2 恐怖の学園長
ブラッシュアップするにあたり、数年ぶりに拙作を読み返して思いました。
この作者アホだわ、と。
金髪じゃじゃ馬娘は、当然のように懐から麻縄を取り出すと、ひたすら丁寧にマサキの全身を縛り上げた。
その丹念な「仕事ぶり」は、まるで自作品に意匠を凝らす芸術家のようだった。麻縄が紋様を描くように、その身体を縦横無尽に締め上げていくのだ。
とはいえマサキとしては、単に「荷造りされた」気分にしかならなかった。
「おい金髪、この奇妙な縛り方は何だ?」
「奇妙とは失礼ね。これはジパング秘伝の『亀甲縛り』というものよ。あんたみたいな変質者には過ぎた縛り方なんだから」
だったら解いてくれよ。
切実にそう思うマサキだったが、さすがにそれを言っても通じそうにないので、せめて少しでも緩めてもらえるように別のアプローチを試みた。
「こんな厳重に縛らなくても、オレは逃げたりしないぞ。大人しくしてるからもう少し――」
「うっさいわね、あたしはこの縛り方じゃないと落ち着かないのよ!」
「んなっ……」
マサキは絶句した。そんな理由では、もう何を言っても無駄としか思えない。どんな嗜好の持ち主なのかと、内心で呆れるばかりだった。
「さあ、学園長のところへ行くわよ。観念してキリキリ歩きなさい」
「いやおまえさ、そんな泥だらけの格好で学園長の前に出るつもりなのか?」
さりげない口調で、彼女の服の汚れが礼節に欠けることを指摘する。従順な態度で逃げないと言ったが、本当はどうにか逃げ出す隙を作りたいマサキだった。
しかしその思いは、残念ながら見透かされていたようだ。
「もし着替えの隙を狙うつもりなら、お生憎さま。あんたを学園長に引き渡すまで、あたしは着替えるつもりはないの」
マサキは思い切り舌打ちした。
自称「泥んこ美少女」は、そんなマサキに余裕のしたり顔を向けると、麻縄の端を引っ張り連行しようとした。マサキは最後の抵抗として、純情な乙女の心に訴えかける。
「おいちょっと待て。股間の縄が擦れて、大事なところが痛いんだが。大事なところが!」
「あら脆弱なのね。もしかして『粗悪品』ぶら下げてるんじゃないの?」
彼女はマサキの股間を一瞥すると、吐き捨てるような口調で言った。金髪じゃじゃ馬娘は、乙女の純情など欠片も持ち合わせていなかった。
言い包めることにことごとく失敗したマサキは、仕方なく内股で歩きながら金髪じゃじゃ馬娘のあとに従った。女子寮の脇を抜けて敷地の反対まで来ると、広いグラウンドと四階建ての学舎が、常夜灯の弱々しい光に照らされていた。
その向こう側には、女子寮によく似た別の建物がもうひとつあった。位置関係から男子寮であることが窺える。他にも、女子寮の隣にある瀟洒な平屋の建物、学舎と渡り廊下で繋がっている大きな建造物などが見て取れた。
後者の建造物は横長の直方体で、何かしらの実地訓練をする施設のように見えた。マサキが通う魔法学院にも、これによく似た「魔道館」という建物がある。
「随分と立派な学舎だな。ここでは何を教えてるんだ?」
マサキが、股間の痛みを紛らわすように口を開く。
「知る必要はないわ。それより、あんたは自分のこれからを心配した方がいいんじゃない? とっても哀れな変質者さん」
馴れ馴れしい質問が癇に障ったのか、金髪じゃじゃ馬娘は返答する代わりに、辛辣な言葉を返してきた。
これにはマサキも閉口した。彼女と会話を続けても、気落ちするばかりで何も得られそうにない。ならば情報は、自分の目で集めた方が遙かに有意義である。
マサキは気を取り直すと、建物の位置関係や正門に目を向け、その様子を頭に叩き込んだ。逃走経路の下見といったところである。マサキはまだ逃げることを諦めていなかった。
「ストップ。ここで靴を履き替えるのよ」
学舎の玄関まで来ると、マサキは金髪じゃじゃ馬娘の指示で靴を脱ぎ、代わりにスリッパを履かされた。ジパングには「土足厳禁」という面倒な風習があるのだ。
スリッパは脱げやすく、走るとしたら裸足になるしかない。ますます逃走が困難になることを憂い、マサキは無意識に渋面を作った。
「はいはい、意味もなく変顔してないで行くわよ」
