表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/21

魔心症の真実

 彼女の言う『秘密基地』の中は、それなりに広い部屋だった。放置されていた地下通路にあるにも関わらず、埃っぽさはない。質素な作りだが、机や椅子など最低限の家具はある。

 部屋の中で一際目を引いたのは、入り口から奥の壁一面を覆う本棚だった。最上段から最下段まで、本やファイルで埋め尽くされている。チラリと背表紙のタイトルに目を通すと、歴史書から何かしらの報告書、など、多岐に渡る様々な資料が並んでいるのが分かった。

「ここを本当にお前が作ったのか……?」

「使いようによっては、こうした地下室の作製に使える魔法もありますので。魔法陣の記述は、私が一番得意な分野なんですよ。それはさておき……先程言った『彼女』を呼びますね」

 シエルは入り口から左側の扉をコンコンとノックした。

「作業中失礼します、ヴァネッサさん。お連れしましたよ」

 シエルの声掛けから数秒後、扉が開かれた。そこから出て来たのは――

「遅ぇよシエル。アタシゃてっきりパクられたかと――あ?」

 幼女の如き甲高い声と、それに反してぶっきらぼうな口調。扉の前にいたのは、首を下げなければ目が合わない程の小柄な少女だった。140cmセクトにも満たないだろう。

「あ~~……頼りになるってのはそういうことかよ。ったく……アンタのやることにゃあいっつも驚かされるね」

 頬を引きつらせながら、少女は後頭部を掻いた。

 彼女は灰色の長髪を後ろに束ね、作業着を身に纏っている。先程まで着けていたのか、軍手をズボンのポケットに押し込んでいた。高く見積もっても、十二~三歳ぐらいに見える。

 少女はやがて、緋色の瞳にアッシュを写しながら、気怠そうに右手を差し出した。

「どうも初めまして。アタシはヴァネッサ・ヴィットマン。……まぁなんだ、よろしく頼むよ。勇者サマ」

「ああ……。知ってるのか、俺のこと」

 差し出された手を握ると、その硬い感触に違和感を抱いた。まるで何十年単位で何かに打ち込んできたかのような、積み重ねを感じる手だった。

「ラーベンに住んでてアンタのこと知らねぇヤツなんざいねぇよ。つーか……シエルが『聖剣の偽物』造れって言ったのはそういう事かよ」

「聖剣の偽物……?」

 アッシュは、扉の向こうの部屋を見た。そこは部屋――というより、工房だった。鍛冶工房にあるような巨大な炉と、その前には金床と作りかけの刃があった。しかし、炉に火が灯っているにも関わらず、部屋の中は適温に維持されていた。

 アッシュはここに至って、ヴァネッサの正体を理解し、自分の『認識』を疑った。

「えっと……もしかしてヴァネッサちゃんって……?」

「そ。鍛冶屋やってたのよ、アタシ。その剣、よく出来てんだろ?」

 腰に手をあてて、ヴァネッサは不敵に頬を吊り上げた。

 アッシュは腰に差した偽聖剣を手に取った。銀色に美しく輝く剣身は、精緻な技術によって打たれた事の証明。『認識誘導』を使わずとも、騙せない人間は殆どいないだろう。聖剣そのものは只の剣だとしても、これ程の贋作を、目の前の少女が作り上げたのだ。

「嘘だろ……? だって君、まだ未成年――」

 思わず口を突いて本音が出た。その瞬間、腹部に衝撃が走った。見ると、小さな手がアッシュの腹に突き刺さっていた。体躯からは想像もつかない力強さに、アッシュはうめき声と共に一歩仰け反った。

「いやまあ、慣れてっからいいんだけどさぁ……やっぱりアンタも間違えんのな。さっきちゃん付けしてたし」

「間違いって……何が?」

「言っておくけど、アタシ今二十九。アンタより十歳以上は年上」

「……九歳じゃなくて?」

 再び拳を握るヴァネッサ。アッシュは両手を前に出し、交戦意志の有無を伝える。

「待て待て、冗談ですって。気にしてないんじゃないの?」

「気にしてない。ただ、礼儀の一つは教えとく必要はあるだろ? タメ口で構わないけど」

「わ、分かったよ。どうぞよろしく、ヴァネッサ姐さん」

「……まぁいいか」

 ため息と共に、ヴァネッサは拳を降ろした。彼女は二人のファーストコンタクトを少し離れた場所から見ていたシエルに向き直る

「それで、シエル。アンタ、コイツにどれぐらい話した? まさかもう協力を取り付けた訳じゃないだろ?」

「聖剣の機能までは。それ以降はこれからです」

「つまり、まだ肝心な事は知らない訳ね」

「えっと……これですね。……それではアッシュさん。魔心症と、人類と魔族の戦争。これらについて、お話しましょう」

 いよいよ本題か、とアッシュは思わず姿勢を正した。シエルはアッシュへ、一冊のファイルを受け渡した。

 ファイルに書かれた表題は、『魔心症の拡散状況と覚醒者の現況について』。

「覚醒者……?」

 魔心症の研究結果であることは分かったが、『覚醒者』とは一体何か。気になって綴じられた資料を見ようとして――手が止まった。ファイルの中には、『皇国魔術研究機関・神術課』という耳慣れない筆者名が記された表紙があった。

