プロローグ 「止まった現在、始まっていた過去」
夕暮れ。
落ちる陽が、住宅街の道を歩く2人の少年と、1人の少女の影を作る。
同じ高校の制服を着た3人は、幼なじみである。
少年2人が現在高一で、少女が高二。この3人は小中高と、同じ学校に通っている。
「はぁ……そろそろ中間試験かぁ」
3人の真ん中を歩く少年Aが、ため息をつきながら嘆く。
「そうだねー、勉強しなくちゃいけないけど……やっぱめんどくさいよねー」
嘆く少年Aの右を歩く少女、安野 由衣は、この少年がここ2週間、帰宅する度に言う同じセリフを、慣れた様子で適当に同意する。
「先輩は頭良くて点取れるんですから、いいじゃないっすかー」
「お前と違って、勉強してるから点取れるんだろ」
3人の左端を歩く少年B、真城 拓実が呟く
「そうだけどさぁ、やっぱり点取れる人って勉強したことを復習したりとか、そういうのを続けられるから取れるんじゃん?」
そう言うこの少年A、天満戸 勇輝には、将来なりたい職業というものがない。
自分がなんのために勉強し、いい点をとろうとしなければならないのかが、よくわからない。
いや、わからないわけではない。
勉強をし、試験で点をとり、いい成績を出し、偏差値の高い大学に行き、卒業する。そして、大手の企業に入社する。
そうすれば、安定した収入を得ながら暮らしていける。だから勉強をやる。
親からそう言われてきたし、周りもみんなそう言う。
確かに安定した収入は欲しい。
しかし、会社に入社して、会社員になるのは、勇輝は嫌だった。もっと別の仕事がしたい。
具体的には、「こんな仕事をしたい」というものは無い。
だが勇輝には、会社員はやっていてもつまらなそうな気がした。
給料の為ではなく、やっていて面白いと思える仕事をしたいと思っていた。
でなければ、自分の人生が面白くならない、そう思った。
故に勇輝は、安定した給料を得るための勉強をやろうとは思えない。
と、いうのは建前で、本当はめんどくさいのが9割だ。
やりたいことをするにはもちろん勉強は必要なため、結局はやらなければならない。
しかし、会社員になりたくは無い。というのは本音だ。
だが、勉強をしないと親に叱られる。それに学費やその他諸々の金を払ってもらっているのに、怠けてるばかりじゃ少し親に悪いとも思っている。
だから、どんなに嫌でもやらなければならない。良い成績を出そうとしなければならない。
が、そう簡単にできる訳もなく、中学から勉強嫌いなまま今に至る。
「マジ無理だろ……もうどうすれば勉強なんて続けられるんだよぉぉぉ!!」
勇輝のヒツーな叫びが、住宅街に響く。
「お前うるせぇよ、めちゃくちゃ近所迷惑だろ」
「まぁ勉強するのが当たり前みたいになっちゃってるからねー」
真城が勇輝の頭を軽く叩き、安野がそのやり取りを流しながら相槌を打つ。いつも通りのやり取りである。
勇輝が面倒なことをする度に、真城がそれに文句を言う、しかし勇輝の叫びは止まらない。
「勉強を習慣づけるとか絶対無理だァァァ!!」
「騒ぐなよ!近所迷惑だってわかんねぇのかよ!?」
「お前もうるせぇよ!」
「うんうん、青春だねぇ」
「どこがですか?!」
真城は常に忙しい。しかし、もう同じようなやり取りは何回もしてきた。すでに慣れている。
「あぁ、なんでこんな世界に生まれてしまったんだろうか……理不尽だ、勉強は強制でそれ以外選択できないなんて……そんなの理不尽だァ!変えてくれぇ!世界を変えてくれよぉ!」
「――そんなに全部悪いもんでもないと思うよ?
