「お兄様、わたしと勝負してください!」
アーロンは大きなため息をついた。
両親からの呼び出しを受け、久しぶりに実家のパウエル伯爵邸に顔を出せば、そろそろ身を固めろ、もっとしっかりとした生活を送れなどなどのお説教を食らった。
はっきり言って大きなお世話である。
アーロンは今の自由気ままな生活が気に入っているし、身を固めるなんてもってのほか。妻帯すれば、せっかく仲良くなった女の子たちとの逢瀬が楽しめなくなってしまう。そんなのはごめんだ。
そう六つ年の離れた弟に愚痴を零すと、弟は呆れたような顔をした。
その目に兄を敬う気配は微塵もない。
「ホント、兄さんも懲りないよね。この間、付き合っていた女性と揉めたばかりだっていうのに」
「なんで知ってるんだよ。というか、付き合ってないし。彼女とは友達だよ、オ・ト・モ・ダ・チ」
「ああ、そう……」
心底どうでも良さそうな弟の態度にムッとする。
もっと兄を敬うべきだ。たとえ、敬うような言動をしていないという自覚が本人にあろうとも、弟であれば兄を尊敬するべきなのだ。
「……ロージーとかどうなの?」
「ロージー? なんであいつの名前が出てくるんだよ」
「いやほら……彼女、兄さんに懐いてるじゃない? それにロージーと一緒にいると退屈しないと思うよ」
「退屈もなにも……あんなのと結婚なんてごめんだね。俺にとっては妹……いや、あんな妹いらないけど……みたいなやつと結婚なんかできるか。そんなに推すならおまえが結婚すればいい」
「僕だってごめんだよ!」
全力で結婚を拒否する弟に、自分が嫌な相手との結婚を薦めていたのか、とツッコミたくなった。
「ともかく、俺はまだまだ一人を謳歌するって決めてるんだよ! 父さんたちにはディランからもよく言っといてくれ」
そう言って話を終わらせたアーロンにディランは不満そうな顔をした。
◇
「……というわけで、望みはなさそうだから早く諦めなよ」
ディランはそう言うと、この話はもうおしまい、という雰囲気でティーカップを持った。
兄であるアーロンとお揃いの淡い色合いの栗毛は陽の光に当たると金髪のように輝く。
それを見てロージーはアーロンに思いを馳せた。
「自由を愛するアーロンお兄様、なんて素敵なのかしら……! それにお友達が多いということは、それだけ多くの人がお兄様の魅力をわかっているということ。素晴らしい。さすがお兄様だわ!」
「……ねえ、僕の話聞いていた?」
「もちろんよ。お兄様はわたしと結婚したくない……そうおっしゃったのでしょう?」
神妙な顔をして言ったロージーの言葉を聞いて、ディランはホッとした顔をした。
「よかった、今日は僕の話をちゃんと──」
「──お兄様ったら照れていらっしゃるのね! そうよね、幼い頃から付き合いのあるわたしと結婚したいなんて、実の弟でも照れ臭くて言えないわよね」
「……」
照れ屋さんなところも素敵だけれど、とキャッキャッするロージーに、ディランは虚ろな目を向ける。
「……ホント、きみってすごく前向きだよね」
「まあ、ディラン。褒めてもなにも出ないわよ?」
「褒めてねえよ」
思わず口が悪くなったディランに「お口が悪くなっていますよ~?」とロージーは呑気に指摘する。
それにさらに苛立ち、お行儀悪く「チッ」と舌打ちをした。
「お兄様が照れ屋さんなのは予想通りだから心配しないで、ディラン」
「別に心配なんてまったくしていないけど」
「そんなに気を遣わなくていいのよ。わたしにはとっておきの秘策があるのだから!」
「ロージーに気なんて遣ったことないよ、無駄だからね。あとその秘策に巻き込まれるのが目に見えているから、先手をとって兄さんにきみを勧めただけだからね」
巻き込むなと暗に訴えているディランの思惑はロージーに伝わることはなく、ロージーはうるうると目を潤ませた。
「そんなにわたしのことを考えてくれているなんて……! わたしはなんて素晴らしい友人を持ったのかしら!」
「なんでそうなるんだよ……」
「大丈夫よ! わたし絶対、お兄様の心を射止めてみせるから! ……あら、もうこんな時間。そろそろ行かないと」
言いたいことを言い切ったあと、ロージーは腕につけた時計を見て、席を立つ。
「……念のため聞くけど、今日はなにするの?」
カシャン、と金属が当たる音がした。
それはロージーが身につけている鎧の音だ。
ロージーは机の横に掛けていた大剣を手に持ちながら、ニコリと笑った。
「今日はドラゴンを倒してくるわ!」
いってきます、と元気よく出ていったロージーを見送りながら、ディランは呟いた。
「あれがあの有名な『姫騎士』様の素顔なんてなぁ……」
世も末だな、と独りごち、ディランは会計をするために、店員を呼んだのだった。
