6話.「勇者、酒場にて。」
雨が、降っていた。
月は雲に隠れて見えず、星の煌めきも感じられない。道を照らすのは外灯のみで人も殆ど歩いていない夜道であった。
本日の朝に一夜を過ごした町を発った彼は今現在は中部のとある町で再び宿を探していた。
オラクル国まではまだ先がある。急ぎ足で向かいたいところではあるが寝る時間くらいは確保しておかなければならない。
黒色の傘を差したシエルは辺りを見渡す。様々な店が密集しているが明かりがついて営業しているのは精々五軒ある内の一軒しか無く、その大体が売春宿であった。
やがて歩くと彼は一つの宿を見つけた。
『酒場ルーサ・宿付き』と書かれた看板が目に入る。店内は深夜も目前だと言うのに賑わっているようで外に居る彼にまで人の声やグラスを交わす音が聞こえてきた。
ドアを開け、中に入る。目の前にはカウンターが見え若い女がせっせと食器を片したり飲食物を運ぶ為に席を行き来している。カウンターには店主らしき男性が何やら調理をしながら客と談笑していた。
「宿を、借りたいんだが」
言いながら彼はウェイターに声を掛け、彼女が振り向く。赤く伸びた髪を後ろで纏め、頬にはそばかすがついている。目は髪とは不釣り合いな青色をしているが美しい色であった。
「はい! 宿泊でしたら何部屋か空いておりますがご希望はありますか?」
「希望は特に無いな……。ただ腹が減った、何か食わせてくれ」
「かしこまりました! ではこちらのカウンターにどうぞ!」
促され彼はカウンターに腰かける。店主の男性が笑顔で「いらっしゃい」と言う。シエルの横に居る男性はどうやら酔い潰れているようで先程から何か謝罪のような言葉を机に突っ伏しながらぶつぶつと呟いていた。
シエルはメニュー表らしき紙切れを見て何を食べるか考える。
鴨肉のソテー、魚のカルパッチョ、フライドポテト……いかにも酒場らしいと言うべきメニューであった。彼は肉が食いたいと感じていたので鴨肉のソテーを注文する。
「了解、できるまで少し待ってくれ」
言いながら氷が入った水を手渡され、それを一気に飲み干す。
かつて、仲間達とも旅の合間に酒場で酒を飲み交わしたこともあったと懐かしみながらピッチャーに入った水をコップに入れる。
旅には苦難や困難が吐いて捨てるほどあったが、それ以上に仲間と過ごす時間がどうしようもなく楽しかった。しかし、そんな日はもう二度とやってこない。だが二度と戻らぬその日々が、今の彼を奮い立たせオラクル国へと足を運ばせる。
―――だからこそ、王を殺さねば。
そして、彼はふと思った。ブルーインは元気にしているだろうかと。彼はオラクル国の上層部ではあるがシエルの旧知であり、今回の件について干渉していた可能性は限りなく低いであろうと彼は思っていた。
そうシエル自身が思いたいだけではあるのかも知れないがブルーインにはそんな事をする理由も動機も無いと感じていたし、彼がそんな人間にはシエルには到底思えなかったからだ。
国に着いたら、王を殺す前に彼を町から逃がさねばとシエルは考えていた。彼は自分の優るとも劣らぬ魔法の使い手ではあるが生まれつき体が弱く、はっきり言ってしまえば病弱であった。
戦いに彼が巻き込まれてしまっては恐らく無事ではすまない、その前に必ず逃がさねばとシエルは強く思った。
やがて、料理が運ばれてくる。僅かに赤み掛かった肉と下に敷かれた野菜の色合いが良く、匂いが鼻孔をくすぐり食べなくとも美味であることが分かる。
彼はそれを一口食べながら、明日は朝にはここを出ようと決めた。