学舎内の廊下は、窓から射し込む月光により淡く輝いていた。その少しだけ幻想的な光の道を進むと、やがて左手の壁に「学園長室」と書かれたサインプレートが現れた。ドア下の隙間から、微かにデンキと思しき光が漏れ出ている。
「おまえらの学園長は、いつもこんな夜中に執務してるのか?」
「いつもは違うわよ。あんたを突き出すために、さっき連絡してご足労願ったの」
つまり、マサキを追いかけている途中で、予め学園長に連絡を入れておいたというわけだ。この金髪じゃじゃ馬娘は、猪突猛進だけが取り柄の脳筋かと思いきや、意外としたたかな側面も持っているようだった。
「アンナ・タイラントです。失礼します」
彼女はドアを二回ほどノックすると、そう名乗って静かにドアノブを引いた。
「おまえ、アンナっていうのか? 似合わない名前だな」
「うっさいわね変質者。挑発したって無駄よ。ほら、あんたも入る!」
いよいよ学園長と対面である。裁判に臨む被告人のような心境だ。
マサキは、アンナに引っ張られて学園長室へ入った。デンキの光に目を細め、それでも室内に視線を配る。左手には来客用のソファーとテーブルが置かれ、右手には壁一面を覆うほどの大きな本棚があった。そして正面。窓を背にするウォールナットのデスクを挟んで、この部屋の主である学園長が腰を下ろしていた。
マサキは、学園長の姿を直視することができず、来客用スペースの床に視線を泳がせた。
「ノア学園長、女子寮に忍び込んでいた不審者を連行しました」
「ご苦労さまです、アンナ」
学園長が、アンナに労いの言葉をかける。
その高く澄んだ声を耳にした途端、マサキは思わず顔を上げて、正面から学園長を見つめてしまった。目が点になる。デスクから立ち上がって歩み寄る学園長の姿は、むくつけき髭面のオッサンなどではなく、妙齢の美しい女性だった。
茶髪のポニーテールに、同色の瞳を宿す切れ長の目。厚く官能的な唇。その美貌に加えて、マサキを満足させるに充分な巨乳の持ち主だった。
「恐れ入ったぜ、マジで巨乳の学園長だなんて……」
色気のたっぷり詰まったダイナマイトボディは、蠱惑的という意味では完璧に近い。ただし服装に関しては、あまりにもマサキの常識を逸脱していた。学園長は、その豊満な肉体を黒のフィッシュネットとエナメルのボンデージでエロティックに着飾っていたのだ。およそ教育者のイメージではない格好だった。
「ところでアンナ、あなたは全身が泥だらけのようですが?」
「はい、このような見苦しい格好で申し訳ありません。不審者を捕らえる際、不覚にも魔法の泥濘に落ちて……あ、床を汚してしまいました!」
まだ乾いていない泥が床に垂れると、自称「泥んこ美少女」アンナは、平身低頭して学園長に深く謝罪した。
一方、マサキのヌルヌルは速乾性だったのか、殆ど乾いて垂れることはなかった。それより、床を汚したアンナがどんな処罰を受けるのか、マサキはそれが気になった。
自身の窮地より他人の処罰に目が向いたのは、案に相違して学園長が若い女性だったからだ。緊張感が薄れてしまった。これなら大したことはないだろうと高を括ったのだ。だが、マサキの弛んだ心に平穏が訪れたのは束の間のことだった。
「汚れなど一向に構いませんよ。これから不審者を『処分』すれば、いずれにせよ部屋は血の海になりますから。そんなことより、アンナはもう退室しなさい。早く入浴を済ませないと、もうすぐ消灯時間になってしまいますよ」
「はい、学園長。お心遣い痛み入ります。ではお言葉に甘えて」
アンナは学園長に礼を言うと、恭しい態度で頭を下げた。そして、踵を返したその去り際に、ニヤリと笑みを浮かべてマサキに耳打ちする。
「ではごきげんよう、色男さん」
普段のマサキなら「じゃじゃ馬が猫を被りやがって」と厭味のひとつでも言い返したところだろう。しかし今は、とてもそんな心の余裕はなかった。マサキの胸中では、死に対する恐怖の感情が渦巻いていた。
学園長は今、まるで害虫でも駆除するような気軽さで「不審者を処分する」と言ったのだ。恐らくこのままでは、弁解の機会を与えられることなく一方的に殺されてしまう。
――冗談じゃないぜ、不法侵入も痴漢も不可抗力だ!
