幻狼の勇者
「……どうだ、シエル」
「……生命反応、停止しました。魂の移動した形跡も無し。……成功ですね」
血に塗れた右腕を抑えながら、倒れ伏したウィリアムを見下ろすアッシュの隣に、どうにかといった様子でシエルが立っていた。彼女は眼下で倒れるそれが、物言わぬ死体になった事を確認すると、弱弱しくも、確かに笑った。
「アッシュさん。成功ですよ。柱神の一体を、確かに討伐出来ました」
「ああ。けど……本当に上手く行くとはな」
『腕を斬らせたのが幸いしたな。『斬った』というのは真実である以上、『勝った』と思わせる誘導も効きやすくなったのだろうよ』
不意に、男の声が聞こえた。アッシュともウィリアムとも異なる、彼も知らない声だ。
「誰だ……? 一体何処に……」
『すぐ目の前にいる。目を凝らしてみろ』
言われた通りに前方の空間を見ると、ぼんやりと男の姿が、蜃気楼のように朧気に映った。細目をしたアッシュに、シエルが何処か可笑しそうに言う。
「アッシュさん。退魔の発動条件は、敵意のある魔族が近くにいること。そしてその方は、間違いなく最強の魔族。魔力差が大きすぎるが故に、この身体では『意識と身体の輪郭』だけしか召喚出来なかったもので……」
「最強の……魔族?」
まさかと思いながら、もう一度目の前の男を見た。分かりづらいが、髪はシエルと同じ銀色。不敵な笑みを浮かべる口元には――牙と言うほかない、鋭利な歯が見えた。
彼女が『召喚』出来る、最強の魔族。となれば、答えは一つだった。
「ディ……ディオスクロイ!?」
『察しが遅いぞ勇者。そこの愚妹が呼び出すとなれば、我を置いて他にあるまい』
そう、これこそが、『退魔』発動の絡繰り。シエルは倒れた振りをしてウィリアムのターゲットから外れると、ローブから取り出した魔法陣で、兄であるディオスクロイを召喚していた。
これは、アッシュ自身も聞いていない、完全なシエルのアドリブ。しかし、彼女の倒れる前の『眼』から、彼女に策があると信じたアッシュは、『シエルは死んだ』という誘導を掛け、ウィリアムの眼をシエルから逸らした。ディオスクロイ自身は見ての通り、ここでは目を凝らさなければ見えない程希薄な存在。退魔を発動したアッシュとの戦闘中に目を向けられる事は無かった。
「お前がディオスクロイか。……待てよ、『退魔』が発動するって事は、お前は俺を敵視してる訳だよな? だったら何故、シエルに力を貸すんだ?」
アッシュの疑問に、ディオスクロイは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
『貴様ら勇者には幾度となく煮え湯を呑まされてきたからな。おまけに幼少の頃より世話になった臣下まで殺られたとなれば……神の作為とはいえ、貴様への殺意を捨てる訳にはいかん』
目の前から、凄まじいまでの『圧』を感じた。まるで目の前に、本当に魔王がいるかのような強大な威圧感。しかし、それもすぐに霧散した。
『……とはいえ、シェラリーヌの眼は本物だ。奴らに踊らされるのも気に入らん以上、勇者と言えど必要ならば利用する他あるまい。業腹だが、我では奴らを殺せんからな』
心底不愉快そうな調子で、ディオスクロイは言う。
「しかし、お兄様。カイザ様は吸血鬼を扇動し、デーモン族への反抗を促していた証拠があります。何れあの方は、敵になる可能性が高かった。だから勇者抹殺という命を与えて、アッシュさんへの試金石としたのでは?」
『フン……シェラリーヌ、我とて奴と相容れんことは分かる。それと受けた恩は別の話だ』
「勇者抹殺……? そのカイザってのは、まさかアディンスト要塞で俺が戦った、あの魔族か?」
『そうだ。……勇者、奴は強かったか?』
ディオスクロイの問いに、アッシュは彼の事を思い出した。アディンスト要塞で交戦した、指揮官の魔族。アッシュは一度足元に視線を落としてから――真っ直ぐに言った。
「強かったよ。今まで戦った――どんな魔族より」
『……そうか』
ディオスクロイが、大きく息を吐いたように感じた。
彼の気配が、少しずつ薄くなっていく。元の場所に帰ろうとしていると悟ったアッシュは、少し大きな声を出した。