◇
ロージー・ベネットは伯爵家の生まれだ。
貴族の子女である彼女がなぜ、『姫騎士』などと呼ばれるようになったのか──それは、大好きなアーロンと結ばれるために剣を習いだしたことから始まる。
ベネット伯爵とパウエル伯爵は気の置けない友人同士であり、家族ぐるみでの付き合いをしていた。
当時五歳になったばかりのロージーは、両親に連れられて初めて訪れたパウエル伯爵邸で、アーロンに出会った。
そのときのアーロンは、両親にきつく言いくるめられていて、猫を被っていた。弟と同い年のロージーに優しくするように言われ、渋々とそれに従った。
アーロンは見た目がいい。黙っていれば王子様のように見えるくらいには。
年上の王子様みたいな人に優しくされたら、女の子ならば誰でも恋に落ちるだろう。
ロージーもその例に漏れなかった。
ディランと共に一緒に過ごすにつれて、アーロンが優しい王子様みたいな性格ではない──むしろ、正反対ともいえる性格をしていることが知れれば、普通の女の子なら徐々にその恋も冷めていくだろう。
しかし、ロージーは違った。
アーロンがだらしない性格をしていることを知っても、彼女の恋が冷めることはなかった。むしろ、どんどん加熱していった。
「アーロンおにいさま、わたしをおよめさんにしてください!」
そんなふうにアーロンにアタックし、冷たくあしらわれるロージーの姿がたびたび目撃されるようになった。
どんなに断られようと、ロージーがめげることはなかった。
アーロンの弟でなおかつロージーの友人であるディランは、ロージーよりも頭がいい。アーロンのことをよく知っている彼に相談しながら、ロージーは何度も何度もアーロンに告白をした。
しかし、さすがに百回断られたところで、ただ告白するだけではだめだと実感した。
滅多なことでは悩まないロージーが何日も悩み続けて出した答え。
──そうだ、お兄様より強くなろう!
丁度その頃、アーロンは剣術に夢中で、騎士団に入るために日夜鍛錬に励んでいた頃だった。
アーロンは剣術の才能があるようで、師匠に褒められてはニヤニヤしていたのを、ロージーは知っていた。
ならば、アーロンが惚れ込んでいる剣術を極め、いつかアーロンよりも強くなって、格好よくドラゴンとかを倒して、「結婚してください!」と花束を渡せば、お兄様の心を動かされるのでは、と考えたのだ。
滅多に悩まない人間が出した、一般的に考えて無理そうな答えだった。
しかし、恐ろしいことに、ロージーは有言実行できる才覚に恵まれていた。
メキメキとその才能を発揮して騎士団に入り、突っかかってはバカにしてくる男たちをちぎっては投げちぎっては投げを繰り返し、数々の魔獣たちを倒していくうちに、ロージーは『姫騎士』と呼ばれるようになった。
貴族の子女でありながら騎士団に入り、魔獣退治に明け暮れる日々だ。
これも強くなるため。そしてアーロンと結婚するために必要な糧となっている。
「よし、とっ! ドラゴン退治終わりね」
血で汚れた剣を一振りし、布で拭ってから鞘に収める。
「ロージー様、お疲れ様です! 今日もとっても素敵でした!」
「まあ、ありがとう」
「あのドラゴン相手に、その細腕で大剣を舞うかのようにふるい、急所を確実に抉るえげつなさ! 本当に最高でしたッ! さすが姫騎士です!」
「そんなに褒められると照れるわ」
新米の騎士にべた褒め(?)され、ロージーは微笑む。
この騎士──クロエはロージーに憧れて騎士団のもんを叩いたのだという。
ロージーもこの後輩を気に入り、面倒を見ている。
「……なんだ、終わっちまったか」
不意にした声を聞いて、ロージーの体がびくりと反応する。そしてすぐにその声の主のもとへ駆け出した。
「アーロンお兄様ぁ!」
「ロージー様!?」
びっくりした顔をするクロエを置いて、ロージーはアーロンのもとへ馳せ参じた。
「お兄様、お久しぶりです! ロージーを心配して駆けつけてくださったのですか? とっても嬉しいです!」
「げっ、ロージー……おまえがいたのか……」
「はい、お兄様! あなたのロージーはここにおります!」
「いや、おまえは俺のじゃないだろ……」
引き気味に答えるアーロンだが、ロージーはそんなことを気にした様子もなくニコニコしている。
「あー……ロージーがいたんじゃ、俺の出番はないか……帰るわ」
「あっ、お待ちください、お兄様! せっかくお会いできたのですし、たまには一緒に食事でも……!」
食い下がるロージーにアーロンが面倒くさそうな顔をして「遠慮しておく」と答えたとき、二人の間にクロエが割って入った。
「アーロン様ッ! ロージー様のお誘いを断るなんて
