魔心症の真実
彼女の言う『秘密基地』の中は、それなりに広い部屋だった。放置されていた地下通路にあるにも関わらず、埃っぽさはない。質素な作りだが、机や椅子など最低限の家具はある。
部屋の中で一際目を引いたのは、入り口から奥の壁一面を覆う本棚だった。最上段から最下段まで、本やファイルで埋め尽くされている。チラリと背表紙のタイトルに目を通すと、歴史書から何かしらの報告書、など、多岐に渡る様々な資料が並んでいるのが分かった。
「ここを本当にお前が作ったのか……?」
「使いようによっては、こうした地下室の作製に使える魔法もありますので。魔法陣の記述は、私が一番得意な分野なんですよ。それはさておき……先程言った『彼女』を呼びますね」
シエルは入り口から左側の扉をコンコンとノックした。
「作業中失礼します、ヴァネッサさん。お連れしましたよ」
シエルの声掛けから数秒後、扉が開かれた。そこから出て来たのは――
「遅ぇよシエル。アタシゃてっきりパクられたかと――あ?」
幼女の如き甲高い声と、それに反してぶっきらぼうな口調。扉の前にいたのは、首を下げなければ目が合わない程の小柄な少女だった。140cmにも満たないだろう。
「あ~~……頼りになるってのはそういうことかよ。ったく……アンタのやることにゃあいっつも驚かされるね」
頬を引きつらせながら、少女は後頭部を掻いた。
彼女は灰色の長髪を後ろに束ね、作業着を身に纏っている。先程まで着けていたのか、軍手をズボンのポケットに押し込んでいた。高く見積もっても、十二~三歳ぐらいに見える。
少女はやがて、緋色の瞳にアッシュを写しながら、気怠そうに右手を差し出した。
「どうも初めまして。アタシはヴァネッサ・ヴィットマン。……まぁなんだ、よろしく頼むよ。勇者サマ」
「ああ……。知ってるのか、俺のこと」
差し出された手を握ると、その硬い感触に違和感を抱いた。まるで何十年単位で何かに打ち込んできたかのような、積み重ねを感じる手だった。
「ラーベンに住んでてアンタのこと知らねぇヤツなんざいねぇよ。つーか……シエルが『聖剣の偽物』造れって言ったのはそういう事かよ」
「聖剣の偽物……?」
アッシュは、扉の向こうの部屋を見た。そこは部屋――というより、工房だった。鍛冶工房にあるような巨大な炉と、その前には金床と作りかけの刃があった。しかし、炉に火が灯っているにも関わらず、部屋の中は適温に維持されていた。
アッシュはここに至って、ヴァネッサの正体を理解し、自分の『認識』を疑った。
「えっと……もしかしてヴァネッサちゃんって……?」
「そ。鍛冶屋やってたのよ、アタシ。その剣、よく出来てんだろ?」
腰に手をあてて、ヴァネッサは不敵に頬を吊り上げた。
アッシュは腰に差した偽聖剣を手に取った。銀色に美しく輝く剣身は、精緻な技術によって打たれた事の証明。『認識誘導』を使わずとも、騙せない人間は殆どいないだろう。聖剣そのものは只の剣だとしても、これ程の贋作を、目の前の少女が作り上げたのだ。
「嘘だろ……? だって君、まだ未成年――」
思わず口を突いて本音が出た。その瞬間、腹部に衝撃が走った。見ると、小さな手がアッシュの腹に突き刺さっていた。体躯からは想像もつかない力強さに、アッシュはうめき声と共に一歩仰け反った。
「いやまあ、慣れてっからいいんだけどさぁ……やっぱりアンタも間違えんのな。さっきちゃん付けしてたし」
「間違いって……何が?」
「言っておくけど、アタシ今二十九。アンタより十歳以上は年上」
「……九歳じゃなくて?」
再び拳を握るヴァネッサ。アッシュは両手を前に出し、交戦意志の有無を伝える。
「待て待て、冗談ですって。気にしてないんじゃないの?」
「気にしてない。ただ、礼儀の一つは教えとく必要はあるだろ? タメ口で構わないけど」
「わ、分かったよ。どうぞよろしく、ヴァネッサ姐さん」
「……まぁいいか」
ため息と共に、ヴァネッサは拳を降ろした。彼女は二人のファーストコンタクトを少し離れた場所から見ていたシエルに向き直る
「それで、シエル。アンタ、コイツにどれぐらい話した? まさかもう協力を取り付けた訳じゃないだろ?」
「聖剣の機能までは。それ以降はこれからです」
「つまり、まだ肝心な事は知らない訳ね」
「えっと……これですね。……それではアッシュさん。魔心症と、人類と魔族の戦争。これらについて、お話しましょう」
いよいよ本題か、とアッシュは思わず姿勢を正した。シエルはアッシュへ、一冊のファイルを受け渡した。
