第8章~第12章
第八章
ここまで関わりを持ち、人生のこの完璧な花をつかんで自分のものにしてしまうと、ユージンはひとつのことしか考えなかった。これを維持することだった。今、突然、長年の疲労がユージンから消えてしまった。再び、恋をしていることといい、これほどすばらしく、これほど完璧で、これほど美しい愛に巻き込まれていることといい、こんなに多くのものを恵んでくれるほど人生が本当に慈悲深くなれるとは思えなかった。この数年間のユージンの上昇基調には、いったいどんな意味があったのだろう? リバーウッドでのつらかった日々以降は、連戦連勝のようだった。その道のりには、ザ・ワールド紙、サマーフィールド社、カルヴィン社、ユナイテッド・マガジンズ社、ウィンフィールド、美しいアパートがあった。確かに神さまたちは親切だった。何のつもりだったのだろう? ユージンに富と名声、その上スザンヌまで与えるつもりだろうか? こういうことが本当にありえるのだろうか? どうすればこれはやり遂げられるだろう? ユージンがアンジェラから自由になれるように、運命が共謀して助けてくれるのだろうか……それとも……
この頃ユージンはアンジェラのことを考えるのが苦痛でたまらなかった。もともとユージンはアンジェラを本当に嫌ってはいなかった、一度も嫌ったことはなかった。アンジェラとの数年の生活は、ある面ではそれなりに強くて通じ合う理解と関係を築いていた。アンジェラはリバーウッド時代からいつも、自分はもう本当にユージンを心からは愛していない……愛せない、彼はあまりにも自己中心的で身勝手だ、と思っていた。しかし、彼女のこの見方は、事実というよりは思い違いだった。ある見方からは、彼女は自分を顧みずに彼を気遣い、彼のためならすべてを犠牲にするつもりだった。別の見方からだと、彼女はその見返りに彼女のためにすべてを犠牲にすることを彼に望んだのだから、これは完全に利己的だった。ユージンはそんなことをする気はなかったし、一度もする気になったことはなかった。自分の人生は、一組の夫婦の関係では収まりきらない大きなものだと考えていた。ユージンは行動と交際を自由にしたかったが、アンジェラを恐れ、社会を恐れ、ある意味では自分自身と完全な自由が自分に及ぼす影響を恐れた。アンジェラには申し訳ないと思った……もし彼が何らかの方法で彼の解放を強要したら、彼女はひどい苦しみを耐え忍ぶことになるからだ……そして同時にユージンは自分が憐れだった。上にのぼろうとする努力を続けていたこの数年間、美の誘惑は一瞬たりとも和らいだことはなかった。
いろいろなものが時々、山場を作るために、共謀しているように見えるから不思議である。悲劇が草木や花々のように、種として植えられて、さまざまな手立てと助けを借りて成長し、恐ろしい成熟を遂げた、と人は思うだろう。地獄のバラはよく育ち、業火の光で輝いている。
まず、ユージンはこのところ、会社の仕事を完全におろそかにし始めていた。〈シーアイランド社〉の用事と、家庭とアンジェラの病気の問題に専念する以上には、会社の仕事に専念できなかったからだ。サウスビーチでスザンヌと過ごし彼女の奇妙な寡黙を経験した翌朝、彼はデイルビューのベランダで少しの間彼女に会った。スザンヌは見たところ落ち込んではいなかった。少なくとも目立って落ち込んではいなかった。しかし、何かの明確な印が魂に刻まれたことを示す深刻さが彼女にはあった。その日は母親と友人数名と一緒にタリータウンに行くつもりであることを彼女はわざわざ彼に言いに来て、ぱっちりとした率直な目でユージンを見た。
「私は行かなくちゃならないわ」スザンヌは言った。「母が電話で手配しちゃったのよ」
「それじゃ、僕はもうここではきみに会えないのかい?」
「そういうことね」
「僕のこと愛してるかい、スザンヌ?」
「ええ、愛してるわ」スザンヌは明言すると、疲れた様子でひと目につかない壁の隅まで歩いた。
ユージンは用心しながら素早くその後を追った。
「キスしてよ」ユージンが言うと、スザンヌは取り乱して恐る恐る唇を重ねた。それから踵を返して元気よく歩き去った。ユージンは彼女の体が力強く揺れるのを感心して眺めた。スザンヌはユージンのように背が高くも、アンジェラのように小さくもなく、中くらいの大きさで、豊満な肉体をしていて、元気いっぱいだった。ユージンはこのとき、スザンヌには偉業を成し遂げることができて、勇気と力に満ちあふれた力強い魂がある、と想像した。もう少し大人になったら、彼女はとても強くなって、健全でまっすぐな考えをいっぱい持つようになるだろう。
ユージンは十日近くスザンヌに会わなかった。それまでに絶望しかけていた。これをどうしようとずっと悩んでいた。時々会う程度の、この場当たり的なやり方では先へ進められなかった。もう少ししたら秋の間スザンヌは町を離れるかもしれないのだが、そのとき彼はどうすればいいのだろう? もし母親が聞きつけたら、スザンヌをヨーロッパに連れ去ってしまうだろう。そのとき、スザンヌは忘れてしまうのではないだろうか? これは何という悲劇だろう! いや、そうなる前に、ユージンは彼女と駆け落ちするつもりだった。投資したものをすべて現金化して、逃げるつもりだった。ユージンはスザンヌなしでは生きられなかった。どんな犠牲を払っても彼女を手に入れなくてはならなかった。いずれにせよ、〈ユナイテッド・マガジンズ社〉はどうなるのだろう? ユージンはその仕事にうんざりしていた。もし彼がシーアイランド不動産会社の株式をうまく処分できなかったら、アンジェラがそれを保有すればいいのであり、うまく処分できたら、彼が受け取るべき分からアンジェラの取り分を用意するつもりだった。ユージンは多少の現金……数千ドル……を持っていた。これと芸術が二人を支えてくれるだろう……彼はまだ絵を描けた。ユージンはスザンヌと一緒にイギリスかフランスに行くつもりだった。もしスザンヌが本当にユージンを愛していたら、二人は幸せになるだろう。ユージンはスザンヌが愛してくれていると思った。この古い人生はすべてなるようになればいい。どうせ、これは愛のないわびしいものなのだ。これが彼の最初の考えだった。
その後、違う考えを持つようになったが、もう一度スザンヌと話をした後だった。これは調整するのが難しい問題だった。ある日、ユージンは破ぶれかぶれでデイルビューに電話をかけ、スザンヌ・デイルがいるかどうかを尋ねた。使用人が出て、「どちらさまでしょうか」の返事に、彼が知っていたスザンヌの知り合いの青年の名前を告げた。スザンヌが出ると、ユージンは言った。「もしもし、スザンヌ! ちゃんと聞こえますか?」
「はい」
「僕の声がわかりますか?」
「はい」
「頼むから僕の名前を口にしないでください?」
「しないわ」
「スザンヌ、僕はきみに会いたくてたまらないんだ。もう十日が経ちました。街にはしばらくいるつもりですか?」
「わからないけど、そうなると思います」
「もし誰かが近くに来たらね、スザンヌ、ただ受話器をおけばいいよ。それで僕はわかるから」
「はい」
「もし僕が車できみの家の近くまで行ったら、きみは出てきて僕に会ってくれますか?」
「わからないわ」
「そんな、スザンヌ!」
「はっきりとは言えないけどやってみるわ。何時になりますか?」
「クリスタル湖の古い砦の道がどこにあるか知ってますか、きみの真下なんだけど?」
「はい」
「その道の近くで氷室がどこにあるか知ってますか?」
「はい」
「そこまで来られますか?」
「何時?」
「明日の朝十一時か、今日の午後の二時か三時」
「今日の二時なら行けるかもしれません」
「ありがとう、そうしよう。とにかく待ってるよ」
「了解。さようなら」
スザンヌは受話器をおいた。
ユージンは、スザンヌがこの問題を扱った巧みなやり方について最初は考えずに、この努力が吉と出たことを喜んだ。事実、彼はその後、これはスザンヌにとってとても大変だったに違いなかったから、真正面から考えて、迅速に行動するにはとても勇気がいったに違いない、と言った。このユージンの愛情は思いがけないものであり、スザンヌの立場はとても厄介だった。なのに、この初めての電話でいきなり彼に接触されても、スザンヌは動揺した様子をまったく見せなかった。スザンヌの声はしっかりして落ち着いていた。緊張して興奮していたユージンの声よりもはるかに落ち着いていた。彼女はすぐに状況を理解して、実にあっけなくその策略にはまった。スザンヌは見かけ通りに単純だったのだろうか? そうでもあり、違ってもいた。ユージンは単純に彼女を有能だと考えた。そして彼女の能力は彼女の単純さを通して即座に発動したのだった。
同じ日の二時、ユージンはその場所にいた。手に入れたい本の有名な著者と仕事の打ち合わせをしてくると秘書に言い訳して、自分の車ではない箱型の自動車を呼んで、待ち合わせの場所まで行った。運転手に道路を半マイルほど行ったり来たり走るように頼んで、その間、彼は道路から見えない木陰に座った。やがてスザンヌがやってきた。朝のように明るく爽やかで、見事なデザインの薄紫色の散歩着を来て美しかった。同じ色合いの長い羽根のついた、大きくて柔らかいつばのある帽子をかぶっていて、それが絶妙に似合っていた。優雅で自由な雰囲気で歩いてはいたが、彼が目を見たとき、そこに少し困惑が見て取れた。
「やっと会えたね?」ユージンはスザンヌに合図して微笑んだ。「こっちだよ。車がすぐこの先の道路にあるんだ。乗った方がいいと思わない? 箱型のやつなんだ。人に見られるかもしれないからね。どのくらいいられるの?」
ユージンは両腕でスザンヌを抱きしめて盛んにキスをした。その間にスザンヌは長居できないことを伝えた。母親が寄付した図書館に本を探しに行くと告げてきたので、少なくとも三時半か四時までに、そこにいなければならなかった。
「じゃ、それまでたっぷり話ができるね」ユージンは明るく言った。「車が来ましたよ。乗りましょう」
ユージンは慎重に周囲を見回して車を呼んだ。車が止まると二人はすばやく乗り込んだ。
「パースアンボイ」ユージンが言うと、車は猛スピードで走り去った。
いったん車に乗ってさえしまえばもう安心だった。誰からも見られなくなるからだ。ユージンはシェードを少しおろしてスザンヌを抱きしめた。
「ああ、スザンヌ」ユージンは言った。「どれほど長く感じたことか。ずいぶん長かったな。僕のことを愛してるかい?」
「ええ、そんなことわかってるでしょ」
「スザンヌ、どうやって手配しようか? きみはもうすぐ行ってしまうんだろ? 僕はもっと頻繁にきみに会わなければならない」
「わからないわ」スザンヌは言った。「母がどういう行動をとろうと考えているのか私にはわからないもの。母が秋にレノックスに行きたがっていることは知ってるけど」
「ああ、何てことだ!」ユージンは大儀そうに言った。
「いいかしら、ウィトラさん」スザンヌは思慮深く言った。「私たちが恐ろしい危険を冒していることはご存じですよね。もし奥さんか母にでも知れたら、どうするんですか? 大変なことになるわ」
「承知の上だよ」ユージンは言った。「こういう行動をとるべきではないとは思うよ。でもね、スザンヌ、僕はきみに夢中なんだ。僕はもう自分ではなくなっているんだ。自分が何者なのかわからないんだ。わかるのは、僕がきみを愛してる、愛してる、愛してるってことだけなんだ!」
ユージンはスザンヌを両腕で抱きしめ、うっとりしながらキスをした。「きみは何てきれいなんだ。何て美しいんだ。ああ、花のような顔! 満開のキンバイカ! 天使の目! 神聖な炎!」ユージンはずっと無言のまま抱いていた。車はその間も走りつづけた。
「でも私たちのことはどうなの?」スザンヌは目を大きく見開いて尋ねた。「あなたは私たちが恐ろしい危険を冒していることをご存知ですよね。今朝、あなたから電話をいただいたときに、ちょうど考えていたんです。これが危険なことはあなただって知ってるはずよ」
「きみは後悔しているのかい、スザンヌ?」
「いいえ」
「僕のこと愛してるかい?」
「愛してるって言ったでしょ」
「じゃ、これを解決するのを手伝ってくれますか?」
「そうしたいけど、でもね、ウィトラさん、聞いてください。あなたにお話したいことがあります」スザンヌはこんな気分のときでも、とても威厳があり、古風で、魅力的だった。
「何でも聞きますよ、きみの話なら。でも僕をウィトラさんと呼ぶのはやめてください。ユージンと呼んでくれませんか?」
「それじゃ、聞いてください、ユ……ユージン……さん」
「ユージンさんじゃなくて、ただのユージンだよ。さあ、言ってごらん。ユージン」ユージンはスザンヌに自分の名前を言った。
「では、私の話を聞いてください、ユ……では、私の話を聞いてください、ユージン」スザンヌはやっとの思いで頑張って言った。彼は自分の口でスザンヌの唇をふさいだ。
「どうそ」
「では、聞いてください」スザンヌは急いで続けた。「母がこれを知ったら激怒するのを、私が心配なのはご存知ですね」
「え、お母さんが?」ユージンは冗談めかして口を挟んだ。
スザンヌは全然相手にしなかった。
「私たちはとても気をつけないといけないのよ。母は今あなたをとても気に入ってるから、直接何かに出くわさなければ、何も考えないでしょう。今朝だってあなたのことばかり話していたわ」
「お母さんは何て言ってましたか?」
「ああ、何てすてきな男性なのかしらと、何て有能なのかしらよ」
「いやぁ、それほどでもないよ」ユージンは冗談めかして答えた。
「そうよ、母は言ったわ。それにウィトラ夫人は私に好感をもっていると思います。ここにいるときは時々あなたに会えるけど、用心に越したことはないわ。今日は長く外に出ていられないんです。私もいろんなことを考えたいわ。私は本当に大変なひとときを過ごしてこれについて考えているんです」
ユージンは微笑んだ。彼女の無邪気さは、ユージンにとってとても楽しいものであり、とても純真だった。
「いろんなことを考えるってどういうことなの、スザンヌ?」ユージンは興味を持って尋ねた。彼は彼女の若い心の動きに関心を持った。彼にはそれがとても新鮮ですばらしく思えた。この美の化身が、とても反応がよく、好意的で、協力的でありながら、そのうえ思慮深いことを知って、とても嬉しかった。ユージンにとってスザンヌは楽しい玩具みたいなものだった。まるで彼女が高価な花瓶であるかのように敬虔な態度で受けとめた。
「私は自分が何をやっているのかを考えたいの。考えなければならないわ。それって時々私にはとても恐ろしいことに思えるんですもの。でも、あなたはわかっているんでしょうけど、あなたは……」
「僕が何をわかってるんだい?」スザンヌが口ごもるとユージンは言った。
「僕はそうしたいのに……きみを愛しているのに、なぜそうしてはいけないのか、わからないんだ」
ユージンはスザンヌを興味深く見た。とりわけ、これほど大変で大胆な問題が関係する人生を分析しようとするのだからユージンは驚いた。彼はスザンヌのことを、多少考えが足らないが、それでも無害で、潜在的には大物だが、不確かで漠然としている、と思っていた。ここでスザンヌはこの最大の難問を、ユージンよりももっと真正面から、そして明らかにもっと勇気を出して考えていた。ユージンは驚いた。しかしそれ以上に強い関心を持った。十日前の彼女のひどい恐怖はどうなったのだろう? 彼女が考えていたのは正確には何だったのだろう?
「きみは何て好奇心の強い女の子なんだろう」ユージンは言った。
「どうして私がそうなのかしら?」スザンヌは尋ねた。
「あなただからですよ。僕はまだあなたがそんなに鋭くものを考えられるとは思わなかった。いつかはそうなるとは思ったけどね。でも、どうやってこれを考え出したんですか?」
「『アンナ・カレーニナ』を読んだことがありますか?」スザンヌは思案しながら尋ねた。
「はい」ユージンは、彼女の年齢でそれを読むべきだったろうかと訝しみながら言った。
「それをどう思いましたか?」
「まあ、おしなべていうと、慣習に逆らうとどうなるかを示してるね」ユージンはスザンヌの知力に驚きながら簡単に言った。
「物事はそうでなければならないって思いますか?」
「いや、僕はそうでなければならないとは思わないね。慣習に逆らって成功する例はたくさんあるから。わからないけど、すべてはタイミングと機会の問題に思えるね。うまくいく人もいれば、いかない人もいる。俗に言う『逃げ切れる』ほど強いか賢ければ、きみは逃げ切れるし、そうでなければ違うんだ。どうしてそんなことを聞くの?」
「うーん」と言ってスザンヌは口ごもり、唇を開き、床を凝視した。「必ずしもそうである必要はないって思ってはいたんですけど、どうなのかしら? それが違うってことがありえるかしら?」
「ああ、ありえるかもしれないね」ユージンは本当にありえるかを疑問に思いながら、考え込むように言った。
「もしありえなかったら」スザンヌは続けた。「その代償は大き過ぎるものになるわね。そんなもの価値はないのに」
「きみは、つまり」ユージンは相手を見ながら言った。「きみは応じようというんだね」ユージンは、スザンヌが考えたうえで彼のために自分を犠牲にしようとしている、と考えていた。スザンヌの思慮深くて、自問自答のような、瞑想的態度の何かが、ユージンにそう思わせた。
スザンヌは窓の外を見て、ゆっくりとうなずいた。「はい」スザンヌはものものしく言った。「もしちゃんと手筈を整えられるのなら。いいんじゃないかしら? 理由はわからないけど」
これを語る間のスザンヌの顔は美しさ満開の花だった。ユージンは、自分は目が覚めているのか、眠っているのか、考えてしまった。スザンヌはこう判断したのだ! スザンヌは『アンナ・カレーニナ』を読みながらこう思索していたのだ! 本や人生にからめて理論化したものに行動方針を置き、この提案の正反対にある『アンナ・カレーニナ』のような恐ろしい根拠を持ち出すとは。この驚きもいつかはやむのだろうか?
