使徒
「ウィリアムおじさん、また来てね~~!」
「ああ、休みが取れたらな」
「最弱勇者もまた来いよ!」
「うっせぇ! またな!!」
西の空が赤みがかってきた頃、アッシュとウィリアムは孤児院を後にした。あの後、結局アッシュは子供たちの遊び相手となる羽目になった。結果、それなりに懐かれはしたものの、子供にまで舐められるという問題点も残った。
しかし、勇者として窮屈な生活を送っていたアッシュは、子供たちとの交流の末、何処かスッキリした心持ちで、帰路に着いていた。
「どうだ、アッシュ。良い子たちだっただろ?」
「良い子では無いだろ。まあ……お前が会わせたいと思うのは分かるけどな」
一番の問題は、ウィリアムに脱走がバレたことだった。騎士団や王城とは無関係の子供たちはともかく、第一騎士団長であるウィリアムに露見したとなれば、皇帝に話が行っても不思議ではない。
とはいえ、それはまだ問題の一方でしかない上に、ウィリアムからはサラを助けた礼代わりとして『内緒にしておいてやる』という言質を取れた。
差し当っての問題は――
「それにしてもだ、アッシュ。お前……聖剣を受け取ってから、肩肘張ってたんだな」
アッシュは、『初代勇者の振り』までも、ウィリアムにバレていた。此方に関しては、脱走の件より遥かにマズい。皇帝及び背後の柱神に初代勇者の人格が入っていない事がバレれば、間違いなく奴らの手が入る。存在するという聖剣のバックアップを持たされ、今度こそ初代勇者に乗っ取られる危険がある。ウィリアムは聖剣の真実を『恐らく』知らない。だからこそ、雑談感覚でバラされるリスクがある。
しかし、アッシュにも手が無い訳では無い。初代勇者の振りをする必要が無い為、ウィリアムの説得に『認識誘導』が使える。『友人』という立場を利用して、どうにか口止め出来れば、まだどうにかなる。
「ウィリアム。その……頼みがある」
「ん? なんだ?」
「俺が今までの態度を改めて、固く接したのは、その……聖剣を貰い受けた以上、勇者に相応しい振舞いをする必要があると思ったからでな……。お前に知られたのはともかく……それ以外の相手には、改まったままでいるつもりだ。だからまあ、その……出来れば周囲には俺が意識的に態度を変えてること、言いふらさないでくれ」
「……そういう事か」
ウィリアムは苦笑しつつ、肩を竦めた。
「いきなり態度を変えだしたから何事かと思っていたが……案外そういうこと気にするんだな、お前も」
「まあ、多少はな」
「いいさ。そもそも陛下にそんな事言ったところで、俺には何の得もない。むしろ『勇者の自覚が出来た』とか何とか言って、喜ばせた方が良いだろ。何より俺とお前の仲だ。お前が言うなと願うなら……俺は何も言うつもりはないさ」
「そうか。……知られたのがお前で良かったよ」
ウィリアムは愉快そうに笑う。『認識誘導』を使うまでもなく了解してくれた彼に、アッシュは心から感謝した。
「お帰りなさいませ、バルクホルツ卿。……むっ、隣にいるのは勇者殿? 外出申請は出しておいでですか?」
「ああ、すまない。俺が無理やり連れだしたんだ。コイツに非はない」
「そうですか? まあ、団長がそう言うのであれば……」
門番の騎士たちを言いくるめ、王城に入った。
「ただ、その代わりと言っちゃあ何だが……」
それと同時に、ウィリアムは口の端を吊り上げたまま、一点を指さした。
「偶には手合わせ、付き合ってくれ」
ウィリアムが指さしたのは、王城内にある訓練場だった。主に第一騎士団が利用するそこには、夕方ということもあってか、誰もいない。
「それは良いけど、俺で相手になるか?」
「相手にならんのは、下の奴らも同じだ。というか、そういう目的じゃない」
訓練用の木剣をアッシュに渡しながら、ウィリアムは小さく笑った。相手にならない事を否定しないのは、彼の長所でも短所でもある。
「今のお前がどれぐらいかを見ておきたいのさ」
「……そういう事か」
