1 救いのおっぱい
以前、公募用に書いて二次落ちした作品です。
しばらく執筆から遠ざかっていたので、リハビリを兼ね、ブラッシュアップしながら不定期で投稿しようと思います。
ブランクが長いので、お見苦しいところはご容赦ください。
あと、エタったらごめんなさい(ぉぃ
「火球!」
魔法を発動するために右腕を突き出したマサキ・フィールズは、次の瞬間、全身の血が沸騰するような激しい苦痛に襲われた。
だが、そこまで大きな代償を支払っても、体内に魔力の流れは発生しなかった。マサキは呻き声をあげて片膝をついた。魔法の発動を阻害された、ひどく不快な感触だけが手元に残る。
「クソッ、やっぱりオレの身体は魔力不全に蝕まれて……」
失意とともに言葉を吐いたマサキは、グラン王立魔法学院の屋上から、絶望に満ちた眼差しをグラウンドに落とした。
地上七階建て。それは「ギジドウ」という異世界の行政中枢施設を参考に建てられた、実に立派な学舎だった。夕焼けに染まる緑豊かな屋上庭園には、マサキ以外に人影はない。
今なら、誰にも邪魔されることなく投身自殺を図ることができるだろう。
「もういい、すべて終わりだ。十六年間の人生に幕を下ろそう」
マサキは自嘲気味に微笑むと、屋上の手摺りにそっと右足をかけた。身を乗り出すようにして、再びグラウンドに視線を落とす。目も眩むほどの高さに全身が震えて、早くも決心が鈍りそうになる。
「何やってんだ、生きてたってツライだけなんだぞ。行け、行くんだオレ!」
自らを鼓舞するように叫ぶ。
マサキは天涯孤独の身だった。生まれてすぐに両親を失い、育ての親である祖父もすでに他界している。今更、自死を躊躇う理由など微塵もない。
「よし、行くぞ!」
「あ、コラッ、ちょっと待ちなさいよ!」
それはまさに飛び降りようとして、左足が宙に浮いたときのことだった。マサキの耳朶に制止の声が突き刺さったのだ。驚いた彼は危うく落ちそうになり、全身の肌からブワッと冷や汗が吹き出した。もちろん飛び降りるつもりだったが、驚いて落ちる場合とは心の準備が違うのである。
「どうやら間に合ったみたいね」
「……」
マサキが青ざめた顔で振り返ると、誰もいなかったはずの屋上庭園に、いつしか一人の女子生徒の姿があった。
ローブの名残があるフレアスリーブのフードポンチョ。マサキと同じ魔法学院の制服である。ただし下衣は、当然ながら男子のスラックスではなく膝丈のプリーツスカートを穿いている。ブラウンの上衣もグレーのスカートも、今は西日で朱色に染まり本来の色を失っていた。
その左手になぜか異世界産のアタッシェケースを提げた彼女は、夕焼け以上に燃える赤髪のツインテールを揺らすと、空いた方の手でビシッとマサキの顔を指さした。
「グラン王立魔法学院、第八期生『首席』、マサキ・フィールズ!」
凛とした声をあげ、髪と同色の瞳でマサキを見つめてくる。少しだけつり気味の目が、彼女の強気な内面を如実に表しているようだった。
「……オレに用なのか?」
「わたしは、あなたが欲ちい!」
彼女はいきなり噛んだ。気張っていたのだろうか、気の毒なくらい豪快に噛んだ。それまで毅然とした態度を取っていただけに、いっそ無様ですらあった。
――何なんだコイツは?
