血が繋がっていなくても
マリネスと共にベッドに入り、手を繋いで目を閉じたシエラだったが、やはりどうにも寝付けなくて目を開き、暗い部屋に差し込む月明かりが照らす天井をボーっと見上げていた。
首だけ横に向ければシエラの方に体を向けて眠るマリネスの顔が見える、少し首を傾げれば唇が当たりそうな距離だ。
疲れからスゥスゥと心地良さげに眠るマリネス。
そんなマリネスの頬を空いている手で撫で、マリネスが起きない事を確認すると、シエラは体を起こし、マリネスと繋いでいる手を離してベッドから出た。
そしてそのままシエラは部屋を出て、恐らく寝ているであろう両親や妹を起こさないように出来るだけ静かに歩いて一階のリビングへと向かう。
物音といえば廊下の柱時計のカチカチという秒針の動く音や、時折窓の外から風に揺られた木の枝が擦れる音が響く程度だった。
リビングの扉を開け、小さな棚の上に置いてある魔石で光るランプに魔力を込めて光を灯すと、シエラはソファの背もたれに掛けてあったブランケットを取り肩に羽織り、暖炉の前のソファに腰を下ろした。
暖炉内の黒焦げの薪に魔法で火を着け、シエラは両足を抱えてソファに座り、ゆらゆら揺れ始めた火を眺める。
パチパチと耳に心地良い薪の爆ぜる音。
一部が明滅する焦げた薪。
じんわり体が暖まる感覚が全身に広がってきた頃、不意に閉めた筈のリビングの扉がカチリと遠慮するように静かに開くと続けて「シエラか?」と父の声が聞こえてきた。
そんな父、リチャードの声に続くように、リビングに入ってきたロジナが暖炉の前の絨毯に座るとシエラを見て尻尾を振る。
「ごめんねパパ。起こしちゃった?」
「いや、寝る前に水でも飲もうかと思ってね。キッチンに行こうとしたところさ。どうした? 眠れないのか?」
「ん。ちょっと色々、考えちゃって」
シエラの座るソファの前に腰を下ろし、片膝をついたリチャードがシエラの顔を覗き込みながら聞いてきたものだから、シエラは目を伏せ、顔を抱えている膝に埋めてしまった。
「何か悩み事か? パパで良ければ聞くぞ?」
リチャードからしてみれば知人に裏切られ、戦い、傷付けあった事でシエラが悩んでいるのだと思っていたわけだが、シエラから出た言葉は予想とは違った。
「ねえパパ。私って本当にパパとママの子供でいて良いのかな」
顔を上げ、リチャードの目を真っ直ぐ見つめ、シエラは呟く。
「何を藪から棒に。シエラはもう私達の娘だと以前言っただろ? 急にどうした?」
シエラがこんな質問をしてきたのは、間違い無くルグナーとの戦いの最中に言われた事が原因だとは容易に想像出来た。
「私、パパとママの邪魔になってない?」
「邪魔になんかなるわけないだろ? 自分の子供を邪魔に思う親がどこにいる?」
顔にこそ出さなかったが、この時リチャードは友人が屠りさった魔族に対して憎悪の念を抱いていた。
膝を抱えて泣き出しそうな娘は「本当に?」と抱えた膝を下ろし、寝巻きのワンピースの裾を握りしめる。
「以前も言ったな。今の生活はシエラあっての物なのだ、と。シエラがいなければ、私は恐らくアイリスに思いを伝える事は無かっただろうとも言ったな。そうなればセレネも生まれなかったんだぞ? あの魔族の言った事を気にしてるなら忘れろ。あんなのはただの負け惜しみなんだからな」
父に諭されシエラは頷くが、それでも曲げられない現実が一つある。
その事を口にすれば恐らくリチャードは、父は怒るだろう。
いや、リチャードなら。自分の信じている父ならば怒ってくれる。それを確かめたくてシエラは言ってしまう。
二度と言わないと自分に誓った言葉。
「でも私と、パパとママの血が繋がってないのは、本当の事だよ」
喉につっかえるように絞り出した言葉。
それは以前、初めてリチャードとアイリスをパパ、ママと呼んだ時に言おうとしてリチャードに止められた言葉だった。
一瞬の沈黙。一瞬の間。
その後、シエラの頬をリチャードの平手が叩いた。
普段の稽古の時の拳や、剣による斬撃など比にならない遅い平手打ちだった。
今のシエラでも避ける事はもちろん、防ぐ事も容易い普通の平手打ち。
だが、シエラはその平手打ちを避けられなかった。防ぐ事が出来なかった。いや、どちらかと言うと避けてはいけない、防いではいけないと思ったのだ。
今にも泣き出しそうだった。
シエラが、ではない。シエラの目の前で手を振り上げ、自分の頬を打ったリチャードが、父親が、本当に泣きそうな顔で俯いていた。
「以前言ったはずだぞシエラ。その言葉を次に言ったなら、パパは怒るってな」
「ごめん、なさい。パパ、ごめんね」
怒られて悲しくて涙を流したのか、自分を想ってくれている事が嬉しくて涙を流したのか。
二つの感情が入り混じってシエラは感極まって泣き出してしまった。
「ああ、くそ。痛いな。自分の子を叩くのがこんなに痛いなんて」
握った拳で岩すら砕くリチャードが、シエラを叩いた手を抑え、顔を歪める。
もちろん痛いのは手ではない、胸の内から針よりも太い杭でも刺されるような痛みにリチャードは顔を歪めたのだ。
「シエラ、何度でも言うぞ。シエラは"俺"とアイリスの娘だ。血の繋がりがなんだ、関係ないだろ。これまでの事を、俺たちの出会いを、否定しないでくれ」
涙を流したのはリチャードも一緒だった。
シエラにしたってリチャードやアイリスからの愛情を感じていなかったわけではない。
むしろ他の家庭の親子よりも仲が良いと感じる事も多々あった。
だが、自分が思っていたよりも、自分が考えていたよりも、自分は愛されていたのだと、この時シエラは改めて感じた。
リチャードが自分の事を俺と言うのは、他人に対して素を見せる時だけだということをシエラは共に過ごした2年で理解していた。
詰まるところ、先のリチャードの言葉は心の底からの本音というわけだ。
「ねえパパ。今日は久しぶりに一緒に寝て良い?」
「ああ。構わない、構わないとも」
シエラがソファから降りて、俯くリチャードに抱き付きながら言うと、リチャードはシエラを抱き締め返して頭を撫でる。
そのままリチャードはシエラを抱っこして寝室に連れて行くとアイリスに迎えられ、久しぶりに親子3人同じベッドで寝る事になった。
その後、シエラは眠れなかった事が嘘だったように、ベッドに入った瞬間眠気に襲われ、父と母の暖かさを感じながら眠りに着いたのだった。
「声聞こえてたわよ?」
「私は父親失格かもしれんな。娘の前で涙を見せてしまうとは」
「私はそうは思わないわよ? そんな素直な貴方を私は好きになったわけだしね」
「ありがとう、で良いのかな?」
「どういたしましてと言っておくわ。さあ寝ましょ。またセレネが起きる前にね」
親子4人、同じ寝室で眠る夜の時間は静かに過ぎていく。
とはいえセレネはまだ新生児。
リチャードとアイリスはこの後交代で夜泣きするセレネをあやしながら夜を過ごすのだった。




