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決着

「……何?」

 突然、ウィリアムの前にいたアッシュが姿を消した。

 同時に、右脇腹に灼けるような激痛が走った。痛みの方向に目線を向けると、そこには返り血を浴びて獰猛に笑うアッシュの姿があった。

 しかし、その姿もまた一瞬のうちに消える。ウィリアムは五感を研ぎ澄まし、アッシュを探した。ふと、左後ろから音が聞こえた。

「そこかっ!」

 音の発信源に向けて、身体を回転させながら横薙ぎの一閃を放った。その一撃が斬ったのは――虚空だった。

「外れだ」

 嘲笑うようなアッシュの声と共に、今度は右肩から鮮血が噴き出す。音がした場所の足元には、彼の短剣。その刃の部分だけが落ちていた。

 この音を今、自分はアッシュの音と『認識』した。その事実に、ようやくウィリアムは、自分の置かれた状況を理解した。

 『認識誘導』の効力が、向上している。つい先程までとは比較にならない程に。そしてその理由は――今自身の肩を抉った男の身体が示していた。

「何故だ……」

 ウィリアムの眼は、確かに真実を伝えている。だが、信じられなかった。その現象が今起こり得ないものだと、柱神たる彼はよく知っていた。

「何故……『退魔』が発動している……?」

 アシュナード・アシュヴィンの右眼には、聖痕がハッキリと浮かんでいた。そしてそこから発せられる、天装と同じ色の光。紛れもなくアッシュは今、勇者としての力を行使していた。

 しかし、この場にいたのはアッシュとウィリアム、そしてシエル。人類に敵対的な魔族などいない。ましてシエルは、倒れて動かないままだ。退魔が発動する条件は満たされていない。

「さあ? 俺もよく分からん。けど……」

 愕然とするウィリアムに、アッシュが自分の頭を指でコツコツと叩いた。

「もしかしたら……『俺の中にいる』初代勇者様が、何かしてくれたのかもな」

「エルヴィンが……?」

「初代勇者は、人々を守る為に魔族と戦った。だから敵対する魔族に反応するよう、お前たちから与えられた天装を『退魔』に作り直した。けど……何であいつはわざわざ魔族全体じゃなくて、『敵対』する魔族、なんて条件にしたんだろうな?」

 勇者は聖痕を引き継ぐと同時に、初代勇者の人格と記憶を脳に植えつけられる。大半の勇者はそれにより、彼に肉体の支配権を乗っ取られるのだが、アッシュの場合は一切乗っ取られた様子が無かった。これについては、そもそもアッシュの持つ聖剣は偽物であり、人格と記憶の転送が出来ていないからなのだが、ウィリアムはそれを知らない。そして、曲がりなりにも勇者に選ぶ程彼を気に入っていたウィリアムは、その理由を確認していないからだ。

 つまり、彼がどんな法螺を吹こうと――強化された認識誘導の前では、鵜呑みにするしかない。となれば、アッシュがそれを理解していない訳がない。

「もしかしたら、初代勇者は分かってたんだろうな。自分が倒すべき敵は、魔族という種族じゃないって。となれば、本当の世界の敵がお前達だと『認識』すれば――」

 再びアッシュの姿が消える。ウィリアムは転移で前方十mモルト先まで飛んだが、アッシュは真横に張り付いていた。

 それからウィリアムは、ただ翻弄されるだけだった。身体能力が極限まで上がっているため、短剣の刺突一つで鎧を簡単に貫かれる。限界まで研ぎ澄まされた技術に、強力な催眠の領域に踏み込んだ『認識誘導』の特性スキルが合わさり、蜃気楼と戦っているように、アッシュの姿が掴めない。

 七百年掛けて積み上げた技術が、何一つ通用しない。

「いや……そんな事は……!」

 緩みかけた両手の握力を再び強める。相変わらずアッシュの位置すら掴めないが、まだ剣を振るうことは出来る。アッシュは以前の攻防で大きなダメージを負っている。『退魔』の効果はあくまで強化に過ぎず、傷の治癒等が為される訳ではない。すなわち、アッシュには高速移動にしろ繊細な技にしろ、多発出来るような体力は残っていないのだ。即ち、攻勢を耐え切れば、攻めに回れる。元々軽装のアッシュなら、直撃させれば確実に葬れる。焦って下手に動けば、それこそ隙を突かれる。

