3 特等席は膝の上
おっぱい探偵はどうしたって?
いえいえ、探偵とは最後に登場するものですよ。
ははは……は。
マサキは呪符カードを胸元に押し当てると、ミーファの前でさっそく念話を開始した。脳内で、ナイアスターク王国のセイディに呼びかける。
念話の成否を分ける鍵は、相手までの距離と位置情報の正確さにある。マサキほどの実力者であれば、距離については大きな障害にならない。問題は相手の現在位置であり、おおよその居場所を把握していなければ、マサキとて成功させるのは困難だった。
「あの社長令嬢、呑気に旅行とかしてなきゃいいが……」
セイディは普段、グラン王立魔法学院か、もしくは自宅のある貴族街にいる。マサキはそう当たりをつけて念話を調整した。すると案の定、彼女とドンピシャで意識が繋がった。
(おいセイディ、聞こえるか。オレだ、マサ――)
(遅い、どんだけ待たせるのよボケ!)
それがセイディの第一声だった。
マサキは思わず顔をしかめた。念話は脳内に直接響くため、いきなり大きな声を出されると頭がキィーンと痛むのである。ただし、どんなに大音声でも脳内のことであり、それが外部に漏れることは決してないのだった。
(あのな、こっちも色々と大変だったんだぞ。そもそもおまえの所為で……)
本当はマサキも、出発時に蹴り飛ばされた恨みを感情的に怒鳴り散らしたかった。しかし、念話での言い争いは頭痛の種にしかならない。マサキはグッと堪えた。
気持ちを切り替え、さっさと本題に入る。
(連絡が遅れたのには理由があるんだ)
マサキは遠い目をして、これまでの経緯を脳内で振り返った。
転送直後に現地で襲われたこと。自衛のために仕方なく呪符カードを使い、魔力切れで連絡できなくなったこと。そして今、やっと代わりの呪符カードを手に入れて念話していること。それらの出来事を手短に、だが切々と語った。
マサキがひと通り事情を伝えると、セイディも一応は納得したのか、もうそれ以上の文句は言わなかった。
(そうなの、怒鳴って悪かったわね。それで、あなたは今どこにいるの?)
素っ気ない謝罪を添えたのち、セイディはようやく核心となる質問を発した。
(異世界テラの観光地「ジパング」だ。とある教育施設でリサのおっぱい……あ、いや、貧乳を目撃した)
(リサを見つけたのね! ……って、どうしてわざわざ貧乳って言い直したのよ?)
(それなんだが、実は最初にリサを目撃して以降、彼女の行方がまったく「掴めない」んだ。別に隠れてるとかじゃなくて、単に胸が小さすぎて「掴めない」んじゃないかと、聡明なオレは密かに睨んでるのさ)
(まさか、それが言いたくて貧乳を強調したの? あなたも大概失礼な男ね)
(バカやめろよ、照れるじゃないか)
(褒めてないわよ)
マサキは、ひとつ咳払いを挟んだ。
(とにかく詳しい話は、おまえがジパングに来てからだ。たまたま知り合ったリサの関係者もいる。そっちはおまえが訊き出してくれ)
(じゃあ、そうさせてもらうわ。それと、教育施設の場所が分からないから、できれば迎えに来て欲しいのだけど)
(では、ハチコーマエという場所でおっぱい丸出しで待っていてくれ。むしゃぶりつくように迎えに行こう)
(いっぺん死ね)
二人はその後、おっぱいを出す出さないで揉めたが、最終的に転送港のあるゲート管理局で落ち合う約束をした。
(それじゃあ、ジパング時間の明日十時にゲート管理局で。お迎えよろしく)
(分かった。サプライズおっぱい期待してるぞ)
(やるかボケ!)
