050 混沌粘液
どうぞ。
洋風の応接室にリゾートチェアという意味不明な組み合わせはともかく、スーツで寝転がっているあたりも大変奇妙な男がいる。ソファーには乱れた服装を直すわけでもなく、毛布をかぶってごまかしている少女が足をぶらぶらと上下逆さに揺らしていた。
「のう、リーダーよ」
「なんだいロリータ」
「ワレはロリータというには歳を取りすぎておろう……それはそれとしてじゃ、貴様のプレイヤーネームの由来は何なのじゃ?」
「よく聞いてくれたねロリータ。ボクの名前アムネジアは「記憶喪失」を差す。きおくそうしつというのはね、これまであったできごと全てを忘れてしまうってことさ。ボクは忘れたいんだ……刹那で満たした時間で思い出を削って、何もかも消してしまいたい」
顔に似合わず苦労しているようじゃの、とトーナは皮肉げに嗤った。
「アムネジアよ。今日が訣れの日になると言えば……信じるか?」
「信じるよ。ズィークウェルプは目標があってここにいるんだろう? 天へ手を伸ばすには、地上から離れなくてはならないからね……」
少女は、その擬態を解除する。
背中からずる、ずるつうずるっずる、るずるとおびただしい量の粘液体が伸び、手足がそれに同化していく。腹から下も粘液と同じ色になり、生身と思しき部分は頭、乳押さえを巻いた胸、鳩尾ほどまでしかない。
「貴様も取るに足らぬ命だが、語らいは楽しかったぞ。アムネジアはワレと戦う意思を持ち合わせておるか?」
「いいや……。勝てなさそうというのもそうだけどね、ボクは覚えておきたい命には剣を向けない主義だから。行ってらっしゃい」
「ふ……貴様の思い出が、自ら選んだ記憶に満ちると良いな」
「そうだね。ありがとう」
アムネジアはどかん、という音にも気を配らない。飛んできた瓦礫にも気を散らせることなく、花瓶にうまく差されたガラス片も無視する。
「あーあ……ねむ」
彼は、寝てしまった。
それから二時間が経過して――真名〈ズィークウェルプ・ロミョル・リエントーナ〉は凄まじい規模の攻撃を数十も連ねて受けていた。中堅以上のプレイヤーが多く所属する犯罪者組織を敵に回したため、ユニークボスといえども安全ではない。むしろ、殺される危険の方が大きかった。
大人が組織を使って悪いことをしようとしたときには、だいたいが正義を上回るほどの力を持つ。それは戦闘能力についても例外ではない。三つ名という化け物を相手にした彼らも、それはいずれ倒せるものだと見込んでいた。
しかし――
ダメージを受けている様子がない。
光を帯びた剣が粘液をどばっと弾けさせ、体内に潜ってから爆裂する恐ろしい火魔法が五つほど連続して炸裂する。上から雷が激しく落ち、いくらかのかけらがべとべとと地面に落ちていった。しかしすぐに平たく広がり、本体にくっついて戻っていく。
スライムのHPは少々特殊で、「煮詰まり具合」がホメオスタシスに規定されたものを超過するとHPが減り始める。簡単に言えば水分量=HPであった。それを重々分かっている彼らは水分を蒸発させるべく火、雷、光などの熱を伴う特技を放つ。
「ユニークボスでも、こいつぁ反則だろ!?」
「意味が分からねえ……減ってねえよな?」
三段のHPゲージは、ユニークボスとしては平均的なもので、スライムとしてもごく普通の体力量だ。だが、だからこそ意味不明だった。
数少ないスライム種のユニークボス、というところは見れば理解できる。だが、その種族である突然変異種〈ヘドロ・デッドスライム〉はまったく未知の種族だった。ヘドロだから浄化が効くかと思いきや効くわけではなく、デッドスライムという言葉の意味も不明、対処のしようがない。
「なあ……体力……」
「増えてる……? ダメージ吸収か!?」
三段の体力ゲージが、やや横に肥大化しているように感じられたらしい。ときたま、そういった特性を持つモンスターが出現する。ひとりのプレイヤーが口にした言葉に端を発するように、ならば逆をと回復魔法を浴びせかけるものがいた。アンデッドは死をマイナスとして捉え、プラスである生命体と「逆の命」を持つゆえ「ゼロに巻き戻る」ことがイコール死につながるとする理論と同じである。
今回の「デッドスライム」に対しては、ある時点まで確かに有効だった。
「よし、効いてる……!」
