063 「種族学入門Ⅱ」実習編
どうぞ。
ログインしてすぐ、私は橋川に聞き忘れていたことを思い出した。どこかの屋根にいたらしいエヴェルさんがぴょんと飛び降りてきて、あいさつもそこそこに「では行こうか」と手をエルティーネ方面に向ける。ラゾッコの中央部は屋根にいると人待ちをしやすい、と聞いてはいるけど、高いところにいるのはこの人の癖だと思う。
「あの……ほんとに行くんですか?」
「今回ばかりは、行かないという選択肢がない」
大変あいすまないことではあるし、私から始まったことで君を巻き込むのはとても申し訳ないのだが――と前置きしながら、エヴェルさんは説明を始めた。
「二年前に起こった騒動で、人間と化人族の関係は最悪になった。どのくらいひどいのかは君も知っての通りだ。ディーロも配下にはとても優しい、国家の英雄でね。私は彼に嫌われている」
「仲たがいの理由は、ちょっと聞きました」
「道すがら、それについても詳しく話すとしようか」
歩いている道は暗くて、話の内容も暗そうだ。
「あれから後、我々には様々な不幸があった。中でもひどい目に遭ったのはディーロだ。というよりも、彼はいちばん不幸だったと言っていい」
声は硬くて重い。
「彼とはどのくらい話したのかな? 過去のことは聞いただろうか」
「いえ、ぜんぜん」
声は聞いたけど、話すというほどは話していない。
「そうか……。私は彼とは仲が良かったよ。三位も交えて話をしたりしたし、仲間も何人かいた。――その仲間こそ、現在の英魔」
ディーロさんと、見たことはないけど「レェム・ティンヴェル」さんは同じ時期に捕まって、体の一部分を取られ続けた。回復魔法には手足を丸ごと再生できるものもあるし、体の一部分といっても、大きさによっては普通の魔法で治る。言葉にも文章にもできない、受けたものにしか分からないような苦痛を与えられて、ディーロさんはつい、相手の誘いに乗ってしまった。
「相手はじつに卑怯でね。あるものを見せて、こういった」
――我々は効率主義だ。これが何か分かるか。二人分を手に入れるのは数という意味でたいへん良いが、質ではこちらが勝る。
――仲間を連れてくれば、量は質に勝てるだろう。お前が拒めば、お前は「これ」が採取されるところをえんえんと見ていることになる。
――どうする? 拒否しても構わないが。
「心臓のほかにもそういう場所があったようだ。詳しくは教えてくれなかったが」
「知らない方がいいんじゃ……」
「それは、そうだがね」
見た目がいい人に協力させて「混成種も受け入れる、いいギルドがある」とディーロさんはウソをついて、仲間を集めた。行き着く先がどこなのかは知っていても、二人分の地獄が少しでも薄まるなら、それが六人になって時間が短くなる方を選ぶだろう。それは誰だってそうするしかない。
「自分が全ての元凶になった、と思っているうえに……彼を襲った不幸はひとつではなかった。王国にいる「呪われた騎士」が、ついに呪いとしか思えない能力を持った成長ボスと対峙し、倒れてしまったんだ。彼の師匠であり、騎士団長だった」
ダメージ反射・ダメージ変換という恐怖の能力は、併せて使われた。
「殴られたのに痛くない、切り付けているのに傷が治っていく……そんな力を持ったゴーレムだったそうだ。しかし、休んでいるときに本当の恐怖が始まる」
ゴーレムは、見た目に似合わない素早さを見せて逃げていった。こちらも一旦街に戻って、討伐の本格的な作戦を立てよう――とその人が言ったとき、突然吹き飛んだ。
「時間差のダメージだ。そして、物理ダメージを継続ダメージに変換し……ディーロが戻ったとき、騎士団長は半死半生だったらしい。彼の師匠はそうして死んだ。二つ名の成長ボスなど、復讐と怒りに燃え盛る彼にとって敵ではなかったようだよ」
いつもの鎧は、そのときに手に入れたものらしい。
