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「天才」 第三部 背反  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第13章~第19章

第十三章



ユージンとアンジェラの間では、とても激しい喧嘩が続いていた。アンジェラはそうでない時を見計らって、この上なく巧妙な手段で、彼の昔の愛情とまではいかなくても、彼の正義感と公平な対応に訴えようとしていた。古い計算手法が完全に通用しなくなり、それを失ったことで、実は取るべき常套手段がなくなっていた。ユージンは明らかにこれまでずっとアンジェラの怒りを恐れていたが、今ではそれを全然気にしなかった。既婚者ならよくおわかりの、あの魅力的な甘い言葉に彼は昔ある程度従っていたが、それは灰も同然だった。アンジェラの魅力はユージンには全然通じなかった。生まれてくる子供を考えればユージンは動くと期待したが、そんなことはなく、どうやら無駄だった。彼から去らないので彼女には今やスザンヌが怪物に見え、ユージンに至ってはほとんど手のつけられない狂人に見えた。それでも彼女は、このすべてがどれほど人間的で自然であるかを理解できた。ユージンは催眠術にかかって何かに取りつかれていた。スザンヌ、スザンヌとひとつのことしか考えなくなって、そのためならいつでもアンジェラと戦うつもりだった。彼が彼女にそう言ったのだ。アンジェラがスザンヌに宛てた手紙のことと、それを読んで破棄したことまで話した。手紙は彼女の主張をまったく後押してくれなかった。アンジェラは自分がユージンを公然と非難してしまったことを思い知った。ユージンはスザンヌの決断を待ちながら自分の立場を崩さなかった。スザンヌには頻繁に会って、自分が完全に勝利したことと、二人の願いがかなうのは今や彼女次第であることを告げた。


すでに述べたように、スザンヌに情熱がないわけではなかった。ユージンとの付き合いが長くなればなるほど、彼女は彼の言葉や表情や感情が示すあの楽しい充足をますます熱望するようになった。冷酷この上ない無鉄砲な行為でしか実現できない幻想を、彼女は愚かな少女じみたやり方で作り上げていた。これはそう簡単に、そう手っ取り早く、解決できる問題ではなかったから、母親に話して議論や反抗で打ち勝つという彼女の意見は、実は空論だった。この最初の会話で母親が彼女に懇願したせいで、スザンヌはてっきり自分が勝ったと思った。母親は彼女の言いなりで、議論で彼女を打ち負かすことができなかった。後者を理由に、スザンヌは自分の勝利を確信した。そのうえ、母親のユージンに寄せる信頼と娘に向ける深い愛情をかなり当てにしていた。これまで母親はスザンヌの頼みを断ったことがなかった。


ユージンがこの時点ですぐにスザンヌを手に入れなかったのは……結婚抜きで企てられた二人の結びつきから必然的に生じる問題の解決をぎりぎりまで先延ばしにしたのは……ユージンが見かけほど無鉄砲でも勇敢でもないからだった。彼は彼女のことが欲しかったが、スザンヌ自身を少し恐れていた。彼女は疑いを抱いて、先に延ばしたがり、物事を自分のやり方で計画したがった。ユージンはこれまで本当は冷酷ではなく、気さくで、のんきだった。決してずる賢い策士や立案家ではなく、むしろのんきな性格の人であり、状況のあらゆる潮流と順風や逆風に翻弄されてあちこちを漂った。彼はこの地球上の特定の何かを、お金や名声や愛情を熱望すれば、冷酷になったかもしれないが、心の底では自分が思うほど本当は大して気にかけていなかった。もしそれを手に入れなくてはならなかったら、どんなものでも戦う価値はあったが、それがなくてもやっていけるのであれば、最後まで戦う価値はなかった。それどころか、もしそうせざるをえなかったら、それなしてやれないことは本当は何もなかった。ものすごく欲しくても、彼は乗り越えることができた。これまでの人生では、他の何よりもこの欲望にのめり込んだが、進んで非情や貪欲になることはなかった。


一方、スザンヌは、連れ去られる気はあったが、迫られるか強いられる必要があった。彼女は時間をかけて自分なりに調整したいと漠然とは思ったが、ユージンが先延ばししていたために、ただ夢を見て、先延ばしにしていた。もしユージンがすぐに強引に出ていたら、スザンヌは幸せだっただろうが、残念ながら彼には、行動が先で考えが後になるあの無鉄砲な行動力が欠けていた。彼はハムレットのようにじっくり考えるのが大好きで、あまり無茶でない方法を探そうと心配しすぎて、そうこうしているうちに、これまでに獲得していた物質的利益のすべてを進んで放棄してでも欲しかったあの理想の至福を危険にさらしていた。


数日のうちにデイル夫人がさり気なく、秋から冬にかけてニューヨークを離れて、夫人とスザンヌとキンロイとで、まずはイギリス、次に南フランス、それからエジプトに行こうと提案し始めたとき、スザンヌはすぐに、これは何かのもくろみか、さもなければどうせ自分の幸せをぶち壊そうとする運命のとても意地の悪い計画だと察知した。彼女は、母親が自分とスザンヌのためにニューヨークの外で約束することが珍しくない遠距離で長期間の予定をどうすれば一時的に回避できるかを考えはしたが、系統立てて策定したわけではなかった。デイル夫人はとても人気があって非常に好かれていた。かなり自信を持って、まるでちょうどおあつらえ向きであるかのように、母親に出されたこの気楽な提案は、スザンヌを脅かして、それから苛立たせた。どうして彼女の母親はちょうどこの時期にこんなことを思いつかなければならないのだろう? 


「私はヨーロッパなんか行きたくないわ」スザンヌは警戒して言った。「たった三年前に行ったばかりでしょ。この冬はこっちにいて、ニューヨークの様子を見ていたいわ」


「でも、この旅行はとても楽しいものになるわよ、スザンヌ」母親は食い下がった。「キャメロンさんのご家族が秋の間スコットランドのカレンダーにいるそうよ。あちらに別荘を構えたんですって。火曜日にルイーズから手紙をもらったのよ。向こうに行って、みなさんにお会いして、それからワイト島に行くのがいいと思ったのよ」


「私は気が進まないわ、お母さん」スザンヌはきっぱりと答えた。「私たちはここで快適に暮らしているのに、どうしてお母さんはいつもどこかに逃げ出したくなるのかしら?」


「まあ、逃げ出すわけじゃないわ……どうしてそんな言い方をするの、スザンヌ! 以前ならどこへ出かけるにしても、あなたがそんなに反対するのを聞いたことがなかったのにね。エジプトやリビエラはあなたの関心をかき立てると思うわ。どちらにも行ったことがないでしょ」


「どちらも名所なのは知ってるわ。でもこの秋に行きたくはないわね。むしろここにいたいわ。どうして急に一年も出かけようって決めたの?」


「急に決めたわけじゃないわ」母親は言い張った。「しばらく考えていたことよ、あなたも知ってるでしょ。近いうちにヨーロッパでひと冬過ごそうって、お母さん言ってなかったかしら? 前回この話をしたとき、あなたは大乗り気だったでしょ」


「ええ、知ってるわ、お母さん、でもそれは一年近く前のことよ。今は行きたくないわ。むしろここにいたいのよ」


「どうしてかしら? あなたのお友だちだってみんなここにいないで出かけちゃうでしょ。この冬はとりわけ大勢のお友だちが出かけると思うわ」


「あはははは!」スザンヌは笑った。「とりわけ大勢ですって。自分が何かをしたいときって、どれだけ大げさなのかしら、お母さんは。いつも私を楽しませてくれるわ。今がとりわけ大勢なのは、お母さんが行きたいからでしょ」スザンヌはまた笑った。


スザンヌの反抗は母親を苛立たせた。どうして急にここに留まりたいと言い出したのだろう? これは彼女が一緒にいる女の子グループのせいに違いないが、スザンヌには親しい女友だちがあまりいないようだった。アルマーディング家は冬中ずっと町にいるつもりはなかった。別荘で火事があったから今はここにいるが、これはほんのいっときだけのことだろう。テネック家もそうだった。スザンヌが誰か男性に関心をもっているということはありえなかった。彼女がとても気にかけていた唯一の人物はユージン・ウィトラだった。彼は既婚者であり、兄弟のような、保護者のような形でしかつき合いがなかった。


「さあ、スザンヌ」デイル夫人はきっぱりと言った。「くだらない話はその辺にしておきなさい。始まってしまえば、この旅行はあなたにとって楽しいものになるんだから。行きたくないなどと馬鹿なこと言って邪魔しても無駄ですよ。あなたは旅行をするのにちょうどいい時期にいるわ。さあ、私たちは出かけるんだから、あなたも自分の準備を始めた方がいいわ」


「いやよ、私は行かないわ、お母さん」スザンヌは言った。「まるで私がとても小さな女の子であるかのように話をするわね。私はこの秋に行きたくないし、行くこともないわ。行きたければ、お母さんが行けばいいでしょ。でも私は行きません」


「まあ、スザンヌ・デイル!」母親は叫んだ。「あなたったら一体どうしちゃったの? もちろん、あなたも行くんです。もしお母さんが行ってしまったら、あなたはどこにいるつもり? お母さんがあなたを置いて出歩くと思うの? これまでにそんなことがあったかしら?」


「私が寄宿学校にいたときは、そうだったでしょ」スザンヌが口を挟んだ。


「それは別の問題よ。あのときはあなたにちゃんとした監督がついてましたからね。ヒル夫人が私に代わって責任を持ってあなたの面倒を見てくれたわ。ここではあなたひとりになるのよ。私がどうすると思うの?」


「ほらまた始まった、お母さん。まるで私が小さな女の子であるかのように話してるわ。私はもうすぐ十九歳なんだってことを覚えておいてくれないかしら? 自分の面倒の見方くらいわかってるわよ。それどころか、その気になれば、一緒にいてもいい人はたくさんいるわ」


「スザンヌ・デイル、まるで取りつかれた人のように話すわね。こんな話に耳を貸すつもりはありません。あなたは私の娘なのよ。従って私の保護下にあります。いったい何を考えているの? どんな本を読んでいたの? このすべての根底には何か馬鹿げたものがあるわね。私はあなたを置いて出かけるつもりはありません。あなたは私と一緒に行くんです。私は長年尽くしてきたんだから、あなたが私の気持ちを汲んでくれると考えてもいいでしょ。どうすればそんなところに突っ立って、こんなふうにこの私と議論ができるのよ?」


「議論しているの、お母さん?」スザンヌは高飛車に尋ねた。「私は議論なんかしてないわ。私はただ行かないってだけのことよ。行きたくない理由がいろいろあるから、私は行かない、それだけのことよ! お母さんが行きたいのなら、行けばいいでしょ」


デイル夫人はスザンヌの目をのぞき込み、初めてそこに本物の反抗の光を確認した。何がこれをもたらしたのだろう? どうして娘はこんなに頑固に……突然、こんなに強情で頑なになったのだろう? 恐怖と怒りと驚きが彼女の感情の中で等しく混ざり合った。


「あなたの言ういろいろな理由って何なの?」母親は問いただした。「あなたにどんないろいろな理由があるっていうの?」


「とってもいい理由が一つあるのよ」スザンヌは理由を一つに集約して静かに言った。


「じゃあ、それは何なのよ、お願いだから言ってごらん?」


スザンヌは素早く考えたが、頭の中はまだ少し漠然としていた。彼女は、哲学的な議論がもっと長引いて、母親が道徳や知性を振りかざしたくなる立場に陥ることを期待していた。そうすれば母親はそこから引くに引けなくなって、それがもとで彼女が欲しがる許可を出さなければならなくなるだろう。彼女はこれとその前の会話のいろいろな発言から、母親の頭の中は、娘を自分の哲学的な演算に組み入れるときに従う理論がまったく整っていないことに気がついた。彼女は世の中のありとあらゆる理論や結論に賛同するかもしれないが、それをスザンヌに適用することはなかった。したがって残された道は、逆らうか逃げ出すかだったが、スザンヌは逃げ出したくなかった。彼女は大人だった。自分のことは自分でできた。お金を持っていた。彼女の精神的なものの見方は母親と同じくらい善良で正常だった。現に、スザンヌの最近の経験や感じ方に照らしても、母親の態度は弱くて取るに足らないものに見えた。母親は人生について彼女以上に何を知っているのだろう? 二人ともこの世界にいた。そしてスザンヌは二人のうちでは自分の方が、強い……正しい、と感じた。今、話して反抗したらどうだろう。自分が勝つ。勝つに違いない。自分なら母親を支配できるかもしれない。今が実行する時だった。


「愛する人のそばにいたいからよ」ようやくスザンヌは静かに打ち明けた。


話に合わせて動かすのにちょうどいい体の前の位置にあげられていたデイル夫人の手が、無意識のうちにだらんと横にたれた。口がほんの少し開いた。驚きと苦悩とやや間の抜けた様子で彼女はじっと見つめた。


「愛する人ですって、スザンヌ?」デイル夫人は尋ねた。停泊地から完全に流されて、果てしない海で行き場を失った心境だった。「相手は誰なの?」


「ウィトラさんよ、お母さん……ユージンよ。私は彼を愛してるの。そして彼も私を愛してるわ。じろじろ見ないでよ、お母さん。ウィトラ夫人だって知ってるわ。私たちが一緒になることを認めているのよ。私たちは愛し合ってるの。私は彼のそばにいられるここにいるつもりよ。彼が私を必要としているんですもの」


「ユージン・ウィトラですって!」母親は叫んだ。息ができなくなり、目が恐怖でゆがみ、緊張した両手は恐怖で冷たくなった。「ユージン・ウィトラを愛してるですって? 結婚してる人なのよ! 彼があなたを愛してる! 私に話しかけているのはあなたなの? ユージン・ウィトラ! あなたが彼を愛してる! こんなこと信じられないわ。私が正気じゃないんだわ。スザンヌ・デイル、そんなところに突っ立ってる場合じゃないわ! そんなふうに私を見るのはおよし! あなたはこの私に、自分の母親に向かって言っているのかい? 違うとおっしゃい! 私を狂わせる前に違うと言っておくれ! ああ、神さま、何が私に起こっているの? 私は何をしてしまったの? よりによってユージン・ウィトラとは! ああ、神さま、ああ、神さま、ああ、神さま!」


「どうしてそんなに取り乱すのよ、お母さん?」スザンヌは冷静に尋ねた。彼女はこういう場面を予想していた……これほど激しくも、ヒステリックでもなかったが、似たようなものを。そして一応それに備えていた。自分本位の愛は、彼女の原動力、支配的衝動だった……それは自分を静める愛でもあった。そして、全世界とそのルールを何もないかのように脇に押しのけた。スザンヌは自分のしていることを本当はわかっていなかった。自分の恋人を完璧と感じることと、二人の愛の美しさに酔いしれていた。スザンヌの心に存在するのは、現実的な事実ではなく、夏の美しさや、涼しい風の感触、空や太陽の光や月の光のすばらしさだった。彼女を抱きしめるユージンの腕や、彼女の唇に触れる彼の唇は、身近な全世界よりも重要だった。「私は彼を愛してるわ。本当に愛してるのよ。これの何がそんなにおかしいのよ?」


「何がおかしいかですって? あなた、気は確かなの? ああ、私のかわいそうな大切な小さな娘が! 私のスザンヌが! ああ、あの悪党め! あのろくでなしめ! 私の家に入り込んで、あなたに、私の大切な子供に愛を囁くなんて! どうすればあなたはわかってくれるのかしら? どうすれば私はあなたが理解してくれると思えるのかしら? ああ、スザンヌ! どうか、お願いだから、黙んなさい! 二度とこれを口にしないで! 二度とこんな恐ろしいことをこの私に言わないでちょうだい! ああ、困ったわ! まったく! 本当に困ったことになった! こんな目に遭うために生きるだなんて! 私の子供が! 私のスザンヌが! 私のいとしい、美しいスザンヌが! これをとめられなければ、私は死ぬわ! 死ぬ! 死んでやるわ!」


スザンヌは、自分が母親を放り込んでしまったこの激しい感情にすっかり驚いて、相手を見つめた。かわいい目がぱっちりと開き、眉が上がって、唇が愛くるしく開いた。彼女は強烈な古典的美人の絵のようだった。彫りが深く、穏やかで、落ち着きがあった。額は大理石のように滑らかで、唇は喜び以外の感情を知らないかのように弧を描いた。表情はからかうような、少し面白がったところがあるが、傲慢な特徴はなく、これが彼女をこれまでにないほど印象的にした。


「ねえ、お母さん! お母さんは私を子供だと思ってるんでしょ? 私がお母さんに言ったことはすべて本当よ。私はユージンを愛してます。彼も私を愛してます。静かに準備ができ次第、私は彼と一緒に暮らします。こそこそやりたくないから言っておくけど、そうするつもりだから。私を赤ん坊扱いしないでほしいわ、お母さん。私は自分が何をしているのかわかっています。私はこのすべてをずっと考えてきたんですから」


「すべてをずっと考えてきたですって!」デイル夫人は考え込んだ。「準備ができたら一緒に暮らすですって! 結婚式も挙げないで男性と一緒に暮らそうって言っているのかい? しかもすでに結婚している男性と! この子は完全に狂ってるのかしら? 何かでおつむが変になったのね。きっと何かのせいよ。これは私のスザンヌじゃない……私の大切な、いとしい、人を魅了するスザンヌじゃない」


デイル夫人はスザンヌに向かって声を荒らげた。


「あなたはこんなのと、まあ、あえて名前は言わないけど、こんなのと一緒に暮らすって言うの。この問題を解決しないなら、私は死ぬわ。結婚式も挙げずに、しかも相手は離婚していないのに暮らすのかい? 私は自分の目が覚めていることが信じられないわ。信じられない! 信じられないわ!」


「もちろん、私は覚めてるわ」スザンヌは答えた。「これは私たちの間ですべて話がついてるの。ウィトラ夫人だって知ってるわ。同意したのよ。もし私にここにいてほしいのなら、お母さんも同意してほしいわ」


「同意しろですって! 神さまお尋ねします! 私は生きているでしょうか? これは私の娘が私に話しかけているのでしょうか? 私はここ、この部屋で、あなたと一緒におりますでしょうか? 私は」デイル夫人は口を大きく開けたまま話すのをやめた。「こんな痛ましい悲劇でなかったら笑ってしまうわね。笑うわよ! 笑いがとまらなくなるわ! 今、私の頭は車輪のように回っているわ。スザンヌ・デイル、あなたはまともじゃない。あなたは狂ったように、馬鹿みたいに、まともじゃない。もし黙って、この恐ろしい無駄話をやめないなら、あなたを閉じ込めるわ。あなたが正気かどうか検査をしましょう。これは、これまで母親に提案されたものの中でも、最も無謀で、最も恐ろしくて、最も想像できないものだわ。あなたをこの腕に抱き、この乳で育て、十八年も一緒に暮らしたのに、その挙句があなたをここに立たせて、妻として今も暮らしている善良で誠実な女性がいる男性のもとへ行って正式に承認されない生活を一緒に送る、と言わせることになるなんて。こんなに驚く話は聞いたことがないわ。こんなの信じられない。あなたはそんなことしません。飛ぶことができないのと同じで、やれることじゃありません。私があいつを殺してやる! あなたもろとも殺してやる! そんなところに立ってよくこの私にこんなことが言えたものだ、と思うくらいなら、あなたがこの瞬間にこの足元で死ぬのを見た方がましよ。こんなことがあってたまるもんですか! あってはならないわ! まずはあなたに毒を飲ませるわ。私はどんなことだってやるわ、何だってやるわ。でもあなたがこの男に会うことは二度とありません。もしあいつがこの家の敷居をまたぐことがあれば、その瞬間に殺してやるわ。私はあなたを愛してるのよ。私はあなたをすばらしい娘だと思ってるけど、こんなことは絶対にごめんだわ。それとね、私を説き伏せようとするのはおやめなさい。言っておくけど、この手で殺してあげるわ。あなたが死ぬのを千回見る方がましだもの。考えなさい! 考えるの! 考えるんです! ああ、あのけだものめ! あの悪党め! あの良心の欠片もない野良犬め! 私があれだけ礼節を重んじてあいつに接したのに、あいつときたら私の家に入り込んで、私にこんなことをするなんて。待って! あいつは地位もあれば名誉もあるわね。私があいつをニューヨークから追い出してやる。破滅させてやる。まともな人たちに顔向けできないようにしてやる。今に見てらっしゃい!」


