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最弱勇者の戦い

「シエル・アストライア……。やっぱりあの猫も角付きの獣もお前の仕業か。それに聖剣を盗んだのも……」

「聖剣の授与を阻止するとなれば、強引な手法に訴えるしかありませんでしたから。貴方様が何もせず儀式を受ける事も想定内でしたし」

 シエルは両手で奪った聖剣を持っていた。アッシュはその剣を手にした瞬間、自らの身に起こった事を思い出した。

「どうやって盗み出したんだ?」

「単に神官の一人に成り代わっただけです。後は貴方様から聖剣を離して、一角獣ユニコーンが暴れた隙に持ち出せば……」

 簡単な事のように述べた方法だが、危険極まりない事はアッシュにもすぐに分かる。それを涼しい顔で行えるなら、騎士団が手玉に取られるのも頷ける話だった。

「お前は持っても平気なのか?」

「もちろんです。聖剣の『機能』が発動するのは、聖痕を持つ勇者だけですから」

「機能……?」

 シエルが頷く。聖剣に目線を向けると、それまでより暗い声音で訊ねる。

「これに触れた時、何が見えましたか?」

「分からない。身に覚えのない光景が大量に見えたかと思うと、そもそも俺が何者なのかもよく分からなくなった……。知ってるなら教えてくれ、アレは何だったんだ」

「貴方が見たのは、エルヴィン・カーチス――ユースタリア皇国初代勇者の記憶です」

「初代……勇者……?」

 初代勇者エルヴィン・カーチス。その名前は、アッシュでも知っている。ユースタリア皇国建国時――魔族の攻勢一つで滅びかねない弱小国家だった時代から、無数の魔族を独りで狩り続け、領地を広げ、現在の皇国の礎を築いた大人物。

 だが、その記憶が何故アッシュの脳内に入ってきたのか。聖剣とは何なのか――そうした疑問に、シエルは懐から取り出した紙を貼りながら答えた。

「貴方たちが聖剣と呼ぶこの剣は――初代勇者の記憶と人格を保存した『装置』です。勿論剣としても上等な品であることは確かですが……重要なのは機能の方であって、本体は只の剣に過ぎません」

「記憶と人格……!?」

「あのまま剣を持ち続けていれば、貴方は身体ごと勇者に乗っ取られていましたよ」

「まさか……」

 そんなはずがない、とは言い切れなかった。アッシュがあの剣を持った時、記憶が流れて来たのと同時に、『自分はエルヴィン・カーチスだ』と思いかけた。彼の記憶を追体験し、それによって自分が彼と同一だと錯覚した。そこに彼の人格部分まで送り込まれれば、どうなっていたか想像は容易だろう。

「何故過去の勇者たちが、揃いも揃って対魔族に執念を燃やしていたのか。聖剣を受け取ると真の勇者になるというのは、どういう意味か。……その答えが、この聖剣です。二代目以降の勇者は皆例外なく、初代勇者の依り代となっていたのです。そして――」

 シエルは三枚目の紙を貼り付けると、聖剣に地面に置いて右手を翳した。膨大な魔力が放出され、周囲が眩い光に照らされる。

「貴方もそうなる筋書きだった。ですが――そうはいきません。元素魔術・大地『壊振』」

 突如聖剣が凄まじい勢いで振動し――やがて、粉々に砕け散った。そこでようやく、シエルが貼り付けていた紙が魔術の媒体だったことを理解する。しかし、それ以上に驚くべき事は、聖剣がいとも簡単に破壊されたことだった。

「なっ――!?」

 三十代に渡って受け継がれてきた聖なる剣。それがガラス細工のように砕け散った事に、アッシュは呆気に取られた。

 三重に重ねたとはいえ、一種類の魔術だけで砕けた。別に聖剣が無敵の名剣だと思っていた訳では無いが、まるでメッキが剥がされたような失望があった。

「とはいえ、『彼ら』は周到です。予備のものもあるでしょうから、これではまた儀式が行われるだけです。ですから……『取り返した』と言って、これを持ち帰ってください」

 そう言ってシエルは、暗闇から先程破壊したそれと寸分違わぬ剣を取り出した。

「聖剣の贋作です。機能が無い以外は全く同じですので、発覚の心配は無いでしょう。いえ、もしかしたら、剣としては此方の方が上等かもしれませんが」

「どうやってこんなモン用意したんだ」

「協力してくれる方がいますから。聖剣自体の外観は記録に幾らでも残っているので、後はそれを再現して貰えればこの通りです」

「協力者……ねえ」

 彼女の罪状に、投獄された魔女の解放がある。協力者とは、恐らくそれだろう。だが、今はそれより聞かなければならないことがある。

「シエル・アストライア。お前の事は調べたけど、何が目的だ? 分かっちゃいるだろうが、お前の行動は皇国に対する重大な反逆行為だ。捕まれば死罪は避けられない。聖痕が反応しないって事は、お前は人間だろうに……何故人間の国に弓を引く事をする?」