ファイルに書かれた表題は、『魔心症の拡散状況と覚醒者の現況について』。
「覚醒者……?」
魔心症の研究結果であることは分かったが、『覚醒者』とは一体何か。気になって綴じられた資料を見ようとして――手が止まった。ファイルの中には、『皇国魔術研究機関・神術課』という耳慣れない筆者名が記された表紙があった。
『皇国魔術研究機関』自体は、アッシュも知っている。その名の通り皇国が運営する研究機関であり、魔術研究と銘打ってはいるものの、魔術以外も幅広い分野を研究している機関だ。しかし、『神術課』なる課は聞いた事がなかった。
しかし、それ以上にアッシュの眼を引いたのは、その資料に調印された印鑑にあった。これは、『皇帝だけが持つ印章』だ。つまりこの資料は、皇帝が直々に確認し、認証した資料だ。
「これは皇帝自ら確認した金印勅書です。それを認識したうえで、心してご確認ください」
情報が殆どない魔心症に関する、皇国側の公文書。アッシュは喰らいつくように、文書を勢いよくめくっていく。そうして内容に目を通すと――次第に手の勢いが失われていった。
『魔心症とは、優れた魔力を持つ者に課される試練である。意図的に体内の魔力を暴走させ、身体に多大な負荷を掛ける。多くの者は死に至るが、三ヶ月以内に克服した者は覚醒者と呼び、神の僕たる使徒となる資格を得る。それ以上は生き延びても覚醒者となる可能性は無い』
『従来は指定したエリアに魔力を多量に含んだ霧を散布し、摂取させる方法が用いられていた。が、外部から人為的に魔力を注入する手法を取れば、より魔心症の発症を確実に出来るという結果が出た。充分な魔力量を保有しているかは身体検査の必要があるものの、使徒を用いて検査させれば、時間は掛かるが確実に発症者を増やせる』
『覚醒者を増やすことを急がなければならない。魔族側は全知の魔王ディオスクロイを抑えることに苦心している。人類が敗北するのは絶対に避けなければならない。今代勇者は戦力としては期待できないが、聖剣によって中身を変えてしまえば、如何なる特性でも問題なく使いこなせるだろう。何にせよ、人類と魔族の戦争は続けさせなければならない』
最後のページまで読み終わった時、アッシュは言葉を失っていた。
「先程も言いましたが、それは金印勅書。つまり、ここに書いていることは――」
「全て事実、だろ。嘘であってくれりゃあ良かったけどな……」
湧き上がる未体験の衝動に、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
魔心症は人為的に引き起こされたもので、目的は『覚醒者』という存在を生み出すこと。これだけでもアッシュからすれば最悪の真実だ。何しろ、リリアの病気が天から齎されたものではなく、国のトップ連中によってばら撒かれたものだったのだから。
それに加えて、人類と魔族の戦争をも裏から操っているという。普通の人間からすれば此方の方がショックが大きいだろう。今まで信じていた国や王が戦争の糸を引いているのだから。
「アシュナード様……貴方が勇者として戦う理由は、全て彼らによって仕込まれたものです。彼らが人類と魔族、双方を牛耳っている限り、魔心症の脅威はこの世に在り続けます。人類と魔族の終わりなき戦乱もまた、彼らが望みを叶える時まで続くでしょう」
「だろうな。……けど、それよりリリアの魔心症だ。……クソ!」
何よりアッシュを打ちのめしたのは、『三ヶ月以内に克服しなければ、覚醒者となる可能性は無い』という言葉。唯一の希望だった克服という奇跡が完全に否定され、自分の出来る事が『延命』しかないと突きつけられた。
「アイツが魔心症になってから、一年近く経っている。奇跡に縋る事すら出来ない。お前も知ってたんだよな?」
「……はい」
消沈したアッシュの声に、遠慮がちにシエルは頷いた。
アッシュはファイルを机に叩きつけると、シエルの両肩を掴んだ。
「さっき言ったよな? 仮説でも治療法があるって。頼む、聞かせてくれ。魔族との和解だろうと何だろうと、やれる事は何だってやる」
鼻先が接触しそうな程顔を近づけるアッシュを、シエルは嫌な顔一つせず見返している。彼の焦り、不安といった感情全てを受け止めるように、その紫色の瞳に彼だけを映していた。
少しの沈黙の後、シエルは手のひらサイズの鉱石を、視線の間に差し込むように見せた。彼女の瞳と同じ紫色の鉱石は、アッシュにも見覚えがあるものだ。
「この石に見覚えはありますね? 魔晶石……上級魔族が個々人で保有している石です」
「それは分かる」
アッシュは頷きながら、シエルの両肩から手を離した。