「ご存知でしょ」スザンヌはしばらくしてから言った。「母は気にしないと思うわ、ユージン。母はあなたのことが好きなんですから。私は母がそう言うのを何度も聞いたことがあるわ。それに、他の人のことで、母がこう話すのを聞いたことがあるわ。人はお互いにとても愛し合っていない限り、結婚するべきではないって考えてるのよ。当人が望まない限り、私は母が結婚が必要だと考えるとは思わないわ。私たちが望めば、私たちは一緒に暮らせるかもしれないわ」
ユージン自身、デイル夫人が結婚制度に疑問を呈するのを聞いたことがあったが、これは哲学的な意味でしかなかった。ユージンはデイル夫人の社交の席でのよもやま話を真に受けなかった。彼は夫人が内々でスザンヌに何を言っているかは知らなかったが、内容があまり過激であるはずはなく、少なくとも本気で言っているとは信じなかった。
「きみはお母さんの言うことを真に受けちゃいけないよ、スザンヌ」ユージンは彼女のかわいい顔を観察しながら言った。「お母さんは本気で言ってるんじゃないんだ。少なくともきみに関する限り、本気じゃないよ。ただ話をしているだけなんだ。もしもきみの身に何かが起こると思ったら、すぐに考えを変えてしまうよ」
「いいえ、私はそうは思わないわ」スザンヌは考えながら答えた。「それに、私は母が母を知る以上に、母のことを知っていると思います。母はいつも私を小さな女の子扱いするけど、私はいろんなことで母を思いのままにできるんです。やったことだってあるんですから」
ユージンは驚いてスザンヌを見つめた。自分の耳が信じられなかった。スザンヌはこんなにも早くから人生の社会的側面と実行的側面について深く考え始めていた。どうしてスザンヌの心が母親の心を支配しようとしているのだろう?
「スザンヌ」ユージンは言った。「きみは自分の行動や発言には気をつけなくてはいけないよ。これを慌てて無闇に口外しちゃ駄目だからね。危険なんだから。僕はきみを愛している。だけど僕たちはゆっくりと進まなくちゃいけないんだ。もし家内がこれを知ったら、気が狂ってしまうし、きみのお母さんが疑いを抱いたら、おそらくきみをヨーロッパのどこかに連れ去ってしまうからね。そのとき僕はきみに全然会えなくなるんだ」
「あら、母はそんなことしないわ」スザンヌはきっぱり言い切った。「いーい、あなたが考えているよりも私は母をよく知っているんです。私なら母を思いのままできるって言ったでしょ。私にはできるのよ。やったことがあるんだから」
ユージンの判断力を狂わせる絶妙にかわいい仕草で、スザンヌは頭を反らせた。彼は考えることも見ることもできなかった。
「スザンヌ」ユージンは彼女を引き寄せながら言った。「きみは最高の、究極の美人で、僕にとって女性と言えばきみをおいて他にないんだ。きみの判断ではそうなるんだね……スザンヌ」
「あら」スザンヌは唇をかわいらしく開き、眉を上げて尋ねた。「どうして私が考えてはいけないの?」
「ああ、考えるのはいいさ、もちろん、僕らはみんな考えるからね、でも、そんなに深く考える必要はないんだ、フラワーフェイス」
「でも、今、考えないといけないわ」スザンヌは簡潔に言った。
「そうだ、今、考えないといけないね」ユージンは答えた。「もし僕が部屋を手に入れたら、きみは本当に僕と一緒に暮らしてくれるかい? 今すぐに他の手立ては思いつかないよ」
「何とかする方法がわかったらそうするわ」スザンヌは答えた。「母は変な人よ。厳重に見張ってるわ。私を子供だと思ってるのよ。そんなんじゃないってあなたは知ってるでしょ。私には母が理解できないわ。言うこととやることが違うのよ。私はむしろ行動するわ、話なんてしないで。そう思わない?」ユージンはじっと見つめた。「でも、私ならちゃんとやれると思うわ。まかせてよ」
「じゃ、もしやれたら、きみは僕のところに来てくれるんだね?」
「ええ、もちろんよ」スザンヌは突然ユージンの方を向いて、両手で彼の顔をつかみ、興奮して叫んだ。「ああ!」……スザンヌはユージンの目をのぞき込んで夢を見た。
「でも僕たちは慎重でなければならないんだ」ユージンは警告した。「軽率な行動をとってはいけないよ」
「私はそんなことしないわ」スザンヌは言った。
「僕だってしないよ、もちろん」ユージンは答えた。
二人はまた口をつぐんだ。その間ユージンはスザンヌを見つめていた。
「私、奥さんと友だちになれるかもしれない」しばらくしてからスザンヌが言った。「奥さん、私のことが好きよね?」
「うん」ユージンは言った。
「母は私がそちらへ行くことに反対しないわよ。私からあなたにお知らせできるかもしれないわ」
「わかった。そうしよう」ユージンは言った。「もしできるのであればお願いするよ。今日僕が誰の名前を使ったか気がついた?」
「はい」スザンヌは言った。「ねえ、ウィトラさん、ユージン、私、あなたから電話があるかもしれないって思ったのよ、知ってる?」
「きみがかい?」ユージンは微笑みながら尋ねた。
「はい」
「きみは僕に勇気をくれるね、スザンヌ」ユージンは彼女に近づきながら言った。「きみはとても自信に満ちていて、気苦労とは無縁に見えるよ。世界がきみの精神に触れたことはないんだね」
「でも、あなたから離れると、私はそれほど勇敢じゃないわ」スザンヌは答えた。「恐ろしいことを考えていたんですもの。時々怖くなったわ」
「でも、それでは駄目だ、僕にはきみがとても必要なんだ。ああ、僕はどれほどきみを必要としているんだろう」
スザンヌはユージンを見た。そして初めて自分の手で彼の髪をなでた。
「あのね、ユージン、あなたは私にとってただの男の子みたいなものなのよ」
「僕ってそんなものかな?」すっかり癒やされてユージンは尋ねた。
「もしそうじゃなかったら、こんなふうにあなたを愛せないわ」
ユージンはもう一度スザンヌを引き寄せて改めてキスをした。
「数日おきにこういうドライブを繰り返すことはできないかな?」ユージンは尋ねた。
「大丈夫よ、もし私がここにいればだけど、多分」
「別の名前を使えば電話で呼び出しても平気かな?」
「ええ、平気だと思うわ」
「誰が電話したのかわかるように、お互いに新しい名前をつけよう。きみはジェニー・リンドで、僕はアラン・ポーだ」それから帰らなくてはならない時間が来るまで、二人はせっせと愛を育んだ。これでユージンは、午後は仕事どころではなくなった。
第九章
困難を伴って企てられ、危険をはらんだ、一連の逢瀬がこの後続いた。これは、ユージンの心の平穏と、最近身につけた彼の倫理観と仕事の責任感と、最近彼の大きな力になっていた編集・出版業界一筋だった目的意識と関心には有害だった。しかしこの逢瀬は、彼がやっていたこのすべての微妙なことと愚行に対して千倍は報われたと思えるほど、ユージンにとって強烈な至福に満ちていた。ユージンがハイヤーで氷室に来ることもあれば、スザンヌが会社宛ての電話か手紙で町に泊まりに来る日時を知らせることもあった。誰にも出会わないと確信した午後は、車で彼女を〈ブルーシー〉に連れて行った。ユージンはスザンヌに、不測の事態に対応できるような厚手のべールを持ってくるよう説得した。また別の時は……表向きはウィトラ夫人のお見舞いだが、本当はもちろんユージンに会うために、スザンヌがリバーサイドドライブのアパートに実際に何度かやって来た。スザンヌはアンジェラを嫌いではなかったが、本当はあまり気にしなかった。ユージン向きの幸せな伴侶ではなかったかもしれないが、興味深い女性だと考えた。ユージンはスザンヌに、自分は不幸であるというよりも愛情が冷めたんだと言っていた。ユージンは今、スザンヌを愛していた。そして彼女のことしか愛していなかった。
この関係がどうなるかという問題は、ユージンが何も知らずにいた極めて重要な別の問題のせいで複雑になった。アンジェラは、仕事面では絶大な喜びと満足を感じ、社交と感情面では不安と不信を抱いてユージンの活躍を見守ってきたが、ついに、ユージンと自分の子供という不確かな結果に賭けよう、彼に生活の安定につながる何かを与えて責任を自覚させ、社交の楽しみと若い美の誘惑以外の何かを与えようと決心した。フィラデルフィアでサニフォア夫人と主治医がしてくれた忠告を忘れたことがなく、子供がいたらどんな影響がありそうかについて考えることを、これまでやめたことがなかった。ユージンには自分を安定させるこういうものが必要だった。世の中での彼の立場はあまりにも脆弱であり、気質はあまりにも移り気だった。子供はユージンを落ち着かせるだろう……アンジェラは小さな女の子がほしかった。ユージンはいつだって小さな女の子が好きだったからだ。もし今、小さな女の子がいてくれたら!
病気になる約二か月前、ユージンがアンジェラにまったく気づかれずにスザンヌに熱を上げていた頃、アンジェラはかつての警戒をゆるめた、もしくはむしろ捨てていた。そして最近になって、不安が、希望が、もしくはその両方が、現実のものになるのではないかと疑い始めていた。その後の病状とそれによる心臓への影響のせいで、彼女は今、あまり幸せではなかった。当然のことながら、その結果と、それをユージンがどう受け止めるかについてはあまり自信がなかった。ユージンは子供が欲しいと言ったことは一度もなかったが、アンジェラは絶対確実にしたかったので、今までのところ彼に伝える考えは全然なかった。もしアンジェラの疑いが正しくなくて、うまくいけば、ユージンは彼女にその将来を思いとどまらせようとするだろう。もし正しければ、彼はどうすることもできなかった。この状態にあるすべての女性のように、アンジェラは同情や配慮を求め始め、ユージンの心が彼女とあまり関係のない世界へ向かっていくのを一段と鋭く気づき始めていた。デイル夫人は娘のことをちゃんと考えているように見えたから、アンジェラはあまり悩まなかったが、ユージンがスザンヌに寄せる関心はアンジェラを少し戸惑わせていた。時代は変化していた。ユージンは一人で外出することが多くなっていた。子供はかすがいになるだろう。そろそろいてもいい時期だった。
アンジェラは、スザンヌが母親と一緒に来始めたときは、これについて何も考えなかったが、病気療養中にスザンヌが立ち寄って、ユージンが居合わせることが何度かあったときに、この二人の間なら何かが簡単に芽生えるかもしれないと感じた。スザンヌはとても魅力的だった。一度、アンジェラが考え事をしながら横になっていたときに、スザンヌがしばらく部屋を離れてアトリエに入っていった後で、ユージンがスザンヌと一緒になって冗談を言い、大笑いしているのを聞いたことがあった。スザンヌの笑い声というか喉をゴロゴロ鳴らす笑い方は、まわりにも伝染しやすかった。ユージンが彼女を笑わせるのもとても簡単だった。ユージンの冗談のタイプは、彼女の楽しみの本質を突いていたからだ。二人が取り続けた態度には、はしゃぐでは済まない何かがあるようにアンジェラには思えた。スザンヌが来るたびに、ユージンは家まで車で送ろうと申し出た。これはアンジェラを考えさせた。
アンジェラがリウマチの発作から立ち直って十分元気になると、すてきな歌のレパートリーを持つ有名なテノール歌手を、ユージンが自宅に招いて歌ってもらう機会があった。彼はウィンフィールドが関わっていたブルックリンの社交行事でその歌手に出会った。多くの人が招待された……その中にはデイル夫人、スザンヌ、キンロイもいたがデイル夫人は来られなかった。翌日の日曜日の午前中に市内で約束があったので、スザンヌはウィトラ家に泊まることに決めた。これはユージンを大喜びさせた。スケッチブックを買って、記憶を頼りにして描いたスザンヌの絵で、それをいっぱいにし始めていたので、彼はそれを見せたかった。それに、この歌手の美しい歌声を聞かせたかった。
この集まりは面白かった。キンロイは早めにスザンヌを連れてきて立ち去った。スザンヌがアンジェラに挨拶を終えてから、ユージンとスザンヌは川を見下しながら小さな石造りのバルコニーに出て腰を下ろし、愛する思いを交換した。誰も見ていないと、ユージンは決まってスザンヌの手を握って、こっそりキスをした。しばらくすると客が集まり始めて、最後に歌手本人が現れた。ベテランの看護婦がユージンの助けを借りてアンジェラを前に連れ出すと、アンジェラはうっとりと歌に聞き入った。スザンヌとユージンは、そのうちの何曲かのすばらしさに心を奪われ、愛だけが理解できるあの燃えるような視線を交わして互いに見つめ合った。ユージンにとってスザンヌの顔は、催眠効果を持つ完璧な花だった。一瞬でもスザンヌから目を離せなかった。歌手が歌い終わって客は帰った。アンジェラは最後に歌われた『魔王』のすばらしさに泣きっぱなしだった。やがて自分の部屋にさがり、スザンヌも表向きは自分の部屋に向かった。ウィトラ夫人に就寝の挨拶をしに出て来て、それからアトリエを通って再び自分の部屋に戻った。そこでユージンが待っていた。無言でキスをしながらスザンヌを抱きしめた。二人は平凡な会話を始める体裁をつくろった。ユージンは石造りのバルコニーに座って最後のひとときを過ごそうと誘った。川にかかった月がとても美しかった。
「やめて!」夜陰にまぎれてユージンが抱きしめると、スザンヌは言った。「奥さんが来るかもしれないわ」
「来ないよ」ユージンは必死に言った。
二人で耳を澄ませたが、物音一つしなかった。ユージンは話をするためにくつろいだふりを始め、その一方で彼女の素肌のかわいらしい腕をなでた。スザンヌの美しさと、夜のすばらしさと、音楽の魅力のせいで正気を失い、いつもの自分ではなくなっていた。スザンヌが抵抗したにもかかわらず、ユージンは彼女を抱き寄せた。すると部屋の反対側のドアがあるところに、突然アンジェラが現れた。彼女が見たものは隠しようがなかった。スザンヌが慌てて立ち上がったときにはもうアンジェラは急速に迫っていた。心臓が苦しくなるほどの怒りに駆られ、自分の置かれた状況を必死で考え、この空気に何か恐ろしい危機的なものを感じたが、まだ病が癒えていなかったので、思い切って大見得を切ることも、存分に自分の立場を表明することもできなかった。今再び、全世界が崩れ落ちる音が聞こえた気がした。計画を立て、散々疑ってもいたのに、まさかユージンがまた裏切るとはすぐには信じられなかった。もし可能であるなら彼を驚かすつもりで来たものの、まさかこうなるとは予期していなかったし、こうならないことを期待していた。ここに彼の策略の犠牲者のこの美しい少女がいた。ここで彼女は自ら立案したものによって巻き込まれた。一方で、恥じ入ったと思われるユージンはこの馬鹿げた密通が芽のうちに摘まれるのを覚悟して傍観した。できればアンジェラはスザンヌに自分の姿をさらすつもりはなかった。しかし、自分に対する悲しみ、夫を恥じる気持ち、ある意味でのスザンヌへの同情、子供にとってはとても重要でもこれだけのことがあった今は、彼女にとって完全に無意味になった体裁の外側だけでも保ちたい願望が、彼女を昔の怒りでいっぱいにし、それでいてその気持ちを抑え込んだ。六年前なら面と向かってユージンに怒鳴り散らしていたところだが、時の流れがアンジェラのこういう面を丸くしていた。罵詈雑言を浴びせることに効果を見出せなかった。
「スザンヌ」西空の月明かりに今も照らされている部屋の、濾されたような薄暗がりの中に突っ立ったまま、アンジェラは言った。「よくもこんなまねができたわね! あなたはもっとずっとまともなんだと思っていたわ」
顔は長い闘病生活と現状への憂いとでやつれていたが、その精神的態度は依然として美しかった。とても薄いレースの淡い黄色と白の花柄の部屋着をまとい、看護婦に編んでもらった長い髪が、数年前ユージンに見せたグレチェンのように背中に垂れ下がっていた。手は細くて青白いが美しく、顔は悲しみの聖母の疲れ果てた苦悶を浮かべてゆがんでいた。
「だって、だって」スザンヌは一瞬、持ち前の上品な落ち着きをひどく失ったが、頭は高圧的な考え方を忘れず、叫んだ。「彼を愛しているんですもの。だからだわ、ウィトラさん」
「いいえ、あなたは愛してなんかいないわ! あなたはただ愛していると思ってるだけよ。あなたの前にいた大勢の女たちがそうだったようにね、スザンヌ」アンジェラは冷ややかに言った。これから生まれてくる子供のことをずっと考えていた。もしもっと早くユージンに話してさえいたら! 「ああ、恥ずかしいたらないわね、自分の家で、しかもあなたのような若くて純真と思われているお嬢さんが! 今、私があなたのお母さんに電話してお話ししたら、お母さんはどう思うかしら? それとも弟さんの方がいいかしら? あなたは相手が既婚者であることを知っていたのよ。もしそうでなかったのなら、もしあなたが私を知らなくて私のもてなしを受けたことがなかったのなら、私はあなたを許したかもしれないわ。ユージンはね、私が話しても無駄なのよ。あの人は昔からそうなの、スザンヌ。あなたの前にも他の女たちとこういうことをしてきたんだから。どうせあなたの後だって他の女たちと同じことをするわよ。これって、いわゆる才能ある男性と結婚したために、私が背負わなければならなくなったことの一つなの。ユージンを愛してますって私に話す時に、自分が何か新しいことを話してるって思っちゃ駄目よ、スザンヌ。私はその話を前にも他の女たちから聞いたことがあるんだから。あなたが初めてじゃないのよ。どうせ最後でもないでしょうけど」
スザンヌは、これがすべて本当かどうかを問いただすように、ぼんやりと、なすすべもなく、ユージンを見た。
ユージンはアンジェラの切りつけるような非難を受けて緊張したが、どうしたらいいのか、最初は全然わからなかった。ユージンは一瞬、スザンヌを捨てて、彼には退屈に思えたかもしれない昔の状態に戻るべきではないかと考えたが、スザンヌのかわいい顔を見て、アンジェラの切りつけるような声を聞いて、すぐに決断した。「アンジェラ」ユージンは落ち着きを取り戻しながら切り出した。その間スザンヌは彼をじっと見つめた。「どうしてそういう話し方をするんだい? 自分の言うことが本当でないことはわかってるはずだ。他にもひとり女がいた。彼女のことはスザンヌに話すつもりだ。きみと結婚する前に何人かいた。その話もするよ。でも僕の人生は抜け殻なんだ。きみも知ってるだろ。このアパートだって抜け殻さ。こんなものは僕にとって何の意味もない。僕たちの間に愛はなかった、僕の方になかったのは確かだ、何年もね。きみはそれを知っている。現に時々きみだって僕のことなんか大事じゃないって言ったじゃないか。僕はこのお嬢さんをだましたことはない。今から喜んで彼女に事情を説明するよ」
「事情! 事情でって!」アンジェラは一瞬で燃え上がり我を忘れて叫んだ。「あなたのような優秀で誠実な夫が私に何をしたのかをスザンヌに話してあげたら? 祭壇で私に誓った約束をあなたがどれくらい誠実に守ったかをスザンヌに話してあげたら? これまでの数年間で私がどれだけあなたのために働いて犠牲になってきたかをスザンヌに話してあげたら? こんな目に遭わされただけで、私はどう報われたのかしら? あなたがお気の毒だわ、スザンヌ、他の何よりもね」今ここでユージンに自分の体の状態について話すべきか迷ったが、彼がこれを信じない恐れがあったので、アンジェラは続けた。まるでメロドラマのようだった。「あなたはその道の達人にだまされたただの愚かな小娘なのよ。そういう男って、少しの間は自分が相手を愛してるって思うけど本当は愛していないのよ。どうせ終わりにしちゃうんだから。こんなことをして何を手に入れるつもりなのか率直に話してくれない? 彼とは結婚できないのよ。私が離婚を認めませんから。彼もいずれわかるけど、私にはできないの。それに離婚を勝ち取るだけの理由が彼にはないわ。あなたは彼の愛人になるつもりなの? それ以外のものになる希望は全く持てないわよ。それってあなたの立場のお嬢さんにふさわしい立派な野心ではないんじゃない? それに、あなたは貞淑であるはずでしょ! ああ、もしあなたがそうでないのなら、私はあなたを恥ずかしく思うわ! あなたのお母さんに申し訳ないわ。私はね、あなたがあまりにも自分を安売りすると思って驚いているのよ」