 『皇国魔術研究機関』自体は、アッシュも知っている。その名の通り皇国が運営する研究機関であり、魔術研究と銘打ってはいるものの、魔術以外も幅広い分野を研究している機関だ。しかし、『神術課』なる課は聞いた事がなかった。

 しかし、それ以上にアッシュの眼を引いたのは、その資料に調印された印鑑にあった。これは、『皇帝だけが持つ印章』だ。つまりこの資料は、皇帝が直々に確認し、認証した資料だ。

「これは皇帝自ら確認した金印勅書です。それを認識したうえで、心してご確認ください」

 情報が殆どない魔心症に関する、皇国側の公文書。アッシュは喰らいつくように、文書を勢いよくめくっていく。そうして内容に目を通すと――次第に手の勢いが失われていった。

『魔心症とは、優れた魔力を持つ者に課される試練である。意図的に体内の魔力を暴走させ、身体に多大な負荷を掛ける。多くの者は死に至るが、三ヶ月以内に克服した者は覚醒者と呼び、神の僕たる使徒となる資格を得る。それ以上は生き延びても覚醒者となる可能性は無い』

『従来は指定したエリアに魔力を多量に含んだ霧を散布し、摂取させる方法が用いられていた。が、外部から人為的に魔力を注入する手法を取れば、より魔心症の発症を確実に出来るという結果が出た。充分な魔力量を保有しているかは身体検査の必要があるものの、使徒を用いて検査させれば、時間は掛かるが確実に発症者を増やせる』

『覚醒者を増やすことを急がなければならない。魔族側は全知の魔王ディオスクロイを抑えることに苦心している。人類が敗北するのは絶対に避けなければならない。今代勇者は戦力としては期待できないが、聖剣によって中身を変えてしまえば、如何なる特性スキルでも問題なく使いこなせるだろう。何にせよ、人類と魔族の戦争は続けさせなければならない』

 最後のページまで読み終わった時、アッシュは言葉を失っていた。

「先程も言いましたが、それは金印勅書。つまり、ここに書いていることは――」

「全て事実、だろ。嘘であってくれりゃあ良かったけどな……」

 湧き上がる未体験の衝動に、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。

 魔心症は人為的に引き起こされたもので、目的は『覚醒者』という存在を生み出すこと。これだけでもアッシュからすれば最悪の真実だ。何しろ、リリアの病気が天から齎されたものではなく、国のトップ連中によってばら撒かれたものだったのだから。

 それに加えて、人類と魔族の戦争をも裏から操っているという。普通の人間からすれば此方の方がショックが大きいだろう。今まで信じていた国や王が戦争の糸を引いているのだから。

「アシュナード様……貴方が勇者として戦う理由は、全て彼らによって仕込まれたものです。彼らが人類と魔族、双方を牛耳っている限り、魔心症の脅威はこの世に在り続けます。人類と魔族の終わりなき戦乱もまた、彼らが望みを叶える時まで続くでしょう」

「だろうな。……けど、それよりリリアの魔心症だ。……クソ!」

 何よりアッシュを打ちのめしたのは、『三ヶ月以内に克服しなければ、覚醒者となる可能性は無い』という言葉。唯一の希望だった克服という奇跡が完全に否定され、自分の出来る事が『延命』しかないと突きつけられた。

「アイツが魔心症になってから、一年近く経っている。奇跡に縋る事すら出来ない。お前も知ってたんだよな?」

「……はい」

 消沈したアッシュの声に、遠慮がちにシエルは頷いた。

 アッシュはファイルを机に叩きつけると、シエルの両肩を掴んだ。

「さっき言ったよな? 仮説でも治療法があるって。頼む、聞かせてくれ。魔族との和解だろうと何だろうと、やれる事は何だってやる」

 鼻先が接触しそうな程顔を近づけるアッシュを、シエルは嫌な顔一つせず見返している。彼の焦り、不安といった感情全てを受け止めるように、その紫色の瞳に彼だけを映していた。