こうして、やたらに無駄の多いセイディとの念話を終えた。
あとは、明日になるのをのんびり待つのみだ。そう思ったマサキは、だがその直後、大きな見落としに気づいてハッとした。
つい安請け合いをしてしまったが、セイディを迎えに行く「移動手段」を考えていなかったのだ。普段なら飛翔の魔法でひとっ飛びだが、それはマサキが魔力不全を患う前の話である。ミーファから貰った呪符カードだけでは、明らかに魔力の量が不足している。
「むむぅ、ここは誰かにお願いするしか……」
真っ先に思いついたのは、級友第二号にして相棒のニック・ランバーだった。だが彼には、マサキを置き去りにして逃げたという前科がある。行動が恣意的で自分勝手、信用できる相談相手とはいえなかった。今後ニックとは疎遠な関係になるだろう。
「ポートへ行くのでしたら任せてください。わたしも一緒に行きます」
念話の遣り取りを――おっぱいのくだりを除いて――ミーファに伝えると、彼女は道案内と移動手段の用意を快く引き受けてくれた。
味方だったはずのニックが遠ざかり、代わりに敵対していたミーファとの距離が縮まったのである。マサキとしては複雑な心境であり、思わず苦笑を浮かべてしまうのだった。
「そういえば、セイディを迎えに行ってる間はSMの調教が受けられないな……」
ふとそのことに思い当たり、マサキは残念そうな口調で独りごちた。するとミーファが、雨で濡れたニカブを揺らして重そうに首を振った。
「それなら心配ありません。明日は土曜日なので、やりすぎ学園は休日です」
ジパングでは、週末と呼ばれる二日間、すべての教育機関が挙って休みになるという。
それはマサキにとって斬新な休暇制度だった。というのも、ナイアスターク王国の魔法学院では、各自が魔法修得の進捗に合わせて、自由に休みを取るスタイルになっているからだ。
「そうか、タイミングがよかったな。これで心置きなくセイディを迎えに行けるよ」
安堵したマサキは、最後に明日の待ち合わせを確認すると、「それじゃ」と挨拶を交わして男子寮へ戻ろうとした。
しかし、マサキが踵を返したそのとき、目の前に恰幅のいいオバサンが立ちはだかった。
「見つけたわよ。あなたね、図書室の窓ガラスを割ったのは!」
そのオバサンは図書室の司書を名乗った。
マサキは、窓ガラスを割った件で、小一時間こっぴどく叱られた。もちろん自業自得だが、最後は踏んだり蹴ったりの一日だった。
――そして、巨大なオバサン司書が暴れる悪夢にうなされ、ようやく迎えた翌朝。
その日は、寝不足のマサキを嘲笑うような、見事なツユ晴れだった。
私服の用意がないマサキは、昨日の雨で濡れた制服ではなく、魔法学院のフードポンチョに着替えて男子寮を出た。学食でやや遅い朝食を済ませ、待ち合わせ場所の正門へ向かう。
レンガ造りの門柱に寄りかかり周囲を確認したが、ミーファはまだ来ていなかった。学舎の時計を見ると、約束の時間より少し早い。取り敢えず遅刻でないことにホッとする。そのまま門柱を背にしてミーファが来るのを待った。
「……くしゅん!」
マサキが心地よい陽射しに目を細めていると、不意に近くで可愛らしいクシャミが聞こえてきた。マサキは振り返ると、聞き覚えのあるその声に軽い調子で応じた。
「よう、ミーファ。昨日の雨で風邪でも引いたのか……って、おまえその格好は!」
颯爽とやって来たミーファの姿を見て、マサキは思わず大きな声をあげてしまった。
「変……ですか?」
片方だけの上目遣いで訊ねる彼女は、昨日の黒いニカブを被っておらず、白日の下に堂々と素顔を晒していた。暑苦しいイメージのローブもすっかり脱ぎ捨て、今は亀甲縛り柄の制服を着ている。
ニカブの代わりだろう、左目には黒い眼帯をつけており、また首筋の傷を隠すように、さりげなく黒とメタリックのチョーカーを嵌めていた。
「可憐だ、可憐すぎる……」
「マサキさん、歯の浮くようなセリフで世辞を言うのはやめてください」
ミーファは迷惑そうに言ったが、頬を赤らめて恥じらう顔は満更でもない様子だった。
「いや、ビックリしたよ。どういう心境の変化だ?」
「蒸れる服装は卒業しました」
彼女の中で、何かが吹っ切れたようだ。控えめな口調こそ相変わらずだが、その冗談めいた言葉は、ミーファが昨日より心を開いている証拠だった。
マサキは、可憐に変身したミーファをおっぱい魔眼で観察して、うっかり口を滑らせた。
「それにしてもAAAを上まわるとは。恐ろしくレアだな」
「はい、何ですか? トリ……?」
「い、いいいいや、何でもない。独り言だよ!」
咄嗟に言い繕って誤魔化したが、もちろんマサキが呟いたのは胸のサイズについてだった。この神懸かった貧乳をニックが知れば、あのとき逃げ出したことをきっと後悔するだろう。