「人間の国……ですか」

 呟くように鸚鵡返しをしたシエルは、紫水晶アメジストのような瞳に、真っ直ぐアッシュを映した。彼の全てを見透かすような目線に、思わず背筋が凍る。

「では確認させてください。貴方が勇者という役割を続ける理由……いえ、そもそも刃を振るって魔族と戦い始めたのは、魔心症に罹った妹のリリア様を守るためですよね?」

「それはそうだが……それが何だ?」

「では仮に、リリア様の命を守る為のより確実な方法があるとすれば? それが国に仇為す方法だとしても、貴方は迷わず実行するはずです。私も同じ……私の願いを果たす為には、この国の最上の存在を打ち砕かなければならないからです」

 アッシュは息を呑んだ。つまり彼女は、自分にとってのリリアのような、命を懸けてまで守るべきものがある、という意味だった。

「……その願いってのは?」

 物音のない『灯』の下で、シエルは世界に向けて宣言するように言った。

「人間と魔族の和睦」

「っ……」

 アッシュは何も言えなくなった。彼女の口にしたそれが、あまりに壮大かつ不可能に近かったからだ。

 人間と魔族の和睦。それはすなわち、六百年続く戦争を終わらせるという意味だ。それも一方の勝利ではなく、両者の和解という形で。

 無論、考えた者が過去に居ない訳ではなかっただろう。だが、お互いがお互いにとって滅ぼす、最低でも打ち勝つべき不倶戴天の敵だというのが常識として『認識』されている。そういった最悪の敵同士を和解させようなどというのは、狂人の夢と言っても過言ではなかった。

 呆気に取られるアッシュの前で、毅然とした態度はそのままに、シエルは膝を着いた。

「ですが……その為には、アシュナード様。貴方の力が必要です。貴方の『認識誘導』の力が」

 懇願しながらも、へりくだる素振りはない。彼女の内心は読めないが、国とオルネア教双方を敵に回してまでアッシュを呼び寄せたとなれば、彼女にとってアッシュは必須の存在なのだろう。先程の目的から、『認識誘導』が必要になる理由は分からない。

「俺に勇者を辞めて、反逆者になれって事か? ……それは無理だ」

 だがどちらにせよ、アッシュは首を縦に振ることは出来なかった。

「お前の志の高さは分かったよ。けどな、俺が勇者じゃなくなれば……リリアはどうなる? あの子が魔心症に罹って一年近く経ってる。薬と安静に出来る環境が無ければ、すぐに悪化して取り返しがつかなくなるぞ。逆に言えば……このまま症状を安定させ続ければ、『可能性』は残る」

 アッシュとしても、人間と魔族の戦いに終わりが来れば良いとは思う。だが、そんな夢物語の為に、リリアの命を危険に晒す事は出来なかった。

 アシュナード・アシュヴィンは勇者である。だがそれ以前に、唯一の肉親の為に戦う俗人に過ぎない。顔も知らない百人の命と妹の命なら、アッシュは間違いなく後者を選ぶ。たとえそれが、どれだけ愚かで勇者に相応しくない振舞いだとしても、だ。

 そんな俗人根性丸出しの言葉すらも、シエルはお見通しだったらしい。嫌な顔一つせず、頷く。

「そうですね。現状、魔心症から生還しようと思えば……それに縋るしかありませんから」

「……やっぱり知ってたか」

 現状、魔心症に有効な治療法は無い。臓器の活動を安定させる霊薬で、症状を抑えるのが精いっぱいだ。そして、その霊薬も高価なため、只の農民が必要分用意するのは不可能だった。だからアッシュは傭兵として、自らの食費すら限界まで切り詰めつつ、どうにか生存させるに足る薬を調達していた。

