誘導
「幻狼……? そうか、部下の報告にあった、ローブの男とは貴様か。やはり偽眼の魔女の協力者だった訳だな。そうでなければ、魔術を使えるだけの小娘が、我が国の勇敢な騎士たちの追跡を振り切ることなど出来ぬものなぁ!」
正体見たり、とばかりに歯を剥き出して笑うギルベルト。
ガルム――アッシュは内心、ほくそ笑んだ。『認識誘導』を掛けるまでもなく、ギルベルトは勝手にこちらの正体を考えてくれた。直情的だが頭の悪くない人間は、話が早くて助かる。
「ギルベルト・オースティン……。かつては魔族との戦争の最前線にいながら、今は一人の女の尻を追う身か。随分と……堕ちたものだな」
アッシュはあえて露悪的な演技と共に嘲笑を投げかけた。こういう相手は、煽るとよく効く。しかし副団長としての立場故か、ギルベルトは眉をピクピクと動かしながらも、感情そのものは内に留め、あくまで騎士としての表情でアッシュを睨んでいる。
「その女に首輪をつけられている者が何を。貴様に似合うのは手枷足枷だ。それが嫌なら、首ごとその輪を絶ってやる」
「やってみるがいい」
アッシュの挑発と共に、ギルベルトが動いた。敵意に満ちた眼光と共に、剣を地面と平行に倒して近付いてくる。アッシュの心臓を真っ直ぐ定めた切っ先に、アッシュは口元を綻ばせそうになる。
やはりコイツ、かなり直情的だ。偽眼の魔女と繋がっている筈の相手から、情報を聞き出す事を捨てて殺しに掛かっている。
アッシュは真っ直ぐ突き出された刺突を、バックステップで回避した。その瞬間――今度はギルベルトがほくそ笑んだ。
「避けたな」
アッシュはここでようやく気が付いた。
引き連れていた部下は何処だ。
若い騎士の存在を思い出した瞬間、アッシュは咄嗟に身体を翻し、ギルベルトの正面から離れた。さっきまでアッシュがいたその場所に、若年騎士とは思えぬ冴えの上段斬りが放たれた。
「『誘導』されたか……!」
視線誘導。剣の誓いから殺意の籠った刺突まで、アッシュから部下の存在を忘れさせるための誘導だったのだ。アッシュ自身、特性の補助としてよく使う手だが、自分が使われると、その効き目がよく分かる。
「驕ったな。一対二でみすみす挑んでくるとはな!」
アッシュはギルベルトと部下、二人の剣をどうにか捌き続ける。
先の視線誘導を抜きにしても、ギルベルトと部下の連携はハイレベルだった。元々ギルベルト自身、個人の武勇ではなく戦術指揮で名を挙げた人物だが、それにしても息が合い過ぎている。まるで『リアルタイムに指示を聞いているかのよう』だ。
だが、アッシュとてただで防御に徹している訳ではない。何度か連携を崩そうとしたものの、若い騎士を崩してもギルベルトがフォローするし、ギルベルト自身は流石に隙が無い。伊達に最前線の第三騎士団にいた訳ではない。
だが、突破口はある。この若い騎士、剣の才覚は相当なものだが、動作の中に怯えがある。暴漢を抑えた経験はあるだろうが、本格的な実戦経験は無いのだろう。そうした恐怖心は、『誘導』を掛けやすい。
アッシュは手首のスナップだけで、短剣を若い騎士に向かって投擲した。普通の上手投げより予備動作が小さく、認識の隙を突きやすいこの技は、小鬼などを相手取る時に便利な技だ。
騎士団に配備される鎧は頑強であり、只の短剣投げでは小さな傷を付けるのが限界。だがそういった常識的な認識さえ簡単に崩せてしまうのが、アッシュの『認識誘導』なのだ。この一投に『当たれば死ぬ』と、『認識誘導』を掛けた。
「うわぁっ!」
結果、迫り来る短剣に、若い騎士は大袈裟に声を上げ、全身全霊の一振りで叩き落とす。まるで初めて剣を握った幼子のような、極端な恐怖とそれを象徴するような大振り。その隙こそ、アッシュが欲しかったものだ。
「ッ! 馬鹿者!」
ギルベルトがカバーしようと向かうが、もう遅い。既にアッシュは騎士の後ろに回り、『認識誘導』を掛けたままで、柄で後頭部を打ち付けた。
これで邪魔な奴は無力化した。残りは、ギルベルト一人だけ。
「刃物一つで随分な怯えようだ。やはり、実戦を知らぬのではこの程度か」
「後で指導はしておこう」