マサキは心の中で悲鳴をあげた。無罪にはならずとも、情状酌量の余地くらいはあっていいはずだ。窓ガラスの破損を含めても、死罪ではあまりに釣り合わない。
「……さて」
アンナが辞して二人きりになると、学園長は無表情のまま淡々とした口調で切り出した。
「我が学園では、男子の女子寮への侵入は万死に値する行為です。さっそくですが、あなたにはここで、惨たらしく死んでいただこうかと――」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ! ……いや、ください!」
澄ました顔で恐ろしいことを宣う学園長に、マサキは慌てて待ったをかけた。黙って聞いていたら、すぐにでも殺されそうな雰囲気だった。とにかく対話で死を回避するしかない。
「オレは、悪意をもって女子寮に侵入したわけじゃない。頼むから弁明させてくれ。……いや、させてください!」
マサキは必死だった。一度は自死を望んだこともあったが、今はこんな縛られた状態で死にたくはないと心の底から思った。
「まあいいでしょう。その代わり有罪が確定したときは……ふふ、容赦しませんからね?」
「……!」
無表情の仮面から妖艶な笑みが零れ落ちる。マサキはそこに学園長の本性を垣間見て、内心でブルッと震え上がった。激しい狼狽から急く気持ちが抑えられず、早口で捲し立てるように弁明を始める。
「オレは、異世界エクシアのナイアスターク王国から来ました、マサキ・フィールズという者です。ちょっと訳あって、リサ・ロットフォードという女子を捜しています。それで――」
マサキはありのままを正直に話して、一連の件について赦しを請うつもりだった。
ところが、
「リサ……ですって?」
マサキがリサの名前を口にした直後だった。学園長は態度を豹変させ、急に右腕を真横へと振り上げた。すると何も持っていなかったはずの右手に、突如として大きな黒い鞭が現れた。巨像すら一撃で屠れそうなビッグサイズの一本鞭だ。
マサキは度肝を抜かれた。学園長は一切の魔力を発することなく、いきなりその極大の鞭を具現化してみせたのだ。驚くなという方が無理な話だった。
「マサキといいましたか。あなたは、アザーサイドの手の者ですね?」
「……え?」
急に投げかけられた脈絡のない質問に、マサキは戸惑いを隠すことができなかった。
彼女の言うアザーサイドとは、七つの世界が寄り添う時空域「セプト」を股にかけ暗躍する、秘密結社の名前だった。強大な魔法の力を用い、セプト征服を目論む物騒な集団である。
もちろんマサキは、そんな危険な思想を持つ集団に与した覚えはなかった。
「言いがかりだ。どうしてリサを捜してるだけで不穏分子扱いなんだ!」
思わず声を荒らげてしまう。
アザーサイドの関係者となれば、もう痴漢どころの話ではない。極刑こそ免れ得るかもしれないが、一生牢獄にぶち込まれて拷問の日々が続くのだ。今ここで、惨たらしく死んでおいた方が遙かにマシだろう。
「不審者が疑われるのは当然のこと。それが嫌なら身の潔白を証明しなさい」
刹那、学園長の鞭がピシッと床を叩き、圧倒的な力でマサキを威嚇した。その鞭から生じる風圧だけで、マサキの頬の肉がプルンと震える。凄まじいパワーだった。迂闊なことを言えば、一瞬で肉塊にされてしまうに違いない。
マサキは頭脳をフル回転させ、自分が「平穏分子」であることを証明しようとした。だが、全身の毛穴から汗が吹き出すほどに知恵を絞っても、一向に妙案は出てこなかった。
いよいよ追い詰められてすべてを諦めかけたマサキは、そのときふと、失念していた自分の境遇を思い出した。
「そうだ、オレはイケメンだけど魔力不全なんだ。魔法エリートが集うアザーサイドに、オレみたいな『不良品』は入れない。そうだろ? 第一オレがアザーサイドの一員なら、こうしてあっさり捕まったりはしない。それがいい証拠だ!」
