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琴見ヶ丘学園物語

作者: フォグブル

 まだ薄暗い時間に外に出る。

 寮の外は灰白色の靄。

 眼下の丸い人口湖からあふれ出した水蒸気がクリーム粒になって、丘の上に建つ学び舎を包み込んでいた。


 吐く息が白く煙る。頬を撫でる風も冷い。

 両手を軽く擦り合わせる。摩擦で温められた手のひらを頬に充てると、ほんわりとした暖かさが伝わってくる。

 

 今朝の気温はどのくらいなのだろ。


 近年、春の訪れはますます遅くなっている。

 この学校のある街は列島の一番西の端に位置するから、私の感覚で言えば全国的に見れば最も早く春の息吹を感じられるはずなのですが、そんな場所にあるにも関わらず、始業式を幾日過ぎても凍えるような肌寒い日は多い。

 頭の中に地図を広げる。今いる所が緯度にしてだいたい32度、標高が海抜百メートルもない。そんな場所でこの時期にこの肌寒さだ。ならばもっと北の地方だと雪が降っているかもしれない。

 

ふと思いついて校舎の奥の方向へと目を向ける。経が岳に雪が積もっているかもしれないと思ったからだ。

 でも見慣れた山並みは白い靄に遮られてその姿を隠している。これでは雪あっても分からない。

 残念。そう思う。

 ポケットから古い懐中時計を取りだして時間を確認する。もう日の出の時間だけど、この学校は東側に山にがあるため遮られてた太陽の光が届くのにもう少しかかる。


 それまでにこの靄は晴れるだろうか。そんなことを思いながら石畳の道を歩いて行った。



 □  ■  □



 朝の日課を終えて校舎に向かう時はいつも、ある種圧力めいた生徒たちの声に包み込まれる。

 ――学園の朝は、いつだってざわめきに満ちている。

 全寮制の学校ならではの短い通学路を埋めるように歩く同年代の子たちの声に耳を傾けていると、ふとそんなフレーズが浮かんできた。

 周囲数キロにわたり人家の無いこの学校の性質上、生徒達にとって身近な者同士で交わす噂話は数少ない娯楽の一つだ。実際、寮の玄関から吐き出されてきた生徒達は、みな僅かな時間を惜しむように友人達とのおしゃべりに興じていた。

 寮から校舎へ。昇降口を経て各々の教室の中へ。彼ら、彼女らの明るい声は絶えることなく続いている。

どんなに時間が過ぎ去ったとしても、たとえ時代や歴史、社会そのものが全く違うものに変わってしまっていても。

この光景だけはきっと、世界中どこの学校でも繰り返される変わらない日常の一コマなのだろう。


 ざわめきに乗って聞こえてくる話は多様性に富んでいるのが普通だろう。しかし、ここ最近は一つの話題が生徒達の間でもちきりになっている。

 より正確に言えば一人の女子生徒と、彼女の周辺に頻繁に現れる複数の男子生徒の動向についてである。

 飽きもせず繰り返されるその話に、知らず知らず小さく深いため息を洩らす。


 半年前にやってきた季節はずれの転校生の少女。そしてその彼女を囲う見目の秀麗な男達。

 それだけでも学園の生徒たちの衆目を集めるには十分すぎる条件だろう。少女はこの学園では余程のことがなければ認められない特別枠での転校生だし、少女の近くにいる男達にしても生徒会長を筆頭に、学校の自治を担う者ばかりとあれば、娯楽に飢えた生徒達がその動向に夢中になるのも頷ける。いつしか誰もが彼らの恋の行方に注目するようになっていた。

 それでどうこう言うつもりも無いが、流石に毎日同じ話題ばかり聞かされてはウンザリとした気持ちになる。それはついさっきまで静謐な場所にいた反動と思いたいけど、それだけが理由じゃない。

 

赤の他人の間で巻き起こる恋の鞘当なら、まだよかった。

だけど、ことこの件に関してだけは無関係でいることが出来ずにいた。


 足を止めて見上げた空は透き通るほどに綺麗な青。レンガ作りの校舎の奥にそびえる山々の姿もくっきりと見えた。あれほどひんやりとしていた空気も、陽の光が差し込む共にどことなく暖かくなった気がする。