無礼ですよッ!」
「クロエちゃん、怒ってても可愛いね。でも、な? 一応、俺の方がロージーより立場は上だからな?」
「だからなんだって言うんですか! ロージー様のお誘いを断る人は誰であろうとハラキリあるのみです!」
「ハラキリ……よくそんな東洋の文化を知ってるな、君……」
「愛読書が東洋の著書『ブシノオキテ』なので!」
「へえ……」
ロージーの周りにいるやつは変わっているな……とボソリと呟いたアーロンを、クロエはギロリと睨みつける。
「だいたい、いくらロージー様と幼い頃から付き合いがあるとはいえ、アーロン様は気安く接し過ぎです! もっと節度のある態度を……」
「まあまあ、落ち着いて、クロエ。気安く接してほしいとわたしからお兄様に頼んでいるの。だから、そんなに怒らないで?」
ね? とクロエの肩に手を置いて微笑むと、クロエは渋々とした顔をして「……ロージー様がそうおっしゃるなら」と引き下がったが、アーロンをギロリと睨みつけた。
アーロンは苦笑したあと、なにかに気づいたように視線をロージーの後方へ向けた。
アーロンの様子が変わったことにいち早く気づいたロージーは、どうしたのかと尋ねようとした。
「お兄様、どうし──」
「──伏せろ、二人とも!」
突然アーロンにそう言われ、ロージーは驚いたが体は勝手にアーロンの指示に従っていた。
グォォオォンと鳴き声が聞こえ、顔をあげたときにはアーロンが一閃でドラゴンにトドメを刺していた。
「ドラゴンは生命力が強い。トドメはしっかり刺せ、倒したあとも油断するなって前にも言っただろ、ロージー」
「はい……ごめんなさい」
「まったく……詰めが甘いんだよ、おまえは」
そう言いながら、ロージーの肩を叩くアーロンの手は優しい。
「後始末は任せた」
そう言って片手を振って去っていくアーロンに、ロージーは敬礼をする。
アーロンは上司としても、とても尊敬している。
騎士になるのだと言い出したロージーを応援してくれた、数少ない人でもある。
だからこそ、ロージーはアーロンが大好きなのだ。
「アーロン様って、お仕事しているときは格好いいですよね」
「クッ、クロエ……!? まさかあなたもお兄様を……?」
「それはないです、安心してください。だってほら」
そう言ってクロエが指さした先では、アーロンが応援に来ていた騎士団の医療班の女性を口説こうとして、あっさりフラれていた。
「アーロン様って普段はとっても情けないじゃないですか」
「そこがいいのよ!」
「……敬愛するロージー様といえども、男性の趣味は理解できません……」
そう言って残念そうにロージーを見るクロエに、ロージーは首を傾げた。
どうしてクロエにはアーロンの魅力が伝わらないのだろう。
「ところで……もうすぐ武術大会ですね! ロージー様も出られるんですよね?」
「ええ。やっと出られる年齢になったの」
武術大会とは、武術に覚えのある猛者たちが国内外から軒並み出場する三年に一度ある王家主催の大会だ。
優勝者には豪華な景品と国王直々に言葉をかけてもらえる名誉が与えられる大規模な催しである。
武術大会は数日間開催され、その間、王都はお祭り騒ぎになるのだ。
武術大会は成人にならないと出場権が与えられない。今年十八になり、成人となったロージーは初出場となる。
「私、全力で応援します! ロージー様ならきっと優勝だって夢じゃないですよ!」
「ありがとう、クロエ。精一杯頑張るわ」
そう言って微笑みながら、ロージーは内心でメラメラと燃えていた。
なにを隠そう、ディランに言っていた「とっておきの秘策」とはこの武術大会のことなのである。
大会の優勝者は豪華な景品がもらえる。その景品は国王に言葉をかけてもらったあと、国王に願い出ることによってもらえるのだ。
過去には爵位をもらった人、病気の子どもに最高の治療を施してもらった人、行方不明になった恋人を捜索してもらった人などもいたらしい。
ロージーは優勝したら、国王にアーロンとの結婚を許してもらおうと企んでいた。
(国王様の許可さえいただければ、あとはお兄様を説得するだけ。大きな会場でのプロポーズ……いくらお兄様といえども、不誠実な対応はできないはずだわ)
騎士団に入り揉まれたロージーは、悪知恵も身につけたのだ。大人になった、ともいう。
もしこの場にディランがいて、ロージーの計画を知ったなら、確実に突っ込んだだろう。
「ロージーが優勝できるとは限らないんじゃないの?」と。
だが、不幸にもそれを突っ込める人は誰もおらず、ロージーが自分で企てた計画の穴を知るのは、大会の三日前だった。
◇
「今度の武術大会、兄さんも出るんだってさ」