スザンヌは「私にはできないの」という言葉を聞いていたが、実はそれをどう解釈すればいいかを知らなかった。まさかここで子供が出て来て問題を複雑化するとは思いつきもしなかった。ユージンは、自分が不幸であることと、アンジェラとの間には何もなく、これからも絶対にあり得ないことをスザンヌに語っていた。
「でも私は彼を愛しているんです、ウィトラさん」スザンヌは簡単に、かなり大げさに言った。スザンヌは緊張して、姿勢はまっすぐで、青ざめていて、断然美しかった。いきなり肩にのしかかったのは、大きな問題だった。
「たわごとはおよしなさい、スザンヌ!」アンジェラは怒って必死に言った。「自分をあざむいて、馬鹿げた意地を張り続けるもんじゃないわ。あなたは今、演技をしているのよ。芝居で役者が話すのを見たことがあるでしょ、あなたは自分の役回りの台詞を話しているのよ。これは私の夫なの。あなたは私の家にいるの。さあ、荷物を持ってきて。私があなたのお母さんに電話して、事情を説明するわ。お母さんが迎えの車をよこしてくれるわよ」
「やめてください」スザンヌは言った。「それはできないわ! あなたが母に言いつけたら、私はあそこへは戻れないもの。自分の問題を自分で片付けられるようになるまで、社会に出て何かしなくちゃならないわ。もう家には戻れない。ああ、私はどうすればいいかしら?」
「落ち着いて、スザンヌ」ユージンは彼女の手を取って、挑むようにアンジェラを見ながらきっぱりと言い切った。「彼女はきみのお母さんに電話したりしないし、お母さんに言いつけたりもしないよ。きみは予定通りここに泊まって、明日、行くつもりだった所へ行けばいいんだ」
「だめよ、そうはいかないわ!」アンジェラは電話に向かって歩き出しながら怒って言った。「この娘は家に帰るのよ。私が母親に電話をします」
スザンヌはピリピリして落ち着かなかった。ユージンはスザンヌを安心させるために自分の手を彼女に握らせた。
「おい、よさないか」ユージンはきっぱりと言った。「彼女は帰らないし、きみがその電話に手を触れることはない。そんなことをすれば、大騒ぎになるんだぞ。それもあっという間にだ」
ユージンはアンジェラと電話の受話器の間に割り込んだ。受話器はアトリエの外側の廊下にかかっていて、アンジェラはそこに向かっていた。
アンジェラはユージンの声の不吉な響きと、彼の態度の覚悟のほどに気圧されて立ち止まった。彼が自分を押しのけたときの乱暴な態度に驚いて慄然とした。自分の夫であるはずのユージンがスザンヌの手を握って、落ち着くように頼み込んでいた。
「ああ、ユージン」 アンジェラは必死に訴えた。怯え、おののき、怒りは半分恐怖に溶け込んだ。「あなたは自分が何をしているのかわかっていないのよ! スザンヌは知らないのよ。知ればあなたと関わりたくなくなるわ。若くても、女性の自覚は多分に持ち合わせているでしょうから」
「一体何の話をしているんだ?」ユージンは懸命に問いただした。アンジェラが何を言おうとしているのかさっぱりわからなかった。これっぽっちの疑いも抱かなかった。「何の話をしてるんだい?」ユージンは厳しく繰り返した。
「あなただけに一言だけ言わせて。ここでは、スザンヌの前ではだめなの。一言でいいわ。そうすればおそらくあなたは今夜スザンヌを家に帰らせる気になるわ」
アンジェラのこの態度は変だった、少し悪い予感がした。自分の強みを正しい精神で正しく使っていなかった。
「何だっていうんだ?」ユージンは何かの罠を予期しながら不機嫌に尋ねた。自分を縛る鎖にずっと苦められてきたので、また何か継ぎ足されるのかと思うと、やたらといらいらした。「どうしてここでは話せないんだ? どう違うっていうんだい?」
「世界のすべてを変えてしまうからよ。あなただけに話をさせて」
スザンヌは、一体何だろうと思いながら歩き去った。アンジェラが話さなくてはならないこととは何だろうと考えていた。アンジェラの態度からは必ずしも彼女が抱える重大な秘密を思いつかなかった。スザンヌがいってしまうとアンジェラはユージンにささやいた。
「そんなのは嘘だ!」ユージンは力強く、投げやりに、絶望して言った。「どうせその場しのぎのでっち上げだろ。いかにもきみの言いそうなことだし、やりそうなことだ! ふん! 僕は信じないぞ。そんなのは嘘だ! 嘘にきまってる! 嘘だと自分でわかってるはずだ!」
「これは本当のことよ!」アンジェラは怒り、哀れを誘うように言った。この事実の受けとめられ方に、彼女の全神経と思考は憤慨した。そして、生まれてくる彼の子供の発表が、最後の手段として無理やり言わされて、ただ嘲りと軽蔑とで受けとめられるだけという状況下で、このような態度で、受けとめられねばならないのか、と思い絶望した。「本当のことなんだから。あなたは私に向かってそんなことを言うのを恥じるべきだわ。あなたが今夜したように、自宅に別の女性を連れ込む男性から、私は一体何を期待できるのかしら?」まさか突然こんな状況に追い込まれようとは! ここでユージンとこれを議論することはできなかった。アンジェラはこのタイミングでこれを持ち出したことを今では恥じていた。いずれにせよ、今、ユージンは彼女を信じるつもりがないことをアンジェラは理解した。これはただ彼と彼女を怒らせただけだった。ユージンは興奮しすぎていた。これはユージンを怒らせたようだった……頭の中で彼女を、ペテン師、いかさま師、彼をつなぎとめるためにずるいやり方を使う人、と非難しているようだった。ユージンはうとましくなってアンジェラから飛び退くように離れた。アンジェラは自分がひどい一撃を与えたことに気がついた。どうやらそこにはユージンにとって何か不公平な要素があったようだった。
「これを聞いてもなお、彼女を追い払おうという気遣いは、あなたにはないの?」アンジェラは、大声で、怒って、必死に、辛辣に、訴えた。
ユージンは完全に怒り狂っていた。もし彼が徹底的にアンジェラを忌み嫌い軽蔑したことがあったとしたら、まさにこの瞬間がそうだった。まさかアンジェラがこんなことをしていたとは! まさかこんなことまでして、うとましかったこの問題をややこしくしていたとは! どこまで情けなくて、どこまで卑劣なのだろう! 子供のためではなく、彼の意志に反して彼をつなぎとめるために、子供をこの世に生みだすことが、この女の了見を示した。ちくしょう! くたばるがいい! この面倒くさい腐った世の中め! いや、彼女が嘘をついているのだ。そんなことをしたって相手をつなぎとめることはできないのに。ひどい、最低の、卑劣な策略だ。彼はアンジェラと関わらないつもりだった。思い知らせてやろう。彼女と別れよう。こんなことをしたって自分には通用しないことをわからせてやろう。これは彼女がこれまでにしてきた他のつまらないことと同じだった。絶対に、絶対に、絶対に、こんな邪魔をさせるつもりはなかった。ああ、何て卑劣で、残酷で、みじめなことをするのだろう!
二人が言い争いをしているうちにスザンヌが戻って来た。彼女は一体何があったのかを薄々気づいたものの、あえて行動したり、はっきり考えようとはしなかった。今夜の出来事はあまりにも多くて、あまりにも複雑だった。それが何であろうと嘘だとユージンが力強く言ったので、スザンヌは信じかけた。これは、彼とアンジェラの間に存在する愛情が小さいことを示す確かな印だった。アンジェラは泣いていなかった。顔は険しく、蒼白で、ひきつっていた。
「私はここにはいられないわ」スザンヌは大げさにユージンに言った。「どこかへ行くわ。今夜は私、ホテルに泊まった方がいいわよ。車を呼んでくれる?」
「いいかい、スザンヌ」ユージンは力強く、きっぱりと言った。「きみは僕のことを愛してるよね?」
「わかってることでしょ」スザンヌは答えた。
アンジェラはあざ笑うように身じろぎした。
「それなら、きみはここにいればいい。彼女が何を言っても、何も気にしないでほしい。今夜、僕に嘘をついたんだ。理由はわかっている。彼女にだまされないようにね。さあ、自分の部屋のベッドに行くんだ。明日話をしたい。今夜、出ていく必要はないからね。ここには部屋がたくさんあるんだ。馬鹿げている。きみはここにいなさい……泊まればいいんだ」
「でも、泊まるのはよくないと思います」スザンヌは神経質に言った。
ユージンはスザンヌの手をとって安心させた。
「僕の言うとおりにしなさい」
「でも、彼女が泊まることはないわ」アンジェラは言った。
「泊まるさ」ユージンは言った。「泊まらないなら、僕と一緒に行くまでだ。僕が家まで送り届ける」
「ねえ、あなたがすることじゃないでしょ!」アンジェラは応酬した。
「いいか」ユージンは怒って言った。「これは六年前のようにはいかないぞ、今回はな。この状況を支配するのは僕なんだ。彼女はここに泊まる。ここに泊まるか、それとも僕と一緒に行くかだ。きみはせいぜい頑張って将来に目を向けるといい。僕は彼女を愛している。彼女をあきらめるつもりはない。事を荒立てたいのなら、さっさと始めたまえ。困るのはきみなんだ、僕じゃない」
「まあ!」アンジェラは半分怯えて言った。「何ですって?」
「それだけだ。さあ、自分の部屋に行くんだ。スザンヌも自分の部屋に行くんだ。僕も自分の部屋に行くよ。今夜はここでこれ以上争わない。もうおしまいだよ。賽は投げられたんだ。僕の話は終わりだ。スザンヌがそうしたければ、僕のところへ来るさ」
アンジェラはアトリエを抜けて部屋まで歩いた。事態の展開に打ちのめされ、頭の中の考えに怯え、ユージンを説得することもスザンヌを退けることもできず、喉は熱くカラカラで、手は震え、心臓は不規則な鼓動を刻んだ。まるで脳が爆発し、心臓が感情的にではなく実際に裂けそうな感じだった。アンジェラはユージンが狂ったのだと思った。そして今、結婚生活で初めて、いつも彼を操ろうとすることで、自分がどれほどひどい間違いをしていたかを悟った。今夜は彼女の怒りも、横暴な批判的態度も効果がなかった。これはアンジェラに完全な敗北をもたらした。この企ても、この美しい計画も、幸せな人生のためにあれほど頼りにしていたこの切り札も、効果を発揮すると期待したこの子供も、失敗に終わった。ユージンは彼女を信じなかった。この可能性を認めようとさえしないだろう。これをねぎらいもしなかった。それどころか軽蔑した! これを策略だと見なした。ああ、これを言い出すはめになってしまったとは、何と不幸なことだろう! しかし、スザンヌは理解しているに違いない。知っているに違いない。彼女はこんなことを絶対に認めないだろう。しかし、ユージンはどうするつもりだろう? ユージンは猛然と怒り狂った。これから子供をこの世に送り出そうというのに、何と幸先がいいのだろう! アンジェラは必死に前を見つめた末にとうとう絶望して泣き始めた。
アンジェラが立ち去った後、ユージンは廊下でスザンヌのそばに立っていた。顔が引きつり、目はやつれ、髪は乱れていた。表情は険しく、彼なりに腹をくくり、これまでになく頼もしく見えた。
「スザンヌ」ユージンはスザンヌの両腕をつかんで、目をじっと見つめながら言った。「彼女は僕に嘘をついたんだ。嘘なんだ、冷酷で卑劣なひどい嘘だよ。じきにきみにもこの話をするよ。僕の子供ができたって言うんだ。そんなことないのに。彼女は産めないんだ。そんなことをしたら死んじゃうんだから。子供を産めるのなら、とっくの昔に産んでいただろうよ。僕は彼女を知っている。これで僕を脅そうと思ってるんだ。きみを追い払おうとも思ってるよ。そうなるかな? あれは嘘なんだ、聞いてる? 彼女が何を言ってもね。話は嘘で、彼女はそれを知ってるんだよ。まったく!」ユージンはスザンヌの左腕を放して自分の首をつまんだ。「僕はこんなことには耐えられない。きみは僕を見捨てないよね。彼女を信じることはないよね?」
スザンヌはユージンの取り乱した顔と、きれいな必死の真剣な目をじっと見つめた。そこに深い悲しみと苦悩を見て、同情した。ユージンは愛される価値が立派にあるのに、不幸で、不運にも追い詰められているように見えた。しかしスザンヌは怖かった。それなのに、ユージンを愛することを約束してしまった。
「信じません」彼女はきっぱりと言った。目は大層な自信を物語っていた。
「今夜出ていかないよね?」
「はい」
スザンヌは手でユージンの頬をなでた。
「朝になったら一緒に歩いてこようか? 僕はきみと話をしないといけないんだ」
「はい」
「怖がることはない。怖ければ、ドアに鍵をかければいい。アンジェラはきみを困らせたりしないよ。何もしやしない。僕のことを恐れているからね。きみと話をしたがるかもしれないが、僕が付いてる。まだ僕のことを愛してるかい?」
「はい」
「準備が整ったら、僕のところに来てくれるかい?」
「はい」
「アンジェラがあんなことを言ったのにかい?」
「はい、私は彼女を信じません。あなたを信じます。いずれにしても、それにどんな違いがあるんですか? あなたは彼女を愛していないんでしょ」
「ああ」ユージンは言った。「全然だ、全然! 一度も愛したことはないよ」ユージンは、だるそうに、ほっとしたように、スザンヌを腕に引き寄せた。「ああ、フラワーフェイス」ユージンは言った。「僕を見捨てないでくれ! 悲しんじゃだめだ。とにかく悲しくないようにするんだ。アンジェラの言うように、僕は悪いことをしてきたけど、きみを愛してるんだ。きみを愛してる。僕はこれにすべてを賭ける。もしこれで天罰が下ったら、そのときは下らせるしかない。愛してるよ」
スザンヌは緊張した様子で手でユージンの頬をなでた。彼女は死んだように青白く、怯えていたが、どういうわけかそれでも勇敢だった。彼女はユージンの愛情から力をもらった。
「愛してるわ」と言った。
「うん」ユージンは答えた。「僕を見捨てないよね?」
「ええ、見捨てないわ」自分の気持ちの深さを本当は理解していないのにスザンヌは言った。「本当よ」
「明日はもっと状況がよくなるさ」ユージンは多少静かになって言った。「僕たちだってもっと落ち着くよ。歩いて話をしよう。僕を置いて行ったりしないよね?」
「しないわ」
「頼むから置いて行かないでよ。僕はきみを愛してるんだから。僕らは話し合って計画を立てなければならないんだ」
第十章
アンジェラに関するこの驚きの事実の発表は、あまりにも予想外で、かなり道徳に話がそれる独特なものだったので、ユージンは彼女が嘘をついていると半分信じてこれを否定したものの、真実を告げているのかもしれないという考えに苦しめられた。しかし、彼にはこれがとてもずるい、意地の悪いやり方だとしか思えなかった。実際にこれは偶然ではなくただの罠だったので、彼は偶然だとはまったく考えなかった。これは辛辣で、狡猾で、彼にとってはタイミングが悪く、彼が最も自由になりたいときに、彼のキャリアを台無しにして古い制度に縛りつけるために計算されたものだった。この時ユージンの新しい人生は始まろうとしていた。生まれて初めて自分の心にぴったりの、若くて、美しい、知的で、芸術のわかる女性を手に入れようとしていた! スザンヌがそばにいれば、彼は生きる喜びの極限に到達しただろう。スザンヌがいなければ、人生は暗く退屈だった。なのに、この大事なときに、アンジェラが進み出て、欲しくもない子供、それもユージンの意に反して彼をつなぎとめるためだけのものを持ち込んで、この夢を全力で壊そうとしていた。ユージンが策略やきわどい取引でアンジェラを嫌うことがあったなら、このときがそうだった。スザンヌにどんな影響が出るだろう? これが罠であることをスザンヌに納得させるにはどうすればいいだろう? スザンヌならわかってくれるに違いない、彼女ならわかってくれるだろう。彼女ならこの哀れな策略を彼と彼女の間に立ち入らせたりはしないだろう。ユージンはベッドに入ったあと疲れて寝返りを打ったが眠れなかった。彼は何かを言うか、何かをしなければならなかった。そこで起き上がってガウンを羽織り、アンジェラの部屋に行った。
その取り乱した魂は、覚悟も闘う力も万全だったのに、人生で二度目の地獄の業火に耐えていた。彼女のすべての労働、彼女の夢、安寧と幸福をもたらそうとしたこの最近の努力、しかも彼女自身の命を犠牲にしたかもしれないにも関わらず、このような場面を目撃せざるを得なくなるとは! ユージンは自由になろうとしていた。明らかにそうしようと決めたのだ。この外聞をはばかる関係はいつ始まったのだろう? ユージンをつなぎとめる努力は失敗するのだろうか? そういうふうに見えた。それでもきっとスザンヌは事情を知ったら、理解したら、ユージンと別れるだろう。どんな女でもそうするだろう。
頭痛がして、手が熱くなり、アンジェラは自分がひどい悪夢に苦しんでいるのかもしれないと空想した。とても具合が悪く弱っていた。いや、違う、ここは彼女の部屋だった。少し前、アンジェラは友人たちに囲まれ、大層心配されて、夫のアトリエに座っていた。ユージンは明らかに彼女を思いやって気を遣い、すてきな催し物が特に彼らのために計画されていた。なのに今は自室で横になり、軽んじられた妻、愛情と幸福に見放された者、別の女性が彼女に代わってユージンの愛情の中にいるという運命の恐るべき魔法の犠牲者になっていた。自分の若い美しさを鼻にかけたスザンヌが、大胆な目で彼女を見据え、彼女の夫の手を握りながら、彼女には残酷とも、狂ってるとも、愚かなメロドラマ仕立てとも思えた「でも私は彼を愛しているんですもの、ウィトラさん」という台詞を言うのを見て、気が変になりそうだった。ああ、神さま! 神さま! 彼女の苦しみに終わりはないのだろうか? 彼女の美しい夢はすべてなくなってしまうのだろうか? さっき乱暴に言い放ったように、ユージンは彼女を捨ててしまうのだろうか? アンジェラはこういうユージンを見たことがなかった。彼のこれほど腹をくくった、冷たい、獰猛な姿を見るのは恐ろしかった。彼の声は実際に耳障りなガラガラ声に、彼の中でこれまで彼女が知らなかったものに、なっていた。
考える間、震えがとまらなかった。次に怒りが凄まじい閃光のように彼女を襲ったが、押し寄せる恐怖に取って代わられただけだった。アンジェラはそれほどひどい立場にいた。女性がユージンと一緒にいたのだ。それも若くて反抗的で美しいのが。アンジェラはユージンがその女性に呼びかけるのを、二人が話しているのを聞いてしまった。一度彼女は、ユージンとスザンヌと自分と生まれてくる子供を殺して、すべてを終わらせるのなら、今がそのときだと考えた。しかしこの大事な瞬間に、病気になり、一段と老け込んでしまったので、目前に迫りつつある人生のこの問題に対して、どういう行動をとればいいのかさっぱりわからなかった。ユージンは自分のやっていることを断念するに違いない。彼女が打ち明けた事実の真の力が身にしみる時間を持ったときに、彼はそうするだろう、と考えてアンジェラは自分を慰めようとした。しかしその力が時間を持つことはまだなかった。ユージンが軽率なことをするまでに、間に合うだろうか? ユージンが彼自身とスザンヌを完全に危うくするまでに、間に合うだろうか? スザンヌとユージンの話から判断すると、ユージンはまだ軽率なことをしていなかった。もしくはしていないとアンジェラは考えた。ユージンは何をしようとしているのだろう? どうするつもりでいるのだろう?
