不穏の入り口
第六騎士団副団長、ギルベルト・オースティンの死亡。そのニュースは瞬く間に首都全域に広がり、更なる波紋を呼んだ。先の作戦に従事した団員の証言から、偽眼の魔女に従う異様の男『幻狼』の名もまた、大衆の知るところとなった。
しかし、騎士団の面目を保つ為か、『偽眼の魔女に騙された結果』という、ギルベルトの死に繋がる直接的な部分は伏せられて発信されていた。結果、民衆の間では偽眼の魔女の正体に関するあらゆる憶測が飛び交った。それが、彼女の正体を一層ぼやけさせる煙となっている事など、誰も考えもしなかった。
とはいえ、そのような人間側の事情を、魔族が汲んでくれる筈もない。相変わらず魔族との戦闘は続き、アッシュもまた、勇者としての職務を全うせずにはいられなかった。
ギルベルトの死から三日が経った頃、第三騎士団は遂に、魔族に対する大規模な攻撃作戦に出た。かつて先代勇者の命と共に失くした、対魔族の要衝の一つ、アディンスト要塞。そこを奪還するため、第三騎士団の総力が挙げられた。
四日間、絶え間なく戦いが続けられ、アッシュも数え切れない程の魔族を剣の錆としてきた。ヴァネッサが打った偽聖剣は、これ程の激戦を経てもなお、切れ味が鈍らなかった。
人類は確実に要塞の戦力を削ぎ落し、遂にアッシュは、要塞指揮官となる魔族と相対した。
「貴様が、現在の勇者か」
指揮官の魔族は、口からはみ出る巨大な二本の牙を持つ、妙齢の男だった。男はアッシュの襲来に動じることなく、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「影に隠れてここまで来たのだろうが、私の眼を誤魔化せると思うな。格の違いを思い知らせてやる」
男は右手に握った魔晶石を左胸――心臓の位置に接触させた。すると、その体が徐々に巨大化し、肌も暗闇のような漆黒に染まっていく。ただでさえ長かった牙は更に長大となり、紅蓮の両目が大きく開かれる。
これが、魔晶石を使用した魔族――俗に『戦闘態』と呼ばれている姿だ。
「私は先代の頃より魔王様に仕えし、誇り高き吸血鬼。ディオスクロイ様より賜りし『勇者抹殺』の命……今こそ果たさん」
「勇者抹殺? という事は……最初から攻められる事は予定通りだったか?」
「今更気付いたとて遅い! 死ねぇ!!」
アッシュは振り下ろされた腕を間一髪で避けた。そして、額から一筋の冷や汗が流れる。
回避こそ間に合ったものの、先の一撃の速さと威力は、脅威以外の何物でもなかった。魔王に仕え、直接勇者抹殺の指令を受けたのも納得出来る。今まで倒して来た魔族の誰よりも強力な相手だ。
剣を握る手に力が加わる。と同時に、『退魔』の力が今までにない程高まっている事に気が付いた。
『退魔』の効果は、敵対する魔族の強力さに比例して向上する。
「だがその程度じゃあ……死んでやれねえな」
アッシュは敢えて挑発的な笑みを浮かべ、魔族に斬りかかった。
*
最終的に皇国は、アディンスト要塞の奪還に成功した。
アッシュが要塞指揮官を死闘の末に打ち倒すと、指揮系統が瓦解した魔族の軍は、勢いづいた騎士団に一網打尽にされた。
画して作戦を終え、一週間ぶりに王城へ帰還したアッシュ。流石に今回ばかりは皇帝からも小言は無く、純粋に戦果を讃えて貰えた。そうして久しぶりに戻った自室で、アッシュはベッドに倒れこんでいた。
「……あの指揮官、マジで強かったな……」
アッシュは身体を起こすと、包帯が巻かれた左脚を見た。もう少し戦闘が長引いていれば、こんなものでは済まなかっただろう。
アッシュは左足に傷を負う事と引き換えに『認識誘導』で隙を作り、懐に忍ばせていた短剣で首を刎ねた。ウィリアムに返しそびれていたこれが無ければ、危険な相手だった。
脚の傷も歩行には問題ない程度で済んだ。尤も、走ったり跳ねたりすれば痛むし、戦闘など以ての外だが。
しかし、今回の勝利で魔族もかなりの痛手を受けたらしく、北部の戦線でも魔族が大人しくなったらしい。第三騎士団も相応の被害は受けたが。つまり、怪我が治るまでの間ぐらいは、魔族が攻めて来る可能性は低い、という事だ。
それを考えたアッシュは、外出申請を出した。結果、『目的地まで馬車で移送し、用が終わればすぐ城に戻る』という条件付きで、許可が降りた。その際、アッシュは使用人に二つ、頼み事をした。一つは、行先への来訪の報せを送る事。
もう一つは、指定した人数分の玩具を用意し、費用はアッシュの給与から払うこと。
*
馬車から降りたアッシュは紙袋を両手に、門をくぐった。
