アシュナード動く
城に帰った後も、アッシュの頭の中は、孤児院の光景一色だった。
魔心症。妹の体を今なお蝕み続ける病魔が、孤児院の子たちにも牙を剥いた。全員に、だ。
一般的に魔心症は、感染経路が一切不明なため、ある意味で災害のようなものだと認識されている。しかし、アッシュは知っている。魔心症は、柱神が自分たちの僕を増やす為にばら撒いた、人災ならぬ『神災』だと。
結局、アッシュにはどうすることも出来ず、ただ持ち込んだ卵を保存が利くよう調理して、薬代わりに渡すことしか出来なかった。
そもそも、アッシュは孤児院からすれば、第三者でしかない。このような事態への対処を決めるのはアッシュではなく院長、或いは出資者であるウィリアムのどちらかだ。アッシュは戻ってまず、ウィリアムに話を伝えようとしたが、現在多忙を極める彼には、会う事すら出来なかった。
魔心症という病気に、アッシュはリリアの事を重ねざるを得なかった。苦しむ彼らの姿は、アッシュがかつて見てきたリリアの姿を想起させる。今も彼らが苦しんでいることを想像すると、アッシュはリリアが心配でならなくなってきた。
だが、アッシュの脚は今、高所からの飛び降りなど到底叶わない状態だ。アッシュはただ、使用人に『ウィリアムに少しでも暇が出来たら部屋に呼んでくれ』と伝えるので精いっぱいだった。
ベッドで横になっても眠れなかったアッシュは、王城の書庫へと足を運んだ。特に勉強好きでもない彼がここに来たのは初めてだが、それ以外にやる事もない。
適当に皇国史書を読んでいく。使徒や柱神についての手掛かりが無いか探ってみるが、やはりというべきか、これと言った情報はない。そもそも皇国史自体、勇者になった折に飽きる程勉強させられた。近くに文字が読める大人がいたお陰で、農村生まれながらアッシュは文字の読み書きが出来た。それが出来なければ、勉強はより大変なものになっていただろう。
とはいえ、それが『誰』だったのか、アッシュは思い出せないのだが。
「……余計な事は考えるな」
アッシュは頭を振り、不要な思考を追い出した。
書庫から何冊かの歴史書を持ちだし、部屋で読んでいく。僅かな可能性に縋るように没頭していると、気が付けば時計は、深夜の四時を指していた。
いつの間にか随分時間が経っていた事に気付いたアッシュが伸びをすると、不意に部屋が戸を強く叩かれた
「……誰だ?」
叩き起こすようなノックの音から、急ぎの用らしいことは分かった。
扉を開けると、そこには王城唯一の友人にして、まさに会いたかった人物がいた。
「アッシュ……!」
ウィリアム・バルクホルツ。最後に会ったのは十日ほど前。かなり多忙だったようだが、存外に顔色が良く、元気そうだった。
だが、その表情は決して明るくない。彼にしては珍しく、焦りを含んだ顔だ。その表情をする理由は、すぐに思い当たった。
「ウィリアム! 聞いたのか、孤児院の子達の――」
「孤児院? 何の話だ?」
ウィリアムが目を見開く。アッシュも恐らく、似たような顔をしていただろう。
「お前に連れていかれた孤児院の子供たちが魔心症に罹った話じゃないのか?」
「何だと……?」
ウィリアムの碧眼が揺らぐ。だが、目を閉じ一度深呼吸して、すぐに動揺を押さえつけた。
「分かった。そっちは俺が何とかする。だが……今しなきゃいけない話は、それじゃない」
ウィリアムが神妙な顔でアッシュの両肩を掴んだ。
「いいか、アッシュ……落ち着いて聞いてくれ。絶対に取り乱すなよ……」
ウィリアムは慎重に、言葉を選ぶように言った。
「お前の妹さんの容態が急変した。このままじゃ、数日と持たないらしい……」
アッシュにとって、最悪中の最悪の報告だった。ウィリアムが言い出すのを躊躇したのも当然だ。彼の中では、アッシュが慌てて部屋から飛び出しでもすると思っていたのかもしれない。しかし、現実のアッシュは一歩も動かなかった。孤児院の一件で既に心が大きく揺れていたのに、リリアの危篤まで聞かされたアッシュは、あまりの衝撃に、却って頭が冷えていた。
思いのほか冷静なアッシュにウィリアムはホッとしたらしく、去り際に微笑みを浮かべた。
「妹さんには、皇国最高の設備と医師が付いてる。きっと大丈夫さ……」
