セレネの夜泣き
シエラとマリネスが寝静まった頃。
リチャードとアイリスが2人きりで眠る初めての夜。
街から音と灯りが消えた深夜に警報のような泣き声がリチャードとアイリスの眠る寝室に響いた。
セレネの夜泣きだった。
「ん。セレネどうしたの大丈夫? ママはここにいるわよ?」
「君は寝ていてくれアイリス。君は今日お産を終えたばかりなんだから、セレネは私が寝かしつけるよ」
「ごめんねリック。ありがとう、愛してる」
体を起こそうとするアイリスを制するようにリチャードはアイリスの額にキスをすると、ベッドから降り、嵐のように泣き喚くセレネのベビーベッドへ向かう。
ベビーベッドの魔石に触れて結界を消したリチャードは、セレネの後頭部に手を回し、首に気を付けて抱き上げ、腕の中に寝かせると、腕の中のセレネをあやしながら寝室を出てリビングへと向かった。
「ははは。元気だなあセレネは。夜泣きは孤児院の手伝いをしていた時にも経験したが、君は私が見たどんな子供より元気に泣くな」
セレネの泣き顔を見下ろしながら微笑むリチャードはリビングに足を踏み入れると暖炉の前に向かった。
片腕でセレネを抱え、首を痛めないように慎重に暖炉に薪を焚べるとリチャードは火の魔法にて薪に点火。
体を揺すったり、腕を揺らしたりしながらセレネが泣き止むのを待った。
しかし、なかなか泣き止まないのが乳児の夜泣きというものだ。
だが、リチャードはそんなセレネの夜泣きが嬉しくてついつい笑ってしまう。
(ああ、生きてる。こんなに小さいのにちゃんと生きてるんだなあ)
そんな事を思いながら、リチャードは暖炉の前の2人掛けソファに腰を下ろし、セレネをあやし続けた。
「ん。もしや漏らしたのか? 臭いはしないな。それとも腹ペコかい? いや、違うか。うーむ、シスターはこんな時どうしてたか。母さんならどうするんだろうか」
泣き止まないセレネに呟きながら、リチャードは昔の事を思い出していた。
孤児院での手伝いをしていた頃、シスターは愚図る子供達をどうやってあやしていたか。幼少の頃、母はどうやって自分を寝かし付けていたか。
そんな事を思い出しているとリチャードは不意に思い出したように歌を口ずさんだ。
歌詞は良く覚えていないので鼻歌だが、リチャードはセレネに子守唄を聴かせる事にしたのだ。
普段歌など歌わないリチャードだが、彼は決して音痴では無い。記憶の片隅に確かに残る母が歌ってくれた子守唄の緩やかなメロディを口ずさみ、リチャードはセレネの頬を撫でる。
すると、セレネの泣き声が少しずつ小さくなり、やがてその泣き声が止まるとセレネは再びリチャードの腕の中で眠りに落ちるのだった。
「良い子だセレネ。良い子だ」
ポンポンと同じリズムで繰り返し繰り返し、優しくセレネの腹部を撫でるリチャード。
そのリチャードの視界が不意に歪んだ。
眠気からかと目を擦るリチャードだが、その手に触れた多量の涙に自分が泣いていた事に気がつく。
悲しくて流した涙では無かった。
思えば朝から夕刻までリチャードはずっと不安だったのだ。
お産に苦しむ妻を助けられず、側にいて励ます事しか出来ない歯痒さに苛立ちすら覚えたが、リチャードはアイリスの「手を握っていて」と言う願いに応える事しか出来なかった。
(もっと掛ける言葉があったんじゃないか? 俺は見ている事しか出来なかった。初めての出産を前に何も出来なかった)
悔しくて、流した涙。
いや、それも違う。
もっと単純な事だと理解したのはソファに座ってボォーッと暖炉の火を見ていたリチャードの肩にリビングにやって来たアイリスが手を置いた時だった。
振り返ったリチャードは微笑む妻の顔を見て、セレネが産まれた事、アイリスという妻がいる事に感動して涙を流したのだと実感したのだった。
「どうしたの?」
「いや、命って凄いなって思ってね。すまない、言葉にするのは少し難しいよ。ただ君が頑張ってくれて、今ここにセレネがいる。それが嬉しくて。ああそうか、嬉しいんだ。心の底から嬉しいと思ったんだよ」
「それは私もよリック。あなたは私が思っていた以上に良い夫で、私が思っていた以上に娘達の良いお父さんでいてくれている。女として、妻として、母として、こんなに嬉しい事は無いわ」
ソファに座るリチャードの隣に腰を下ろし、アイリスはリチャードの肩に寄り掛かる。
そんな2人を暖炉の火の暖かさが包み込んだ。
「これからも末永くよろしくねリック」
「それは此方の台詞だよアイリス。改めてよろしく頼むよ。みんなで幸せになろうな」
こうして夜は更けていく。
静かな夜に舞い降りた一時の嵐はすっかりなりを潜め、そよ風よりも弱い寝息をたて、リチャードの腕の中で心地良さげに眠っていた。