魔王ディオスクロイ。生涯相対する事などないと思っていた相手が、目の前にいる。ならばこそ、言わなければならない事があった。
「待て、ディオスクロイ。確認したい事がある」
『……何だ』
ディオスクロイに近付き、睨んだ。ぼんやりとしたシルエットが、腕を組んで見下ろしてくる。だが、今しがた死闘を終えたアッシュに、ただ居るだけの者の圧など通用しない。
「柱神の討伐に関しては、俺とシエルに一任するって事でいいんだよな」
「愚妹はおろか勇者の手すら借りるのは癪だが……勝手にしろ」
「そうか。だったら一つ約束しろ。俺とシエルで柱神全滅を成し遂げた暁には……人間用の魔晶石を作る為に全面的に協力すると」
暫しの沈黙が降りる。その間、二人は一歩も動かない。呆れ混じりに口を開いたのは、ディオスクロイだ。
「……魔晶石を生成しているヘパイストスは、偏屈で保守的だ。いくら我の言伝と言えど、素直に頷くとは限らんぞ」
「そうなったら俺を呼べ。幾らでも説得してやる。『認識誘導』付きでな」
アッシュの言葉に、ディオスクロイは明らかに楽し気な笑い声をあげた。
「フッ……良いだろう、覚えておいてやる。敗れてご破算にならんよう……精々気張れよ、勇者」
呵々と笑いながら、ディオスクロイの気配が薄れていく。元いた場所に帰還するのだろう。消え行く寸前、ディオスクロイは妹を見た。
「シェラリーヌ」
「はい?」
「……死ぬなよ。魔王の血族が聖教国で散るなど、末代までの恥だ」
妹への言葉を残して、ディオスクロイは帰って行った。魔王としての立場を考えれば当然の警句。
しかし、その真意は――
「アッシュさん。その……あまりお兄様と仲良くならないで下さいね。『退魔』の効果が薄れるかもしれませんから」
「そうなるように見えたか?」
「ええ。だって、似てるじゃないですか」
「……一ヶ所だけはな」
真眼を持つ妹と、兄――同族のアッシュにはバレバレだったのだが。
「まあ、何にしろ、まずは一人……いや、一柱だな」
アッシュの言葉に、シエルは大きく頷いた。
「はい。まだまだ先は長いですよ。これからも……力を貸して下さいね」
シエルの言葉に笑い返すと、アッシュはもう一度、ウィリアムの亡骸に向き合った。
「ウィリアム……最期に何を見たんだよ、お前は。そんな顔しやがって……」
アッシュの目に映る柱神の遺体。その顔は、何処か安らかだった。
殺した。確かに今、柱神を殺した。自分たちの理想郷を作り上げるため、人間と魔族の戦争を操り続けた存在を。最愛の妹を魔心症などという病にした元凶を。本来なら拳の一つでも掲げるべきなのかもしれないが、そんな気分にはなれなかった。
「友だと言ってたよな。……俺もそう思っていたよ」
だが、同時に友人だった。周囲から最弱と呼ばれ続けたアッシュの力をただ一人認め、信じ、親しくしてくれた。こいつからすれば、選んで買ったペットを可愛がるようなものだったのかもしれないが、確かにアッシュは、独りの勇者生活の中で、彼に救われていた。
「けど……最初に討ったのがお前で良かったよ。お陰で……覚悟が出来た」
柱神には、人間の振りをして潜んでいる者もいる。勇者として国家の上層の者に関わるアッシュの場合、知り合いがそうである可能性を捨てられなくなる。柱神でなくても、邪魔になるような使徒ならば、やはり殺さなくてはならないだろう。だからこそ、唯一と言っていい親友を斬る事は、いずれ超えなければならない壁だっただろう。それを最初にやったのだ。後はもう、迷わずに済む。
幻狼として――全ての神を殺す。
*
史上最高の騎士、ウィリアム・バルクホルツの殉職。
ギルベルトの比でない格を持つ彼の死は、光の速さでラーベンを駆け巡った。それと同時に、魔女に従う反逆者『幻狼』の名も市民全員の知るところとなった。というのも、周囲には幻狼との戦闘はウィリアムとアッシュが共闘した事となっており、彼ら両名を破ったという点で幻狼の評価が高くなっているのだ。これにより、アッシュの負傷についても誰も疑わず、療養に集中できる。仲間が倒されたとなれば、残った柱神たちも黙ってはいられない。シエルも大それた行動は出来ない点でも丁度いい。
そしてアッシュとしては、もう一つ都合の良いところがあった。
「では勇者様。また何かあれば、いつでもお申し付けください」
