翌日
翌日、王城内はシエルの襲撃の話で持ち切りだった。間違いなく、城下の方も同じだろう。
アッシュは昨夜、聖剣を確保した際の話をした。勿論、本当のことを話す訳には行かないので、『彼女を発見し、聖剣はどうにか奪い返したが、本人には撒かれてしまった』という事にした。ヴァネッサ作の贋作の出来は確かで、『認識誘導』無しでも彼の弁を疑う者はいなかった。尤も、シエルを逃がした為に『史上最弱の勇者』説の根拠が補強された訳だが、それはアッシュにはどうでも良かった。それより大変なのは、『初代勇者に乗っ取られている振りをする』必要があることだった。
実際のところ、魔力が高い――魔法適性が高い勇者の場合、完全に身体を支配されず、戦闘時以外には元の人格を残しているケースもあるらしい。だがアッシュの魔術の適性は、魔法士を志すには到底足りないレベルだ。完全に乗っ取られた体でいる方が、怪しまれずに済む。故に彼は、『生真面目で人類全てを愛する、敬虔なオルネア教信者』という自身と真逆の人間を演じる必要があった。『認識誘導』無しでは早晩ボロが出ているだろう。
成り行きで聖剣を確保した(事になっている)ものの、翌日に関係者のみで再び聖剣授与の議が執り行われた。その際、以前にシエルが言っていた言葉が、一言一句違わず皇帝の口から出た。
彼女の眼は本物だ。改めてそう思い、笑いを堪えながらアッシュは返答した。
「ええ。まるで、生まれ変わったようです」
*
シエルの許から戻り、聖剣授与の議まで、アッシュの様子を疑う者は一人もいなかった。ただ心配なのは、今後王城含むラーベン全体が厳戒態勢に移行する、という事だった。聖剣授与の妨害という大それたテロ行為があった以上当然なのだが、元を正せばアッシュがシエルの言を信じなかった事にある。彼女は想定内と言っていたが、今後どう動くかについては、何も聞いていない。
『必要なら此方から呼びますので、今まで通りにしていてください』
別れ際、彼女はそう言って、アッシュに一枚の紙を手渡していた。そこには二重丸の中にトランプのダイヤのような形が三つ書かれた、奇妙な模様が記されていた。肌身離さず持っておくよう言われたので持っているが、これが何なのかを聞きそびれた。
現状、前線からの出動要請は来ていない。一日程度空いた日が出来る事は時折あったが、お陰で余計に落ち着かなくなった。
*
「つー訳でだ、無事に聖剣も受け取って、兄ちゃんは本格的に勇者になったって訳よ」
「いや……それはいいけど、何でまた来たの?」
「暇だったからな」
「うわ~~早速勇者っぽくないよこの人……」
心底から呆れたようなため息と共に、リリアが冷ややかな視線を浴びせる。
偽眼の魔女シエル・アストライア。彼女に協力する事を決めたアッシュは、落ち着かない心を静める為に、最も心安らぐ場所に来ていた。即ち――リリアの病室である。リリアはついこの間来たばかりの兄がまたも不法侵入をやらかしているのを見て、最早言葉もない、という様子だった。
「それで、身体は大丈夫か? 前から悪化したりなんかしてないよな?」
「先週来たばっかりでしょ? 見ての通り、今はだいぶ調子良いよ。ほら……」
入院着の裾を捲り、白く細い腕を晒すリリア。その白さこそ、彼女が今は正常である証だった。魔心症が引き起こす身体の異常は多々あるが、代表的な一つに、皮膚の疾患があるのだ。
「おっ、本当に大丈夫そうだな。……よしっ、じゃあ帰るわ」
「いやホント何しに来たの!?」
「だから言ったろ? お前の顔を見に来たんだって。じゃあ、リリアが寂しくならないうちに、また来るよ」
「うっさい! 帰るなら早く帰って!」
後ろでギャーギャーと言うリリアに微笑みながら、アッシュは病室から飛び降りた。そしてそそくさと大通りに滑り込み、そのまま人混みに潜り込む。
すっかり手慣れた王城への帰還経路を通っている途中――一人の女の子が目についた。
少女は桃色の瞳に不安を浮かべて、辺りをキョロキョロと見渡していた。シエルで無くとも、一目で迷子と分かるだろう。