……でもまぁ無理なんじゃない?うん、ドンマイ」
「そういうもんだ、諦めろ」
勇輝のあるはずのない戯言に、安野はさらっと励まし、真城は諦めるよう促す。
「諦めたらそこで試合終了なんだよ!俺は諦めねぇぞ、絶対諦めない!もがいて、足掻いて、駄々こねて、縋って、泣きべそかいて、喚き散らしてでも!絶対に!無理矢理でも!試合を続行させる!!」
「醜いってレベルじゃねえよ!お前にはプライドが無いのかよ!何したって変わらないんだよ!」
もちろん口だけである。そんなこと、自分からしたいなどと勇輝は思わない。ただ、それで変わるというのなら話は別だ。
「世界を変えてくれぇ!神様ァ!どうか俺を異世界に連れてってぇ!」
なんて騒いでると、先の十字路から人影が見えた。背丈は勇輝よりも少し小さい。
その人はこちらをチラッと見ると、その場で歩みを止め、呆れたような顔をしながら勇輝達が来るのをその場で待つ。
「お前相変わらずうっせぇなぁ」
「あ!久しぶりッス、小倉先輩!あ、でもそんなに久しぶりでもないかな?」
「1ヶ月経ってねぇよ」
「やっぱり?」
勇輝と会話するこの少年Cは、AとBの1つ上の先輩であり、安野の同級生である。名を、 小倉 凰太という。
小倉も幼なじみであり、小学校まではよく4人で遊んでいた。
「てかお前小倉先輩って言うなよ、なんで俺が高校に入った途端苗字で、しかも先輩なんて付けて呼ぶようになったんだよ。なんか違和感しかねぇっての」
「いえいえ先輩、親しき仲にも礼儀ありって言うじゃないっすか」
「お前のどこに礼儀なんかあるんだよ」
「どこもかしこも礼儀だらけですよ、ね?由衣先輩?」
勇輝は安野の方を向き、同意を求める。
「うーん……いや、無いんじゃない?」
が、同意して貰えず、もちろん真城には絶対に「礼儀なんてねぇよ」と言われるため、聞いても無駄である。
「満場一致……だと!?」
そんなこんなで、小倉も加わり、住宅街を歩く影は4つとなった。
「お前らそろそろ中間なんだろ?何日後?」
「2週間後くらいかな」
「――2週間後……か、そっか、お前ちゃんと勉強してるか?」
小倉が勇輝に向かってそう聞くと、勇輝はすぐさま目を逸らしてそっぽを向き、急に黙る。
「お前勉強しないのも相変わらずだな、しないから点取れないんだろ?」
「小倉先輩も勉強できねぇだろ」
「おいお前、礼儀はどこいった礼儀は、先輩つけるなら敬語使えよ」
「何言ってんだよ、俺ら、友達だろ?」
勇輝が小倉に向かってニッコリと微笑む。
「親しき仲にも礼儀ありじゃねぇのかよ」
小倉が加わって、更に騒がしくなった一行を照らしていた陽は、段々と落ちていき、辺りは暗くなっていく。
それからしばらくすると、
「じゃぁ、俺こっちなんで。さようなら」
真城が、T字の分かれ道で左を指さし、別れをつげる。
「あ、バイバーイ」
「じゃぁなー」
「俺が家着いたらゲームやろうぜ」
「お前は勉強してろ」
「なんだよ、つれねぇな」
それぞれが別れをつげると、真城は背中を向け、遠ざかっていく。
真城と別れ、数分歩いたあと、10階程あるマンションの下で小倉が止まる。
「じゃ、お前勉強ちゃんとしろよな」
小倉が勇輝に向かいそう言うと
「あー……うん。そうだね」
勇輝が露骨な反応を見せると、
「オイ、なんだその反応は、お前まじでしといた方がいいよ?先輩からの忠告よ?」
「まぁするよ、いつか」
「帰ったら速攻やれ」
「それは無理な話よ」
「はぁ……どうせずっとやらずに本番で後悔すんだよ、せいぜい頑張れよ。安野もじゃあな」
「うん。じゃあね」
真城が安野へ別れをつげると、もう一度勇輝の方を向く
「――お前、ちゃんと頑張れよ?」
真城は勇輝にそう言った後、マンションの中へと入っていった。
