お見舞い
翌朝。
シエラとリチャードは自宅前の凍結した地面を火の魔法で溶かした後、2人で今度こそアンジェリカ女王のお見舞いに向かった。
まだ外気にあたるのは危険な為、セレネはアイリスと留守番だ。マリネスはそんなアイリスを補助する為に家に残ってくれたので、今日は久しぶりにシエラはリチャードと2人きりで街を歩いている。
シエラが昨晩貰った赤いマフラーと、着用している薄い桃色のコートが目に暖かい。
一方でリチャードは本日、白いコートを着用して外出していた。黒を好むリチャードだが、流石に診療所に黒尽くめで訪れるのは縁起が悪いかと思ったのだ。
「リンネ兄ちゃん来てるかな?」
「もうすぐ昼か。来てるかもな、リンネ達のパーティも流石に寒冷期はクエストには行ってないだろうしな」
白く浮き上がる息。
今日もエドラの街は凍てつく寒さだ。
親子は手袋越しに手を繋ぎ、転倒しないように魔力を足に集中させてゆっくり歩いている。
そんな時だ。
定刻でも無いのに街の中央に聳える時計塔の鐘が鳴り響いた。
「警鐘、いや違うな。これはーー」
街に鳴り響く時計塔の鐘の音はゴーンと7回鳴り響き、止まった。
それはこの街ではなく、この国グランベルクが定めた福音の鐘。
グランベルク王国にとって何か良い事が起こった合図だった。
「お。そうか。第四王子か王女の御生誕か」
「ああ、そう言えばギルドの掲示板に記事が貼ってた」
「そろそろお産まれになりそうだっていう記事だな。私も見たよ。セレネはグランベルク王家の第四継承者と同じ年に生まれた事になるなあ。第四位とは言え王子か王女の誕生だ。暖かくなったら派手にお祭りがあるかも知れないな」
「お祭り? お祭りって何?」
「花火やパレード、見せ物や音楽で派手にお祝いをするのさ。食べ物の屋台が出たりもするぞ?」
「へえ〜。楽しそう」
「そうだな。シエラは行ってみたいかい?」
「ん。見てみたい」
「そうだな。寒冷期が終わる頃にはセレネも外出できるようになる筈だし、家族みんなで祭りに行けたら良いなあ」
そんな話をしながら歩いていると、2人はアンジェリカ女王の入院している診療所へとたどり着いた。
受付で靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、リチャードは受付で面会の手続きを開始。
その間、シエラは待合所の椅子に座ってリチャードが手続きを終えるのを待っていた。
「おいでシエラ。こっちだ」
「はーい」
リチャードの後に続き、シエラは診療所の2階の一番奥の個室に向かう。
そしてその病室の扉を開くと、記憶を失った女王アンジェリカがベッドに座りボーっと窓の外を見ているのが2人の視界に入った。
リンネの姿は無い。
だが、リンネのローブがベッドの横に置かれた椅子に掛けられているのを見る限り、どうやら診療所内にはいるようだった。
「初めまして、アンジェリカ女王陛下。お加減いかがですか?」
リチャードの挨拶に、窓の外を見ていたアンジェリカが振り返り、ジッとリチャードを見る。
シエラの目から見ても美人な女性だと思えた。
それこそ舞台女優などすら及ばない程に。
窓から差し込む太陽の光がアンジェリカの長い金髪に反射して輝き、神々しさすら感じられる。
だが、そんな美しさもアイリス一筋のリチャードにはあまり関係無さそうだった。
「おっと失礼、まずは名乗らないと。私はリチャード・シュタイナー。この街所属の冒険者です、こっちは娘の」
「シエラ・シュタイナーです。初めまして女王様」
リチャードとシエラの挨拶に、アンジェリカはペコリと頭を下げてまた再び窓の外を眺め始める。
どうやら意思の疎通は出来そうだと一安心したリチャードは一昨日自宅に不法侵入してきた友人、アルギスの『言葉に反応しない。共通語だろうと魔族語だろうと』という話を思い出していた。
「随分と、頑張って話しかけたんだなリンネ」
「可哀想でしょう。記憶喪失なんて」
リチャードは振り向かなかったが、病室に入ってきたリンネの気配に話しかけると立ち上がり、リンネに座るよう促すが、リンネは手を翳して首を横に振ったので、リチャードはシエラに椅子に座るように言う。
シエラはリチャードに言われた通りに椅子に座ると、父から預かっていたお見舞いの品をベッドの横のシェルフの上に置いた。
「記憶を失った方が幸せな時もある。だが、一国の王ともなるとそうは言ってられんか」
「ですね。出来れば力になりたいんですが、こればっかりは回復魔法でもどうしようもなくて」
「それで良いさ。脳を弄れば良くても廃人だ、やはりエリクサーに頼るしかないな」
「僕も幾らか出します」
「随分と入れ込むな。惚れたのかい?」
「惚れました。浅はかに思われるかも知れませんが、一目惚れです」
「浅はかなものか。私もアイリスには一目惚れしたクチだからな」
リチャードの言葉に、リンネは困ったように肩をすくめて微笑んだ。
ただ、どうやらリンネの想いが本気だと言うのはアンジェリカに向ける熱い視線から察する事は出来た。
「だがリンネ。少し覚悟はしておけよ? 彼女は今記憶を失っている。エリクサーで治ったとして、今のお前との記憶を覚えてはいないかも知れないぞ?」
「師匠にも同じ事言われましたよ。でも大丈夫です。もし彼女が記憶を取り戻して僕の事を忘れたら、僕はもう一度彼女と出会いますから」
「そうか。そうだな、男だもんな。惚れた女の事を諦めろと言われて諦められるわけないよな。まあだがこの辺りでエリクサーは簡単には手に入らんからな。寒冷期が明けたら機を見て私達はアイリスの故郷に行ってエリクサーを融通してもらえるように交渉しに行く予定だ。流石に屋敷を買えるほどの金は無いからな」
「エリクサーってそんなに高価なの?」
父と兄弟子の話に割り込むつもりは無かったが、エリクサーの金額を聞いてシエラはつい言葉を挟み込んでしまった。
「エリクサーは貴重だからね。ああ本当に、とても貴重なんだよ」
リチャードはこの時、エリクサーを買えなくて難病を治療できなかった母の事では無く、知らなかったとはいえ、ロジナを助ける為とは言え、回復薬と同じ勢いでエリクサーだったかも知れない薬をジャブジャブと使った事に、自分の愚かさに辟易していた。
「お父さん、お婆ちゃんはお父さんや、お爺ちゃんの事悪くなんて思ってないと思うよ?」
「え? あ、ああ。そ、そうだな」
勘違いとはいえ娘にフォローされてしまってはとリチャードは苦笑いして咳払いをする。
そしてシエラの頭をポンと撫でるとしばらくリンネと話、アンジェリカにも話しかけてを繰り返しては早々にお暇する事にした。