そんなことを想像して優越感に浸りながらも、マサキは今日の目的を思い出してミーファに問いかけた。
「それで、ここからポートまでどうやって移動するんだ?」
マサキは、正門から敷地の外に向かって視線を投げかけた。
私立やりすぎ学園は山の中腹に位置しており、その四方を深い森に囲まれている。隠れ里のように、下界から隔絶されているのだ。転送港のある市街地まで、細い一本道を延々と下って行かなければならない。むろん徒歩では無理だ。到着する頃には夜になってしまう。
「そろそろ来るはずです」
「来るって――」
何が? と問う必要はなかった。
ちょうど男子寮の方から「黄色い物体」がやって来たのだ。箱型で四つの車輪を備えたそれは、ジパングが誇るマジックレス・ビハイクル「クルマ」だった。ナイアスターク王国の魔装四輪とは違い、操者の魔力ではなく、カラクリに溜めたデンキを使って走る代物である。
「そうか、クルマを用意してくれたのか」
まだ乗った経験がないマサキは、興味津々の熱い視線をクルマに送った。しかし、フロントガラスの向こうに赤いモヒカンを認めた瞬間、ギョッとして凍りついた。
黄色いクルマは、硬直したマサキの目の前でタイヤを軋ませながら停車した。
「はぁい。ちょっと待たせちゃったかしら、マサキちゃん。それとミーファちゃ……あらやだ、今日は随分とカワイイ格好なのね」
そういうおまえは、今日もキモチワルイ全身網タイツだな。
マサキは胸中でそう毒づいた。黄色いクルマの運転席にギリギリ収まる全身網タイツの巨漢は、言うまでもなくネイサン寮長だった。
眉をひそめるマサキの横で、ミーファが不思議そうに小首を傾げる。
「寮長、どうしてわたしだとすぐに分かったんですか?」
彼女が呈したその疑問は、確かに言われてみればもっともだった。
ミーファがこうまで堂々と素顔を晒したのは、恐らく今日が初めてのことなのだ。見知らぬ眼帯少女を見て、即座にミーファだと断定できるのは不自然だった。まず最初に、彼女が誰かを確認するのが普通の反応ではないだろうか。
「何言ってるの、クルマを出すように依頼したのはミーファちゃんじゃない。分かって当然よ」
寮長はあっさり答えたが、その表情は心なしか動揺しているようにも見えた。
「そんなことより、もうあまり時間がないでしょ。さっそくポートまで送るから乗ってちょうだい。ミーファちゃんは後部座席、マサキちゃんはあたしの膝の上よ。ふふっ、特等席ね!」
マサキは口一杯に苦虫を噛み潰した顔で、それはもう丁重に「特等席」の誘いを断った。
ミーファと並んで後部座席に収まる。ルームミラーに映る寮長の目が、その小さな瞳に嫉妬の炎を孕ませてマサキを見ていた。
居心地の悪い空気が漂う中、モヒカンと貧乳と巨乳好きを乗せた黄色いクルマは、ゆっくりと坂道を滑り出した。ウインドウの向こう側を、風光明媚な山林の風景が千切れるように流れていく。マサキが想像していた以上のスピードだが、むろん到着までには、まだしばらく時間がかかりそうだった。
代わり映えのない景色に早くも飽きてきたマサキは、ミーファの美しい横顔を窺い、ずっと訊きそびれていた疑問を口にした。
「ミーファはリサのことを『お姉さま』って呼んでるだろ。あれはどういう意味なんだ?」
「はい。リサお姉さまは、わたしの心のお姉さまなのです!」
彼女の答えはまったく要領を得なかった。
取り敢えず、血の繋がる姉妹というわけではなさそうだ。そもそも二人の顔はまったく似ておらず、胸のサイズを除けば、むしろ童顔であるリサの方が妹に見えるくらいだった。
「わたしが故郷フェムトでイジメを受けていたとき、どこからともなく現れて助けてくれたのがリサお姉さまです。左目を失って絶望していたわたしを、お姉さまはやりすぎ学園へ導いてくれました。それ以来、リサお姉さまはわたしの憧れのお姉さまになったのです」
「……なるほど、それでお姉さまって呼んでるのか」
つまり命の恩人である。
彼女と同じように、マサキにも命の恩人はいる。魔法学院の屋上で自殺を止めてくれたセイディである。もっとも彼女の場合は、リサ捜しを手伝わせるために救いの手を差し伸べただけなので、とても「セイディ先輩」と呼んで慕う気持ちにはなれなかった。
「それって崇拝に近い感情だよな。てっきりオレは、リサを恋愛対象として見てるのかと」
「ち、違います。わたしだって普通に男性を愛し……なっ、何を言わせるのですか!」
異様に狼狽えるミーファだった。
二人が膝を交えて歓談しているうちに、いつしかクルマは市街地へと入っていた。ここまで来れば、目的地の転送港は目と鼻の先である。