ようやく相手の意図が読めたアッシュは、立ち位置を示す白線の上に立った。
元々、アッシュは短剣使いの傭兵だった。その彼が勇者になった折に、長剣の使い方教えたのがウィリアムだ。故に、アッシュにとってウィリアムは、師匠ともいえる。ウィリアムとしては、就任半年経った弟子の成長を見ておきたい、といったところだろう。
「先に行っておくが……手加減しないぞ」
「分かってるって」
アッシュとウィリアムは、互いに向かい合って構えた。距離を十m程取り、中段に構える。
まともにやれば勝負にならない。ウィリアムに教わった技しか持たない以上、こちらの出来る事で向こうに出来ない事はない。
せめて一撃でも掠らせて、驚かせてやる。そうアッシュが考えていた時には――既にウィリアムは、アッシュの眼の前にいた。
「っ!?」
音もなく剣の間合いに入られた。そう悟った時には既に、両腕の痺れと共に、木剣を弾き飛ばされていた。
どうだと言わんばかりの表情をするウィリアムに、アッシュは大きなため息で返した。
「お前なあ……特性はズルだろ!」
「ハッハッハ、手加減しないと言っただろう? それに不意の一撃への対応力も、戦士の技量のうちだぞ」
アッシュの抗議も小鳥の囀りの如く受け流し、快活に笑うウィリアム。
先程のウィリアムの瞬間移動は、特性『空間転移』によるもの。能力は、目視出来る任意の座標に瞬間的に移動する、というもので、シエルが召喚した一角獣からアッシュと皇帝を守った際も、この特性で割り込んでいた。
前線から緊急で呼び出されるケースも少なくない為、勇者の外出は通常許可されにくい。そのアッシュの外出が許可されたのも、いざという時にすぐ戻れるという意味から、ウィリアムと一緒だったというのが大きい。
「だからお前も『認識誘導』を使っても良かったんだ。その点、お前は根が真面目だな」
「逆にお前は心が無え」
「魔族に心があるのか?」
「……それを言われたら返す言葉も無え」
木剣を元の場所に戻しながら、アッシュは釈然としない思いを飲み込んだ。
魔族に心。以前の自分ならにべもなく頷いただろうが、今は躊躇いが先に出る。シエルから『人間と魔族の和平』という可能性を聞かされたからだ。もし魔族に心がないのなら、彼女とて最初から希望を持つことも無かっただろう。
子供たちとの交流ですっかり頭から抜けていた魔女のシルエットが、再び脳内に居つくようになった。
*
ウィリアムと別れ、夜になっていた。魔族との戦闘もなく、運ばれた食事に手をつけてからは、風呂に入って寝るだけになった。
夜中に魔族が夜襲を仕掛けて来る可能性もゼロではない為、眠れるうちに眠るのが習慣となっていた。
「さて……」
風呂にでも入ろうか、と思っていた矢先、懐から銀色の光が発せられた。何事かと思ってポケットに手を入れると、シエルから受け取った紙が発光していた。
「……呼んでるってことか? まあ、丁度いいけど――」
妖しく光る模様に指を触れてみると――体が模様に引っ張られたような感覚と共に、周囲の景色が様変わりした。自室より少し暗い灯りが差す、壁一面に本棚がある部屋。ちょうど昨日見た部屋だ。
「突然失礼しました、アシュナード様」
人類と魔族の和平を唱える魔女、シエル・アストライアがいた。ここはラーベン地下に位置する彼女の隠れ家だ。微笑みを向ける彼女に対し、アッシュは真っ先に抗議の声を上げた。
「呼び出すにしたって他に無かったのかよ。なんでいきなりここに転移させるんだ」
「すみません、地上の警戒が強くてここから動けませんでしたから。けど、『召喚魔術』が機能した以上、やはりアシュナード様には少しばかり魔術の適性があるみたいですね」
「召喚魔術?」
「ええ。貴方に渡したあの紙は、召喚魔術の魔法陣です」
シエルの説明を受けても、眉間の皺は取れなかった。まだ気になる点が幾つもある。
「あれは確か、かつて存在した生物を再現するんじゃなかったか?」