綺麗な所作でナイフとフォークを動かしながら、ディランはそう言った。
今日は騎士の制服ではなく、ドレスときちんと化粧をして貴族の娘らしい格好をしたロージーは手を止めた。
「……お兄様が、大会に出る……?」
「珍しいよね。今まで散々面倒くさがって出なかったくせに」
どういう風の吹き回しだろうね、と他人事のようにディランは言う。
「……」
「あれ? 兄さんが出るって知れば喜ぶと思ったのに。どうしちゃったの、ロージー」
「……わたしも出るの」
「は? ……あぁ、そういうこと。きみの言っていた『とっておきの秘策』ってこれのことだったんだ」
ご愁傷さま、と憐れむようにディランはロージーを見つめる。
ロージーの内心は複雑だった。
アーロンが華麗に武術大会を勝ち進む様子は見たい。しかし、それはアーロンがロージーの対戦相手になる可能性もあるということで。
「ど、どうしよう、ディラン……わたし……」
「わかるよ、ロージー。兄さんは手強い相手にだもんね、不安になるよね」
「そうじゃなくて。決勝でお兄様と戦って勝って、お兄様の目の前で結婚の許しをもらうなんて恥ずかしいわ……」
どうしよう、と照れているロージーに、ディランは呆れた顔をする。
「なんで自分が勝つこと前提なのさ……? そもそも、ロージーって兄さんに勝てたことあった?」
「ないわ」
ロージーはキッパリと言い切った。
模擬戦で何度か戦ったが、あと一歩というところで負けてしまうのだ。
「勝ったことないのに勝つつもりでいるんだ……なにその自信……意味わからない……」
ブツブツと呟くディランに首を傾げる。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもないよ……というかなにも言う気になれないや……」
はは、と力なく笑うディランをロージーは心配そうに見つめる。
「大丈夫? 調子悪い?」
「悪くないよ、調子はね……」
「そう? ならいいのだけど」
「……まあ……とにかく、優勝目指して頑張って」
「ありがとう!」
頑張るわ、と微笑むロージーに、ディランは諦めた笑みを浮かべるのであった。
◇
武術大会前日、ロージーは早めに仕事をあがらせもらった。
騎士団員が大会に参加するには、隊長以上の階級を持つ人から推薦をもらわなければならない。それに加え、上層部で厳正に審議されて選ばれた4人が参加するのが決まりだ。
ロージーはその4人に選ばれた。つまり、それだけ上層部から期待されているということである。
選ばれたからには優勝するつもりだ。たとえ相手がアーロンであろうとも──いや、アーロンであればなおのこと、手は抜けない。
ディランからアーロンが参加すると聞いたときは動揺してしまったけれど、もともとロージーはアーロンよりも強くなることを目標にしていたのだ。
おままごとみたいな模擬戦ではなく、アーロンと真剣勝負ができる絶好の機会。これでアーロンに勝てれば、ロージーは遠慮なくアーロンに迫れるというものだ。
「絶対、アーロンお兄様には負けないわ」
「──誰に負けないだって?」
独り言のつもりだったのに、聞かれていたらしい。しかも、アーロン本人に。
「お兄様!」
「よっ、ロージー。今帰りか?」
「はい。明日の武術大会に備えて、今日は早めに休もうと思います」
「そうだな、それがいい。本番に実力が発揮できませんでした、なんて笑えないからな」
「はい! お兄様はまだあがりではないのですか?」
「俺もあと少ししたら帰るさ。じゃあな」
そう言って立ち去ろうとするアーロンを、ロージーは思わず呼び止めた。
「お兄様、あの……!」
「ん?」
振り返るアーロンに、ロージーはなにを言うべきか悩んだ。
大会が終わったら聞いてほしいことがあります、と言うべきだろうか。
いや、それよりも──。
「決勝でお会いしましょう!」
そう口にしたロージーに、アーロンは目を見張った。そして、ニヤリと笑い「ああ」と手を上げて去っていった。
アーロンの背中を見送ったあと、ロージーはよし、と気合いを入れた。
ああ言ってしまった以上、絶対決勝まで勝ち進まなければならない。
そして、優勝してアーロンに伝えるのだ。
──あなたが好きです、と。
剣を習い出してから、ロージーはアーロンに対して「好きです」と「結婚してください」の二つの言葉を封印した。
それはロージーなりの願掛けだった。
その言葉の封印を解くときは、ドラゴンを倒せるようになり、なおかつアーロンよりも強くなったと確信が持てたとき。
ドラゴンは倒せるようになった。
あとはアーロンを越すだけだ。
(アーロンお兄様、わたしは絶対あなたに勝って、この想いを伝えてみせます! 覚悟なさってくださいね!)
