卯未駅
目が覚めると、見覚えのある場所にいた。
とても寂れた、駅のホーム。
人の気配は全くなく、
電気の通っていないホームは
これほど暗いのかと感じさせてくる。
それが不気味で、異質で異様。
駅名は、卯…未…駅?。
読み方が分からない。
似通った形のホームだからか、
あるいは過去に来たことがあるのかは分からないが、
見覚えがあるという感覚だけがある。
その感覚に付き従い、出口へと向かう。
難なく外の光を拝めたのには、
何か夢のような都合の良さを感じた。
駅周辺も、どことなく見覚えがある。
だがやはり感覚だけの話で、確証などは一切ない。
時間帯はおそらく昼。
太陽が真上から照りつけているはずが、
何故か影かよく傾いている。
そういうこともあるのだろうか。
それよりも不思議なのは、
全くと言っていいほど人が居ないこと。
それに伴って閑散としている。
創作ではこういう時、仲間が唐突に
「囲まれてる…」なんて言い出すものだが、
今の所そういった様子はない。
少し歩いては振り向いて、
それを期待する自分もいるにはいる。
久しぶりに前に意識を向けると、
大病院が視界の中央、やや遠くに置かれている。
自分を驚かせようとしているのではないかと
勘違いするほど、唐突に現れた。
言いしれない嫌悪感も同時に現れる。
この病院には、近づいてはいけない。
そう考え、振り向いたその時だった。
「ッ!」
肩が跳ね、危うく声が漏れるところだった。
少し離れた場所の、正面にナースが立っている。
こんな所になぜナース?足音や気配もなしに。
これはもう驚かせに来ていると言ってもいいだろう。
やや畏まっているふうに棒立ちしているナース。
瞬き一つしないナースには、
病院と同じ悪寒を感じる。
視界の端で捉えながら、
右へ駆け抜けようとする。
『ボフ』
「う」
顔に布が当たる感触、見上げるとまたナース。
目をかっぴらいて棒立ち。
振り向くもまたナース。右もナース、左もナース。
囲まれている…。
360度からの視線と悪寒が、
脊髄反射で危険信号を発させる。
今すぐここから逃げるというのは、
走り出してから決まった。
「ひっ」
集団から抜け出して一瞥した時、
ナース達も走り出した。
制服を着こなしながら、
陸上選手のようなフォームで走っている彼女らは、
さながらアンドロイドのよう。
曲がっても気を抜いても捕まるという気迫を感じる。
地平線のないコンクリートジャングルで
真っ直ぐ走り続けるという困難、
その絶望に打ちひしがれていた時、
視界がKOBANという
でかでかとした文字を捉える。
いざとなったら交番に駆け込むという教えは、
今この時この身をもって金言となった。
ガラス戸にぶつかる勢いで取手を掴み、開ける。
この世でも稀有な、断続的な自然音。
非常に緩慢なメトロノームがすぐ真横に響く。
渚。
浜辺の波打ち際のすぐ隣。
何故こんな所を、学校の制服で歩いているのだろう。
そう気付いて止まり、状況分析を始める。
唐突にこんな場所に来る現象は、
夢として難なく片付けることができるけど、
それにしては地に足が着いている感覚が濃い。
肌にあたる生ぬるい潮風、磯の匂い、波の音。
感覚が現実と相違ない。
歩く意味も見い出せないが、
座るとスカートが砂まみれになってしまう。
とはいっても、
このまま浜で立ち尽くすと靴が波にかかる。
暫くは海から離れるように歩く。
周囲には人っ子一人おらず、
この場所に自分が一人だけだと悟る。
途端に自分が迷子のような不安にかられ、
何か人の手がかりはないかと必死に見回す。
「…、…」
何か、聞こえる。
波に紛れてまだ細かくは聞き取れない。
ホラーの導入のような何かを感じ取るが、
生憎お天道様の目がまだ黒い。
両手を耳にあて目を瞑る。
「う…、う…」
人の声だ。かなり高い声、断続的。
「うぅ…うえっ、ヒック…」
泣き声だ。こちらに近づいている。
聞き分けた声の方向を向くと、男の子がいた。
小学生くらいの身長でくせ毛の少年が、
声変わり前の声ですすり泣いている。
どうして泣いているんだいと尋ねたら、
顔がないからだよと言われそうなシチュエーション。
それでもやはり、見過ごせないものがある。