投身の直前に邪魔されたマサキとしては、苛立ちを隠すことなど到底できなかった。少し恥じらう彼女の顔を真正面から睨みつける。
なかなかの美少女だったが、マサキの知っている人物ではない。
ただ、そのまま視線をゆっくり下げていくと、その豊かな胸には見覚えがあった。ゆったりしたポンチョの上からでも、容易に窺い知れる主張の激しい双丘――。マサキの「勝手に巨乳ランキング」、その栄えある第三位に選ばれた胸だった。
そう、マサキは服の上から胸のサイズを測れる「おっぱい魔眼」の持ち主なのだ。
「お、おおぅ……!」
ムクムクと湧き上がる強烈な劣情が、死へ向かっていたマサキの心を盛大に掻き乱した。
「オレもおまえが欲ちい。まずは名前を教えてくれ!」
唐突に死ぬのがバカらしくなったマサキは、鼻の下を伸ばして無意識に名前を訊ねていた。
「わたしの名前は……ていうか、胸に向かって話しかけるのやめてくれない?」
露骨な視線をやんわり非難された。だがマサキは決して動じない。それでも敢えて食い入るように大きな胸を見つめ、ただ一心に彼女の回答を待つ。
すると第三位の胸は、根負けしたように溜め息をついてから答えた。
「わたしの名前はセイディ・スタッドマン。この学院の六期生で、あなたの先輩よ」
スタッドマンといえば、呪符総合販売の老舗「チャーム・カンパニー」の社長として、広く世間に知られている姓である。現社長のドイル・スタッドマンは、経営不振に陥った自社を再建したことでも有名だった。今では、飛行船の「大空宣伝」でお馴染みの大企業にまで成長している。
「もしかして、おまえって社長令嬢の胸なのか?」
マサキは、視線をおっぱいに固定したまま真顔で訊ねた。
「そうだけど……って、そうじゃないわよ! 胸はどうでもいいの!」
急にキレ始めたセイディは、ともすれば胸を蔑ろにする発言をして地団駄を踏んだ。そしてひとしきり暴れると、ようやく満足したのか、乱れた呼吸を整えてからマサキに向き直った。
「不毛な遣り取りはこれくらいにして、そろそろ本題に入るわ。まず最初に確認しておくけど、あなたは魔力不全を苦に、ここから飛び降りて犬死にするつもりだったのよね?」
セイディは歯に衣着せぬ物言いで、遠慮なく単刀直入に訊ねてきた。
突如として、おっぱいから現実に引き戻されてしまう。マサキの心に再び喪失感と絶望感が舞い戻り、激しい嵐となって傷口を苛んだ。
「ああ、その通りだよ。オレはこれからの転落人生を考えて、ただ安直に死ぬことを選んだ」
暗く沈んだ声で惨めな気持ちを吐露する。
入学して二か月、マサキの首席としての自信とプライドは、突然発症した「魔力生成器官不全症」により粉々に砕け散ったのだ。
「魔力不全」と略されるこの病は、魔法発動時に魔力の流れを阻害し、代わりに激痛をもたらす不治の難病である。発見されてより数年、度重なる臨床試験も行われたが、病因の一端すら解明されてはいなかった。腕利きの医術師たちも早々に匙を投げたのだ。
病状の進行には個人差があり、現状維持の軽症者もいれば、唐突に全身が麻痺して動けなくなる重症者もいる。予断を許さない病状悪化への恐怖は、自死を選択するマサキの心に拍車をかけるのだった。
「得意な魔法を奪われて死にたくなる気持ち、同じ道を志すおまえなら分かるだろ?」
思わず情けない声を出して、マサキは同意を求めた。
世間に魔法ブームが浸透した昨今、魔法エリートとして鳴らしたマサキにとって、魔力不全の罹患は死刑宣告にも等しかった。
「まあ分かるけどね。でもわたしだったら、あなたと違って死を選んだりしないわ」
セイディは突き放すように言うと、更に冷然たる口調でこう続けた。
「そんなことよりマサキ。どうせ死ぬつもりなら、わたしの願いを聞いてくれないかしら?」
「……おまえって、冷たい上に図々しいことをサラッと言うんだな」
「何よ、捨てる命をケチケチすることないでしょ。わたしはあなたが欲しいのよ!」
――あなたが欲しい。
彼女はついさっき噛んだばかりの言葉を、今度は噛まずに繰り返した。こうして聞いてみると、いかにも社長令嬢らしい一方的で身勝手な要求だった。
「そこまでして欲しがるってことは、さてはイケメンなオレに性的な要求を――」
「わたしに協力して欲しいの」
セイディは、マサキのどうでもいい妄言を強引に遮った。
「もちろんタダじゃないわ。あなたが協力することで、魔力不全を治す手がかりが掴めるかもしれないの。ま、あくまで可能性の話なんだけど」
「……え?」
もし彼女の話が真実ならば、今ここで投身自殺を図るのは時期尚早である。しかし、医術師すらお手上げの難病を治すというのは、どうにも信憑性に欠ける話だった。
