045 街の人外
どうぞ。
交差する曲剣に、確かに先のものより濃く見える青紫色のスミレ。あれこそが盗賊のエンブレムであり、似たようなものが迷惑をこうむった馬車だ。
「荷物は大事に扱えよ。中身が出たら大変だ」
「分かってる。あんたの名前は……」
「ユイザだ。よろしくな、ビヨール」
「ああ、よろしく」
するりと馬を刺し殺した鞭がそのまま馬車を持ち上げ、軟着陸させた。
「お疲れさん……不可視化してる護衛がいたら頼む」
「了解だ」
岩陰からさっと走り出たユイザは、何が起きたのかちっとも分かっていない御者をさっと掴んで投げ飛ばす。とっさに鞭で受け止めるが、死なない程度の着陸をさせて放っておく。馬車の中で何が起きているのか、というより誰がいるのかも分からず、適当な迷彩や隠密でおこぼれにあずかろうとしたプレイヤーを全員瞬殺してから、ユイザが出てくるのを待っていた。
「おーい、終わったぜ……荷物頼む」
「分かった」
何だ、とは決して聞かない。
『大きくて細長い布袋』と、『乾燥した束が詰まった木箱』、『重い木箱』などを運び出してから、ビヨールはつい漏らした。
「やけに柔らかい荷物だな」
「どこを触ってる? しょうがないやつだ」
超高レベルの隠密スキルを使用した影がふわりと降りて、影を作る。ビヨールは必死にそれが何か知覚しようとしたが、そこにいるということ以外何もわからなかった。
「メッセンジャーです。メッセージを再生します。――『ご依頼申し上げた件ですが、香炉の破壊を追加でお願いしてもよろしいでしょうか? 素材の復元が不可能な状態になるまで破壊していただければ、香炉ひとつにつき千ルトの報酬を上乗せできますが』――とのことです。いかがでしょう」
「オーケーだ、頼まれた。ただ千もいらん、百でいい。報酬を下げさせろ」
「かしこまりました。快諾いただけるかと存じます……それでは、これで」
現れたときと同じように、影はすっと消えていった。
「気付いてるか? 気付いたから言ったんだろうがな。浄化系統のスキルでもあれば簡単に消せるんだがね……おっと、気絶してるだけか」
ビヨールは、言葉が意味するものを察して、ゾッとする。『大きくて細長い布袋』は、薬物で汚染されている前提なのだ。それが何かということに触れなくても分かる。
「ビヨール、追跡系のスキルは持ってるか? あれがあると家を見つけられるんだがね」
「さすがに持ってないな。いま取っても熟練度が足りなさそうだが」
もぞりと袋が動く。
「あ……」
すぐさま脆弱形態に戻り、ビヨールとユイザはその少年に声をかけた。
「大丈夫かい、ルクラくん」
「心配はいらない。家へ戻れる」
口の端が切れたルクラ少年に、中級のポーションを飲ませる。下級ポーションは薬の味だが、中級にもなると自販機のジュース並みの味にはなる。傷が治る実感よりも、その爽やかな甘酸っぱさのおかげでごくごくと飲み干したようだった。
「ありがと、おっさん。でもおれ、家には戻れないよ」
「どうしてだ? 盗賊はやっつけちまったぜ」
「……おれは、自分を売ったんだよ! 家に戻ってもなにもできねえから……でも、途中で荷馬車が襲われちまって」
とうとうと説明するルクラ少年は、ビヨールの常識からかなりずれていた。
「やーれやれ。公式機関に届けるってのもめんどくせえ仕事だなあ」
「なぜあんなことを……」
ルクラ少年は、結局のところ売られて行った。盗賊に売られるか、それとも公式の商人に雇われ先を見つけてもらうかというだけだったのだ。それとて高い斡旋料を取る商人であり、行動原理はやはり金儲けだ。
「誰が「正義の行いをします」って言った? あれがもっともこの世界の理屈に適った行動だぜ。よく聞け、子供が自分を売りに出すってのはよっぽどだ」
貧しい家ではままあることらしいが、貧しさも相当のものでなければ公的には認められることはない。加えて、盗賊のビジネスの勢いを殺ぎたいようであった。
「病気がはびこる男娼か、それとも三年で死ぬ鉱山か……なんて選ばせられるか? 一生年季が明けない労働だろうと、あの少年は仕送りができりゃいいのさ。それともなんだ、あれを素材同様に売っ払って武具を買う盗賊を応援したいか」
「そんなわけがないだろう。……だが」
「この世界は、ダイアモンドを作ろうとして失敗した炭クズだ。子供は労働力、子供は資源、子供は素材アイテムなんだ。まあ一応正義の行いみたいなもんだが……どっちにしたって、世界人の面倒を見るのは無理だわな。ああ、そんで木箱の方だが――」
