人と共に生きて、土地と共に生きる花
公園から家に帰ってきた。
今日の犬との散歩は、これで終わりだ。しかしまだ、会いたいやつがいる。
犬と一緒に庭に入って、軒下をのぞく。朱色の花が、控えめに咲いている。
ヒメヒオウギズイセンの花だ。
ご近所さんからいただいた一株から始まって、一時期は庭の一角を占拠していた。だが犬に踏みつけられたらみるみる減っていった。このままなくなるのかと思っていたが、犬の体が入らない軒下で、ふたたび花を咲かせることに成功した。
強いやつだなぁと思っていたが、まさか環境省から生態系への被害が懸念されるほど強いとは思わなかった。
今はこの軒下でそっと生えているだけだ。雨でどこかへ流れ出ていくということも、人の手で運ばれるということもない。
このまま人の手をかけるなら、どこかへ逃げ出すということはないだろう。
だが人の手が入らないような場所なら、どうなるか。
我が家の近所に、その結果がわかる空き地がある。犬よ、明朝はそこへ散歩に行こうな?
日の出前の、多少は涼しい時間帯。犬もいくらかは元気だ。雑然と緑が生えた、近所の空き地も涼しい。
そう大した広さではない。住宅街の小道沿いにある、誰のものともしれない空間だ。大人が縦に3人寝ころべるくらいだろうか。それが道の両側にある。
たくさんの雑草といくらかの庭木の隙間を埋めるように、わさわさヒメヒオウギズイセンが生えている。
初めは庭木と一緒に、誰かが植えたのだろうか。朱色の花がいくつも咲き誇り、見た目にはとても綺麗だ。ぱっと見には、いい目の保養だろう。
そして空き地の周りにある人の庭先でも、朱色の花がいくつもいくつも咲いている。
どうにかして球根が転がっていったのか。綺麗だと思った人が自ら植えたのか。どちらにせよ、その綺麗さと繁殖力の強さで、ヒメヒオウギズイセンは生き残り、広がっている。
この空き地ができたのは、少なくとも戦後になってからのことだ。そう、ご近所のおじいさんが話していた。
おじいさんが子どものころは、空き地も含めた近所はだいたい田んぼだった。住宅需要が増えるにしたがって、小川や田んぼを埋め立て、土をかぶせて今の住宅街になったという。
つまり水辺にかぶせた土の上で、このヒメヒオウギズイセンと、この私は生きているということだ。
……ヒメヒオウギズイセンは、河川や海岸への生態系を乱すという被害が懸念されている。だから環境省の管理すべき外来種をまとめたリストに載っている。
目の前にあるこの空き地は、河川やそれを利用した田んぼを埋め立てた上、住宅街の中にある隙間に成立している。
そしてこの空き地と周りの家の庭先で、河川などの生態系への被害が懸念されているヒメヒオウギズイセンが生えていて、力強く咲き誇っている。
……どういうことだ、これは? なあ犬よ、これは実は笑い話なのだろうか?
つまりどこかの河川の生態系への被害は懸念されるが、そもそも今、共に立っているこの場に昔あったはずの河川の生態系は、街づくりのために埋め立てられていたということだ。
その後に庭木が植えられ、そしておそらくもとは園芸種としてヒメヒオウギズイセンが植えられた。気がつけば土地の管理もなく雑草が生え、今に至る。
ヒメヒオウギズイセンが乱すかもしれない、川辺に生える植物は影も形もない。おじいさんいわく、川自体も暗渠となって道の下を流れている。水の流れは見えない。
生態系を守ろうということは、まさにこの街並みに住んでいる自分自身の問題ということか。
すでに失くしてしまった生態系の代わりに、これ以上今あるものを壊さないようにと?
今ここに成立している、人為と外来種の生長の果てにある街並みと生き物たちは、これからどうなるのだろう。何にも特別なこともないこの街並みだ。でもこれがあるおかげで、おじいさんの世代から、私の世代まで生き続けられた。暮らしやすいようにと、今も少しずつ整備され続けている。新しい人も越してきている。
もしもヒメヒオウギズイセンを抜くのなら、空き地だけでなく人の庭先まで見ておく必要があるかもしれない。新しい隣人にも声をかけるかもしれない。
だがそこまでして守るような貴重な種など、すでにここにはない。ほかの守るべき生態系にまで、球根が流れ出ていく可能性があるくらいだ。
この土地に住むということは、それだけの責任が、実は伴っているということなのか。
おじいさんは言っていた、この空き地を世話してくれる人がいなくなってしまったと。この空き地は誰が世話してもよいと。
ならば、できる範囲で、世話をしてみてもいいのかもしれない。犬の散歩のついでに、ちょっと整えるくらいなら? すまないが犬よ、ちょっとだけでも付き合ってくれるだろうか。
もうそろそろ、太陽の日差しが強くなってきた。
ヒメヒオウギズイセンの朱色の花が、朝日に輝いている。雑草も庭木も、それぞれに生き抜こうと緑の葉を茂らせている。電柱のあたりから、スズメやセミの鳴き声が聞こえてくる。夏の日が始まったのだ。
これもひとつの生態系か……今日のところは帰るとしよう。私にできる世話を考えながら。