「ちょ、ちょっと待てよ、ゲージの色が変わって――」
触手を振るい、盾を溶かしたり闇属性魔法を飛ばしていたスライムがほんの一瞬だけ停止して、また動き出す。
「どうなってる……!?」
「くそっ、何がどうなってやがる!」
物理攻撃をしかけると、ばちゃりと跳ねた汚泥の破片がくっついて数種類の凄まじい呪いがかけられる。魔法攻撃は効いているが効いていない。回復魔法は攻撃手段になるがならない。積極的攻撃も消極的攻撃も、ほとんど通じていなかった。当然のように、弱点と思しき女の体に攻撃や魔法をぶつけても、髪の一本が焦げすらしない。
「なんだこの無敵は……!! 反射されてもいないのに」
いつだったか彼らが戦った黄金の怪人は、一定以下のダメージを完全反射するパスキルを備えていた。しかしこれは反射系ではなく、ほかの特性によって支えられているものだろう。
「自動回復……違う、それなら少しは減るはずだ」
そもそも、体力が変動している様子はない。
「体力……いや、そんなはずは」
彼の頭脳が真実にたどり着こうとした瞬間、攻撃を受け続けていた黒騎士が解除しきれなかった呪いによって即死した。
「いかん、撤退――」
「させるとでも思ったか? 皆殺しにするとも、もちろん」
飛び散った破片が動き出し、しゅるりと伸びる。ひどく汚い色の粘液体が、三十はいるプレイヤーたちを即座に全員拘束する。ぐるぐる巻きにされるものあり、貫かれて縫い止められているものもある。
「なにっ……」
「去ね、プレイヤーども。合流せねばならんのだ」
生き残ったプレイヤーたちは、みな一様に絶望した。
彼らの護衛対象であり、彼らをおとりにしてとっくに逃げたはずの依頼主が、ひどく間抜けな顔をしていたから――否、そのひどく間抜けな顔が、顔だけだったから。
かなりの重量を感じさせる音を立ててそれが着陸し、間抜けな首が放り出された。それを持っていたのは
「も、……もう、一体――??」
もう一体の〈ズィークウェルプ〉。いや、彼女の片割れだった。
強度を増した呪いにより、巻き付いたスライムや貫いたスライムが数秒ほど〈ホロウビーム・ウィップ〉に変化する。
「終わっ」
あるものは上半身と下半身に分かれた。そしてあるものは手足に、胸に、腹に大穴を空ける。束の間の地獄絵図は、美しい光の粒によって塗り替えられ、消えた。
「さて……。ニューカよ、お前に報いるときは近い――しかしながら、このワレを倒せるものがどうやらおらぬのじゃ」
二体のスライムは左右からくっついて合体し、分割する前の姿に戻る。
「うぉっとぉ、これが旦那の言ってたユニークぅ……かなァ?」
「ふむ? 貴様、何か大きな力をうかがわせるな?」
「やや、んなことねェーんで」
「謙遜するな白黒……貴様は強そうだ」
そっすか、と言った青年は確かに「白黒」だ。ぱりっとしたシャツは夜に冴えて水色に見えるほど白く、鱗模様のパンツはおぞましくも美しく、黒い。
「赤い男には劣るがな」
「へェ、すでに出会ってらっしゃる。旦那の強さは分かるか」
白い上着とマフラーをはためかせながら、青年は不敵に微笑む。
「ちびるぜェ? ……さ、それはどうでもイイんだよなァ」
「そだね」
地面から顔だけ出した女が、ゆらりと浮かび上がる。
「シュリーファお前さァ、ビビる方の気持ち考えろ?」
「問題なくわかってるけど」
「じゃあワザとかよ」
「いぇい」
ピースした女シュリーファは、コメディーを叩き割らんと振り下ろされた触手をゆらりと回避した。
「あぶな」
「とっとと変化すンぞシュリーファ。見ててどうだったよ」
モノクロの怪人と化したウェンザイトは構えつつ質問するが、まだら模様の派手な人魚へ変化したシュリーファは「攻撃しても無意味」と冷たく言い放つ。
「ア? どういうことだよ」
「よくわからないけど。スライムに効きそうな攻撃、無意味そうな攻撃、どちらも効果を発揮してない。体力ゲージがないのかも」
「ンだよそりゃあ。いちおうヤるぜ?」
さほどの巨体ではない、せいぜい三階建ての建物と同程度のスライムへ数百の弾丸が連続で突き刺さる。羽根の矢を作り出して放つパーソナルスキル「羽弾」の、小手調べとは言いがたい致死レベルの攻撃だった。
「確かに、効いてねェなぁ……てかあの色、揺れてっけど」
「うん。私も思った。まさかとは思うけど」