 少しの沈黙の後、シエルは手のひらサイズの鉱石を、視線の間に差し込むように見せた。彼女の瞳と同じ紫色の鉱石は、アッシュにも見覚えがあるものだ。

「この石に見覚えはありますね? 魔晶石……上級魔族が個々人で保有している石です」

「それは分かる」

 アッシュは頷きながら、シエルの両肩から手を離した。

 上級魔族が脅威として認識されるのは、その頭脳だけでなく、戦闘力の高さもある。弱い上級魔族でも、並の騎士が十人は必要な彼らの戦闘力を支えるのが、この魔晶石だ。

 魔族の重要機密らしく詳細は分からないが、これを取り込んだ魔族は身体能力・魔力双方が格段に向上する。その為、シュルツェン要塞でのアッシュのように、使わせる前に殺害するのが最も簡単な討伐法だが、安定して可能なのは『認識誘導』の特性スキルを持つアッシュぐらいである。

「さて、アシュナード様。この魔晶石、人類には魔族の力を増幅するブースターのようなものと認識されているようですが……実際は逆。魔晶石は魔族を強化するのではなく、『本来の姿に戻す』ものです」

「本来の姿……?」

「上級魔族は、人間と比べて膨大な魔力をその身に有しています。しかし、魔力が高ければ高いほどその身に掛かる負担も大きくなり、特に寿命の面で大きな不利を受ける事になります。故に上級魔族は、ある程度の年齢まで育つと体内の魔力を移して貯蔵し、必要な時に使えるようにする。その為に使うのが、この魔晶石」

 シエルが魔晶石を握ると、ほのかに紫色に発光した。

「これを加工出来るのは、魔族でも『ヘパイストス』という巨人族のみ。彼らは秘密裡に継承された技術と専用の設備で、個体ごとの魔力タンクである魔晶石を作り上げる。この技術が無ければ、上級魔族は皆、人間の半分程度の寿命しか無かったでしょうね」

 魔晶石の本来の機能。確かに人類側には知られていない、アッシュにとっても初めて聞く話だった。

「それで、この魔晶石と魔心症がどう繋がるんだ?」

「先の資料にあった、魔心症の正体。そこにこう書かれていましたね。『意図的に体内の魔力を暴走させ、身体に多大な負荷を掛ける』……と。そして、『優れた魔力を持つ者にのみ課される試練』とも。ではもし、魔晶石で外部に魔力を映せるとすれば……?」

「……そうか!」

 ようやくアッシュは、シエルの唱える治療法に当たりがついた。そしてそれには、人類と魔族の和解が不可欠な事も。

 魔心症は強力な魔力の暴走によって起こる。しかし、強大な魔力が肉体を蝕むことは、魔族にとっては『ありふれた事』でしかない。ならば、人間用の魔晶石を作ることが出来れば、病原たる魔力を体内から除く事が出来る。つまり、魔心症の症状が出なくなる。

「とはいえ、人間と魔族では生物としての造りが異なる以上、魔族用の製法をそのまま人間に適用は出来ないでしょう。ヘパイストス族次第ですが……」

「だから仮説止まり。確実じゃないって事だろ?」

 シエルが頷く。

 彼女の考える治療法は、理屈の上では正しく見える。それこそ『認識誘導』無しで他人に話しても、信じて貰えるだろう。しかし、彼女はそれだけの理論を持ちながら、決して『必ず助けられる』というような事を口にしなかった。真実が見えるからこそ、それを基に他人を騙すことはしたくないのかもしれない。

 世直しを志すには損としか言えない彼女の性分。それをアッシュは、何処か嬉しく思っていた。

 シエルの表情が苦々しくなる。目を閉じ、少し話しにくそうにするが、アッシュの答えは既に決まっている。

「これが、私の思う魔心症の治療法です。申し上げた通り、これは魔族の技術なくしては不可能な方法。しかし、それをするには打ち倒すべき敵がいます。強大な相手ですが――」

「やるさ」

 話を聞くまでもない、というアッシュの即答に、シエルは目を開け、彼を見る。返答が揺るぎない意志によるものだと分かったらしいが、それでも困惑は消えないらしい。

「おい、シエルはまだ何も言ってないぞ?」

 横で聞いていたヴァネッサが、たまらず口を挟んだ。内心が見えるシエルよりも、その困惑は強そうだ。

「言った筈だ。リリアの魔心症を治す為なら、何だってやると」

 リリアの為に命を懸ける。彼女が魔心症に罹った時、既にそう決めていた。それが彼女を救う道に繋がるなら、今更何が相手だろうと躊躇う道理は無かった。

「……そうですね。貴方はそういう人でした。だからこそ、私は……」

 シエルは納得したように笑うと、アッシュに向けて右手を差し出す。

「アシュナード様。私に……力を貸してくださいますか?」

「ああ。リリアの為にもな」

 アッシュは即座にシエルの手を握り返した。

 かくして、人類と魔族の和平を目指して、勇者と魔女は手を組んだ。他者を惑わす勇者と真実を見破る魔女。この出会いが意味するのは、この世界に最悪の反逆者が生まれたという事である。しかし、今それを知るのは、シエル・アストライアただ一人だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