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人間と魔族

「ここにはまだ、騎士たちはいらっしゃらないようですね。……あそこです、アッシュさん」

「おいおい、ここか?」

 シエルがアッシュを連れて来たのは、ギルベルトとの決戦の場からすぐ近くにある紫色の館。そこがどういう場所なのかを察したアッシュは、引きつった顔でシエルを見た。

「抵抗がおありですか? ……入った事はないのですね」

「見るんじゃねえ。というかある訳ないだろ。傭兵時代なら、稼ぎは全部食費とリリアの薬代にしてたからな」

「ええ、知っていますよ。けど、我慢してください。協力者様とアッシュさんを合わせなければいけませんし、何より……」

「あっ、おいっ」

 シエルに手を引っ張られ、共に娼館に入る。香水だかアロマだかの、甘ったるい香りが鼻腔を刺激した。思わず顔を顰めるアッシュを、シエルは真剣な表情で見る。

「グレイスさん、私です、シャーリーです」

 シエルが『シャーリー』という耳慣れない名を言うと、奥から美麗な女が出て来た。

「お帰りなさい、シャーリー。どうやら上手くいったようね、おめでとう」

「ええ、ありがとうございます。グレイスさん」

 煌びやかドレスを纏った、赤いルージュの似合う黒髪の女性。グレイスと呼ばれた彼女は、アッシュの方を見て、小さく微笑んだ。

「貴方が勇者様?」

「あ、ああ……」

「グレイス・スクラバートよ。シャーリー……シエルからあなたの事は聞いてたわ、アシュナード君」

「そ、そうか……ところで、シャーリーってのは?」

「私の娼婦としての名前――源氏名というやつです」

「しょう……はぁっ!?」

 何事もないかのように言い切ったシエルから、アッシュは大きく後ろに跳んで距離を取った。

「? どうしました、アッシュさん?」

「シエル……お前、娼婦やってるのか?」

「ええ。ただ誤解の無いよう言っておきますが、私は魔法による施術を行っているんですよ。ですので、身体に触れる事は、私もお客様も一切有りません」

「ま……魔法? 例えば?」

 シエルは懐から、一枚の魔法陣を取り出した。書いている内容は分からないが、それ程難解な術式では無さそうだ。

「この魔法陣を身体に貼り付けるんです。そうすると身体に触れることなく直接前立腺を刺激して、早ければ一分ぐらいで――」

「オーケー、分かった。もういい。充分だ」

 言葉を途中で遮り、アッシュは両手を前に突き出した。だが、シエルは口を閉じない。

「ご存じですか、アッシュさん? こちらの娼館は、とある特殊性癖を持つ方に非常に評判でして……騎士や大商人など、お忍びで通う権力者も結構な数いるんです。つまり――」

「情報収集には最適って言いたいんだろ! それは分かったからやめろ!! そんな穢れた世界の話は聞きたくねえ!」

 堪らず両耳を塞ぐアッシュの肩に、手が置かれた。

「あらあら、今回の勇者様は随分若くて初心なのね……先代はおじ様だったのだけれど」

 脳を丸ごと浸されるような甘い香りに動かされるように振り向くと、そこにいたのはグレイスだった。間近で見ると、その顔立ちの美麗さがより際立って見える。

 アッシュはグレイスの何処を見るべきか分からず、視線を上下に動かした。上を見ればシエルにも劣らぬ美貌が、下を見ればドレスに強調された深い谷間が視界に入るからだ。

 アッシュの動揺も愛嬌だと認識したか、グレイスは先にも増して蠱惑的な笑みを浮かべながら、アッシュの頭を撫でた。

「シャーリー……シエルから聞いたわ。今度の勇者は、妹さんの為に頑張る男の子だって。偉いわぁ、可愛いわぁ、養いたくなっちゃうわぁ」

「いや、あの……?」

 グレイスはアッシュの頭を優しく撫でながら、恍惚とした表情を浮かべていた。突然のボディタッチにどうするべきか逡巡するアッシュの後ろから、楽し気な何人もの女性の声が発せられた。

