だけでなく、
他の家にも怒りが伝播してく。
もはや遠ざかるだけでは対処に負えない。
こいつもますます縮こまってしまった。
ただ冷静に考えてみると、
追いかけられるとか掴まれるといった、
身体に迫った攻撃は未だなされていないので、
猶予があるとも言える。
鼓膜が破れる前に、
最低でも駅前の空間に戻らなくては。
『バン!』
「!?」
家の扉が思い切り開き、
中から外国人の夫婦が出てきた。
男の方は小太りで禿げており、
女は金髪でほうれい線が深い。
両者とも彫りの深い、欧米風の顔つき。
「qyevdiandye
jspwdkdb!!!!」
「fyhdkeishaowb
dvdbdudienwb!?!?」
「うぅ…」
家が緩衝材にならなくなり、
耳の奥が痛くなるほどの怒声が撒き散らせれる。
こいつから手を離し、
両耳を手で塞いでやっと先程の音量。
『ギロ』
夫婦の視界に私達が入った途端、
ものすごい剣幕でこちらに来た。
また悪い予感しかしない。
「gjoesqplnbgrd
cbktxxbuwshkonvyf!!!!!」
「deubgildqschi
feqxguhcruncgjgsw!!!?!」
ドスの効いた怒声とヒステリックな絶叫を、
直線的に浴びせられる。
辺りの家からも続々やってきて、
謎の言語を浴びせられる。
肉体への攻撃に達した声の暴力が全身を襲い、
足がすくみ立つことも難しくなる。
「っ…」
「ひぃ…ぐす…」
結局私達もこいつと同じように
小さくなるしかないのか。
タイムリミットでも何でもいいから、
この状況をどうにかしてくれ。
『バン!』
「ひぃ!」
「!?」
破裂音のような、爆発音のような音。
それ一つで全てが静寂に帰った。
まるでその音が、
この空間を支配できるかのように。
実物は初めてだが、
その音には少し心当たりがある。
そっと顔を上げ、音の鳴った方向を向く。
一人の若い女性が、
右腕を真っ直ぐ上げて立っていた。
その手には、拳銃。
「Ahhhhh!」
「fuuuuuuuuuuuuuuu!」
ようやく人の言葉と
認識できるような悲鳴とともに、
人々は家々へ戻っていった。
ペンは銃よりも強しという言葉を
聞いたことがあるが、
ペンでこの場は切り抜けられなかっただろう。
女性は拳銃を降ろし、
少々弄って上着の内にしまった。
長い髪を概ね後ろに纏め、
余った前髪を左へ格好よく流している。
ポケットが多い上着やズボンは、
各部から覗く細身とは対称的に物々しい。
「うぇぇぇ」
改めて、克己の泣き声が響いた。
先程の爆音に比べると、耳に優しい程の音圧。
安堵からの涙は想像に難くなく、
こちらにも伝播してしまいそうだ。
「大丈夫?」
「ひぃん」
屈むことなく近づいて
見下されたのが怖かったのか、
克己は私にくっついた。
「そっちも」
「はい、あの、大丈夫、です」
一早く屈んでいた男は、
顔を腫らしながらそう答えた。
おいおいこの男、泣いてるよ。
中肉中背で顔はやや彫りが深いものの、
酷く歪んで見えるほど印象が格好悪い。
「また奴らが来るかもしれない、ここから離れよう」
「あ、はい」
お姉さんが先頭で歩き、三人がそれに着いて行く。
駅に続くガラス戸とは真反対の方向だったが、
真っ直ぐな足取りは期待できるものがあった。
迷いなく明かりのない
家の扉を開けたのには驚いたが。
「入って、別のところに繋がってるから」
ガラス戸ではない扉も
別の空間に繋がっているのか。
「はい」
「え?人の家…」
男が場を遮る。
私は男を無視して克己と扉をくぐった。