幻狼
そうしてシエルとギルベルト暗殺計画について話した日から、四日が過ぎていた。
その間、アッシュは第三騎士団からの招集により、魔族の拠点への攻勢に参加していた。別行動をしていた団長とは顔を合わせなかったが、副団長とは会話が出来た為、ギルベルトについて話してみた。しかし、副団長が今の座に就いた頃にはもう、ギルベルトは第六騎士団副団長の任に就いていたようだった。
ギルベルトに関して追加の情報は得られなかったが、攻勢そのものは問題なく成功し、アッシュは城へと帰還することが出来た。
そして夕方、城の門をくぐろうとした矢先――ギルベルトら第六騎士団の面々とすれ違った。
まさかと思い、話しかけると――ギルベルトは上機嫌に笑いながら、快く答えてくれた。
「聞いて驚かないでください。我々第六騎士団は、遂に偽眼の魔女の正体を掴んだのです! これより我らは南西の貧民街へと赴き、あの魔女を捕らえに向かいます。では、吉報をお待ちください」
その上機嫌ぶりにアッシュは少したじろいだが、考えてみれば無理もない話だ。これまで誰も素性が掴めなかった偽眼の魔女の正体を、たった四日で突き止めた――と思い込んでいる――のだから。彼は今、万能感という美酒を味わっているところだ。思い描く未来が現実ともなれば、それに溺れて酩酊するだろう。
「素晴らしい、流石だなオースティン卿。帰還した暁には、事の顛末を是非とも聞かせてくれ」
「ええ。勿論。期待してお待ちくださいませ。……行くぞ、お前達」
十人ほどの部下を引き連れて、ギルベルトは去って行った。『南西の貧民街』という目的地が、シエルに誘い込まれた場所だと知らずに。
彼が動いたという事は、恐らく一時間もしないうちにシエルから呼び出されるだろう。
アッシュには、それまでに会っておきたい人がいた。
無論――リリアである。
前回から一ヶ月も経っていないが、失敗すれば最後、二度と会えなくなる仕事だ。その上、リリア自身の病気を治す為にも繋がる、大事な一歩。願掛けというには少々違和感があるものの、とにかく彼女と顔を合わさずにはいられなかったのだ。
「えぇ……また来たの……?」
当然ながら、リリアの反応は冷淡というか、困惑が多分に含まれた顔だった。だが、読んでいた本を閉じて机に置き、体ごと此方を向いて対応してくれる彼女が、『会いたくない』とは思っていないことは、アッシュには簡単に分かる。
「そう言うなって。ちょっとこれから大事な仕事があるから……顔見ておきたかったんだよ」
「大事な仕事?」
「まあ、詳しくはちょっと言えないけど……」
「……危ない仕事じゃないよね?」
不意に、リリアの赤い眼が、不安の色と共にアッシュを映していた。
気丈な彼女のこのような顔は、アッシュでもあまり見た事が無い。
「それを言ったら、傭兵の仕事も勇者の仕事も危ないだろ?」
『魔心症を治す為だ』とは言えず、アッシュは言葉を濁すしかなかった。アッシュの言葉に、リリアは『それはそうだけど……』と呟いただけだった。
「ねえ、アッシュ。ちょっと痩せたように見えるけど……ちゃんとご飯食べてる?」
明らかな話題転換。しかし、何も言わずにアッシュは応じた。
「お母さんみたいなこと言うなって。一応勇者だぞ? 栄養重視で食べてるって」
「じゃあもうちょっと威厳持ってよね。私が治った後で、『この勇者が私のお兄ちゃんです』って言いづらいじゃん」
「悪かったなチクショウ」
白一色の病室に、穏やかな空気が流れ始める。本来なら月に一度も会えない筈の相手と、こうして談笑出来る。認識誘導などという回りくどい特性だが、数えきれない程リリアの、そして自分の為に役立ってきた。そして、もうすぐこの能力で本当に妹を救える。その実感が得たいからここに来たのだと、アッシュは今になって気付いた。
「ま、そうだな。もし治ったら……小さい頃みたいに、一緒に飯を食べよう」
魔心症になってから、同じようなものしか食べていないリリア。彼女と同じ食事を共にすることは、アッシュにとって夢だった。それが、柱神を討ち、人間と魔族を和解させれば叶う。前者はともかく、後者にはそれなりに手間が掛かるかもしれないが、病院で投薬を受け、安静にしていれば症状を抑えられることは確認済みだ。完全な和解とは行かなくても、魔晶石の精製技術さえ入手出来るなら、それでも充分だ。