「悪いけど簡単には信用できないな。本当に可能性があるなら、まずはその根拠を教えてくれ」
「ええ、そのつもりよ。ちょっと話が長くなるけど、最初から聞いてちょうだい」
そして、少し遠い目をしたセイディが語り始めたのは、ある親友の身に降りかかった不幸な出来事だった。
「ちょうど一年前になるわ。わたしの親友である六期生のリサが、あなたと同じ魔力不全に罹患したの」
「は? ちょっと待て。六期生のリサって、あの『リサ・ロットフォード』のことか?」
マサキは驚きを隠すことができず、いきなり話の腰を折ってしまった。しかしセイディは、その反応が当然であるかのように、嫌な顔ひとつせずに頷いた。
リサ・ロットフォードとは、グラン王立魔法学院でも「超」が付く有名人である。学院長をして「千年に一人の逸材」と言わしめた天才少女だ。座学と実技のどちらに於いても、彼女に比肩する者など皆無だった。
その天才少女が、唐突に謎の失踪を遂げた。一年前の当時、学院中がその話題で持ち切りになった。八期生のマサキがリサについて知っているのは、その頃の尾ひれのついた噂が、依然として学院内に息づいているからだった。
「まさか、あのリサも魔力不全だったのか……」
魔法の天才が、不治の病により魔力を失う。その苦痛は誰よりもよく知っている。マサキにとっては想像に難くない、身につまされる話だった。
「じゃあ一年前に失踪したリサは、そのとき自ら命を絶って、そのまま行方不明ってことか?」
自分の境遇に重ねて考えたマサキは、咄嗟にそんなことを口にした。
だが、その疑問に対して返ってきたのは、セイディの厳しい言葉と燃えるような眼光だった。
「あなたとリサを一緒にしないで!」
わたしの親友はそんなことで死を望んだりしない。セイディのひと言は、言外にそう含ませているようだった。
マサキは、彼女の剣幕に気圧されて鼻白んだ。
「そいつは悪かったな。それじゃあ魔力不全のリサは、そのあと一体どうなったんだ?」
「一年前、リサは『時間がない』とだけ告げて、まるでわたしの前から逃げるように異世界へ旅立ったの」
「……どういうことだ?」
「これはわたしの推測だけど、魔力不全の病状が悪化して『時間がない』リサは、その治療法を異世界に見つけて、施術のために急いで旅立ったんだと思うの」
マサキは眉をひそめた。それはセイディの個人的な願望を多分に含んだ推論だった。
「それが治療の可能性ってわけか。で、オレに協力して欲しいことっていうのは?」
おおよその察しがついたマサキだったが、自分からは何も触れずにセイディの話を促した。
「旅立って一年が過ぎたけど、未だにリサからは何の音沙汰もないの。だからマサキ、異世界に飛んでリサを捜してきてくれないかしら?」
セイディの求めるそれは、マサキが予想した通りの内容だった。つまり、所在不明のリサを見つけ出せれば、マサキも魔力不全の治療法に行き着けるウィンウィンな協力関係である。
「大筋の話は理解したが、もしリサがすでに死んでた場合は――」
「施術を終えたリサは、長い異世界生活が名残惜しくなって、祖国ナイアスタークになかなか帰ってこないの。きっとそうよ!」
「……」
恐らくセイディは、リサがもうこの世にいない場合も想定している。だがそれ以上に、親友の無事を信じたいのだ。そう思うのは当然だろう。だからマサキは、彼女の心情を慮ってそれ以上は口に出さなかった。
それに正直なところ、リサの生死はあまり重要ではない。どのみち死ぬつもりだったマサキとしては、リサの生存以外に賭ける道はないのだ。首尾よくリサを捜し出せれば命を拾えるし、もし失敗しても当初の予定通り死ぬだけだ。プラスとゼロはあってもマイナスにはならない。
「よし、いいぜセイディ。乗ってやるよ。オレにとっても利のある話だ」
セイディが自分を協力者に選んだ理由は不明だったが、それを訊いてやる気を失ってもバカらしいので、マサキは敢えて質問しなかった。
「交渉成立ってことね。よかった。断られたら、屋上から蹴落としてやろうと思ってたの」
たわわな胸の前で両手を合わせて、セイディは無邪気に喜びを表現した。
「そ、それはそうと、リサの向かった異世界がどこなのか、おまえは把握してるんだろうな?」
ひと口に異世界を捜すといっても、決して簡単なことではない。観光地として最も有名な異世界テラを始め、現在地エクシアから往来できる異世界は六つもある。
エクシア、アーク、テラ、フェムト、ジル、デウス、ダイン。マサキたちが暮らす「セプト」と呼ばれる時空域には、実に七つもの世界が寄り添うように存在しているのだ。
「リサがどの異世界へ向かったか、残念ながらわたしにも分からないの」
