シエラ、姉になる
翌朝、いつものように日が昇り始める時間と共に目覚めたリチャードとシエラは、準備を整え鍛錬の為に街を走りはじめた。
今日の目的地はシエラとシエラの友人達が良く集合場所とする展望台を有する高台公園。
公園の麓に到着した2人は同時に長い階段を走って登り始めた。
リチャードが石で造られた階段を跳ぶ勢いで走り登り、その後ろをシエラも走るが、やはり父には追い付けない。
高台公園の展望台に到着したリチャードは額に少し滲んだ汗を手で拭い、シエラは汗だくの顔を首に掛けたタオルで拭う。
「はあ、はあ。駄目だあ。追い付けない」
「はっはっは。パパはまだまだシエラには負けられないからなあ」
膝に手を付き肩で息をするシエラの頭をガシガシと撫で、リチャードは展望台の手摺の方へと歩いていく。
まだまだ体力に差があるが、リチャードはシエラの成長にこの上なく満足していた。
出会った当初はガリガリに痩せ細って走る事など出来なかったシエラが、今こうやって自分の後を着いてくる程までに鍛えられている。
「さて、体が冷える前に帰ろうか」
「ん。わかった、帰る」
来た時とは違い、ゆっくりジョギングしながら帰り道を行く親子2人を白い朝靄が包む。
視界は悪いが、シエラが常時短距離用のマジックソナーを発動している為、街角で誰かとぶつかるような事は無かった。
身体強化系の魔法のように魔力を体内で循環させる物ならまだしも、探索系魔法のように体外に魔力を放出し続ける類の魔法を使い続けながら運動するという事は決して簡単では無い。
熟練の魔法使いがやる事を10代前半の冒険者見習いの少女がやっているのだ。
これにはリチャードは毎度感心していた。
「ふう。よしシエラ、クールダウンだ。歩こう」
自宅近くまで戻ってきた2人はジョギングをやめて歩き始める。
そして家に着くまでにリチャードはシエラに昨夜の事を伝える為に後ろを歩くシエラを待って手を伸ばし、シエラと手を繋いだ。
「シエラの妹の名前だがね。シエラが考えたセレネにする事にしたよ」
「私が決めた?」
「はっはっは。覚えてないかい? まあ書いた直後に眠ってしまったものなあ」
シエラが頭の上に疑問符を浮かべているのが首を傾げている様子からもありありと分かり、リチャードは笑うと昨晩の事を伝えたが、どうやら本当シエラは昨晩の事を覚えていないようだ。
シエラは自宅に到着してからも終始首を傾げていた。
「覚えていないならいないで構わないよ。シエラが宙に書いた文字から私達はヒントを得た。そうだなピンときたと言うやつさ。良いと思わないかい? 空に月だ、シエラがいてこそのセレネだ、私は良い名前だと思うよ。シエラがいなければ私とアイリスは結ばれなかった。セレネは生まれる事は無かったんだからね」
「セレネ、セレネかあ」
「駄目かい?」
「ううん。良いと思う」
「そうか、良かった」
リチャードの言葉を受け入れて、シエラは笑顔を浮かべるとリチャードから手を離し、自宅へと駆けて行く。
そして帰宅したシエラはその足でリビングのソファに座って夫と娘の帰りを待っていたアイリスの元へ向かうと、ソファの前に座り込んでアイリスに「ただいま」を伝え、アイリスのお腹に触りながらお腹の中の妹にも「ただいま、セレネ」と伝えるのだった。
「セレネ、お姉ちゃんがただいまだって」
「お姉ちゃん。私がお姉ちゃんかあ」
まだ姿すら見えない我が子を抱くようにお腹を撫でるアイリスと、その優しげなアイリスの顔を眺めるシエラ。
そんなシエラをアイリスは横に座るように促すが、シエラは「ちょっと待ってて」とアイリスに言ってリビングを飛び出す。
シエラに遅れて帰宅したリチャードが汗を流す為に入った風呂。
そこにシエラは乱入した。
リチャードが汗だけ流し湯船に浸かっていたところに急いで服を脱いだシエラが飛び込んだのだ。
「こら。飛び込むと危ないぞ」
「ん。ごめんなさい」
反省しているのかいないのか、シエラは父の注意もそこそこに湯船から上がろうとするが、流石に入ってすぐに上がっては風邪をひきかねないとリチャードがシエラの肩に手を乗せてそれを阻止した。
「シエラ、何を急いでいるのかは知らないが、風呂にはゆっくり浸かるものだ。風邪をひいたら治るまでママには会えないぞ?」
「む〜。分かった」
なんだかんだでゆっくりお風呂に浸かり、体を温めてから2人は風呂から上がるとリチャードは部屋着に、シエラはクエストに着て行くいつもの服に着替えてリビングへと向かった。
ソファの背もたれ側から跳んでアイリスの横に座るシエラ。
そんなシエラをアイリスは抱き寄せた。
「シエラちゃんは今日もクエスト?」
「ううん。今日は皆でギルドの鍛錬所借してもらって鍛錬する」
「あらそうなのね。じゃあ今日は早く帰って来るのね?」
「夕食までには帰る」
「そっか。鍛錬とは言え気を付けなければ駄目よ? 怪我しないようにね」
「ん。大丈夫。今日はロジナにも着いてきてもらうから」
「そうなんだ。じゃあロジナ、娘をよろしくね」
今日の予定を楽しそうに話すシエラの肩を抱き、アイリスは名前を呼ばれてやって来たロジナに微笑む。
そんなアイリスにロジナはペコッと頭を下げると「分かりました奥様」と伝え、尻尾を振った。
「シエラ、朝食はどうする?」
「今日はギルドで皆と食べる」
「そうか。じゃあそろそろ支度しないとな。皆お腹を減らす事になるぞ?」
「ん。分かった。パパ、ママとセレネをよろしくね?」
「はっはっは。ああ、もちろんだとも。2人はパパに任せなさい」
この後、シエラは装備を整えるとロジナを伴い「行ってきます」と元気に出掛けて行った。
アイリスが調子を崩したのはその数分後だった。