路地裏に引っ込んで、ペラペラとよくしゃべる男を相手にしながら、ビヨールは「情報ってこんなに漏らしていいもんなんだろうか」と内心冷や汗だった。
「ヘロイン……って知ってるか。あれは最高の麻薬なんだが、麻酔薬の材料にもなる。あの箱に入ってたのはそういう草だった。燃やすといくつかの状態異常を複合して引き起こすようになってる。いわゆる阿片みたいなもんだ」
いわゆるって言われても知らないんですけど! という顔をしながら、ビヨールは顔が変わるのを隠さずに話を聞く。
「――が、すりつぶしてポーションに混ぜると「痛覚パーセンテージ低下」やらそれっぽい効果が起こったり、ひとビンをいくつかに分割して混ぜると状態異常が裏返るなんて恐ろしいことまで起こる。つまりステータスの超強化だ。表向きは、高級素材ということになってる」
なるほど、毒を薬にする手段があるあたり、いかにもという印象を与える薬草だ。
「麻薬と人身売買を同時に潰したわけだから、報復も激しくなるわな……。ちなみに犯罪スコアを溜め込んでる世界人なら殺してもこっちのスコアにはならないぞ」
「なるほど。それはありがたい」
路地裏でする話にしては危険すぎる気もしたが――と思っていると、すぐさま結果が現れる。路地の両方を塞ぐように、見せ筋がいい感じのチンピラどもが出現していた。
「うちのが世話になったみてえだな。ずいぶんほぐしてくれたみてえで、礼を言うぜ」
「礼はいらんよ、小悪党。ずいぶんな犯罪スコアだな」
「けっ、覗きやがって気持ち悪ィ。親分がずいぶんお怒りだぜ、詫び入れるなら今が最後のチャンスだな。どうすんだオッサン?」
「ビヨール……こいつらをどう思う?」
聞かれて、ビヨールは素直な感想をそのまま口にする。
「同じ人間とは思いたくないな。まあ、俺は人間じゃないが」
「ああ? なるほどなァ、遊生人か。お前らのやり口はもうだいたい分かってるぜ。幼いうえに自分の力を過信してやがる」
「はっはぁ……はは、は。なるほど? 遊生人を殺して粋がってる世界人ね。こいつはいたぶりがいがあるなあ……ビヨール。俺はここで遊ぶから……ちょっとその辺で待っててくれるか?」
「いや、もうログアウトするつもりだ」
こいつがどんな人間かは知っている――いや、もう知りたくないくらいに、知らざるを得なかったというべきだ。このユイザという男は、盗賊よりも恐ろしい。盗賊狩りも難なくあしらう強さを持ち、それ以上に絶対的な強さを持っている。
「さあ……お楽しみの時間だな?」
ビヨールがログアウトしたのを確認してから、ユイザ・ガラストゥラはその力を半分以上解放する。
「いつも封じてると錆びちまうからな。ひと月近くユニークボスとも出会ってない。実にいいタイミングで来てくれたぜ、お前たちは」
静脈血のようなすさまじい色の束がどろりと拳から溢れ、固体になってまとわりつく。
「ちっ、化人族か……重ねでやれ!」
「「おっす!!」」
純属性魔法は、単なる装甲の固さだけでは対応しづらい。魔に片足を踏み込んだ化人族は裁きの力を持つとされる光に弱く、次点として清らかな水や炎にも弱い。セオリー通りの対応をした二人の術師だったが――
炸裂した火球では、大したダメージは入っていない。
「こら、こら……心の清くないものが使うと、もれなく汚れるんだよ、魔法ってものは。浄化属性が入ってる特技じゃなきゃ、無駄だな」
隠密スキルの派生「消滅」を使って正面から首を切ろうとした暗殺者が、裏拳で壁に叩きつけられ、嫌なにおいを放つ壁画に変わった。
「あのなあ、いくらなんでも「正面から」はちょっとねえだろう。さてと、犯罪スコアがぶっちぎってるそこのゴリラ、とっとと来い」
「おれを筋肉呼ばわりするやつは――殺す!!」
意外に繊細なんだな、と感心しつつユイザは通りすぎた巨体に必殺特技を撃ちこむ。実際には化人族の固有必殺特技〈ディザスター〉ではないが、相手の三百というレベルからすれば必殺で間違いない特技である。
「な、なんだ、体が……!?」
「パスキルも特技を生じることがあってな。ちょっとした殴り系の特技なんだが、ダメージはそこまであるわけじゃあない」
バスケットボールを殴ったような音にしては、一パーセントという少なすぎるダメージ。しかし巨体の男は、すぐさま攻撃の正体を知る。
「あ、あぁあっ、おおぉがあ」
