060 姉妹
どうぞ。
少女は場所に似合わぬ可愛らしい装いだった。
黒い、すそがレースになったワンピースに艶めく黒のニーハイソックス、肩ひもは白い下着のものと合わせて四本が見えており、恐ろしく美しい、流れるような黒髪には桔梗の飾りを付けられている。ノースリーブの肩から伸びる美麗な腕、その先端にはふっくらとした白い手があり、爪には黒紫のマニキュアが施されていた。モノトーンに紫のワンポイントという、なかなかにセンスを感じさせるコーディネートなのだが――
転んで地面に手を突いただけで大けがをしそうな、金やすりを数百倍に巨大化したかのごとき、平らという言葉を知らない岩肌。ひどい湿気を帯びた地面には不気味な燐光を放つコケがぬめぬめと光っており、地面の危険さに拍車をかけている。おまけに向こうからは悲鳴や怒号、狂笑のようなものがひっきりなしに響く。尋常な人間が入ろうとするような場所ではなかった。
おぞましい洞窟の中をふらふらと歩みつつ、目はいつ閉じるかと思われるほどに、少女は首をこっくりこっくりと揺らしている。
「ただいまー……」
「あらぁ、おかえりなさい」
優しげな声で、少女に声がかけられた。
「ガル姉ぇ、……いつも思うんだけど……ほんとにお姉ちゃん?」
「あらもう可愛いこと言うんだから。私は漢の娘よ?」
声の主は、少女よりはるかに巨大な肉体を持つ昆虫だ。単に化身していないだけの話だが、それにもきちんと理由があった。
「外のおんなのこ、私みたいな声だった」
「もう、もうもう! そんなこと言わないでっ!」
低く太い声で、「ガル姉ぇ」はわたわた手を揺らしながら反論する。
「いま化身の術をもっと完璧にしようと思ってるの。パーフェクトな私になるまで、もうちょっとだけ待っててちょうだい」
「うん。……ねむい。ガル姉ぇ、背中で寝かせてー……」
「んもうしょうがないわね……ひざまくらしてあげるから」
「ありがと、ガル姉ぇ」
「ちょっとだけ待って――ふんぬッ! ゾいやァッ!!!」
どうやら失敗したらしく不満気な声を漏らす「ガル姉ぇ」の化身した姿は、……声に似合っているという表現以外に彼女の怒りを買わなくて済みそうな言葉がないような、そんな姿だった。
「ほら、ルク。そんなところで寝ちゃダメよ」
「んにゅ、むぃう……」
化身した姉妹の姿を弱者だと思ってか、今しがた生まれた竜虫が彼女らを喰らおうと鎌首をもたげる――が、その首は一瞬も時間を置かず、ずり落ちる。
「区別くらい付けなさい」
奈落の竜虫は、その種別によって与えられる餌が違う。生まれたときから真名を持つ子供は隣の子を食べても何ら問題がなく、むしろそれが歓迎される。血が強まり、真名を持つ子供が外へ出られる強さになったところで――ようやく、子供たちは死ぬこと以外を許される。真名の子を喰らった能無しは化身させられて奈落に浸され、死を数十集めても足りないほどの苦しみに沈んで泥と化す。虫たちが竜人やモンスターを殺して集めるリソースは有限だが、負の感情は無限に湧き出るからだ。
プレイヤーから「成長ボス」と呼ばれるものを育成する意味は、彼ら・彼女ら自身にもよく分からない。ただ、名前が二つから絶対に増えない理由は明白だった。
「あとひと月ね……。私はダメでも、この子は……」
「ガル姉ぇ」ことガルクスヴェイザーは、才能の限界を感じている。たった一つしかない自分の力を最大限に生かす方法を模索してきたが、そもそも発展性に乏しい能力であることも災いし、彼女の成長は止まっていた。ステータス自体はそれなりにあり、竜虫であるために種族相性は良好だろう。しかしながら、妹が自分よりもはるかに大きな才能を持ち、恐ろしいまでに成長して帰ってきたのを見れば、不満にもさらに影が差すというものだ。
本能に命じられ、データとしても頭に入っている情報はひとつ。
「『ルグーニオンを滅ぼせ』……ね」
それこそが役目であり、試練だ。それを潜り抜けることができなければ、彼女らの名前は永遠に増えない。ステータスが上がることも、能力が増えることもあるだろう。しかし、根本的に強さの水準が変わることはない。
「……あれらが滅びることなんて、あるのかしらねぇ」
彼女の懸念はもっともなものだ。