以前ウィリアムと共に訪れた、彼が出資する孤児院だ。二週間前に初めて来たときは、生意気な子供たちに散々に遊ばれたが、何だかんだ懐かれはしたので、近いうちに来ようと思っていたのだ。
アッシュは時間通り、午前十時に来た。子供たちの喜ぶ顔。そして自分に対して尊敬の眼差しを向ける未来を想像し、頬を緩ませた。そして、孤児院の扉に手を掛けようとした時――不意に、勢いよく扉が内から開けられた。
「勇者さま!! 入ってはいけません!!」
中から金切り声に近い声と、切羽詰まった表情の女性が出て来た。
彼女は、この孤児院の先生だ。前回来た時は子供たちを静かに見守っていたため、あまりアッシュとは言葉を交わさなかったが。
大人しい印象だった彼女が叫んだ事に、アッシュは少しばかり面食らった。だがそれ以上に、彼女の緊迫した顔が不可解だった。
「……どうした、先生。今日行くって、連絡はしてた筈だが――」
「だから駄目です!! もし勇者様の御身に何かあれば……」
「……何かあったのか?」
先生の様子は、誰が見ても尋常ではない。孤児院の中で、アッシュの身が危険かもしれない程の何かが起こっている。それを察して大人しく引き下がる程、アシュナード・アシュヴィンは聞き訳の良い男ではなかった。
「……分かったよ、先生。とりあえず、これだけでも『受け取ってくれるか』?」
『認識誘導』を使い、先生に両手の紙袋を持たせる。そうして彼女の両手がふさがったのを確認すると、アッシュは早歩きで孤児院に入っていった。
「勇者様!!」
気付いた先生が大声を上げるが、振り返らない。走るのはともかく、早歩きなら足は痛まない。土足で廊下を真っ直ぐ進み、子供たちが集まるであろうリビングルームの戸を開いた。
そこに広がっていたのは――うめき声の大合唱と苦しむ子供たちという、地獄のような光景だった。
異様だったのは、その苦しみ方が各々異なっているという点だ。ある子供は激しく咳き込み、またある子供はお腹を押えてうずくまっている。更にまた別の子供は、全身の皮膚が真っ赤に腫れ、息をするのも苦労していた。
「これって……」
「駄目です、勇者様!!」
先生が後ろから、アッシュを強く引っ張った。その程度でアッシュは動かないが、『子供たちに近付かせない』という彼女の意志は確かだ。
「先生……何があったんだ?」
アッシュの問いかけに、先生は首を激しく横に振りながら、涙を流した。
「分かりません……今朝、突然皆がこうなってて……症状もみんなバラバラで、一体子供たちに何が起こったのか……私には何も……」
先生は膝から崩れ落ち、床に水たまりを作り始める。突然孤児院を襲った惨劇に、完全に打ちのめされているようだ。
「前日までに何か、体調が悪い子がいたり、そういった事も?」
「二日前の健康診断でも……皆元気で……感染症の予防接種もちゃんと受けて……本当に何もなかったんです……なのに……」
アッシュは再び、部屋の中を見渡した。一番奥に、布団を被った蒼色の髪が見えた。
「サラ!」
アッシュはその娘――サラ・バークレーに近付いた。以前迷子になり、アッシュが孤児院まで案内した娘だ。ここで最年長の彼女もまた、この異変の例外ではないらしい。
「サラ、俺だ。アシュナード、勇者だ」
アッシュの声を聴いたサラは、ゆっくりと布団から目だけを出した。
「……勇者さま?」
彼女の瞳からは、幾分か光が失われていた。それが彼女らを蝕む病理の深刻さを物語っているようだった。
「勇者さま……寒い。でも、風邪引いた時とは全然違って……。それに、なんだか心臓も痛くて……」
「心臓……?」
サラの言葉に、アッシュの中で最悪の予感が膨れ上がった。しかし、今の子供たちの状況は、アッシュにとって覚えのあるものだった。
バラバラに発生する多種多様な症状。前日まで元気だった者が、唐突に発症した事。そして――『心臓』の痛み。
「……悪い、サラ」
アッシュは一言詫びを入れてから、サラの上半身を布団から出し、左胸に耳を当てた。
外れていてくれ。そう祈りながら、心臓の音を聞いた。
サラの心臓からは、弱弱しくも、確かに鼓動が聞こえた。だが同時に――クヒッ、クヒッ、という奇妙な雑音があった。まるで悪魔の笑い声のような、特有の音。
「……クソッ!!」
命を嘲笑うかのようなその音を認めた瞬間、アッシュは床に拳を打ち付けた。
最悪の予感が的中し、砕けんばかりに歯を食い縛った。同時に沸き起こる、怒り。
「勇者さま……?」
アッシュの様子に、サラと先生が心配するように声を掛ける。
アッシュは全身を焦がす憤怒を堪えながら、絞り出すように言った。
「……魔心症だ」