デイル夫人の顔は真っ青で、両手は握りしめられ、歯は食いしばられていた。メスの虎が牙をむいた時のような鋭い野生の美しさがあった。目つきが険しく、残忍で、ぎらぎらしていた。母親がこれほど怒りを爆発させることができるとスザンヌは想像したことがなかった。


「ねえ、お母さん」スザンヌは冷静に、まったく動じることなく言った。「まるでお母さんが私の人生を完全に支配しているかのような口ぶりね。お母さんは、私が自分で選択したことをやる勇気がないって私に思わせたいんでしょうけど、私はやるわよ、お母さん。私の人生は私のものであって、お母さんのものじゃない。私を怖がらせることはできないわ。この問題で私が何をするかは決定済みなの。私はそれを実行します。お母さんに私をとめることはできません。やるだけ無駄よ。今しなくてもいずれしますから。私はユージンを愛してるの。彼と一緒に暮らすつもりよ。お母さんが許さないなら、私は出て行きます。でも彼とは一緒に暮らすつもりよ。私を脅そうとするのはもうやめた方がいいわ、お母さんにはできないんだから」


「脅す! 脅すですって! スザンヌ・デイル、あなたは自分が何を言っているのか、私が何をしようとしているのか、これっぽっちも、ちっとも、わかってないわ。もしこれがほんのわずか……あなたの目論見がほんの少しでも広まったら、あなたは社会から追放されるのよ。この世の中に一人の友人も残らなくなるってことを、今あなたの知る親交があるすべての人たちが、あなたを避けるために通りを渡って向こうに行ってしまうってことを、あなたはわかってないの? 独立した財産がなかったら、普通の店に就職さえできないのよ。それでもあいつと暮らすっていうの? まずあなたが死ぬことになるわ、ここで私の手にかかって、この私の腕の中でね。あなたを愛しているからこそ、あなたを殺さないわけにはいかないわ。いっそあなたと一緒に死ぬ方が千倍ましだもの。もうあなたがあの男に会うことはありません。二度とありません。もしあの男がここにのこのこ顔を出しに来れば、私がこの手で殺してやるから。伝えたわ。私は本気よ。もしあなたが決行すれば、私に行動をとらせるのはあなたですからね」


スザンヌはただ微笑むだけだった。「何言ってんの、お母さん。笑わせてくれるわね」


デイル夫人はじっと見つめた。


「ああ、スザンヌ! スザンヌ!」と突然叫んだ。「手遅れになる前に、私があなたを憎むようになる前に、あなたが私の心を傷つける前に、私の腕の中に来て謝るのよ……すべて終わったと……すべて恥ずべき、邪悪な、忌まわしい夢だと言っておくれ。ああ、私のスザンヌ! 私のスザンヌ!」


「嫌よ、お母さん、お断りよ。近寄らないで、私に触れないで」スザンヌは後ずさりしながら言った。「お母さんこそ、自分が何の話をしているのか、私が何者なのか、私が何をするつもりなのか、を全然わかってないわ。私を理解していない。一度も理解したことがなかったのよ、お母さん。まるで自分は多くのことを知っていて私がほんの少ししかわかってないかのように、いつもどこか高いところから私を見下ろしてきたんだわ。それは大間違いよ。真実はそうじゃないわ。私は自分が何をしようとしているのかわかってるわ。自分が何をしているのかもわかってます。私はウィトラさんを愛しているんです。彼と一緒に暮らすつもりです。ウィトラ夫人は理解しているし、状況を把握してます。お母さんも知ることになるわ。私は人が何を考えるかなんてまったく気にしないし、上流社会の友人が何をするかも気にしないわ。彼らが私の人生を作っているわけじゃないし、どうせ彼らはみんなどこまでも狭量で自分勝手だもの。愛ってそういうものじゃないわ。お母さんは私を理解していないのよ。私はユージンを愛しているんです。そして彼は私を手に入れるつもりだし、私は彼を手に入れるつもりでいるわ。もしお母さんが私と彼の人生を壊したければ、そうすればいいわ。でもそんなことしたって何も変わらないわよ。どうせ私は彼を手に入れるんだから。これについての話をするのはもうやめた方がいいわ」


「これについての話をするのをやめる? これについての話をするのをやめるですって? それどころか、こっちはまだ話を始めてさえいないわ。私はただ気持ちを落ち着けようとしているだけよ、それだけだわ。娘は狂ってわめきちらしていますけどね。こんなことがあってたまるもんですか。絶対にあってはならないことだわ。あなたはただの、かわいそうな、たぶらかされた小娘よ。これは私の監督不行き届きね。もし神さまが私をお許しくださるなら、これから私はあなたに対する義務を果たします。あなたには私が必要なのよ。ああ、どれほど私を必要としてるのかしら。かわいそうなスザンヌ!」


「ねえ、静かにしてよ、お母さん! 興奮しないでよ」スザンヌが口を挟んだ。


「コルファックスさんに連絡するわ。ウィンフィールドさんにも連絡するわ。あいつを解雇してもらいます。新聞に暴露してやる。あのろくでなし、悪党、盗人め! ああ、こんな日を迎えるために生きてきたとは。こんな日を迎えるために生きてきたとは!」


「いいわ、お母さん」スザンヌはうんざりした様子で言った。「続けましょう。お母さんは口先だけなのよ。私はそれを知ってるわ。お母さんに私を変えることはできません。話すだけ無駄よ。こうやってわめき散らすのは愚かだと思うわ。どうして静かにやろうとしないのかしら? 私たちは話せばいいのよ、叫ぶ必要はないわ」


デイル夫人は両手をこめかみに当てた。頭脳が回転しているようだった。


「構わないで」夫人は言った。「構わないでちょうだい。私は考える時間を持たなくてはならないの。でもね、あなたが考えていることは絶対に実現しないわよ。絶対にしません。ああ! ああ!」夫人は泣きながら窓の方を向いた。


スザンヌはただじっと見ていた。人間の感情とは……人間の道徳についての感情とは……何と奇妙なのだろう。ここに母親がいて泣いていた。彼女は自分の母親が泣いている対象を、最も重要で、楽しい、魅力的なものとして見ていた。確かに、この最近、人生は急速にスザンヌにその正体を明らかにしていた。彼女は本当にユージンのことをそんなに愛していただろうか? 愛していた、愛していた、愛していた、確かに。千回だって肯定できた。これはスザンヌにとって泣くような感情ではなく、大きくて、圧倒的な、是が非でも受け入れたい喜びだった。





第十四章



その夜は午前一時、二時、三時までの数時間、翌日は五時、六時、七時から正午までと夜、さらにその翌日、四日目、五日目と、嵐は続いた。それは恐ろしい、長い苦しみの時間で、胸がむしゃくしゃし、心臓は張り裂けんばかりで、頭は割れるようだった。デイル夫人は一気に体重を減らした。頬は血色を失い、目は憔悴しきっていた。恐怖と混乱に陥り、スザンヌの反抗と急に恐ろしい成長を遂げた意志に打ち勝つ手立てを求めて、極限まで追い詰められた。この静かで、気立ての優しい、内向的な少女が行動に移ると、これほど積極的に、自信たっぷりに、頑固になれるとは、誰も夢にも思わなかっただろう。まるで極めて硬い物質になった流動体のようだった。彼女は鉄でできた生き物、石の心を持つ少女であり、彼女を動かすものは何もなかった……母親の涙も、社会から追放され、最終的に破滅し、ユージンもあなたも肉体と精神が破滅するという脅しも、新聞で世間に暴露する、精神病院へ収容させるという脅しも効かなかった。スザンヌは長い間母親を観察して、母は気軽な、哲学的な、時には尊大な態度で、堂々と話すのが大好きだったが、実際には母親の話に中身はほとんどないと結論づけていた。彼女は母親が本物の勇気を持っているとは信じなかった……毒を盛ったり殺したりするのはもちろん、娘を施設に収容したり、ユージンの正体を暴いて自分自身の不利になる危険を冒すとは思わなかった。彼女の母親は彼女のことを愛していた。この調子でしばらく激怒して、どうせ折れるだろう。母親を疲弊させるのが、母親が疲れ果ててその重圧で折れるまで自分の立場を守り抜くのが、スザンヌの計画だった。それから、彼女がユージンのことを少し話し始めて、たくさんの議論と怒鳴り合いがあって最終的に母親は歩み寄るだろう。ユージンは再び家族会議への参加が認められるようになる。彼とスザンヌは母親の前で一緒になってこの問題のすべてを議論する。おそらくはお互い意見が違うことを密かに認めて終わりかもしれない。しかし、彼女はユージンを手に入れ、ユージンは彼女を手に入れる。ああ、そんなハッピーエンドならすばらしいのに。それが今、目の前にあった。ちょっと勇敢に戦えばすべてが手に入るのだ。彼女は戦うつもりだった。母親が折れるまで戦うつもりだった。そうすれば……ああ、ユージン、ユージン! 


デイル夫人は、スザンヌが想像したように、そう簡単に打ち負かされることはなかった。やつれて憔悴してはいたが、降参にはほど遠かった。スザンヌが口論の最中に、ユージンを電話で呼び出して、来てもらい、この議論の決着に協力してもらうと決めたときに、二人の間で実際に物理的な衝突があった。デイル夫人は、そうするべきではないと決心した。使用人たちは邸内で聞いていて、最初は状況の流れをつかめなかったが、絶望的な議論が続いていることをほぼ直感で察知していた。スザンヌは電話のある書斎へ行くことにした。デイル夫人は娘をドアまで押し戻してやめさせようとした。スザンヌはドアを引っぱって開けようとした。母親は必死で手をどかしたが、スザンヌの力があまりにも強かったのでとても大変だった。


「恥を知りなさい」母親は言った。「恥を! 実の母親と争うなんて。ああ、世も末ね」……その間も母親は奮闘努力していた。最後に、怒りと激情の涙が思わず母親の頬を流れ落ちると、ようやくスザンヌは動揺した。母親が本当につらくて心を痛めていることがこれで明らかになった。髪は片側が振り乱した状態で、袖は破れていた。


「あら、まあ、何てことを! 何てことかしら!」デイル夫人は椅子に体を投げ出して激しくすすり泣くうちに、最後は息を切らした。「私は二度とまともに顔を上げられなくなるわ。私は二度とまともに顔を上げられなくなるわ」


スザンヌは何だか悲しくなって母親を見た。「ごめんなさいね、お母さん」スザンヌは言った。「でも、これはすべてお母さんのせいなのよ。別に今、彼に電話する必要はないわ。どうせ向こうからかかってくるし、そしたら私が出るわよ。すべては、お母さんがお母さんのやり方で私を支配しようとしていることからきてるのよ。お母さんには、私がお母さんと同じように一人の人間だということがわからないのよ。私にだって生きていく自分の人生があるわ。これは、私が好きなようにできる私のものなのよ。長い目で見れば、お母さんは私をとめられないわ。もう私と争うのはやめた方がいいわよ。私はお母さんと喧嘩なんてしたくないの。議論だってしたくないわ、だって私は大人の女性なのよ、お母さん。どうしてお母さんは道理に耳を貸さないの? 私がこれについてどう感じているのかを、どうして私に説明させてくれないの? 愛し合っている二人には、一緒にいる権利があるのよ。これは他の誰にも関係ないことだわ」


「他の誰にも関係ない! 他の誰にも関係ないですって!」母親は乱暴に答えた。「何て馬鹿げたことを。何という愚かな恋愛ぼけのたわ言かしら。もしあなたが、人生や、世の中の仕組みってものを、ちゃんとわかっていたら、自分のことを笑ってしまうわよ。今から十年もすれば、一年後でさえ、自分がやろうとしていることが、どんなひどい間違いなのか、わかるようになるわ。あなたは、今自分がやっていることや、言っていることを、やれたことや言えたことが到底信じられなくなるわ。他の誰にも関係ないだなんて! ああ、慈悲深い神さま! あなたがやろうとしていることが、野蛮で、愚かで、無謀だってことを、あなたの頭に思いつかせてくれるものさえ何もないのかしら?」


「でも私は彼を愛しているんです、お母さん」スザンヌは言った。


「愛ね! 愛ですって! あなたが愛を語るとはね」母親は辛辣に、ひどく興奮して言った。「あなたがそれについて何を知ってるのよ? ここに来てあなたを善良な家庭と高潔な社会環境から連れ出して、あなたの人生を台無しにし、あなたばかりかあなたの人生と私の人生とあなたの妹たちと弟の人生までも永遠に泥沼に引きずり込みたがっている男が、あなたを愛し続けることができるって思うの? そんな男が愛について何を知っているんだい? あなたはどうなの? アデール、ニネット、キンロイのことを考えなさい。あの子たちのことはどうでもいいの? 私や家族の者に対するあなたの愛はどこにあるんだい? ああ、キンロイがこの話を聞きつけやしないか、心配でならないわ。あの子のことだからあいつを殺しに行くわ。あの子ならやりかねないもの。私じゃそれを防げないわ。ああ、恥辱とスキャンダルと破滅が、寄ってたかって私たち全員を巻き込んでしまうわ。あなたには良心ってものがないのかい、スザンヌ、心がないのかい?」


スザンヌは冷静に自分の前を見つめた。キンロイのことを考えると少し動揺した。キンロイならユージンを殺すかもしれない……スザンヌにわかるはずがなかった……彼は勇敢な青年だった。しかし、母親さえ大人しくしてくれれば、殺人も、暴露も、いかなる種類の騒ぎも必要なかった。自分が何をするかが、母親や、キンロイや、どこかの誰かに、どんな影響を与えるのだろう? 自分がやりたいのに、どうしてできないのだろう? リスクを負うのは彼女だった。しかも積極的に負おうとしていた。それがどんな累を及ぼすのか、スザンヌにはわからなかった。


一度この考えを母親に伝えたが、母親は彼女に現実を見なさいと切々と訴えた。「あなたがなりたがっているそういう種類や性質の悪い女がどれくらいいるか、あなたは知ってるの? どれくらいいるか知りたいかい? 立派な社会にどれくらいいるとあなたは思ってるの? この状況をウィトラ夫人の視点から見てみなさい。あなたが彼女の立場だったらどうだろうね? 私の立場だったらどうだろうね? あなたがウィトラ夫人で、ウィトラ夫人が相手の女性だったら。そのときはどうするの?」


「私なら彼を手放すわ」スザンヌは言った。


「ええ、ええ、そうね! あなたなら彼を手放すんでしょうね。あなたはそうするかもしれないわね、でも、どう感じるかしら? みんなはどう感じるかしら? こういうことの恥ずかしさが、不名誉が、あなたにはわからないの? あなたには理解力ってものがまったくないのかい? 何も感じないのかい?」


「まあ、よくしゃべるわね、お母さん。何て馬鹿げたこと言うのかしら。お母さんは事実関係を知らないのよ。ウィトラ夫人はもう彼を愛していないわ。彼女が私にそう言ったんだから。彼女が私にそう書いてよこしたのよ。私は手紙をもらったわ。ユージンに返しちゃったけど。ユージンは彼女を気にかけてないわ。彼女はそれを知ってるの。ユージンが私に気があることだって知ってるのよ。もし彼女がユージンを愛してなければ、どうなのかしら。ユージンだって誰かを愛する権利があるわ。今は私が彼を愛してるの。私が彼を求め、彼が私を求めてるのよ。どうして私たちがお互いを自分のものにしてはいけないのかしら?」


デイル夫人はあれだけ脅したにもかかわらず、自分が公然と動けば、おそらくではなく確実にすぐ巻き込まれる事態についてさらに踏み込んで考えないわけにはいかなかった。ユージンは有名人だった。これは本当は彼女の考えとかなり隔たりがあったが、彼を殺すことは、よほど秘密裏にやらない限り、とんでもない騒ぎを引き起こし、際限のない調査や議論を伴って、世間を賑わすことになるだろう。コルファックスかウィンフィールドにユージンの正体をあばけば、実際にスザンヌまで二人と、おそらくは彼女自身の社交グループのメンバーにもさらすことになる。何しろ二人はそのメンバーで、口外するかもしれないからだ。ユージンが辞めれば憶測を呼ぶだろう。彼が立ち去れば、スザンヌは彼と駆け落ちするかもしれない……するとどうなる? これについて少しでも話し合ったり、誰かに囁いたりすれば、最悪の悲惨な結果を生むかもしれない、という考えがデイル夫人にはあった。いわゆる「ゴシップ」紙は、こういう話でどのくらいの利益を稼ぎ出すだろう。さぞかしいい気分で詳細をながめることだろう。これは恐ろしい、危険な状況だった。早急に何かがなされなければならないことは明白だった。どうすればいいだろう? 