 だが、治療法は無いが『克服』の可能性がある。ある日突然症状が消失したうえ、罹患前より強い体となって復活した、というケースが報告されているのだ。死亡率から考えれば奇跡にも等しい確率だが、現状アッシュが縋れる唯一の可能性だった。例えそれが何年先の話だろうと、必ずリリアを生き延びさせて、人並みの幸せを感じて生を全うさせたかった。

 アッシュにとって、リリアの安全はどうあっても譲れない一線だ。それを理解したうえで話を持ち掛けたという事は、恐らくまだ話は終わっていない。

 その予想を肯定するように、シエルはおもむろに立ち上がった。

「では……人間と魔族の和解が、魔心症治療の鍵になるとすれば? 奇跡ではなく技術で、人身を蝕む病を根絶できるなら?」

「何……!?」

 衝撃的な言葉を前に、シエルに詰め寄っていた。剣を持っていなければ、両肩をガッシリと掴んでいただろう。

「どういう事だ……!? 魔心症は発症原因からして不明な病気だぞ!? それを魔族と和解すれば治る!? まさか魔心症は魔族が原因とでもいうのか!?」

 彼女はあくまで冷静な態度を崩さず、身を翻した。

「来てください。そこで見たものと私を信じられなければ……どうぞ、拘束して騎士団に身柄を引き渡すなり、その場で斬るなり。貴方の好きにしてください」

 シエルは鉄扉を押して外に出た。

「ここは隠れ家じゃないのか」

「ここはあくまで合流地点ですので。隠れ家の入り口は少し先です」

 立ち並ぶ工房の裏を縫っていくように、シエルは歩いていく。アッシュもまた、黙って彼女に続いた。魔心症の治療という、彼女が口にした言葉の真偽を確かめるにはそうする他無い。

 人通りを避けるように行き、工業区と居住区の境にある公園が見えた。一般市民の建屋二軒分程度の狭い敷地に、三つのベンチと今は枯れている噴水があるのみの、小ぢんまりとした公園だ。昼間でも誰もいない事の多いその公園の前で、シエルは立ち止まった。

「いけないっ……隠れてください」

 先行していたシエルがアッシュを物陰に押しやった。

「公園内に騎士が三人。第六騎士団のものですが……」

「工業区に捜査に来たのか? いなくなるまで待つか」

「それが出来れば良かったのですが……どうもそれは難しそうです」

 シエルが難しい顔をした。その時、公園の方から小さく話し声が聞こえてくる。

「副団長からの命令は覚えているな? 偽眼の魔女の確保、最低でも聖剣の奪回は必須。達成出来るまで帰れないと思え」

「しかし、こんな小さな公園に張っていて、本当に魔女は来るのでしょうか?」

「過去にこの周辺で、黒いローブの人物を見たという証言があったらしい。縋るしかあるまい。後から他の連中も来る。それで工業区を洗うぞ」

 街灯の下に、確かに三人の騎士が陣取っていた。

「あの噴水が入り口なのですが……ああして陣取られると使えませんね」

「噴水を調べられたらバレるってことか」

「いえ、流石にそのリスクは低いです。ただ、あそこ以外の入り口は少々遠いので……次に近い所でも、十五分は掛かるかと」

 地上を騎士団が巡回している以上最短ルートを行きたいが、丁度今そのルートが閉ざされている。アッシュとしても、魔心症の治療について、一瞬でも早く聞き出したい。

「仕方ありませんね。下手に動いても却って怪しまれるでしょうし、ここは――」

「一つ確認したい事がある」

 アッシュは迂回しようと動いたシエルの肩を掴み、こちらに振り向かせた。

 一つ方法があった。迂回という方法を取らずに済み、尚且つあの公園は外れだと『認識』させる方法が。

「人間と魔族の和解が魔心症の治療に繋がるって言ってたな。その言葉に嘘は無いな?」

 紫色の瞳をじっと見つめる。彼女が吐く言葉の、取る動作の全ての真偽を見極めるように。その眼に臆したか、シエルはアッシュから目を逸らすように、目を閉じた。

「私の眼は、過去と現在に存在するものを知る力です。これから先の未来の可能性は、あくまで可能性でしかありません。ですが……」

 再び彼女の眼が開かれる。先の印象が誤りだと告げるような、信念に満ちた目と共に告げた。

「人間と魔族の戦争が終結した暁には、どんな手段を使ってでも、魔心症の治療法を確立すると……それだけは約束します」

「……分かった」

 口約束と言えばそれまでだが、それで充分だった。それが今、即座に彼女から受け取れる最大の誠意だった。受け止めたアッシュは偽聖剣をシエルに返し、ウィリアムから借り受けた短剣を手にした。