上級魔族が脅威として認識されるのは、その頭脳だけでなく、戦闘力の高さもある。弱い上級魔族でも、並の騎士が十人は必要な彼らの戦闘力を支えるのが、この魔晶石だ。
魔族の重要機密らしく詳細は分からないが、これを取り込んだ魔族は身体能力・魔力双方が格段に向上する。その為、シュルツェン要塞でのアッシュのように、使わせる前に殺害するのが最も簡単な討伐法だが、安定して可能なのは『認識誘導』の特性を持つアッシュぐらいである。
「さて、アシュナード様。この魔晶石、人類には魔族の力を増幅するブースターのようなものと認識されているようですが……実際は逆。魔晶石は魔族を強化するのではなく、『本来の姿に戻す』ものです」
「本来の姿……?」
「上級魔族は、人間と比べて膨大な魔力をその身に有しています。しかし、魔力が高ければ高いほどその身に掛かる負担も大きくなり、特に寿命の面で大きな不利を受ける事になります。故に上級魔族は、ある程度の年齢まで育つと体内の魔力を移して貯蔵し、必要な時に使えるようにする。その為に使うのが、この魔晶石」
シエルが魔晶石を握ると、ほのかに紫色に発光した。
「これを加工出来るのは、魔族でも『ヘパイストス』という巨人族のみ。彼らは秘密裡に継承された技術と専用の設備で、個体ごとの魔力タンクである魔晶石を作り上げる。この技術が無ければ、上級魔族は皆、人間の半分程度の寿命しか無かったでしょうね」
魔晶石の本来の機能。確かに人類側には知られていない、アッシュにとっても初めて聞く話だった。
「それで、この魔晶石と魔心症がどう繋がるんだ?」
「先の資料にあった、魔心症の正体。そこにこう書かれていましたね。『意図的に体内の魔力を暴走させ、身体に多大な負荷を掛ける』……と。そして、『優れた魔力を持つ者にのみ課される試練』とも。ではもし、魔晶石で外部に魔力を映せるとすれば……?」
「……そうか!」
ようやくアッシュは、シエルの唱える治療法に当たりがついた。そしてそれには、人類と魔族の和解が不可欠な事も。
魔心症は強力な魔力の暴走によって起こる。しかし、強大な魔力が肉体を蝕むことは、魔族にとっては『ありふれた事』でしかない。ならば、人間用の魔晶石を作ることが出来れば、病原たる魔力を体内から除く事が出来る。つまり、魔心症の症状が出なくなる。
「とはいえ、人間と魔族では生物としての造りが異なる以上、魔族用の製法をそのまま人間に適用は出来ないでしょう。ヘパイストス族次第ですが……」
「だから仮説止まり。確実じゃないって事だろ?」
シエルが頷く。
彼女の考える治療法は、理屈の上では正しく見える。それこそ『認識誘導』無しで他人に話しても、信じて貰えるだろう。しかし、彼女はそれだけの理論を持ちながら、決して『必ず助けられる』というような事を口にしなかった。真実が見えるからこそ、それを基に他人を騙すことはしたくないのかもしれない。
世直しを志すには損としか言えない彼女の性分。それをアッシュは、何処か嬉しく思っていた。
シエルの表情が苦々しくなる。目を閉じ、少し話しにくそうにするが、アッシュの答えは既に決まっている。
「これが、私の思う魔心症の治療法です。申し上げた通り、これは魔族の技術なくしては不可能な方法。しかし、それをするには打ち倒すべき敵がいます。強大な相手ですが――」
「やるさ」
話を聞くまでもない、というアッシュの即答に、シエルは目を開け、彼を見る。返答が揺るぎない意志によるものだと分かったらしいが、それでも困惑は消えないらしい。
「おい、シエルはまだ何も言ってないぞ?」
横で聞いていたヴァネッサが、たまらず口を挟んだ。内心が見えるシエルよりも、その困惑は強そうだ。
「言った筈だ。リリアの魔心症を治す為なら、何だってやると」
リリアの為に命を懸ける。彼女が魔心症に罹った時、既にそう決めていた。それが彼女を救う道に繋がるなら、今更何が相手だろうと躊躇う道理は無かった。
「……そうですね。貴方はそういう人でした。だからこそ、私は……」
シエルは納得したように笑うと、アッシュに向けて右手を差し出す。
「アシュナード様。私に……力を貸してくださいますか?」
「ああ。リリアの為にもな」
アッシュは即座にシエルの手を握り返した。
かくして、人類と魔族の和平を目指して、勇者と魔女は手を組んだ。他者を惑わす勇者と真実を見破る魔女。この出会いが意味するのは、この世界に最悪の反逆者が生まれたという事である。しかし、今それを知るのは、シエル・アストライアただ一人だった。