閑話 始まりの前
すいません、遅くなりました。
朝日がステンドグラス越しに差し込む教会。静謐な空気が満ちる中で、私達はこの世界の創造主たる女神シェンサーラ様、その神像へ頭を垂れます。
「神に祈りを捧げましょう。フォスバ!」
「「「「「フォスバ!」」」」」
高位司祭のシェルフィアさんの声と揃えて、私達は女神様へと祈ります。フォスバは女神様へ祈る際に捧げる祝詞です。両の掌を胸の前で合わせて、目を瞑って祈ります。ここで大事なのは、掌を合わせる際に音をたてない事。拍手をするように音をたてて手を合わせるのは、女神様に自身の罪を懺悔するという意味合いを持ちます。また、この時の祝詞もフォスバとは別のものです。
私はいつも通り、日々を平穏無事に過ごせることの感謝を込めます。……そして、ちょっとだけ私的なお願いも込めて祈ります。
「……これで、今日の朝の祈りは終わりとなります。皆様、お疲れ様でした」
祈りを捧げるのは、数秒程。シェルフィアさんが祈りの構えを解いて立ち上がり、私達の方に振り向きます。同じく立ち上がった私達に向かってにこりと微笑みました。
……嫉妬するのも馬鹿らしいですねぇ。女である私でもくらりとするその美貌は、シェルフィアさんの背後にある女神様の神像と瓜二つです。
ミサが終わったので、祈っていた人達が数人を除いて教会を次々と後にします。ミムザ教の信徒である彼らの殆どはなんの特権もない一般市民です。これから行われる話し合いには関係無い、とは言いませんが責任を持つのは私達トップです。ですから、この話し合いはとても大事なのです。
「皆様、どうぞこちらへ」
女神官の方の内の一人に促されて、礼拝室を後にします。残っていた人は全員で10人もいません。商業ギルド、錬金術ギルド、鍛冶ギルド、製薬ギルドとこの街で有数の権力を持つ老が……お歳を召した方々です。
一般的に、集団の長となる者は、最年長の方、もしくは相応の権力を独自に持っている方が務めます。歳が召している方はそれ相応のコネクショウと年の功と言うべき腹黒さを持ち合わせています。つまり、とても面倒くさいという事です。殆どが歳が60を越えている中で、冒険者ギルドの長を24で請け負った私は、とても浮いています。それはもう、風船のようにふわふわと。
あぁ、2年前の私を張り倒してしまいたい。そうすれば今も腹の真っ黒な爺さん共にいびられずに済むのに……。
「…………」
彼らは私のような若輩者が自分達と地位が並ぶのが大変気に入らないようです。昔はよくお菓子なんかをくれた優しい人達だったのですけど。時が経てば、どんなものでも変わるのでしょう。私も、20年前とはまるで変わりましたしね。あの頃思い描いていた未来とは、大分かけ離れてしまいました。お父さんのお嫁さんになる~なんて言っていた時期もありましたねぇ。
別室に着きました。コの字に置かれた長机に、好きに座ります。ガタン!と乱雑な音をたてて、私の隣に人が座りました。……びっくりするじゃないですか。
「……もう少し丁寧に座って頂きたいですね。フリットさん」
「おー悪い悪い」
「言葉ではなく、行動で示して欲しいのですけど?」
「細かいことは気にしなさんなって」
「細かいことじゃないと思いますが……」
「細かいと思うぞ~」
「…………」
じとりと、彼を見る私の目付きが悪くなるのが分かります。ですが彼は相変わらずへらへらと捉え所の無い笑みを浮かべるばかりです。この人も、小さい頃は無邪気な笑顔をよく浮かべる優しい少年だったのですけど……。今ではすっかり荒くれ者の冒険者に様変わりです。まあ、私はその荒くれ者の組織の長をやっているのですが。
私の隣に座る男性は、フリット。この街唯一のB級冒険者パーティのリーダーであり、私の幼馴染でもあります。
彼は私と同じ26歳という若さで、実力でB級にまで位を上げた天才です。B級の冒険者と言えばレベルは70を越え、世間の常識から見てベテランと評される実力を持っている者であり、フリットもまた、その実力を持っています。私のように、成り行きと偶然で得た地位ではありません。彼が、彼自身が、自らの力で勝ち取ったものなのです。