ロージーはそう決意を新たに、家に向かって歩き出した。
武術大会はトーナメント形式で開催される。
初日にそのトーナメント表が発表され、4つの場所に分かれて試合が行われていく。
武術大会は参加人数が決められている。
騎士団から4人、それ以外から27人。騎士団以外からの参加者ら事前に予選が行われ、その中から勝ち残った上位27人が本戦に参加できる。
初日は4箇所それぞれで4試合行われ、一日休みを挟んで二日目は4箇所で2試合ずつ、さらに一日休みを挟んで──というスケジュールになっている。
ロージーは順調に勝ち進んでいた。
初めはロージーが女と知るや勝ち誇った表情を浮かべる人たちが多かったが、ほぼ無傷で勝ち進んでいくうちに女だからと油断する人はいなくなった。
三日目の試合では苦戦したが、勝つことができた。
残りは決勝戦、相手はもちろんアーロンだ。
ディランにはアーロンに勝つ前提で話をしたけれど、正直なところ、ロージーはアーロンに勝つ自信はなかった。
それでも、ロージーは自分のために、なんとしてでもアーロンに勝たなければならない。
この日のためにずっと努力してきたのだから。ここで負けたらその努力が無駄になってしまう。
そう思っているはずなのに、今のロージーの心を占める感情は〝怖い〟一色だ。
アーロンに負けるのがこわい。
仮にアーロンに勝てたとして、彼に本気の想いをぶつけても相手にされなかったら。拒絶されたら。
そう考えると、怖くてたまらない。
こんな弱気なんて自分らしくないと自覚している。しかし、恐怖はなかなか去っていってくれなかった。
「すごい人気だな、おまえ」
試合を終えて会場を出ると、アーロンが待ち構えていた。
「お兄様」
「試合でるときのあれ、特注したのか?」
「ええ、クロエが『どうせなら、服装も『姫騎士』らしいものにして目立つべきです!』って聞かなくて……」
ロージーが試合に出るときに道につける防具は、特注品だった。もともと試合に合わせて新しい物を買う予定だったのだが、それを知ったクロエがついてきて、デザインについてすごく熱心に語るのを聞いているうちに、それもいいかもしれないと思い、すべてクロエに任せたのだ。
その結果、出場者の中でも一際目立つ存在になり、それが有名な『姫騎士』だと知られると、人気が一気に上がった。
入場するたびに大歓声が巻き起こり、街を歩いてるだけで声をかけられるようになった。
『姫騎士』の由来は、元々はそんなにいい意味で言われていたものではなかった。貴族のお姫様が騎士ごっこをしている──そんな皮肉を込めて、他の騎士たちから呼ばれていた。
しかし、ロージーの実力が知られると、そのあだ名は市民たちに広がり、「お姫様のように美しい騎士」の意味で定着していったのだ。
「いいんじゃないか? 『姫騎士』のイメージそのままで」
「そう、ですね」
「……」
いつもならば「お兄様に褒めていただけて光栄です!」とニコニコ笑うロージーだが、今日ばかりは上手く言葉が出ない。
それに、アーロンに『姫騎士』と言われたことが、なんだかすごくショックだったのだ。
「……ははーん。さてはおまえ……決勝の相手が俺だからビビってるんだろ?」
アーロンはニヤリと笑い、「そりゃそうだよな。俺が相手じゃそれも仕方ない」と頷いている。
それにロージーは曖昧に笑う。
「だが……残念だな。俺はおまえと本気で戦うの、楽しみにしていたのに」
「え……?」
「その調子じゃ、俺の勝ちは決まりだな。はー、つまんないな。おまえが出るっていうからわざわざ参加したのに」
景品なにもらおうかなぁ、と去っていくアーロンをロージーは引き止める。
「ま……待ってください、お兄様……! あの、それってどういう……?」
「そのままの意味だけど」
いつになく冷めた目をしてアーロンは言う。
「今のおまえ、すげぇつまんない。そんなつまんない女じゃないだろ、ロージーは」
「つ、つまらない……?」
「なんていうか……普通の女みたいで気持ち悪い」
「気持ち悪……!?」
衝撃的な言葉にロージーは固まった。
(普通の女みたいで気持ち悪い……? それってつまり、いつものわたしは普通の女性と違うということ……?)