「……王国は化人族を受け入れていなかった。国の中にいるのはいいが、正式にどこかの団体に所属するのはダメだったんだ。彼は「騎士見習い」から「騎士」になることができなかった。もともと見習い期間中に殺人をしてはいけなかったし、していなくても正式な騎士としての活動はできなかっただろうね」
ディーロさんは「黒騎士」になり、そのままどんどんと暗黒騎士系統へ成長していく。今の職業はどうしたんですか、と聞いてみると「国難を救ったんだ」という答えが返ってくる。
「正直、あれでゲームを続けているなんて……と思ってはいたんだがね。同じ目に遭ってなお支え合い続けるレェムがいたことが大きかったのかもしれない。……私がリアルで少し忙しくしているときに、エルティーネに災害モンスターが現れてね……レェムとディーロのコンビで倒した、と聞いている」
「災害って倒すものなんですか?」
「いいや、違うよ。世界人たちは対抗することもできず蹴散らされるはずだった。さて、続きは空の旅をしながら、としゃれ込むことにしよう」
冗談めかしたエヴェルさんの言葉に、どうやって飛ぶんだろうと思った私は、無数の羽音を聞いた。耳障りな、生理的な恐怖を引き起こす音だ。
「だいじょうぶだよー、ユキカさん。ね?」
エメラルドみたいな金属光沢の、化人族の人がいた。
「ルギス・クラット、お二人をお迎えしますよー。さ、乗って。直接乗るのは怖い? ちゃんと用意してあるからだいじょうぶだよ」
相変わらず、会話が成り立っているのかいないのか分からない人だ。
「そっか。四角の陣形……護衛は倍の数。いいよね?」
ルギスさんが柔らかな声で言った瞬間、無数のモンスターは軍隊を思わせるような整った動きで彼の手に戻っていって、その指輪に入った。
「種族名はエメロドラグーン、竜虫にして最強クラスの小型モンスターだ。彼のように「友達」にならなければ、よってたかって肉片にされるのがオチだね」
「エヴェルさん、冷たいこと言わないでよ。ディー兄ぃに言うよ」
「いや、すまない。一般的な見解を述べたまでだ」
「気を付けてね。……みんながいい子じゃないからね?」
ルギスさんが言うには「僕は彼らの支配権を握ってるわけじゃない」ということらしかった。あくまで友達とか兄弟レベルの仲で、言うことを絶対に守らせるとか死ぬことを前提とした戦い方をさせるとかはないらしい。
「ユキカさんもさ、二人の友達に「盾になれ、死ね!」って言えないよねー?」
「ダメですよ、そんなの……」
「だよね。この子たちは、いっぱいいるから名前は付けてないけど、見分けられるよ。姉さんと離れてからやっぱり寂しくて、みんなと友達になったんだ」
それじゃ乗って、と示されたのは、どう見ても船だった。
「ちゃんと吊るして飛ぶからだいじょうぶ。護衛も腕利きだから」
「……はい」
安心してください、強いですよ! というふうに前足の爪をしゃきっとやってみたり、大あごをくわっと開いて見せたりするのが、コミカルなはずなんだけど超怖い。
三人で乗り込んですぐ、静かな羽音とともにトンボに吊られた船はふわっと浮かんだ。にぎやかな帰り道で話す程度のトーンで会話できるくらいの、空を飛ぶときはこれがいいなと手のひらを返してしまうような静かさだった。
「ディーロは怒っているのかい」
「当然ねー……。ただ、ユキカさんは英魔全員が注目してるよ」
「え、なんでですか」
「知ることと受け入れることは違うんだよ」
ビヨールという人が最近英魔の配下に加わったらしい。その人には人間種族の友達がいるけど、とくに気にしてはいないそうだ。
「流してるんだよね。それもいいと思うし、理想のひとつだとは思うんだけどさー。両者の問題を見てない、無視してるんだよ。一緒にいるとき「なぜ?」って聞かれて、理由が必要なときがあるんだよねー……」
優しい柔らかな声だけど、言っていることは優しくない。
――お前がこの人と一緒にいる理由は何だ?