ギルベルトが一層果敢に攻め立てて来る。お陰で投げた短剣を拾う暇が無い。そうして片手で、攻めを数度受け止めると、アッシュの手から短剣が弾き飛ばされ、喉元に刃を突き付けられた。
「成程、良い剣筋だ。流石だな、ギルベルト・オースティン」
アッシュは両手を挙げ、降参のポーズを取った。
「そのローブを脱いでもらおうか。何を隠しているか分からんからな」
言われるがまま、アッシュはローブを脱いで地面に落とした。銀色の仮面を被っていた故に素顔は見られていない。それに今回、アッシュはローブには何も仕込んでいない。
「ふむ……。武器は例のダガーだけか。そのまま手を挙げていろ。貴様からは色々と聞くべきことがある」
どうやら攻防の最中で、ある程度冷静さを取り戻したらしい。アッシュはそのまま問答無用で殺しに来ない事に、とりあえず安堵した。
「なら、此方からも聞きたい事がある」
アッシュが口を開くと、ギルベルトが眉を顰めつつ、彼の喉元に切っ先を当てた。小指の先ほどの赤い玉が出来た。本気で喉を突く気がないのは、言うまでもない。
「貴様に口を利く権利があると思うか?」
深い皺の刻まれた白髭面が、眼前にまで迫る。それでもアッシュは口を閉じない。むしろこここからが、『認識誘導』の使いどころだ。
「『どうせ俺に出来る事は無い』。なら雑談の一つや二つ、付き合ってくれて構わんだろう?」
「……」
ギルベルトはしばし逡巡した。アッシュの意図を推し量っているのか、或いは別の考え事をしているのか。
「……確かに貴様如きに、何か出来る筈もないか。冥土の土産だ、一つだけ答えてやる」
ギルベルトの返答は、まさにアッシュが願っていたものだった。
接触からここまで想定通り。後は、彼から使徒と柱神の情報を聞き出す。
「ギルベルト・オースティン。ディアム作戦を生き延びた貴様が、何故首都警護を主任務とする第六騎士団に身を墜とした? 何か……庇い建て出来ない程の失態でも働いたか?」
「言葉に気を付けろ、下種が」
ギルベルトがアッシュの胸倉を掴み、その顔全体に明確な怒りが宿った。恐らくその矛先はアッシュではなく、ここにいない相手だ。
「貴様のような屑に分かるか! 持って生まれた物など何もない身で、数少ない手段を尽くし、十五年の歳月をかけて漸く見えた騎士としての頂点! その座を、対魔族に有力とはいえ特性があるだけの若造に攫われたのだぞ! 俺が何かをやったか、だと? 何もしていない! だからこそ腹立たしくて敵わんのだ!」
アッシュを掴む手に力が籠る。一犯罪者に吐き出す程、鬱憤が溜まっていたらしい。だが、ここまでの話は、シエルから聞いていた。
シエルが視たのはここまで。ここから先は、彼自身の口から聞き出す必要がある。
「そこまでの努力を積み上げた貴様が、持って生まれた特性一つで地位を追われた、と。やはり、この世に神はいないな」
「いいや、神はいる」
ギルベルトの眼には、確かな意志が宿っている。柱神に対しての高い忠誠心が見える眼だ。それ自体は単なるオルネア信者にも言えるが、彼のそれは教義を知っているだけの男の眼では無い。
「何故そう言える?」
「この眼で見た。そして俺に、新たな力を授けてくれた。まさに俺の為にある、最高の力をだ。この力で俺は、あの若造より自分の方が団長の座に相応しい事を証明するのだ。故に――」
ギルベルトが、アッシュの頬を強かに打った。強い衝撃と共に血の味が広がる。
ギルベルトは拳を握りながら、アッシュを射殺さんばかりに睨んだ。
「どんな手段を使おうと吐いて貰うぞ。あの女の事をな」
胸倉を掴まれ、逃げ場が無い今、只のパンチ一発でもそれなりに痛い。出来ればこれ以上食らうのは避けたい。幸い、既に聞くべきことは聞けた。柱神の協力者――使徒となった理由と、その見返りも見えた。後は胸倉を掴む手さえ離させれば逃げられる。
「成る程、特性か。或るもので戦うのではなく、神に縋って力を得たか。……プライドの無い男だ、左遷されたのも頷ける」
嘲笑をぶつけると、ギルベルトが拳を振り上げた。今だ。
アッシュは『認識誘導』をオンにし、血混じりの唾を吐く。内容は、『今吐いたものが毒だ』という誘導だ。