それはそれでショックだ。
「あー……なんか上手く言葉が見つかんないけど……言っておくが、俺は女の子が大好きだからな!」
「え、ええ……知っています」
「普通に女の子は大好きだし、気持ち悪いって思ったこともない! むしろ女の子に気持ち悪いところなんてない! これは断言しておく!」
「は、はい」
「だけど、ほら……ロージーは、違うだろ? 例えるならそうだな……今のロージーはゴリゴリのマッチョな男が部屋の隅っこでメソメソしていて、仲間の男に「俺はどうしたらいいんだぁ!?」って泣きついているような感じだ!」
「な、なるほど……?」
想像してみたけれど、確かにそれは気持ち悪い……というよりも、迷惑だ。
そしてたとえがなにやらリアルだったが、それは実際にアーロンが目にしたことなのだろうか。
「だからその……元気出せよ。ロージーは無駄に前向きなのが取り柄なんだからさ、いつも見たく能天気に笑っとけよ」
「お兄様……」
少し照れたように言うアーロンに、ロージーは心が温かくなるのを感じだ。
まだ恐怖はある。でもそれ以上に、本気になった自分をこの人にぶつけたい、と思った。
「ありがとうございます、お兄様。わたし、絶対に負けません!」
「おっ、調子出てきたみたいだな」
そう言って笑ったアーロンにロージーも笑みを返す。
「頑張って俺を越えてみろ、ロージー」
「はい!」
アーロンは不敵に笑い、去っていった。
ロージーは、やっぱりわたしはお兄様が好きだわ、と改めて思ったのだった。
決勝戦当日、ロージーは愛用の大剣をじっと見つめていた。
ロージーが大剣を得物とするようになったのは、アーロンがそっちの方が向いているのではないかとアドバイスしてくれたからだった。
それは的確だったようで、ロージーは長剣を扱っていたときよりも早いペースで実力をあげていった。
この剣は初めて騎士団の任務をこなしたご褒美として、アーロンからもらったものだった。
だからきちんと丁寧に手入れをして、どんな任務にもこの剣と共にこなしていった。ロージーにとってこの剣は相棒であり、大切な宝物だった。
(今日も力を貸してね)
そう剣に心の中で語りかけていると、「ロージーさん、そろそろ出番です」と声がかけられた。
それに返事をし、再度気合いを入れて控え室を出た。
会場に出ると、大歓声がロージーを迎えた。
それに応えて手を振りながら特設ステージにあがると、アーロンが待ち構えていた。
「本日の決勝戦のカードは、姫騎士と謳われし美貌の女騎士ロージー・ベネットに対するは、当大会のダークホース、騎士団の次期エースと噂のアーロン・パウエルゥゥ! 同じ騎士団員同士の戦いが今、幕を開けるゥ!」
ノリノリの実況解説を聞きながら、ロージーはじっとアーロンを見つめた。
アーロンは「おい、なんで俺がダークホースなんだよ! 次期エースと噂ってなんだ! 俺はれっきとしたエースだわ!」と普段と変わらない様子でつっこんでいた。
「……お兄様」
「ん、なんだ? 言っておくが、手加減なんてしないからな」
「そのようなことは頼みません! むしろ、手加減なんて屈辱です!」
「そうだろうなァ」
本番直前だというのに、軽口を叩けるアーロンはすごい。さすがだわ、とロージーは心から感心した。
だが、感心ばかりもしていられない。
「両者、構えて」
審判の指示に従い、ロージーとアーロンは互いの得物を構えた。
「かかってこい、ロージー!」
「お兄様! この勝負にわたしが勝てたら、結婚してくださいッ!!」
「は……?」
アーロンがぽかんとした顔をしたのと同時に審判が「始めッ!」と手を振った。
ロージーは言うつもりがないことを言ってしまったと内心慌てたが、審判の号令ですぐに気持ちを切り替え、惚けているアーロンに斬りかかる。
「てぃ!」
渾身の力を込めて斬りかかったが、直前で我に返ったアーロンに躱されてしまう。
「っ、あっぶね……!」
アーロンのリズムが整う前に、ロージーはたたみかける。しかし、アーロンに避けられ、ついにはアーロンの得物である長剣でロージーの攻撃を止められてしまう。
「いい判断だ、ロージー。だが──甘い!」
「っ!」
大剣と長剣とはいえ、力では男性であるアーロンには敵わない。
思い切り力で押し切られ、バランスを崩したところで素早く攻撃をされる。
それもなんとか致命傷にならないように防いだが、これで攻守は完全に逆転してしまった。
勢いに乗ったアーロンは強い。
パワーもあってスピードもあるアーロンの攻撃を完全に防ぐのは難しい。
ロージーは徐々に追い詰められていった。
「どうした! おまえの実力はこんなものか!?」