フリットがこの話し合いに呼ばれたのは、その影響力からです。街一番の実力者の行動は、多方面に影響を与えます。彼にも知ってもらっていた方が面倒が少ないからだと教会側が判断したからでしょう。
「それでは、今から教会本部より通知された女神様からの神託についてお話ししたいと思います」
……はっ!?いけません。物思いに耽っている場合ではありません。この街の為、冒険者ギルドの為、この話し合いは一語一句逃してはいけません。私は表情を引き締め、シェルフィアさんのソプラノの声に耳を傾けます。
「………」
そんな私を、フリットが静かに見つめているのをその時の私は知りませんでした。
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「……はぁ」
教会から出て、張り詰めていた緊張の糸が緩んだからか、口の端から溜め息が溢れます。朝の6時頃から始めた会合は、混迷を極め、ついさっき、4時間経った10時頃にようやく終了しました。
私達が話し合った内容は、8日前に聖女であるシェルフィアさんが女神様より受け取った神託についてです。シェルフィアさんが受け取った神託は、次の通りです。
『霧の門より、多数の霧人現れり。彼の者ら、世界を切り開く者なり』
霧人とは、おとぎ話で語られる英雄とも悪魔とも言われる伝説の存在の事です。女神様から祝福を受け、体が滅んでも復活できる、嘘のような力を持つ者達。故に、彼らは死を畏れない。彼らにとって『死』は終わりではないから。
そして、最も恐ろしいのが霧人達は誰もが善人ではないという点です。女神様が祝福を与えた人物達という理由で善なる者であると錯覚しがちではありますが、おとぎ話では決してそんなことはありません。彼らは残酷で、冷血で、優しく、利己的で、勇敢な愚者でした。自分達を『プレイヤー』と名乗り、私達を『NPC』と呼ぶ彼らは、理解の及ばない謎の存在です。文献では、最も最近霧人が現れたのは1000年以上も前だとのことです。
……正直言って、とても恐ろしいです。彼ら霧人は死んでも蘇る、けれど私達は死ねばそれで終わり。女神様の祝福を持たない私達に、復活はあり得ないのです。伝承では、蘇生魔法や蘇生の神薬も存在するらしいですが、とても信じられません。もし彼らが私達を殺そうとすれば、あちらが諦めるまで私達に安息はあり得ないのです。
だから、私は全力で霧人を支援する。私は死にたくないし、死ねない。私が死ぬのを許さない。……いえ、私が死ぬだけなら、まだ良いのです。でも、冒険者ギルドの彼ら彼女らが、この街の住人達が死ぬのは許せない。だって、それは父が守ろうとしたものだから。お父さんが守りたかったものだから。でも、お父さんはいない。お父さんがいた場所に、今は私がいる。だから、私が守る。霧人がなんでしょう。女神様の祝福がなんでしょう。
ギルドの老害達は自身の利益を優先して霧人に取り入ろうと、他を出し抜こうと、画策しています。霧人に何をするのか、とても分かりません。彼らは、霧人が恐ろしくないのでしょうか?
シェルフィアさんは女神様の敬虔な信者です。霧人が信仰を蔑ろ──女神様を侮辱するなりなんなりしなければ、霧人に対して友好的であろうとするはずです。なにせ、霧人は女神様の祝福を持っているのですから。ですが、おとぎ話の中で、霧人は神を信仰する者は少ないと言われています。自身に神の祝福を得ていながら、です。……シェルフィアさんは思慮深い方ですが、女神様のことになると、視野がとても狭くなります。
「私が……私が守る……!」
教会を頼り過ぎては危ない。他のギルドは利益に目が眩んで何をするのか分からない。
私が、この街を守るんです!
NPC:エリーゼ Lv.25
エルディン支部の冒険者ギルドのギルドマスターを務める若き才媛。亡き父が就いていたギルドマスターという地位をとても大事にしていて、自分は今の地位に相応しくないと苦悩している。……が、そう思っているのは彼女のみで、周囲は彼女の努力と能力を評価しており、若干空回り気味。亡き父に追い付こうと四苦八苦するも、実は既に能力に於いては越えており、思考が時々謎の方向にギガインパクトしない限りはとても優秀。普段は副ギルマスと運営をしながら、受付での仕事もこなす。