「ぬっ……!」
ギルベルトは首を横に倒して唾を避けた。その瞬間、僅かに緩んだ手を振りほどくと、身体を縦に一回転させる蹴り――いわゆるサマーソルトキックを放った。ギルベルトは多少動揺しつつも、反射でそれを回避。アッシュが地面に足を付けた時、ギルベルトの右の頬に赤い線が走っていた。
「靴に刃を仕込んでいたか」
「何を隠しているか分からないのは、ローブだけではないぞ」
シエルから支給された仕込み刃付きブーツ。それが早速役に立った。ヴァネッサお手製の刃は仕込み故に強度は低いが、切れ味は下手なナイフを遥かに超える。勢いをつけて振るえば、肉はおろか骨をも容易に絶つ逸品だ。
アッシュは手放した短剣の一方のありかを確認すると、それに向かって駆けだした。当然ギルべルトも、剣を抜いて追いかけて来る。短剣を回収したアッシュは、そのまま夜の貧民街を駆け抜けた。
「逃がすか……!」
狭い路地だろうと、荷物で塞がれていようと、アッシュは軽い身のこなしで駆けていく。軽装のアッシュに対して、鎧を着込んだギルベルトでは、追撃戦は不利だろう。事実、アッシュの考えは正しい。
しかしそれは、ギルベルトが一人ならの話だ。
「行かせるか!」
アッシュの横から、突然一人の騎士が現れた。荷物に紛れて潜んでいたようだ。容赦なく横に振るわれた剣を屈んで避けると、下から鎧の隙間を縫うように喉を殴りつけた。そうしてふらついた身体を押しのけ、目の前の積荷の山を倒壊させる。倒れた騎士の身体を踏みつけて走り抜けると、今度は建屋の屋上から小柄な騎士が降りて来た。
「っと……なかなか速いじゃねえ、かっ!」
鎧を着ているとは思えぬ俊敏な動作に関心しつつも、カウンター気味に兜の面を殴って迎撃。追ってくるギルベルトの姿を認め、すぐさま逃走を再開する。
「あいつら、いつから潜んでた……?」
あまりにも上手くこちらの不意を突くように現れた彼らの配置と動きは、まるでこちらをずっと見ていたかのようだ。
そう考えていた矢先、再び一人の騎士が現れる。筋骨隆々の騎士が、民家の壁を突き破りながら突きを放ってきた。体格に任せた強力な刺突を前に、アッシュはガードこそしたものの衝撃を流し切れず、向かいの廃屋の中に押し込まれた。
「チッ……!」
埃まみれの部屋の空気に、一度咳き込んだ。しかし、立ち止まっている暇はない。すぐさま剣を振りかぶった騎士を躱した。
アッシュは再び、この連携の謎を考える。確かにギルベルトは緻密で高度な連携を指揮し、部隊の戦力を押し上げる事に長けた人物だった。しかし、今彼らが行っている動きは、どう見てもそのレベルを大きく超えている。それこそシエルのように、全てが見通されている感覚がした。
「まさか……!」
ここに至り、アッシュは先のギルベルトの言葉を思い出した。
『そして俺に、新たな力を授けてくれた。まさに俺の為にある、最高の力をだ』
あれはギルベルトが特性を得たという旨の発言だったが、これこそが彼の特性なのではないか。
「思ったより厄介な特性だな、っと!」
吹き飛ばされた先の建物の中に、もう一人敵が潜んでいた。息つく暇もなく、アッシュは剣を捌き、埃を撒き散らしながら足払いを掛け、回転の勢いのまま踵で回し蹴りを放つ。蹴り飛ばされた騎士がもう一人にぶつかり、二人同時に廃屋に倒れ伏した。急いで窓に体当たりし、アッシュは外へ出る。
一切の隙は与えないと、路地に待ち伏せていた騎士に斬りかかられる。軽くいなして兜を短剣の柄で殴りつけ、無力化する。前後左右、時には上から矢継ぎ早に襲い来る騎士を捌き続けていると、アッシュの中に違和感が募り出す。まるで、袋小路に追い込まれているような。
ギルベルトの戦術能力と推測される特性。もし自分が盤面を操作出来る立場にあれば――
「考える暇を与えず追い込み、任意の場所へ『誘導』する」
アッシュは新たに襲い来た騎士を蹴り飛ばしつつ、口の端を吊り上げた。
ギルベルトの狙いは分かった。恐らく、奴が連れて行こうとしているのは、ここから東のエリアだろう。
「俺にそっちで勝負する気なら……やってやろうじゃねえか」