「シエル。何か顔を隠せるものはあるか?」

「っ……此方に」

 アッシュのやろうとしている事を察したか、シエルは一瞬息を詰まらせる。だがすぐに懐に手を入れて、そこから黒い仮面を取り出した。明らかにシエルの顔より大きいそれを受け取り、アッシュは不敵な笑みを浮かべた。

「充分だ」

「それと、よろしければ此方も。少し小さいでしょうが、無いよりは良いかと」

 仮面を渡すと、彼女はローブを脱いだ。仮面と同じ、闇に紛れる漆黒のローブだった。

 持つと見た目より重かった。どうやら色々と道具を仕込んでいるらしい。だが、少し窮屈なぐらいで動くには問題なかった。シエルが大きいというより、アッシュが男にしては小柄なせいだろう。

「助かる」

 ローブに付いているフードを被ると、仮面と併せてアッシュという男の面影は消え失せた。

「アシュナード様……。出来れば、彼らは殺さないでください。ただ与えられた仕事をこなしているだけですから」

「分かってるさ。俺も、それで済むならその方が良い」

 人殺しは、最後の最後の手段でなくちゃいけない。

 アッシュは自分にそう言い聞かせながら、物陰から公園へと歩き出した。

「何だ貴様は。ここで何をしている」

 兜を被った騎士がアッシュに気が付き、腰のサーベルに手を添える。

 アッシュは答えないまま、公園へと足を踏み入れた。騎士は警戒心を目から撃ち出すように、彼を睨みつけた。

「黒いローブ……この辺りで目撃証言があったのは貴様か? 何者だ? まさか、偽眼の魔女と繋がりがあるのか?」

「偽眼の魔女……。フッ、そうか。お前たちはそれでここに来たのか」

 声を発すると同時に、『認識誘導』を発動。彼らの神経を大きく逆撫でするように、大仰な演技と共に誘導を仕掛ける。

「まんまと引っかかったな、馬鹿どもが。その話を流したのは私だ、こんなところに魔女がいる筈ないだろう。こうまで簡単に『騙されてくれる』とは……第六騎士団は剣の腕だけでなく、頭の出来も最底辺だな」

 まずは『騙された』という認識を植えつける。その上で煽るような演技で怒りを刺激する。

 そして幸運なことに、先頭の兜の騎士が真っ先に反応してくれた。

「言ってくれるな。我々の業務を妨害し、侮辱したとなれば……分かっているのだろうな」

「……本当の事を言われたからと怒るなよ」

 第六騎士団所属の騎士は、他の騎士団に比べて練度が劣る。

 これは市民の間でも共通認識として広がっていて、その上概ね事実である。とはいえ、第六騎士団の主任務は戦場から離れた首都の治安維持であり、実戦での戦闘力は然程重視されない。その為、団員にはそれを指摘されても毅然としている者も少なくない。だが、戦場で武勲を立てる事を目指す者の中には、第六騎士団は左遷先と認識している者もいる。そうした関係から、ある程度の数の団員は、最弱扱いをコンプレックスに感じている者もいるのだ。

 故にそれを刺激してやれば、三人のうち一人は乗ってくれるとアッシュは踏んだ。リーダー格らしい人物が乗ったのは、嬉しい誤算だった。

「お前達、構えろ。可能な限り捕縛するが、無理なら斬って構わん」

「しかし……この男は何者なのでしょうか?」

「そんなものは後で聞けばいい。我々第六騎士団の威信を示すぞ」

 兜の男がサーベルを抜くと、残る二人もおずおずと構えた。やはり先頭の男は相当頭に来ているらしい。

 アッシュはほくそ笑んだ。こうした冷静さを欠いている者は、誘導が効きやすい。

 アッシュが『認識誘導』を発動すると、三人の騎士たちが動き出した。

 兜の騎士が正面に立ち、後方に控えていた騎士二人が左右に展開した。決して広いと言えない地形でありながら、彼らの動きには迷いが無い。どうやら、第六騎士団の中でも優秀な部類に入る連中らしい。

