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窓枠の中・・・2


この国を守る山々の、東の果てに城はあった。その背後にそびえる山々は、木々の神が少しずつ高くしているという話だ。

城下の市場を歩いていると、アネストに気づいた国民たちが驚きを隠さずに頭を下げる。前回視察に来た時と変わらぬ賑やかさ。人々は笑いながら作物を売り買いし、創り、『生活』をしていた。アネストはその姿を見るのが好きだったが、戸惑いながら頭を下げる国民たちに申し訳なさを感じて道を一本それることにした。

ふいに川沿いに出る。褐色のレンガが反射する青空と河、そこに自生する芝生のあおが映える。アネストは暑さに首元のボタンを一つ開けた。はふっと息を吐くと、休みやすそうな大きな木が見えてきた。

アネストはその木の近くまで寄って行った。

「あら、アネスト様?」

その声を待っていたからだ。

セラヴィよりすこし年上の女性は、栗色の髪を耳の下で柔らかくカーブさせていた。王家が街の様子を視察する際に、たびたび訪れる家だ。街の中心地からは少し外れているが、街の内情に詳しくいつも頼りにしている情報通の一人だ。女性はエプロンでそのしなやかな手を拭くと、家の戸を引いてくれる。軋むが良い音だ。

「レマさん。変わりない?」

アネストがレマと呼んだ女性は、河が通り過ぎるような声で話す。

「えぇ、おかげさまで。・・・でもどうなされたんですか?近衛兵もつけずに。」

勧めてくれた椅子に座ると、テーブルの上に重ねられた柑橘の香りがふわりと漂った。低い窓から足元に光が届く。

レマさんの家は居心地がいい。

「国王に目的地のない旅に放り出された。」

自分で言うのも少しやり場のない気持ちになり、オレンジを無造作に一つ掴んだ。皮のざらつきは感じられなかったが、その奥の柔らかさを2,3度確かめた。

「まぁ・・・国王様ったら・・・」

アネストの横に立ったレマが、口元に手を添える。

「アネスト様のことが可愛くて仕方ないのですね。」

「お前もか!!」

アネストの手に受け止められなかったオレンジが床にじとっと落ちた。

しまった。レマさんとクオは同類だった。

その時、二人の後ろのドアがぐしっと鳴る。首だけで振り返ると、そこには見たことのない少女が居た。

「あら、終わった?」

レマの声に小さくうなずいた少女は、そのまま勝手口の方へ歩き、肥料の入った箱を持ち上げた。汗が舞う様な景色にアネストの目がひきつけられた。ひざ裏の筋が浮き出る。年頃の娘にしては珍しく露出された大腿もよく締まっていた。

「あの子は?」

低い声で聴く。

「ちょっと前に・・・北の山向こうから来たって言うんです。ユノア、アネスト様がお呼びですよ。」

「あ、いや呼んでるわけじゃ・・・」

レマの声にユノアが振り返る。箱を肩ごとおろすと、すごすごとアネストのそばにやってきた。なるほどこの国の民にしては色素が薄い。顎まで届かない髪は日に透かされそうだ。まだ暑さのきつい季節ではないが、その服に袖はなく首元も空いていた。

「寡黙だけどまじめだし、素直でかわいいんですよ。力仕事も任せられて助かってるんです。」

レマがふわりとユノアの背中に触れると、その陶器のような肌が腕から耳まで赤く染まった。ユノアは口をきゅっと結んでから、

「・・・まだ、肥料蒔いてないから・・・」

そう言って足早に勝手口の向こうへと消えて行ってしまった。

北の山は広大な湖のさらに向こうにあった。そのため水の神リハルティを祀った神殿などが多く存在していると聞く。アネストも湖の向こうまでは行ったことがなかった。

共に勝手口を見つめていたレマが、アネストの前にしずしずと進み片膝を折った。アネストが口を開く前にレマが告げる。

「あの子を一緒に連れて行ってはもらえないでしょうか、アネスト様」

その瞳は恭しく閉じられ、手は美しく結ばれ、まるで神への祈りそのものだった。

「人を探していると言っていました。しかしあの年端もいかぬ子が、河の水を飲みながら飢えをしのいでいたのです。その人の手がかりが見つかるまでうちに居てはと止めていましたが、毎夜木の上に登って月が欠けていくのを哀しそうに見ているあの子を見ていたら・・・」

