最高の騎士と最愛の少女
「……失礼します」
「うむ、ご苦労だった」
時同じくして、ユースタリア王城、皇帝の間。その扉を出た勇者は、扉が閉まったのを確認してからため息を吐いた。
「……っあ~~、疲れた~~……」
扉の両端に控えた騎士たちが眉を顰めるが、アシュナード――アッシュは気にも留めない。彼らは元々、アッシュを快く思っていない。下手にお行儀良くしたところで良い顔をしないのは同じだ。
煌びやかな装飾が施された王城内を、アッシュは辛気臭い表情で歩いて行く。絢爛豪華な調度品が、彼には嫌がらせのように思えた。
「言われた仕事はちゃんとしたのに、何でお小言言われにゃなんねぇんだ……」
気怠げに頭を掻きながら、アッシュは先程の皇帝とのやり取りを思い出す。 先日の要塞潜入及び上級魔族の討伐。そして何より、魔族の作戦を知らせ、その目論見を阻止したこと。それに対して、皇帝がアッシュに言った事を要約すれば、『どうしてお前が勇者に選ばれたか分からない』というものだった。アッシュ本人に言わせれば、そんな事はこっちが聞きたかった。
元々アッシュは、皇国北部に位置する農村の生まれだった。それが色々あって傭兵稼業を始めたのが、一年ほど前の話。突然右目に聖痕が現れ、次代勇者として王城と戦場で暮らすようになったのが、概ね半年前。ほんの一年前まで農民だった身で勇者がどうだと言われても、アッシュにはピンとこなかった。だからこそ、傭兵時代と同じように『認識誘導』の特性を活用しているのだが、それを気に入らない人間が多かった。
憂鬱な思いを抱えて歩き続け、一つの扉の前で立ち止まる。目の前にある扉の向こうは、自分――勇者用に割り当てられた、専用の居室。その先にあるフカフカベッドに倒れ込むべく、ドアノブに手を掛けると同時――後ろから肩を叩かれた。
「よう、ご活躍みたいだなアッシュ」
背後から聞こえた明るい男の声に、アッシュはすぐさま向き直った。
そこにいたのは、金髪碧眼の、絵に描いたような美青年。剣と盾の紋様が刻まれた純白の鎧を身に纏い、背中には彼の為に名うての鍛冶が鍛えた剣を背負っている。外見だけでも、アッシュより勇者らしいこの男の正体は、この国の騎士たちの頂点と言っていい男。
「おっと、バルクホルツ団長殿。こんな昼間に俺なんかの為に何のご用事でしょうか」
「おや、随分不機嫌じゃないか。だが前にも言ったぞ、俺のことはウィリアムと呼べ。それと敬語も要らん。オレたちは対等だろう? アッシュ」
ウィリアム・バルクホルツ。王城警護を主任務とする『第一騎士団』の長にして、『皇国史上最高』と名高い騎士。砕けた態度と太陽のような笑顔に、アッシュは抱えていた鬱屈が少し晴れるのを感じた。
「そうは言うけどな、ウィリアム。お前は良くても、他の騎士たちはそう思うか?」
「オレもお前も、力無き民を護る剣であり、盾だ。そこに違いなどありはしない。それに聞いたぞ。シュルツェン要塞の指揮官を討ち取ったらしいじゃないか。上級魔族の討伐など、オレたちでもかなり手間取るんだぞ。なのにお前は独りで、それも無傷で成し遂げた。……これが勇者らしくなくて、一体何が勇者らしいと言うんだ?」
アッシュの言を『心底理解出来ない』とばかりに語るウィリアムの顔を、近くを通った騎士が見た。同じ第一騎士団の団員である彼は、『何故団長は……』などとボソボソ呟きながら通り過ぎて行った。
「そういう問題じゃない。俺は『皇国史上最弱の勇者』で、お前は『皇国史上最高の騎士』。……自分で言うのもアレだが、格の違いってヤツだろ」
「それこそ馬鹿げた話だ。戦果は客観的かつ公平に『認識』し、評価するべきだろう」
あえて『認識』を強調したのは、アッシュの特性『認識誘導』の存在を知っているが故か。
彼だけが、アッシュの戦果を只管好意的に解釈していた。史上最高の騎士は、認知の正しさも史上最高なのか。そんなことを思いながら、アッシュは愛想笑いを浮かべた。
「それは違いねぇ。まぁ、俺は別に周りにどう言われようと興味ないしな」
「ああ、それがいい。陛下は勇者らしくないと言うが、そういうお前が、オレは好きだぞ」
「よせよ……。大人の男が、他人にすぐ好きとか言うなって」
「ハハハ。すまんな、昔から本音を隠すのだけは、どうも苦手なんだ」