「ああ、すまないな」
看護師が部屋を去ったのを確認すると、アッシュはそっと部屋を出た。
城とは対照的な、大半が白の廊下。アッシュはそこから二つ隣の部屋に行くと、扉を素早く開け、部屋に飛び込んだ。「きゃっ」という少女の声に、アッシュは思わず頬を綻ばせる。
「あのねぇ……ノックぐらいしてよ」
「それはそれで看護師さんと紛らわしいって怒るだろ」
呆れ顔で本から顔を上げた、妹の姿があった。
アッシュが治療の為に入院したのは、リリアと同じ富裕層用の病院だった。勇者という立場や『王城とて安全ではない』という状況を利用し、ここでの療養を許可させたのだ。無論、リリアと面会することは許可されていないので、忍び込む事には変わりないものの、ほんの二部屋分バレずに移動することなど、時間さえ選べば朝飯前だ。
「それで、今日は大丈夫か?」
「もう大丈夫だよ」
「そうか……。本当、アイツには感謝しないとな」
「アイツって?」
「ああいや、こっちの話だ」
アッシュは丸椅子に腰掛けると、血色の良いリリアの顔を見て、もう一度表情を緩めた。
シエルによる一か八かの応急処置は、結果的に大成功だった。ほんの少量だろうと外に魔力を放出したことで、体内の魔力が安定したのだろう。これにより、魔晶石の技術で魔心症を治せるという彼女の仮説にも、大きな信ぴょう性が生まれた。これと薬の摂取を併用すれば、症状悪化の心配は殆ど無くなるだろう。
アッシュとは対照的に、リリアの顔は不安そうだ。
「私の事より、アッシュの方が心配だよ。そんな大怪我で毎日来てさ……」
アッシュの身体は今、包帯でぐるぐる巻きにされていた。特に最後の攻防で受けた右腕の傷は酷く、ギプスでガチガチに固めて医者から『決して動かすな』と釘を刺された始末だ。
「馬鹿言うな。妹の為だぞ? 足が千切れても会いに来るさ」
ハハハ、と笑って見せるアッシュの右肩を、リリアが軽く突いた。
「っづあぁ!!」
電撃のような刺激にビクリと大きく身体を震わせ、アッシュは悶えた。椅子から転げ落ちるような醜態は晒さなかったが、やせ我慢を見抜かれた事には変わりない。
「まだあんまり動かせないんでしょ」
「いやいや、だいぶ快復してきてるんだって。それこそもう少しで復帰して、また魔物を狩り倒す日々に戻れる」
「最弱だけどね」
「けど勇者だぞ。世界だって変えてやるさ」
リリアとアッシュは、互いを見合いながら笑いあった。
「まあ、良くなったみたいで良かったよ。じゃあ、また明日な」
「明日も来るの? 休んでなって」
「リリアだって寂しいだろ?」
「……バーカ」
そっぽを向いた妹を後目に、アッシュは部屋を出た。
外に出ると同時に、脳内に声が響く。
『契約召喚――要請受信』
「……承諾する」
何度目かの契約召喚による転移を承認すると、次の瞬間にはやはりあの地下室と、魔女の姿があった。
「六日ぶりです。お体の調子は如何ですか?」
「見えてんだろ? お元気もりもりだよ」
「そういう事にしておきましょう」
相変わらずといった調子で、本棚の前に座って微笑むシエル。この陰鬱な地下室に引きこもっているにも関わらず、まるで参った様子がない。魔力もすっかり全回復したようで、元気に訳の分からない魔法陣を描いている。眼鏡を着用し、真眼を封じていても、魔法陣の描く手に迷いは無い。
だが、彼女があの戦いで受けた傷は、決して浅くない。今の身体で受けた傷は多くないとしても、翼を斬り裂かれている。
「そっちはどうなんだよ。戦闘体で受けた傷とはいえ、その身体で影響なしって訳じゃないだろ?」
「魔族の自己再生能力は人間より強力です。翼の片方ぐらいなら、数か月で新しく生えてきます。ただ……ッ」
シエルが身体を震わせると、自身の左後ろへ視線をやった。本来なら翼のある位置だ。
「いわゆる幻肢痛のような痛みが、時折走ります。生活そのものには……支障ありませんが」
痛む時点で支障あるだろ、という言葉をアッシュは呑み込んだ。自分の方が重傷だからだ。
部屋に沈黙が降りる。シエルにしては珍しく、何かを言い淀んでいるようだった。呼ばれた意図が分からず、沈黙に身を任せるしかないアッシュ。
しかしやがて、彼女に言うべきことがあったと思い出したアッシュが、先に言葉を切り出した。