打ち明けたにもかかわらず、ユージンはすぐに本当に自分を捨てるかもしれない、とアンジェラはそこに横になりながら心配した。これがもとで、とんでもないスキャンダルが世間に広まるかもしれない。彼らの生活ぶりが暴露されて嘲笑の的になり、子供の運命が危険にさらされ、ユージン、スザンヌ、そして彼女自身の名誉にまで傷がつく。しかしアンジェラはスザンヌのことをあまり考えなかった。結局スザンヌがユージンを手に入れるのかもしれない。彼女はたまたま冷酷無情な女だったのかもしれない。世界がユージンを許すことだってあるかもしれない。アンジェラ自身が死ぬかもしれない! もっと大きなもの、もっといいもの、もっと確かなものを散々夢見た挙げ句がこのざまだ! ああ、この哀れさ、苦しさ! 人生が壊されることへの恐怖と慄然!
それからユージンが部屋に入って来た。
入ってきたとき、彼はやつれて、こわい目をしていて、考え込み、憂鬱そうだった。まず、入口に立ち、気を引き締め、アンジェラの枕元付近にとても小さな白熱光を投じる小さなナイトライトのスイッチを入れ、それから看護婦が投薬台の近くに置いたロッキングチェアに腰かけた。アンジェラは随分回復したので、夜間の看護婦は必要なかった……看護は十二時間だけだった。
「さて」アンジェラの青ざめて、取り乱し、昔の若い美しさがまだたっぷり残っている様子を見て、ユージンは真剣だが冷酷に言った。「まんまと一杯食わせたと思っているんだろうね? してやったりと思っているんだろう? それはとんだ思い違いだ……きみは終わりの始まりを見ただけだ……僕はただそれを伝えるためにここに来ただけだ。きみは子供を産むと言ってるが、僕はそれを信じないからな。そんなのは嘘だ。きみだって嘘だとわかってるはずだ。いつかこの倦怠期に終わりが来るのを見越して、きみが出した答えがこれなんだね。まあ、きみは策を弄しすぎたんだ。しかも無駄なことをしたんだ。きみの負けだよ。今回は僕の勝ちだ。さあ、僕は自由になるぞ。これをきみに言いたくてね。すべてをひっくり返さなくてはならなくても僕は自由になるからな。子供が一人ではなく十七人だったとしても構わない。最初からこれは嘘なんだから。嘘でないなら罠なんだ。僕はもうだまされないぞ。支配だとか、だますとか、安っぽい考えはもうたくさんだ。僕はもう終わりにするからね。聞こえたかい? 僕は終わりにする」
ユージンは落ち着かない手で額をさすった。頭が痛かった。彼は半病人だった。これは惨めな落とし穴だった。自分がその中にいて、横暴な妻と巧みに操られた子供につながれているのを見つける結婚生活という落とし穴だった。子供ができた! 人生のこの時期に、何という茶番だろう! 彼はこういうことを考えるのがどんなに嫌だっただろう。これがどれほど安っぽく思えただろう!
アンジェラは、目を見開き、顔を紅潮させ、憔悴しきった様子で、枕の上に横になってじっと見つめながら、疲れた気のない声で尋ねた。「私にどうしてほしいのよ、ユージン、あなたと別れろっていうの?」
「実を言うとね、アンジェラ」ユージンは陰鬱に言った。「僕だって今の時点で、きみにどうしてほしいのか、わからないんだ。古い生活はすべて終わった。死んだも同然だ。この十一年だか十二年の間、僕は自分が偽りの人生を送っていることを知りながら、きみと暮らしてきた。結婚してからも、きみを愛したことは本当に一度もなかった。きみもそれを知ってるはずだ。最初は僕だってきみを愛していたかもしれない。確かに愛したさ、ブラックウッドではね。だけどそれはずっとずっと昔のことだ。僕は絶対にきみと結婚するべきじゃなかった。間違っていたのに僕はしてしまった。そして少しずつその代償を払ってきた。きみもだ。きみはずっと、僕がきみを愛するべきだと言い続けてきた。きみは、僕が飛べないのと同じくらいにできないことをあげつらって、僕をどなりつけ、口汚くののしってきたんだ。今、この期に及んでも、きみは僕をつなぎとめるために子供を出汁にするんだ。きみがどうしてそんなことをしたのか僕は知っている。きみはどういうわけか自分が神によって僕の指導役か守護者に任命されたと思い込んでるんだ。言っておくがね、きみは任命されてないよ。すべては終わったんだ。子供が五十人いたとしても終わりだ。スザンヌはそんな安直な話を信じないよ。もし信じたって僕とは別れないさ。彼女はきみがどうしてそんなことをするのか知ってるからね。僕のすべての退屈な日々は終わりだよ。すべての恐怖の日々が終わるんだ。僕は普通の人間じゃない。それに普通の人生を送るつもりもない。きみはわかっていただろうが、いつも僕のことをたわいない陳腐な慣習にしばりつけようとしてきた。ウィスコンシンでもブラックウッドでもそうだった。何もすることがなかった。こんなのはすべて今ここで終わりだ。みんなおしまいだ。この家も、僕の仕事も、僕の不動産取引も……何もかもだ。きみの状態がどうだろうが僕の知ったことじゃない。僕は向こうにいるあの娘を愛している。彼女を僕のものにするつもりだ。僕の話を聞いてるかい? 僕は彼女を愛している。僕のものにするんだ。彼女は僕のものなんだ。僕にぴったりだよ。僕は彼女を愛してる。神の下のどんな力も僕をとどめておけないんだ。きみが仕組んだこの子供の問題が、僕をとどめておくと、きみは今思っているだろうけど、そんなのは無理で、機能しない、とわかるだろうよ。どうせ策略なんだ。僕はそれを知っているし、きみもそれを知っている。もう手遅れだよ。去年か、あるいは二、三年前だったらうまくいったかもしれないが、そんなものはもう通用しない。きみは最後のカードを切ったんだ。向こうにいるあの娘は僕のものだ。僕が手に入れるんだ」
ユージンはうんざりした様子で再び顔をなで、いったん話をやめて椅子の中で少し体を揺さぶった。歯を食いしばって、険しい目をしていた。自分が直面したのは恐ろしい状況であり、取り組むのが難しいことを、ユージンは意識的に認識した。
アンジェラは、自分が正しく見ていることさえまったく信じていないという人の目で、ユージンを見つめた。彼女はユージンが成長をとげていたことを知った。この数年の上昇期間中に、彼は以前よりも強くなり、執拗に迫り、開き直るようになっていた。成長した大人が子供と似ていないように、彼はもう不遇の時代にビロクシや他の場所で、交際を求めてアンジェラにくっついていたユージンとはまったく似ていなかった。彼の態度は一段と厳しく、穏やかで、無関心にはなったが、それでも今までは昔のユージンらしさを失ったことは一度もなかった。それが突然どうしたのだろう? 彼はどうしてこんなに激しく怒り、こんなに辛辣なのだろう? キルケの美貌に恵まれたこの娘が、この馬鹿で愚かなわがまま娘が、ユージンの求愛を許して、屈服して、もしかしたらユージンの気を引こうとして、こんなことをしたからだ。二人が幸せに結ばれているように見えたにもかかわらず、スザンヌはユージンをアンジェラから引き離してしまった。スザンヌは二人がそうではないことを知らなかった。この調子では、ユージンは本当に、子供がいれば子供もろともアンジェラを捨てるかもしれない。それがこの娘にかかっていた。アンジェラがスザンヌに影響を与えられなかったら、何らかの形で負担になる圧力をかけられなかったら、ユージンはあっけなくアンジェラのものではなくなってしまうかもしれない。これは何という悲劇だろう! 今、彼を手放すことはできなかった。だって、六か月後には……! アンジェラは別れがもたらす惨めさを考えて震えた。彼の地位、二人の子供、上流社会、このアパート。神さま、もし彼が今、彼女を見捨てたら、彼女は狂ってしまうだろう!
「ねえ、ユージン」アンジェラは実に悲しそうに言った。この時、声に怒りはまったくなかった。あまりにもズタズタにされ、怯えて、気が動転していたので、つきまとって離れない恐怖の感覚以外は何も感じなかった。「あなたは自分がどんなひどい間違いをしているのかわかっていないのよ。私は目的をもってこれをやったのよ、ユージン。本当よ。昔、フィラデルフィアでサニフォア夫人と一緒に、子供を産めるかどうかを確かめに医者のところに行ったことがあるの。あなたも知ってるでしょうけど、私、自分にはできないんだってずっと思ってたわ。でもね、先生は私にできるっておっしゃったの。あなたに落ち着いてもらうためにも、そういうものが必要だと思ったからやったのよ、ユージン。それをあなたが望んでいないことは知っていたわ。話せば怒るだろうって思ったわ。長い間、行動に移さなかったわ。私だって欲しくはなかったもの。もし持つなら小さな女の子がいいかもしれないとは思ったわ。だって、あなたが小さな女の子を好きだってことは知ってるから。今夜起きたことを前にすると、今は馬鹿馬鹿しく思えるわ。自分がどんな間違いをしたのかがわかったわ。その間違いが何なのかもわかったわ。でもね、悪気があったわけじゃないのよ、ユージン。そんなつもりじゃなかったの。私はあなたをつなぎとめたかったし、何かの形で私に結びつけたかったし、あなたの助けになりたかったの。全部私が悪いのかしら、ユージン? 私はあなたの妻よね、わかってるでしょうけど」
ユージンは苛立たしげに体を動かした。アンジェラはどう続けていいのかよくわからなくなっていったん話をやめた。アンジェラは、彼がどれほどひどく苛立っているのか、どれほど胸を痛めているのか、を理解できたが、それでもユージンのこの態度には憤慨した。アンジェラはずっと、自分は彼に対して多くの正当な権利がある、道徳的な、社会的な、ユージンがそう簡単に無視できないその他の権利がある、と想像していたので、耐えるのがとてもつらかった。今ここで彼女は、病に伏し、疲れながらも、自分の正当な権利……と、これから生まれてくる子供の権利……をユージンに訴え続けた。
「ねえ、ユージン」アンジェラは悲しそうに言ったが、その声に怒りはまったくなかった。「お願いですから間違いを犯す前に考えてください。あなたは本当はあの娘を愛してないわ。愛してると思ってるだけよ。あなたはあの娘が美しくて、いい子で、優しいと思うから、すべてをめちゃめちゃにしてでも私と別れるつもりでしょうけど、あなたはあの娘を愛していないわ。いずれわかるでしょうけど。あなたは誰のことも愛さないのよ、ユージン。あなたにはできないのよ。だって自分勝手すぎるんですもの。もしあなたの中に本物の愛情があったなら、多少は私のところにも来たでしょうね。だって私は良い妻であろうと努力したんですから。でもすべては無駄だったわ。あなたがこの数年ずっと私のことを好きではなかったのを知ってたわ。あなたの目を見てそれがわかったのよ、ユージン。あなたはやむをえないときとか、私を避けられなかったとき以外は、絶対に恋人のように私に近づいて来なかったもの。あなたは冷たくて無関心だったわ。今振り返ってみれば、それが私をこうさせたんだってわかるのよ。私は冷たくて厳しい態度をとってきたわ。あなたの冷たさに合わせて私も冷たく接しようとしてたのよ。それがどう自分に跳ね返ったのか今わかったわ。ごめんなさい。でも、彼女のことだけど、あなたは彼女を愛してはいないし、これからも愛することはないわ。彼女は若すぎるもの。あなたの考えに合う考えなんかもってないわよ。あなたは彼女が優しく穏やかで、それでいて大物で賢いと思ってるんでしょうけど、もしそうだったら、今夜みたいにあんなところに立って私の目を見て……私よ、あなたの妻なのよ……その上で私に向かってあなたを愛してるって言ったのよ……あなたをよ、私の夫よね? もし恥を知る人なら、自分のしていることを知りながらあの場にいたかしら。だってあなたは彼女には話してあったんでしょ? とにかく、それってどういう娘なのかしら? あなたはいい娘って呼ぶのかしら? いい娘ね! いい娘がこういうことをするかしら?」
「上っ面をなぞって議論して何になる?」さっきまでずっと反論を叫び、辛辣な意見でアンジェラをさえぎっていたユージンが尋ねた。「あの状況は何だって悪く見せてしまうだろ。彼女は、僕を愛してる、ってきみに言わなくてはならない立場に自分が置かれるとは思ってなかったんだ。彼女がここに来て、僕がこのアパートで彼女に言い寄るように仕向けたんじゃなく、僕が彼女に言い寄ったんだ。彼女は僕を愛している。彼女が僕を愛するように、僕が仕向けたからだ。僕はこの他のことは知らなかった。もし知っていたとしても、何も違わなかっただろうね。まあ、なるようになるんだから。そういうものだからね。僕は彼女を愛している。あるのはそれだけだよ」
アンジェラはじっと壁を見つめた。中途半端に枕によりかかった。今は話す気力も戦う力も何も持っていなかった。
「私はあなたの何が問題なのかわかったわ、ユージン」しばらくしてアンジェラは言った「束縛されるのが嫌なのね。私に限ってのことじゃなく、誰にでもそうなんだわ。要するに結婚よね。あなたは結婚を望まないのよ。これまでにあなたを愛して結婚したかもしれないどの女性とも、あるいは何人子供がいても同じでしょうね。あなたは妻子から逃げたくなるんだわ。それがあなたを苛立たせる束縛だからよ、ユージン。あなたは自由が欲しいのよ。それを手に入れるまであなたが満足することはないわ。子供がいても何も変わらない。今ようやくそれがわかったわ」
「僕は自由が欲しいんだ」ユージンは苦々しく、無思慮に叫んだ。「それ以上のものもだ、僕はそれを手に入れるんだ! なりふり構っていられるか。嘘をついたり体裁をつくろうのはもうたくさんだ。きみが正しいとか間違ってると思うものについての、ありふれた、ちっぽけな、つまらない考え方にうんざりしてるんだよ。僕はもう十一年、いや十二年もそれを我慢してきたんだ。毎朝、朝食で、毎晩、夕食で、自分が望んでもいない時間の大半を、きみと一緒に座ってきたんだ。僕はきみの言うことを一言も信じていなかったし、きみの考えなどどうでもよかったけど、きみの人生観を聞いてきた。きみの感情を傷つけないためにもそうするべきだと思ったから、僕はそうしてきた。だけどそれもすべて終わりだ。僕は何を手に入れたんだい? 監視され、反対され、手紙はないかとポケットを探られ、一晩外泊して事情を報告しないと文句をつけられる身分かい。
どうしてリバーデイルの一件の後で僕と別れなかったんだい? 僕がきみを愛していないのに、どうしてきみは僕にしがみつくんだい? 人は、僕が囚人できみが看守だと思うよ。畜生め! そう考えるだけで、気分が悪くなる! まあ、これ以上こんなことを心配しても仕方がない。すべてが終わったんだ。すべてがきれいに終わったよ。僕はこれを終わらせる。これから僕は自分の人生を生きていくよ。何か自分に合う将来を切り開くんだ。本当に愛せる人と一緒に暮らすよ。それがこの目的だ。さあ、きみも何でも自分のやりたいことをやりに行けばいい」
ユージンは手綱を振り切った若馬のようだった。後ろ脚で立ちあがって突進すれば、永遠に自由になると思っていた。緑の野原や楽しい牧草地のことを考えていた。アンジェラがあれだけ言ったのに、ユージンは今、自由だった。この夜が彼をそうさせたのだ。彼は自由であり続けるつもりだった。スザンヌは僕のそばにいてくれる、彼はそう感じた。何があろうと二度と元どおりにはならない、とアンジェラにはっきり言うつもりだった。