HPゲージの色は緑で、モンスターの場合も同じだ。満タンのときは緑、半減以下になると黄色、二割以下だと赤になることはなるが、その色がゆらゆらと揺れるペールトーンに変わっている。
「揺らめき色が流行ってンのか?」
「……旦那が来た」
「おうマジか! スペイはどうしてンだ」
「下水道を掌握中。彼にいちばん向いてる」
赤い化人族とやや黒みがかったライラックの化人族、そして五十人を超えると思われる人間たちがやってくる。
「旦那ァ、人間に手伝わせるってなァ聞いてないぜ」
「言ってなかったからな、すまん。現地で決めたのと、集まる人数が分からなかった。配下は全員、配置についてるな?」
「おーけー」
「よし。散開して、俺の指示通りに!」
ささっと指示が出される。
「ウェンザイトは「透明の羽」を撃ちこめ。シュリーファは観察と報告、それとそのときどき指示したとおりにやってくれ。ビヨールは遊撃、効果のあるなしに関わらずだ」
「了解だ」「おぅっす」「わかった」
異口同音に、彼らはうなずく。
カラスを混ぜた化人族のウェンザイトは、ワシの風切り羽程度の大きさまでの羽を撃ちこむことができる。そして、撃ちこんだのちにさまざまな効果をもたらせるようにというパーソナルスキルを持っていた。
「透明ねェ? なるほどね?」
いま消費され、放出されてしまった老廃物的なHPやMP、SPを検出できるものだ。そもそもが凄まじい体力数値を持つモンスターなので、HPを消費する特技を使っていることがある。そんな場合には自滅を図ることもできる、便利な検出装置だった。
「旦那ァ、青くなってるぜ」
「やっぱりか。じゃ、お前もシュリーファと同じに待機」
「うっす」
要するに、体力ゲージを変色しているのはMPを消費した固有スキルだった、ということである。そして、ユイザの攻撃はダメージを与えずMPだけ消費させられる特性も持っていた。
触手を避けざまに動きの遅いところへ指を差し込み、ダメージを受けずカウンター攻撃を差し込む。そしてたどり着いたスライムの本体へ特技〈手刀連〉を叩き込んだ。
「うわぁ、グロっ……体内が見えると違うねェ」
特技が当たった場所から体内へ、青黒い有刺鉄線を束ねたような虫がゾロゾロと伸びる。ヘドロ色のスライムゆえ途中で見えなくなるが、それでさえあまりにもおぞましい。一発につき一本、それは相手のMPを消費しながら体内に突き進む。物理攻撃によるダメージをほとんどゼロにまで低減するスライムには、いつものように相手を体内から浸食、破壊するという効果はない。そしてぶるりと震えた粘液体は人間ほどもある鉄虫を引き剥がすようにして吐き出した。
「やァっぱダメージ……おっ?」
ぬらぬらと不気味に揺れていたHPゲージの色彩が、徐々に緑を取り戻していく。しかし、その緑は偽りだった。
灰緑からさらに明度を落とし、泥を混ぜた絵の具のように黒い緑――それは、アンデッド特有のマイナスの体力ゲージである。
「あ、アンデッド……!? スライムが!?」
「やれ!!」
誰の言葉だっただろうか、集まったファンたちの行動は素早かった。
通常、アンデッドは肉体を物理的に破壊することで、充填された負のエネルギーを逃がして倒す。スライムにはそれが効果を持たない。そして体力を削るプラスのダメージは無駄。であれば――
「〈ピュア・ランス〉!」「〈ホーリーライト〉」「〈クリアエナジー〉!!」
浄化属性を持った魔法が次々に突き刺さり、ズィークウェルプへ初めてのダメージを与えた。しかし、体力ゲージは徐々に変色していく。ユイザの打撃や蹴り、ビヨールの鞭による攻撃はもはや効果がないかのように、ゲージは変色し、緑になった。
「通常ダメージへ変更!」
はっとしたように、魔術師たちは爆炎や轟雷を放つ。氷炎や爆雷が炸裂し、彼らの見ている前で確かに緑の体力ゲージは減少していく。遅々たるものであり、苛立つほどの速度ではあっても、ダメージはあった。
――そして、体力ゲージは変色していった。
今度は真珠色でも黒緑でもなく、赤灰色へ。
専用の特技を持ってないと倒せないボス……。まあ、人数がいればそれぞれ二人くらいは持ってるでしょうし無理ではないのでしょうが、HPの色なのかどうかとか、いちいち気にしない人は損をすることになりますね。ゲージがぜんぶ混ざってるとか嫌すぎる。