この危機の中で彼女は、スザンヌが活動しないことを約束してそのまま活動しないでいる時間を少し稼げるだけで、取り返しのつかない結果を招く大きな危険を冒さずに、いくつかのことができるかもしれないと考えた。十日か五日何もしないと彼女に言わせることができれば、すべてがうまくいくかもしれなかった。必要なら、アンジェラに、ユージンに、コルファックスに、会いに行けばいい。いろいろな用事を済ませるためにスザンヌを残して出かけるには、期限が来るまではどんな行動しないという、これなら絶対に尊重できるとわかる、スザンヌの言質を取らなくてはならなかった。デイル夫人は、スザンヌには考える時間が必要である、時間をかけるべきである、を口実にして何度も頼み込み、スザンヌは、自分がユージンに電話をかけて状況を説明することを認めてもらうのを条件にして最終的に同意した。喧嘩が始まって二日目にユージンがスザンヌに電話をすると、デイル夫人に言い含められた執事に、スザンヌは外出していると告げられた。二日目に電話しても、同じ答えが返ってきた。スザンヌに手紙を書いてもデイル夫人が手紙を隠してしまった。しかし四日目にスザンヌがユージンに電話をして説明した。スザンヌが説明した瞬間に、母親に話すとは随分早まったことをしてくれたとユージンはひどく悔やんだが、今は自分の立場を死守するしかなかった。心から欲しいものを手に入れる以上、やるからには、吉と出ようが凶と出ようが厳しい態度で臨む覚悟だった。


「僕が行ってきみが説得するのを手伝おうか?」ユージンは尋ねた。


「だめよ、五日間は手出し無用よ。約束したんだから」


「会いに行こうか?」


「だめなのよ、五日間はね、ユージン」


「きみに電話をするのもだめなのかな?」


「だめよ、五日間は。その後ならいいけど」


「わかったよ、フラワーフェイス……神の火。従うよ。僕はきみの言いなりなんだから。それにしても、ああ、待ち遠しいな」


「わかってるわ。でも時間なんてすぐ経っちゃうわよ」


「きみは変わらないよね?」


「変わらないわ」


「まわりが影響するんじゃない?」


「いえ、しないわ、知ってるでしょ、あなた。どうして聞くのよ?」


「ああ、少し怖くて仕方がないからだよ、スザンヌ。きみはとても若いし、あまり恋愛に慣れていないからね」


「私は変わったりしないわ。私が変わることはありません。誓うまでもないわ。私は変わりませんから」


「それなら結構だ、満開のギンバイカさん」


スザンヌは受話器を戻した。デイル夫人は今、最大の苦闘が目の前にあることを知った。


デイル夫人が考えたいくつかの行動は、まずスザンヌとユージンに知られないようにウィトラ夫人に会いに行き、彼女が現状について何を知っているかと、どんなアドバイスをしてくれるかを知ることだった。


新たにアンジェラの怒りと悲しみを煽ったことと、ユージンを攻撃する追加の材料をデイル夫人に与えたことが利点と言えるのでなければ、これは本当に無駄だった。アンジェラは、彼がやろうとしていた罪深い行為の重大さを彼に気づかせるためにあれこれ考えて努力しながら、このときずっとユージンに説得と懇願を続けてきたが、ほとんど絶望していた。アンジェラは再び、彼女がかなりすさんだことがある段階まできていた。そしてユージンもそうだった。アンジェラの状態にもかかわらず、彼女が何を言おうとものともせず、ユージンは冷たく辛辣だった。古い秩序は終わったと執拗に言い張ったので彼女を怒らせてしまった。そうした方がよかったのかもしれないが、時間が彼の態度を変えるか彼を完全に手放すことの賢さを教えてくれるだろう、と信じながらユージンと別れる代わりに、彼女は彼にしがみつく方を選んだ。というのは、まだ愛情が残っていたからだ。彼女は彼に慣れてしまった。たとえその子が歓迎されなくても、ユージンは生まれてくる子供の父親だった。彼は、彼女の社会的地位と世の中での彼女の立場を象徴するものだった。どうして彼女が彼と別れなければならないのだろう? それに、結果も恐ろしかった。これは子供と同じように彼女を襲うものだった。彼女は死ぬかもしれない。子供はどうなるのだろう? 


「デイルさん」アンジェラは一点だけははっきりと言った。「私はスザンヌにまったく罪がないとは思いません。もっと分別があってもいい大人ですもの。社会に出て随分経っているんですから、結婚している男性は他の女性の神聖な財産であることを知ってるはずです」


「重々承知しています」デイル夫人は腹立たしかったが慎重に答えた。「でもスザンヌはまだ若いんです。あの()がどんなに子供っぽいか、あなたは本当に知らないでしょうけど、あの娘にはこういう愚かで、理想主義的で、感情的なところがあるんです。その辺が何となく気にはなっていたんですけど、これほど強いとは知りませんでした。そんなものをどこで身につけたのか、私にはさっぱりわかりません。父親はとても現実的な人でした。でも、娘はあなたのご主人が吹き込むまではちゃんとしてたんです」


「すべてそのとおりかもしれませんが」アンジェラは続けた。「彼女に非がないわけではありません。私はユージンを知っています。彼は弱い人ですが、誘導されなければ、ついて行きませんし、その気がなければ女の子は誘惑されません」


「スザンヌはまだ若いんです」デイル夫人は改めて弁護した。


「まあ、もし彼女が主人の過去を正確に知っていたら」アンジェラは愚かにも続けた。「彼女は彼を欲しがらなかったでしょうね。私は彼女に手紙を書いたんです。彼女は知るべきですから。このことでわかるように、彼は正直ではないし、モラルが欠けています。もしこれが初めて他の女を好きになったのであれば、私は彼を許せたかもしれませんが、そうではないんです。六、七年前にもまったく同じ過ちをしました。そのわずか二年前にも別の女がいました。もしスザンヌを手に入れたとしても、彼はスザンヌに誠実ではないでしょう。これはしばらく燃えるような愛情の一例になって、そのうちに彼が飽きて彼女を放り出すことになるんです。現に、このとおり、スザンヌのために別居させろ、そのことで何も言うな、と言い出すわけだから、この時点で彼がどんな男性なのかあなたでもおわかりでしょ。そんなことを考える人なんです!」


デイル夫人は大きく舌打ちした。こんなことを言うアンジェラを愚かだと思ったが、今さらどうしようもなかった。おそらくユージンがこの女と結婚したのが間違いだったのだ。だからといって、彼が提示した条件でスザンヌを引き取りたいと言っても、デイル夫人としては許せなかった。もしユージンが独身だったら、これはまったく別の問題になっただろう。彼の地位、考え方、態度は生まれながらのものではなかったが、反対する理由にはならなかった。


デイル夫人は見聞きしたことにひどく困惑して夕方近くなって立ち去ったが、この状況からいい結果は何も出ないと確信した。アンジェラは絶対にユージンと離婚しないだろう。いずれにせよ、ユージンは道徳的に彼女の娘にふさわしい相手ではなかった。彼女の愛する娘が取り返しのつかない汚名を着ることになる大きなスキャンダルがここで露見しようとしていた。デイル夫人は絶望の中で、もし他に何もできることがなかったら、離婚できるまではスザンヌに会わないようユージンを説得し、離婚できた場合はこれ以上悪い事態を避けるために結婚に同意しようと決めたが、これはただの口約束になるだけだった。デイル夫人がやりたかったことはたったひとつだけで、スザンヌにユージンを完全にあきらめさせることだった。スザンヌさえうまく連れ出せるか、ユージンに身を捧げるのを思いとどまらせることができれば、それでよかった。それでもデイル夫人はユージンとの話し合いがどうなるかを見届けるつもりだった。


翌朝、ユージンがオフィスに座って、彼が絶えず注意する必要があったのに今ではかなり明らかに無視されている、膨大な細かい仕事に頭を集中しようと努力していたのはもちろんだが、五日先延ばしにするとどうなるのだろう、スザンヌは何をしているだろう、と考え事をしていると、デイル夫人の名刺がテーブルに置かれた。すぐに秘書が退出させられて、他の誰も入ってはならないと指示された後、デイル夫人が案内された。


彼女は真っ青で疲れ果てていたが、緑がかった青のシルクを優雅に着こなし、羽根飾りのついた黒い麦わらのピクチャーハットをかぶっていた。かなり若く、美しく見えた。ユージンにとって、彼女は年を取り過ぎてはいなかった。実際、彼女は一度、彼は自分と恋に落ちるかもしれないと想像したことがあった。そのときの自分の考えがどうだったかを、今は思い出す気にはならなかった。というのも、それらは、アンジェラが捨てられるか、離婚するか、死ぬかして、ユージンが自分に情熱的にのぼせ上がるという内容だったからだ。もちろん、このとき、すべてが終わった。興奮と苦悩の中で、ほぼ完全に記憶から抹消された。そのとき彼も同じように感じたり空想していたことや、デイル夫人がいつも心の通った友好的な態度で彼に引かれていたことをユージンは忘れたことがなかった。しかし今朝、彼女は間違いなくどうにもならない使命を帯びてここに来ていた。ユージンは全力で彼女と戦わなくてはならなかった。


彼女が近づいて、これだけでも一苦労だったが、穏やかに微笑んだときに、彼が彼女のかたい表情を見入ったところで会話が始まった。「さて」ユージンはあくまで事務的に言った。「用件は何ですか?」


「この悪党め」デイル夫人は大げさに叫んだ。「娘がすべてを話したわ」


「はい、あなたに伝えたとスザンヌが電話で言ってました」ユージンはなだめるような口調で答えた。


「そうよ」デイル夫人は低い緊張した声で言った。「私はこの場であなたを殺すべきなんだわ。まさかこの私が自分の家の中や自分の大切な無垢の娘の近くに、あなたのような怪物を寄りつかせていただなんて、今では信じられないわ。私には信じられないのよ。あなたがこんなことをするなんて。あなたは家庭に大切な優しい奥さんがいて、それも病気で、しかもああいう状態なのによ。もしあなたが少しでも男らしさってものを持ってたなら、恥ってものの意味を考えるべきね! あの哀れな愛すべき小さな女性のこと、あなたがしてきたこと、あるいはしようとしていることを考えると……もしこれがスキャンダルではなかったら、あなたは生きてこのオフィスを出ることはなかったでしょうね」


「ああ、うるさい! 馬鹿なことを言わないでください、デイルさん」ユージンはいらいらしたが穏やかに言った。夫人の大げさな態度が気に入らなかった。「あなたの言うあの哀れな愛すべき小さな女性は、あなたが思っているほどひどい状態じゃないし、あなたはずいぶん同情しているが、そんな同情だってあまり必要としていないと思いますよ。病気でも彼女は自分の面倒は自分で見られる程度に元気ですから。あなたであれ他の誰であれ、私を殺すというのはそれほど悪い考えじゃない。私は人生にあまり愛着がないんでね。でも、これは五十年前ではなく、十九世紀の話です。しかもここはニューヨークだ。私はスザンヌを愛している。彼女も私を愛している。私たちは必死にお互いを求め合っているんです。今はとにかくあなたの障害にならなくて、私たちのために事態を調整する取り決めができればいいんです。スザンヌはそういう取り決めをしたがっています。これは私の意見であると同じくらいに彼女の意見なんです。どうしてあなたがそんなにひどく動揺しなければならないんですか? あなたは人生についてたくさんのことをご存知なのに」


「どうして私が動揺しなければならないかですって? どうしてかですって? よくあなたは、こんなに大きな公共の仕事を担当する人物でありながら、こんなオフィスに座って、どうして私が動揺しなければならないのかなんてこの私に向かって冷酷に尋ねられるわね? まさに私の娘の人生がかかっているからよ。どうして私が動揺しなければならないのか、私の娘はほんの少し前にショートドレスを卒業したばかりでほとんど世間知らずだからよ。娘の意見だなんてよくもこの私に言えるわね! ああ、あなたは心の通わない悪党よ! 私だって人を見誤ることはあったんだって思うべきね。あなたは人当たりの良い態度で幸せな家庭生活について矛盾した話をしていたのに。でも、あなたがよく奥さんを連れずにいるのを見た時点でわかっていたのかもしれないわ。知っていたはずなのに。私は知っていた、神さまが助けてくれたのに、私はそれを踏まえて行動しなかった。あなたの人当たりの良い紳士的な態度に騙されたのよ。私はかわいそうな大切で小さなスザンヌを責めないわ。私が責めるのあなた、あなたみたいな完全に相手を騙している悪党とこんなに愚かだったこの自分自身よ。でも、こうなっているのは自業自得だわ」


ユージンはただ相手を見て、指で机を叩いていた。


「しかし私はあなたとお喋りしにここに来たわけじゃありません」デイル夫人は続けた。「私はあなたに、もう二度と私の娘に会っても、娘について話をしても、娘のいそうなところに姿を現してもいけない、と言いに来たんです。でも、もし私の思い通りに行けば、あなたが現れそうなところに娘はいませんけど。だって、あなたがまともな社会のどこにも姿を現す機会を持てくなるのも、そう長い先のことではありませんから。今ここであなたがもう二度と娘に会ったり連絡をとったりしないと約束しなければ、私はコルファックスさんのところへ行ってこの件をすべて彼に話します。あなたもお気づきでしょうけど、私は彼を個人的に知っているんです。あなたの過去について私が今知っていることや、あなたが私の娘にしようとしていたことや、あなたの奥さんの状態を考えれば、あの方がそう長くあなたを必要としないのは確実だわ。ウィンフィールドさんのところにも行って、この件を伝えるわ。あの方も古い友だちなのよ。あなたは密かに社交界から追放されるでしょうけど、私の娘には何の害も及ばないわ。事実関係が知られても娘はまだとても若いんです。この件で悪評を買うのはあなただけよ。きのう、あなたの奥さんがあなたの情けない過去を教えてくれたわ。あなたは私のスザンヌを四番目か五番目の女にしたいんでしょうけど、まあ、そうはいかないわ。あなたが今まで知らなかったことを私が教えてあげます。あなたは必死の母親を相手にしているのよ。やれるものなら、かかってらっしゃい。今ここでスザンヌに別れの手紙を書いてください。私がそれを娘に渡します」


ユージンは皮肉に微笑んだ。デイル夫人にアンジェラのことを言われて、しゃくにさわった。彼女はあそこに行ったのだ。そしてアンジェラは彼のことを……彼の過去を……彼女に話したのだ。何て卑劣なことをするのだろう。結局、アンジェラは彼の妻だった。ついさっきの朝も、アンジェラは愛してるといいながら彼に訴えていたのに、デイル夫人が来たことは言わなかった。愛! 愛! これは一体どういう愛だろう? たとえ彼女がそうしたくなくても、こういう危機に彼女が寛大になれるだけのことを彼はしていたのだ。


「あなた宛てにスザンヌを手放すと一筆書けと?」ユージンは口を歪めて言った……「馬鹿馬鹿しい。絶対に書きませんよ。あなたがコルファックスさんに言いに行くという脅しも以前家内から聞いたことがあります。ドアならそこですよ。彼のオフィスは十二階です。何でしたら、若いのを呼んで案内させますよ。あなたはせいぜい年を取らないうちに、コルファックスさんに話をして、これがどれくらい遠くまで伝わるかを見ればいい。ウィンフィールドさんのところにもお行きなさい。私は彼もコルファックスさんもどうでもいいですから。もしあなたがこれについて盛大な興味をそそる議論をしたければ、さっさと始めればいい。話がどんどん広がることを私があなたに保証しますよ。私はあなたのお嬢さんを愛しています。彼女のことで必死なんです。文字通り夢中なんです」……ユージンは立ち上がった……「彼女も私を愛しています。愛してくれていると私は思っています。いずれにせよ、私はこの考えにすべてを賭けています。愛情の点から見ると、私の人生は失敗でした。私はこれまで本当に恋をしたことがありませんでしたが、スザンヌ・デイルには夢中なんです。彼女のことになると居ても立ってもいられないんです。もしあなたが、まだ一度も女性に満足したことがない、不幸で、思いやりのある、多感な人に同情するなら、私にお嬢さんをくれてもいいでしょう。私は彼女を愛しています。愛してるんです。神にかけて!」……ユージンは拳で机を叩いた……「私は彼女のためなら何だってしますよ。もし彼女が私のところへ来てくれるなら、コルファックスが地位を、ウィンフィールドがブルーシー社を手に入れればいい。もし彼女がそうしたければ、彼女のお金はあなたが受け取ればいい。私は絵を描けば海外で生計を立てられるし、そうするつもりです。私の前にも他のアメリカ人がこれをやってますからね。私は彼女を愛しているんです! 愛しています! 聞いてますか? 私は彼女を愛してる。だから手に入れます! あなたは私をとめられませんよ。あなたにはお嬢さんに太刀打ちするほどの頭脳も、力も、才覚もない。彼女の方があなたよりも聡明ですよ。彼女の方が力だって強いし、すばらしいですよ。彼女の方が、社会や人生について現在受け入れられているすべての概念よりもすばらしいですよ。彼女は私を愛していて、自発的に、自由に、喜んで私に自分を捧げたがっているんですからね。あなたができるというなら、あなたの小さな社交界でそれに対抗してごらんなさい。社交界か! あなたはそこから私を追い出すって言うんでしょ? 私はあなたの社交界なんかどうでもいいんです。売文家、頭の軽い奴、金の亡者、ギャンブラー、泥棒、寄生虫……立派なもんですね! あなたがそんなところに座って偉そうな態度で私に話しかけるのを見ると笑ってしまいますよ。私はあなたなんかどうだっていい。私はあなたに会ったとき、別のタイプの女性を考えていたんです。了見が狭い、型にはまった馬鹿ではない女性をね。私はあなたの中にそういう女性を見たと思いました。見たんですよね……違いましたか? あなたは他の連中と同じで、流行を追って慣習にしばられているだけの、了見の狭い、ちっぽけな奴隷と同じですよ。では」ユージンは相手の顔の前で指を鳴らした。「せいぜい悪あがきを続けてください。最終的には私がスザンヌを手に入れるんです。彼女は私のところに来ます。彼女はあなたのことだって支配するでしょう。さっさとコルファックスのところに行きなさい! ウィンフィールドのところに行きなさい! どうせ私は彼女を手に入れるんです。彼女は私のものだ。私のものなんです。彼女は私にぴったりの大物だ。神さまが私に彼女をくれたんだ。あなたやあなたの家庭やこの私や私に関わる他の全員をぶちこわさなくてはならなくても私は彼女を手に入れる。手に入れますよ! 手に入れてやる! 彼女は私のものだ! 私のものなんだ!」ユージンは緊張した手を上げた。「さあ、あなたは何なりと自分のやりたいことをやりに行けばいい。ありがたいことに、私は生き方と愛し方を知っている女性を見つけました。彼女は私のものです!」


デイル夫人は驚いてユージンを見つめた。自分の耳が信じられなかった。彼は狂っているのだろうか? 本当にそんなに愛しているのだろうか? スザンヌがユージンの頭をおかしくしたのだろうか? 何とも驚くべきことだった。デイル夫人はユージンのこんな姿を一度も見たことがなかった……こんなことができる人だと想像したこともなかった。彼はいつも静かで、にこにこしていて、人当たりがよく、機知に富んだ人だった。ここにいるユージンは、大げさで、情熱的で、気が荒く、貪欲だった。目に恐ろしい光を宿していて必死だった。彼は恋をしているに違いなかった。


「ああ、どうしてあなたは私にこんなことをするの?」夫人は急に泣き声になった。彼の雰囲気の恐ろしさがこのとき彼女に伝わり、彼女がこれまでに感じたことのない同情をかき立てた。「どうしてあなたは私の家に入り込んで家庭をぶち壊そうとするの? あなたを愛してくれる女性はたくさんいるでしょ。スザンヌよりもあなたの年齢や気質に合う人はいくらでもいるでしょ。あの()はあなたを理解していないわ。自分のことだって理解してませんから。ただ若くて、愚かで、催眠術にかかっているだけなのよ。あなたがあの娘に術をかけたんでしょ。ああ、どうしてあなたは私にこんなことをするのかしら? あなたはあの娘よりずっと年上で、人生についてだってもっと多くのことを学んだでしょ。どうしてあきらめてくれないの? 私だってコルファックスさんのところには行きたくはないわ。ウィンフィールドさんにだって話したくないわ。もしそうしなければならないなら、そうするけど、やりたくはないわ。私はいつだってあなたには一目置いてきたわ。あなたが普通の人でないことを知ってますから。私のあなたへの尊敬と信頼を返してください。私は忘れることはできなくても許すことならできるわ。あなたは幸せな結婚をしなかったのかもしれません。お気の毒だとは思います。私は事を荒立てたいわけじゃないんです。哀れなかよわいスザンヌを救いたいだけなんです。どうかお願いします! お願いです! 私はあの娘を愛してます。私がどういう気持ちでいるのか、あなたにはわからないと思います。あなたは恋をしているのかもしれませんけど、自分から進んで別の人を考えるべきだわ。本当に愛しているのならそうなるでしょ。今、あの娘は頑なで、意固地で、むきになっているけど、あなたが助けてくれれば変わるわよ。あなたが本当に娘を愛しているのなら、私の気持ちを汲んで娘の将来を考えてくれるのなら、計画を断念して娘を解放してくれるでしょ。自分が間違っていたんだと娘に言ってやってください。今すぐ娘に手紙を書いてください。こんなことをして、娘や私や自分を社会的に破滅させられないから断念する、と娘に言ってあげて。もしやるにしても、自分が自由の身になる時が来るまで待つことに決めた、と言ってあげて。そしてあの娘が普通の生活では幸せにならないのかを確かめるチャンスを与えてあげて。あなただってこの年齢であの娘を破滅させたくはないでしょ? 彼女はまだ若くて純真なのよ。ああ、もしあなたに人生に対する判断力が少しでもあるなら、注意力でも考える力でも何でもいいからあるなら、願いだわ。あの娘の母親としてお願いするわ。私はあの娘を愛してるんです。ああ!」涙がまた目に浮かんだ。デイル夫人はハンカチを当てて弱々しく泣いた。


ユージンは相手をじっと見つめた。彼は何をしていたのだろう? どこに行こうとしていたのだろう? 彼はここでそう見えたような本当にひどい人間だっただろうか? 何かに取り憑かれたのだろうか? 彼は本当にそんなに冷酷無情だっただろうか? デイル夫人とアンジェラの深い悲しみと、コルファックスとウィンフィールドの脅威を通じて、彼はこの状況の核心を垣間見た。まるで稲妻がすさまじい閃光を放って黒い景色を照らしたかのようだった。彼は同情しながら、悲しみや、愚かさや、関係する多くのものを見たが、次の瞬間には消えていた。スザンヌの顔がよみがえった。滑らかな、古風な、彫刻のような、完璧に形づくられた、ぴんと張った弓のような美しさが、目が、唇が、髪が、彼女の動作や微笑みの陽気さや快活さがよみがえった。そんな彼女をあきらめろだと! スザンヌを、アトリエの夢を、楽しくていつまでも続くいい関係を、あきらめろというのか? スザンヌは彼にあきらめてほしかっただろうか? 彼女は電話で何と言っていただろう? だめだ! だめだ! だめだ! もうやめだ、彼女は彼にしがみついていた。だめだ! だめだ! だめだ! 絶対にだめだ! 彼はまず戦うつもりだった。負けるまで戦い続けるつもりだった。絶対に! 絶対に! 絶対にだめだ! 