「はいはい。じゃあ、俺はちょっと休むから。お仕事頑張ってくれ」
「ああ。ゆっくり休め」
右手を挙げたアッシュに、ウィリアムも快活な笑みと共に右手を挙げて返した。
アッシュは一つ息を吐くと、扉を開けて部屋に入った。目の前に広がるのは、未だに慣れない広く、煌びやかな部屋。代々の勇者が居室として用いてきたそこは、一部屋にも関わらず、アッシュの生家全体より広い。部屋の至る所に、一般市民が一生掛けて稼いだ額でも足りない価値の調度品やら、一流の職人が腕によりを掛けて作った家具やらが配置されている。その上、ひと声掛ければ使用人が飛んできて、食事や風呂などのあらゆる雑事をやってくれる。
考えつく限りの贅が当然のように許される。それが不満な訳では無い。勇者は魔族から人類を守る為、過酷な戦場を数えきれない程駆け抜ける。誰よりも困難な戦場で、誰より多くの血を浴びる以上、それ以外の場所で恵まれようと、異論を挟む者はいないだろう。
しかし、それはあくまで理屈の話。つい半年前まで、ウサギ小屋のような家に住み、傭兵として糧を得ていた彼に、この部屋は広すぎる。芸術品の価値など分からないし、タンスや椅子も、機能以上の何かを感じる事もない。唯一、ベッドだけは気に入っていたが。大人三人分はある広さに加え、海に浮かんでいるかのような寝心地。木の床に敷いた、紙のように薄い布団しか知らなかった身には、まさに天と地の差。
軽装の鎧を脱ぎ、鎧掛けに掛けると、手早く部屋着に着替える。そしてベッドに座ると、マットレスが尻を優しく受け止めた。
懐から手帳を取り出し、この後の予定を確認した。幸いにも、今日はフリーだった。とはいえ、突発的に魔族が何処かを襲撃する可能性もゼロではないが、何にせよ自由時間が生まれたのは確かだ。
昼寝でもしようか、と思った矢先――ノックの音が飛び込んできた。
誰かと思い開けると、しばしば世話になっている使用人の女性がいた。
「勇者様。先日申し込まれていた件ですが……」
「ああ、それか。……どうだった?」
女性は申し訳なさそうな顔をすると、恭しく頭を下げた。
「申し訳ございません。やはり許可出来ないと……お体に何かあれば大変ですから、と――」
「ああ、やっぱりそうか。仕方ない」
彼女が悪い訳ではない。頭を下げられた事への申し訳なさを感じながら、アッシュは手を振った。
「分かった、ご苦労さん。俺は昼寝でもするさ」
「あっ、はい。お休みなさい」
扉を閉めると、アッシュは一つ、小さくため息を吐いた。この半年間一度も許可など降りなかったので予想はしていたが、なかなか正規の方法では叶わないようだ。
ただ、『彼女』に会いたいだけなのに。
「……仕方ねぇ」
気は引けるが、やはり『いつもの手』で会いに行くしかない。今日は三の月の九日。『前回』から、丁度一ヶ月程経っている。向こうもそろそろ、自分の顔が恋しくなっている頃だろう。
アッシュはタンスの最下段から、自身を模した頭だけの人形をベッドに置き、布団を被せた。こうすると、遠目で見ればベッドで寝ているように見える。そして傭兵時代から愛用していたボロ切れのようなマントを着用し、窓から城を出た。
*
ラーベンの中心街。その大通りは常に多数の店舗と民衆でごった返しており、各々の生活を営む賑やかな声が絶えず響いていた。
「今朝揚がった新鮮なイワシだよ! 五匹で二百エラでどうだい、奥さん!」
「おうリチャード! オメエ最近ウチに来ねえじゃねえか! たまには呑んでいけよ!」
「勘弁してくれよ、お前の店で呑んだ後は決まってかあちゃんに怒られんだよ。『稼ぎの少ねえ癖に呑んだくれんじゃねえ』ってさ」
そうした人々の喧騒の中を、アッシュは顔も隠さず、すり抜けるように歩いていく。勇者が白昼堂々顔を晒して街を歩けば、普通は確実に騒ぎになる。しかし、ラーベンの人々は、誰一人としてアッシュの存在に気付いていない。彼の姿は認めても、彼らの目には単なる浮浪者にしか見えていない。他ならぬアッシュ自身が、そう『認識』するように仕向けているからだ。
『認識誘導』。アシュナード・アシュヴィンが保有する特性。その能力は、『自身の望んだ方向に他者の認識を誘導する』というもの。現在アッシュは『自分は勇者アシュナードではない只の浮浪者である』と人々が認識するよう誘導を掛けている。