どうやら数回は試練を潜り抜けたものがいるらしい、ということはデータとして彼女の中に入力されている。そして、それは少なくとも複数回ルグーニオンが滅亡したことをも示しているはずだ。現実には山の下にあるルグーニオンにはそのような様子はまったく見当たらず、活気に満ちているうえに戦力も有り余っていた。むしろ危険なのは彼女らの命であり、気を配るべきは生存である。
彼女らの強さは、コア・プロセッサの診断にぴったり沿っているわけではない。すべてのデータを持ち、的確に改造を施しているとはいえ、判断自体は生まれてからの経過をなぞったものにすぎず、ステータスにおいて優っていたガルクスヴェイザーは今や完全に追い抜かれ、脅威度判定はオーゼルクの方が上だ。
ただ、本当にそうであれば、姉が寄り添う必要などない。
「ほんと、何を考えてこんなモノを作るのかしら」
とぷん、と揺れる黒い液体を見やっても、彼女には含意を知ることはできなかった。
◇
情報要求:前回の敵首魁のデータ
――主要攻撃、斬撃・打撃物理属性。体力自動回復機能、体力吸収機能、致死攻撃回避機能搭載。ステータス超高水準。
情報要求:前回のデータ
――タイプ〈ハイパーバリア〉〈レイドスピード〉無属性。防御力低下機能、陸上型節足動物テンプレート搭載。消滅人数七十六。
意見:魔力自動回復機能搭載を提案。魔法攻撃主体、飛行・浮遊スキル付与を提案。物理攻撃反射もしくは軽減を提案。
承認:魔力自動回復機能搭載。タイプ〈カタストロフィーキャスター〉闇属性・炎属性、〈カーニバルファング〉無属性選択。物理攻撃軽減装甲搭載。
意見:浮遊スキルを経験値解放スキルにすることを提案。
思考:飛行タイプ肉食昆虫の要件を満たすモンスターを検索中……
思考:発見。脱皮回数七、必要経験値最多。要件に完全合致。
意見:低コストモンスターを量産、食餌とすることを提案。
承認:承認。誕生開始、経過観察開始。
◇
セプタとセコンは、今夜も同じ店にいた。
「……スベンロおかわり」
「あいよっ! カレーはいるかい?」
「おうとも、頼むぜ」
「かしこまりぃ!」
結局、あの黒い霧が何だったのかは分からずじまい、加えて王城に何があったのかも公表されていない。隠すことができるということは、大した被害が出ていないということではあるのだろう。どちらかといえば喜ぶべきことなのだが、セプタには納得できなかった。
「どした? また霧か」
セコンが怪訝な顔をしたと同時に、スベンロのおかわりが届く。
「ありがとう、女将さん……そうだ。あの日に起こったことはとくに公表されていない。異常事態のはずなのに……」
「とは言うがよ。おまえまさか、王が傷付くなんて本気で考えちゃいねえだろ」
「はっ、そりゃそうだ……」
そして、彼が心配しているのはそれだけではない。
「マロス山脈で成長ボス大量発生の知らせがあったのに、たった数時間で何もいなくなっている……おまけに街がひとつ増えていると来た」
「因果関係がねえと思う方が難しいわな。だが――」
「いや、分かっているんだ」
カレーのおかわりを受け取ってご飯を混ぜ始めたセコンに、セプタはぼやく。
「ただ、どうしても気になる。成長ボスがこんなに増えたのに、やつらが何もしていないのはどうしてなんだ……?」
二人に対して、彼らよりやや若いと思われる青年が「それのことだが」と突然話しかける。
「この街にいる化人族のうち、ボス狩りに勤しんでいる連中は新しいのを見つけて、全員でそっちに行ってる。レイドイベントだよ」
「……君は?」
どうにもとらえどころがない、黒髪の青年は「ビヨールだ」と言って、二人の隣に空いていたカウンター席に座った。
「史上最高の敵がまた発見されて、性能頼りの一獲千金に挑んでるみたいだ。……まあ、うまく狩れれば脅威は減るが、有り得ないな」
「どうして分かるんだ? 何か詳しいのかい」
「えっと……名前を聞いても?」
金髪の大男がセコン、ワカメのような黒緑の瞳の青年がセプタである。
「セコンさん、俺が情報を持ってるわけじゃない。これだ」
「おう、AOイエスタデイ・ニュースか。史上二度目の五つ名確認……」
「なるほど、レイドイベントにもなるわけだ」
差し出された紙には、センセーショナルな情報が書かれていた。
――各地で成長ボスが多数出現、これまで数えるほどしか見つかっていない四つ名が二十以上も出現し、三つ名以下に至っては百を数えるほどに増加している。