「そうだな……」
ウィリアムが扉を閉めた瞬間、アッシュはすぐに引き出しからボロ布のようなマントを取り出した。それを身に着けて小さく扉を開け、誰もいないのを確認してから外に出た。
アッシュは冷静だった。同時に、このまま待つだけでいるつもりもなかった。この事について、話しがしたい人がいるからだ。
アッシュは王城を出ると、離れとなっている倉庫に侵入した。倉庫の中は暗かったが、問題ない。懐から、『魔法陣』を取り出した。
「元素魔法――『灯』」
魔法陣から提灯程度の小さな火が出現し、宙に浮かんだ。アッシュとて、この程度の簡易な魔法なら扱える。
灯を追従させ、灯りとしながら、目当ての物を探した。
「よし、これだ」
アッシュが手に取ったのは、一房の薬草。『ファリーナ草』というこれは、主に鎮咳薬に使われる薬草だ。しかし、この薬草にはもう一つ、有益な使い道がある。
アッシュは灯にファリーナ草を近づけると、焦げない程度に表面を炙った。そして、左足の包帯を外し、そこに薬草を巻き付けた。あまり知られていないが、ファリーナ草は軽く炙って巻き付けると、強力な鎮痛作用を発揮する。傭兵時代の知恵だ。
グッと固く結ぶと、アッシュは灯を消して窓から外に出る。『認識誘導』と共に闇に紛れ、ラーベンの街を駆け抜けた。日が昇る前に、王城へ帰らなくてはならない。
アッシュが向かったのは、グレイスの娼館だった。深夜にあっても、娼館から漏れる明かりは消えていない。
「あら、アッシュちゃん」
「シエルはいるか?」
グレイスの姿を認めるやいなや、即座に彼女の行方を問う。
アッシュの周囲で、俄かに牙を剥き始めた魔心症。シエルなら何かしら掴んでいる筈だ。
グレイスの顔が、商売人から協力者の顔へと切り替わる。アッシュの様子から、遊びに来たのではないとすぐに分かったらしい。
「今日は非番よ。彼女に会いに行くなら……どうぞ」
「助かる」
グレイスから魔法陣を受け取ると、急いでシャーリー=シエルの部屋へ入った。主人不在の部屋のなか、幾何学的模様のタペストリーをめくり、魔法陣を張り付ける。そして、『灯』使用時と同じ感覚で魔力を注ぐと、壁が開いて通路が出現した。
現状、アッシュからシエルに連絡する方法は、非常に限られている。下手にコンタクトを取れば、シエルに関する事柄が発覚してしまう恐れがあるからだ。
しかし、万が一、可能な限り早くシエルと会う必要が生じた場合は、グレイスの娼館から隠れ家に行けるようにしていた。シエルも、使徒殺害に乗じて柱神側が動く事を想定していたのだろう。
アッシュは急ぎ足で通路を駆け抜け、隠れ家に足を踏み入れる。思えば、このルートでここに来たのは、最初の一度以来だ。
「シエル!」
部屋に勢いよく踏み込んだアッシュだが、返事は返ってこなかった。それどころか、部屋には誰もいなかった。
「……何処行ったんだ?」
若干の苛立ちを覚えながらも、壁一面の本棚に目をやった。
あらゆる資料がぎっしりと並べられたそこから、目当てのものを探していく。彼女に見せられた時、どのあたりから取り出していたかを思い出しながら。
「……見つけた」
二分程探すと、目的の資料二つを見つけた。一つ目は、『魔心症の拡散状況と覚醒者の現況について』。もう一つは、使徒候補のプロフィールを纏めたファイル。
アッシュがやろうとしていたのは、魔心症を拡大させた犯人を突き止め、殺すこと。彼は、孤児院の先生が言っていた事が引っかかっていた。
『感染症の予防接種もちゃんと受けて……』
アッシュの記憶が正しければ、魔心症の感染方法に、『注射』というのがあった。資料内では実験段階と称されていたが、使徒が攻撃対象となったことで、新たな使徒を増やすべく実行に移したとすれば。子供たちが受けたのが、予防接種ではなくそれだったとしたら。
自身の推測が正しいことを確認するべく、資料を開こうとした。その時――
「何やってんだ、アッシュ」
左手の扉の開く音と共に、気怠そうな女性の声が問いかける。声の主は、振り返るまでもなく分かった。
「ヴァネッサ姐さん。シエルと話しに来たんですけど、いないみたいなんで……」
答えながらも、アッシュは手を休めない。