頭から湯気が立っていた。


「そんなことはできない」さっきの長い演説のあとでユージンは座っていたので、再び立ち上がりながら言った。「私にそんなことはできない。あなたは絶対にできないことを頼んでいる。こればかりはできない相談だ。神さま、助けてほしい。私は正気じゃないんだ。彼女のことになると居ても立っても居られないんだ。さっさと行って、あなたがやりたいことを何でもやればいい。でも、私は彼女を手に入れなければならない。そして手に入れますよ。彼女は私のものだ! 私のものなんです! 彼女は私のものなんだ!」


ユージンは細い痩せた手を固く握りしめて、歯ぎしりした。


「私のものだ、私のもの、私のものなんだ!」ユージンはつぶやいた。人は彼を安っぽいメロドラマの悪役だと思っただろう。


デイル夫人は首を振った。


「神さま、私たち二人を助けください! あなたには絶対に、絶対に、渡しませんからね。あなたは娘にふさわしくありません。あなたの頭は常軌を逸しています。私はあらゆる手段を使って全力であなたと戦うわ。私は必死ですからね! 金に糸目はつけません。戦い方はわかってますから。娘は渡しません。さあ、どちらが勝つか見てみましょう」デイル夫人は立ち上がって進んだ。ユージンはその後に続いた。


「勝手にやってください」彼は冷静に言った。「でも、最後はあなたが負けるんです。スザンヌは私のところへ来ますから。私にはわかります。それを感じるんです。私は多くのものを失うかもしれませんが、彼女を手に入れます。彼女は私のものです」


「ああ」デイル夫人は半分ユージンを信じて、ドアの方へ向かいながら、ため息をついた。「言いたいことはそれだけかしら?」


「そうです」


「それでは、私は行かなければなりません」


「さようなら」ユージンは厳かに言った。


「さようなら」デイル夫人は青ざめた顔をして、目を見すえて答えた。


夫人が退室すると、ユージンは受話器を取った。しかし、スザンヌが電話はしないで、私に任せて、と警告していたことを思い出し、受話器を戻した。





第十五章



デイル夫人の訴えの苛烈さと哀れさが、ユージンをいったんとめてくれたらよかったのに。彼は一度彼女を追いかけて行って、さらに訴えて、最終的には離婚してスザンヌと結婚するつもりでいることを言おうと考えたが、結婚はしたくないというスザンヌのあの異様なこだわりを思い出した。彼女はどういうわけか、どこかで、なぜか、世間がどう思おうと彼と彼女がちゃんとうまくやればやり遂げられる、というこの奇妙な理想だか態度を作り上げていた。二人が選択すれば、こういう形で一緒になりたがることはそれほど無謀なことではない、と彼は思った。これがどうして無謀なのだろう? 神さまなら証言できたかもしれないが、この世の中には十分に禁断で異常な関係が存在し、特にそれがとても慎重に巧妙なやり方で行われる場合、社会がもうひとつの関係のことで沸き立つのを防いでくれた。彼とスザンヌは、自分たちの関係を世間に知らせるつもりはなかった。現役でなくても認められて実績がある著名な芸術家として、彼にはアトリエで生活する資格があった。彼とスザンヌはそこで会うことができた。これについては何も思われないだろう。なのに、どうしてスザンヌは母親に話すことにこだわったのだろう? そんなことをしなければ、すべてはうまくやれたのだ。スザンヌにはもうひとつ奇妙な理想があった。どんな状況でも真実を話すと決めていたのだ。そして、実はまだこれを話していなかった。彼女はユージンについて何も言わなかったことで、ずっと母親をだましていた。これはただユージンを傷つけるために仕組まれた何かの運命のいたずらだったのか? 絶対にそんなことはなかった。しかし、スザンヌの頑なな決心は、今や致命的な過ちに思えた。ユージンは座ってこれをじっくり考えた。これは大失敗だろうか? 後悔することになるだろうか? 彼のすべての人生がかかっていた。引き返すべきだろうか? 


だめだ! だめだ! だめだ! 絶対にだめだ!! 失敗することはない。続けなくてはならない。続行だ! 続行だ! ユージンはそう考えた。


デイル夫人の次の手は、ほとんど効果がなかったが、かといって他の手のようにまったく効果がないわけではなかった。彼女は家族のかかりつけ医のドクター・ラトソン・ウーリーを呼び寄せた……高い評判を持つ保守的な医師で、彼自身は厳格な倫理観とかなりキリスト教的な行動原理を持っていたが、他人に対しては幅広い知的で良心的な洞察力も持っていた。


「さて、デイル夫人」ドクター・ウーリーは一階の書斎にいる夫人の前に案内されると、疲れてはいたが心から手を差し伸べて言った。「今朝はどうしました?」


「ああ、ウーリー先生」夫人は単刀直入に切り出した。「とても困っているんです。といっても病気じゃありません。病気だったらよかったのに。もっとずっと厄介なことなんです。私は先生の判断力と同情が頼りになることを知っていますから、ご足労いただいたんです。私の娘、スザンヌのことなんです」


「はい、はい」彼は声帯が老いていたこともあって、かなり無愛想な声でうなった。白髪交じりのもじゃもじゃ眉の下から用心深く見る目は、何だか無言で観察する世界を思わせた。「娘さんがどうしました? 今度はどんなやってはいけないことをやったんですか?」


「ああ、先生」ここ数日の経験が彼女の通常の冷静さをほぼ完全に一掃してしまったので、デイル夫人は神経質に叫んだ。「私は先生にどう話していいのかわからないんですよ、本当に。どう切り出せばいいのかしら。スザンヌが、私の大事なスザンヌが、私があんなに信じて頼りにしてきたというのに、それが……」


「さあ、続けて」ドクター・ウーリーはそっけなく口を挟んだ。


デイル夫人が洗いざらいぶちまけて、鋭い質問のいくつかに答えるとドクター・ウーリーは言った。


「まあ、あなたには感謝すべきことがたくさんある、と私は思ってますよ。彼女はあなたの知らないうちに身を委ねて、後であなたに話をする……あるいはまったく話さないことだってあったかもしれなかったわけですから」


「まったく話さないだなんて、ああ、先生! 私のスザンヌが!」


「デイルさん、私はあなたと、あなたのお母さんと、スザンヌを見てきました。人間の性質やあなたの家族の特徴についても多少は心得ています。覚えておいででしょうが、あなたのご主人は決めたら譲らない人でした。スザンヌはご主人の特徴をある程度受け継いでいるかもしれません。彼女はとても若い娘さんです、覚えておきたいのは、とてもたくましくて活発だってことです。このウィトラという男は何歳ですか?」


「三十八か九ってところですわ、先生」


「うーん! そんなところだろうと思った。致命的な年齢だ。あなたのようにこの時期を無事に切り抜けたっていうのは驚きですよ。そろそろ四十ですよね?」


「はい、先生、ですがそれをご存知なのは先生だけですよ」


「わかってます、わかってます。致命的な年齢ですな。相手は〈ユナイテッド・マガジンズ社〉の責任者だというんですね。多分彼のことは聞いたことがある。私はあの会社のコルファックスさんを知っていますから。彼はとても感情的な性格なんですか?」


「これまでそう考えたことはありませんでした」


「多分、そうですよ。三十八から三十九歳と、十八か十九歳か……悪い組合せだな。スザンヌはどこにいるんですか?」


「二階の自分の部屋にいると思います」


「これが何かの役に立つとは思いませんが、私が少し話をしてみるのも悪いことじゃないかもしれない」


デイル夫人は姿を消し、四十五分近く席を外した。スザンヌは頑固で、苛立ちを募らせ、どんなに頼んでも初っぱなからお断りの一点張りだった。まさか母親が外部の人を呼ぶとは、よりによってスザンヌの知るお気に入りのドクター・ウーリーを呼ぶとは。ドクター・ウーリーが会いたがっていると母親が言ったとたんに、スザンヌはすぐに自分の件に関係があると疑って、その理由を知りたがった。さんざん頼み込んだ後で、スザンヌはようやく降りてくることに同意したが、これは母親の興奮ぶりがどれだけ馬鹿げているかを当人にわからせるのが目的だった。


化学的にも物理的にも説明のつかない人生のごたごた……あちこちで吹き荒れているあらゆる種類の病気、愛情、感情、憎悪……について深く考えてきたこの老医師は、スザンヌが入ってくると、物問いたげに顔をあげた。


「やあ、スザンヌ」ドクター・ウーリーは立ち上がってスザンヌの方へゆっくりと歩きながら穏やかに言った。「また会えてうれしいよ。今朝はどんな調子だい?」


「まあまあよ、先生はいかが?」


「ああ、ご覧の通りだよ、少し年をとって、少しうるさくなったかな、スザンヌ、他人の悩みまで自分の悩みにしてしまうほどね。お母さんが教えてくれたんだけど、恋愛中なんだってね。恋をするって面白いことだろ?」


「あのね、先生」スザンヌは反抗的に言った。「この議論はしたくないって母に言ったのよ。無理強いする権利が母にあるとも思わないわ。したくもないし、する気もありません。こういうことってかなり悪趣味だと思うわ」


「悪趣味かしら、スザンヌ?」デイル夫人は尋ねた。「あなたがやりたいことをやって、世間がそれをひどいと考えそうな場合に、あなたがやりたいことを議論するのを、あなたは悪趣味って呼ぶの?」


「お母さん、言ったでしょ、私はこのことを議論するためにここに降りてきたんじゃないって! しませんから!」スザンヌは母親の方を向いて、ドクター・ウーリーを無視して言った。「長居は無用ね。ウーリー先生の気分を害したくはないんだけど、私はここにいるつもりはないし、先生にこの話を蒸し返してもらいたくもないわ」


スザンヌは立ち去ろうとした。


「ほら、ほら、デイルさん、口を挟まないでください」ドクター・ウーリーは声の調子でスザンヌ引き留めながら言った。「私だって議論で得るものはほとんどないと思いますよ。スザンヌは、自分がやろうと計画していることが一番自分の利益になると確信しているんです。そうかもしれませんよ。我々だっていつも正しいことが言えるわけじゃありませんからね。この問題全体で何か議論できることがあるとすれば、一番いいのは時間の問題にすることだと思います。スザンヌがやりたいことをする前に、まあ、それ自体が大丈夫なことかもしれないけど、私の知る限りじゃ、少し時間をかけるのが一番いい、というのが私の意見ですよ。私はウィトラさんのことは何も知りませんから。とても有能で立派な男性なのかもしれない。だけどね、スザンヌは少し考える時間を持つべきだよ。三か月か半年ってとこかな。きみも知ってるだろうが、この決断には多大な後遺症が残るからね」ドクター・ウーリーはスザンヌの方を向きながら言った。「これはきみが背負う準備を全然していない責任を伴うかもしれないんだよ。きみはまだ十八か、十九だろ。ダンスや社交や旅行もそうだが、とてもたくさんのことをあきらめて、きみ自身が母親になって、旦那さんの世話をしきゃならないかもしれないからね。きみはずっとその人と一緒に暮らすつもりなんだろ?」


「そんなことを議論したくありません、ウーリー先生」


「でも、きみはそのつもりなんだよね?」


「お互いに愛し合っている間はね」


「ううん、まあ、きみはまだしばらくは彼を愛するかもしれないな。むしろきみはそういうことを期待しているんだよね?」


「まあ、そうだけど、いずれにしても、これが何の役に立つのかしら? 私の心は決まってるわ」


「ただ考えてるだけだよ」ドクター・ウーリーはなだめるように、スザンヌの気を静めてつなぎとめる声で言った。「ほんの少しの時間をかけるだけで完全に確信できるからね。きみのお母さんは、絶対にきみにそんなことをさせまいと心配している。私が理解したところでは、きみはすぐにでもこれを実行したいと思っているね。お母さんはきみを愛しているし、こうして小さな意見の違いがあっても、私はきみが心の底ではお母さんを愛していることを知っている。ふと思いついたんだけど、まわりのみんなを丸く収めるためにも、きみは中を取った方がいいかもしれないね。例えば半年か一年かけてこれについて考えることにしてもいいんじゃないかな。ウィトラさんだっておそらくは反対しないよ。その期間が終わったときに、きみが彼にとって魅力的でなくなることはないだろうし、きみのお母さんだって、結局、きみが熟慮の末にやると決めたんだ、と思えばずっと気分が晴れやかだろうしね」


「そうよ」デイル夫人は衝動的に叫んだ。「考える時間が必要だわ、スザンヌ。一年くらいどうってことないわよ」


「いやよ」スザンヌは気を許して言った。「これはあくまで私がそうしたいか、したくないかの問題よ。私はそうしたくありません」


「そうだろうね。それでも、これはよく考えた方がいいことなんだ。外からどう見ていてもこの状況は深刻だからね。私はこういうことを言ったことはないんだが、きみは大きな間違いを犯しかけている気がするんだ。それでも、これは私の意見に過ぎない。きみはきみの意見を持つ権利がある。きみがこれをどう感じるか、私にはわかるけど、世間は同じように感じてくれないものさ。世間っていうのは、うんざりするものなんだよ、スザンヌ。でもね、我々はそれを考えに入れないとならないんだ」


スザンヌは、頑なな態度を崩さず、うんざりした様子で、自分を苦しめる相手を見つめた。彼らの論理はスザンヌには全然魅力的に映らなかった。スザンヌはユージンと自分の計画のことを考えていた。これは順調にいくかもしれなかった。スザンヌは世間をどう思っていたのだろう? こんな話をしているうちに、スザンヌはどんどんドアに近づいて、とうとう開けてしまった。


「まあ、それだけだよ」ドクター・ウーリーは、スザンヌが立ち去ると決めたのを見極めて言った。「すてきな午前中になるといいね、スザンヌ。また会えてうれしかったよ」


「ウーリー先生こそ、すてきな朝を」スザンヌは答えた。


娘が出ていくと、デイル夫人は手を握りしめた。「いったい私はどうしたらいいのかしら」デイル夫人は相談相手を見つめながら叫んだ。


ドクター・ウーリーは、望んでもいない人の相談に乗ることの馬鹿らしさを考えた。


「興奮することはないですよ」しばらくしてから言った。「扱い方さえ正しければスザンヌが待ってくれそうなのが私には明白なんですがね。彼女は今、何かの理由で反発して感情的になっているとても張り詰めた状態なんです。あなたが厳しく追い詰め過ぎたからですよ。もっと肩の力を抜いてください。彼女自身にこの問題をよく考えさせることですね。延期を勧めるのがいいんですが、イライラさせてはいけません。あなたが無理強いしたところで彼女を支配することはできませんよ。彼女は意志が強過ぎます。泣き落としは通用しないし、情に訴えたら小馬鹿にされそうだ。考えることを頼むか、あるいはいっそのこと考えさせて延期だけを頼むかです。もしあなたが彼女を二、三週間あるいは数か月、あなたの頼みごとに煩わされたり、相手の男に影響されないようにして、ひとりっきりにさせられれば……もし彼女が自発的に、その間自分をひとりにしてほしい、と相手の男に頼むようになれば、すべてはうまくでしょう。彼女はもう彼のところには行かないと思います。本人は行く気だと思っているでしょうが、私は、彼女に行く気はないという感触を得ました。しかし冷静にならないといけません。できれば彼女をどこかへ行かせてしまうことです」


「考える時間ができるまで、娘をどこかのサナトリウムか保護施設に閉じ込めることは可能でしょうか、先生?」


「あらゆることが可能です。しかし、これはあなたがとれる最悪の一手だと言わざるを得ません。こういう場合、力では何も解決しませんから」


「わかってますけど、あの()が理性に耳を傾けなかったら?」


「あなたはまだ実際にその橋まで来ていませんよ。まだ冷静に彼女と話をしたことがない。あなたは彼女と喧嘩をしているんですから。それじゃ何の進展もありませんよ。あなたはどんどん離れていくだけです」


「先生ったら現実的な問題を解決するのがお上手ですね」デイル夫人は、なだめられ、称賛をこめて言った。


「いや、そんなんじゃありません、直感ですよ。私にそんな解決能力があったら、医者なんか始めなかったでしょう」


ドクター・ウーリーは歩いてドアまで行った。老いた体が何だがその重みで沈んでいた。振り向いたときに、老練な灰色の目がわずかに輝いた。


「あなただって昔は恋をしたでしょう、デイルさん」


「はい」デイル夫人は答えた。


「そのときどんな気持ちだったかを覚えていますか?」


「はい」


「よく考えてください。ご自分の感情……ご自分の態度……それをお忘れにならないように。おそらくあなたは恋愛を邪魔されなかった。彼女は邪魔され、間違いを犯した。辛抱強くいきましょう。冷静でいることが肝心です。我々はこれを阻止したい。きっとできますよ。自分がされたいように、相手にすることです」


