帰り路の捕物
その日、街の商業区の一角に建つ小ぢんまりとした喫茶店は大盛況だった。
元よりエドラの街では名店と名高いその店は貴族御用達の高級店に味で劣らないメニューを出し、尚且つ値段は庶民的で街の人々に愛されていた。
ただ、店が先述通りに一軒家を改装した程度の店構えな為に普段から行列が出来ているような店だ。
リチャードがすんなり店に入れたのはシエラとマリネスが先に店に入って席を取っていたからに他ならない。
「なんだか、並んでいる人達には申し訳ない事をしてしまったな」
「大丈夫だよ。お店の人にはパパが後で来るって言ってあるから」
「娘が優秀過ぎるなあ」
店の奥のテーブル席。マリネスが座っている前にシエラを座らせ、リチャードはその隣の席に腰を下ろした。
店員にクリームたっぷりのパンケーキを頼み、待っている間にリチャードはシエラとマリネスに婚約の話はせずに挨拶に伺った事だけ伝え、後日ご両親から動きがある筈だとマリネスに伝える。
「では、もう先生の家には居られないのですか?」
「え〜。せっかくマリィと一緒に居られるのにぃ」
「ああいや、マリネス君を私の家で預かる事に変わりはないよ」
「良かった。良かったねマリィ」
「うん。良かったよ〜」
微笑むシエラとマリネスを見て、リチャードもつい頬が緩む。
しばらく、という程も待っていないか。クリームたっぷりのパンケーキを持って店員がテーブルへとやって来てそれを置き「ごゆっくり」と会釈をして去っていったので、リチャードは「では早速」と用意されたナイフとフォークを握った。
蜂蜜の香りとクリームから香るバニラエッセンスの甘い匂いがリチャードの食欲を誘う。
「今や当たり前に食しているこの甘味類も、元は転生者や転移者の方々が持ち込んだ知識からの産物らしいな。有難い話だ、おかげ様で我々はこんなにも美味な物を食せるのだから」
「その話前も聞いた〜。パパ、異世界の人の話好きだよねえ」
「まあね。魔法の無い、魔物のいない世界なんて私達からすれば御伽話よりも御伽話だからね。書物によると」
「異世界には神様もいない、でしょ? 本で読んだよ」
「また私の書斎に入ったな? まあ見られて困る物は無いがね」
娘と笑い合い、切り分けたパンケーキに乗ったクリームをフォークですくって口に運び、リチャードはその味を堪能した。
しつこい甘さは無く、滑らかな舌触りでもってほのかな甘みが口いっぱいに広がっていく。
その甘みが口から消える前にパンケーキを口に放り込むと、リチャードは味に満足しているのか、頷きながら黙々とパンケーキを口に運んでいった。
「美味いな、行列が出来るだけはある」
「美味しいよねえ。また来たいよ」
「そうだな。今度はママも一緒だ」
「ん。皆一緒に来ようね」
リチャードがパンケーキを食べ終わるのを待っている間、シエラとマリネスはパーティ名をどうするかと話し合っていたが、リチャードがパンケーキを食べ終わるまでにはその話は終わらず、結局パーティ名を決める事は出来ず店を出る事になってしまった。
「ねえパパ【緋色の剣】はなんで【緋色の剣】なの?」
「あのパーティ名はトールス達が決めた物だから詳しくは知らないが、確か同名の小説があってそこから取ったと言っていたな」
「へぇ〜。そうなんだあ。小説からかあ」
「最初のパーティ名だから大事に名付けたいのは良く分かる、だがまあ変更出来ないわけでもないんだ。悩みすぎはよく無いぞ?」
マリネスの抱えていた荷物を持ち、リチャードはシエラと並んで歩くマリネスの後ろから着いていく形で帰り路を歩いていた。
そんな時だ。
高級紅茶の茶葉を買って帰る事を思い出し、足を止めたリチャードと、リチャードが足を止めた事に気が付き、足を止めて前を歩いていた2人が振り返った後ろ、先程まで進行していた方向から「スリよ! 誰か、そいつを捕まえて!」と悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。
振り返ったシエラとマリネスの視界にこちらに向かってくるバンダナを頭に巻いた細身の男性が必死の形相で駆けて来るのが見えた。
手には巾着袋が握られている。
どうやらスリはヘマをして持ち主にスリがバレたらしい。
「シエラ、いけるかい?」
「ん。大丈夫。マリィ、ちょっと下がってて」
人混みを器用に駆け抜けるスリの男は隙間を縫うように逃走ルートを判断しながら走り、持ち主であろう年配の女性からどんどん距離を離していく。
より走り易く、より隙間の多い方へ。
そう考えたスリの男が子供であるシエラ達の方へ向かったのは必然だったのかも知れない。
だが、その選択はスリの男の人生の明暗を分ける事になる。しかも、暗い方にだ。
「どけ退け! 邪魔だあ!」
シエラの眼前に迫るスリの男、その男に進路を譲るように一歩横に避けるシエラ。
しかしながら、シエラは別に道を譲った訳ではない。
スリの男がシエラの横を駆け抜ける瞬間、シエラは身体強化魔法を発動。
シエラは真横を通り過ぎようとするスリの男の皮のベルトに手を伸ばしてソレを掴み、一気に引き寄せ、担ぐ様に投げた。
スリの男からしてみれば腰に巻いていたベルトに何か、それこそ岩や木でも引っ掛かったのかと思うような衝撃だったに違いない。
シエラは男を頭から地面に落とすつもりで投げを打ったが、流石に殺すのは駄目かと思い、地面に頭を叩きつける直前にその頭に下段蹴りを放ち、男の意識を一撃で断ち切り、背中から落としてスリの男は呆気なく御用となった。