要約して厳しい口調にしたら、そういうことだ。
「理由を欲しがる生き物だからねー。エヴェルさんはまあ、その性格とかもだいたい知れてるからさ、いいんだよ……目の前にいる人を助けるし、個人を重視する。だからね、人間が目の前にいたら、それを助けるんだ」
「その通りだ」
力を万全に使うために変化しているルギスさんは、黙ってエヴェルさんをにらむ。顔の形とか表情はまるで分からなかったけど、たぶんそうだ。
「……すまない」
「違うんだよー。ふつうは違うんだよ……裏切られたら、似たような人をみんな嫌いになるのがふつうなんだよ。……『人間は信用ならない』って、思い込むものなんだよ」
『人間は信用ならない』というところだけ、地獄みたいな声だった。
「だからね、善意なんだ。解放してあげようと思ってるんだよ。流れに乗っかっちゃう方がずっとずっと楽だから、みんな同じ流れに乗ろうよって……」
「あいにくと、私は「善意」には屈しない。このばかばかしい思い込みを持ち続け、死ぬまで呪われ続けてやるとも。いいひとはいいひとなのだ」
それは、ヴェオリさんが言っていたことと似ていた。
まず人を見たら嫌うのはやめている、その人となりが分かってから判断するようにしている、とヴェオリさんは言った。エヴェルさんはもっと優しくて、狂っている。ディーロさんはその真逆だ。人間が大嫌いで、人間を見ないように暮らしている。
「ヴェオリも知ってる、僕も、シュールームも知ってるよ。ユキカさん、怖くても我慢するし、きちんと話してくれるからねー。本当にいいひとなんだ」
首がかっくり折れて、寝るのかと思ったら「でもね」と続く。
「みんなは、そう思わないよ。関わる人数には限界があるから。みんなにいいひとってことを伝えても、「洗脳されたか」で終わりだよー……?」
首がからくり仕掛けみたいにぎりぎり戻っていく。
「二人には悪いけどねー。関係は今夜で終わり。誰も祝福しない二人は、いなかったことになる。祝福されたいなら、……そうだなー」
エヴェルさんは黙っている。
「決まった運命を逆さにするくらい、ものすごいことをしなくちゃね?」
空から見たエルティーネは、円形の城塞都市だった。デーノンやラゾッコとは違う、夜でも月明かりに映える白い石材でできている。エヴェルさんが言うには化石木材という貴重な素材らしい……けど、街中全部それだ。この街に全部集まっているんじゃないだろうか。
「それでは、堂々と門をくぐって入ろうか」
「……はい」
エヴェルさんもそれなりに緊張しているはずなんだけど、足取りはいつも通り、威風堂々という言葉が似合う。杖は手に持たず、何かあってもどうしようもない状況だけど、それが逆に弱さを際立たせていいんだ、ということだった。
「綺麗な街ですね、夜なのに……」
「夜に美しくあらねば、怪人ではないよ」
独特の美学らしい。
私たちが門から堂々と入り、王城に向かってまっすぐ進んでいることが街中に広がったのだろうか、人が集まってくる。人といっても、なりたてらしいグロテスクな混成種の人がいて、化人族でも変化している人としていない人がいた。
人が集まっていることがさらに人を呼んで、いつしか王城への道に人垣ができる。怖くて恥ずかしかったけれど、私はできる限り横を見ないように、エヴェルさんの背中を追いかけていった。
お城の門番さんにもやっぱり止められる。
「止まれ」
「英魔第二位、エヴェル・ザグルゥスだ。王の招集により、これを伴って参じた次第。書状はこの通り」
「――済み申した」
「ありがとう」
門番の人は困ったような声だ。人間を城に入れるなんて、と考えているのかもしれない。それも今日限り――と思うと、私はまともに城を出られないのかもしれなかった。
「さて。ここがエルティーネの統治者「森王」の居城だ」
お城をほとんど見たことがない私には、ただすごいなあ、としか思えなかった。街の化石木材よりずっと豪華そうな石材の柱や、金色よりも美しく思える色のシャンデリア、いたるところにある魔法灯を見ると、人間には及びもつかないんだな、と思えてくる。
「行こう」
エヴェルさんは、長い廊下を歩き出した。
就活中なのですが、ワンステップごとに一旦停止を繰り返していて本当にイラつきます。まあ、あの父親が人生の邪魔になるのは前からわかっていたことですが、まさか「中間搾取が嫌い」などと言って就活サイトの登録までも妨害するとは……。人形遊びに付き合っている暇などないんですけどね。
……あれ、私に宿る数々の異常の原因ってほとんど父親……? たまげたなぁ(白目