「もしもーし?」
少年の肩が跳ね、こちらを向いた。
「んぅ〜う〜え〜」
発話が聞き取れないほどのガチ泣きに、
本能的な焦りを感じる。
赤ん坊が泣いている時のような、
言い知れない不安感を煽られる。
「どうして泣いてるの〜?」
なるべく優しい声をだし、そっと距離を詰める。
「ひっ」
距離を詰める分、少年も後ずさりしていく。
相当怖い思いをしたのだろう。
それか恐怖を現在進行形で与えてられているか。
顔が怖い自負は無い。
「もう怖くないからね〜」
少年はこちらの顔をじっと見る。
「ほんっ…ほんと?」
「うんうん、本当本当」
少年は後退りを止め、
その場でべそをかくまでに留まった。
少年の目の前に立ち、目線を合わせるまでに至る。
よく見ると少年は、
体の前面が砂まみれで濡れている。
「どうして泣いてるの?」
「ぐすっ…泣いてない!」
「あ〜うんうんそうだね〜」
彼くらいの歳の少年は、
泣くということをやたら隠避していた気がする。
「何があったの?」
「ズるるるる…、駅から出たら、
ナースに追いかけられて、交番に入ったら、
転んで、気づいたらここに来てた…」
「ん〜そっか〜」
断片的すぎて全く情報が掴めない。
見渡す限り交番なんてないし、
ナースも駅も見当たらない。
相当遠くから歩いてきた?。
「えふっ、えふっ…ズるる」
「はいこれ」
見ていられなくなったので、
ポケットティッシュを渡す。
「ん…ズビー…ん」
鼻水を染み込ませたティッシュを手渡される。
「いやいらないし」
持ち上げて投げ捨てようとした時、
反射的に体が固まる。
海に投げちゃまずいでしょ。
今…何故そう思った?。海を汚すから?。
信心は少しくらいあるが、
自分は今まで環境のことなど一切顧みた記憶は無い。
少なくともそういうふうな授業の
放課後くらいでしか意識したことない。
でも何故か、
海にティッシュを投げるのを躊躇ってしまう。
仕方が無いのでポケットに詰めようと下を向いた時、
驚愕の事実に気が付く。
波が足首まで浸かっている。
「え!?」
即座に立ち上がり周囲を見渡す。
周囲の景観から、自分から
海に近寄ったのではなく
確かに波が高くなっていることがわかる。
いきなりどうして。
そしてこの波、引かない。
かさがどんどん増していく。
嫌な予感しかしない。
「行こう」
言いながら少年の手を掴んだ時、
瞬時に突き放される。
「やあっ!」
「え!?」
愛着など微塵も湧かないであろうこんな場所で、
なぜ抵抗を見せるのかと顔を見ると、
本人もそれをわかっていないような顔をしていた。
ナースに追いかけ回されたと聞いたので、
掴まれることに反射的に
拒絶してしまったのだろうか?。
「大丈夫だから、行こ?」
なるべく優しく、諭すように語りながら腕に触れる。
「うん…ごめんなさい」
「謝れて偉いね」
悠長なやり取りをしているうちに、
海水は膝まで来ていた。
少年においては、腿が囚われている。
「んしょ…んしょ…」
少年のペースに合わせながら、避難経路を探る。
真正面には公民館のようなお固そうな建物。
その後ろには小高い山が見える。
行くとしたら山だな。
『ガクッ』
腕が引っかかる。
正確には、腕が掴んでいる少年が止まる。
「お姉ちゃん…」
また恐怖に慄く目で、少年はこちらを見る。
流石にちょっと顔に出てしまったか。
と考えた矢先、恐怖の対象の正体を知る。
触覚で感じ取るそれは、
見る気が失せさせるものだった。
足が掴まれている。
おそらく少年もこれに掴まれているのだろう。
先程の違和感は、これへの畏怖だったのだろうか。
思い切り少年を掴んで、
前へ投げ飛ばし地面の手から振りほどく。
「走って!」
「でも「いいから!」
少年は脇目も振らず走る。
そう、それでいい。
掴まれた瞬間から足の力が抜けた体たらくなど、
放って行って。
自分の体が沈むのもお構い無しに、
少年の無事を祈る。
なるべく高い所へ行って。
そう、うん、別に建物の中でもいいと思う。
ただ…開かないか、それもそうか。
だめだったか…。
肺から空気が抜ける。だというのに、
意識はまだちゃんとある。
飲み込まれていく少年を見て、後悔に駆られる。
私も動き出していれば。