「それは『記憶召喚魔術』ですね。今回アシュナード様に使ったのは、『現世召喚魔術』。記憶召喚と違い、今この世に存在するものを呼び出すものです」
シエルによると、召喚魔術には対極の性質を持つ二種類が存在するという。
『記憶召喚』は、遥か昔の時代に存在していた神秘の生物を、魔力で構成した肉体を与えてこの世に呼び戻すもの。非常に強力だが、消費魔力の莫大さ故並の魔法士では発動すら出来ない物も多い。
『現世召喚』は現存する一定以上の魔力を持つ生物を呼び出すもので、消費魔力は小さく、補助用の道具さえあれば微弱な魔力でも発動できるという。
「ちなみにアシュナード様に使った魔法陣の意味は、『触れたものを即座に、意志を無視して召喚する』です」
「意志を無視して? 俺の人権まで無視してんじゃねえか!」
「フフッ、冗談です。『応じていい』と思わなければ、召喚されないようになっていましたから」
クスクスと笑うシエルに、思わずか肩の力が抜けた。確かにアッシュは魔法陣に触れる際に『丁度いい』と思っていたが。あれが『召喚に応じた』と認識されたようだ。
「意志確認を行わない場合、このダイヤのような記号を内円の中心に一つ入れるだけなので、より簡単になります。より詳細な条件を設けるなら――」
シエルは見るからに上機嫌に、魔法陣講座を続ける。言っている事の大半は理解出来ないが、彼女の熱意と知識量は充分過ぎるほど分かった。何でも見れば理解出来てしまう『真眼』の特性と、底知れぬ力を秘めた彼女だが、こうしている間は、只の一人の少女と何ら違いは無かった。
「……あっ。す、すみません……本題から外れてしまいましたね……」
やがて話し過ぎていたと気づいたシエルは、頬をほのかに染めつつ口元を手で覆った。魔性といえる程、可憐かつ美麗な恥じらい方だった。
「さて、今回アシュナード様を呼び出したのは……私達の真の敵と、それを討つ為の行動をお話する為です」
「真の敵……? 皇帝やオルネア教じゃないのか?」
「彼らはその手足に過ぎません。人間と魔族の戦争を操る真の敵とは、その裏にいる存在」
皇帝と国教すら操る存在。そう言われても、アッシュには見当もつかなかった。シエルはアッシュの反応を確認すると、ハッキリと言い切った。
「端的に言えば――『神』です」
『神』。シエルが口にしたその言葉を、アッシュは今や否定しようとは考えていなかった。それ程までに、聖剣や魔心症の真相が鮮烈だったからだ。死人の人格と記憶を他者に移す技術に、国全体を巻き込んだ大病。神の御業だと言われた方が、いっそ納得がいった。
「つまり、オルネアが?」
「いいえ、彼ではありません。かつて彼の傍に控えていた側近たち……そう、オルネア教で言う『柱神』の意志です」
柱神。表向きはオルネアに仕える勇者たるアッシュは、聖痕が現れてすぐに、オルネア教について教育された。その際教えられた事の中に、オルネアと彼を支える十五人の神の話があった。
遥か昔の神秘の時代。その世界に一人生まれたオルネアは、自分と同じ二本の足で歩く生物を十五人産み出し、それぞれに違う役割を与え、世界とそこに生きる生物たちを管理し始めた。オルネアから生まれ、彼を支えた神こそ『柱神』である。
時が経ち、世界が人間と魔族の時代になっても、彼らは天からその行く末を見守っている。正しくオルネアを信仰し、試練を乗り越えて生きる者には、格別の祝福が与えられる。オルネア教の教えとして、そう伝わっている。
「つまり、その柱神が、何かしら企んで人間と魔族を争わせている、と?」
「その通りです。彼らは人間と魔族双方の中枢に潜り込み、戦争をコントロールしています。時に一方が優勢や劣勢にはなれど、致命的に勝敗が着くようにはしない。そうして誰にも悟られぬまま――或いは悟った者は始末して。そうして六百年、ずっと繰り返してきたのです」
アッシュは先のオルネア教の教えを思い出した。
『オルネアを信仰し、試練を乗り越えて生きる』。この記述はまるで、魔心症を暗示しているように思えた。