「そうね、ユージン」この点についてのユージンの言い分を聞いた後で、アンジェラは悲しそうに答えた。「あなたは自由になりたいのね、ようやくあなたのことがわかったと思うわ。それがあなたにとってどういう意味があるのか、わかり始めてきたわ。なのに私ったらとんでもない間違いを犯してしまったのね。あなたは少しでも私のことを考えているのかしら? 私はどうすればいいの? 私が死なない限り、子供が生まれるのは本当よ。私は死ぬかもしれない。私はそれが怖いの、いえ、怖かったの。でも今は怖くないわ。私が生きたい唯一の理由が、その子の世話をすることになるからよ。まさか自分がリウマチになるとは思わなかったわ。自分の心臓がこんな風に影響を受けるとは思わなかったの。あなたがあんなことをする人だとは思わなかったけど、今さらそんなことはどうでもいいわ。ああ」アンジェラは悲しそうにった。目に熱い涙があふれた。「すべてが間違いだなんて! こんなことするんじゃなかった!」
ユージンは床を見つめた。彼の心は少しもぐらつかなかった。彼はアンジェラが死ぬとは思わなかった……そんな都合のいい話はない! これはただ物事を複雑にしただけだ、あるいはアンジェラは演技をしているのかもしれないが、これは自分の邪魔にはなりえない、と考えていた。どうしてアンジェラはこんなやり方でだまそうとしたのだろう? とんだへまをしたものだ。今、アンジェラは泣いているが、どうせそんなものは彼女がよく使った昔ながらの偽りの感情だ。ユージンは全面的にアンジェラを見捨てるつもりはなかった。彼女は生活費をたっぷり手にすることになるだろう。ただ、できれば、あるいはただの名ばかりであっても、とにかく、彼はアンジェラと一緒に暮らすつもりはなかった。彼の時間は大部分はスザンヌに与えられるべきだった。
「僕はいくらかかっても構わないよ」ユージンは最後に言った。「僕はきみと一緒に暮らすつもりはない。僕はきみに子供を産んでほしいと頼まなかった。これは僕のせいじゃない。きみが経済面で見捨てられることはないよ。だけど僕はきみと暮らすつもりはないからね」
ユージンは再び身じろぎした。アンジェラは頬を真っ赤にして見つめた。この男の非情さは一瞬でアンジェラを怒らせた。アンジェラは自分が飢えるとは思わなかった。しかし二人の向上していた環境、家庭、社会的地位は完全に崩壊するだろう。
「ええ、そうね。私はわかったわ」自分を抑えようと努力しながら言い聞かせた。「でも考慮すべき相手は私だけじゃないわよ。あなたはデイル夫人のことは考えているの? 彼女なら何をして何を言うかしら? もし彼女がこれを知ったら、これに何の手も打たないで、あなたにスザンヌを連れて行かせたりしないわ。彼女は有能な女性よ。スザンヌのことだって愛してるわ、たとえどんなにわがままな娘であってもね。今はあなたに好意的でも、あなたが彼女の娘をどうしたがっているのかを知ったら、いつまであなたに好意的でいてくれると考えてるの? あなたはあの娘をどうするつもりなの? たとえ私があなたと離婚する気になったとしても、一年以内にあの娘と結婚することはできないわよ。その程度の期間じゃ離婚だって至難の業だわ」
「僕は彼女と一緒に暮らすよ。それが僕のやろうとしていることなんだ」ユージンはきっぱり言った。「彼女は僕を愛してるし、ありのままの僕を受け入れてくれるんだ。結婚式も指輪も誓いも束縛も彼女には必要ないんだ。そんなものを信じてないからね。僕が彼女を愛していれば、それでいいんだ。僕が彼女を愛さなくなったらもう僕を必要としないのさ。そういうところに多少の違いがあるんじゃないかな?」ユージンは辛辣につけ加えた。「ブラックウッドじゃそうはいかないだろ?」
アンジェラは頭を反らして怒りを表した。ユージンのあざけりは残酷だった。
「彼女はそう言ってもね、ユージン」アンジェラは静かに答えた。「彼女に考える時間はなかったでしょ。あなたが一時的に彼女に催眠術をかけたんでしょ。彼女は魅了されたんだわ。もし良識かプライドでもあれば、後で立ち止まって考えたときに……でも、ああ、何で私が話さなくちゃいけないのかしら、あなたは聞こうともしないのに。考える気もないでしょ」それからアンジェラはつけ加えた。「でもデイル夫人のことはどうするつもりなの? 私が戦わなくても、デイル夫人があなたに戦いを挑むとは思わないの? 私はあなたに立ち止まって考えてほしいのよ、ユージン。あなたがやっていることは恐ろしいことなのよ」
「考えろ! 考えろだと!」ユージンは猛然と激しく叫んだ。「まるで僕がこの何年もずっと考えていなかったみたいだな。考えろだと! 畜生! 僕は考える以外何もしてこなかったよ。僕の中で魂が病気になるまで考え続けたさ。考えるのをやめられたらいいのに、と神さまに願うほど考えたさ。デイル夫人のことだって考えたさ。きみが彼女の心配までするな。彼女とは後で僕がこの問題の決着をつける。今はきみに、僕がしようとしていることをわかってもらいたいんだ。僕はスザンヌを手に入れるつもりだ。きみは僕をとめられないからね」
「ああ、ユージン」アンジェラはため息をついた。「何かがあなたの目を覚ましてくれたらいいんだけど! 私にも責任の一端はあるわね。私は厳しくて、疑り深くて、嫉妬深かったわ。でもそうなった原因はあなたが私に与えたんじゃない? 私は今になって自分が間違っていたんだとわかったわ。私は厳しすぎたし嫉妬深すぎたわね。でもあなたが試させてくれるなら、私、改められるわ」(アンジェラは今、死ぬことではなく生きること考えていた)。「私ならできるもの。あなただって失うものがたくさんあるでしょ。この変化はそれに見合うものかしら? 世間がこういうことをどう見るかをあなたはよく知ってるはずよ。たとえこの状況であなたが私から自由になったとしても、世間はどう考えると思ってるの? あなただって自分の子供は捨てられないでしょ。どうなるかを見届けてからでもいいんじゃない? 私は死ぬかもしれないわ。よくあることでしょ。そうなれば、あなたは自由になって好きなように行動できるわ。それまであともう少しなのよ」
これは彼をつなぎとめるために計算されたのまことしやかな懇願だった。 しかしユージンはこれを見破った。
「まっぴらだね!」ユージンは当時の悪態を叫んだ。「僕はすべてお見通しだよ。きみが考えていることくらいお見通しなんだ。第一、僕は、きみがきみの言っている通りの状態だと信じてはいないからね。次に、きみが死ぬことはないだろう。僕は自由になるのを待つつもりはない。僕はきみを知っている。僕はきみを信じてない。僕のやることが、きみの状態に影響を及ぼすことはない。きみが飢えることはないよ。きみがこの件で大騒ぎをしなければ、誰も知らずに済むんだ。スザンヌと僕が二人の間で決めればいいんだから。僕はきみが何を考えているのかを知っている。きみには邪魔はできないよ。もし邪魔をしたら、目につくものをみんなぶち壊してやる……きみだって、このアパートだって、僕の仕事だってね……」ユージンは必死になって、覚悟を決めて、両手を握りしめた。
ユージンが話をする間、アンジェラの両手の神経は疼き続けた。目が痛み、心臓がドキドキした。アンジェラは、この腹黒い、腹をくくった男も、その残忍で頑なな態度も理解できなかった。これがあの、自分の近くでいつも静かに動きまわり、時々怒ることはあってもいつも申し訳なさそうに謝っていたユージンだろうか? アンジェラは友人の何人か、特にマリエッタに、ユージンならこの小指で意のままに操れると、親しげに、冗談めかして自慢したことがあった。ユージンは基本的にとてもおおらかで、とても静かだった。ここにいる彼はまるで怒り狂う悪魔だった。欲望という悪霊に取り憑かれ、この問題のために、自分の、アンジェラの、スザンヌの人生を根こそぎにして引き裂いていた。しかしアンジェラはもうスザンヌもデイル夫人も気にしていなかった。彼女の真ん前にぼんやりと姿を見せ始めた彼女自身の破綻した人生とユージン人生は、彼女を恐怖に陥れた。
「コルファックスさんがこれを聞いたらどうするとあなたは思っているの?」アンジェラはユージンが恐れをなすことに期待して必死に尋ねた。
「コルファックスさんが何をしようが、何ができようが、僕の知ったことじゃない!」ユージンは格言のように答えた。「誰が何をしようが、何を言おうが、何を考えようが、僕の知ったことじゃない。僕はスザンヌ・デイルを愛してる。彼女も僕を愛してる。彼女は僕を求めてるんだ。だからこういう結末がある。僕はもう彼女のところに行くからね。もし僕をとめられるものなら、とめてみろ」
スザンヌ・デイル! スザンヌ・デイル! この名前はどれほどアンジェラを怒らせ、怯えさせただろう! アンジェラは今までこれほどはっきりと美の力を目の当たりにしたことはなかった。スザンヌ・デイルは若くて美しかった。アンジェラは今夜でさえ、何て魅力的なのかしら……何て端正な顔立ちなのかしら……と考えながらスザンヌを見ていた。そしてここでユージンはそれに魅了されて、すっかりまいっていた。ああ、美の恐ろしさ! 社交生活全般にわたっての恐ろしさ! どうしてもてなしてしまったのだろう? どうしてデイル家と仲良くなってしまったのだろう? しかしこの時同じくらい美しくて若い女性は他にもいた……マージョリー・マクレナン、フローレンス・リール、ヘンリエッタ・テンマン、アネット・キーン。この中の誰が相手でもおかしくなかった。ユージンの人生から若い女性がすべて締め出されることを期待できるはずもなかった。そうではない、問題はユージンだ。人生に対するユージンの態度だった。美しさ、それも特に女性の美しさに彼は熱狂した。今ようやく彼女はこれを理解できた。彼は本当はあまり強くなかった。美はいつも肝心なところで彼の足をすくった。彼女はそれを自分自身との関係の中で見たことがあった……彼女の容姿の美しさを彼は称賛した、もしくは称賛したことがあった。「神さま」アンジェラは無言で祈った。「今、私に知恵をお与えください。力をお与えください。私はそれに値しませんが、お助けください。彼を救うために私に力をお貸しください。私を救うために私に力をお貸しください」
「ああ、ユージン」アンジェラは絶望に満ちた声をあげて言った。「あなたに立ち止まって考えてほしいのよ。朝のうちにスザンヌを自宅に帰らせて、あなたには良識をわきまえて冷静でいてほしいの。私のことは気にしません。私が許して忘れればいいんだから。決してこの件には触れないってあなたに約束します。子供が生まれても、あなたに迷惑がかからないよう精一杯がんばります。だったら産まないようにするわ。まだ遅くはないかもしれない。私は今日から変わります。ああ!」アンジェラは泣き始めた。
「だめだ! 絶対にな!」ユージンは立ち上がりながら言った。「だめだ! だめだ! だめだ! もう終わったんだ。おしまいだ! 偽物のヒステリーと涙はもうたくさんだ。泣いたかと思えば、次は怒りと憎悪だ。うまいよ! うまい! うまいもんだ! 何もしなくていい。きみは十分長い間、主人であり看守だったんだから、今度は僕の番だ。ここはひとつ趣向を変えて、僕が少し牢番をやって服務規程を定めよう。僕が主人の座について、そこに居座ってやる。泣きたければ泣けばいい、子供のことだってきみの好きにしていいよ。僕の話は終わりだ。疲れたから寝るよ。でもこの件はこのままでいくからね。僕の話は終わりだ。これについてはこれがすべてだ」
ユージンは怒って猛然と部屋を出て行った。しかしアンジェラ側から見てアトリエの反対側にある自分の部屋にたどり着くと、座り込んで眠らなかった。ユージンの頭はスザンヌのこと考えて興奮していた。 あっけなくめちゃめちゃに壊れた古い秩序について考えた。もし彼が主人のままでいられれば、できるのだ。彼はスザンヌを手に入れるつもりだった。必要であれば、間違いなく秘密裏に、スザンヌは彼のもとに来るだろう。二人はアトリエを、二つ目を構えるつもりだった。アンジェラは離婚に応じないかもしれない。もし彼女の言うことが本当だったら、彼女にできるはずがなかった。彼は彼女にそうしてほしくなかったが、さっきの会話から、彼女は彼をとても恐れているから、何の騒ぎも起こさないだろうと思った。アンジェラが実際にできることは何もなかった。ユージンが確実に主人の座につき、そこに居座るからだ。彼はスザンヌを手に入れ、アンジェラには十分なものを与え、これまでに何度も見てきたすてきな大衆向けのリゾート地をすべて訪れるつもりだった。ユージンとスザンヌは一緒に幸せになるだろう。
スザンヌ! スザンヌ! ああ、彼女は何て美しいのだろう! 今夜、どれほど気高く勇ましく彼女がユージンの傍らに立っていたかを考えてみればいい。どれほど甘ったるく彼の手に彼女の手をすべり込ませて「でも私は彼を愛してるんです、ウィトラさん」と言っただろう。確かにスザンヌは彼を愛していた。そこに疑問の余地はななかった。スザンヌは若くて、気品があり、感性と感受性が芽生えていく中で美しく完成していた。すばらしい女性へと、本物の女性へと、成長しようとしていた。そして彼女はとても若かった。今、彼が自由の身でないとは何と残念なことだろう! さあ、待つんだ。これですべてがうまくいく。その間に彼はスザンヌを手に入れるつもりだった。スザンヌに話をしなければならなかった。状況を説明しなければならなかった。かわいそうな小さなスザンヌ! 彼女は自分がどうなるのかを考えながら、向こうの自分の部屋にいた。そしてユージンはここにいた。さずがに今夜はスザンヌのところに行くことはできなかった。それは健全には見えなかったし、それに、アンジェラがまだ戦いを挑んでくるかもしれなかった。しかし、明日ならば! 明日にしよう! 明日、ユージンはスザンヌと散歩して、話をして、二人で計画を立てるつもりだった。明日、ユージンは自分がやりたいことをスザンヌに打ち明けて、スザンヌに何ができるかを調べるつもりだった。
第十一章
この夜はこれ以上の出来事は起こらずに過ぎた。しかしこれはこのとおり、ユージンの経験の中で最も驚くべき恐ろしい夜だった。彼が予期した事態は、実は彼にもあまりはっきりしていなかったが、アンジェラが部屋に入ってくるまで、まさかこれほど劇的で最大の見せ場が起きるとは本当に予期していなかった。どのようにして、いつ、なぜ、そうなるのかはわからなかったが、横になって考える間に時々、最終的にスザンヌをあきらめなくてはならなくなるかもしれない、と想像することがあった。彼は文字通りスザンヌに夢中だった。こういう事が実際に起こるとは考えられなかった。また別のときには、この目に見える人生、この五感で確認できる人生の外の力が、彼が完全に幸せになれるように、彼のために人生をこうして美しく仕上げてくれたのだと想像した。ユージンはずっと、自分は多かれ少なかれ、基本的には多かれだが、運命的な人生を歩んでいると思っていた。自分の絵の才能は天賦のものである、ある意味で自分はアメリカの芸術に革命をもたらすか、一歩前進させるために送り込まれたのであり、自然はこうやって絶えず使徒か特別な代表を派遣し、それを見守っては満足している、と考えた。かと思えば、自分は、マクベスを取り囲んで悲劇的な最期を遂げさせた力のような、不吉な悪意の力の遊具かおもちゃかもしれない、そしてそれが自分を見せしめにしようとしているのかもしれない、と想像した。彼が時々人生を見たとおりに、人生は特定の人たちにこういうことをしていそうだった。運命は嘘をついた。すてきな、甘い言葉で誘う魅力が、ただ人を破滅へと導くためだけに差し出された。彼はこうやって破滅させられたように見える人たちを見たことがあった。彼もそういうふうに扱われるのだろうか?