心配ではあるが、アッシュが声を掛ける訳にはいかない。彼は本来、ここにいてはならない存在だ。それにこんな大通りなら、アッシュがやらずとも誰かが気付いて声を掛けてくれる。
『アシュナード・アシュヴィンは、何も出来ない』。
そう思い、無視して行こうとした時――物陰から伸びた毛むくじゃらの腕が、少女を引き寄せた。少女は突然の事態に抵抗出来ず、路地裏へと引きずられていく。
「……クソッ!」
アッシュは歯噛みすると同時に、駆け出していた。人波を泳ぐようにすり抜け、少女を力尽くで引きずる男の禿げ頭に、渾身の蹴りを叩き込んだ。男は潰れた蛙のような声を上げ、前のめりに倒れた。
「大丈夫か……!」
アッシュは膝を着き、少女に目の高さを合わせる。少女は恐怖を顔に貼り付けたまま、アッシュの方を向いた。
「……貴方は?」
「誰だっていいだろ。それより、女の子が一人で街を歩くもんじゃねぇぞ。このハゲみてぇなクソ野郎が、何処にいるか分かったもんじゃないからな」
「えっと、私……孤児院の皆と遊びに行ってたんですけど……帰りにはぐれちゃって……」
少女は俯きながら自らの状況を説明する。見た目よりは落ち着いているようだった。
よく見ると、少女の背丈は百五十cm近くある。恐らく年の頃は、十一から二歳ぐらいだ。そしてリリアと同じ、海のように青い髪を持っている。
少女はハッとしたように顔を上げたかと思うと、勢いよく頭を下げた。
「あっ! ごめんなさい! 助けて頂いたのに、お礼も言えてなくて……」
「いいって、気にするな。それより嬢ちゃん、名前は? その孤児院の子達ってのは?」
アッシュが顔を上げさせると、少女は一度深呼吸をしてから答えた。
「私、サラです。サラ・バークレー。同じ孤児院の子達はきっと、もう帰ってると思います」
「その孤児院は何処だ? 通りの名前とかは分かるか?」
「バステア通りですけど……分かります?」
「バステア通り? それならすぐ近くだぞ? ……仕方ない、連れて行ってやる」
「っ! あ、ありがとうございます!」
少女――サラは勢いよく、九十度以上の角度で頭を下げた。海のように蒼いロングヘアーは、リリアと同じ色だ。
アッシュはサラの手を引き、彼女が迷子になっていた大通りのうち、東の横道を行った。そこはもう目的地のバステア通りだ。
「ほら、もう着いた」
「わぁ……こんなに近かったんですね。普段、孤児院の外には出ないから知りませんでした」
「今日は何か用事だったのか?」
「出資してくださってる方が、皆で街を見ようって言って、それで……」
孤児院に出資する金持ちと聞いて、アッシュはウィリアムの事を思い出した。彼以外にもそういう者がいるなら、この国も捨てたものじゃない。
「あっ、ここなら分かります! 左です! そこに孤児院があります!」
そう思いながら、サラの導く通りに歩くと――豪邸と見紛う広大な建物が現れた。門の前には十数人の子供たちと、保護者らしき大人の女性がいる。
「あっ、サラ!」
一人の男子がサラに気付き、声を上げた。彼の声に呼応して、子供も大人も駆け寄ってくる。
「サラちゃん! 何処行ってたの!」
「ごめんなさい、はぐれちゃって……。けど、そこのお兄さんがここまで案内してくれて……」
「それは……ありがとうございます」
保護者の女性が、恭しく頭を下げる。しかし、アッシュとしては感づかれる前に、さっさと退散してしまいたかった。幾ら『認識誘導』を掛けているとはいえ、こうも注目されては万が一がある。お礼を、という先生に手を振り、王城に帰ろうとした時――聞き覚えのある男の声がした。
「まあまあ、遠慮なさらず。このご時勢、貴方のような人がいるのは俺としても喜ばしい」
先生の横に、金髪の偉丈夫が立っていた。人好きする笑みを浮かべたその顔と声は、間違えようがない。
そしてそれは、向こうも同じだった。
「……アッシュ? 何やってんだ、お前?」
そこにいた出資者に、アッシュはあっさりバレた。