「待て、待て待て話が―――」

「お願いですアネスト様、どうかあの子をお救いください・・・」

そう唱え終わったレマは、もう片方の膝も床に付き、結んだままの両手の親指をその言葉を紡いだ口に当てた。

流れるような動きを止められなかったアネストは、その黒髪をくしゃっとあげて頭をかいた。おまけにため息もつけておく。

「・・・俺も目的地が分からない流浪旅のようなもんだ。近衛兵もつけていない。あの子まで守れる自信は俺にはない。」

祈りを終えたレマはやっとその瞳でアネストを捉えた。

「近衛兵をつけていなくとも、アネスト様のお顔を見たことがなくても、少なくともこの国の民はアネスト様の漆黒の髪を見て攻撃しようとはしません。」

アネストは今掴んでいる髪が全部抜けるのではないかと思った。もうレマの意志が360度ガチガチに固められているのが見なくてもわかる。腰かけている椅子も居心地が悪くなってきた。情報収集のために来たが、ここには寄るんじゃなかったと本音が漏れた。

「そうおっしゃらず、アネスト様―――」

「分かった、気持ちは分かった。だがあの子だって俺と行きたいかは分からない。もし連れていくにしても一緒に行くだけだ。自分の身は自分で守れるくらいの腕が立たねぇと連れて行かねぇ。」

それならきっと大丈夫ですよ、とレマはエプロンをはたいて立ち上がり、つま先立ちで勝手口の向こうへ消えていった。レマはずいぶんと明るい表情だったが、年端もいかない娘が知らない男と二人で旅をするなんて嫌がるだろう。それにもし万が一行くと言い出しても、力試しだと言って剣でねじ伏せればいい。

こんな入り口で時間をかけている場合ではないのだ。

アネストは椅子から立ち上がり出発する準備をした。踏み出した右足にこつんと当たったのは、さっきアネストが落としたオレンジだ。へたが傾いたそのオレンジは、きっとレマの手によって育てられいい香りでアネストを見ている。しかしアネストの手によって落とされ、アネストが戻してあげなければ机の上には帰れない。見下ろしたそのオレンジに、アネストは目をそらされたような気がした。

玄関から家の裏に回り、レマを探す。すると木の陰に、干していた洗濯物を無造作に鞄に詰め込んでいるユノアをうれしそうに見つめるレマの姿を見つけた。

「レマさん、このオレンジもらってもいい?」

オレンジを弾ませながら声をかけると、ユノアと二人でアネストを振り返った。

「もちろんお好きなだけ持って行ってください。ユノアのことよろしくお願いいたします。」

その言葉に再びオレンジを足元に落とす。

「・・・ついてくる気なのか・・?」

眉間にしわを寄せて言うと、中腰だったユノアが背筋を伸ばした。確かに細いなりにも腰回りの筋肉は締まっている。すらっと伸びた眩しい腕も、村娘のようにかか弱くはない。風の精に遊ばれているスカートは、女性らしさというよりも動きやすさを感じさせる。

「自分の身すら守れないやつを連れていく気はない。」

少し顎を引いて言うと、後ろで束ねた髪がふわりと浮いた。手袋を握りしめると、革のきゅっという音が耳に届く。そのままアネストは背後にある剣の柄に手を伸ばした。

「あ、アネスト様!いくらなんでも剣は・・・!」

レマが一歩前に出る。胸の前で握られた手は心配そうに見える。

「安心しろ、傷つけるようなことはしない。ただ俺から自分の身を守って見せろ。」

アネストがするりと鞘から剣を抜こうとしたとき、ユノアが両手を前に伸ばしてきた。

なんだ・・・?あいつ急に目つきが変わって・・・・

そう考えるか否かの瞬間、ユノアの身体から放たれた蒼い電流がアネストの全身を包んだ。地面から沸き起こるような風に思わず顔をかばう。

「おまえっ!!」

叫んだ口腔内に冷たい風がねじ込まれた。

くそ、聞いてねぇぞこんなの。

「・・・“魔法使い”だったのか・・・っ!」


ユノアの両手からさらに大きな爆風が放たれ、アネストは息を吸えず目を伏せた。真後ろで木の葉がピシピシッと、数枚切れる音がした。

止んだ風に、閉じていた目をゆっくりと開ける。前に立つユノアの手には、いつの間にかオレンジが握られていた。視線だけで足元を見ると、さっきアネストが落としたオレンジの姿がない。

「な・・・」

再びオレンジを見ると、ユノアの左手の上で花開くように、その皮だけがひらりと剥けた。

中の身には傷一つ、つけることもなく。

ユノアは表情を変えないまま、そのオレンジをあむっとほおばって見せた。


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