アンジェラの思いがけない異例の発表は、これをそういうに見せた。しかしユージンはこれを信じなかった。人生はある目的のためにスザンヌを送り出してユージンの行く手を横切らせた。運命あるいは力は、ユージンが惨めで不幸であることを知っていた。彼は神さまのお気に入りの子供なので、彼女を手に入れることによって、苦しんだ分が報われることになった。彼女は今ここにいた……言わば、一刻も早く彼のものになるようにと、いきなり、強引に、彼の腕の中に押し込まれたのだ。逢い引きのために自分のアパートに連れ込んで現場を押さえられたのは、今は何とも愚かに思えたが、運命の手は何と幸運でもあったのだ! 間違いなく、これは意図されたものだった。いずれにせよ、、ユージンの恥、アンジェラとスザンヌの恥、それぞれが今耐えている恐ろしい瞬間と時間……こういうものが不幸にして何かの避けられない大きな調整に巻き込まれた。こうなるしかなかったのかもしれない。これは不幸な人生を送り続けるよりましだった。彼は自分には本当はもっといいもの……偉大な生涯……がふさわしいと考えた。彼は今、何らかの方法でアンジェラとこの問題を調整するか、彼女と別れるか、あるいはスザンヌとの交際を邪魔されずに楽しめる取り決めをしなければならなかった。干渉があってはならなかった。ユージンはスザンヌをあきらめるつもりはなかった。子供が生まれるかもしれない。それは仕方がない。子供は養うが、それだけだった。彼は今、できればあなたと一緒に暮らしたいと言ってくれたスザンヌとの会話を思い出した。その時がきたのだ。アトリエを構える計画はさっそく実行に移されるべきだ。これは秘密にしなければならなかった。アンジェラは気にしないだろう。彼女はどうすることもできなかった。ただ今夜の出来事がスザンヌを怖気づかせて後戻りさせることにならなければいいのだが! 彼は、今夜彼女が聞いた以外の方法でアンジェラをどうやって追い出すつもりかを説明したことがなかった。ユージンはスザンヌが、二人はこの暫定的な形で愛し合ってアトリエで一緒に暮らし、おそらくは世間がどう思うかを気にせずに、彼女の弟と妹とアンジェラを無視して、ユージンだけと幸せになれる、と考えているのを知っていた。彼は一度もスザンヌを幻想から目覚めさせようとしなかった。彼自身がははっきりと考えていなかった。彼女の美しい心と体の交わりを望みながら、当てもなく突き進んでいた。今、彼は、行動しなければならない、さもなければ彼女を失わねばならないことを理解した。アンジェラが言ったことを踏まえてスザンヌを納得させるか、手放さなければならなかった。おそらくスザンヌは、完全に別れるくらいならむしろ彼のところに来たがるだろう。彼は話し、説明し、このすべてがどういう罠なのかを彼女に理解させなくてはならなかった。
アンジェラは眠りはしなかったが、暗闇の中で天井を見つめながら横になっていた。目は絶望しきっていた。朝が来ても、彼らの結論は昨夜のところから何も進展がなかった。それぞれが個別にはっきりと大きな悲劇か変化が迫っていることを知っただけだった。スザンヌは何度も考えた。あるいは考えようとしたが、彼女の血と情熱の衝動はユージンに向いていて、自分たちの視点からこの状況を見ることしかできなかった。彼女は自分がユージンを愛していると思った……彼は彼女のために多くの犠牲を払う用意があるのだから、彼女も彼を愛さなければならないと思った。しかし同時に彼女には奇妙な当惑させる曖昧さがあった。もしこの時ユージンがこれに完全に気づいていたら、それは彼を恐怖に陥れていただろう。今の彼女は、人生と愛の美しさに驚いて喜んでいた……楽しいことが一生ずっと自分のところにやって来ると宿命のように考えて安心していた……楽しくて仕方がなかった。彼女にはユージンの立場の厳しさがわからなかった。愛の至福を本当に一度も味わったことがなく、どんなに愚かであろうと富にまつわる物を欲しがり、しかも一度も手に入れたことがなかった人の苦悩が、彼女に理解できるはずがなかった。ユージンは最初の一口味わった後でこのすばらしい喜びが永遠に取り上げられてしまうのを恐れて、自分の部屋の暗闇の中でぴりぴりしていた……ぴりぴりしながら、それでも手を伸ばしていた。いっぱいに広げた両手はもう少しで、目の前にあるように見えた人生の輝きに届きそうだった。しかし、人生がすでに多くのものを与えていたスザンヌは、すべての享楽がすでに獲得されてのんびりと堪能されていた眠けを誘う楽しいポビーの花畑の代わりが務まるかもしれないほどの、ある種の静かな安らぎの中でくつろいでいた。スザンヌにとっては最悪の状態の人生でも、それほど悪くなかった。ユージンによってある程度鎮められ、何事もなかったように過ぎ去ろうとしているこの嵐を見ればいい。物事は放っておけば、そのうちひとりでにおさまるのだ。スザンヌは、何が起ころうと災いは自分に降りかからない、といつも確信していた。そしてここでも、ユージンの自宅でさえも、ユージンに言い寄られて守られたのだ!
だから、この状況でスザンヌは、ユージンのことも、アンジェラのことも、自分のことも悲しんではいなかった。彼女にはできなかった。そういう性格があるのだ。ユージンの経済力なら彼と彼女とアンジェラの面倒を見られると思った。彼女は本気で、この不幸な結婚が解消されて、ユージンと、おそらくはアンジェラも本当にもっと幸せになるもっといい日が来るのを心待ちにしていた。彼女はユージンにもっと幸せになってほしかった。これに関してはアンジェラも……ユージンの幸せはアンジェラ次第であるように思えたので、できれば、彼女を通して……幸せになってほしかった。しかしユージンとは違って彼女はすでに、もしそうしなければならないなら、自分は彼がいなくても十分に生きていける、と考えていた。彼女は望まなかった。彼女は、自分の最大の幸せが終わった不幸と苦悩を彼に返すことにある、と感じた。たとえ二人が一時的に別れなければならなくても、それはあまり大きな影響を及ぼさなかっただろう。時間が二人を引き合わせるからだ。でも、もしそうならなかったら……いや、なるだろう。どうしてそうならないと思うのか? しかし、彼女の美しさが、彼女には重要であるように思えなかったただの肉体的な美しさが、ユージンをこれほど夢中にさせるとは、何とすばらしいことだっただろう。彼女はユージンの体の主要部を蝕んでいた本物の肉体的苦痛を知らなかった。しかし彼が狂ったように彼女に夢中であることは明らかだった。彼の顔全体と、強烈な喜びとほとんど苦悶を浮かべて彼女に釘付けの燃えるような黒い両目が、これを証明した。彼女はそんなに美しかっただろうか? そんなことはなかった! しかし、彼はこんなにも彼女に思いを寄せていた。それに、これはとても楽しかった。
スザンヌは明け方起き出して、静かに身支度を始めた。散歩でもしようと思い立ち、どこに来れば会えるかがわかるメモをユージンのために残した。その日は約束を一つかかえていた。その後は家に帰らなくてはならなかったが、物事は順調に運ぶだろう。母親に言いつけるというアンジェラの決心をユージンが無理やり断念させたのだから、すべてがうまくいくに違いない。彼女とユージンは会うつもりだった。彼女は家を出てユージンのものになり、ユージンが望むところならどこへでも行くつもりだった。ただ、彼女の視点から物事を見るように母親を説得して、後でここで両者の間で何らかの合意が得られればいいと思った。アンジェラとユージンのここでの立場があるから、こうするのがいいと思った。若さと、ロマンチックで突飛な人生観のせいで、彼女は自分なら母親を説き伏せられる、自分とユージンはどこかで一緒に平和に暮らせる、と思い込んだ。友人たちはこの状況に気がつかないかもしれない。あるいは友人になら、そのうちの何人かになら、話してもいい。これはとてもすてきで自然なことだから、彼らは賛成してくれるかもしれない!
しばらくしてユージンが物音を聞きつけ、起きてスザンヌの部屋に行き、ノックした。ほぼ服を着終わった状態でスザンヌがドアを開けると、痛いほどの動悸が彼の心臓を駆け抜けた。てっきりスザンヌがもう自分に会わないでこっそり出て行くつもりでいると思ったからだ……二人は本当にお互いをあまり知らなかった。しかし、少し冷ややかだからか、じっとして動かないからか、熟慮の結果と自分の立場の特殊性から正気に返ったからか、そこに立つ彼女はこれまで以上に美しく見えた。
「出て行くんじゃないよね」スザンヌが不審そうな目で自分を見上げたのでユージンは尋ねた。
「散歩に行こうと思ったのよ」
「僕抜きでかい?」
「会えるなら会うし、会えなければ、あなたが追いかけてこられるようにメモを残すつもりだったわ。あなたなら来ると思ったから」
「待っててくれるかい?」生きるためには永遠に彼女をそばに置いておかねばならないように感じたのでユージンは尋ねた。「ほんのちょっとだよ。服を着替えたいんだ」ユージンは彼女を抱きしめた。
「はい」スザンヌは優しく言った。
「僕を置いて行かないよね?」
「いかないわ。どうしてそんなこと聞くの?」
「それは、きみを愛してるからだよ!」ユージンは答えると、彼女の頭を反り返らせて、うっとりした様子で彼女の目をのぞき込んだ。
スザンヌはユージンの疲れた顔を両手で受け止めて、じっと彼の目を見つめた。ユージンのせいで彼女は、愛情のこの最初の爆発の中ですっかりのぼせ上がってしまい、彼以外は何も見えなかった。ユージンはとても美しく、とても飢えているように見えた! 今の彼女には、自分が彼の妻の家にいることも、彼の愛情が明らかに邪悪なものと複雑に絡み合っていることも、問題ではなかった。彼を愛していた。一睡もしないで一晩中ユージンのことばかり考えていた。彼女はとても若かったから、はっきりと論理的に考えるのはまだ難しかった。しかし、どういうわけか彼女には、ユージンがとても不幸な境遇で、夫婦仲は険悪で、彼が自分を必要としているように思えた。彼はとても上品で、とても清潔で、とても有能だった! 彼はアンジェラを求めないのに、どうして彼女は彼を求めるのだろう? ユージンと一緒にいなければ、彼女は何も苦しむことはないだろう。なのに、どうして彼をつなぎとめたいのだろう? もし自分がアンジェラの立場だったら、そんなことはしないだろう。子供がいたら、それが何か大きな影響を及ぼすのだろうか? ユージンが彼女を愛していないのに。
「私のことは心配しないで」スザンヌは励ましの言葉をかけた。「愛してるわ。そんなこともわからないの? 私、あなたに話さなくちゃならないことがあるの。私たちは話し合わないといけないわ。奥さんはどんな様子なの?」
スザンヌは、ウィトラ夫人はどうするつもりなのか、母親に電話するつもりなのか、ユージン争奪戦はすぐに始まるのか、を考えていた。
「ああ、相変わらずさ!」ユージンはげんなりして言った。「散々話し合ったよ。僕がどうするつもりでいるのかを説明しておいた。そのことは後できみにも話すよ」
ユージンは着替えに行って、それからアンジェラの部屋に入った。
「スザンヌと散歩してくる」支度が整うとユージンは一方的に言った。
「わかったわ」アンジェラは言った。気絶しかねないほど疲れていた。「夕食には帰って来るの?」
「わからない」ユージンは答えた。「帰ったらどうだというんだい?」
「あなたが帰って来ないのなら、メイドとコックは待っていなくてもいいでしょ。それだけよ。私は何もほしくないもの」
「看護婦は何時に来るんだい?」
「七時よ」
「じゃあ、食べたければ夕食の支度はできるわけだね」ユージンは言った。「四時までに戻るようにするよ」
スザンヌのいるアトリエの方に歩いて行くと、彼女が待っているのを見つけた。顔は白く、目は少しうつろだったが、力と自信に満ちていた。これまでもたびたびこういうことがあったが、このときユージンは、彼女の若い体に漂う自立心と頼もしさに気がついた。これは過去にとても強く楽しく彼を感動させたものだった。人を無気力にすると思われたかもしれない環境下で育てられたにもかかわらず、スザンヌは勇気と才能に満ちたすばらしい少女だった。昨夜の重圧下で発せられた、自分の問題がきちんと整理できるまでホテルに行って家には帰らないという彼女の言葉は、ユージンを大いに感動させていた。彼女に本当に立派なものがなかったら、どうして社会に出て自分で働こうなどと考えただろう? 父親の遺言で彼女は財産を相続することになっている、と母親が言うのをユージンは一度聞いたことがあった。今朝のスザンヌの一瞥は自信に満ちていた。ユージンは車を呼ぶのに電話を使わず、スザンヌと一緒に車道に出て、グラント将軍の墓に向かって北上する川を見下ろす石垣に沿って歩いた。朝食を取りにクレアモント・インに行き、その後は車でどこかに行こうと思いついた……あてはまったくなかった。スザンヌが誰かに見られるかもしれないし、ユージンもそうだった。
「さて、どうしようか?」冷たい朝の空気が顔をなでる中でユージンは尋ねた。すばらしい日だった。
「私は構わないわ」スザンヌは答えた。「今日、アルマーディングさんのところへ行くって約束をしたけど、時間は言わなかったから。夕食が終わるまでに私が着かなくても、向こうは何とも思わないわ。あなたの奥さんは、うちの母に電話をするかしら?」
「するとは思わないな。実は、しないと確信してるんだ」ユージンは、アンジェラが何もしないと言ったときの最後の会話について考えていた。「きみのお母さんは、きみに電話をするかな?」
「しないと思うわ。私の行き先を知ってるときは、いつも干渉しないもの。もし電話をすれば、私はまだ来ていないと先方が言うだけよ。もし母がこっちに電話をしたら、奥さんは母に言うかしら?」
「言わないと思うな」ユージンは言った。「絶対に言わないよ。アンジェラは考える時間が欲しいんだ。何もしないつもりでいる。今朝、僕にそう言ったんだ。僕がどうするつもりかがわかるまでは静観するつもりだよ。すべては僕たちの出方次第なんだ」
ユージンは川を眺めながら、スザンヌの手を握って歩き続けた。時刻は七時十五分前。車道は割と空いていた。
「もし奥さんが母に言ったら、とても厄介なことになるわ」スザンヌは考えながら言った。「奥さんが言わないって本当に思ってる?」
「言わないのは確かだ。間違いないよ。彼女はまだ何もしたくないのさ。これは危険過ぎるからね。どうせ僕が戻ってくると高をくくってるんだと思う。ああ、僕は何て生活を送ってたんだ! きみの愛を手に入れた今となっては、夢みたいな話だけど。きみは全然違うよ、寛大だしね! 態度だってとても献身的だ! この何年ずっと、小さなことまでいちいち指図されてきたんだ。これは彼女のとっておきの罠なんだ!」
ユージンは悲嘆にくれて首を振った。スザンヌは彼の疲れた顔を見た。彼女自身の顔はその日の朝のように清々しかった。
「ああ、最初からきみが僕のものだったらよかったんだがなあ!」と付け加えた。
「ねえ、ユージン」スザンヌは言った。「私だって奥さんに申し訳ないと感じてるのよ。昨夜私たちがしたようなことは、するべきじゃなかったのよ。なのにあなたは私にさせたんだわ。あなたって手遅れになるまで絶対に私の言うことを聞かないものね。とんでもない石頭だわ! あなたが別れたくないのなら、あなたには奥さんと別れてほしくないわ。私のためにそんなことをする必要はないわ。別にあなたと結婚したいわけじゃないから、今はね、とにかく。もしあなたが望むのなら、私はこの身をあなたに捧げるわ。でもね、考えて計画を立てる時間がほしいのよ。もし母が今日聞いたら、とんでもないことになるもの。私たちに考える時間があれば、私たちで母を丸め込めるかもしれないでしょ。昨夜奥さんがあなたに話したことなんか、どうでもいいのよ。私はあなたに奥さんと別れてほしいわけじゃないから。私たちが何か調整をつけられればいいのよ。問題は母なんだから」
スザンヌはユージンの指を握りながら、つないだ手をゆらゆらさせた。スザンヌは深く考えた。母親が本当の問題だった。
「知ってるでしょ」スザンヌは続けた。「母は了見の狭い人じゃないし、理想的でない限り、結婚をあまり信じてないわ。奥さんの状況は、子供がいても、大して変わらないわ。私はこれについてずっと考えてきたの。これで私が幸せになって、しかもスキャンダルにもならないって母が思えば、母は何らかの取り決めを認めるかもしれない。でも、母と話をするには時間が必要よ。これは今すぐにはできないわ」
ユージンはスザンヌが自発的にした発言のすべてに驚いたように、これに対してもかなり驚いて耳を傾けた。彼女はこの問題を長いこと考えていたようだった。彼女は簡単に自分の意見を口にしなかった。発言と発言の間と考える間に、口ごもったり、ためらったりしたが、口をついて出たのはこれだった。これはどれくらい本気なのだろう、とユージンは訝った。
「スザンヌ」ユージンは言った。「呼吸が止まるかと思ったよ! きみは何てことを考えるんだ! 自分が何を言ってるのかわかってるのかい? きみは自分の母親のことをちゃんとわかってるのかい?」
「母のこと? ええ、もちろん、わかってるつもりよ。あなただって母がとても変わり者なのは知ってるでしょ。母は文学かぶれのロマンチストよ。自由についてはたくさん話すけど、私は母の言うことをすべて受け入れてはいないわ。母はほとんどの女性と違ってると思うの……母は特別だわ。母は私を娘というより、ひとりの人間として好きなのよ。私のことを心配してるわ。でもね、私は母よりも強いと思う。私がその気になれば、母を思いどおりにできると思うの。母は今、随分、私を頼りにしてるわ。もし私がやりたくなかったら、母は私に何もさせられないわよ。私なら母を私の考え方に近づけられると思うわ。私は何度もそうしてきたの。だから、もし時間があれば、今ならできるかもしれない気がする。私の思い通りに母を動かすには時間がかかるでしょうけどね」
「どれくらいかかるの?」ユージンは考えながら尋ねた。
「さあ、わからないけど、三か月、半年かな。私だってわからないわよ。でもやってみたいわ」
「それで、もしできなかったら、そのときはどうするの?」
「まあ、そのときは……そうね、そのときは逆らうわ、それだけのことよ。私にだってわからないって。でも私ならできると思う」
「もしできなかったら?」
「だからできるって。絶対にできるわ」スザンヌは浮かれて頭を反らした。
「そして僕のところへ来るんだね?」
「そしてあなたのところへ行くの」
二人は百丁目付近の木陰にいた。少し離れたところに歩行者が一人いるだけだった。ユージンはスザンヌに抱きついて、その口にしっかりとキスをした。「ああ、きみは女神だ!」ユージンは叫んだ。「ヘレンだ! キルケだよ!」
「だめよ」スザンヌはにこやかな目で答えた。「ここではだめ。車に乗るまで待って」
「クレアモントに行こうか?」
「お腹は空いてないわ」
「それじゃ車を呼んで乗った方がいいかもしれないね」
ガレージを探しながら加速して北上した。朝の心地いい風が、熱くなった二人の気持ちを冷まして、清々しい気分にしてくれた。ユージンとスザンヌは、ある時は自然に気分が落ち込み、かと思えば異常に陽気だった。ユージンが喜びと恐怖の間で揺れ動いていて、そんな彼をスザンヌが元気づけていたからだ。スザンヌの態度は、ユージンのよりも冷静で、自信に満ち、勇敢だった。ユージンにとってスザンヌは頼もしい母親のようだった。
「実はね」ユージンは言った。「僕は時々何を考えたらいいのかわからなくなるんだ。僕はアンジェラを愛していないことを別にすれ、特に彼女に不満があるわけじゃない。そしてとても不幸でいるんだ。こういう場合をどう思う、スザンヌ? きみもアンジェラの言い分は聞いただろ」
「ええ、聞いたわ」
「すべてはそこから始まっている。僕はアンジェラを愛してない。実は最初から愛していなかったんだ。愛がないところで、きみなら何を考えるかい? アンジェラの言ったことの一部は本当なんだ。他の女性に恋をしたことがあるからね。でもそれはいつも、僕が自分に合う気質のようなものを求めていたからなんだ。結婚してからもね、スザンヌ、僕はずっとそうだったんだ。カルロッタ・ウィルソンと本当に恋愛をしていたとは言えないけど、僕は彼女が好きだった。彼女は僕にとても似ていたんだ。他のひとりはどこかきみに似ていたな。あまり賢くはなかったけど。それだって何年も前のことだ。僕はその理由だってきみに言えるよ! 僕は若さを愛し、美を愛しているんだ。僕は精神的に仲間である人がほしいんだ。きみはそれなんだよ、スザンヌ。そして、これがどんな地獄を作り出しているかわかるだろ。僕がとても不幸な場合、これはとても悪いことだときみは思うかい? 言ってくれよ、きみはどう思う?」
「ええとね」スザンヌは言った。「私は、誰であっても悪い契約に固執すべきだとは思わないわ、ユージン」
「それはどういう意味だい、スザンヌ?」
「つまり、あなたは彼女を愛してないわけよね。彼女と一緒にいても幸せではない。あなたが彼女と一緒にいたところで、彼女にもあなたにもプラスになるとは思わないわ。彼女は生きていけるわよ。もしあなたが私を愛していないのなら、私ならあなたに私と一緒にいてほしくはないわ。あなたが愛していないのなら、あなたなんかいらないもの。あなたを愛していなかったら、私はあなたと一緒にいたくならないわ。そんな気にならないもの。私は結婚って幸せな契約であるべきだと思います。もし幸せでないのなら、一度は一緒にいられると思ったからといって、努力してまで一緒にいるべきじゃないわ」
「もし子供がいたらどうだい?」
「まあ、それだと話が違ってくるかもしれないわね。たとえそういうときでも、どちらか片方が子供を引き取ればいいんじゃないかしら? そういう場合に、子供まで不幸に巻き込まれる必要はないもの」
ユージンはスザンヌのかわいらしい顔を見た。彼女がこんなに真剣に論じるのを聞くのはとても奇妙に思えた……この少女が論じるとは!
