シスターに教えられた事
「シスタークラリエ、お久しぶりです」
リチャードが畑の土弄りをしているシスターに話かけると、クラリエと呼ばれたシスターはゆっくりと立ち上がり、リチャードとシエラの方に振り返った。
「おやまあリチャード君。随分と久しぶりねえ、痩せましたか? ちゃんとご飯は食べてますか? 噂では神隠しに遭ったと聞いていましたが」
「狼さんだ」
振り返ったシスター。クラリエは獣人だった。
人間に近い半人半獣ではなく、獣に近い半獣半人。
数ヶ月前、リチャードとシエラが転移させられたエルフの里の先にあった様々な種族が共に暮らす最果ての町に暮らしていた獣人族達と同じく狼がそのまま立ち上がったような姿。
黒い修道服を着ているからか、小麦畑を思わせる金色の体毛が際立って見えて輝いているようだ。
「あら珍しい。私の姿を見て怖がらないなんて」
「シスターさん綺麗だもん、怖くなんてないよ。それに、うちにも狼さんいるしね」
「綺麗だなんて久しく言われてないのに、嬉しい事言ってくれますねえ。リチャード君、この子は?」
「私の娘ですシスター」
「あら〜。貴女がシエラさんなのね。利発そうな娘さんねえ」
狼の顔だが、優しく笑うその顔にシエラは困ったように首を傾げて横に立つリチャードの顔を見上げた。
「賢い子に見える、と褒めてくれたんだよ」
「ん。ありがとう、ございます?」
シエラがシスターに首を傾げたまま褒められた礼を言うと、リチャードは黙って微笑んだままシエラの頭を撫でた。
その様子を眺めていたクラリエは和かに微笑んで畑から出るとリチャード達に近付いていく。
「あの無気力だったリチャード君が冒険者として大成して、それでもどこかずっと寂しそうだった貴方が、良い顔で笑うようになりましたね」
土の付いた手を修道服で拭おうとしたクラリエを、リチャードが手を伸ばして制し、空中に手を入れる事が出来る程の水の球を作り出し「これで洗って下さい」と言うとその水の球をクラリエの一歩前に静止させた。
その水の球で手を洗うと、クラリエは手を握って合わせて組みリチャードに頭を下げる。
「ありがとうねえリチャード君。さあ中に入って、大したおもてなしは出来ないけど。ああそうだ、今日はパイを焼いているの、一緒にいかが?」
「いえ、それでは孤児院の子供達の分が減ってしまいます。今日は聞きたい事があって来ただけですから。今度お邪魔した時はご馳走になりますし、ご馳走しますよ」
「あらそう? 分かりました、ひとまず中にどうぞ、お水くらいは飲んでくれるでしょう?」
「ははは。分かりました、水は頂きましょう」
クラリエの冗談に冗談で笑い返し、リチャードはシエラとクラリエの先導で孤児院へと向かう。
そして先に扉を開けて待ってくれているクラリエに礼をすると親子2人は孤児院の中に足を踏み入れた。
掃除の行き届いた綺麗な廊下は靴のまま歩く事に気が引ける程だ。
来客が珍しい孤児院に、勉強などをする広間から何人かの子供が顔だけ出してリチャード達を見ていた。
シエラよりも幼い7、8歳くらいの男の子と女の子数名がリチャードとシエラを目で追い首を回して追いかける。
「あなた達。先生はお客様の相手をしますから、先に食事を済ませておいてね、デザートにアップルパイがありますから。あんまりお腹いっぱい食べるとパイは食べれませんよ?」
子供達にクラリエが言うと、子供達は「やったパイだって!」「早く行こう」と笑顔で広間から飛び出して行った。
そんな子供達を笑顔で見送ったクラリエは、リチャード達を伴って孤児院の2階、執務室へと向かっていく。
その途中、すれ違ったシスターに「ごめんなさい、水を3人分お願い出来るかしら」とクラリエは頼むと、2階の廊下を進んでいった。
「ではあらためて。私に聞きたい事とはなんなのかしら?」
執務室に足を運んだクラリエは執務机ではなく、応接用のソファに座り、リチャード達にも座るように促すと口火を切る。