程なくして、三人を乗せたクルマはゲート管理局の駐車場に辿り着いた。
「さあ、張り切って行きましょう!」
どういうわけか寮長が仕切り始める。
車内で待っていて欲しい、というのがマサキの本音だったが、率先してクルマを降りる寮長に対してそんなことは言えなかった。一人だけ待たせるのは気の毒だ、ということではない。そこはかとなく身の危険を感じたからだ。寮長を除け者にしたらあとが怖かった。
「それにしても広いな。さすがは一等地だ」
転送港は、ゲート管理局の敷地内にある広い建物で、内部は大きく三つに区分されている。
まずは、転送許可を得るためのパスポート発行所。この施設がなければ、誰もゲートを利用することができない。
次に、利用者の所持品を逐一チェックする保安検査場。治安のよいジパングでは、とりわけ武器の持ち込みが厳しく規制されている。
そして最後は、転送港のメインである城門型転送門、通称「ゲート」である。失われた古代の遺物を発掘、その技術を拝借することで、異世界への転送を可能にした代物だ。巨大な城門を模した厳めしい造りと、転送時に周囲を満たす光の洪水は、どちらも壮観の一語に尽きる。ゲートは、構内のどこにいても目を引く強い存在感を放っていた。
マサキたち三人は、ナイアスターク王国からやって来るセイディを迎えるため、建物の最奥に位置するゲートを目指して歩いた。
転送港の構内は、ジパングの「週末」が影響しているのか、人の出入りが非常に多かった。セプト全域の様々な異世界人が、通路やロビーのあちこちを絶えず行き交っている。
小柄なミーファが迷子になってもおかしくない混雑だったが、それに関してはネイサン寮長の巨躯が大いに役立った。ゲートの存在感にこそ劣るものの、人波より頭ひとつ突き出た赤いモヒカンは、実に都合のよい目印だった。
「そろそろ十時になるわよ。セイディも……セイディちゃんも到着する頃じゃないかしら」
「……?」
マサキは眉根を寄せて、こっそり寮長の顔を盗み見た。
表情に変化はない。しかしセイディの名前を口にしたとき、得意の「ちゃん付け」を忘れて言い淀んだ。この違和感。やはり寮長は、セイディのことを以前から知っているのではないか。もしそうだとしたら、なぜそれを隠すように振る舞うのか。
気になったマサキは、今度こそ探りを入れてみようと思った。
だがそのとき、またしても小事により訊くタイミングを阻まれた。マサキの耳に、エクシア語を発する聞き覚えのある声が飛び込んできたのだ。嫌な予感を覚えて、声のした保安検査場に目を向ける。マサキは呆れ顔になって、怒り心頭のその人物を眺めやった。
「だから、これは偽造カードじゃなくて呪符カードなの。さっきから何度も言ってるでしょ。どうしてジパングの係員は何も知らないのよ。あなた田舎者なの? 最近の呪符は紙媒体じゃなくてカードなの。ほら、このカードは霊水符。あなたの無能は治せないけど傷を癒やせるの。ね、凄いでしょ? 詳しいことは発売元の一流企業、呪符の老舗チャーム・カンパニーに問い合わせてね」
そこには係員に文句を言いつつ、ちゃっかり自社の宣伝をしている社長令嬢の姿があった。彼女こそ、マサキの「勝手に巨乳ランキング」第三位のおっぱい実力者、人使いの荒い巨乳使い、セイディ・スタッドマンである。
フレアスリーブのフードポンチョに膝丈のプリーツスカート。グラン王立魔法学院の制服を着た彼女は、特徴的な赤髪のツインテールを振り乱し、ただでさえつり気味の目を更に三角にしていた。
どうやら予定よりも早めに到着していたようだが、所持していた呪符カードが検査を通らず荒れている様子だった。手荷物の青いリュックを開いて、再び係員に食ってかかっている。
「もしかして、あれがセイディさんなのでは?」
事前に特徴を伝えておいたので、ミーファも悪目立ちするセイディの姿に気づいた。
マサキとしては、事態が収束するまで気づかないフリを通すつもりだったが、さすがにそうもいかない状況である。気づいている以上、迎えに行かなくては不自然だ。
「……仕方ない。ちょっと行って拾ってくるか」
諦めて保安検査場に顔を出すと、目敏くマサキの姿を見つけたセイディが、ビシッと指先をこちらに向けて大声をあげた。
「何してたの、遅刻よ! もっと早く来なさい!」
「……」
マサキは答える代わりに溜め息を漏らした。
落ち合う約束をしていた午前十時より、実に「五分ほど早い」遅刻だった。
ちょっと分かりにくいですが、
主人公のマサキは「マゾヒスト」、ヒロインのセイディは「サディスト」から名前をつけました。
ちなみにモブのニックは「肉」から取りました。
全国のニックさん、ごめんなさい。