「でも、きみはアンジェラが僕のことと自分の状態について何と言ったかを聞いたよね、スザンヌ?」
「わかってる」と彼女は言った。「それについて考えたわ。これがそんなに大きな違いを生じさせるとは思わないわ。あなたが彼女の面倒を見ればいいことでしょ」
「きみはそんなに僕のことを愛してるんだね?」
「はい」
「たとえアンジェラの言うことがすべて本当でもかい?」
「はい」
「なぜなんだい、スザンヌ?」
「だって、彼女の非難はすべて過去のことで、今のことじゃないんですもの。それに私は、あなたが今私を愛してることを知ってるわ。私は過去なんて気にしない。だって、ユージン、私は将来のことだって気にしないもの。あなたが私を愛したいと思う間だけ、私を愛してほしいのよ。あなたが私に飽きたのなら、あなたにはいなくなってほしいわ。あなたが私を愛してないなら、私と一緒に暮らしてほしくないわ。私があなたを愛さなくなったら、私だってあなたと一緒に暮らしたくないもの」
ユージンは、この人生観に驚き、喜び、励まされ、元気づけられて、スザンヌの顔をのぞき込んだ。いかにもスザンヌらしいと思った。スザンヌはとっくに明確で効果的な結論に達していたようだった。彼女の若い考え方は、すべての人生の問題を解決してしまいそうだった。
「ああ、きみはすばらしい女の子だ!」ユージンは言った。「きみは自分が僕よりも賢いことを知ってるんだ、強いこともね。凍える人が火に引き寄せられるように、僕はきみに引き寄せられるんだ、スザンヌ。きみは、とても優しくて、控えめで、理解力があるんだね!」
二人は車でタリータウンとスカーバラへと向かった。その途中でユージンはスザンヌに自分の計画のいくつかを話した。もしアンジェラが了承するなら、アンジェラとは別れないつもりだった。もしこれで納得してもらえるのなら、彼はこの外面を維持するつもりだった。ただひとつ問題があった。彼はここにいたまま、彼女のことも手に入れられるのだろうか? ユージンは、どうしてスザンヌが誰かと自分を共有したがるのかがよくわからなかった。しかし、どの観点からもスザンヌを理解できないまま、魅了された。スザンヌは、最高にいとしく、繊細で、変わり者で、愛すべき少女に思えた。彼女がどういうやり方で母親の反対を押し切るつもりなのかを探ろうとしたが、スザンヌには、段階的に精神的優位を獲得して相手を支配できるようにする以外の計画は持っていないようだった。「あのね」ある時スザンヌは言った。「私には自分のものになるお金があるのよ。私たち子供が成人したときにひとり当たり二十万ドルが渡るように父が用意してくれたの。私はもう成人だわ。信託という形で管理されるんだけど、私はそこから一万二千ドルか、多分それ以上もらえるわ。私たちはそれを使えばいいの。私はもう成人なのに、これについては何も口出ししたことがなかったわ。こういうことは母がすべて管理してきたからだわ」
ここにユージンを元気づける別の考えがあった。スザンヌと一緒にいれば、他にどんなことが起きても使えるこの追加の収入が手に入る。もしアンジェラが彼の条件を受け入れて、スザンヌが母親との勝負に勝てば、すべてがうまくいく。彼の立場が危険にさらされる必要はないのだ。現時点でこれをデイル夫人の耳に入れる必要はない。折り合いがつくまで、彼とスザンヌはこの形で関係を続ければいいのだ。まるでもっとずっと楽しい結婚へと花開く楽しい求婚期間のようだった。
その日は愛情を確かめるうちに過ぎ去った。スザンヌはユージンにフランス語で読んだ『青い鳥』という本の話をした。その寓話はユージンの心の奥まで届いた……幸福の追求である。ユージンはさっそくその場でスザンヌを「青い鳥」と名付けた。彼女はユージンに車を止めさせて、通り過ぎたときに野原で見かけた、高い茎に自生していたとても美しいラベンダー色の花を取りに戻らせた。それは金網の向こうの茨の中にあったから、ユージンはやんわりと断った。しかしスザンヌは言った。「だめ、今、取って来なくちゃ。もうあなたは私に従わなくちゃいけないってわかってるでしょ。これからあなたをしつけることにするわ。あなたは甘やかされてきたのよ。悪い子ね。母ならそう言うわ。私はあなたを改心させることにします」
「楽しい時間を過ごせるよ、フラワーフェイス! 僕は悪い子だからね。きみはそれに気づいていただろ?」
「少しはね」
「それでも僕のことが好きかい?」
「私は気にしないわ。あなたを愛することであなたを変えられると思うから」
ユージンはうれしそうに向かった。その立派な花を摘んでスザンヌに手渡し「王笏でございます」と言った。「それはきみに似てるね」と付け加えた。「堂々としている」
スザンヌはお世辞とは考えずに賛辞と受け止めた。ユージンを愛する彼女にとって言葉はほとんど意味を持たなかった。子供のように幸せで、彼女の二倍の年齢の女性と同じくらいいろいろなことに知恵が回った。自然の美しさのことになるとユージンと同じくらい馬鹿になってしまい、朝夕の空や、肌に感じる風や、木の葉のそよぎにうっとりした。自然の美しさが至るところで彼女の目を引き、彼女は感じたことをユージンがうっとりとする素朴さで話しかけた。
一度、車を降りて宿の敷地を歩いていて、彼女がシルクのストッキングの片方の踵部分が擦り切れていることに気づいたことがあった。彼女は足を上げて、思案に暮れながらそれを見た。「今、インクがあれば、すぐに直せるのにな」スザンヌは笑いながら言った。
「どうするんだい?」ユージンは尋ねた。
「自分で黒く塗っちゃうのよ」スザンヌはピンクの踵を指して答えた。「あるいは、あなたが塗ってもいいわよ」
ユージンは笑い、スザンヌはくすくす笑った。彼を楽しませたり魅了したのは、こういう小さくてたわいのない純真さだった。
「スザンヌ」ここでユージンは芝居がかった言い方をした。「きみは僕を妖精の国に連れ戻しているんだね」
「私はあなたを幸せにしたいわ」スザンヌは言った。「私と同じくらい幸せにね」
「幸せになれたらいいな! そうなれさえしたらなあ!」
「待つことね」スザンヌは言った。「元気を出してよ。心配しないで。すべてうまくいくわ。私はそうなるのがわかるの。物事はいつも私の言うとおりになるんだから。私はあなたがほしい、そして、あなたは私のところに来るの。私があなたを手に入れるのと同じように、あなたも私を手に入れるの。ああ、それってすべてがとてもすてきよね!」
スザンヌはうれしくてうっとりした状態でユージンの手を握り、それから唇を与えた。
「誰かに見られたらどうするんだい?」ユージンは尋ねた。
「構わないわ! 構わないわよ!」スザンヌは叫んだ。「私はあなたを愛しているんだから!」
第十二章
ディナーを楽しんでから二人は市内に戻った。スザンヌはニューヨークに近づくにつれて、アンジェラが何をしたかが気になった。アンジェラが母親に告げ口をした場合は、自分を弁護するためにもその場にいたかった。彼女は彼女なりにかなり論理的な結論にたどり着いていた。それは母親が猛反対した場合、ユージンと駆け落ちするというものだった。自分がどうすればいいかをはっきり知るためにも、母親があの情報をどう受けとめたかを知りたかった。たとえ明かされたすべての事実に向き合っても、自分なら干渉しないように母親を説得できると以前は感じていた。なのに、彼女は不安だった。そしてユージンの態度のせいで恐怖が生まれてある程度大きくなった。
ユージンはあれほど強がっていても、本当はまったく安心していなかった。スザンヌを失うことを思えばどんな物を失おうが怖くはなかった。生まれてくる子供は、まだ二人に全然影響を与えていなかった。ユージンは、スザンヌを手に入れられない状況が発生するかもしれないことをはっきり理解していた。しかし状況はまだ確定的ではなく、それに、アンジェラが嘘をついているかもしれなかった。それでも、時折、良心が痛んだ。強烈な満足や、喜びの最高の興奮の真っ只中にいても、彼にはアンジェラがベッドに横になって、彼女を待ち構える惨めな未来と、彼女を苦しめるこれからの人生を考えている姿が見えたし、彼女があげた懇願のいくつかの反響が聞こえたからだ。それを締め出そうとするのは無駄だった。彼が受けているのはつらい試練であり、やっているのは非道だった。生きていく上でのすべての慣習と市民感情は彼と反対だった。もし世間が知れば、彼を激しく非難するだろう。ユージンはこれを忘れられなかった。自分を巻き込んだこのもつれは、この先も解けないとあきらめたときがあったが、それでも進もうと決めた。スザンヌに同行して彼女の友人のアルマーディング家に行く提案をしたが、スザンヌは気が変わって家に帰ることに決めた。「母が何か聞いたかどうかを確かめたいわ」スザンヌは言った。
ユージンはスザンヌをスタテン島まで送り届けて、それから四時までにリバーサイドに着くように急げと運転手に命じなければならなかった。多少の後悔はあったが、アンジェラとの愛のある生活はとっくに終わっているから、これはあまり大した影響を及ぼさないというのが彼の言い分だった。スザンヌが少し待ってゆっくり進むことを望んだので、彼が予想していたほどアンジェラにとって悪い事態にはならなそうだった。彼はアンジェラに、彼の資産、株式、現金、その他の分割可能なものすべての半分と、家具のすべてを与えた上で、彼女が自分の道を進み、今すぐでも子供が生まれた後でもいいから、完全に彼と別れるか、それともこのまま居続けてすべてを黙認して無視するか、を選択させるつもりだった。彼女は、彼が何をするつもりでいるのかを、つまりスザンヌのために別居生活か秘密の逢瀬を続けるつもりなのを知るだろう。スザンヌがとても寛大だったので、ユージンはこの点を議論するのではなく主張するつもりだった。彼がスザンヌを手に入れて、アンジェラは条件だけを選んで従わなければならなかった。
帰宅してみると、アンジェラに大きな変化が起きていた。今朝、ユージンが出かけたときは頑なで刺々しい雰囲気だったのに、午後は、ひどく悲しんではいたものの、これまでに見たときよりもずっと穏やかでなごやかだった。彼女の頑なな心が一時的にくだけて、加えて、避けられない運命に身を委ね、それを神の意志と見なそうとしていた。ユージンがたびたび非難してきたように、おそらく彼女が厳しくて冷たかったのかもしれない。おそらく彼女が厳しく束縛しすぎたのかもしれない。アンジェラはよかれと思ってそうしていたのだった。彼女は光と導きを求めて祈ろうとした。すると、しばらくして祝福のようなほんのり悲しいものが降りてきた。これ以上戦ってはいけないと思った。降伏しなければならない。神さまのお導きがあるだろう。部屋に入ったとき、彼女の微笑みが優しくうつろにユージンの不意を突いた。
彼女の気持ちと、彼女の祈りと、自分に迫りつつある事態に直面しても必要なら彼をあきらめるという彼女の意志は、これまでに二人の間で交わされた何よりもユージンの心を動かした。夕食のときに彼はアンジェラの細い手と顔と悲しそうな目を見て、明るい思いやりのある態度をとろうと努めながら、彼女の向かいの席に座った。それから彼女の部屋に戻り、あなたが一番良いと思うことを何でもしますと彼女が言うのを聞いて涙を流した。無意識の抑えられない感情があふれ出て泣いてしまった。なぜ泣いたのかよくわからなかったが、すべての悲しみが……人生、人間の感情のもつれ、すべての人の近くに潜む死、老い、スザンヌ、アンジェラ、何もかもが……彼の心に触れた。するとユージンは脇腹を引きちぎりかねないほど震えた。今度はアンジェラが驚いて、彼のために悲しんだ。自分の目が信じられなかった。彼は後悔しているのだろうか? 「こっちに来てよ、ユージン!」アンジェラは頼んだ。「ああ、ごめんなさい! ……そんなに愛しているの?……ああ、あなた、私が何かできればいいんだけど! そんなふうに泣かないでよ、ユージン。それがあなたにとってそんなに大切なら、私、あなたをあきらめるわ。あなたの声を聞くと胸が裂けそうよ。ねえ、お願いだから、泣かないで」
ユージンは膝に頭を乗せて震えたが、アンジェラが立ち上がるのを見て、ベッドに駆け寄り、彼女を制止した。
「違うんだ」ユージンは言った。「これは一過性のものだ。僕にはどうすることもできない。きみにはすまないと思っている。自分が情けないよ。人生が悔やまれてならない。これじゃ天罰が下るね。僕にはどうすることもできないんだ。でもきみは立派な女性だよ」
ユージンはアンジェラの傍らでうなだれて、泣きじゃくった。大きな痛ましい嗚咽だった。しばらくしてから我に返り、アンジェラに新しい勇気を与えてしまったことに気がついた。彼があまりに同情的に見えたので、彼の愛情は回復するかもしれない、スザンヌは遠ざけられるかもしれない、とアンジェラはさっそく思うだろう。ユージンはそれがありえないことだと知っていたので泣いたことを後悔した。
二人はそこから、対話、口論、反感、また徐々に同情的な歩み寄りまで進んで、結局改めて仲たがいしただけだった。アンジェラはユージンをあきらめきれなかった。ユージンは、自分が二人の共有財産を分けること以外の何かをするよう求められていることがわからなかった。どんな形であれ、もう一切アンジェラとは関わりたくないと強く思っていた。同じ家に住むかもしれないが、それだけだった。スザンヌを自分のものにして、彼女のためだけに生きるつもりだった。どんな形であれ干渉しようとすれば、恐ろしい結果を迎えることになる、とアンジェラを脅した。もしデイル夫人と連絡を取ったり、スザンヌに何かを言ったり、仕事に支障が出ることをしたら、アンジェラとは別れるつもりだった。
「状況を説明するとね」ユージンは言った。「きみは僕の言うとおりにしても、しなくてもいい。しなければ、きみは僕と僕が言ったすべてを失う。言うとおりにすれば、僕はここに留まる。そうしようと思う。体裁を保ちたいのは山々だが、僕は自由が欲しいんだ」
アンジェラはこのことを考えに考えた。一度はデイル夫人を呼び出して内緒で連絡を取り、スザンヌにもユージンにも事前に知らせないでスザンヌを寄り付かないようにしてもらおうと考えたが、これをしなかった。これこそアンジェラがやるべきことであり、デイル夫人も同意したであろうことだったが、恐怖と混乱が彼女を踏みとどまらせた。次はスザンヌに手紙を書くか話をするかだったが、スザンヌを前にしたときの自分の気持ちに自信がなかったので、手紙を書くことにした。月曜日、アンジェラはユージンが会社に出ている間に病床で長い手紙を書いた。その中で、自分の状況を何度も繰り返し、ユージンがすべきだと自分が思うことを述べながら、ユージンの人生の歴史をほぼ記した。
「彼はこの状態の私を無視できるのに、あなたには誠実だと、どうしたら思えるのですか、スザンヌ?」アンジェラはある箇所で尋ねた。「彼は他の誰に対しても誠実だったことがありません。あなたは自分の人生を投げ捨てるつもりですか? 今、あなたの地位は保証されています。彼はあなたに何を加えることができますか? それはあなたがまだ持っていないものですか。もしあなたが彼を奪えば、それは確実に知られます。傷つくのはあなたであって、彼ではありません。男性はこういうことから、特にこの手ののぼせ上がりから回復します。それに、世間はそれを何とも思いません。しかし世間があなたを許すことはないでしょう。それからはあなたは『悪い女』になり、子供でも生まれたら、取り返しがつかないことになるでしょう。あなたは彼を愛していると思っているのでしょうが、本当にそこまで愛しているのですか? これを読んだら立ち止まって考えてください。彼の性格を考えてください。私は慣れました。私は最初に間違えてしまい、変えようにも手遅れなのです。世間は私に何もしてくれません。私は悲しみや嫌悪を感じるかもしれませんが、少なくとも追放はされませんし、友人や世間を憤慨させることもないでしょう。でもあなたは……目の前にあるすべてのものを持っています。やがて誰かがあなたの前に現れるでしょう。その人はあなたが愛する人であり、あなたに求めることも、みすみすあなたを犠牲にすることもないでしょう。お願いだから考えてください! あなたに彼は必要ありません。結局こんなことを言うのは情けないのですが、私には必要なんです。事情は私があなたに言ったとおりです。あなたは本当にこの訴えを無視することができるのですか?」
スザンヌはこれを読んで大変なショックを受けた。アンジェラがユージンを、こと女性に関する限り、移り気で、嘘つきで、不誠実と評したからだ。スザンヌは自分の部屋でこの問題をじっくり考えた。さすがにこれは彼女を躊躇させずにはいられなかった。しかし、しばらくするとユージンの顔が、彼の美しい心が、彼を取り巻くすべてのものを包み込むような楽しさと完璧さの雰囲気が、よみがえった。ユージンはまるで美の幻影だった。とても柔和で、とても甘美で、とても愉快だった! ああ、彼と一緒にいること、彼の美しい声を聞くこと、彼の激しい愛撫を感じること! 人生はこれとつり合う何を彼女に提供できただろう? それに、ユージンは彼女を必要としていた。彼と話し合い、手紙を見せて、それから決めることにした。
ユージンは月曜日と火曜日の朝に電話をくれて、一日か二日してやってきた。氷室で待ち合わせて、いつものように意気揚々と笑顔で現れた。彼は会社に戻っていて、アンジェラが破壊の挙に出る差し迫った兆候にまったく気づかなかったので、勇気を取り戻していた。このすべてが……アトリエと愛するスザンヌの件が……丸く収まることを期待していた。二人が自動車の座席につくと、スザンヌはさっそくアンジェラの手紙を取り出して、何も言わずにユージンに手渡した。ユージンは静かにそれを読んだ。