 視界を広げて前を見る。普段は見過ごしているけど、丁寧に手入れされた花壇には春の草花が花を咲していた。 遅い、遅いと感じていた春は実はもう足元までやって来ていた。色とりどりの花を見て、そう思い知る。

 その事実に、言葉では言い表せない感傷を抱く。

よほど早起きした者でない限り、ついさっきまで靄がかかっていた事など気づかない。靄に隠れていた山のてっぺんに雪が積もっていたどうかなど、誰も気にすることもないのだ。


 ため息と共に首をふる。どうしてのか、いつになく感傷的になりすぎている。

頭の中を今日のことで一杯にする。そのために大きく息を吸って深呼吸。その束の間のうちに、心に沸いた何かは消え去ってしまう。


 気づけばもう、眼下の人工湖が太陽の光を受けて輝きだしている。

小高い丘の上から見下ろすと、多良山系から流れ下った川が作り出した扇状地がなだらかな平地となって湖面へ向かって広がっていくのが見える。

……そしてその先端が、スプーンで抉り取られたかの様に歪にゆがめられている事も。


見慣れしまった風景を前にして、それを不思議とも思わないであろう生徒たちの姿に苛立つ心を持て余しながらも、ポケットに突っ込んでた懐中時計を手に取る。随分と時間が経っている。

 急ごう。

 そう思い、校庭を進む生徒たちの列の中へ混じっていく。





 □ ■ □



「例のあの子、今日は風紀委員長と一緒に登校したらしいよ」

「えー。あのお堅い委員長様とー?」


 教室に入っても状況はさして変わっておらず、あいも変わらず同じ話で持ちきりだった。


 --噂の彼女が、今朝一緒に登校したお相手は一体誰か。


 始業のチャイムが鳴る前の教室で、ここ最近耳にするのは大抵このテーマだ。そして、教室に入るまでの間にその答えも十分知ることができる。


 まず通学路で少女の昨日の放課後の動向と相手が、寮から校舎の昇降口までで男どもの次なるアプローチの方法が、昇降口から教室までの廊下で今後の展開についての様々な予測について聞き終えている。

 まるで物語の読者かゲームのプレーヤーに成ったかのような錯覚をおこしそうになるほど、彼らの事ばかり囁かれている。


 そんな級友たちの間を音もなくすり抜けながら、自分の席へと向かう。道中耳にした話を統合しながら、今後起こりうる展開を予想する。

 たどり着いた机の上にカバンを置くと、堪えきれずに小さなため息をついてしまう。


 ……今日一緒に登校したのが風紀だとすれば、相手にされなかった面々はどうするのだろう。


 容易に想像できてしまう未来に再度ため息を付きながら席に座ると、まるでタイミングを計ったかな用に教室の前扉が乱暴に開かれた。

 ガンッという大きな音に驚いて静まった教室内を気遣う素振りもなく、二人の男子生徒がズカズカと中に入ってくるのを視界の隅に捕らえた私は、彼らを迎えるべく座ったばかりの椅子から立ち上がると、静かに姿勢を正して待ながら、ふと通学路に咲いていた花のことを思い出す。


あれはいったい何という名の花だったろうか?


こちらを睨みつける男たちの視線をぼんやりと受け止めながら考える。

手入れの行き届いたこの学校の庭だからこそ、あれらは花を咲かせることが出来るのだ。

そして悲しく思う。


この街の桜は未だーー




□ ■ □



昔々、とある島国の片隅にある街に、カボチャの形をしたお化けが落ちてきました。

そのお化けはとても大きな破壊と、数え切れない絶望をその街に撒き散らしていきました。

 それから何年もたち、多くの人がその出来事を忘れてしまった頃、その街に一つの学校が作られました。

それはこの国の未来を切り開くために、全国各地から優秀な若者が集められた学校でした。



『琴見ヶ丘学園高等部』



そして私が通う学校の名前。

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