そんなクラリエに促されるままリチャードとシエラは並べられた1人掛けソファにそれぞれ座ると孤児院、というよりもクラリエの元を訪れた理由をリチャードは話始めた。
「実は先日妻が身籠りまして、シエラは私が引き取って育てている娘なので、赤ん坊を迎えるのは今回が初めてなんです。それで必要な物や必要な知識を知りたく思い、今日は顔を出しました」
「あらあら、あらあらあら。それはおめでたい話だ事。確かお相手はギルドの長のアイリスさんだったわね。昔からお世話になってるわぁ」
「ママの事知ってるの?」
「ええもちろん。まだ私がシスターになったばかりの頃はこの辺りの治安がまだまだ悪くてねえ。アイリスさんが良く遊びに来てくれてはゴロツキ共を蹴散らしてくれたのよ」
「ママ格好良い」
「アイリスらしいな」
昔話を挟みつつ、リチャードはクラリエから知りたい事を聞いていく。
真剣に自分の話を聞き、渡したメモ用紙に鉛筆で注意事項や必需品などを書き込んでいくリチャードの姿に、クラリエは少年時代のリチャードの姿、青年期のリチャードの無気力な表情、3年前までの寂しそうなリチャードの顔を順番に思い出して感慨深くなったのか、ソファから立ち上がると瞳に涙を浮かべ、メモを書くリチャードの頭を撫でた。
「シスター?」
「ごめんなさい。歳を取ると涙脆くなってしまって。私は子供の頃の貴方や、貴方のご両親が亡くなった頃の貴方も見てきたから。成長した姿を見て感動してしまったの」
「そんなに、変わりましたか?」
「3年前とは別人のようだわ。シエラさんとの出会いはそれ程に貴方を変えたのね」
「ええ、確かにシエラと出会ってから私は変わったかも知れません。それが良かったかどうかは自分では分かりませんが」
「良いに決まってます。ねえシエラさん、お父さんの事は好き?」
「ん。好き、大好き。ママも好き」
「これが一番の答えよリチャード君。血の繋がりがあっても不仲な家族はいます。でも貴方達は血は繋がっていなくても間違いなく家族の絆で繋がっているわ。それはとても良い事で尊い事よ。自信を持って、今の貴方なら良い父、良い夫になれるわ」
「ありがとうシスター。貴女にそう言ってもらえると不安が無くなるよ」
そこまで言って、リチャードはハッと息を呑んだ。
自分自信が新しい家族を迎える事に不安を感じていた事を気付かされ、自覚したからだ。
アイリスが身籠ったと聞いて嬉しかったのは事実、産まれて来る子供を楽しみに思っているのも事実、そこに後ろ向きな考えなど無いと、自分の子供が産まれてくることに不安など無いとリチャードは思っていた、思っていたはずだった。
「はあ。まったく、なんとも私らしくないな」
「そんな事ないわ。新しい家族、新しい命を迎えるというのは無関心でない限り不安になるものよ。子供を産む母親もそうだわ。だから皆で、家族で助け合うの。そして新しい命を迎えた時には言ってあげるのよ、産まれてくれてありがとう、ってね」
「産まれてくれてありがとう、ですか。そうですね確かに……そうだ、思えばちゃんと言ってなかった気がするな」
リチャードが呟いて、ソファから立ちあがろうとしたのでクラリエはリチャードの頭から手をどけ、自分の座っていたソファに戻った。
そして立ち上がったリチャードはシエラの前に立つと、シエラの脇に手を入れて抱き上げる。
シエラはリチャードのなすがままに抱き上げられ、リチャードに抱きついた。
「シエラ、君にもちゃんと言わないと。産まれてきてくれて、私と出会ってくれてありがとう。君のおかげで今の私がある、新しい家族も出来た。君がいなければ全て無かった物だ。だから本当にありがとう。愛している、私達の大事な娘」
抱き上げられ、抱きしめられたシエラはリチャードの言葉に悲しくもないのに涙を流した。
礼を言いたいのは自分の方なのに、拾ってくれて、育ててくれて、一緒にいてくれて、ありがとうと言いたいはずなのに口から言葉が出てこない。
代わりに出たのは両目から溢れた大粒の真珠のような涙だった。




