産後の食事の準備
シエラにセレネを抱いているアイリスの話し相手になってもらっている間に、リチャードは本日の夕食を作るためにキッチンへと足を向けた。
薄暗くなってきた廊下の様子にリチャードは壁に埋め込まれている魔石に触れ、魔力を流し込んでいく。
その魔石から廊下の壁の内側に埋め込まれた回路を伝い、廊下の壁に設置されているランプの様な魔光灯全てに光が灯ると、廊下は白より橙に近い光に照らされていった。
「あの、先生」
「もう先生では無いのだが、なんだい?」
「急に訪問してしまい、ごめんなさいでした」
「気にすることは無い。君はシエラの大切な友達だ、気楽にしてくれても良いくらいさ。でもそうだな。理由はあるみたいだし聞かせてくれるかい?」
「はい。実は」
廊下を歩くリチャードの後ろから、マリネスはシエラに言ったように両親の決めた"しきたり"に従って家を出た事を伝え、俯くように頭を下げた。
「ごめんなさい先生。宿を見つけるまでで良いので、今日だけでも泊めて頂けませんか?」
「う〜ん。駄目かな」
「あ、そ、そうですよね」
リチャードの返答に足を止め、俯いてしまったマリネスがサファイアのように蒼い眼を潤ませる。
考えれば当然だ、新しい家族を迎える記念すべき日に他人である自分が居て良いわけがないのだ。
マリネスは自分の考えの甘さを恥じていた。
もしかしたら先生なら、シエラの両親なら自分を受け入れてくれるのでは、という考えも有ったには有ったからだ。
しかし、リチャードの甘さはマリネスの予想を超える事になる。
「宿を見つけるまでと言わず、しばらく私達と暮らしてみれば良いさ。他人の家、それも私達のような平民との暮らしは色々不便があるだろうから、それを了承出来るならだがね」
「え、良いんですか?」
「ああもちろん。言っただろう? 君はシエラの大切な友達なんだと。君の家のように、いや、君自身がそうしているかは知らないんだが。執事やメイドになんでも任せっぱなしには出来ないから、それは覚悟しておくように。良いね」
「は、はい」
「ではしばらくマリネス君もうちの家族だ。よろしく」
キッチンの手前で足を止め、振り返ったリチャードがマリネスに手を伸ばす。
その手を取り、握手をした2人はキッチンに入ると本日の夕食の準備に取り掛かった。
2人で準備とはいえマリネスがやった事と言えば調理に使った器の洗浄や、盛り付け位だったが、その手付きに危うさや世間知らずな貴族の娘のような体たらくは無かった。
「マリネス君は家で手伝いをしていたりするのかい?」
「いえ、セルグ家は冒険者の家系でもありますので、色々教わってはいますけど。家事はメイド達が」
「ああそうだった。セルグの家の娘だったねマリネス君は。ご両親とは一度パーティを組んだ事があるが。ご健在かい?」
「はい。2人共元気です。この間も上姉様、下姉様とお兄様の5人で狩に行ってました」
「君は?」
「あ、その時私はシエラさん達とクエストがあったのでお断りしました」
こんな話をしながらリチャードが本日作る夕食はシスタークラリエのメモから考えたアイリスの産後に必要な栄養満点のバランス料理だ。
肉あり野菜あり魚ありで見た目にも彩り鮮やか、ちょっとしたパーティーのコース料理のようだった。
「ふむ。良い出来だ。味はまあ自己評価などあてにならんが、悪くは無いはず」
「先生凄いですね。うちのシェフよりお上手です」
「それは褒め過ぎだよ。さて、では大仕事だ。これらの料理を寝室に運ぶぞ」
「ダイニングでは無いのですか?」
「セレネを抱いたままではアイリスが食事をしにくいからね。かと言ってベビーベッドにセレネを寝かせたままでダイニングに行って食事するのも可哀想だ。だから寝室で皆で食べようかと思ってね。その為に配膳用の台車も買ったんだ」
キッチンの片隅で布を被っていた台車から布を剥ぎ取り、リチャードはそれを押して廊下を出る。
その後、リチャードとマリネスは2人でキッチンの料理を台車に運び、寝室を目指す。
先程までの泣きそうだったマリネスは何処へやら。
リチャードに「助かるよ、ありがとう」と言われ、マリネスは嬉しそうに微笑んだのだった。




