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首なし裸チキン、街を歩く

 クリスマスという行事は日本に馴染んだ。


 いや、馴染んだという表現は控えめに過ぎる。根を張ったと言うべきだろう。十二月も中ごろになれば街はクリスマスに侵される。嫌と言うほどの、赤と緑と白が視界に入ってくるのだ。嫌と言うほどのクリスマスソングが耳に入ってくるのだ。

 街を歩けばクリスマス、クリスマス、クリスマス! もはや情報の暴力。情報レイプ。アーケードを何の気構えも無しに通ればアラ不思議。クリスマス大嫌い人間もクリスマス大好き人間へ。誰と食べるわけでもないのに、浮かれたクリスマス商品を買ってしまうのだ。帰って暗い部屋で独り寂しく後悔するとも知らずに。


 けれども純粋に喜べることもある。


 クリスマスにはご馳走が並ぶ。普段食べないような具だくさんのサラダやテリーヌ、フライドチキンに寿司。そしてケーキ。近々控えているお正月とはまた雰囲気の違うご馳走を、家族や愛する者と食べるのは良いことだ。

 そんなクリスマス料理の中で、最もクリスマス料理っぽいのは何か。キングオブクリスマスとは何なのか。これはやはり、ローストチキンだろう。そのビジュアルのインパクトたるや凄まじいものだ。普段目にすることはない、丸のままの鶏肉。それが焼かれて食卓に並ぶのだ。ジューシーなモモ肉、味わい深いムネ肉、噛り付く手羽。それ全てを自由にできるのだ。

 まさにご馳走。まさに贅沢。あの戦艦大和のような、洗練された多種の要素を一点に集約した大変な実力を秘めているのである。


 そしてこの丸鶏のローストチキンというのは、そのポテンシャルに見合った大変ヒエラルキーのお高いお料理。所謂正月の睨み鯛や伊勢海老と同格クラスの高貴なる存在だ。水戸黄門の印籠よろしく、それを目にしたものは恐れ戦きひれ伏す。一条三位クラスの胆力を持つ者でなければ、地面と頭が離れないことだろう。

 特にクリスマス、という世界において彼はまさに帝王。カイザーである。テリーヌやフライドチキンは、所詮地方の領主、男爵クラス。寿司でさえも、まぁ……。伯爵くらいだろうか。クリスマスケーキやペラペラローストビーフ辺りから公爵クラスだ。それほどまでにローストチキンの階級とは高き場所にあることを、改めてご確認していただきたい。

 実際、そんな年に一度のクリスマスのトップを飾るにふさわしい料理であるからこそ、その日だけはスーパーに並ぶのである。スーパー側も「あ、丸鶏のローストチキンを置かないと大変なことになるな」と少なくない危機感を持っているからこそ、普段置きもしないものを売り場に置くのである。

 もし、無ければどうなるか。先に述べた「大変なこと」とは具体的には何なのか。端的に言えば、世間は未曽有の大混乱に陥ることは必至である。やれどこぞの芸能人の不倫だの、やれ国民的アイドルグループの解散問題などで騒いでいる場合などでは、ない! スーパーにローストチキン、あるいはそれに使われる丸鶏が並ばなければ日本のクリスマスのメンツは潰されたも同義。国際的な大恥をかくこととなり、周辺各国からの嘲笑の的になることはまず間違いない。イギリスの料理、中国の環境問題、アメリカの肥満という各国を代表するマイナスイメージに肩を並べるわけである。日本のクリスマスローストチキンが!

 この考えは多少尾ひれを付けたことを認めるが、最悪の場合こうなるぞという意味も含めての意見である。それほどまでにクリスマスにおいてのローストチキンは重要である、ということはどうかご理解していただきたい。


 だが、いくら年に一回のクリスマスといえどそれを購入する家庭は多くない。先に述べた通り、ご馳走の選択肢は多い。ましてや、この後に続く忘年会やお正月というイベントに予算を割く場合は丸鶏のローストチキンには中々手が伸びない。ここは手堅く寿司で、ここは妥協してフライドチキンで、いやレストラン行くから等々……。日本において丸鶏のローストチキンはクリスマスにしか消費されないにも関わらず、実際にはそこまで消費されていないのが現状と言えるだろう。

 けれどもだ。想像していただきたい。丸鶏のローストチキンが食卓に上る様を。家族で取り囲み、分ける。これこそ正にクリスマスのあるべき姿。そこに、戦後の芋や米を奪い合うような貧しき日本の影はもうないのだ。憧れの欧米文化を食卓に掴み取った現代日本の逞しき姿があるのだ。


 つまり、ローストチキンというのはクリスマスの象徴。クリスマスの代名詞。

 クリスマスをより幸せにしてくれる妖精さんなのである。


 それはともかく。


 そのチキン達が歩いている。裸の、首なしチキン達が。クリスマスが近づいた、日本のとある街で群れを成して。

 何を言っているのかわからぬかもしれぬが、事実だ。所謂ローストチキンに使用される、食肉用に処理された大きく立派な丸鶏が器用に二本足で立って歩いているのだ。それも一羽や二羽といった話ではない。およそ五十羽の首なし裸チキン達が直立し、二列で行動している。一見すると遠足に向かう小学生達のようでもあるが、その揃った足並みはどこか軍隊を思わせる。


 そんな彼らはクリスマスで賑わうとある街中の歩行者天国の真ん中を歩いている。その豊満な鶏胸を張りながら。手羽先を振って。もも肉を上げて。

 このような異常極まりない光景を見て人々は騒ぐことはない。おかしいと思っていない訳ではない。実際、行き交う人々はチラと横目で彼らを見たりスマートフォンのカメラにその姿を収める者もいる。けれど、騒ぎ立てることはない。関与はしない。それは何故か。

 ただあまりにも堂々と、白昼往来の下で集団行動を行う彼らを不思議には思うが騒ぎ立てることはないのだ。ましてや、もうすぐクリスマスだ。人々の脳にはポワンとした非日常感が寄生しており、このような異常事態でさえクリスマスイベントの一つだと考えてしまうのである。

 どうせ何かテレビの企画、どうせ現代アートの一つ。その異常極まる光景を皆が皆勝手な理由をつけて自身を納得させているのである。クリスマスがすぐ近くで控えているが故に。


 その奇妙な集団が立ち止まる。たまたま歩みを止めたとかそういうレベルの話ではない。彼ら全員が訓練された軍人のように立ち止まり、そこに向かい回れ右する。そして頭のない首を真っ直ぐに向けるのだ。


 大手コンビニチェーン店、デイリーマートへと。


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