この力を十全に発揮するには、相手がそう認識出来るような『材料』を与える必要がある。先の潜入作戦の場合、『コボルドの毛皮』という材料があったから、魔族は彼をコボルドの一体だと認識させられた。現在アッシュは、『勇者が一人で街に下りる事はない』という常識に加え、傭兵時代のボロのマントを身に纏うことで、『こんな男が勇者の訳がない』と思わせているのだ。故に街行く数多くの人々は、一人として人込みの中を突っ切る男が勇者なのだと、誰も知らないし、気付けない。故に遠慮なく、目的地までの最短距離を突っ切る事が出来るのだ。
そうして王城から大通りを通り、五分程歩いた。たどり着いたのは、富裕層の居住区。その中にある一つの、純白の館。豪邸揃いの居住区のなか、その館は一際大きく、目立つものだった。アッシュは忍び足で裏手に回り、二階の一室に目を向けると、囲いを足場にして、跳躍。縁に手を掛けると、片手で二度ノックしてから、慎重に靴を脱ぎ、窓を開けて入った。
部屋に入るやいなや、薬品の匂いが鼻腔をくすぐった。漂白したかのように真っ白な室内にある物は、花瓶が乗った小棚と薄いカーテン、その向こうにあるベッドだけ。
この白い屋敷の正体は、病院だ。それも、人・設備共に最高峰の。だがそれ故に莫大な入院費を必要とする。ここには、勇者となると同時に入院させた、彼の掛け替えのない人がいる。
アッシュが開けた窓から入った風が、カーテンを揺らした。そこから覗いたベッドの上では――一人の少女が本を読んでいた。
「ようリリア、調子良さそうだな」
その少女の外見は、丁度アッシュの性別と、髪と目の色を反転させたようなものだった。海のような青い髪と、対照的な夕日のような赤い瞳。ベッドの隣にある丸椅子に腰掛けると、ここ一年ほどで随分細くなった体の線がよく分かる。
リリア・アシュヴィン。幼い頃から一緒に様々な苦難を乗り越えて来た、まさしく『血を分けた』双子の妹。ベッドに溶け込むような白い入院着を身に着けた彼女は、本から顔を上げると呆れた目でアッシュを見た。
「えっ、また来たの?」
「またじゃないだろ。最後に来たのは先月だぞ」
「忍び込んでるんだから二回目以降はまたでしょ」
「文句は面会許可を出さない医者に言ってくれ。感染る訳ねえのに……」
アッシュは深い皺が刻まれた、主治医の顔を思い出した。会ったのは一度だけだが、面会許可を跳ね除けられる度に思い出している。
「仕方ないよ。未知の病気なんだから」
「魔心症……。分からん事が多いのは分かるけどな、もし感染するなら俺はとっくに倒れてるだろ。それぐらいは分かっててほしいもんだな」
「アンタはあたしに会えないから拗ねてるだけじゃん」
魔心症。それが、リリアの病気の名前だった。近年になって確認されたばかりの原因不明の難病で、感染者の鼓動の音に、悪魔の笑い声のような不気味な雑音が混ざるという特徴がある。そこから、『魔心症』と呼ばれるようになった。症状も呼吸困難や心臓発作など多岐に渡る。そのままなら遅くとも三か月で死に至る病だが、リリアはアッシュの看病とこの病院に入れたことで、発症から一年近く経つ今でも生存している。
「それにしても……アッシュが勇者か。あたしに腕相撲で負けまくってたアッシュがねえ……」
「俺が弱いんじゃねえ。お前がおかしいんだよ」
「勇者様って、正義感に溢れてみんなの希望にならなくちゃいけないんだよ? アッシュ、出来てる?」
「何言ってんだ、俺より勇者に相応しい人間が何処にいると思ってんだ」
悪戯っぽく笑うリリアの顔色は、心なしか先月より血色が良かった。少なくとも、病状が悪化している訳ではなさそうだ。それだけでアッシュは、心から笑いが込み上げてくる。
「いやまあ、調子よさそうで良かったよ。……じゃあ、城に戻るよ」
「もういいの?」
「顔が見られたから、それでいいさ。じゃあ、また来月ぐらいには来るよ」
「いやだから……もういいや、言っても聞かないし」
「嫌なら次は面会許可が下りるよう祈ってくれ」
わざとらしい程大きなため息を吐くリリアを、アッシュは一笑する。会いに来ない、という選択肢など最初から彼にはない。