 しかし――優秀か否かなど、アッシュの前には関係なかった。

「……何故だっ!?」

 一人が驚愕の声を上げた。彼ら三人の放った一閃が、尽く空を斬っていたからだ。

 三人で包囲し、矢継ぎ早に剣を浴びせる彼らの連携は、確かに有効な戦術だ。腕の立つ戦士でも、三方向から次々に浴びせられる攻撃を凌ぎ続けるのは容易ではない。数回程度はいなせても、後が続かないだろう。

 だがそれは、『防御すれば』の話だ。アッシュは三人の連撃に、僅かに身体を動かすだけで対応していた。

「たったそれだけの動きで――何故!?」

「どうした? もう少し――『間合い』をちゃんと把握しろ」

「くっ……ほざけ!」

 騎士達は変わらず斬りかかり続けるが、アッシュにはまるで掠る気配すらない。

 三人から見れば、間合いを瞬時に把握し、最小限の動きで躱しているように見えるだろう。だが、アッシュ自身はそこまでの芸当が出来るような達人ではない。三人が能無しという訳でもない。彼らの中では訓練通りに、正確に攻撃を加えている。アッシュを戦闘不能に追い込むビジョンを浮かべながら、一撃一撃に必殺の念を込めている。

 だが実際は――その尽くが、棒立ちの彼に切っ先を掠らせるのが関の山といえる程、的外れの攻撃だった。はっきり言って素人レベルの、端から見ている者が居れば失笑を買っていたであろう程、三人全員が剣の間合いを『間違えていた』。

 その理由こそ、アッシュ自身の体術と、特性スキル『認識誘導』の併せ技にあった。彼は今、三人に対して『実際より近くに居る』と認識するよう、誘導を掛けていた。

 アッシュはタップダンスのように小刻みに地面を蹴り、不規則に動いていた。この微妙な動きで間合いの把握を妨害しているのだが、単体では『少しやり辛い』程度の効果しかない。が、その程度の効果でも、特性スキルで実際の間合いを間違えるよう誘導すれば、距離感を狂わせる幻惑の絶技へと昇華される。

 自身の体術を特性スキルの効果で上乗せし、距離感を狂わせる。これは先のシュルツェン要塞潜入時に、魔族の包囲を抜け出すのに用いた技だった。彼らが現在『認識』している間合いは、実際のそれよりかなり手前。だからこそ、ほんの少し身体を動かすだけで容易く避けられる。

 ここでようやく何かがおかしいと気が付いたか、騎士達は一度攻勢を止め、距離を取った。少し息を切らせながら、騎士の一人が尋ねる。

「貴様は一体……何なのだ?」

「そうだな……」

 まだ彼女に協力すると決めた訳では無い。しかし少なくとも、もう少し彼女の話す『真実』を聞きたい。

 彼らがアッシュに向ける眼は、今や恐怖が大勢を占めていた。今なら、殺さずに終わらせられる。

「あえて言うなら――魔心症根絶を願う者だ」

 アッシュは、ここで嘘偽りない言葉を吐いた。しかしそれは、彼らにはまるで意図が伝わらない。

「魔心症……? 何の話だ」

「言っても分からんさ」

 だからこそ、良かった。一瞬でもその意味を考えた隙こそ、まさに今欲していたものだからだ。

 懐から短剣を取り出し、逆手に持つ。殺す為ではない。『極力殺すな』とシエルは言った。その要求に沿う為の持ち方だ。

 こちらとの距離を上手く測れない三人の背後を取ったアッシュは、まず一番遠くにいた一人に近付き、その首に空いた左手を回した。そうしてわざと見せびらかすように刃を光らせる。

「ひっ……」

「やめろ!!」

 迫り来る死の足音に、三人の顔が一斉に強張る。二人が止めようと迫るが、既に遅い。アッシュは捕まえた騎士の背中に短剣の『柄』を叩きつけた。

「一人『死んだ』ぞ」

 騎士が苦悶の表情と共に崩れ落ち、アッシュは力の抜けた体を地面に落とした。ただ背中を殴っただけで、まるで死んだかのように、気絶していた。

 アッシュは今、『認識誘導』で『自分は死んだ』と思わせたのだ。これにより、通常なら悶絶する程度のダメージでも、『死んだ』と思い込ませて意識を奪う事が出来る。

 生存本能は、生物にとって最も強力な本能だ。故にたとえ『死んだ』と思わせても、本当に生命活動まで停止させるのは不可能。ほんの一時的にそう思わせても、あくまで意識が落ちるだけで、時間が経てば目覚める。

