8話.「父と娘」
眩しい日差しがカーテンの隙間から入り込み、彼の顔を明るく照らす。
シエルが目を開ける。雲一つ無く明るく晴れた空がどこまでも広がる、朝であった。
だが彼が目を覚ました原因は朝日が眩しかったからでは無い。周囲から、正確に言えばこの建物の下の階、つまり酒場から何やら怒鳴り声が聞こえたからだ。しかもそれは一人や二人の者ではなくどうやら大勢居るようであった。
「何だ……?」
ここを発つ為の荷物を持ち、彼は様子を見に行くべく部屋を出た。
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「頼む! 待ってくれ!!」
床に這いつくばり、ドアに向けてそう叫ぶ男があった。周囲は昨日のように綺麗な状態では無く、食器や机が散乱しており酷い惨状であった。
そして男は何者かによって殴られたのか、顔に痣が複数あり顔が腫れている。シエルはその顔を見て男がこの店の店主だと言うことを瞬時に理解した。昨夜の笑顔はそこには無く、今にも泣き出しそうな、悲痛な顔をしていた。
「ちょっと!やめてったら!!」
そう、女の声で叫ぶ方へシエルは顔を向ける。赤髪の女が数人の男に囲まれ大型の馬車の中へと押し込まれている。その声と風貌に見覚えがあった。この店で宿を借りるときに話をした、ウェイターの若い女である。
「うるせえ! 動くなクソが!!」
言いながらスーツを着た大男が女の顔を殴りつけるが彼女はそれでも黙せず、助けを求めるような声でこちらを向き叫んだ。
「お父さん!!!」
だがその声は虚しく宙に舞い、馬車は砂埃を激しく撒き散らしながら瞬く間に去って行ってしまった。
「あぁ……。ミーナ、ごめんな……ああ……」
その光景を見ながららやがて店主は泣き出してしまった。ミーナと言うのが赤い髪の女の名前であるようで先程の彼女の「お父さん」と言う言葉から二人が親子であることがシエルには分かった。
そして依然、倒れている店主に手を差し伸べながらシエルは声を掛ける。
「おい、大丈夫か。何があった?」
「あ、君は昨日宿を借りた青髪の……。す、すまないな、見苦しいところを見せて……」
店主は言いながらその手を借り、立ち上がった。昨日はアイロン等が掛けられ、清潔に保たれていた服がシワになっており所々が破れている。
そして店主は答えた。
「あれは元魔法騎士団の組員を大勢抱えた『トルボックダ・ファミリー』ってマフィアだよ……。奴等はこの町を仕切ってるんだ。この町で店を出す為には奴等にはショバ代を毎月払わなきゃならない。一応奴等には嫌々払ってたんだが……。ついさっき、いつも通りの額を渡そうとしたら『これじゃ足りねぇ!』って……ショバ代が払えないなら、娘を連れて行くって言われて……。後はこの様さ……。娘を助けようとしたけど俺は返り討ち、他の客は奴等にビビって出て行っちまった……。」
成る程、そう言うことかとシエルは合点した。だがその中で一つ、気になることがあった。
「さっき、トルボックダ・ファミリー……とか言うのがこの町を仕切っているって言ったが、この町には魔法騎士団は居ないのか?」
「居たよ……でもここに駐屯してた魔法騎士団の上の人間が元々トルボックダのリーダー格と知り合いらしいんだ。魔法騎士団はトルボックダ・ファミリーに全てを任せて大分前にここから出て行っちまった。でもアイツ等は所詮マフィア、後はもう奴等のやりたい放題さ……。あぁミーナ、ごめんよ……父さんはお前を助けられなかった……。」
再び泣き出す店主をシエルは眺める。
彼には弱くとも、娘を守る為に戦った父のその姿がとても切なく、そして誰よりも強く見えた。
そして、娘を奪われた男のその姿が、仲間を失った自分の姿と僅かに―――重なった。
「……クズどもが。」
表情に怒りを滲ませ、シエルは小さく呟いた。
そして続けて店主に質問した。
「そのトルボックダ・ファミリーの連中はどこに居る」
「えっ……!?」
店主は驚きながら声を上げたが答えた。
「この町の外れにある『シーマ』って言う建物を拠点にしてるって聞いたことがあるが……お前さん、何するつもりだ……?」
「助けてやる。あのミーナとか言う娘を助けて、あわよくばファミリーごとこの町から消してやるよ」
言いながら歩き出そうとした彼を店主が呼び止める。
「ま、待て!気持ちは有難いが、奴等はさっきも言った通り元魔法騎士団の人間が何人も居る! そんじゅそこらのチンピラとはワケが違うんだ!拠点に乗り込んだらただじゃ帰ってこれないぞ!!」
だが、シエルは平然と言い放った。
「なに、俺に任せろ。夜までには帰ってくるさ」
そして店主に向かって三枚のコインを指で弾き、それを彼は両手で受け取った。
「昨晩の宿代だ。今日もどうやらここに泊まることになりそうだ。それで、帰ってきたら―――。」
「―――今晩の宿代くらいは、チャラにしてくれよな」
言いながら、ドアを開けて外に出るその男の姿が店主には勇者の様に思えた。
そして勇者は小さな家族を守る為、トルボックダ・ファミリーが拠点とするシーマへ向けて、歩き出した。