ドクター・ウーリーは足を引きずるようにゆっくりと歩いてベランダを横切り、広い階段を下りて、車まで行った。


「お母さん」ドクター・ウーリーが帰った後で、さっきよりも気分が落ち着いたかどうか、母親が娘の様子を見がてら、さらに延期を頼みに部屋まで来たときに、スザンヌは言った。「私にはお母さんがこのすべてを馬鹿馬鹿しいほど混乱させているように思えるわ。どうしてウーリー先生に私のことを話さなきゃいけないの! こればかりは絶対に許さないわ。お母さんは、まさかするとは私が考えもしなかったことをしたのよ。お母さんにはもっとプライドがあると思ったわ……もっと個人を尊重するってね」


ユージンを虜にした彼女の魅力を理解するためには、広々とした寝室で、楕円形の鏡つき化粧台に背を向けて、母親を正面に迎えたスザンヌを見ればよかった。そこは、すてきな、日当たりのいい、窓がたくさんある部屋で、白と青のモーニングドレスを着たスザンヌは、その部屋の明るい雰囲気にとてもかわいらしく調和していた。


「だって、スザンヌ」デイル夫人はかなりしょんぼりして言った。「どうしようもなかったんだもの。誰かに助けを求めるしかなかったのよ。あなたとキンロイと子供たちを別にしたら、私は完全にひとりぼっちなのよ」……デイル夫人はスザンヌかキンロイと話すときはアデールとニネットを子供たちと呼んだ……「それに、あの子たちには何も言いたくなかったのよ。今まではあなたが唯一の相談相手だったのに、そのあなたが私に背を向けたんだから……」


「私はお母さんに背を向けたことはないわ」


「いいえ、向けたわ。この話はよしましょう、スザンヌ。あなたは私の心を傷つけたんですよ。あなたはこの私を殺そうとしているのよ。私は誰かのところへ行かなければならなかっただけです。私たちはウーリー先生とは長い知り合いでしょ。あの方はとても良心的で親切だもの」


「知ってるわよ、お母さん、だからって何の効果があるのよ? 先生の言うことがこの問題にどう役立つっていうの? 先生が私を変えることはないわよ。お母さんは事情を知らなくてもいい人に事情を話しているだけだわ」


「でも、先生ならあなたに影響を与えるかもしれないと思ったのよ」デイル夫人は弁解した。「あなたは先生の話なら聞くと思ったのよ。ねえ、スザンヌ。お母さん、疲れちゃったわ。死んでしまいたいわ。生きてこんな目に遭いたくなかったわよ」


「仕方がないわね、お母さん」スザンヌは自信をもって言った。「私がやろうとしていることなのに、どうしてお母さんがそんなに悩むのかわからないわ。私が築こうとしているのは私の人生であってお母さんの人生じゃないのよ。私はね、お母さん、自分の人生を生きなくちゃいけないの、お母さんの人生じゃなくて」


「それはそうだけど、私を悩ませるのはまさにそれなのよ。こんなことをした後はどうなるの……あなたが人生を放り出した後のことよ? ああ、自分が何をしようと考えているのかを……すべて終わったとき、どんなに惨めなことになるかを、あなたがわかってくれさえすればいいんだけどね。あんな人とは一緒に暮らせないわよ……相手はあなたよりずっと年上だし、あまりにも移り気で、不誠実極まりない人なんだから。少しすれば、彼はあなたを気にかけなくなるわ。そのときあなたはそこで結婚もしないまま、おそらくは両手に子供を抱えて、社会から追放されているのよ! あなたはどこへ行くことになるのかしら?」


「お母さん」スザンヌは冷静に言った。バラ色の赤ん坊のように唇が開いた。「私はこのすべてについて考えたわ。どうなるかはわかっているわ。でも、お母さんや他のみんなって、こういうことに大騒ぎし過ぎると思うのよ。お母さんは、起こるかもしれないすべてのことを考えるけど、そうやってすべてが起こるわけじゃないわ。人ってこれくらいのことやってるわよ、きっと。それを全然大事だと考えずにね」


「ええ、本の中ではね」デイル夫人は付け加えた。「お母さんは、このすべてをどこであなたが仕入れたのか知ってるわ。本で読んだんでしょ」


「とにかく、私はやるつもりでいるわ。決めたんだから」スザンヌはつけ加えた。「私は九月十五日までにウィトラさんのところへ行くことに決めました。そろそろお母さんの方こそ覚悟を決めた方がいいわ」この日は八月十日だった。


「スザンヌ」母親は娘を見つめながら言った。「あなたが私に向かってこんな口をきくなんて想像もしなかったわ。そんなことはしないわよね。どうしたらそんなに強情になれるの? あなたの中にこんな恐ろしい決意があったとは知らなかったわ。私がアデールやニネットやキンロイのことを言ったのに、あなたには何も響かなかったの? あなたには心ってものがないの? ウーリー先生がおっしゃたように、どうして六か月か一年待ってくれないの? どうして自分に考える時間を与えずに、こんなことに飛び込む話をするのよ? これは無謀で軽率な実験だわ。あなたはこれについて何も考えたことはないし、時間もかけなかったでしょ」


「あら、そんなことないわ、考えたわよ、お母さん!」スザンヌは答えた。「これについてはたっぷり考えて、完全に納得したわ。私は彼を長く待たせるつもりはないってユージンに言ったから、そのときに実行したいの。私は待たせたままにはしないわ。彼のところに行きたいのよ。私たちが最初にこの話をしてから、それで丸二か月になるんだもの」


デイル夫人は顔をしかめた。彼女には娘に譲歩する考えも、こんなことをさせる考えもなかった。しかしこうしてはっきり日付を切られたことで、いよいよ事態は切迫した。娘は常軌を逸していた。これがすべてだった。これは状況をひっくり返すほどの多くの時間を彼女に与えなかった。スザンヌをこの街から、できればこの国から連れ出すか、あるいは閉じ込めなければならなかった。彼女はあまり反発を招かずにこれをやらなくてはならなかった。






第十六章



この闘いの中でデイル夫人がとった次の一手はキンロイに話すことだった。当然、キンロイは少年のような騎士道精神に駆られて、直ちにユージンを殺しに行きたがった。これはデイル夫人のおかげで未然に防がれた。スザンヌをコントロールする以上にキンロイをコントロールしていた夫人は、どれほど恐ろしい破壊的なスキャンダルが起こるかを指摘し、巧妙な立ち回りと忍耐とを説いた。キンロイは姉妹に、特にスザンヌとアデールに心から愛情を抱いていて、二人を守りたいと思っていた。彼は大げさで過剰な騎士道精神から、自分が母親の計画を手伝わなくてはならないと決意した。そして二人は一緒に、いつか夜スザンヌをクロロホルムで眠らせて、病気の少女を搬送するように、自家用車でメイン州かアディロンダック山地かカナダに運ぶことを話し合った。


このすべての戦略的な細かい段取りを順番にたどっても仕方がない。スザンヌの同意を得られていた五日が過ぎると、ユージンから電話がかかってくるようになったが、これらは今、私立探偵の役割を果たしているキンロイに阻まれた。スザンヌは、話し合うためにユージンに家まで来てもらうことに決めたが、これには母親が反対した。これ以上会わせても二人の結束を強めるだけだと感じたからだ。キンロイはユージンに、自分はすべて知っている、もしここに近づこうとすればその場で殺す、と自分で手紙を書いた。スザンヌは自分が母親に行動を妨げられ軟禁されていることに気がついてユージンに手紙を書いた。これをメイドのエリザベスが彼女の代わりにこっそり投函して、状況かどうなっているかをユージンに知らせた。母親はドクター・ウーリーとキンロイに打ち明けてしまった。スザンヌは、二人の交際が穏やかに承認されない限り、九月十五日に家を出ることを決心していた。キンロイはスザンヌにユージンを殺すと脅迫した。しかし彼女は彼が恐れる必要があるとは考えなかった。キンロイはただ興奮しているだけだった。母親は、スザンヌに六か月ヨーロッパに行ってよく考えてほしいと頼んだが、彼女は応じなかった。スザンヌは街を離れるつもりはなかった。たとえ数日音沙汰なしでも、彼女に何か異変があったと彼が心配する必要はなかった。嵐が少しおさまるまで、二人は待たなければならなかった。「私はここにいます。でも、今は私に会おうとしない方がいいかもしれません。その時が来れば、私はあなたのところに行きます。もし機会があれば、その前に会いましょう」


ユージンは事態の展開に胸を痛めて驚いたが、それでも、これ全体に立ち向かうスザンヌの態度に励まされて最善の展開に希望をつないだ。スザンヌの勇気はユージンの力になった。スザンヌは冷静で、ちゃんと目標に向かっていた! 彼女はまさに宝物だった! 


スザンヌがやめるように言うまで、数日に渡って毎日ラブレターが届くようになった。スザンヌ対母親とキンロイの図式で絶えず口論があった。彼女は明らかに劣勢に立たされていたので、辛辣で強硬になり始めた。主にスザンヌから始まったが、娘と母親の間で短い反駁的な言葉の応酬があった。


「いや、いや、いやよ!」とスザンヌは絶えず繰り返し主張した。「そんなことするもんですか! それが何よ? 馬鹿馬鹿しい! 放っといてってば! 話は終わり!」と続いた。


デイル夫人は時間さえあれば娘の連れ出し方を考えていた。夫人の念頭にあったようなクロロホルムを使って密かに運び出す方法は、そう簡単にできることではなかった。スザンヌにそんなことをするのは危険だった。その影響で娘が死ぬかもしれないと不安だった。薬は医者なしでは投与できなかった。使用人たちはこれを変に思うだろう。すでに疑念がささやかれている気がした。最終的にデイル夫人は、スザンヌに同意するふりをして、すべての障害を取り除き、娘の後見人、言い換えるなら娘の父親の故ウェストフィールド・デイルの遺産の娘の持ち分を信託しているマーカート信託会社の法定代理人と娘が所有するニューヨーク西部の不動産について相談するために、アルバニーに行こうと頼むことを思いついた。デイル夫人はスザンヌに、母親の私有財産の持ち分放棄の承諾書に署名してもらうために、アルバニーに行かざるを得ないふりをすることに決めた。そののち、遺言でもスザンヌを相続人から除外し、彼女に自由を与えるものと推察された。この計画でいくと、スザンヌはニューヨークへ戻って自分の道を歩み、母親はもうスザンヌには会わないことになっていた。


これを一層効果的にするためにキンロイが遣わされて母親の計画を話し、スザンヌと家族のためにも今生の別れが来ることのないよう頼み込んだ。デイル夫人は態度を変えた。キンロイが自分の役割をとても効果的に演じたので、これが母親のあきらめた表情と冷淡な話し方と合わさって、スザンヌはある程度だまされた。母親が完全に心変わりしてしまい、キンロイが言ったことをやる気かもしれない、とスザンヌは思った。


「いやよ」スザンヌはキンロイの頼みに返答した。「お母さんが私と縁を切ろうが切るまいが私は気にしないわ。喜んで書類にサインするわよ。もしお母さんが私に出ていってほしいのなら出ていくわ。私はこの件に関してお母さんはずっととても愚かな行動をとってきたと思うわ。あなたもね」


「お母さんにそんなことをさせないでほしいんだ」このエサがうまく飲み込まれたことにかなり気を良くして、キンロイは言った。「お母さんは失意のどん底にいるんだよ。お母さんは、姉さんがここにいて、事を起こすまで半年か一年待ってほしがっている。でも、姉さんが応じないなら、お母さんはこんな要求をするつもりなんだ。僕はやめるようにお母さんを説得してみた。姉さんが出て行くのを見るなんて、とにかくご免だからね。考えを変えてくれないかな?」


「変えないって言ったでしょ、キンロイ。私に頼まないでよ」


キンロイは母親のところに戻って、スザンヌは相変わらず頑固だが、この策は多分成功する、と報告した。スザンヌはアルバニーに行くと思いながら列車に乗ることになる。いったん乗り込んでしまえば、閉ざされた車内で、彼女は翌朝までほとんど疑わないだろう。そしてそのとき彼らはアディロンダック山地のはるか彼方にいるわけだった。


計画は部分的に成功した。母親はキンロイと同じように、この事前に打ち合わた場面を、まるで舞台に立ったようにうまく演じきった。スザンヌはすぐ間近に自由を見たと思った。荷物は旅行鞄ひとつだけだった。スザンヌは条件をひとつ出しただけで……ユージンに電話して説明するのを認めることで……進んで車と列車に乗り込んだ。キンロイも母親も反対したが、最後にスザンヌが電話をさせないなら行かないと断固拒否したので二人とも受け入れた。スザンヌは会社にいるユージンに電話をかけた……このときは四時で、出発は五時半だった。ユージンはすぐにこれを策略だと思い、そう告げたが、スザンヌはそう考えなかった。デイル夫人はこれまでスザンヌに嘘をついたことがなかった。弟もそうだった。彼らの言葉は約束と同じだった。


「ユージンがこれは罠だと言っているわ、お母さん」スザンヌは電話から、すぐそばいる母親の方に向き直りながら言った。「そうなの?」


「そうでないことはあなたがわかってるでしょ」母親はぬけぬけと嘘をついた。


「そうだとしても失敗に終わるわ」スザンヌは答えた。その言葉をユージンは耳にした。彼女の声の調子に力づけられてしぶしぶ承知した。確かにすばらしい女の子だった……男でも女でも自分のやり方で自由に操るのだから。


「きみが大丈夫だと思うのならそれでいいよ」ユージンは言った。「だけど僕は寂しくて仕方がないな。もうずっとそんな調子が続いている。きみに会えない限り募る一方だよ、フラワーフェイス。ああ、待ち遠しいなあ!」


「そんなの、ユージン」スザンヌは答えた。「ほんの数日のことよ。木曜日には戻るわ。そうすればあなたは私に会いに来られるのよ」


「木曜日の午後?」


「そうよ、私たちは木曜日の午前中に戻るから」


スザンヌはようやく受話器を置いた。一行は車に乗り、一時間後に列車に乗った。





第十七章



列車はモントリオール、オタワ、ケベック行きの急行で、アルバニーまでノンストップで駆け抜けた。スザンヌはケベックに近づくまでに寝るつもりだった。これは専用車両だった……デイル夫人は鉄道会社の社長がこれを自分に貸してくれたと説明した。だから、スザンヌを起こしてしまうような到着のアナウンスは、ポーターから一切告げられなかった。十時直後に停車したとき、この車両は列車の南端の最後尾にあったので、掛け声が聞こえても内容まではわからなかった。すでに就寝中だったスザンヌは、ポキプシーかどこか途中の駅かもしれないと思った。母親が言うには、到着がとても遅れたので、列車は待避線に入れられ、みんなは朝まで車内にとどまることになるとのことだった。それでも母親とキンロイは、スザンヌの厄介な行動や決心に警戒した。列車が動き出すと、翌朝バーモント州最北部のバーリントンに着くまでスザンヌはぐっすりと眠った。目が覚めて、電車がまだ走っているのを見たとき、漠然と、必ずしもはっきりとではなかったが、これはどういうことだろうといぶかしがった。周囲は山々というか、松が覆うかなり高い丘陵地だった。高架橋で渓流を渡って、焼けた森林地帯を通過した。そこには山火事が、空高くそびえ立つ木の幹からなる寂しく哀れな焼け野原を残していた。スザンヌは急に、これはおかしいと思い、浴室を出て理由を尋ねた。


「ここはどこよ、お母さん?」スザンヌは尋ねた。デイル夫人は、座り心地のいい柳材の椅子に寄りかかって、本を読んでいたか読むふりをしていた。キンロイは少しの間見晴らしデッキに出ていたが、スザンヌが自分の現在地に気がついたら何をするだろうと心配になったのですぐに戻った。前夜スザンヌの知らないうちに食料が運び込まれていて、間もなくデイル夫人が朝食を出すところだった。彼女はこの旅行にメイドを同行させる危険を冒さなかった。


「知らないわ」母親は焼け残った森林地帯を眺めながら気のない返事をした。


「真夜中を少し回った頃にはアルバニーに着いてるもんだと思ったんだけど?」スザンヌは言った。


「じゃあ、そうなんでしょ」デイル夫人は打ち明ける準備を始めた。キンロイが車内に戻ってきた。


「それにしても」スザンヌはそう言って口ごもり、まず窓から外を見て、それからじっと母親を見すえた。母親とキンロイの顔と目に、落ち着きのない、どこか神経質な表情を確認するとスザンヌは、これは罠だ、自分の意に反してどこかに……どこだ?……連れて行かれていることに気がついた。


「これは罠ね、お母さん」スザンヌは母親に向かって堂々と言った。「私に嘘をついたのね……お母さんもキンロイも。アルバニーには向かっていないのね。どこに向かっているのよ?」


「今はあなたに言いたくありません、スザンヌ」デイル夫人は静かに答えた。「お風呂に入りなさい。それから話しましょう。もう構わないわ。知りたいのなら教えるけど、私たちはカナダへ向かっています。もうすぐそこよ。着けばすぐにわかるわ」


「お母さん」スザンヌは答えた。「これは卑劣な策を弄したものね! これを後悔することになるわよ。二人して私をだましたのね……お母さんもキンロイも。これでわかったわ。自分で気づいていたのかもしれないけど、まさかお母さんが私に嘘をつくとは思わなかったわ。今はどうすることもできないわね、見ればわかることだけど。でもその時が来れば、あなたたちは後悔するわよ。こんなやり方では私を思い通りにはできませんから。もっとよく知っておくべきね。どうせお母さん自身が私をニューヨークへ連れ戻すことになるのよ」最終的に認めざるを得ないのかもしれない、と母親が焦燥や疲労を感じるほどの力の差を示す毅然とした態度で、スザンヌは母親を見据えた。


「ねえ、スザンヌ、そんな言い方をして何になるんだい?」キンロイが懇願した。「ほら、お母さんは気が変になりそうなんだよ。他の方法も、どうしたらいいかも、思いつかなかったんだ」


「あんたは黙ってなさい、キンロイ」スザンヌは答えた。「あんたなんかと話したくないわ。よくも私に嘘をついたわね。恩を仇で返すなんて。お母さん、私はお母さんにも驚いてるのよ」スザンヌは母親の方に向き直った。「お母さんが私に嘘をつくなんて! いいわよ、お母さん。今日のところはお母さんの勝ちね。でも最後に勝つのは私だわ。お母さんはやり方を間違えたわね。今に見てらっしゃい」


デイル夫人は顔をしかめ、たじろいだ。この娘は夫人がこれまで知りえた中で最も恐れを知らない意志の固い戦士だった。彼女はこの勇気をどこで手に入れたのだろう……おそらく亡き夫からだ。対立がもたらしたこの怒りの数週間に娘の中で成長を遂げた静かさ、闘志、怖いもの知らずを、彼女は実際に感じることができた。「お願いだからそんな言い方をしないで、スザンヌ」デイル夫人は懇願した。「すべてあなたに良かれと思ってしたことなのよ。あなただってわかるでしょ。どうして私を苦しめるの? 私があんな男にあなたを渡すつもりがないことくらいわかるでしょ。渡すもんですか。まずは全力を尽くします。私はこの闘いで死んでも、あなたをあきらめないわ」


「じゃ、お母さんは死んじゃうわ。だって私は自分が言ったとおりのことをするんだから。この車両が止まるところまでは私を連れて行けても、そこから連れ出すことはできないわよ。私はニューヨークへ帰るから。まあ、お母さんにしては上出来だったんじゃない?」


「スザンヌ、私はあなたの頭がおかしくなったことをほぼ確信したわ。あなたは私の頭までほとんどおかしくしてしまったわ。でも私はまだ正気でいるから、何が正しいか十分わかるわ」


