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街中の自然をめぐる冒険  作者: ぷらうまん
私:ヒト。犬と散歩しながら、あれこれ見たり考えたりしている。
6/6

今ここで人とかかわり、生き物とかかわる


スズメがかすかに鳴く早朝。東の空から、太陽が顔を出しかけている。それを白い雲がゆっくりと覆い隠してゆく。

犬の散歩には、ちょうどいい天気だ。小川を埋めて造ったという、あの空き地を見に行くのにも、ちょうどいい。



暁の街の道路を歩いて、空き地の前に着いた。

横幅は大人一人とちょっとくらい。縦は大人が三人寝ころべるくらいの、長方形の土地だ。中心を一本の小道が通っていて、向こう側の車道につながっている。

この空き地全体が、周りの住宅地よりも凹んでいる。小道の下に、暗渠があるかららしい。見えないけれど、今も小川が流れているのだ。

そう思って眺めると、空き地の向こうもずっと、川の流れを示すように凹んでいる。何の変哲もない住宅街だが、昔は水路や田んぼが広がっていたことを感じさせる地形だ。


このようなことを、私は知らなかった。

すべてご近所の犬好きなおじいさんから、教えてもらったことだ。

おじいさんが教えてくれたことは他にもある。今回はそれを確認する散歩だ。片手にはリードを、片手には植物図鑑を表示させたスマホを持って。さあ犬よ、一緒に行こうか。




道路から空き地の小道へと降りて、歩き始める。

右手側の土地には、ネコジャラシやイネ科と思われる植物が茂っている。これといって変わったものは見当たらない。

一方で左手側の土地は、いろいろな植物が生えている。

まずヒメヒオウギズイセンが、わさわさと繁茂している。朱色の花がいくつも咲いて、その勢力を誇示している。その進攻を押さえるように、アメリカアジサイの株がどっしりと生えている。そばにはオシロイバナやツユクサらしき花が咲いている。

これらすべて外来種らしいが、綺麗なものだ。あっちこっちへ枝葉を伸ばして、少しでも太陽の光を浴びようとしている。


そのまま左手を眺めながら小道の中ほどまで歩く。

伸び放題のローズマリー、ラベンダー、セージといったハーブ類が残っている。ローズマリーは、ほとんど低木だ。ツツジやミカンのような木も、ちょこちょこと育っている。そういえば以前、この辺りでナミアゲハを見かけた。きっとこれらの植物と共に生きているのだろう。


おじいさんいわく、これらの植物を植えたのはご近所のおばあさんとのことだった。農家の娘として生まれて、田んぼが埋め立てられる前から、この辺りに住んでいたそうだ。

そのおばあさんが、埋め立ての果てにできた、この空き地の世話を買って出た。雑然としているが、ここは花壇だったのだ。しかし寄る年波には勝てなかった。子どもたちも特にやる気はなく、放置されて今に至る。


おそらく、消えてしまった植物もあるのだろう。その代わりと言っていいのか、あちこちでヒメジョオンや、なんらかのキク科らしきものがはびこっている。そしてもっと向こうには……、いや、右手側の土地も見てみよう。



歩き始めたところから同じように、ただただイネ科らしき植物が生えている。

特に綺麗な花が咲いているわけでも、庭木が伸びているわけでもない。何も世話などされていなかったように見える。


だがようやく、ひとつの痕跡を見つけられた。イネ科の植物の中に、ちょろりとまったく違う姿の植物が生えている。トマトっぽい花だが、背丈はあまり高くない。ナスのように紫色ではなく、緑っぽい枝葉をしている。ジャガイモだ。

さらによく見ると、支柱らしきプラスチックの棒が倒れていたり、茎を縛ったひもらしきものがあったりする。ただのゴミが散らばっているわけではない。


これらは、右手側の土地が家庭菜園だったという証だ。

きっと毎年、苗を買って植えては収穫していたから、左手側の花壇のように植物が残っていなかったのだろう。手入れされなければ、後は雑草天国だ。

だが収穫されずに残ったジャガイモが、代をついで今もこうして残っている。もう一度栽培を始めれば、けっこうなものができるかもしれない。



空き地の中の小道を、ゆっくりと犬と歩く。そのたびに、おばあさんのお世話の跡が見えてくる。もう水辺と田んぼの景色は戻らないけれど、少しでも美しく、おいしいものができるといいと思っていたのではないだろうか。


今はもう人の手が入らなくなっても、生き続けている生き物たちがいる。人の手に頼らずとも、入って来る生き物たちもいる。たとえ外来種だろうが、身近な自然として生きている。


私にできることは、これらの生き物を世話し、付き合うことだろう。中にはヒメヒオウギズイセンのように、付き合い方をよく考えた方がいいものもある。まだ名前もわからない花々もあるから、もう少し調べてみる必要もあるだろう。おじいさんにも、もう一度お話を聞いてみたい。


それにこうして歩くだけでも、この土地からたくさんの生き物とおばあさんとのかかわりが見つけられた。改めて私も、そのかかわりを引き継いでみたい。

人のために作られた街並みの中でも、共に生きているのだ。私も同じ場所で、自分なりのお世話をいくらかでもしてみよう。

いつの間にか雲が流れていって、青空を背に太陽が輝き始めている。



そう、みんな生きている。

だからこそ、歩いてきた小道の左手側の土地の終点にある。

キク科やイネ科の草花で覆われた、小道と車道の四つ角で。

朝日を浴びる一輪の黄色い花と、向かい合わなければならないだろう。


きみは、オオキンケイギクだな。


おばあさんが植えたのか、それとも道路を通って、ここに辿り着いたのか。


今ここに生えているきみは、ほんの数株でしかない。咲かせた花は一輪だけだ。まだ実を結んだわけでもない。しかもきみから守るべき河川の生態系は、人間自身が住宅街を造るために、とっくの昔に埋め立てていた。この空間は、その名残にすぎない。

もうあの初夏の夕暮れのときみたいな心持ちで、戦いを挑む気はない。


――しかし、それでもきみを抜かなければならない。たとえこの空き地に希少な種がなかろうとも、仮におばあさんが植えたものだろうとも。


犬よ、見ていてくれ。私は抜く。


役場から「オオキンケイギクを見かけたら抜いてね」というお達しがきている。法律で栽培も禁止されている。

だがそれ以上に私が、この土地と、生き物とかかわろうとする意思を持って抜くのだ。


株の周りの土をほじって、根っこから。一つひとつ、丁寧に。

すべて抜いて、その場に横たえた。あっけないほどに簡単だ。

このまま風雨にさらされ、虫に食べられて、土に還ってくれ。



犬と歩いてきた小道を振り返る。

燃えるような日差しと街並みの中で、生き物たちが息づいている。

もはや、何の変哲もない住宅街の、雑草が生えた空き地ではない。


何度でもここに来よう。この夏が過ぎ去った後も、犬と一緒に。


ご覧いただき、どうもありがとうございました。

なにか心に引っかかったものがあれば幸いです。


なお実際に特定外来生物が身近にいるなら、その土地の行政機関などに相談するとよいそうです。環境省の「日本の外来種対策」というwebページも面白かったです。

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[良い点] わんちゃん、カワユス♪♪ 和むわぁ~。 犬って敬語が似合うイメージです。 「ご主人、もうそろそろ場所をいどうしませんか?」 「えっ、駄目ですか。……そうですか」 耳も尻尾もだら~ん、みた…
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