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火と氷のブライダルブーケ  作者: 大田博斗
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002

 別れは、案外あっさりとしたものだった。なぜこんなにも大切なものは、すぐに消えてしまう、手からすり抜けてしまうのだろう。


 僕の彼女はお家柄のいい金持ちの男に、取られてしまったのだ。


 あまりの悲しさから、今日は朝から何も手につかなかった。


 ドンドン


 入り口のドアが低くなった。悠一は音を立てずにそのままその場に座り込んだ。ガタガタと体が震え始める。


 どんどんどんどんドン!!!


「おい、出てこい!!クルクル頭!!今日こそは溜め込んだ借金、全額返してもらうぞ!」


 まただ。またあいつらだ。


 ──悠一は借金を抱えていた。だが、それは父親が遊んで作った借金だった。父親は母親と悠一に借金を抱えさせて死んだ。母親は身を粉にして働いて、借金を返済していたが、過労で倒れた。


 悠一は13の時に1人になった。それからはずっとこうして借金取りに追われている。まだたんまりと残っているのだ。


 子供の時から植え付けられた恐怖は、未だに悠一の心に深く傷を負わせている。震えはいわば、本能的なものであった。


「ろくに働きもしないで、植物ばっかり育てやがって!金も返す気になれねぇのか!好きなことで食っていける社会じゃねえ!今もその辺で子供や貧乏人は死んでいってる。


 明治になっても社会は何も変わってねぇ!変わったのは金持ちだけだ!いい加減、金を返せ!」


 悠一は息をひそめて、借金取りが帰っていくのを待つ。


 バン!!


 ドアが壊された。そして、借金取りが3人入ってきた。悠一は震える体をなんとか制御して、立ち上がり、逃げる。


「待てや!!」


 走り込んできた借金取りにあっけなく取り押さえられ、地面に顔を叩きつけられた。


「ったく、なめたツラしてやがる。おい、金を返せよ!」


 借金取りは悠一の顔を引っ張り上げ、覗き込んで言った。


 そして、悠一は顔を殴られた。


 そこからはあまり記憶が無い。気づけば、体中に痛みが走っていた。


「金が返せねぇなら、首つりな。この汚い建物と土地とお前の命でどーにかしてやる」


 そう言い残して、借金取りは出ていった。


 心臓の鼓動が鳴るたびに、痛みが体を走る。何度も、なんども、僕を追い詰めてくるかのように。


 このまま、目をつむれば、僕は死ねるのか?


 もう、疲れた。


 悠一は静かに目をつむった。



 ──少し眠ったようだ。目を開けても、何も変わらない景色。


 自分はまだ死ぬ勇気すら持てない。死にたくない……。


 なんとか悠一は立ち上がった。ドアは壊されているが、もう修理するためのお金は残っていない。


 悠一は買い出しに出かけた。所持金はそれほどない。米を一杯分買えるかどうかだった。


「……あの人、ほら」

「あら、ほんとだわ」


 悠一を見た2人のいい着物を着た婦人が周りの人間にも聞こえる大きな声で話し始めた。


「あの人、あの古い建物の中で植物の研究してるんでしょ。そんな世の中のためにならないことして、お金も稼げないっていうのに」

「ほんとよね、働けないし、税金も納められないのなら、その辺でのたれ死んでいればいいのよ」

「ほんとねー、何か怪しいことしてるんじゃないの?あの研究室で」

「やだー、こわー。しかも、顔、なぜか痣だらけじゃない?」

「よしてあげなさ〜い。きっと借金取りに追われてるのよ。何もできないし、お金も持ってないから」


 2人は大笑いした。周りにいた高価そうな着物を纏った人たちも、蔑むように悠一を見ていた。


 その通りだった。植物学者なんて、建前で、本当はただの働いていない人間。義務から逃れ、借金取りから逃れ、社会からも逃れてきた。


 今までもずっとこんな冷やかしはあった。でも、難なく乗り越えられてきた。


 サユリがいたから。


 今までなら、何も思わなかったのに、何も苦しくなんて無かったのに。


 あぁ、最悪だな。僕の人生。


 何も買ってこずに、研究室に戻った。気づけば夜になっていた。


 活力が失われて、ただ、座ることしか出来なかった。地面から季節外れの冷気が身体を徐々に侵食していく。


 目の前には、サユリの姿はない。窓から差し込んだ月光が、目の前の誰も座らない椅子を静かに照らしていた。


     *     *     *



 この生活を悠一は一週間も耐えられなかった。やはり会いたい。もう一度、サユリに……!!