「お母さん、私はもうあなたと話す気はないわ、キンロイともね。お母さんは、私をニューヨークに連れ戻すことか、放って置くことはできるけど、この車両から連れ出すことはできないわ。たわごとや、見せかけの話に耳を貸すのは終わりにします。お母さんは私に一度嘘をついたんです。もう二度とそんなチャンスは得られませんから」


「構いませんよ、スザンヌ」列車が疾走する中、母親は答えた。「あなたが私にそうさせたんです。すべての問題を引き起こしているのはあなた自身の態度なのよ。もしあなたが道理をわきまえて、このすべてをじっくり考える時間を取れば、今いる場所にあなたはいなかったでしょう。あなたがやりたがっているこんなことを、私はあなたにやらせるつもりはありません。あなたがそうしたければ、車内に留まることはできるわ。でもお金がなければニューヨークには戻れませんからね。そのことは私が駅長さんに話しておきます」


スザンヌは現状を考えた。彼女は無一文だった。服も着ているもの以外は何もなかった。見知らぬ国にいて、ひとり旅にあまり慣れていなかった。本当にこれまでもひとりではほんのひと握りの場所にしか行ったことがなかった。これは抵抗する決意を鈍らせはしたが、彼女は決して打ち負かされなかった。


「あなたはどうやって戻るつもりなの?」スザンヌがうんともすんとも言わないので、しばらくして母親は尋ねた。「あなたは全然お金を持っていないでしょ。まさか、スザンヌ、騒ぎを起こすつもりでいるんじゃないわよね? お母さんはね、あなたがあの男から離れて、考える時間がとれるように、数週間でいいからここに来てほしいだけなのよ。お母さんは、あなたに九月十五日にあの男のところへ行ってほしくないのよ。ただあなたにそうさせないだけなのよ。どうしてあなたは道理をわきまえてくれないの? ここなら楽しい時間が過ごせるわ。あなたは馬に乗るのが好きよね。好きに乗っていいのよ。お母さんもあなたと一緒に乗るわ。何ならお友だちを何人かここに招待してもいいわよ。服だって送ってもらうわ。ただ少しここにいて自分がやろうとしていることをじっくり考えなさい」


スザンヌは対話を拒んだ。自分にできることを考えていた。ユージンはニューヨークに戻り、木曜日には自分に会えると期待するだろう。


「そうだよ、スザンヌ」キンロイが口を挟んだ。「どうして母さんの言うことをきかないんだい? せっかく姉さんに良かれと思うことをしようとしてるのにさ。姉さんがやろうとしてることは恐ろしいことだよ。常識に耳を傾けて、ここに三、四か月いたらいいじゃないか?」


「オウムみたいに同じ話を繰り返すんじゃないわよ、キンロイ! 私はこの話をすべてお母さんから聞いているんだから」


母親がとがめかると、スザンヌは言った。「ああ、静かにしてよ、お母さん、私はもう何も聞きたくないんだから。その手の話は何も聞く気はありません。あなたは私に嘘をついたのよ。アルバニーに行くって言ったわよね。そう見せかけて私をここまで連れ出したのよ。もう連れて帰ってくれてもいいじゃない。私はロッジなんかに行きません。ニューヨーク以外はどこにも行く気はないから。私とは議論しないほうがいいわよ」


列車は走り続けた。朝食の用意ができた。専用車両はモントリオールでカナディアン・パシフィック鉄道に線路が切り替えられた。母親の訴えは続いた。スザンヌは食事を拒んだ。この奇妙な結末についてじっくり考えながら、座って窓の外を眺めた。ユージンはどこにいるのだろう? 何をしてるだろう? 自分が戻らなかったら、どう思うだろう? スザンヌは母親に怒りを感じなかった。ただ軽蔑するだけだった。この策略はスザンヌを苛立たせ、うんざりさせた。スザンヌは闇雲にユージンのことを考えていたわけではなく、彼のもとに戻ることだけを考えていた。本当の自分に対する概念はまだ漠然としていたが、彼女は自分のことを考えるように彼のことを、力があって、辛抱強くて、機略縦横であり、もしそうしなければならないなら、少しくらい自分がいなくても生きていけるはずだと考えた。スザンヌは彼に会いたくてたまらなかった。しかし本当は、もし彼が会いたければ、向こうから自分に会いに来るべきだという気持ちの方が強かった。ユージンは彼女の母親を、何て生き物だと思っているに違いない! 


正午までにジュイナタ、二時までにケベックの西五十マイルの地点にたどり着いた。最初、スザンヌは母親への面当てにまったく食事をとらないつもりだったが、後になって、それを愚行と判断し、食べることにした。スザンヌは自分の態度でみんなをものすごく不快にした。そして二人は、スザンヌをニューヨークから連れ出したところで、ただ単に自分たちの問題を移動させただけだったことに気がついた。スザンヌの心はまだ折れてはおらず、不穏な精神的波動で車内を満たした。


「スザンヌ」やがて母親は切り出した。「お母さんとお話しない? あなたには、お母さんがあなたのためにこれをやろうとしていることが、わからないの? お母さんはね、あなたに考える時間を与えたいのよ。お母さんだって本当は無理強いしたくはないわ。でもわかってくれなくちゃだめよ」


スザンヌはただ通り過ぎていく緑色の野原を窓から眺めるだけだった。


「スザンヌ! これが絶対に駄目だってことがあなたにはわからないの? このすべてがどれだけ恐ろしいことなのか、あなたにはわからないの?」


「お母さん、私のことは放っておいてほしいわ。お母さんは、お母さんが考えているやるべき正しいことをしたのよ。もう私のことは放っておいてよ。お母さんは私に嘘をついたわ。私はお母さんとは話したくありません。私はお母さんに、ニューヨークに連れて帰ってほしいのよ。他にお母さんのすることはないわ。説明しようとしないでよ。どうせ説明になってないんだから」


デイル夫人は怒り心頭に発したが、この自分の娘の前では無力だった。どうすることもできなかった。


さらに数時間後、ある小さな町で、スザンヌは降りることに決めたが、デイル夫人とキンロイの両名は実際に体を張って反対した。しかし二人して少女の決意ひとつ変えられないものだから、無性に馬鹿馬鹿しく、恥ずかしくなった。スザンヌは二人の気持ちを……二人の精神的な姿勢を……思いっきり軽蔑して無視した。デイル夫人は泣いた。やがて表情が険しくなった。それからひたすら訴えた。彼女の娘はただ高慢に視線をそらした。


スリーリバーズで、スザンヌは列車にとどまって動こうとしなかった。デイル夫人は頼み込んだり、応援を呼ぶと脅したり、精神病患者として届け出ると明言したりした。すべてが徒労だった。車掌がデイル夫人に列車を降りるつもりがあるかどうかを問い合わせた後で、車両が切り離された。怒りと、恥ずかしさと、やり場のない反感を覚え、デイル夫人はどうしたらいいのかわからなかった。


「あなたはひどいわと思うわ!」デイル夫人はスザンヌに叫んだ。「あなたは小さな悪魔よ。それじゃ私たちはこの車両で生活することになるわね。やってみましょう」


この車両は行きの分しか借りておらず、翌日には返さなければならなかったから、これが無理なのはわかっていた。


車両は退避線に入れられた。


「頼むから、スザンヌ。私たちを物笑いの種にするのはやめてちょうだい。これはひどいわよ。みんなはどう思うかしらね?」


「みんながどう思おうと私は構わないわ」スザンヌは言った。


「でもあなたはここにはいられないのよ」


「あら、私はいられるわよ!」


「ねえ、降りてよ、お願いだから。私たちはいつまでもここにいられるわけじゃないのよ。ちゃんと連れて帰るから。ひと月滞在するってお母さんに約束してちょうだい。そうすればひと月後にあなたを連れて帰るってきちんと約束するから。このせいでお母さんは具合が悪くなっているのよ。耐えられないわ。それ以降はあなたの好きにおやりなさい。とりあえず、一か月だけは滞在しなさい」


「嫌よ、お母さん」スザンヌは答えた。「どうせ守らないんだから。お母さんは私に嘘をついたのよ。今だって私に嘘をついているんだわ、これまでと同じようにね」


「誓って言うけどお母さんは嘘なんてついてません。一度はついたけど、取り乱していたのよ。ねえ、スザンヌ、お願いよ、お願いだから道理をわきまえて。少しは考えてちょうだい。あなたを連れて帰ることにするわ。でも服が到着するのを待ってからよ。このまま行くわけにはいかないでしょ」


デイル夫人はキンロイを駅長のところへ行かせた。駅長はモン・セシルまで行く馬車と医者が必要だと説明された……これはデイル夫人の一番新しい思いつきだった……そして彼女はその医者に、スザンヌの精神疾患を訴えるつもりだった。スザンヌを連れ出すために応援が呼ばれることになった。デイル夫人がこれを告げても、スザンヌはただにらみ返しただけだった。


「医者をお呼びなさいよ、お母さん」スザンヌは言った。「私がそういうところへ行かなきゃならないかどうかを確かめましょう。でも、お母さんはこの一歩一歩をすべて後悔するわよ。自分が歩んだこの愚策の一歩一歩をとことん後悔するわよ」


馬車が到着してもスザンヌは降りるのを拒否した。地元に住むフランス人の御者が、到着したことを車両に知らせにきた。もし姉さんがおとなしく行くなら問題の解決に協力する、と言ってキンロイはスザンヌをなだめようとした。


「ねえ、スージー、もし一か月以内にすべてに納得できなくて、まだ姉さんが戻りたければ、僕が姉さんにお金を送るよ。僕は明日か明後日には母さんのいいつけで戻らないといけないけど約束する。とにかく二週間で姉さんを連れて帰るように母さんを説得するよ。僕がこれまで姉さんに嘘をついたことがないことは知ってるでしょ。二度とつかないからさ。お願いだから来てよ。あっちへ行こうよ。とにかく快適でいられるんだから」


デイル夫人は電話でカスカート家からロッジを借りていた。家具はすべて揃っていた……すぐに住める状態だった……暖炉には火を灯す薪まで用意されていた。温水と冷水は湯沸かし器で管理され、アセチレンガスがあり、キッチンには主な食材がそろっていた。その世話をする仕事は管理人に手配されることになっていて、管理人には駅から電話で連絡を取ることができた。馬車が到着するまでに、デイル夫人はすでに先方と連絡をとっていた。道がとても悪かったので、自動車は使えなかった。駅長は莫大な謝礼を見て何でも言うことを聞いてくれた。


スザンヌはキンロイの話を聞きはしたが彼を信じなかった。今はユージン以外、誰のことも信じなかった。なのに彼はアドバイスができる近くにはいなかった。それでも、彼女にはお金がなく、医者を呼ぶと脅されていたので、ここはひとつ穏便に行くのが一番いいかもしれないと考えた。母親はひどく取り乱していた。彼女の顔は真っ青で、げっそりし、ぴりぴりしていた。キンロイは明らかに緊張が極限に達していた。


「お母さん、はっきりと約束してくれる?」ある意味でキンロイの言葉を裏書きしながら新たに懇願し始めた母親に、スザンヌは尋ねた。「もし私がその間こっちに滞在すると約束したら、二週間で私をニューヨークに連れ戻すって?」これならまだウィトラのところへ行くと約束した期限内だった。それまでに戻りさえすれば、恋人に手紙を書けるのであれば、彼女は本当に構わなかった。母親がしたことは愚かな専横だったが、それは我慢できた。穏便に済ます合理的手段が見当たらないので、母親は約束した。二週間娘をおとなしくしておくことさえできれば、何とかなるかもしれない。ここならスザンヌは違う状況で考えることができるからだ。ニューヨークはとても刺激的だが、このロッジの外はすべてが静かだった。さらに議論は続き、最終的にスザンヌは馬車に乗ることに同意した。一行はモン・セシルと、カスカート家のロッジへ馬車を走らせた。そこは今、使われていない人里離れたところで、「悠々荘」として知られていた。





第十八章



カスカート家のロッジは、見事な草木に覆われた山の斜面の中腹にある二階建ての長い建物で、金持ちの夏の便利な施設のひとつだった。未開の荒れ地の間近にあったので大自然の未踏や危険を感じさせ、それでいてケベックやモントリオールの都市に代表されるような文明の快適さにも十分に近かったので、物質的な喜ばしいものを所有している安心を感じさせるものだった。さもなければ簡単に使われなくなっていただろう。そこは、簡単な夏向きのもの……柳の椅子、箱型の窓際の椅子、建付けの本棚、見事な炉棚を頂いた立派な開放型の暖炉、外開きの鉛のサッシ、長椅子、クッションの散らかった素朴なソファー、立派な毛皮の敷物とローブ、そういう品々……が趣味よくそろえられた立派な部屋でいっぱいだった。壁には狩りの獲物……鹿の角、キツネの生皮、台座にのった阿比(アビ)(わし)、熊や他の動物の毛皮……が飾られていた。この年、カスカート家は別の場所にいたので、ロッジはデイル夫人の地位にいる女性が頼めば借りられることになっていた。


「悠々荘」に到着したとき、管理人のピエールというカビ臭い丸太小屋の老いた住人が、火を灯し、炉で家全体を暖めようとせっせと働いていた。彼は片言の英語を話し、土のように茶色いカーキ色の服を着ているが、その下にはどんな服を着合わせているか見当もつかなかった。その妻は、小柄で、幅の広いスカートをはいた、がっしりした体の女性で、キッチンで何か食べるものを準備していた。小麦粉やバターなどはもちろんのこと、彼の家の食料庫から持ちこまれた肉がたくさんあった。給仕役の娘は近所の罠で獲物をとる猟師の家から呼ばれて、カスカート家のメイドとしてロッジで働いていた。みんなは落ち着いてくつろいだものの、古い議論は続いた。中断すらしなかった。現にスザンヌは一貫して自分の意見を曲げなかった。


一方、ニューヨークに戻ったユージンは、木曜日にスザンヌから連絡を期待していたが、何も来なかった。自宅に電話しても、デイル夫人は市内にはおらず、すぐには戻りそうもないことしかわからなかった。金曜日は来ても連絡は来なかった。そして土曜日になった。ユージンは「本人限定配達、配達証明つき」の書留を試したが「不在」のマークがついて戻ってきた。そのときになって、自分の疑惑が的中していて、スザンヌが罠にはまったことがわかった。沈んだり、不安に駆られたり、イライラしたり、ピリピリしたりを交互に繰り返し、やがてすべてが同時に起こった。オフィスで机を叩いたり、目の前にあるたくさんの細かい作業に集中しようとほとんど無駄な努力をしたり、考えごとをしながら時々あてもなく街をさまよった。美術の計画、書籍、広告、流通について意見を求められても、言われている内容に考えを集中できなかった。


「チーフはここんとこ絶対に何か悩み事を抱えてますね」広告部のカーター・ヘイズが流通部の部長に言った。「人が変わってしまった。こっちの言うことを聞いているとは思えないんですよ」


「俺もそれには気づいていた」相手は答えた。二人はユージンのオフィスの外の応接室にいた。そして腕組みして豪華なカーペット敷きの廊下をエレベーターまで歩いた。「確かにどこか悪いところがある。休養すべきだな。彼は頑張り過ぎなんだよ」


ヘイズはユージンが頑張り過ぎているとは思わなかった。この四、五か月は、ユージンにほとんど近づくことができなかった。午前中は十時か十時半に降りてきて、たびたび二時とか三時に外出し、業務とは関係のないランチの約束があり、夜は社交界のディナーか、どこかよそへ出かけてしまい、見つからなかった。コルファックスが何度彼を呼び出しても、そのとき不在ということがあった。他にも数回、彼のフロアやオフィスを訪ねたときも、ユージンは外出していた。文句を言うべきことだとは思わなかった……ユージンには動き回る権利があった……しかし、出版統括部長としては好ましくないと思った。彼は処理しなければならないことがたくさんあることを知っていた。それらを管理し、それらにすべての自分の時間を割かないためには、ずば抜けて有能な人物が必要だった。もしユージンが、彼が権益を持つ他の事業の他の関係者のように、彼のパートナーだったらコルファックスはこうは考えなかったろうが、そうではなかった。コルファックスはユージンを、就業員、すべての時間を仕事に捧げるべき者、と見なさずにはいられなかった。


ホワイトは業務上の特権以外は何も求めず、いつも職場にいて、機敏で、自分の職務に真剣に取り組み、驕らず、冷静で、あらゆる面で完全に有能だった。ホワイトはコルファックスに相談することを決して面倒くさがらなかったが、ユージンはその辺が無頓着で、小さな提案を思いつくたびにコルファックスのところへ走ろうとはせず、自分主導で行動することを好み、いつもかなり大きな態度をとっていた。


他にもユージンに不利に働くことと、働いていたことがあった。徐々に社内でも、ユージンが〈ブルーシー〉もしくは〈シーアイランド開発建設会社〉に関係しているという噂が広まっていた。この会社については街のあちらこちらで、特に金融界や社交界でかなり話題になっていた。コルファックスはこの会社について聞いたことがあった。豪華という方向性がかなり有望だったので、彼はこの計画に関心を持っていた。ユージンが作成した三十二ページの文学的な設立趣旨書のカラーの挿絵に美しく描かれたパノラマの全体像は、まだ大部分が完成していなかったが、これがすばらしいものになることを示すには十分だった。すでに立派な海の歩道と防壁が一.二五マイル以上できていた。食事とダンス用のパビリオンと、小規模ホテルのうちの一棟が建設されていた……すべては最初の建設計画どおりだった。たくさんの家があった……以前は草が高らかと生い茂る湿地帯だった土地に造成された百五十✕百五十フィートほどの小さな区画内に、最も華美な造りで二、三十軒ほど建てられた。島が三つか四つ埋め立てられて、小さなヨットクラブのクラブハウスが建てられていた。しかし全面完成の三分の一も目処が立っておらず、〈シーアイランド開発〉の前途は長かった。


ユージンはこの会社の財務状況を大まかにしか知らなかった。彼はウィンフィールドやウィルブランドたちと一緒に絶えず昼食を共にし、この新しいリゾートのすばらしさや将来性にできるだけ多くの関心が向かうように努力していたが、自分は世間の注目を集めないようにしていた。会う人会う人に彼が、〈ブルーシー〉は急速に自分がこれまでに見たサマーリゾートで最も完璧なものになりつつあると言うのは簡単なことだった。そしてこれが功を奏した。ここに関心を持った他のすべての人たちのコメントが功を奏した。しかしまだ完成とは言えなかった。実際のところ、〈ブルーシー〉の真の成功は、当初の資本金一千万ドルをはるかに上回る投資にかかっていた。本当の堅実な成長にかかっていた。これは早急になし得るものではなかった。


〈ユナイテッド・マガジンズ社〉に、そして最終的にコルファックスとホワイトに届いたニュースは、ユージンがこの事業に大きく関わっている、彼がこの事業の幹事もしくは他の何かの役職に就いている、〈ユナイテッド・マガジンズ社〉の利益増進のために使われた方がいい多くの時間を、彼はこの開発に割いている、というものだった。


「きみはこの件をどう思うかね?」ある朝、このニュースを聞いたコルファックスがホワイトに尋ねた。これはホワイト配下の印刷部の部長から届いたものだった。部長はホワイトの指示を受けてホワイトがいる前でこれをコルファックスに述べた。