体が熱い・寒い・痛いおかしい。ひとしきり異常に苦しんだ男は、目から青黒い水銀のような涙を流し、口を半開きにして息絶える。そして、そのクチから。
「ひ、ひぃいいいっ!?」「た、体内から虫がっ」「おのれ呪法術師か!?」
「虫じゃないし、法術師じゃあない。ひどい仕打ちをするやつに、ひっどい不快感を与えながら死なせるスキル。〈破侵〉って名前だ」
相手を壊し、体内を徹底的に侵して殺す。そして――
「これだけ強力なスキルを使ったのに……」「MPが減っていないッ」
「消費するマナを相手に押し付けてるんだよ。簡単に言えば、体内で自分の魔力から発生したものに殺される……人為的にガンを引き起こすみたいなもんだ」
彼の保有するパーソナルスキルは〈武器防御【超】〉、〈破侵〉、〈敵対〉――のみ。下手をすれば人間にも劣りかねない少なさだ。しかし、それゆえに熟練度は誰にも劣らない。そしてまた、応用力や派生能力も、当初のスキルとはまるで別物になるほどの強化を施すまでに進歩していた。
「影からこっそりのぞいて、手を出さずに逃げられると思ったら大間違いだぞお嬢ちゃん。呪法術師と殺戮者を両方取るとはずいぶんな化け物だが……」
彼ら盗賊の下っ端たちは、何の根拠もなしにえばっていたわけではない。自分たちが遠く及ばぬ存在を背中に隠していたがゆえの余裕だったのだ。数百を殺さねばたどり着けない境地〈殺戮者〉と、それまで存在すら知らなかった相手でも、顔と名前を認知すれば遠隔で殺せる〈呪法術師〉を両方職業として持っている怪物がいようとは、ユイザも考えてもいなかった――
が。
「浸食結界は正常に作動、ありがたいねえ。さっきのゴリラもそうだが、犯罪スコアがある程度あれば拘束する設定にしていたんでね。……おい、いったい何人殺した、お嬢ちゃん?」
雑魚の男たちにはサディズムたっぷりに接していたユイザだが、年頃の少女にしか見えないモノが数千の犯罪スコア、殺しにして五百はゆうに超えていると思われるものを蓄積していることには戸惑っている。最高級に近いほどランクが高い革鎧の少女は、足に突き刺さった青黒い糸を一瞥した。
「――っとッ、こいつ……!?」
少女の眼が、邪眼と形容することですらふさわしいと思えないほどの悪を宿す。そして、無邪気に投げ出すようにして蹴った足が、結界の構成要素である〈破侵〉の細い鉄線を引き千切った。
「ユニークボス……だと」
ユイザの視界に現れたウィンドウは、「三つ」の名前を示している。ただ、ひどいブレとノイズが絶えない。
「ヤレヤレ、真名を明かしてまで擬態していたものを。ワレは〈ズィークウェルプ・ロミョル・リエントーナ〉。ワが名を魂に刻んで震えよ、ワレと同じ力を持つものよ」
背中からずる、ずるる、ずるつうずるっずうずず、と無数の何かが溢れる。
「人間のジョブを取ったのは戯れよ。ワレらがアームはそれをはるかに上回る補正をもたらす。ジョブを取ったも、それはそれで戯れるには愉快であったがな」
かわいらしい声はそのままに、帯状の乳押さえのみを纏う上半身――の前半分だけが残り、腰から下と背中はすべて泥よりもなお汚いと思わせるヘドロ色の粘液に変わる。
「ワレと戦いたければ、僭称者を超えることだ。ククク……真に二つ名にふさわしい生物となって出直してこい」
しかし瞬時に変化は巻き戻り、少女は跳躍して空中に拡散し、消える。
「おいおい……化け物を雇ってるなんて聞いてないぜ」
ユニークモンスターには職業があるのではないか、という話はエヴェルから聞いていた。しかし、人間の職業まで補正に入れているモンスターなど前代未聞だ。
「ビヨールにも相談するか……いや、エヴェルと……六位どのに出張っていただく羽目にはなってほしくないが」
路地裏から出たユイザは、大きなため息をついた。
強いやつを雇う→人間じゃなかったー!? というのはそこそこありそう。ほら、ベルセルクのエンジョイ&エキサイティングな彼らとか。化人族は特別に用意されてるのでアレですが、人間じゃないやつを雇ってしまうとあとあとヤバそう。
ちなみに「僭称者」は「名前にふさわしくないもの」という意味です。ユニークボス基準だと「名前が多い=強い」なので「二つの名前を持つ」ことはそこそこ強い証なんですが、ユイザさんでもまだ足りなかったらしい。というか一つしか名前がないプレイヤーは本編にはそう出てこないので……。七つ名前を持つお嫁さんはどこの国でも通用する本物。