「おいおい、冗談じゃないぜ。まさかセプト全域を捜せって言うつもりなのか?」
あまりの無理難題にマサキが不平を鳴らすと、セイディは待ってましたとばかりに極上の笑みを浮かべて、左手のアタッシェケースを床に置いた。おもむろに蓋を開く。するとケースの中には、細かい歯車を幾重にも組み込んだ七色の水晶が鎮座していた。
「これはLGMという物よ。名前の意味は知らないけど、リサが独自に造り上げた小型ゲート発生装置」
「小型ゲート……って、まさか転送門のことか!?」
異世界同士を繋ぐ城門型転送門――通称「ゲート」は、その正式名が示す通り、城門サイズの大きさを誇る転送装置だ。そして、古代技術の結晶でもあるそれは、各異世界の王都にある「ゲート管理局」でさえ、ひとつずつしか持ち得ない貴重な代物だった。
それを個人で造り上げるなどあり得ないことである。ましてや小型化など、虚言を弄するにしても稚拙すぎる。マサキは疑いの眼差しをセイディに向けた。
「何その目。ウソじゃないわよ。だってリサは千年に一人の逸材、何だって造れて当然でしょ」
セイディはまるで我が事のように、自信満々に言ってのける。そもそも彼女には、マサキにウソをつく動機がないのだ。ならば「天才」という二文字ですべて納得するしかない。
「リサはLGMを使って、この屋上から異世界に旅立ったの。でも転送先は使った者じゃないと分からないわ。だからあなたにも、ここでLGMを使ってリサを追って欲しいの。彼女の顔はポートレイトとかで知ってるでしょ?」
「ああ、見たことはあるけどな。今すぐ行くのか」
「大丈夫よ、休学届けなら代わりに出しといてあげる。他に何か不都合でも?」
「……不都合じゃなくて疑問だ。どうしておまえは、自分でリサを捜しに行かない?」
つい非難めいた口調になってしまった。マサキがセイディの立場なら、他人に頼ることなく自分で親友を捜しに行くだろう。
社長令嬢の「言い訳」次第では、せめて一緒に来いと言ってやるつもりだった。
「自分で行きたいのは山々なんだけど、残念ながらわたしの身体はLGMを通れないのよ」
彼女の返答にマサキは小首を傾げたが、次の瞬間、得心がいったようにポンと手を叩いた。
「ああ、なるほど。小型ゲートだから、その大きな胸が引っかかるんだな?」
「ち、違うわよボケ!」
セイディは途端に疲れた表情を浮かべた。しばらく半眼でマサキのことを睨みつけていたが、やがて諦めたように説明を始める。
「このLGMは、魔力不全の罹患者しか通れないの。あなたを選んだ理由もそれよ。どうしてリサがわざわざそんな仕様にしたのか分からないけど、とにかくそういうこと。胸は無関係よ。今度また同じこと言ったら命がないと思いなさい」
「お、おう」
「それと、あなたにはコレを渡しておくから、転送先が判明したら連絡して。わたしもすぐに駆けつけるわ」
そう言いながらセイディが手渡してきたのは、手のひらサイズの呪符カード「魔力装填符」だった。チャーム・カンパニー謹製の商品で、少量の魔力を補うことが可能なアイテムである。カードの表には、魔力を象徴する魔法樹のデフォルメされた絵が描かれている。
「あなたは元魔法エリートなんだから、呪符で魔力を補えば、異世界からでも『念話』で通じ合えるでしょ?」
「それはできるけどな。ただ……」
「何よ、自信ないわけ?」
「そうじゃなくて。正直なところ、旅の餞別が呪符カードだけっていうのが」
「ははぁん、他にも何か欲しいわけね。言ってみなさいよ。大抵のものは用意できるわ」
するとマサキは、急に両手を突き出してニギニギといやらしく動かした。
「これから危険な旅に出るオレを元気づけるためにも、おまえのその豊満なおっぱいをだな、是非ひと揉みさせて欲しいと――」
マサキのおっぱいな請求が終わる前に、業を煮やしたセイディの柳眉がピンと逆立った。
「いいから、さっさとリサを捜しに行けぇー!」
突然スカートを靡かせたセイディが、怒鳴り声とともに豪快な横蹴りを放ってくる。
まさかの顔面へ。
「ぐふぉっ! ピンク……だと!」
吹き飛ばされたマサキの身体は、床に置いてあったアタッシェケースの水晶体に直撃した。その衝撃を吸収するように、突如として周囲に光が満ち溢れる。LGMが手荒な扱いを受けて誤作動したのだ。
「え、これって転送前の光だろ。ちょっと待てよ、まだ話は終わってな……うおおおおっぱい揉んでないぞぉぉぉ!」
未練たっぷりの叫びを屋上に残すと、マサキの姿は白い輝きに呑まれて一瞬で掻き消えた。
かくして、異世界への慌ただしい旅は幕を開けたのだった。
少しずつ変態要素、SM要素が増えていきます。
引き返すなら今のうちですよ~。