 逆に言えば『死んだ』と思うわせれば、結果的に殺さずに無力化出来る。何よりその誘導は実際に殴られた本人以外にも有効であり、残った二人は『仲間が殺された』と認識する。

「くそっ!!」

 仲間を殺されたと『認識』した残る二人が激昂して襲いかかって来る。しかし、直線的になった動きでは、アッシュなら簡単に読み切れる。兜のない方の騎士を掴み、同じ方法で即座に無力化。残った一人に、アッシュは口元で笑みを作って見せた。

「おのれ……私の部下を……! 貴様だけは……!」

 兜の騎士は、倒れた部下二人に目線を向けるが、彼らが血の一滴も流していない事には気付かない。落ち着いてよく見れば見破れる筈の事が見えない程、頭に血が上っているのだ。

「相当頭にきているようだな。まあ、だからお前を最後に残したんだが」

 後ろの部下たちはこの男より幾分か冷静だった。後に残せば、『殺していない』とバレてしまう。だからコンタクト時の反応から、直情的な人物を最後に残し、残る二人は手早く倒したのだ。

「死ね、逆賊が!」

 そして、三対一で圧倒出来る相手に、一対一で負ける道理はない。他二人と全く同じように、アッシュはその背中に短剣の柄を叩きつけた。

「……よし」

 念のため、すぐに三人の息の有無を確認した。三人とも問題なく呼吸していた。気絶した彼らを噴水から遠ざけると、シエルのいる方向に身体を向けた。

「終わったぞ。これで――」

「お見事です」

「うおっ」

 後ろから目当ての声が聞こえたことに、思わずアッシュは素っ頓狂な声を出した。先程までの切迫した表情が嘘のように、彼女は微笑みながらパチパチと手まで鳴らしている。

「ゼロから一の感情を生み出すのではなく、一の感情が十の感情になるよう誘導するのが、『認識誘導』という特性スキルの本質。使いこなすには、相手の人間性・得意不得意を見抜き、感情という『種』を芽生えさせる技が必要です。三人を終始手玉に取っての完全勝利……流石です」

 目をつけた人物の力を目に出来たからか、シエルの声は心なしか弾んでいた。

「いいから早く、隠れ家とやらに案内してくれ」

 アッシュはローブと仮面を返しつつ、噴水を顎で指した。褒められるのは悪い気がしないが、それより今は急ぐべき事がある。

「すみません、やはり『知る』のと『視る』のでは大きな違いがありましたので……。ええ、隠れ家ですね。では……」

 シエルは噴水に歩み寄る。いつ作られたか、水が出ていた時期があったのか、それさえも分からぬ程ボロボロの噴水だ。彼女はそれを彩る獅子の顔を象った石像の上に、魔法陣が描かれた紙を置いた。すると――噴水の中央に、人一人通れる程度の穴が開いた。

「隠し通路……?」

「特定の魔法に反応して開くようにしています。これなら誰も気づかないでしょう?」

 シエルは屈んで穴に滑り込むように入っていった。男の中では小柄なアッシュも、閊える事無く入ることが出来た。穴の下は地下通路になっていて、完全な暗闇で視界が利かない。尤も、左右が壁なので、壁沿いに進めばいいだけなのだが。

「お前が今まで騎士団の追撃を振り切れたのは、こんな隠れ場所を知っていたからか」

「ええ。元々は違法薬物などの密売の為に掘られたものです。これを作った組織は抗争の果てに完全崩壊し、この通路の存在もその組織だけで秘匿されていたので、今ではこれを知るのは私と『彼女』ぐらいです」

「彼女?」

「すぐに会えますよ」

 通路を暫く進んでいると、シエルが突然立ち止まった。暗闇ゆえに反応が遅れたアッシュは、彼女の背中に軽くぶつかった。

「っと……悪い。どうした?」

「着きました。ここです」

 シエルが右手側の壁に手を触れると、壁が横にスライドした。

 その瞬間、室内灯の光が目に飛び込んできて、アッシュは思わず手でひさしを作った。

「これも密売人が作ったのか?」

「いえ、これは私が。……ようこそアシュナードさん。ここが、私達の秘密基地です」

 シエルはフードを取ると、無邪気とさえ言える、屈託のない笑顔を向けた。


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