夢と神託
「おや、眠ってしまったか」
アイリスの為にレモンの果汁入りの水を持ってきたリチャードは、アイリスに寄り掛かって眠るシエラを見て微笑んだ。
ソファ横に置いていた、本や小物を置く為のシュルフに水を置き、アイリスの足元で丸まって寝ているロジナを跨ぐと、リチャードはシエラの前で屈んで「シエラ、寝るなら寝室に行きなさい」と声を掛けるが、返事はない。熟睡しているようだ。
「ふむ、では眠り姫は私が寝室に運ぶとするか」
「あ、手伝います先生」
「ありがとうマリネス君」
眠るシエラの脇に手を伸ばし、リチャードは気持ち良さそうに眠る娘を抱きかかえるとシエラとマリネスの寝室になった2階の部屋へとマリネスと共に向かった。
リチャードの前を歩き、マリネスがリビングの扉を開く。
(重くなったなぁシエラ)
言葉に出せば妻や娘に「デリカシーが無い」と怒られそうな発言を呑み込みながら、愛娘を抱っこして歩く廊下でリチャードはシエラの成長を感じていた。
マリネスの先導で階段を上げり、2人の寝室へ。
先に寝室に入ったマリネスがベッドの掛け布団を捲ってくれたので、リチャードはそっとシエラをその上に寝かせた。
「君はどうする? 寝るには少し早い時間だが」
「私はシエラちゃんの横にいます。目を覚ました時に1人だと寂しいと思いますから」
「分かった。では娘を頼むよ。おやすみマリネス君」
「はい。おやすみなさい先生」
ベッド横の小物棚の上に置いていた魔石で光るランプを灯し、暗い部屋を仄かに照らすとリチャードはマリネスにシエラを任せて階下へと、アイリスの待つリビングへと向かって行く。
リチャードが去った寝室、ランプの横に置きっぱなしにしていた小説を手にベッドに入って座るマリネスと、その横で気持ち良さそうに眠るシエラ。
そのシエラだが。今シエラは夢の中にいた。
明るい空間、どこか教会の中を思わせる白い柱が並ぶ場所。
しかしその場に床や地面は無く、シエラは水の上に立っているかのようだった。
足元の水面に写る自分の顔に首を傾げ、シエラは顔を上げると辺りを見渡す。
人の気配は無い。
(ああ、夢か)
シエラはなんと無くそう思って柱しかない空間を歩き出した。
歩くたびに足が水面に波紋を生み出していく。
(変な場所、夢なのに普通の夢と違って意識がハッキリしてる)
「まあ、夢であって夢じゃないからね、コレは」
夢の中、歩くシエラに聞こえて来た声は父や母、マリネスの物では無かった。
しかし、何故かシエラはその声に聞き覚えがあった為、警戒するで無く、その場に立ち止まって辺りを見渡す。
「久しぶりね我が眷属。遂に神託を受ける事が出来るまでになったわね」
声は聞こえるが姿は見えず。
場所を特定しようにも広い空間全てに声が反響してそれもなし得ない。
不思議な声だった。
女性の声だが幼いとも、若いとも、年老いたとも言える。
様々な年代、いろんな女性の声が混じって聞こえるのだ。
合唱の様に一つに纏まって聞こえる女性の声。
そんな声に聞き覚えがある筈もないが、シエラの脳裏に一瞬、いつか商業区でパンを与えた物乞いの老婆の姿が過った。
「もしかして女神様?」
「あら分かる? まあ神託って言ったしね」
「何か用?」
「うーんシエラちゃんは本当にクールねえ。この状況で驚かないの?」
「まあ、夢だし」
「はぁ。まあ良いわ。明日は気を付けてねって言いに来ただけだから」
「明日? なんで?」
「悪意が貴女を狙ってるから」
広い空間に響いた女神のその声を最後に、シエラはハッと目を覚まして飛び起きた。
寝室の窓から見える空は白んでいる。
横を見ればマリネスが気持ち良さげに眠っていた。
窓の向こうに上りつつある太陽が照らす朝焼けの空に視線を戻しながら、シエラは夢の内容をはっきり思い出す。
(夢なのに夢じゃなかった。あれが神託かあ。悪意ってなんだろ? ゴブリンの事、じゃないよね)
体を起こし、ベッドから降りるとシエラは廊下に出て階下へと向かい、リビングの方には向かわず武器庫に向かうと、台座に置いているアイテムボックスに手を伸ばした。
そんな時だった「シエラ?」と、後ろから声を掛けられたので振り返ると、そこには父の姿があった。
「今起きたのかい? どうした?」
「女神様が今日は気を付けろって言ってきたから、コレ持って行こうかなって」
「そうか。ん? 待て待て、女神様が言ってきたってなんだい?」
「昨日ね、夢を見たの」
シエラはアイテムボックスを手に取りながら、リチャードに昨晩見た夢の内容を話した。
普通ならただの夢だと一蹴するような話だが、リチャードはシエラが巫女であり、今代の勇者であると知っている。
それ故にただの夢と断じる事が出来なかった。
「今日はクエストに行くの止めた方が良いかな?」
「いや恐らく、どちらにせよ危険なのかも知れない。街にいようと、外にいようとね。だがまあ街には腕利きの冒険者や駐留軍もいるから安心だろう。とはいえ街から出る度に危険が伴うなら」
「私は行くよパパ。私はいつか最強の冒険者になるんだから。冒険者が冒険しないなんて嘘だよ」
「危なっかしいと言うべきか、逞しいと言うべきか。まあ今日は私も着いて行くし、最悪トールス達も街にいるからどうにかなるか。分かった、昇格任務には行こう。気を付けるんだぞ」
「ん。大丈夫。みんなで頑張る」
そう言って微笑むシエラにリチャードは近付き、父は娘を抱き寄せた。心配してないわけがない。不安がないわけが無い。
それでも昇格任務に行くなと言わなかったのはリチャードがシエラを信じたからだ。
いずれ魔王討伐に旅立つ娘。
それ以前に自分の代わりに最強の冒険者になる事を夢にした娘の冒険を止める事は筋が通らない。
それに、娘の意志を尊重出来ない親になりたくない。
なら自分に出来る事は娘の心配では無い。精一杯の応援、支援だ。
そう考えたリチャードはシエラを抱き締め「頑張れシエラ。我が娘よ」と頭を撫でるのだった。