「私がかねがね申し上げてきたとおりになりましたね」ホワイトは穏やかに言った。「彼は他の仕事に関心はあっても、この仕事にはありませんね。彼はこれを踏み台として使っているんです。そして用が済めばさよならなんでしょう。彼の視点で見れば、もうそれでいいんです。誰にでも出世する権利はありますからね。しかしあなたの視点からすれば、これはあまり好ましいことではありません。ここにいたいと願う人がいたら、その人を雇えばいいし、もしあなたが自分でこれを手掛けていたのであれば、本当はあなたがやった方がいい。あなたはそんなことをやりたくないかもしれませんが、あなたの今の知識を持ってすれば、自分の下でうまく働いてくれる人をつかまえられますよ。これでこの件は丸く収まります……今、最悪の事態が来ても、あなたなら彼がいなくても実際にうまくやれます。優秀な人が着任すれば、オフィスにいながら対応できますよ」


ユージンとスザンヌの恋の最も熱烈な段階が始まったのはこの頃だった。ユージンは春から夏にかけてずっと、スザンヌのことや、彼女に会う方法や、彼女との楽しいドライブや、彼女がやったことや言ったことを考えるのに忙しかった。今やほとんど彼の思考は彼の地位に関係することから大きく遠ざかっていて、概ねこれが彼をひどく退屈させた。〈シーアイランド社〉への投資が利息の形で何か具体的な利益でも見せてくれて、事態を好転させる手段を得られることになればいいのに、と熱心に願い始めた。スザンヌとの関係がアンジェラに見つかってからは、彼にはこの〈ブルーシー〉への投資に自分の全財産をつぎ込んだことが最悪の不幸に思えた。もしユージンがアンジェラと一緒に暮らし続ける運命だったら、これは問題ではなかった。そのときは、辛抱強く待って、これについて何も考えないでいればよかった。今は、もし彼がこれを現金化したいと思えば、裁判ですべての資産が凍結されることを意味するだけだった。おそらくそうなるだろう。アンジェラは彼を訴えることができるからだ。いずれにせよ、彼は彼女に合理的な条件を提示したかったし、それには法的な調整が必要だった。この投資を除くと今の彼には給料以外に何もなかった。それに、あまり早くはたまっていかないので、デイル夫人がすぐにコルファックスのところに行って、コルファックスが彼との関係を断った場合は大して役には立たなかった。コルファックスが本当に自分との関係を断つかどうか彼には疑問だった。コルファックスはスザンヌをあきらめろと彼に頼むだろうか、それとも簡単に辞職を迫るだろうか? 彼はしばらく前から、コルファックスが以前ほど自分に好意的でなく、もてはやさなくなったことに気づいていたが、これには対立以外の理由があったかもしれない。それに、人が互いに少し飽きてくるのは自然だった。彼らはあまり一緒に行動しなかった。そして一緒のときも、コルファックスは以前のようなオーバーな態度も、子供のように張り切ることもなかった。ユージンは、自分を陥れようとしているのはホワイトだと思った。しかし、コルファックスが態度を変えるつもりなら、自分も変えようと思った。こればかりどうしようもなかった。会社の業務に関わる限り、何の根拠もないと思った。彼の仕事は順調だった。


ある日、会社で、晴れた空から嵐が襲来した。それは各地に……デイル家、アンジェラ、ユージン自身に……たくさんの心痛と不幸をもたらすまでやまなかった。


スザンヌの行動が、この嵐を呼んだ稲妻だった。嵐が来るのはその方面しかありえなかった。ユージンは彼女からの連絡を待ちわびて気が狂いそうだった。そして、生まれて初めて、不確かで狂おしい愛につきものの、あの耐え難い苦しみが続く心の痛みを経験し始めた。それは内蔵の重要器官に……太陽神経(そう)のあたり、一般的にはみぞおちとして知られているところに……現実の痛みとなって現れた。スパルタの少年がベルトの下に隠したキツネにかじられたのと同じくらい、ユージンはひどく苦しんだ。スザンヌはどこにいるのだろう、何をしているだろう、と考えると、やがて仕事が手につかなくなり、車を呼んで乗るか、帽子を取って散歩に出た。車に乗るのは何の役にも立たなかった。じっと座っているのが苦痛だったからだ。夜、帰宅して、アトリエの窓のどちらか、主に小さな石造りのバルコニーに面した方のそばに座って、ハドソン川の変わり続けるパノラマを眺め、切ない思いを抱いては彼女はどこにいるのだろうと悩んでいた。またスザンヌに会うことがあるだろうか? もし会えたら、この戦いに勝てるだろうか? ああ、彼女の美しい顔、彼女のすてきな声、彼女の優美な唇と目、驚嘆に値する彼女の触れ方と美しい想像力! 


ユージンはスザンヌの詩を作ろうとして、愛する人へ捧げる一連のソネットを書いた。これは満更悪い出来ではなかった。重要だったり楽しそうな表情やポーズを百個探しながら、スザンヌの鉛筆描きの肖像画を描きためているスケッチブックに取りかかった。これはいつか色を塗って、後で彼女の絵のギャラリーへと発展させられるかもしれない代物だった。彼にはこれをアンジェラから隠す優しさはあったが、彼女が近くにいることは気にしなかった。一応、彼女の扱い方を恥じはしたが、今の彼女に対する見方は、かわいそうというより、不愉快とか不満だった。どうして彼女と結婚してしまったんだろう? ユージンはこれを自分に問い続けた。


ある夜、二人はアトリエに座っていた。自分の状況の恐ろしさが徐々にわかってきたので、アンジェラの顔は絶望を絵に描いたようだった。ユージンがとても不機嫌で落ち込んでいるのを見て言った。


「ユージン、あなたはこれを乗り越えられるとは思わないの? スザンヌが連れ去られたって言うけど、放っとけばいいじゃない? 自分の将来を考えてよ、ユージン。私のことを考えてよ。私はどうなるのよ? あなたさえその気になればこれを乗り越えられるわよ。長年連れ添っておきながら、まさかこの私を捨てたりしないわよね。私がどんなに努力してきたかを考えてよ。私はずっとあなたのかわいい良い奥さんだったでしょ? そんなにひどくあなたを困らせたことはなかったでしょ? ああ、私はずっと、私たちが何か恐ろしい大災害の瀬戸際にいるって感じるのよ! せめて私に何かできたらいいんだけど、何か言えたらいいんだけど! 時々辛く当たったり苛ついたりしたのはわかってる。でももう終わったわ。私は変わったわ。もう絶対にあんなふうにはならないわ」


「僕にはできないよ、アンジェラ」ユージンは静かに答えた。僕にはできないんだ。僕はきみを愛してないからね。そのことは話したよね。僕はきみと暮らしたくない。暮らすことはできないよ。僕は何らかの形で自由になりたいんだ。離婚かこっそり別居して僕は自分の道を進むよ。僕は幸せじゃない。ここにいる限り絶対に幸せにはなれない。僕は自由が欲しいんだ。それから、僕がやりたいことは僕が決める」


アンジェラは首を振ってため息をついた。自分が、自分のアパートで、自分の夫のことでどうしようかと迷っていることが、アンジェラには到底信じられなかった。マリエッタは嵐が来る前にウィスコンシンに帰っていた。マートルはニューヨークにいたが、アンジェラはマートルに打ち明けるのは嫌だった。マリエッタ以外の家族の者にあえて手紙を書きたくはなかったし、マリエッタにだって打ち明けたくなかった。ここにいる間マリエッタは、二人はうまくいっていると思っていた。アンジェラは発作的に泣いた。これは発作的な怒りと入れ替わったが、怒りの方は弱まっていった。恐怖と落胆と悲しみが、アンジェラの心の中で再び頂点に達しようとしていた……恐怖と落胆、これはユージンと結婚する前の孤独な日々に彼女に重くのしかかっていたものであり、悲しみは、どんなことがあっても今なお愛してやまない一人の男を、まさにこれから、いよいよ失うことになるからだった。





第十九章



オフィスにいるときに、デイル夫人から電報が届いたのは三日後のことだった。それには「紳士と見込んでお願いしますが、娘からどのような連絡があろうとも、私がお会いするまでは相手にしないでください」とあった。


ユージンは困惑したが、どこにいるにせよスザンヌと母親の間に絶望的な喧嘩があったに違いない、今にもスザンヌから連絡があるかもしれない、と思った。これは彼女の居場所を知る最初の手がかりだった。電報はカナダのスリーリバースから発信されたので、二人はその近くのどこかにいるに違いないと思った。発信元がわかったところで実質的には彼の何の役にも立たなかった。これだけではスザンヌに手紙を書くことも追いかけることもできなかったからだ。どこでスザンヌが見つかるかがわからなかった。スザンヌがおそらく自分と同じか、もしかしたらそれ以上の厳しい闘いを続けていることを意識しながら、待つしかなかった。ユージンはこの電報をポケットに入れて、いつ連絡が来るか、一日で何ができるか、を考えながら歩き回った。彼に出くわした人たちはみんな、何か悪いことがあったのだと気がついた。


コルファックスは彼を見て尋ねた。「どうしたんだ、大将? 見るからに元気がないな」彼はこれが〈ブルーシー社〉に何か関係があるのかもしれないと想像した。コルファックスはユージンがこれに関与していることを知った後で、これを当初の計画どおりに本当に成功した海洋リゾートにするには、これまでに投資された額よりもはるかに多くの資金が必要だし、これが十分な利益を出せるようになるには何年もかかるだろうと聞いていた。もしユージンがそこに大金をつぎ込んでいたとすれば、おそらくそれを失ったか、あるいは最も不満な形で動かせなくなったのだ。まあ、何も知らないことに手を出せばそうなるのは当然だった。


「別に何でもありません」ユージンは上の空で答えた。「私なら大丈夫です。少し体が疲れているだけですから。じきに治ります」


「もし体調が悪いのなら、ひと月くらい休んで調子を整えた方がいい」


「ああ、そんなのではありません! とにかく、今のところは」


ユージンは少ししてからこの時間は有効に使えるかもしれない、休みをとろう、と思いついた。


二人は仕事に戻ったが、コルファックスはユージンの目がやけにくぼんで疲れていることや、やたらと落ち着きがないことに気がついた。体を壊しかけているのかもしれない、と思った。


このときスザンヌは自分と母親の間の感情の性質を考えながら、十分平和に過ごしていた。しかし、もはやすっかりおなじみの流れになる、とりとめのない議論をするだけの数日が過ぎると、彼女は母親には約束の期間で滞在を終えるつもりがないことがわかり始めた。特にみんながニューヨークに戻るということは、スザンヌが即座にウィトラのところへ行ってしまうことを意味したからだ。デイル夫人は最初、日延べを頼んでいたが、やがてスザンヌはニューヨークではなく、一シーズンの間レノックスに行くことに同意すべきだと頼み始めた。日中は十時から四時、時には夕方まで、明るく温かい夏か秋のような陽気が続いたが、このあたりはもうすでに寒かった。夜はいつも寒かった。デイル夫人は妥協案があったら喜んで歓迎しただろう。何しろ、ここはひどく寂しかった。彼女とスザンヌしかいなかった……ニューヨークのお祭り騒ぎを後にするとなおさらだった。出発予定日の四日前になっても、デイル夫人は一向に譲らず、駆け引きをしながら交渉を続けた。業を煮やしたスザンヌが脅しをかけたところ、デイル夫人は取り乱してユージンに電報を打つことになった。その後、彼女は次のような手紙を書いてガブリエルに渡した。


「親愛なるユージン、


もし私を愛しているのなら、迎えに来てください。十五日までに私と一緒にニューヨークに戻る約束を守らなかったら、あなたに手紙を書くと母に言ったのですが、母は相変わらず頑固です。私はカナダのスリーリバースの北十八マイルのところにあるカスカート家の「悠々荘」というロッジにいます。誰に聞いてもわかります。あなたが来るまで私はここにいます。私の手に届かない恐れがあるので返事は書かないようにしてください。でも私はロッジにいます。


愛を込めて


                           スザンヌ」


ユージンはこれまで一度も愛を訴えられたことも女性からのこういう訴えを受けとったこともなかった。


この手紙は電報が届いてから三十六時間後にユージンに届いて、直ちに彼を計画の立案にかからせた。その時が来たのだ。彼は行動しなければならなかった。ひょっとしたら、この古い世界とはもう永久にお別れかもしれない。カナダに探しに行けば、彼は本当にスザンヌを手に入れることができるのだろうか? スザンヌを取り巻く環境はどうなっているのだろう? ユージンは、自分を呼んでいるのがスザンヌであり、自分がスザンヌを探しに行こうとしていることに気づいたとき、うれしくてわくわくした。「もし私を愛しているのなら迎えに来てください」


ユージンは行くのだろうか? 


見守るとしよう! 


ユージンは車を呼び、まずは自分で出発時刻を確かめながら、側近に電話して鞄の荷造りとグランドセントラル駅への運搬とアンジェラへの連絡を頼んだ。アンジェラはついにユージンの姉に自分の悩みを打ち明けようと覚悟を決めて、アッパー七番街のマートルのアパートへ出かけてしまった。こうなってしまうと、アンジェラの状態はユージンへの訴えにはならなかった。彼がたびたび考えた避けられない結果は、まだずっと先のことだった。二、三日休みを取るとコルファックスに伝えて、四千ドル以上預けてあった銀行に行って全額を引き出した。それから切符売場へ行き、スザンヌに会ったら自分がどんな行動をとるのか定かではなかったから片道分の切符を買った。スザンヌを探しに行くつもりでいることを思い切ってアンジェラに告げ、心配しなくていい、連絡はする、と伝えるつもりで、もう一度アンジェラに会おうとしたが、彼女は戻ってこなかった。不思議なことに、ユージンはこの間ずっとアンジェラにすまない気持ちでいっぱいだった。もし自分が戻らなかったらアンジェラはそれをどう受けとめるだろうと考えた。子供はどうなるのだろう? それでも自分は行かなくてはならないとユージンは感じた。アンジェラが心を痛めて怯えていることは知っていたが、それでもユージンはこの呼びかけに逆らうことができなかった。この恋が関係することには何も逆らえなかった。悪魔に取り憑かれたか、夢の中をさまよっている人のようだった。彼は自分のすべてのキャリアがかかっていることを承知していたが、そんなことはどうでもよかった。彼は彼女を手に入れなくてはならなかった。もし彼女を……彼女を、彼女の美しさを、その完璧さを……手に入れることさえできたら、全世界がどうなろうと構わなかった! 


五時半に列車は出発した。それからユージンは、現地に着いたら何をすべきかを考えながら、北上する間座っていた。スリーリバースが大きな町だったら、おそらく自動車を借りることができる。ロッジから少し離れたところに自動車を止めて、知られないように近づいて、スザンヌに合図を送れないかを確かめればいいのだ。もしスザンヌが近くにいれば、間違いなく目を光らせているはずだ。合図を送れば、彼女の方から駆け寄ってくるだろう。二人で急いで自動車のところに行く。すぐに追手がかかるかもしれないが、鉄道のどの駅に行くのか追手にわからないようにするつもりだった。地図を調べてケベックが最寄りの大都市であることがわかった。モントリオールかニューヨーク、あるいはバッファローに戻るかもしれないが、もし西に行く選択をしても、列車の運行状況はわかるだろう。


このような状況下で、人間の心がどんなとっぴな考えに左右されるのかは気になるものである。スリーリバースに到着するまでの間もその後も、スザンヌを手に入れること以外の活動やその後の行動について、彼は何も計画を持っていなかった。彼は自分がニューヨークに戻るつもりなのかわからなかった……戻るつもりがないのかもわからなかった。もしもスザンヌが望み、それが最善で、実行可能であれば、二人はモントリオールからイギリスかフランスに行くつもりだった。必要なら、ポートランドに行くことも船に乗ることもできた。ユージンがスザンヌを手に入れた証拠、それが彼女の自由意志と決断である証拠があれば、デイル夫人は譲歩して何も言わないかもしれない。その場合、彼はニューヨークに戻って自分の地位に復帰できた。もし彼がこの勇気ある態度を貫いてさえいたら、すべての問題はすぐに解決していたかもしれない。それがゴルディオスの結び目を断ち切る剣だったかもしれないのだ。列車にすごい黒髭の男が乗っていた。黒髭の男はいつもユージンに幸運を運んでくれた。スリーリバースで列車を降りたときに蹄鉄を見つけた。これもまた幸運の印だった。本当に職を失い、手持ちのお金だけで生活しなければならなくなったらどうしよう、と彼は立ち止まって考えなかった。実は論理的に考えていなかった。彼は夢を見ていた。スザンヌを手に入れて、給料をもらって、どういうわけか物事が今までと同じにいくと思った。こういうのは夢の理屈である。


スリーリバースに到着したものの、当然、状況は彼が予想したものとは違っていた。確かに、乾燥した天候が長く続けば、少なくともロッジまで自動車が道路を通れることも時にはあったが、最近は天候が完全に乾燥していたわけではなかった。冷たい雨が少し続いたので、道路は馬か一頭立て軽馬車以外はほとんど通行できなかった。ロッジから四マイル離れたセント・ジェイクスまで行く軽馬車があった。馬が欲しければそこで手に入ると御者は言った。この貸馬車屋の(あるじ)はそこに厩舎を持っていた。


これは耳寄りな話だった。ユージンはセント・ジェイクスで馬を二頭調達する手筈を整え、ロッジから適度に離れた圏内まで運んで、人目につかない場所に繋いでおくつもりだった。それから状況を考えて合図を送ればよかった。もしスザンヌがそこにいて目を光らせていたら、この結末はどれほどドラマチックになるだろう! 二人はどれほど幸せに一緒に飛び立つことになるだろう! セント・ジェイクスに着いたときに、デイル夫人が自分を待ち構えていたのを知ったユージンの驚きはどれほどだっただろう。ユージンの特徴を持つ男が到着して「悠々荘」へ向かったという情報が、夫人の忠実な代理人の駅長から電話で知らされていた。この前にも、ユージンがどこかに出かけたという電報がニューヨークのキンロイから届いていた。デイル夫人が姿を消してから、ユージンの日常は監視されていた。キンロイは帰って来ると、〈ユナイテッド・マガジンズ社〉に立ち寄って、ユージンが市内にいるかどうかを問い合わせた。これまでは市内にいると報告されていた。この日、彼が出かけたことが報告されると、キンロイはアンジェラに連絡して問い合わせた。アンジェラもユージンが市内を離れたと言った。キンロイはそれから母親に電報を打った。母親はユージンの到着時間を計算し、彼が軽馬車を調達したと駅長から報告を聞いて、彼に会いに出向いた。デイル夫人は自ら指揮をとり、あらゆる戦略を駆使して、徹底抗戦することに決めていた。彼を殺したくはなかった……本当はそこまでする勇気がなかった……しかし依然として彼を思いとどまらせたかった。まだ警備員や警察に訴えるところまでは行けなかった。彼は見た目や行動ほど冷酷ではないかもしれない。スザンヌは励ましたり連絡をとったりして彼を惑わしていた。彼女はここでも管理しきれていなかったことがわかった。彼女の唯一の希望は、ユージンを説得してあきらめさせるか、さらなる日延べに持ち込むかだった。必要なら、みんなでニューヨークに戻って、コルファックスとウィンフィールドに訴えるつもりだった。二人がユージンを(さと)してくれることを期待した。とにかく、デイル夫人はこれが吉と出るか凶と出るかが判明するまで、片時もスザンヌから離れるつもりはなかった。