アンジェラは自分にもっと好意的だと思っていたので、ユージンはこれを読んで愕然とした。彼はスザンヌが彼の求愛に悩むか確信はなかったが、それでもこれが、このすべてが、本当なのは知っていた。運命は親切かもしれない。二人は一緒に幸せになるかもしれない。とにかく、今、彼は彼女のことがほしかった。
「それで」ユージンは手紙を返しながら言った。「これが何だっていうの? 彼女の言うことを信じるのかい?」
「そうかもしれないけど、どういうわけか、あなたと一緒だと、どうでもいい気がするの。あなたから離れているときは違うのよ。私、あまり自信がないわ」
「僕がきみの思うとおりのいい人かどうかもわからないかい?」
「何を考えたらいいのかわからないわ。彼女があなたについて言うことは、すべて本当だと思う。確信はないけど。あなたがいないときは違うのよね。あなたがいてくれると、すべてがうまくいくような気がするのに。私はそのくらいあなたを愛しているんだわ。ああ、わかりきったことよね!」スザンヌはユージンに抱きついた。
「それじゃあ、この手紙は本当に何も問題ないんだね?」
「はい」
スザンヌは大きな丸い目でユージンを見た。これは昔からある話で、恋は盲目だった。二人は何マイルも走り……デイル夫人がその日、外出していたので……何かを食べるためにドライブインに立ち寄って海を眺めた。帰りの道は海を縁取るように続いていた。そして互いに何度もキスを交わした。スザンヌはすっかり夢中になり、これがどうのように始まっていくのかを正確に知ることができた。
「では、この件は私に任せて」スザンヌは言った。「私から母に伝える。ちゃんと理屈が通じれば、説得できると思うわ。これはそういうふうにした方がずっといいと思うの。私はごまかすのが嫌いなの。むしろこっちから母に話したいわ。それでやむを得なければ立ち向かうまでよ。でも、そうしなければならないとは思わない。母には何もできないわ」
「こればかりはわからないな」ユージンは慎重に言った。ユージンはスザンヌの勇気には随分敬服するようになっていた。そして、無鉄砲な行動をとらないように娘をおさえてくれる、というデイル夫人が彼に寄せる信頼をかなり当てにしていた。しかし自分たちの目的がどのように達成されるかまではわからなかった。
ユージンは何も言わずにしばらくしてから不倫の関係を始めたかった。彼は全然急がなかった。スザンヌのことは欲しかったが、彼女への気持ちは単なる肉体的なものではなかったからだ。彼女は奇妙な読書と哲学のせいで、世の中に反抗していて、それがどうやって自分を傷つけるのかわからない、と主張した。
「でもね、スザンヌ、きみは人生をわかってないよ」ユージンは言った。「人生はきみを傷つけるんだ。ニューヨーク以外ならどこでも、きみを粉々にしてしまうよ。ここは大都会だ。世界都市だからね。ここは物事が完全に同じってわけじゃないんだ。でもとにかく、きみはそれらしいふりをしないといけないよ。その方がずっと楽なんだ」
「あなたは私を守れるの?」スザンヌはアンジェラが訴えた問題を持ち出してはっきりと尋ねた。「私だってしたくはないわ……できないわよ、今はまだね」
「わかるよ」ユージンは言った。「ああ、守れるとも、絶対に」
「じゃあ、それについて考えたいわ」スザンヌは改めて言った。「私はこういうことには正直でいたいの。母には言うだけは言っておきたいわね。行動するのはそれからよ。その方がはるかにいいわ。私の人生は私のものなんだから私がしたいようにするの。誰にも関係ないわ、たとえ母でもね。私が無駄にしたいと思えば、するかもしれないわ。ただ私はそんなことをしているとは思わないけど。私は自分で選んだように生きたいのよ。まだ結婚したくはないし」
これは自分の人生で最も奇妙な経験だと感じながら、ユージンはスザンヌの話に耳を傾けた。こんなことは見たことも、聞いたことも、経験したこともなかった。クリスティーナ・チャニングの場合とは違っていた。彼女には考慮すべき芸術があった。スザンヌにはそういうものが何もなかった。彼女にあったのは、すてきな家庭、上流階級の将来、お金、幸せで安定した普通の生活を送るチャンスだった。確かにこれは愛だった。なのにユージンは途方に暮れていた。それでも、たくさんのいいことが、意識的にうまい具合に起きていたので、このすべては親切な神の摂理によって自分のために目論まれたのだと信じてしまいそうだった。
アンジェラはすでに事実上屈服していた。スザンヌの母親だって屈するのではないか? アンジェラは母親には何も言わないだろう。デイル夫人はアンジェラよりも強くなさそうだった。スザンヌが言ったように、彼女なら母親をいいなりにすることができるかもしれない。もしスザンヌがやろうと決めたら、彼は本当に彼女をとめられるだろうか? スザンヌはある意味強情で、わがままだったが、急速に成長を遂げていて、ものすごく論理的に考えていた。ひょっとしたら彼女ならこのくらいのことはできるかもしれない。誰にそんなことがわかるだろう? 二人は、風がさざなみのように背の高い緑色の猫草を揺らす緑色の沼地を通って、手前に子供と鴨がいるかわいい農家の庭や、美しい邸宅や、遊んでいる子供たちや、ぶらぶらしている労働者たちを横目に、木々が顔をなでんばかりのすてきな小道を飛んで帰ってきた。その間ずっと、互いを元気づけ、変わらぬ愛を誓い、互いに寄りすがっていた。スザンヌもアンジェラと同じように、ユージンの顔を両手で押さえて、目をのぞき込むのが大好きだった。
「私を見てよ」ユージンが考えを変える可能性を悲しそうに取り上げたときに、一度スザンヌは言った。「まっすぐに私の目を見て。何が見える?」
「勇気と決意」ユージンは言った。
「他には?」
「愛だ」
「私が変わると思う?」
「いや」
「本当?」
「思わない」
「さあ、まっすぐ私を見て、ユージン。私は変わらない。私は変わらないわ、聞こえてる? あなたが私を欲しくなくなるまで、私はあなたのものよ。これで幸せになるかしら?」
「ああ」ユージンは言った。
「そして、私たちがアトリエを手に入れたら」彼女は続けた。
「僕たちがアトリエを手に入れたら」ユージンは言った。「家具を完璧にそろえて、少ししてから人寄せでもしようかな。きみは僕のかわいいスザンヌになるんだ、僕のフラワーフェイス、僕の咲き誇るギンバイカ。ヘレン、キルケ、ダイアネム」
「私はあなたの週末の花嫁になるのね」スザンヌは笑った。「どちらに転ぶのかしらね。女神それとも疫病神」
「それだけでも叶えばね」ユージンは別れ際に言った。「せめてそれだけでも」
「まあ見ててよ」スザンヌは言った。「あなたは成り行きを見てればいいの」
数日が経過した。スザンヌは活動なるものを始めた。手始めに、夕食の席や母親と二人きりのときに、結婚の問題を取り上げて、この重要な問題について母親に探りを入れて発言を記憶に留めるつもりだった。デイル夫人は、いろんなことを哲学的に考えるのが大好きな経験主義的な思想家の一人だったが、自分自身の問題には決してはっきりとは適用しない人だった。この結婚の問題にしても、自分の肉親以外のすべての人に対しては、この上なく開放的で悟りきった意見を持っていた。夫人の考えでは、もちろん彼女の肉親以外の話だが、少女が成熟し、自分が健全で知的な成人だと思うものになって、そのときまでに結婚がもたらす状況に満足せず、結婚したくなるほど熱烈に愛している男性はいなくて、自分の評判に傷をつけることなく強い愛欲を満たせる何かの手段を準備できたなら、それは当人が処理すればいい問題だった。デイル夫人には特に異論はなかった。不幸な結婚あるいは政略結婚をしたために憧れの男性とそういう関係を続けている上流階級の女性を彼女は知っていた。社交界の外では、これに関係する最も厳格なモラルについて水面下で微妙な了解があった。それに、守旧派の厳しい慣習を笑う享楽的な一派があって、時々彼女は歓迎されて出入りしていた。用心に越したことはない……極力用心しなければならない。尻尾をつかまれてはならなかった。しかし、つかまれなければ、まあ、誰の人生でもルールを決めるのは、その人自身だった。
スザンヌはこの意見のどれとも関係がなかった。スザンヌは名門とも結婚できる美しい少女で、しかも彼女の娘だった。デイル夫人は富や肩書きだけのために、巨万の富と肩書きしか取り柄のない惨めな人と娘を結婚させたくなかった。例えばユージンのような、優れた社会的地位や富、あるいは本物の個人的才能を持つふさわしい青年が現れて、スザンヌと結婚することを願っていた。どこかの有名な教会で盛大な結婚式が行われるだろう……セント・バーソロミュー教会あたりで。豪華な結婚披露宴、たくさんの贈り物、すてきなハネムーン。スザンヌを見て、どんな楽しい母親になるのだろう、とよく考えたものだった。とても若くて、壮健で、活発で、有能であり、表にこそ出さないが情熱的だった。踊ると、どれだけ熱心に人生をうけとめているかが伝わった。いい青年が現れるだろう。それも長くはかかるまい。このすてきな春の日々が、近いうちに活躍するだろう。実際、色目を使う男は大勢いたが、スザンヌは誰一人相手にしなかった。恥ずかしがり屋で、照れ屋で、人目を避けたがる様子だったが、何よりも恥ずかしがり屋だった。母親は、娘の頭脳に押し寄せていた過激で無秩序な反社会的思考と同じように、このすべてを隠した鉄の意志をまったく知らなかった。
「ねえ、お母さんは、女の子は結婚すべきだと思う?」 ある晩、二人きりになったときに、スザンヌは母親に尋ねた。「もし結婚を一生耐えられる状態だと考えなければの話なんだけど?」
「いいーえ」母親は答えた。「どうしてそんなことを聞くの?」
「だって、お母さんは、私たちが知っている結婚した人たちの間にあったたくさんのトラブルを見てるでしょ。ああいう人たちって、一緒にいてもあまり幸せじゃないんだもの。人は独身のままでいた方がいいんじゃないかしら? それに本当に愛せる人が見つかっても、幸せになるのに必ずしも結婚する必要はないでしょ?」
「最近、どんな本を読んだの、スザンヌ?」目に少し驚きの表情を浮かべて顔をあげながら母親は尋ねた。
「最近は何も読んでないわ。どうしてそんなことを聞くの?」母親の声の変化に気づいたので、スザンヌは上手に切り返した。
「あなたはどんな人と話をしていたの?」
「あら、それがどうしたっていうの、お母さん? 私はお母さんがまったく同じ意見を言うのを聞いたことがあるんだけど?」
「そうね、言ったかもしれないわ。でも、そんなことを考えるには、あなたは若過ぎると思わない? 哲学的に物事を論じているときだって、自分が思うことのすべてを言うわけじゃないわ。すべてを支配する条件ってものがありますからね。もし女の子がうまく結婚できなかったら、もし容姿とかお金がないのが障害だったら……理由はたくさんあるでしょうけど……そういう事情があるなら、許されるかもしれないけど、でも、どうしてあなたがそんなことを考えなくてはいけないの?」
「美人だから、少しお金があるから、上流階級とも結婚できるからってね、お母さん、それで私が結婚したがることにはならないわ。私は結婚なんかしたくないのかもしれない。多くの人たちがどういう状況かをお母さんが見るのと同じで、私だって見るもの。どうして私だとだめなのかしら? そのとき、私はすべての男性を遠ざけなければならないの?」
「まあ、スザンヌ! あなたがこんな議論をするのをこれまで聞いたことがなかったわ。最近、誰かと話をしたか、何か過激な本でも読んだのね、きっと。お願いだからそんなこと考えないで。あなたは若くて見た目も良すぎるほどなんだから、そんな考えで遊ぶんじゃありません。だって、あなたなら、ほとんど望みどおりにどんな青年でも手に入れられるでしょ。きっとあなたなら、一緒に幸せに暮らせる相手や、この人となら一緒に暮らしてみたいと思う相手を見つけられるはずだわ。やってみて失敗したときに、他のことを考えればいいのよ。少なくとも、こんな御託を並べる前に、人生について何かを学ぶ時間を十分に作れるでしょ。あなたはまだ若いんですからね。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
「お母さん」スザンヌはほんの少しだけむっとして言った。「私にそういう言い方をしないでほしいわ。私はもう子供じゃないわ。大人の女性なのよ。考え方だって大人よ……子供じゃないわ。私にだって自分の意見や多少の考えがあることをお母さんは忘れてるわ。私は結婚したくないのかもしれない。するとは思わないの。もちろん、今私を追い回してる愚かな生き物の誰ともしないわ。私が望んでも、私は独身のままでどこかの男性と一緒になってはいけないのかしら? 私よりも前にだって他の女性たちがしてきたことでしょ。たとえしていなくても、私がしていけない理由にはならないでしょ。私の人生は私のものなんだから」
「スザンヌ・デイル!」恐怖の震えが心臓の繊維を駆け抜け、母親は立ち上がりながら叫んだ。「あなたは何の話をしているの? あなたは、私が過去に言った何かをもとにして、こんなことを考えているの? だとしたら確かに、身から出た錆ね。あなたは結婚したいとかしたくないとかを考える立場にないでしょ。男性のことをほとんど何も知らないんだから。どうして今そんな結論を出さなきゃいけないの? お願いだから、スザンヌ、早まってそんな恐ろしいことを考え始めないでちょうだい。二、三年かけて世の中をよく見てごらんなさい。お母さんはあなたに結婚しろと言ってるんじゃないのよ。でも、あなたが愛してやまない人、あなたのことを愛してくれる人に出会うかもしれないでしょ。もしあなたが立ち止まって確認せず、人生があなたのために何を用意してくれたのかを見せてくれるのを待ちもせず、今もてあそんでいるこんな愚かな意見の陰に自分を投げ捨てることにでもなったら、あなたはその人に何を差し出すつもりなの? スザンヌ、スザンヌ」……スザンヌはもどかしくなって窓の方を向いてしまった……「恐ろしい娘ね! そんなことはない、そんなことがあってたまるもんですか。ねえ、スザンヌ、お願いだから、何を考えて、何を言い、何をするかに気をつけてね! あなたのすべての考えを知ることは、母さんだってできないわ。そんなことできる母親なんていないもの。でもね、立ち止まって考えて、少し待ちなさい!」
デイル夫人は、鏡のところへ行って髪にリボンをつけ始めたスザンヌを見た。
「お母さんって」スザンヌは冷静に言った。「ほんと、面白いわね。外で人さまと夕食をとるときと、ここで私と一緒にいるときとじゃ、言うことが違うんだもの。私はまだ取り返しのつかないことはしてないわ。自分が何をしたいのか、わかっていないんだもの。私はもう子供じゃないのよ、お母さん。そのことは覚えておいて。これでも大人の女性よ。もちろん自分の人生設計くらい自分でできるわ。お母さんがやっているようなことをやりたくないのは確かだわ……言うこととやることが違ってるってことよ」
デイル夫人はこの胸をえぐる言葉にすっかりひるんでしまった。スザンヌは突然、議論の流れの中で、覚悟のほどと、論理の率直な力強さと穏やかさを発展させ、母親を驚かした。この娘はどこでこんなものを身につけたのだろう? 誰と付き合っていただろう? 夫人は、娘がこれまでに出会ったり知り合ったりした女性や男性を頭に思い浮かべた。娘の親しい友だちは誰だろう?……ヴェラ・アルマーディング、リゼット・ウッドワース、コーラ・テネック……賢く、聡明で、社会経験の豊富な娘が六人浮かんだ。仲間内ではこういう話をしているのだろうか? 彼女たちと過度に親密な男性がいるのだろうか? このすべてを解決する方法はひとつしかなかった。スザンヌがこのような考えに陥って、それを吸収する気でいるのなら、すぐに行動を起こさなければならない。旅行だ……二、三年娘と一緒に立て続けに旅行して、女の子が悪影響を受けやすいこの危険な時期を守る必要があった。ああ、口は災いの元だ! それにしても愚かなことを考えたものだ! 彼女の言ったことがすべて事実なのは間違いなかった。大体がそういうものなのだ。しかしスザンヌが! 娘のスザンヌに限ってまさか! 彼女は時間があるうちに娘を連れ去り、年齢を重ねて成長させ、経験を通してもっと賢くなってもらうつもりだった。若い娘と男性がこんな話をしたり主張したりしているところに、娘が居続けるのは決して許されることではない。これからはスザンヌの読むものにもっとじっくり目を通そう。娘の交友関係に目を光らせよう。こんなにかわいい娘が、このような情けない反社会的な無秩序な考えによって堕落させられねばならないとは、何て残念なことだろう。いったい、彼女の娘はどうなってしまうのだろう? 彼女はどういう立場でいたいのだろう? 神さま!
デイル夫人は足元で広がり続けるこの社会の裂け目を見下ろし、怖くなってたじろいだ。
断じてあってはならないことだ! スザンヌはただちに彼女自身からも、そんな考えからも、救われなければならない。
そしてデイル夫人は、どうすれば簡単にうまく旅行の話を切り出せるかを考え始めた。相手を警戒させないように……母親が圧力をかけていると思わせないように……スザンヌを誘わなくてはならなかった。しかし、これからはここに新しい秩序が確立されねばならなかった。デイル夫人は話し方を改めなくてはならなかった。行動を改めなくてはならなかった。スザンヌと子供たちみんなは、自分たちからも他人からも守られなくてはならなかった。これが、この会話がデイル夫人に教えた教訓だった。