「……うん」
アッシュは妹が穏やかに微笑むのを見てから、病室の窓から外へ飛び降りた。
これから、いよいよ柱神に本格的に喧嘩を売る。妹のこのような身の上にした存在を打ち破る、最初の一歩だ。
アッシュは着地した瞬間に来た、シエルからの召喚に、即座に応じた。
*
街灯が整備されたラーベンの街は、夜でもそれなりの人気がある。酒場からは明かりと笑い声が漏れ、少し大通りを外れれば、娼館が立ち並ぶエリアもある。朝まで人が絶える事のないラーベンは、まさに『眠らない街』だった。
しかし、それも事件や魔族との戦争が無い場合の話。首都は今まさに、一人の魔女によって大きく揺るがされていた。街には普段の軽く倍を超える騎士が巡回し、鼠一匹見逃さぬとばかりに目を光らせている。
こうした状況なので、普段外を出歩く者も、この日ばかりは大人しく家に籠るしかない。下手な事をして目をつけられれば、それこそ面倒だ。
そのような街の中、十人ほどの騎士を引き連れて、ギルベルトは歩いていた。目的地までは、まずここを経由する必要がある。周りの騎士たちもギルベルトが来ることは聞いていたようで、彼が通るなり敬礼し、中には『ご武運をお祈りします』というような声を掛けるものもいる。
「小娘一人捕まえるのに武運を、か……」
ギルベルトは小さく笑いながら、これからの作戦を思った。犯罪者の確保と考えると過ぎた言葉だが、今回の相手の厄介さを思えば過言ではないだろう。
出発前に、自身の従う柱神からの言葉を思い出す。
『彼女は柱神の存在に気が付いている。となれば、お前たち『使徒』の存在も知っていると考えるのが自然だろう。これまではまあ、ただの魔術士兼ペテン師だと放置していたが、聖剣授与の場に現れ、逃げ切るような力があるとなれば、見過ごす訳にはいかない。……俺の言いたい事は分かるな?』
『その女を確保すれば良いのですね? 生死については?』
『出来れば生け捕りにして欲しいが、この際贅沢は言ってられん。難しいようなら、死体の一部でも構わない』
『成功した暁には……私を第三騎士団の長とする、という話は?』
『勿論だ、約束しよう』
魔女を捕まえた暁には、自分の望んだ将来が約束される。彼にとって、最も重要なのがそれだった。
ギルベルトは、前線で魔族を相手取ることで、武勲を積み重ねて来た。二年前のディアム作戦を生き延びた彼は、その功績で第三騎士団長の座に就く筈だったが――彼より十歳以上若い男に、団長の座を取って代わられた。当然異論を唱えた彼だが、それはにべもなく跳ね返された。しかしその後――
「副団長、到着しましたが」
少し過去に想いを馳せていた彼に、若い騎士が声を掛けた。若者の慌てた様子に、一旦思考を中断する。
入り組んだ地形で、初めて入った者が地図を持たずに歩き回れば、即座に方向感覚を失い、迷うだろう。しかし、彼ら第六騎士団は、皆作戦前に地形を頭に入れている。何も見ずとも、上から見たような正確な地形を即座に思い浮かべられる。
「お前達、『アレ』は出来るな?」
「勿論です。しかし……そうなると、副団長が奇襲を受けるリスクがありますが……」
「問題ない。ヨーゼフ、ついて来い」
「はっ。お供します、副団長」
ヨーゼフと呼ばれた若い騎士が、ギルベルトの傍らにつく。ヨーゼフは弱冠二十歳ながら、剣術の才に秀でた優秀な騎士だ。
「お前達は手筈通り、『狩り』の準備をしろ。状況は『追って伝える』」
騎士たちが敬礼と共に動き出す。
グレイスは『何処に住んでいるのか分からない』と言ったが、彼自身は住処について概ねの当たりを着けていた。ギルベルトは迷うことなく、真っ直ぐその場所へ向かった。国土の端に位置する農村などよりマシとはいえ、家畜小屋のような住居がひしめく情景に、ギルベルトは自身の現状に安堵した。何処かで歯車が狂っていれば、自分もここに落ちていたかもしれないからだ。
目的の場所に着いたギルベルトは手始めに、近くにあった家の扉を叩いた。くたびれた若い男が出て来るやいなや、顔中に恐怖を張り付けた。
「なっ……!? き、騎士!? 違います、私は何も盗んでなど――」
「貴様を捕まえに来たのではない。この近くに、シャーリーという娼婦が住んでいると聞いたが……知らんか?」