元よりそのつもりだが、アッシュはギルベルトの作戦に乗ってやることにした。
誘導なら、こちらには十八年の積み上げと特性がある。お前の『認識』通りに動いてやる、と。
*
(よし。ガルムとやらは誘導する通りに動いているな。多少は戦えるようだが……今の貴様に、此方の狙いを見透かす余裕など無い筈だ)
ギルベルトは追撃を振り切ろうとする幻狼――アッシュを民家の屋上から見つつ、先程吹き飛ばされた部下の一方へ指示を飛ばす。
(ジェイ、動けるか)
ギルベルトが脳内で部下の顔と名前を念じると――
(問題ありません。しかしあの男、見た目の割に力がありますよ)
念じた人物の声が、ギルベルトの脳内に響いた。
(分かっている。お前は先回りして包囲の準備をしろ。……ランド、お前もだ)
(承知しました)
続けてもう一人の部下へ指示を飛ばす。彼の声もまた、ギルベルトの脳内に響いた。そして彼らは、ギルベルトの指示通り、各々動き出した。ギルベルトもまた地面へと降り立ち、アッシュを追跡した。
『念話』。それが使徒になったギルベルトが授けられた特性の名前。人物の顔と名前を思い浮かべれば、その人物と口頭ではなく、直接脳内を通して意思疎通が可能となる能力。一度に念話が可能なのは一人だけという制約こそあるものの、瞬時に思い浮かべる顔と名前を切り替えていけば、逐一それぞれの人物とやり取りできる。これによりギルベルトは、貧民街に連れて来た部下全ての位置を把握し、その上で指示を飛ばしていたのだ。
この特性の特筆すべき点は、距離の制限が無いこと。つまり、この世の端と端にいようと、顔と名前さえ一致していれば瞬時にコミュニケーションが取れる。伝令兵や伝書鳩いらずの、現場指揮官としては反則ともいえる能力だ。
ギルベルトは脳内で、戦術を再確認する。本来なら偽眼の魔女を確実に追い込むための戦術だが、予行演習だと思えばいい。
地形を把握し、各部下の位置取りを念話によって事前に知る。これが可能なギルベルトには、この先のアッシュの移動経路が、未来予知の如くハッキリと見て取れた。部下たちの行動全てを目にしていないものの、彼は自身の『認識』に間違いがないと確信している。
彼の狙いは、ここから東に五十m先の袋小路だ。そこは元々娼館があったものの取り壊され、空き地が丸ごと広い空間となった場所。その上周囲を壁で遮られているので、多数での包囲が可能だ。あの男には、広場を構成する頑強なレンガの壁を破壊する装備はない。
問題はそこまでの道がかなり入り組んでいる事だが、そこはギルベルトには何ら障害ではない。彼は自身の脳内地図に確固たる自信があり、その上アッシュの動きを部下からリアルタイムで確認。その上で適宜次の動かし方を考えて、確実に東の広場へ誘導できるようにしていた。
さながら追い込み漁。ターゲットは上手く逃げているつもりでも、実際にはギルベルト・オースティンとその部下たちに、動かされているのだ。
「せいぜい逃げろ、低能が。最後には逃げ場など無くなるのだから」
そもそも一介のテロリスト如きが、百戦錬磨の将たる自分に敵うと思う事が大間違いなのだ。尤も、その程度の知性だからこそ、至高神と柱神に逆らうなどという事が出来るのだろうが。
勝ち筋を明確なビジョンとして描き、その先にある栄光まで想像したギルベルトは今、明確にアッシュを『甘く見ていた』。
(次だ。ヘンリー、上段斬りの振りで奴に組みつけ。多少動きを止める程度の力で構わん)
(承知しました)
(ジョン。組みついたヘンリーは、すぐに解かれる。その際の隙に奴を西に向かって蹴り飛ばせ)
(西ですね。分かりました)
ギルベルトは先程気絶させられた部下を叩き起こしながら、脳内地図の通りに部下を動かしていく。追いついた時には、ジョンとヘンリーの二名は叩き伏せられながらも、狙い通り西にアッシュを動かしていた。
(ジーン、大詰めだ。ラルと共に挟み込んでそのまま西へ誘導)
(待ってください、副団長。自分の認識では、そのまま西に行っては――)
(俺とお前、どちらが街に詳しいか言ってみろ。心配はいらん)
(そちらにも、誰か置いているのですか?)