ユージンが現れると、彼女は今までどおりの社交的な笑顔で挨拶して、愛想よく声をかけた。「さあ、乗って」


ユージンは険しい表情で夫人を見て従ったが、相手の口調が本当に温厚なのを見ると態度を変えて愛想よく挨拶した。


「その後いかがお過ごしですか?」ユージンは尋ねた。


「まあ、上々よ、お気遣いありがとう!」


「それでスザンヌはどうしてますか?」


「順調だと思うわ。ここにはいませんけど」


「彼女はどこにいるんですか?」ユージンは挫折の見本のような顔で尋ねた。


「友だちと出かけて十日ほどケベックを観光してるわ。その後はそこからニューヨークに行きます。もうここで姿を見ることはないと思うわ」


ユージンはデイル夫人の見え透いた嘘にむっとして言葉を詰まらせた。彼は夫人の言うことを信じなかった……すぐに彼女が自分を受け流していることを見抜いた。


「そんなのは嘘だ!」と乱暴に言った。「どうせ作り話だ! 彼女はここにいる。しかもあなたはそれを知っている。とにかく私は自分で確かめます」


「まあ、お行儀がいいこと!」デイル夫人はしたたかに笑った。「いつもの話し方とは大違いね。いずれにしても、娘はここにいません。強情を張ってれば、今にわかるわ。あなたが来ると聞いてから弁護士に使いを出しましたから。警備員だけでなく警察が待ち受けているのをあなたは知ることになるわ。それでも、娘はここにいませんからね。あなたは引き返した方がいいわ。お望みなら、私がスリーリバースまで送ってさしあげましょう。そろそろ聞き分けて、修羅場を避けたらいかがかしら? 娘はここにいないんです。いたとしてもあなたのものにはできませんよ。私が雇った人たちがそれを防ぎますから。問題を起こせば、あなたは簡単に逮捕されて、それを新聞が取り上げるわ。そろそろ聞き分けてくれてもいいんじゃないかしら、ウィトラさん、お戻りになったら? あなたはすべてを失うことになるわよ。今夜十一時にケベック発スリーリバース経由ニューヨーク行きの列車があるわ。それで終わりにしましょう。そうしたくはないですか? もしあなたが今すぐ正気に戻って、ここで私に迷惑をかけなければ、一か月以内にスザンヌをニューヨークに連れて帰ることに同意するわ。あなたが離婚して奥さんとの関係にけじめをつけるまで、私はあなたに娘を渡しません。でももしあなたが半年か一年以内にけじめをつけて、娘がまだあなたを望むなら、あなたのものにすればいいわ。私は書面ですべての異議申し立てを撤回して、娘の財産の全取り分が争われることなく娘のものになることを約束するわ。私はできる限り社交の場であなたと娘を応援するわ。私に影響力がないわけじゃないことをご存じよね」


「まずは彼女に会いたい」ユージンは険しい表情で不信をあらわにして答えた。


「すべてを忘れると言うつもりはないわ」デイル夫人はユージンが口を挟んだのを無視して続けた。「忘れることはできないわ……でも忘れたふりはします。あなたはレノックスにあるうちの別荘を使えばいいわ。私がモリスタウンかニューヨークの家の賃貸権を買い取るから、あなたはどっちに住んでもいいのよ。あなたさえよければ、奥さんに渡すまとまったお金は私が用意します。そうすればあなたが自由の身になるのに役立つかもしれないわ。少し待てばあなたはこのすばらしい方法で娘を手に入れられるというのに、自分が目論む法外な条件で娘を手に入れたくはないでしょう。娘は結婚したくないって言うけど、そんなのはとっぴな本を読んだ以外に何の根拠もない愚かな話よ。結婚するわよ、真剣に考えるようになればするでしょう。娘を助けてくれてもいいんじゃない? 今はお帰りいただいて、少ししてから私が娘をニューヨークに連れ戻す、そしてそのときにこれをとことん話し合いませんか。あなたをうちの家族にむかえることができてとてもうれしいわ。あなたはすばらしい方ですもの。私はずっとあなたのことが好きだったんです。聞き入れてくれませんか? さあ、スリーリバースまで車で送りましょう。ニューヨークへは列車でお戻りかしら?」


デイル夫人が話を続ける間、ユージンは冷静に相手を観察していた。何て口のうまい女だろう! よくもでまかせを言えるものだ! ユージンは彼女を信じなかった。彼女の言ったことを一言も信じなかった。彼女はスザンヌから彼を引き離そうと闘っていた。ユージンはその理由をすぐ理解できた。最近のアルバニー行きの場合と同じように、連れ去られてしまったかもしれないが、彼はスザンヌがここのどこかにいると思った。


「馬鹿馬鹿しい!」ユージンはあっさりと、反抗的に、冷淡に言った。「そういうことをするつもりはありませんね。第一、私はあなたを信じてない。あなたがそんなに私に親切にしたいのなら、彼女に会わせてください。そのとき彼女の前でこのすべてを言えますよね。私は彼女に会うためにここまで来たんです。会うつもりですよ。彼女はここにいる。いるのはわかってます。嘘をつく必要はありません。言わなくてもいいです。彼女がここにいることはわかってますから。ここにひと月滞在して探さなければならなくても、私は彼女に会うつもりです」


デイル夫人はそわそわと身じろぎした。彼女はユージンが必死なのを知っていた。スザンヌが彼に手紙を書いたことを知っていた。話しても無駄かもしれない。策略は効かないかもしれないが、策を弄せずにはいられなかった。


「私の話を聞いてください」デイル夫人は興奮して言った。「スザンヌはここにいないって言ってるでしょ。出かけたのよ。向こうには警備員がいるわ……それも大勢ね。みんなあなたがどういう人なのかを知ってるわ。あなたの特徴だって知ってるわ。もしあなたが押し入ろうとすれば、殺せって命じられてるの。キンロイもそこにいるわ。あの子も必死なんです。あの子があなたを殺すのを防ぐだけですでにひと苦労したわ。この場所だって見張られてるわよ。今この瞬間も、私たちは見張られてるの。聞き分けてくれないかしら? あなたは娘には会えません。いないんですから。何でこんな騒ぎを起こすのかしら? どうしてあなたは自分の人生を危険にさらすようなまねをするの?」


「話すのをやめてください」ユージンは言った。「あなたは嘘をついている。顔を見ればわかる。それに、私の人生なんて何もありませんよ。私は怖くないですね。どうして話なんかするんです? 彼女はここにいますね。私は彼女に会いますよ」


ユージンは自分の前方をじっと見つめた。デイル夫人はどうすればいいか考え込んだ。彼女が言うような警備員や警察関係者はいなかった。キンロイもいなかった。スザンヌは出かけていなかった。ユージンが思ったとおり、これはすべて出まかせだった。デイル夫人は世間に知られることをどうしても避けたかったから、完全に追い込まれるまでは一歩も譲れなかった。


厳しい寒さが数日続いた後のかなり穏やかな夕方のことだった。明るい月が東からのぼっていて、すでに薄明かりの中に見えたが、やがて皓皓(こうこう)と輝くことだろう。寒くはなく、実に心地いい暖かさで、二人の乗る車両が走るひどい道は豊かな香りが漂っていた。ユージンはその美しさに気づかないわけではなかったが、スザンヌがいないかもしれないと思うと落ち込まずにはいられなかった。


「ああ、お手柔らかに願いますよ」デイル夫人は、二人が顔を見合わせた瞬間に、理性が消えてなくなるのを心配して懇願した。これまでずっと要求し続けてきたように、スザンヌはニューヨークに連れて帰るよう要求するだろう。スザンヌの同意や訴えがあろうがなかろうが、ユージンは夫人の和解の提案を無視して、さっさと行ってしまうか、ここで結束して抵抗するだろう。必要なら二人を殺そうと考えたが、一方でユージン、もう一方でスザンヌの反抗的な粘り強さを前にして、デイル夫人の勇気は挫けかけていた。彼女はこの男の大胆さに恐れをなした。「私は約束を守るわ」夫人は取り乱して言った。「本当に娘はここにいないんです。ケベックにいるって言ってるでしょ。ひと月待ってください。そうすれば連れて帰ります。一緒にどうするかを決めましょう。どうして寛大になれないのかしら?」


「なれるかもしれませんが」ユージンは夫人の提案にあったすべての明るい未来図を考えて、それに感動しながら言った。「私はあなたを信じられないんです。あなたは私に真実を語っていませんから。ニューヨークからスザンヌを連れ出したときだって彼女に真実を告げなかった。うまくだましましたね。そしてまただますんですね。彼女が出かけていないことはわかってるんです。その場所がどこであれ、彼女はちゃんとこのロッジにいる。私を彼女のいるところへ連れて行き、それから一緒にこの問題を話し合いましょう。ところで、どこに向かっているんですか?」


デイル夫人は、脇道というか、小さな木々がびっしり立ち並ぶ、まるで木こりの通り道のような半端な道に入った。


「ロッジよ」


「そんなこと信じませんよ」ユージンは強い疑念を抱いて言った。「これはそういう場所に続く主要な道路じゃないでしょ」


「だからロッジって言ってるでしょ」


デイル夫人はロッジ付近にさしかかっていた。もっと話したり頼んだりする時間が欲しかった。


「まあ」ユージンは言った。「あなたが行きたければ、あなたはこの道を進めばいい。私は降りて歩きます。ありきたりのやり方で連れ回したって私を追い払えませんよ。必要なら、一週間でも、ひと月でも、ふた月でも、ここに滞在するつもりです。私はスザンヌに会わずには帰りませんよ。彼女はここにいるし、私はそれを知っている。ひとりで行って彼女を見つけますよ。私はあなたの警備員なんか怖くありませんね」


ユージンは飛び降りた。デイル夫人は仕方なくあきらめた。「待ってください」夫人は懇願した。「まだ二マイル以上あるのよ。私がそこまで案内するわ。どっちみち、今夜娘は家にはいません。管理人の家に行ってるのよ。ああ、わかってもらえないかしら? 私が娘をニューヨークへ連れて行くって言ってるでしょ。あなたはすべてのすてきな未来図を投げ捨てて、自分や娘や私の人生をめちゃめちゃにするつもりなの? ああ、主人さえ生きていたら! 頼れる男性がいてくれたらよかったんだけど! さあ、乗って、私がそこまで送るわ。でも今夜は娘に会いたがらないって約束してね。とにかく、そこにはいないんですから。管理人のところに行ってるんです。ああ、何かが起こってこれを解決してくれないかしら!」


「確か彼女はケベックにいると言いましたよね?」


「時間を稼ぐためにそう言っただけです。私はかなり混乱しているのよ。それは事実ではありませんでした。でも、娘は本当にロッジにはいないんです。今夜は出かけています。あなたをそこに泊めることはできませんから、セント・ジェイクスまで引き返します。あなたはピエール・ゲインさんのところに泊まって、朝になってからいらっしゃればいいでしょ。そうしないと使用人たちがとても変だと思うもの。あなたがスザンヌに会うことは私が約束します。私が保証します」


「保証します、か。デイルさん、あなたは堂々巡りをしているんですよ! あなたの言うことは何も信じられません」ユージンは冷静に言った。スザンヌがここにいることがわかったので、彼は今、かなり落ち着いて意気が揚がっていた。彼はスザンヌに会いに行くところだった……ユージンはこれを実感した。デイル夫人をこっぴどくやっつけて、スザンヌの前で自分と愛する人が条件を突きつけるまで彼女を追い詰めるつもりだった。


「私は今夜そこに行きます。あなたは彼女を私のところに連れて来てください。彼女がそこにいなくても、あなたは彼女の居所を知ってるわけですから。彼女はここにいる。私は今夜彼女に会いに行く。あなたが提案しているこのすべてのことを、彼女の前で話し合いましょう。こんな回りくどいことをするのは馬鹿げてますよ。彼女は私と同じ意見だ。そしてあなたはそれを知っている。彼女は私のものだ。あなたは彼女を自由にできませんよ。今度は私たち二人が一緒になってあなたに話をします」


ユージンはその軽車両に戻って座り、鼻歌を歌い始めた。月はどんどん明るくなっていた。


「一つだけ約束してください」デイル夫人は必死に食い下がった。「私の提案を受け入れるよう、あなたがスザンヌに勧めることを約束してください。二、三か月くらいどうってことないでしょ。あなたはいつものようにニューヨークで娘に会えるんです。離婚の準備をしてください。娘に影響力を持っているのはあなただけなんです。それは認めます。娘は私のいうことを信じないし、私の言うことを聞かないでしょう。あなたが娘に話をしてください。あなたの将来だってこれにかかっているのよ。待つように娘を説得してください。しばらくここかレノックスに滞在して、それから来るように娘を説得してください。娘はあなたの言うことなら聞くわ。あなたの言うことなら何でも信じるわ。私は嘘をついたから。私はこの件でずっと嘘ばかりついてきたから。でも、あなたは私を責められませんよ。私の立場になってください。私の立場を考えてください。お願いだから、あなたの影響力を使ってください。私は自分が言うことをすべて実行するわ、それ以上のこともね」


「今夜スザンヌを私のところに連れてきてくれますか?」


「ええ、あなたが約束してくれればね」


「今夜連れてきてくれるんですか、約束するんですか、しないんですか? 私は自分が彼女の前で言えないことを、あなたに言いたくはありません」


「私の提案を受け入れて、娘にそうするように勧めると約束してくれませんか?」


「そうしようとは思いますが、私から言うつもりはありません。私としてはあなたが言わなくてはならないことを彼女に聞いてほしいですから。そうしようとは思いますがね」


デイル夫人は悄然と首を振った。


「あなたは受け入れた方がいいですよ」ユージンは続けた。「あなたが受け入れようが受け入れまいが、とにかく私は彼女に会いに行きます。彼女はそこにいるんだから、家捜(やさが)しして部屋を一つ一つ捜せば見つかるでしょう。彼女に私の声が聞こえるでしょうから」


ユージンは高圧的に物事を推し進めていた。


「もう」デイル夫人は答えた。「そうするしかないようね。使用人には秘密にしてください。私の客のふりをしてください。娘に会ったら、今夜はあなたをセント・ジェイクスまで連れて帰りますよ。娘とは三十分以上一緒にいないでくださいね」


デイル夫人はこの恐ろしい結末に取り乱して怖くて仕方がなかった。


ユージンは月明かりの中、馬車に揺られる間、自分を祝福しながら、険しい表情で座っていた。実際、明るくデイル夫人の腕をつかんで、そう絶望しないで、すべてはうまくいきますから、と話しかけた。二人でスザンヌに話をするつもりだった。ユージンはデイル夫人が言わなくてはならないことを確認するつもりだった。


「あなたはここにいてください」道が曲がったところにある木に覆われた小高い丘にたどり着くと、デイル夫人は言った……広大な土地を見渡す高台で、このときは輝き続ける北の月に照らし出されていた。「私が行って娘を連れてきます。いるかどうかわからないけど。でも、いなければ管理人のところにいるから、そっちに行きましょう。あなたが娘に会うところを使用人に見られたくないのよ。くれぐれも人目につかないようにしてください。気をつけてくださいよ!」


ユージンは微笑んだ。あの女の興奮ぶりときたら! あれだけ脅しておきながら、無駄だったとは! これは勝利だ。よく戦ったものだ! 彼はこの美しいロッジの外にいた。銀色の影を通して黄金のように輝いている明かりが見えた。空気は野原の香りに満ちていた。露にぬれた大地の匂いがした。大地はすぐに硬くなって、雪に深く覆われるはずだった。まだあちこちで鳥の声がした。葉の間を吹き抜ける風がかすかにざわついた。「こんな夜に」とシェイクスピアの台詞がよみがえった。こういう状況はスザンヌが彼のところに来るのに、どれほどぴったりだっただろう! ああ、このロマンスのすばらしさ……この美しさ! このロマンスは最初から背景と舞台装置が完璧な状態で始まっていた。明らかに、自然はこれを彼の人生の最高の出来事にしようとしていた。世間は彼を天才と認めた……運命は彼の膝に花束を山のように積み重ね、彼の頭上には勝利の冠を載せるところだった。


デイル夫人がロッジに行っている間、ユージンは待っていた。しばらくすると、確かに、スザンヌの揺れ動く、弾む、少女らしい姿が遠くに現れた。ふくよかで、健康的で、溌剌としていた。彼女の少し後ろの木陰にデイル夫人を見つけることができた。スザンヌはどんどん近づいてきた……若くて、弾むようで、踊っているようで、決意を秘め、美しかった。彼女が闊歩するたびに、スカートがさざ波のように体のまわりで揺れ動いた。彼女はユージンがこれまで思っていたとおりに見えた。青春の女神ヘーベー……若いダイアナ、十九歳のビーナス。近づくにつれてスザンヌの唇が歓迎の笑みを浮かべて開いた。彼女の目は鈍いオパールのように落ち着いていたが、黄金や炎の隠れた輝きを放って静かに燃えた。


スザンヌは最後の数歩を走るときに、ユージンに向かって両腕を広げた。


「スザンヌ!」母親が声を発した。「はしたないわよ!」


「お母さんは黙ってて!」スザンヌは果敢に言い返した。「私は気にしません。気にするもんですか。お母さんが悪いのよ。お母さんは私に嘘をつくべきじゃなかったのよ。もし私が呼ばなかったら、彼が来ることはなかったでしょうね。私はニューヨークに帰るつもりよ。そのつもりだって言ったでしょ」


スザンヌは近づくときに「ああ、ユージン!」とは言わずに、彼の顔を両手で包み込んで、彼の目をじっと見つめた。ユージンの目がスザンヌの目に焼き付いた。スザンヌは後ろに下がって両腕を大きく広げ、ぎゅっと彼を抱きしめた。


「やっと! やっと会えた!」ユージンは熱烈に彼女にキスをしながら言った。「ああ、スザンヌ! ああ、フラワーフェイス!」


「あなたが来てくれることはわかっていたわ」スザンヌは言った。「あなたが来ることは母にも言ったのよ。私はあなたと一緒に帰ります」


「そうしよう」ユージンは言った。「ああ、このすばらしい夜! この最高の盛り上がり! ああ、またきみをこの腕に抱けるなんて!」


デイル夫人は真っ青になって、激昂し、傍らに立っていた。自分の娘がこのような振る舞いをするのかと考えると、困惑し、娘の不行状を為す術もなく傍観するしかなかった。何と驚くべき、恐ろしい、あってはならないことだろう! 


「スザンヌ!」デイル夫人は叫んだ。「ああ、私はこんな日を迎えるために生きてきたのかしら!」


「だから言ったでしょ、お母さん、ここに私を連れてきたことを後悔するって」スザンヌは言い放った。「私は彼に手紙を書くってお母さんに話したわ。あなたなら来てくれるとわかっていたわ」スザンヌはユージンに言った。そして愛情を込めて彼の手を握った。


ユージンは深く息を吸い込んで、彼女を見つめた。その夜、星々は美しい軌道を描いてユージンの周りを回った。こうして勝利することになった。これはあまりにも美しく、あまりにもすばらしかった! まさかこのような形で勝利を収めるとは! ひとつの勝利をこれほど喜んだことのある人が、これまで、どこかに、他にいただろうか? 


「ああ、スザンヌ」ユージンは熱心に言った。「これは夢のようだ。天国のようだ! 自分が生きていることが到底信じられないよ」


「ええ、そうね」スザンヌは答えた。「すてきよね、完璧だわ!」そして二人は手をつないで母親から遠ざかった。


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