――これらは五つ名出現の前触れ、もしくは五つ名を持つドラゴンの移動によって隠れていた場所から逃げてきたものと思われる。
――五つ名のドラゴン「ユェルジェン」(ブルーオーシャン・ドラゴンロード)討伐イベントに参加するプレイヤー募集中。戦闘職・レベル700(魔法職はレベル1000)を最低希望ラインに設定しています。水中戦闘のできる方は大歓迎です。
「やはり魔法職は大変だな、アタッカーにしては要求されることが多すぎる」
「そうでもないぞ、セプタさん。レベルが上がりやすくて、プレイヤースキルが伴っていないことが多いからだ」
いや、それは知っているんだがとセプタは断る。
「ウィザード派生の術師系統だろう? 特化型だから上がりやすいとか」
「ああ、そうなんだが……「魔術師」五十、属性ごとに五十と百で、特級職になればさらに百を足して……レベルは三百になる」
誇張ではなく、術師系統のレベルは上がりやすい。特級の中でもレベル上限が百ではないものについては例外だが、物理攻撃職や生産職に比べればそれでも大したことはない。そして、ふつうのプレイヤーは複数の術師を習得している。であれば「魔術師系統のレベル百」など、熟練者から見れば鼻で笑う価値もない程度のものなのだ。
「なるほど、ラインが違うなとは思ったが……最低でも三属性の上級に到達していてほしい、ということか」
「まあ、ジョブごとの事情は当事者にしか分からないこと満載だからな。攻略サイトでも、自分に関係ないジョブまで細かく見てるやつの方が少ない」
一度に大量の敵を攻撃するような職業は、どうしてもレベルが上がりやすい。たいていの場合だとそれはメリットなのだろう。しかし、この場合に限ってはデメリットだった。
「成長が早い分、新しい特技もぽんぽん覚えるし、威力も天井知らずだ。ただ、それはジョブ補正が役に立つとき、属性相性がいい相手と戦っているときだけになる。魔法職はタイマンができない、なんて言われるのはそこだ。砲台になりきれないやつがいると、それはそれは困ったことになる」
ちなみにビヨール自身の魔法の使い方は「魔法武器運用」と呼ばれるタイプで、武器攻撃職と魔法攻撃職を混合したものだ。ふだんは物理攻撃で戦い、「天龍雷術師」の操る雷属性が有効な相手には武器に雷を纏わせるスキルで威力を底上げする。ありとあらゆるスキルや職業の経験値が同時に入るという、制御が異常に難しいものの、お得なスタイルである。
「それで……何の話をしに来たんだ?」
「何か聞き出せるかな、と思っていたんだ。ところがこっちが講釈をする羽目になって、成果なしらしい。邪魔したな、俺は行くよ」
「ああ……」
ビヨールと名乗った青年は、席を立って歩き去った。
セプタとセコンは、顔を見合わせる。
「なんだったんだ、ありゃ」
「俺たちが知ってる情報か……なにかあるのか?」
「成長ボスの情報は、目新しいモンもないしな」
「いや……もしかすると、目新しい情報じゃなく……」
とっくに過ぎ去った情報を引き出したかったのかもしれない。セプタはつぶやくように言って、コップをぐいと乾した。
「――そろそろログアウトするか」
「どうだった? 二つ首の情報は手に入ったか」
「ダメですね。さりげなく昔の五つ名にも触れてみたんですが、蒼玉龍の情報はまだないみたいです。お二人がご存じの情報は――」
「残念だが、役に立たねえな。二人を向かわせたが「宝石がいっぱい落ちてる」としか聞いてねえ。洞窟からはすでに抜けちまって、化身して逃げてるらしい」
「五百年ほど生きてるとなると、相当……」
「洞窟全体がサファイアに変わっちまってるくらいだからなあ……。二人にも協力してもらわねえと、まずいことになりそうだ」
「あのお二人にですか。他には?」
「一位または二位だ。手が空いてる方に頼む」
「不謹慎だが、楽しみですね。あの二人の戦いが見られるなんて」
ラスボスの名前をわざわざタイトルにしたのはブラフで、成長ボスは二体いたんだぜ! ……嘘です、あとになって追加したんです。申し訳ない。でも「外に行って武者修行」「引きこもり」「近場でがんばる」「いきなり突撃して死ぬ」などタイプはいろいろいますね。
これで一章三部終わり、次でやっと六月……。ユキカちゃんおかえり。