さっきまで見えていた陽は既に落ち、薄暗く、電灯の灯す光がさす道を男女2人で歩く。そこで起きる会話は、今日何があったかや、昨日のテレビ番組は何が面白かったかなど、特に特別なものではなく、当たり障りのない会話である。
その後も当然何かしら起きるわけでもなく、勇輝は家に着く。
「じゃぁ、さようなら」
軽く頭を下げ別れの言葉を言う。
「うん、また明日……かな?」
頭に疑問符を浮かべながら安野がそう呟く。
「――君、ちゃんと頑張るんだぞ?」
安野はそう言いながら首を傾げると少し微笑んで、帰っていった。
勇輝は、玄関のドアの前に立つと、持っていた鍵でドアの鍵を開け、ドアノブに手をかけてドア開ける。
家の中に入るとすぐに夕食の匂いがする。そして台所にいるであろう母に、帰った報せをする。
「ただいま〜」
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今日もまた俺は、勉強もせず就寝しようとしている。
自分でもやらなくてはならないのはわかっている。
しかし、わかっていてもやる気は起きず、体は動かない。
いつも時間だけが過ぎていく。
寝る準備はもうしてある、あとは寝るだけだ。
……いつもこの時に思う。
「あぁ、また今日も何もしなかった」と。
どうせ今回の試験もまた、前日か2日前くらいに急に焦りだして、勉強を少しして、やった気になって、根拠のない自信が湧き、案の定惨敗する。
いつも通りのことだ。
そしてもう1つ、寝る前に思うことがある。
「異世界行きてぇなぁ」と。
どうせ行けないことはわかっている。
だが、特に試験が近いときには毎日思っている。
こんな面倒な世界では生きたくない、現実逃避したい。
そして毎日、神に頭の中で願いながら就寝し、
次の朝に目覚めて、何も起きてないことにガッカリする。
これもいつも通りのことだ。
そんなことを思いながら、ベッドで横になり目を瞑る。
すると、次第に意識は眠りの中へと落ちていき……
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白い。真っ白い。
気づけば俺は視界の端から端まで真っ白い空間に立っていた。
いや、立っているのかこれは?なんだか足の感覚がないような……
あれ?
無い。
感覚がない。
感覚がないのは足だけじゃない。
手も腕も顔も目も口も肩も膝もつま先も指先も息子も鼻も耳も。
体の全ての感覚がない。
一体何があったのだろうか、なぜこうなったのだろうか。
理解が追いつかない、できない。
自分が生きているのかも、死んでいるのかもわからない。
不安になる。パニックになる。
何をすればいいのかわからず、何もすることができない。
俺は今いったいどこにいて、何をしてるのかを知らなければ、この動揺は収まら
『こんにちは』
ない。
聞こえた。耳はないが確かに聞こえた。静かに響く、綺麗な音。
いや、声が。
例えるなら頭の中に直接語りかけるような感じの声が聞こえた。
まぁ実際に頭に直接語りかけられたことは無いので、こんな感じかはわからない。
よく漫画やアニメなどで見るものは、こんな感じなのだろうか。
『そうですね、多分こんな感じなのでしょう』
……おっとぉ?なんだ?考えていることが読まれちゃってます?え?なんで?
『そうですね、あなたが考えていることはそのままわかります』
「ぇ……あのぉ……それ俺に言ってます?」
『ええ、あなた以外いないでしょう?』
「あ、いや、俺以外いないかは知らないですけど……あの、ここがどこだとか教えて貰えたりできます?」
『うーん、そうですね……あなたの頭の中でしょうか』
「へ?」
「いや、どゆこと?全然わからないんですけど」
俺の頭の中ってなんだよ。てかここが俺の頭の中だとしたら白すぎん?空っぽって言いたいの?