「っ、お兄様……!」
違う、と言いたかった。
しかし、実際にアーロンには歯が立たない。いったん態勢を立て直すべく、距離を置こうとしてもすぐに詰められてしまう。
パワーもスタミナも敵わない。
ロージーがアーロンに勝るのはスピードと、身軽さのみだ。
それで勝機を見出すしかない。
長い付き合いの中で、ロージーはアーロンの戦い方を熟知している。それゆえに、アーロンの癖も知っている。
アーロンは勝てると確信したとき、わずかに力み、技が大振りになる傾向がある。
そこにつけ入るしかない。
勝負は一度きり。二度目を許してくれるほど、アーロンは甘い相手ではない。
ロージーはそれを冷静に見極めながら、極力ダメージを受けないようにアーロンの攻撃を防ぎ、ときに反撃をしながら、そのときを待った。
そして、そのときがやってきた。
荒く呼吸をするロージーを見て、もう反撃をする体力がないと踏んだアーロンが、「これで終わりだ!」と攻撃を仕掛けてきた。
いつもよりも少しだけ大振りな剣筋。
ロージーは気力を振り絞ってそれを避け、カウンターを繰り出した。
アーロンの目が大きく見張った──が、すぐにニヤリと笑う。
「かかったな!」
「えっ……」
目にも止まらない速さで繰り出された一撃に、ロージーの両手から剣が飛ぶ。
そして、首元にはアーロンの剣が突き立てられた。
「俺の勝ちだ、ロージー」
「……まいり、ました……」
(──勝てなかった)
悔しさで震えながら、降参の言葉を口にする。
悔しい。悔しい。悔しい!
完全にロージーの攻撃は読まれていた。
ロージーがアーロンの癖を知っているように、アーロンもまたロージーの癖を熟知している。それに加えて恐らく経験の差が出たのだろう。
完全にロージーの負け、だった。
俯くロージーに、アーロンが手を差し出す。
「ほら、顔を上げろよ。俺の勝利を祝う声よりも、おまえの健闘を称える声の方が大きいんだからな」
「お兄様……」
顔をあげると、観客からの声が耳に入ってくる。
「姫騎士、強かったぞー!」
「二人とも格好良かったわ!」
「ていうか、姫騎士が勝てばよかったのに」
「姫騎士勝った方が盛り上がったよなー。空気読めよ、次期エース(笑)」
「おい、今、次期エース(笑)って言ったやつは誰だ!? 出てこい、ぶん殴ってやる!」
「ア、アーロンさん、落ち着いてください……!」
観客に殴り込みに行こうとするアーロンを審判が必死に止める。
それを見てロージーは笑った。
──そのはずだったのに。
(あ、あれ……? どうして、わたし……)
泣いているんだろう?
悔しいから、だろうか。それとも、アーロンかいつもと変わらないから?
涙が出る理由がわからなくて戸惑いながら拭っていると、観客から「おい、次期エース(笑)が姫騎士泣かせたぞ!」「姫騎士様かわいそう……」「男ならなんかいいセリフの一つや二つかけてやれよ」と野次が飛び交う。
「うるせー! 観客は黙ってろ!」
アーロンはそう観客に向かって叫んだあと、困った顔をしてロージーに近づいた。
「……なんで泣いているんだよ。そんなに俺に負けたのが嫌だったか?」
「ち、ちがい、ます……確かに負けて悔しいですけれど、お兄様に負けたのは完全にわたしの実力不足です……ですから、この結果には納得しています……」
「じゃあ、なんで泣いているんだ?」
「それは……わかりません……」
「はあ?」
呆れた顔をするアーロンに、ロージーの涙はさらに溢れた。
顔を両手で隠し、アーロンに背を向ける。
「き、気にしないでください……しばらくしたら泣きやみますから」
「気にするなって言われてもな……」
アーロンを困らせている。
ロージーはこの場にいるべきではない。早く退場して、誰もいない場所で泣こう。
審判に退場してもいいかと尋ねようとしたとき、アーロンがロージーの手を掴んだ。
「は、離してください……わたし、帰りますから……!」
「……俺さ、自分で言うのもなんだけど、いろいろとだらしないやつなんだよ。普通の女の子は俺みたいなやつとは結婚したいなんて思わないって自覚がある。なのにさ……なんでそんなに俺がいいわけ?」
「……」
確かにアーロンはいろいろだらしない。
特に女性関係とお酒に関しては酷いとロージーも思う。
それでも、やっぱりロージーはアーロンがいいのだ。どんなにアーロンが女性に幻滅されるようなことをしでかしても、ロージーの気持ちは変わらなかった。
人を好きになるのに、きっと理由なんていらない。
「理由なんて、ないんです。お兄様がどんな酷いことをしても、わたしはお兄様がいい。小さい頃からどうしようもなく──あなたが好きなんです」