(何を言っている、当然だ)
ギルベルトは従順な筈のジーンが反抗した事に若干の違和感を覚えながらも、もうすぐ作戦が成就することに愉悦を禁じ得なかった。
(副団長、上手く行きました)
(了解した。後はアンソニー、奴を道なりに追え)
(お任せください。しかし、逆賊の気配がしませんが……今はどちらに?)
(時期に来る。これだけ逃げ回っているなら、疲労もあるだろう。その間に俺が追いつく)
ギルベルトが追いついた時には、アッシュは狙い通り、西に向かって真っ直ぐ進んでいた。しかし、その様子には、思ったより疲労の色が無い。余裕がある、という程ではないが、ギルベルトの『見立て』よりは元気に見えた。
だが、問題はない。何故なら、この先で伏せているのは将来の団長候補と名高い腕利きの部下。疲弊した逆賊程度に一蹴されるような甘い男ではない。彼と共同し、追い詰める。そうなればまさに袋の鼠だ。捕らえれば情報を引き出せるし、偽眼の魔女に義理人情という概念があるなら、助けるために姿を現すかもしれない。
ギルベルトには自負があった。人間より遥かに強く、狡猾な魔族と戦い、生きて来たという自負が。その自分が、今更人間の犯罪者程度に遅れを取る事など、それこそ有り得ないことだった。
故に、彼は考えもしなかった。今自分が戦っている相手もまた同じ特性持ち――それも、天性のものだという事に。
初めにおかしいと思ったのは、先回りさせていた部下が現れなかった時だ。自分が意図した通りのタイミングで仕掛けてくれる男だと思っていたが、『ここだ』という時になっても現れない。他の者たちは皆最低限の役目は果たしたにも関わらず、よりによって最も総合力があると踏んでいた者が外していた。
(アンソニー、聞こえるか! すぐに動け! 賊はそこだ、私の目の前だ!)
(えっ、どういうことですか副団長。こちらにはその様な気配などまるで――)
(やれ!)
(は、はい!)
念話で直接指示を下した――が、ギルベルトとアッシュ以外、人っ子一人見当たらない。誰かが出て来る素振りすらない。
(アンソニー! 出て来いと言っただろう!)
(出ました! けど誰もいないじゃないですか! 副団長、今何処にいるんです!?)
(どういう事だ! お前こそ何処だ!)
(指定通り、酒屋の前にいましたが……副団長は!?)
(何だと!?)
アンソニーが口にしたのは、確かに先刻自分が下した指示通りの位置。この貧民街にまともに看板を出してやっている酒屋は一つだけ。目的地とした袋小路のすぐ近くにある。
ならば、自分は今何処にいる? 誰も見当たらない通りで一人、ガルムを追っているが――
いや、考えるのは後だ。今は奴を逃がさないのが先決。
ギルベルトは全力で地を蹴り、アッシュに追いすがる。内心で燻る何かに蓋をするように、アッシュに向かって全力で駆けた。
遅い。外見上は余裕そうに見えるが、最初の身軽さは鳴りを潜めている。今なら追いつける。
「おぉっ!」
剣を振り下ろし、一撃を見舞う。アッシュは捌きはしたものの、よろけながら後ろに倒れた。短剣一本でよく防いだが、最早制圧は容易い相手になっている。ギルベルトはあえて彼が立ち上がるのを待った。既に目的地に直通する道は開けている。
アッシュは狙い通り、影から差し込む『光』に、虫のように吸い寄せられていった。
「掛かったな、賊が!」
勝利を確信したギルベルトが叫び、袋小路へ飛び出した。その瞬間――周囲の空間が、光の壁に遮られた。
「アンタがな」
嘲るような声と共に、ギルベルトの両腕に縄が巻き付いた。