「あの、俺の頭の中ってなんでこんなに真っ白いんですか?これって頭に中身がねぇとか、何も考えてねぇとかの悪口だったりします?」
『あぁ、いえ、違います。あなたの頭の中が空っぽだと言っているわけではありません。その、うーん……なんていえばいいんでしょうか……強いて言うならあなたの意識の中だから、とかですかね』
「意識の中と言いますと?」
『そうですね……今のあなたは体の感覚とか一切ないでしょ?』
「はい、そうですね。なんも感じません。」
『それは、今あなたが自分の意識の中にいて、思考だけしかできないからです。そしてそこに私が話しかけている。だから白いんです』
つまり今俺は、意識だけを自分で認識してて、その意識だけの状態でこの人と会話してるってことか?なら俺の体はどこにあるんだ?
『そうですね、その話も含めて、なぜあなたが今こうなっているのかをお話しましょう』
あ、なんか考えてることを読まれるって変な感じがする……
「……説明、お願いします。」
『はい。ではまず、何故あなたが今こうなっているかについて話しましょう』
「はい」
『それはですね、あなたは選ばれたからです』
「選ばれた?何にですか?」
『ふっふっふ、それはですね』
「……はい」
『そう、それは!』
「――」
『………異世界を救う、勇者に!』
「…………ん?どゆこと」
『あれ?もうちょっと喜んでくれると思ってたんですが、意外と喜んでくれないんですね』
「いや、喜ぶも何も、状況がちょっとよくわからないんで」
『まぁ無理もありません、普通こうですよね』
「あの……勇者に選ばれたってのは?」
『ええ、そうです。あなたは勇者に選ばれたんです。異世界に行って、勇者になって、冒険をする!行きたいでしょう?異世界!』
「え、えぇまぁ…はい、行けるなら是非行きたいですね」
『でしょう?!なら行って来てくれます?異世界!』
「あ、いやまだ、もうちょっと説明が欲しいです。この状況の」
『あぁ、そうですね、すいません。では、何か聞きたいことはありませんか?』
「そうですね……その、異世界というのは具体的にどんなとこなんですか?」
『まぁ簡単に言うと、よくあるファンタジーの世界です。剣と魔法の世界ってやつです。モンスターがいて、色々な種族の生き物がいて、色んな国があって……って感じです』
「へぇ……よくある感じのですか?」
『ええ、ライトノベルとかでよく見る感じの世界です』
「………それ、本当ですか?」
『はい』
「剣と魔法の世界?」
『はい』
「モンスターがいて、それ倒して冒険していく感じの?」
『ええ、そんな感じです』
「マジすか?」
『はい、マジです』
「行けるんですか?今から」
『行けますよ、今から。で、どうします?行きますか?』
「――!それはもうもちろんですよ!行きます!行きますよ異世界!ずっと行きたかった!」
『そ、そうですか…急にテンション高いですね』
「え?まぁ、最初は結構胡散臭かったんで」
『やっぱりですか?でもまぁ行っていただけるのは嬉しいです。では早速行きますか』
「はい!」
『と言ってもまぁ、既にあなたはいるんですけどね』
「え?どういうことですか?」
『体は既にその異世界にあるんですよ。ただ意識はこの通り体とは別になっています。』
「え?じゃぁ俺の体はいつから異世界にあったんですか?」
『私があなたと話す前から』
「拒否権が最初から無かったの!?」
『あぁ、まぁ、でもどうせ行ってたでしょう?あんなに異世界に行きたい行きたい言ってたんですから』
「まぁ、その通りだからいいんですど……」
『さて、じゃぁ行ってもらいましょうか』
「お願いします!」
『はい。では、あなたの感覚と意識を体に戻します」
そう言われると、目の前にある真っ白い景色が、少しずつ消えていくように思えた。
『では、行ってらっしゃい』
最後に頭に残っていたのはその言葉だった。
それから意識は、コンセントを抜かれたように、プツッと途切れた
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天満戸 勇輝は目覚めた。
気がつくと、体の感覚は元に戻り、手や足があることを実感した。それから瞑っていた目を開ける。
すると、目の前に写る景色は、いつも起きる度に目にする自室の天井などではなく、いかにもな街並みだった。