 そう思った、午後一番。頭で考えるより、先に手が動いていた。


 悠一は手紙を書いて、それをビンに入れた。ビンを持って悠一は外へ走り出した。


 悠一とサユリは連絡手段が取れない。なぜなら、婚約者がいるのに、他の男と付き合っているとバレたらサユリが危険だからだ。


 だから、サユリの家の隣を流れる小さな川に手紙が入ったビンを流して普段から連絡をとっていた。サユリは返信できないが、急に会えなくなった時や、研究室に居ない日を伝えるために悠一がよくしていた。


 悠一はその川につくと、ボトルを投げ入れた。きっとサユリはこのボトルに気づく。そして、もう一度会いに来てくれるはず、そう信じて。


 


 川のすぐそばにある居間。大きな窓の向こうには手が届きそうなほどの所を川が流れている。


 サユリはそこからひたすら川を眺めていた。一週間、寝る間も惜しんでひたすら。サユリの瞳には、もう光が灯っていなかった。


「サユリ様、お食事置いておきます」


 住み込みの女性が食事を持ってきた。サユリは無視をして、ただ川を眺める。


 いつ流れてくるか分からない、だから目は離せない。確証はないけれど、必ず、ボトルは流れくる……!


 サユリもまた、そう信じていた。


 チカチカッ


 太陽の光を反射して、何かが泳いできた。サユリは高揚し、その瞳には光が灯った。


 まさに、悠一が投げ入れたボトルだった!


 サユリは勢いよく立ち上がり、窓から身を乗り出して、手を伸ばした。ボトルを手につかむと、それを抱きしめた。


 溢れそうな涙をこらえながら、急いで手紙に目を通す。そこにはただ『もう一度、会いたい』と書かれていた。


 サユリは勢いよく居間から飛び出した。


「あの子ったら、明後日には結婚式だって言うのに……」


 両親が何やら小さな声で話しているのが聞こえるが、そんなのどうでもいい。早く、会いに行きたい。それだけが、今のサユリの行動を全て支配していた。


「おい!どこに行く!!」


 父親の呼びかけを無視して、サユリは家を飛び出した!


 外はもう陽が傾いていた。橙色に染まった道をひたすら、ただひたすらに走っていく。


 1秒でも、1秒でも早く……。





 季節がまるで狂ったかのように寒い夜だった。悠一は悴む手先を握りしめて、角で座り込んでいた。


 ガチャ!

 

 真っ暗な倉庫、廃材の木で修理したドアが勢いよく開いた。悠一はドアの方を振り返る。そこには、月光に照らされたサユリが息をきらしながら立っていた。着物はとても汚れている。


 悠一は立ち上がってサユリに駆け寄る。サユリは疲れのせいでその場に倒れ込む。


 悠一は倒れ込む寸前でサユリを抱えた。2人は抱きしめ合う。


 2人は存在を確かめ合った。確かに、たしかに今ここに君がいるのだと。


 お互いの白い息が上がる。


 手を解いて見つめ合った。


 もう、体は温かくなっている。




「ついてよかった…。会いたかった、悠一さん」


「僕も……。本当によかった。会えた……!!」


 2人は涙をこらえて話す。


「それししても、顔どうされたんですか?痣だらけで」


 サユリは悠一の顔を撫でた。心配そうな声で言う。


「これくらい平気さ、サユリさんこそ、疲れたよね」


「ううん、会えて嬉しいから、疲れなんて吹き飛んじゃった」


 悠一はサユリを担いで、椅子に座らせた。



 少し時間を置いて、2人は話した。


「ごめんなさい、今日は急いでて、何も持ってこれてないの」


「いいよ、そんなの……」


「それよりも、どうしましょう?私、結婚2日前に家から逃げ出してしまいました」


 そう言ってサユリは微笑んだ。


 2人は涙を流しながら笑った。


 少しの間の後、悠一は立ち上がった。少し歩いて行き、サユリに背を向けながら話す。


「なぁ、サユリさん」


「なに?」


 悠一は振り返った。その顔はどこか嬉しそうで、哀しそうで、少し微笑んだ顔だ。


 青い月光の光が悠一の顔を照らしていた。






「心中、しよう」







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