 かつて、同じように柱神の存在を嗅ぎ付け、神殺しを敢行しようとした集団があった。それが『忘却者オブリビオン』。不死の魔法があった為に事なきを得たが、一度完全に不意を打たれ、殺されてしまった者がいた。それ以来、柱神は暗殺に対し事前に嗅ぎ付ける為の技術を全員で習得した。戦闘ではなく、暗殺の防止と考えるのだ。

 そう思った矢先――アッシュがウィリアムの正面、およそ二十mモルト先の場所で立ち止まった。彼の様子を確認したウィリアムは、自分の想像通りの現実に安堵する。

 左肩からの流血が、収まっていない。やはりあれだけの深手は、アッシュから大きく体力を奪っていたのだ。最早動き回って幻惑することも出来ないらしい。

 やれる。ウィリアムはそう踏んだ。確かに今のアッシュは柱神に届く力があるものの、言ってしまえば十八歳の若者だ。経験を基に、正面から打ち合えば勝てない相手ではない。

 とはいえ、こちらも軽くない傷を負っている。もう一度幻惑させられれば、今度こそ首を取られる。

「傷ついた身体に退魔はキツイな……もう、これしかねえ」

「……それは?」

「決まってるだろう? 速さ比べだ」

「……本気か?」

「この期に及んで冗談言えるかよ」

 苦笑するアッシュの意図が読めず、眉を顰めるウィリアム。しかし、これまでの付き合いで得た感覚は、彼が嘘を言っていないと言っている。だが、彼には強化された『認識誘導』がある。

「来ないなら……俺から行くぞ」

 アッシュはそう言うと、一歩ずつウィリアムに歩み寄り始めた。

 ウィリアムの『転移』があれば、アッシュに悟られず、即座に間合いに入れる。しかし、転移の存在を知っているアッシュは、まさにその瞬間を狙ってカウンターを仕掛けようとしている可能性もある。その場合、下手な転移は却って隙になる。しかし、アッシュがこうして歩み寄って来るなら、遅かれ早かれ速さ比べになる。退魔によって強化されたアッシュ相手に、スピード勝負は分が悪い。

 転移してもしなくても、先に斬られるのはウィリアムだ。アッシュもそれが分かっているから、こういった形で揺さぶりを掛けているのだろう。

(見事だ、アッシュ。けど……最後の最後で正面から戦おうっていうのは……正直者が過ぎるぞ)

 ウィリアムはにじり寄るアッシュに対して――背を向けた。背後でアッシュが息を呑んだ気がした。警戒したか、同時に足音も止む。それを探知したウィリアムは、アッシュの背後に転移した。

 転移したウィリアムの視界には、赤い髪の背中がある。間合いも完璧だ。これならウィリアムは斬りかかるだけだが、アッシュは刃を飛ばすにせよ、どの道振り向く必要がある。それはほんの一瞬だろうが、その一瞬さえあればウィリアムはその背中を真っ二つに引き裂くことが出来る。

 振り向いた青い目がウィリアムを捉えた時には、既にデュランダルは振り下ろされていた。


 *


 一瞬、意識が飛んでいた気がした。極度の緊張状態で張り詰めた糸が、決着と同時に切れたからだろうか。

「決着……そうだな。アッシュ……」

 切っ先から鮮血が滴る愛剣を鞘に納めると、眼下の死体を真っ直ぐ見つめた。

「俺の勝ちだ」

 苦しい戦いだった。あと一つでもボタンが掛け違えていれば、斬られていたのはこちらだっただろう。『認識誘導』を掛けられた状態で殺されれば、彼の言う通り『死んだ事に気付かないまま』死んでいたかもしれない。強力な特性スキルだとは思っていたが、柱神の不死魔法の穴を突ける、危険極まりない特性スキルだった。だからこそ、味方につければ頼もしいし、敵に回せばあまりにも危険だ。

「アッシュ……お前への気持ちに嘘はない。お前という友を殺した罰は受ける。選んだ勇者が反逆者になったとなれば、どの道俺は罰されるからな」

 アッシュを勇者に選んだのは自分だ。ならばその咎は当然、自分にある。ウィリアムは死体となった友の前に膝を着き、人形のようになった手を握った。

「だが……決して無駄にはしない。あの神秘の時代を再興した暁には、お前達人類も、おれたちと同じになれる。その為の礎として……俺と共にあってくれ」

 ウィリアムは目を閉じ、友の冥福を祈った。神に仇名した彼が天で安らぎを得られるとは考えにくいが、それでもせめて、一片だけでも救いがあって欲しい。

 『薄れゆく意識の中で』、ウィリアムは確かに、そう願っていた。


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