「……」
アーロンは困った顔のままだった。
そうだろうな、とロージーが自嘲したとき、アーロンが呟いた。
「……じゃあ、しょうがねえよな。……わかった、結婚しよう、ロージー」
優しく笑って言ったアーロンに、ロージーは目を見開く。
そして涙を浮かべて、口を開いた──。
◇
「まだ話題になっているね、兄さんたちのこと」
武術大会から早くも一月が経つ。
ディランが新聞を読みながらそう話しかけると、アーロンはパウエル伯爵邸にある自分の部屋でだらしなく寛ぎながら、「まあな」と答えた。
「『武術大会始まって以来の出来事! 決勝戦で結ばれた真実の愛!』だってさ。熱いねえ」
「……そうだな。そのあとの文章は消してくれ」
「あ、これ? 『姫騎士の真摯な愛に心打たれた次期エースであるアーロン氏は姫騎士にプロポーズをするも、まさかの「お断りいたします」との一言に、会場中が静まり返った』……ふふ。何回読んでもおもしろいや……」
「笑うなよ……」
そう、ロージーは記事通りに断ったのだ。あの雰囲気の中、アーロンからのプロポーズを。
会場は静まり返り、数秒後には爆笑の嵐が沸き起こった。
あのときのことを思い出すと、アーロンは深い穴に入りそのまま引きこもりたい衝動にかせられる。
この出来事は瞬く間に王都中に広がり、アーロンが仲良くしていた女の子たちからも「がんばってね」と応援される始末だ。
これではもう、女の子たちとも遊べない。
酒だけが、アーロンの傷ついた心を忘れさせてくれるのだ。
「まさか断るとはね……ロージーの考えはまったく読めなくて面白いね」
「あーそーだな」
ヤケクソのように言うアーロンに、ディランは苦笑する。
「でも、父さんたちは喜んでいたよ? 結婚はすぐには無理でも、婚約はまとめなくてはって張り切っていたけど」
「やめてくれよ……もう放っておいてくれよ……」
虚ろな目をするアーロンに、ディランは心の中でご愁傷さまと労る。
もちろん、口には絶対しない。この兄のせいで困ったことになったことがいくつもあるのだ。労りの言葉なんて絶対にかけてやらないと誓っている。
「そういえば、優勝の景品はどうしたの?」
「あぁ……それは、国王陛下もあの出来事を見て気を遣ってくださったみたいでな……景品は落ち着いたら言えばよいと……」
「……そ、そうだったんだ……よかったね」
「良かったのかなぁ……?」
ハハハと虚ろに笑うアーロンに、ディランは心から同情した。まさか国王陛下にまで気を遣わせるとは。
「あ……兄さん、そろそろロージーが来る頃じゃない?」
「あー? そうか、もうそんな時間か……」
ノロノロとアーロンが立ち上がったところで、メイドが来客を知らせに来た。
それは予想通り、ロージーだ。
ロージーを出迎えに玄関まで行くと、ロージーはいつも通りの騎士団の制服姿でアーロンとディランを見るとにっこりと笑った。
「ごきげんよう、アーロンお兄様、ディラン!」
「また来たのか、おまえ……」
「当たり前です! わたしは諦めませんからね!」
「……」
はあ、とため息をつくアーロンにディランは苦笑する。
「今日は僕もついてこうかな」
「わたしを応援してね、ディラン」
「もちろん」
「……」
恨みがましいアーロンの視線を無視して、ロージーとディランは話しながらパウエル伯爵邸を出ていく。
ロージーが乗ってきた馬車に三人で乗り込み、辿り着いたのは騎士団の訓練所だった。
ロージーはアーロンの前に立ち、こう言った。
「お兄様、わたしと勝負してください! そして、わたしが勝ったら結婚してください!」
──わたし、お兄様に勝てるまでは結婚できません!
そうアーロンに言い放ったロージーの目は輝いて見えた。
それにショックを受けつつも、なんだかんだとそんなロージーが可愛いと思えてしまった自分がいて、それがまた衝撃的だった。
そのショックから、未だに立ち直れずにいる。
……というよりも、会う度にロージーが可愛く見えるのだからもう末期だ、と絶望している。
(しょうがない……ロージーが気の済むまで、勝負に付き合ってやるか)
連日のように勝負を挑まれるようになったが、アーロンとしてもいい練習になるのでちょうどいい。
「俺に勝てたらな! かかってこい!」
「はい!」
そう言って打ち合いを始める二人を離れたところで見守りながら、ディランは思う。
なんだかんだ言って楽しそうだな、と。
結局のところ、二人とも剣術バカの脳筋なのだ。
お似合いの二人が結ばれる日は果たしてくるのだろうか。
ディランはそう遠くない未来にそれは来るのではないかと、そんな予感がしている。
~Fin~