「シャ、シャーリー? いえ、近所付き合いがある訳でもないので……」
「では、この顔に心当たりは?」
ギルベルトが似顔絵を見せると、男は冷や汗を流しながら首を振った。
「いえ、知りません。その……もういいですか?」
「……どうやら本当に知らないようだな。良いだろう、夜分遅くに失礼した」
ギルベルトがそう言うと、男はホッと息を吐いて扉を閉じようとした。が、それをギルベルトは足で制する。
「待て。それとは別に聞きたい」
「えっ!? い、一体何が――」
「後ろにあるそのランプだが……ルーサー・ヴィットマンの作品だな? 何故貴様のような貧民が、そんな美術品を所持している?」
「えっ!? そ、それは……」
ギルベルトは強引に扉を開け、部屋を一瞥した。長方形の埃っぽい、一人住むのがやっとの狭い部屋を照らすのは、天井から提げられた、明らかに不釣り合いな高級ランプ。
「このランプもヴィットマンの作だな……。そういえば、さっき何も盗んでいないとか言っていたが……」
多層のガラスを被せる高等技術と、小鳥の意匠。間違いなく稀代のガラス工芸家、ルーサー・ヴィットマンの作品だ。投獄され、新作が出ない今となっては、ギルベルトですらおいそれと手が出せない価値を持つ芸術品。
ギルベルトが男を睨みつけると、男は膝から崩れ落ちた。
「事情を聞かせてもらおう」
ギルベルトの合図でヨーゼフが男を縛り上げた。それから二分程度で、周囲を巡回していた第六騎士団員が駆けつけてきた。
「連れていけ」
騎士が男を立たせ、連行していく。偶然とはいえ、点数稼ぎに悪くない犯罪者だ。これらを元の持ち主に返還すれば、貴族連中の覚えも良くなるだろう。
家主のいなくなった家を後にし、二軒、三軒と話を聞くも、収穫は無し。
「副団長、まさか我々は謀れているのでは……?
彼は歳の割に優秀だが、慎重過ぎるきらいがある。彼の心配を、ギルベルトは一笑に付した。
「貧民など、どれも貧相で見分けのつかん顔をしているだろう? 心配せずとも直に分かるさ。或いは、そもそも住居すらないかもしれんな」
ギルベルトがそう言うと、彼はそれ以上何も言わなかった。少しばかり釈然としなさそうな顔をしていたが、それも長く続かなかった。
「副団長! あれは……!」
彼らの前方を、フードを被った影が横切った。影は逃げるようにして去って行くが、みすみす逃がしてやる訳がない。
「やはりいたか……行くぞ!」
ギルベルトは号令と共に、影を追った。ろくに明かりが無い暗い路地、闇に紛れるようなローブの人物を、まるで全て見えているかのように、迷いなく彼らは追った。
やがて逃げていた影は姿を消した。振り切られたのではない。隠れたのだ。そうギルベルトは確信していた。
「あいつ、何処に隠れたのでしょうか……?」
「警戒を怠るな」
丁度ここは十字路になっていて、他の場所より地面が広い。つまり、このエリアにしては連携が取りやすい、という事だ。
ギルベルトは腰に携えた剣を抜いた。超高純度の特殊金属で打たれたそれは、今の地位に就くと共に下賜された、彼専用の剣。これまでの努力の象徴たるそれを手に、声を張り上げる。
「いるのは分かっているぞ、逆賊が! 誇り無き匪賊の気配、この私には隠せぬ!」
ギルベルトの彼らの正面に、フードを被った怪しい者が降り立った。目深に被ったフードからは、当然顔は見えない。背丈も百六十cm程度と、男でも女でも通じる程度だ。しかし、この場でこのような格好をする者など、一人しかいない。
「ほう、潔く顔を出す程度の根性はあるようだな。偽眼の魔女よ」
突き立てた愛剣ミストルティンを引き抜き、構える。目の前のローブの人物は、明らかに『男』の声で、嘲るように笑った。
「偽眼の魔女だと? フッ……俺があの女に見えるのか?」
明らかな挑発だと分かっていても、ギルベルトの蟀谷には青筋が浮かんだ。
「ならば答えろ、貴様は何者だ? 解答によっては、貴様も魔女と認定するが」
男が腰から、銀色に光る短剣を抜いた。両手に持ち、胸の前で構えながら、銀色の仮面に隠れた顔を見せた。
ローブから覗く髪は、赤色。
「名乗る程大した名はないが、あえて名乗るなら……そうだな、幻狼とでも呼ぶがいい」