「おおっ、カワイイ反応! この店じゃあドーテーは珍しいから新鮮だわ~」

「勇者様、ワタシで捨てていきませんか?」

「捨てるかっ!」

 自分でも分かるぐらい、顔が熱くなっているアッシュの様子に、グレイス達は余計に面白がるばかりだ。

 何の罰ゲームだ、と生まれて初めて味わう羞恥に歯を食いしばるアッシュ。助け舟を出したんのは、今しがた共に使徒を殺した魔女だった。

「はいはい。申し訳ありませんけど、この方は手出し禁止です」

 グレイスとの間に割って入るように、シエルは両手を広げて立っている。顔は見えないが、彼女の声色にはグレイス達のような遊びは感じられなかった。

 グレイスはそんなシエルを見て、やはり笑っていた。

「もう、分かってるわよ。それよりシャーリー、ちゃんと協力したんだから……」

「ええ、勿論です」

 シエルはグレイスに何事かを耳打ちした。グレイスはパアッと花が咲いたように笑うと、両手をパチンと打ち鳴らした。

「素晴らしいわ! ケビンが出て行っちゃったから寂しかったけど、その人ならきっと穴を埋めてくれるわね! 早速明日、会いに行かなくちゃ!」

 途端に上機嫌になったグレイスを見て、娼婦たちもまた口々に声を上げる。

「シャーリー! またウチに文字教えてよ~!」

「魔法陣の書き方……」

 内容は違えど、皆それぞれ、協力の対価を要求している。

 その様相に困惑するアッシュを察して、グレイスが言った。

「ここの子達はね、皆大なり小なり、シャーリーのお世話になっているのよ。だから皆、あの子の味方で、勿論貴方の味方でもあるのよ」

 アッシュは娼婦たちと親し気に話をするシエルを見た。

 皆、シエルが国を騒がせる魔女だと知っている。にも関わらず、そんな事を何も知らないかのように、当たり前のように彼女と笑顔で談笑していた。

 彼女の目は、見ればその人物の事を全て理解してしまう『真眼』。故に、他人が欲するものを知り、与える事が出来るなら、理論上は誰とでも協力関係を築ける。

 しかし、それだけとは思えない。『全てを見通す』という彼女の力に対し、彼女たちは一片たりとも、恐怖などの負の感情を抱いているようには見えない。

 彼女の持つ、真眼以外の魅力。何かしらあるそれがそうさせているのだろうか。

 そんな事を考えたアッシュだが、すぐに思考を中断した。

 彼女とは、あくまで協力関係。魔心症を治す為に力を貸しているだけだから。

 リリアを守ること。それ以外の事に、自分を割いてはいけないのだ。

「アッシュくんは、どうしてシャーリーに協力するの?」

 シエルを見つめるアッシュに、グレイスが声を掛けた。アッシュは考え事に意識を飛ばしていたせいで、一瞬小さく身体を跳ねさせた。が、グレイスには気付かれずに済み、あくまで平静を装いながら答える。

「俺の妹が病気ってのは聞いてるんですよね? それが理由です。……ちなみに、グレイスさんは?」

 先の発言を聞く限り碌な理由ではなさそうだが、一応気になるので聞いた。

 グレイスは頬に右手を添え、はにかみながら言った。

「私って、無類のダメ男好きなのよね」

「……は?」

 想定外のカミングアウトに、思わず間抜けな声で返したアッシュ。どう返せば良いか分からずフリーズするアッシュに、タイミングよく娼婦たちとの会話を終えたシエルが歩いてきた。

 助かった、話を終わらせてくれ、と目線を送ったアッシュに、シエルがウインクで答えた。ホッと一息吐こうとした彼に、シエルは――

「グレイスさんには何度か、彼女好みの男性を教えて差し上げてるんですよ。最初からダメな男性を養うこと、或いは甘やかせば堕落しそうな男性を甘やかすこと。それらが彼女の最大の楽しみなんです」

 恐らく分かった上で便乗したシエルに、アッシュは頭を抱えた。

「……聞いておいて何だが、もういい。頭が痛くなってきた」

「ちなみに彼女の今のお気に入りはフランクリンさんという方で、『ラーベン一売れる画家になる』が口癖の人です。ちなみにお小遣いは画材より、競馬の掛け金に消えて――」

「もういいっつってんだろ!」

 協力する動機は分かったが、もう少しまともな人はいないものか、とアッシュは内心嘆息した。それも読んだのか否か、シエルはやはり微笑みをアッシュに向けていた。


 *


「無事に戻ってこれましたね」

「何かもう色々と疲れた……」

 シエルとアッシュは、無事に隠れ家まで帰還することが出来た。

 実は娼館の、シエルに割り当てられている部屋には地下道に行ける隠し扉がある。無論、こちらも魔術で隠蔽されているため、物理的な手段で見つけるのは至難だ。お陰て二人は、騎士たちが最大の警戒網を敷く外に一歩も出ることなく、隠れ家まで戻れた。