「シエル。そのままで聞いてくれ。……ありがとな」
「リリアさんの事ですか?」
「それだけじゃない。もっと色々だ」
リリアの魔心症、『正しいアッシュを見続ける』と言ってくれたこと。そして――封じ込めた過去のこと。礼を言うべき事など、幾らでもある。
一度染みついた『最弱の勇者』という風評は、認識誘導が解除されても、消えるまで時間は掛かるだろう。だが、そんな事は関係ない。
父を殺した記憶が蘇ったと同時に、もう一つ思い出した事がある。アッシュとリリアがここまで成長するまでに、沢山の優しい人達の助けがあった事を。柱神主導の魔族との争いが終われば、彼らにも平和を齎せることを。
だからアッシュは、戦う決意を固めた。『魔族を討つ』勇者ではなく、『人々を守る』勇者となって。その一環と言うと違うかもしれないが、アッシュはウィリアムが出資していたあの孤児院の出資を引き継いだ。とはいえ、子供たちが全員魔心症を発症したので、新規受け入れは停止中だが。代わりと言っては何だが、彼ら全員に症状を抑える霊薬を毎日与えられるようにした。勇者の収入は莫大だが、それでも結構ギリギリの金額だった。元々持て余していたので丁度いい使い道だが。
「お前が俺を見出してくれなかったら、魔族の事も、魔心症の事も、柱神の事も……何も真実を知らずに生きてた。お前が魔族とか魔王の妹とか、そんな事どうでもいいくらい……本気で感謝してるんだぜ」
直接口にする事の気恥ずかしさに、身体の奥から熱が込み上げてくる。そんなアッシュに、シエルは微笑みを返した。
「あら、どうでもいいという事はないのでは?」
「いいよ。魔族だろうと何だろうと、シエルには違いないだろ?」
「……いえ。そういう意味ではなくて」
シエルが、俄かに頬を紅潮させる。
「魔王の妹である私と、勇者であるアッシュさん。私達二人が柱神を討ち、争いを終わらせるというのが、大事だと思うんです。それに……」
シエルの目線は、アッシュから微妙に外れていた。言いづらい事を言うつもりか、とアッシュは口を引き結ぶ。やがてシエルは口元に手を当てつつ、消え入りそうな声で言った。
「私と貴方が婚姻でもすれば……それこそ、両者の和平の証として最適かと……政略ではなく、愛し合う事でなら……尚更……」
「成る程な。確かにそれは合理……て……」
シエルの言葉の意味を理解したアッシュは、相槌を中断し、彼女の顔を見た。生娘のような恥じらいを見せる彼女の様子に、アッシュは全身の血液を沸騰させ、身体の状態も忘れて椅子から跳び退いた。
「はあっ!?!?」
シエルの顔色から、冗談で言っているのではないのが分かる。つまりシエルは、本心からアッシュとの婚姻という選択肢を提案している。それも彼女にとって、『嫌ではない』という情報付きで。
アッシュ自身に、彼女をそのように『認識』した事はない。だがそもそも、アッシュはリリア以外の女性と交流した事そのものが殆どない。彼の人生には、女性関係という概念そのものが無いのだ。
そうして何も言い返せず慌てていると、途端にシエルが噴き出した。
「フフッ……アッシュさん。流石に冗談……冗談ですよ……フフフ」
心の底から面白そうに、シエルが笑う。そこでようやく自分が揶揄われたと理解したアッシュは、人生最大のため息を吐いた。
「そういう性質の悪い冗談はやめろ。真に受けるぞ」
「ウフフ……すみません。こういう冗談を言える方なんて、今までいませんでしたから……」
「……そう言われたら何も言えなくなるだろ」
やっぱりシエルは、俺にとって相性最悪だ。
アッシュは心の中でそう強く感じ、もう一度ため息を吐いた。
「さて、それより今後の方針について話し合いましょう。まずは柱神を見つけるところから考える必要がありますし」
「……ああ、それが当初の目的かよ」
「その通りです。ヴァネッサさんにも参加して貰います」
「分かってるって」
「うおっ、姐さんいつからいたんだ?」
「最初からいたぞ」
「マジかよ……」
ユースタリア皇国首都の地下で、勇者と魔女と呼ばれた女、そして魔王の妹。彼ら三人による、柱神殲滅計画。まだ最初の一歩を踏み出したばかりだが、人間と魔族の和平という可能性は、ここに確かに証明されていた。