「……シエル。確か魔心症を克服した者は、『使徒』になる資格を得るんだったよな」
「いい所に気が付きましたね。丁度その使徒の話をしようとしていたところです」
シエルは本棚から一つのファイルを取り出した。それを机に置くと、適当な箇所を開く。そこに綴じられていたのは、人間の生い立ちや性格・信条等が記された詳細なプロフィールだった。
「使徒とは、柱神に忠誠を誓い、彼らから力を授かった者たちの事です。とはいえ、魔心症の克服はそのルートの一つでしかなく、それ以外の方法でも使徒になる道はあるようですが」
「このファイルに綴じられている人物が使徒か? 結構な数になるな……」
「いいえ、彼らはあくまで候補者。ですが、この中にもほぼ確定と言っていい人物が何人かいます。今回アシュナード様にお願いしたいのは……」
シエルは懐から、一本の短剣を取り出した。偽聖剣にも負けない美麗な刃は、間違いなくヴァネッサの作品だ。
「そのうちの一人を排除し……柱神たちに揺さぶりを掛けることです」
アッシュは両の拳を握りこんだ。
予想はしていた。だが、いざ『やれ』と言われると、少し恐ろしくなる。何しろ、魔族は大勢殺したが、神の手足とはいえ人間を殺した事はない。
「アシュナード様。一つ確認します。今まで人間を殺した事は?」
アッシュの様子を察したか、シエルがそんな事を訊ねてきた。その眼で知っているだろうに、何故聞くのだろうか。そう疑問に思いつつも、アッシュは平然と答える。
「無いけど……?」
「……」
どういう訳か、シエルはジッとアッシュを見つめたまま沈黙した。まるで彼の深奥を暴くように、紫の瞳に彼の姿だけを映し続ける。
「な、何だよ……」
あまりにも真っ直ぐな瞳に、アッシュは思わずたじろいだ。眉間に皺がある訳でも、瞳を曇らせている訳でもない。にも拘わらず、糾弾されているような気がした。
『まあ……こんな子供に出来る筈がないか』
「っ……」
頭の中で、知らない声が響いた。入って来たというより、心の奥にいた何かを呼び起こされたように。
「……無いのですね。分かりました……ですがそれでも、貴方にしか出来ないのです」
呆然とするアッシュの様子を見かねてか、シエルは気遣うように一度視線を下げた。だがそれも一瞬だけで、すぐにまた、決意の籠った真っ直ぐな目にアッシュを映す。
「……分かってるって。それしか無いなら、そうするしかないだろ?」
無論、いい気分はしない。だが、柱神に協力するなら敵でしかない。女王蜂を誘き出すには、働き蜂を退治する必要がある。
アッシュの返答に、憮然としていたシエルの表情が、また少し、元の明るさを取り戻した。
「アシュナード様なら、そう言うと思いました」
「……ああ。それから……」
アッシュはここで、気になっていたことを言うことにした。自分から言うのは少々気恥ずかしいが――
「分かりました。では……アッシュさんで」
アッシュの話を待たず、シエルは微笑みながら頷いた。
アッシュが言おうとしたのは、呼び名の話だ。シエルは『アシュナード』と呼んでいたが、愛称の『アッシュ』で構わない、と言いたかったのだ。リリアやウィリアムなど近しい者はそう呼ぶので、一応仲間であるシエルもそれでいいと思ったのだ。
「待て、何も言ってないぞ」
「分かりますよ。『見てますから』」
シエルが口元を押さえて目を細める。口にする前に察知されたのはある意味助かったが、これはこれで照れくさいな、とアッシュは思った。
「さて、それでは本題に入りましょうか。アッシュさんに今回、始末して頂きたい方は――こちらの方です」
シエルはファイルに綴じられた紙を一枚取り出し、机に置いた。
「……この人が?」
「アッシュさんもご存じですよね?」
「そりゃあまあ、話したことぐらいは……」
そこに書かれたプロフィールは、アッシュにとっても顔見知りだった。
「第六騎士団副団長、ギルベルト・オースティン。この方は間違いなく、高位の使徒です」