「使徒に関する情報も手に入って、本人も無事に排除出来ました。目標は全て、完璧に達成出来ました。これも、アッシュさんのお陰です」

「お膳立ては全部そっちだろ? そう畏まらなくていいって」

 ペコリ、と恭しく頭を下げるシエル。アッシュは装備を脱ぎながら、顔を上げるように示した。

「いえ、やっぱり私の見立て通りでした。共に柱神を討つ為の仲間は、貴方を置いて他にいませんでした」

「だからいいって。……褒められるのには、慣れてねえ」

 紫水晶のような瞳に真っ直ぐな感謝の念を込めるシエルに、アッシュは思わず目を逸らした。

 こうして正面から人に感謝され、褒められるのは、アッシュにとっては珍しい事だった。シエルを除けばウィリアムぐらいだ。リリアは照れ屋な面があるため、褒めたり、感謝を述べることは多くない。愛自体はしっかり受け取っている、とアッシュは自認しているが。

「フフッ……もう少し言って差し上げたいところですが……少し、大事な話をしましょう」

 途端に、シエルが真面目な顔を作った。

「アッシュさん……グレイスさんについて、何か気が付いた事がありますか?」

「気が付いた事……?」

 随分抽象的な質問だ、とアッシュは思った。とりあえず、彼女に対する率直な感想を言ってみることにする。

「まあ、綺麗な人だったな。よく分からん性癖はあるけど」

「……そうではなくてですね」

 シエルの視線が、少し冷たくなった。

「じゃあ、正解は?」

「グレイスさんは魔族です」

 シエルの言葉を呑み込むのに、アッシュは少しだけ時間を要した。

 呑み込んだ後も、聞き間違いの可能性を捨て切れず、呆けた事を言ってしまう。

「……マゾじゃなくて?」

「魔族です」

 再びシエルの目線が冷たくなるが、その眼をしたかったのはアッシュの方だった。

 あからさまに大きなため息を吐き、諭すように言う。

「あのな、シエル。……流石に俺でも、その冗談は分かるぞ?」

「冗談ではありません」

「じゃあ何で、俺の聖痕はグレイスさんに反応しなかったんだ?」

 アッシュは自身の右目を指差した。この眼に刻まれた聖痕は、魔族に反応して『退魔』という特性スキルを発動させる。先はそれが発動しなかった。

 シエルはアッシュの指摘に対して、当たり前の理屈を返すように言った。

「『退魔』の発動条件は、『敵意のある魔族』の存在です。グレイスさんは当てはまりません」

「……つまり、何だ。人類に友好的な魔族には、退魔は発動しないって事か?」

 シエルが頷いた。

「魔族の中には、人間と殆ど外見的に差異がない者も存在します。そうした方達は、往々にして差別の目に晒されるため、国を離れたり、中には皇国に密入国し人として生きる者もいます」

「グレイスもその一人って事か……」

 アッシュは表情を曇らせる。

 確かに、自分が今まで戦った上級魔族は、皆角なり肌の色なり、何かしら人間と決定的に異なるものがあった、それが普通だから、それらが無い者は、『侮られる』。魔族の世界にも、そういう事があるのだと、初めて知った。

 アッシュが神妙な顔をしていると、シエルが困り顔で右手を小さく振った。

「いえ、グレイスさんは単に人が好きなのでこっちに来たんです」

「あっ、そう……」

 感傷的になって損した、とアッシュは心の底から思った。

「けど、別に人と似てるからって、ソイツが弱い訳じゃないんだよな?」

「ええ、勿論。『全知の魔王』と呼ばれる当代魔王ディオスクロイも、人間とほぼ同じ外見です。それこそ、皇国の街を歩いていたら、私とアッシュさん以外誰も分からないでしょうね」

「ゾッとしない話だ……」

 魔王が皇国の街を何喰わぬ顔で歩いている姿を想像し、アッシュは頬を引きつらせた。対してシエルは、何がおかしいのかクスクスと笑い声すらあげている。

「まあ、それはさておき。私が言いたかったのは、人と戦う事を良しとしない魔族も存在する、という事です。彼らと人類を真に結び付けるには――」

「俺が必要なんだろ? もう何度も聞いたよ」

 また頭を下げようとするシエルを、手で制する。頭の一つや二つ下げなくても、アッシュの腹は決まり切っている。

「どの道使徒を殺っちまった以上、引き返しようもないしな。最後まで付き合うさ」

 アッシュにとって、魔族とは敵でしかなかった。だからこそ、人間に敵意のない魔族の存在など、今日初めて知った。シエルが彼女らと親し気に話すところを見たのも、関係しているかもしれない。

「……はい。では改めて、よろしくお願いします」

 アッシュのそうした内心を見たからか、シエルの笑顔は、今まで見たどれよりも、嬉しそうだった。


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