会心の言い訳だった。
自称「不良品」が胸を張って卑屈なドヤ顔を向ける。しかし学園長は、首を横に振って疑惑の眼差しで応じた。
「魔力不全はウソです。あなたは魔法でアンナを泥だらけにしました」
「……あ!」
彼女の的確な反論を聞いて、マサキは思わず顔をしかめた。
泥化によって足を引っ張られたのは、どうやらアンナではなくマサキ自身だったようだ。
「違う、あのときは呪符カードを使ったんだ。魔力装填符ってヤツを知らないか? まだ懐に入ってるから確認してくれ」
マサキがそう言うと、学園長は彼のフードポンチョに手を伸ばし、内ポケットから魔力切れの呪符カードを取り出した。
「なるほど、確かにありますね。しかし、わたくしはこのカードについて詳しく知りません。残念ながら証拠としては不充分です」
「そんな……。じゃあ、どうすれば信じてもらえるんだ?」
「簡単です。実際に魔法を発動して、あなたが魔力不全であることを証明してください」
「なっ!」
マサキは目を剥いた。
魔力不全の者が魔法を試みても、得られるのは全身の血が沸騰するような激痛だけである。それでもなお発動の試みを続ければ、今度は全身の血管が一斉に裂け、肉体に深刻なダメージを負ってしまう。
つまり学園長は、魔法を発動して血まみれになるところを見せろと言っているのだ。確かに魔力不全の証明として、これ以上に適した方法はない。
だが、拘束された状態でそれを決行するのは危険だった。仮に不穏分子の疑惑が晴れたとしても、不法侵入や痴漢を理由に「処分」されるかもしれないのだ。そのときダメージを負っていたら、逃走の可能性は完全に失われてしまう。
「どうしました、早くなさい。それとも、魔力不全というのは口から出任せですか?」
学園長が、ピシッと鞭を鳴らして「血まみれ」を催促する。
このままではどのみち助からない。マサキは悩むことをやめ、遂に腹を括った。
「水激! ……ぐ、ぐおぉぉぉ!」
縛られた右手を少しだけ動かして、水属性上位の魔法を発動する。
本来なら、この学園長室を一瞬で水没させるほどの洪水が発生するはずだった。だがそれは起こらず、代わりにマサキの全身を耐えがたい激痛が貫いた。それでも歯を食いしばり発動の態勢を保つと、程なくして身体のあちこちから血管が浮き上がり、一斉に裂け始めた。鮮血が飛び散り、マサキと床を赤く染めていく。
「分かりました、もう結構です!」
意識が朦朧とし始めたとき、学園長の鋭い制止の声が耳朶を震わせた。マサキは一気に力が抜けて、崩れるように腰を落とした。
「あなたの潔白は、間違いなく証明されました。不法侵入と痴漢の件についても、詳しく事情を訊きましょう」
どうやら身命を賭した甲斐があったようだ。マサキはそれを悟ると、血まみれの顔に安堵の笑みを浮かべて頷いた。
「それと、わたくしからの提案なのですが」
学園長は、これまでの無表情がウソのように優しい笑顔を浮かべると、敵視していたはずのマサキに驚くべき提案をしてきた。
「どうでしょう、マサキ。我が学園に編入してみませんか?」
「……はい?」
マサキは自分の耳を疑った。ダメージによる幻聴ではないかと思った。
しかし学園長は、マサキから視線を逸らすことなく、熱い勧誘の言葉を繰り返したのだ。
「我が学園は、すべての魔力不全の者に手を差し伸べています。今回の不祥事については最大限の酌量を約束しますので、編入の件、是非とも考慮しておいてください」
「は、はぁ」
空返事しかできなかった。
学園長の手のひらを返したような態度に、マサキはただただ呆然とするばかりだった。
作者もただただ呆然とするばかりだった。
読み返すまで思い出せなかった、この展開に。