「シエルなら、あっちの部屋で寝てる。あの娘、特性のせいで疲れやすくてさ。一度寝ると、基本的に起きないから」
「そうですか……」
一度シエルを起こしに行こうかと思ったアッシュだが、そうすることなくプロフィール帳を開いた。魔心症について、記憶通りの記述を見つけたのだ。後は、『注射』を実行した者に当たりをつけるだけだ。
そんなアッシュの様子に、ヴァネッサは相変わらず怠そうにため息を吐いた。
「シエルと話すんじゃなかったか?」
「いえ、もういいです。俺がやるんで……」
流し目でプロフィール帳をめくるアッシュ。不意に、ファイルの上に幼児のような小さな手が重ねられた。視線を遮られたアッシュは、苛立ち交じりに顔を上げ、手の主を睨みつける。
「姐さん……邪魔しないでもらえますか?」
「んな怖い顔すんなよ。とりあえず、何があって、何する気かぐらい言え」
ヴァネッサの炎のような瞳は、ただ真っ直ぐにアッシュを見ていた。ただそれだけなのに、蛇に睨まれたような威圧感を覚えた。しかし、その程度で今のアッシュは揺らがない。
「……妹の容態が悪くなって、顔を知ってる何人もの子供が魔心症になったんです」
「元凶を殺しに行くつもりか」
「一刻も早く柱神を見つけて殺さないといけないんです」
「闇雲にやっても死ぬだけだぞ」
「俺がどうなろうと、のんびりしてたら妹が死ぬんです」
「アンタだけじゃない。アタシとシエルもだ」
ヴァネッサの言葉に、アッシュは一瞬押し黙った。彼女の言う事は紛れもない正論だ。
だが、正論でリリアは救えない。アッシュは『認識誘導』を発動し、ヴァネッサの説得を試みる。しかし――その前に、彼女は重ねていた手をファイルから外し、仕事場と思しき部屋へ戻って行った。
「何だ……? いや、今のうちに……」
ヴァネッサの意図はよく分からないが、気にしている余裕はない。アッシュは急いでファイルをめくっていった。そうして、ようやく一人の人物に当たりがついた。
ポール・ニコルソン。『皇国魔術研究機関』所属の研究者だ。研究内容が伏字となっている彼は、十中八九柱神と関係している。研究機関の職員なら、住居は宿舎だろう。それなら場所も知っている。
「……よし」
アッシュはファイルを机に置くと、懐に短剣を入れているのを確認し、立ち上がった。
すると、開きっぱなしの左の扉から、ヴァネッサが出て来た。その手には、ローブと忘却者の短剣の柄を抱えていた。
「姐さん……?」
「アタシはあの娘に恩がある。だからあの娘の意に沿わないことはしたくない。けど……」
ヴァネッサはアッシュに装備を渡した。彼女の顔には、迷いが見える。
「家族の為に危険を冒すアンタの気持ちも……分からなくもない。実際シエルはまだ、柱神本人を確認してないし、アンタが動けば、何か分かるかもしれない」
「……ありがとう、姐さん」
装備を着用しようとした時――ギルベルト襲撃時には無かったものが二つあるのが確認出来た。
一つは、ベルトで結ばれた二つの箱。箱にはそれぞれ四つの細長い穴が開いていて、そこから銀色のものが覗いている。
「そいつは忘却者の短剣の鞘だ。刃を飛ばした後も、予備の刃を即座に装填出来る」
説明を聞いたアッシュは、柄を穴の一つに突き立て、柄に刃をセットした。カチッという小気味いい音と手ごたえが返って来る。
ヴァネッサはもう一つ、アッシュが知らない道具を手渡した。何やら歪な形状の白い鉄球だ。見た目だけでは、その機能は想像がつかない。
「もう一つのこれは、秘密兵器だな。使わないに越した事はないモノさ。敵に見つかって本気でヤバい時に投げつけろ。そうすれば、アンタなら生き残れる」
「分かった、一応持っておくよ」
ローブの内ポケットに鉄球をしまう。身を翻し、隠れ家を出ようとするアッシュに、ヴァネッサは懇願するように言った。
「死ぬんじゃないよ、アッシュ。アンタが死ねば……シエルの『希望』は潰えちまう」
アッシュはその言葉に、何も返せなかった。
隠れ家を出たアッシュは、小さく呟いた。
「希望、ねぇ……」
自分が死ねば柱神殲滅の相棒がいなくなるからそうだろう。そう思った。
それだけの意味でない事は、考える余裕もなかった。




