=第二章=
「……」
テーラが一時間前にいた街道を歩く。
「……」
彼女から離れた少し後方、三メートルほど後ろにヴァースも歩いている。
「……」
「……」
特に会話はない。
青空のもと、武装したテーラはもくもくと歩く。
方やヴァースの手荷物は本のみという、この世界では命知らずともいえる軽装すぎる格好で彼女の後についていく。
しばらくして、テーラがちょうどヴァースと出会ったところで立ち止まる。
「……?」
急に立ち止まったテーラに、ヴァースも同じ距離を保ちつつ立ち止まる。すると。
「あっ!」
テーラは急に走り出す。
ヴァースも慌てて走り出す。
森の木々を横目に、二人は街道をひた走る。
風がほほをなで、髪をなびかせ、口から出る息が後ろへと流れていく。
「ま、待ってよ!」
必死に走りながらヴァースは声をかける。テーラは速かった。
「なんでついてくる!」
後ろを振り向かずに後者のランナーに怒鳴る。
「そ、そんなこと言ったって、俺、この辺まったくわからないし!」
「だからって私について来なくてもいいだろ!」
「だって、テーラ以外知らないもん!」
「私だって初対面だろ!」
二人は全力疾走に近いマラソンをしながら会話を続ける。
テーラはまだ少し余力があった。それでも、この速さでついて来れる者は、鍛えられた城の兵士たちでもなかなかいない。
(賢者を目指している割には、なかなか体力があるな……だが)
普通、魔法職系を目指す者は、体力は低い。一般人に比べれば多少はあるが、それでも戦士系のテーラたちと比べると歴然の差がある。あるはずなのだが、ヴァースは賢者を目指しているというには、異様な体力を保持しているようだった。
テーラはさらにスピードを上げる。全力で疾走する。
「なっ!」
ヴァースはスピードがさらに上がったことに驚く。
「全力じゃなかったのかよ、くそっ!」
引き離されまいと、腕も足もさらに力をこめる。
その速さにくらいつき、縮まることはないが、何とかついていく。
「……この速さでもついてくるか!」
テーラもさすがに驚きを隠せない。
自分は鍛えている。少なくとも、レテジスの一般騎士たちよりも上にいる。その自分に、ただ走るだけとはいえ、離されることなく追走してきている。
「んがぎぎぎ!」
ヴァースは全力だった。
歯をくいしばり、もはや前を見てる余裕すらないほど、無我夢中で手足を振る。
そのため、急に立ち止まったテーラに気づかなかった。
「……!」
その横をビュンッと通りすぎていくヴァース。
そして。
「ぐはぁっ!」
視界の右に見えていた森も終わりのころ、弾力をもった硬い何かにぶつかった。
「ごほっごほっ! ……いって~! なんなんだ!?」
思いっきり正面衝突して、逆に吹き飛ばされたヴァースが見上げたもの。それは……。
「ぎゃあああああ! 魔物が出たああああ!」
二本の角が生え、大きく開いた口から除く無数の牙。二足歩行で、凶悪な目つきと異常なほど筋肉が発達した体躯。そんなやつが二体。
「なぜ、オーガがこんなところに!」
テーラも叫ぶ。
驚いたのは、現れた場所だった。
森も終わるこの場所は、このあたりを治めるレテジス王家の最終防衛ライン。
城下町の門もすぐそこ、あと数百メートルというところである。
そんなすぐ近くまで魔物がやってきていることが、テーラには異常に思えた。
「……騎士団は何をしているのだ」
呆れながらつぶやくテーラ。
その間、ヴァースはテーラの存在に気づき、慌てて後ろへと逃げてくる。
「テ、テーラ! 魔物! 魔物!」
「わかっている! 裾を持つな! たかがオーガごときに何をそんなに怯えている!?」
「いや、俺、魔物見るの初めてだからさ……。想像はしてたけど、やっぱり生で見ると迫力が違うな!」
テーラは小さくため息を吐いた。
「……そんなんでよく大賢者になると言ったな」
「べ、別にいいだろ! あっ! テーラ、来るぞ!」
ヴァースの声にテーラはオーガたちを見る。戦闘態勢に入っていた。
「……ふん。なんの問題もないな!」
テーラは腰に下げた細身の剣を抜く。こちらも戦闘態勢は出来上がった。
それが合図であるかのようにオーガたちは襲ってきた。
「ガアアアアア!」
「ひいいいぃぃ!」
「遅いわ!」
一匹は凶悪な爪で、もう一匹は手にした巨大なこん棒で殴り掛かってくる。
テーラもオーガたちに向かって疾走し、それらの攻撃を余裕をもってかわし、すぐさま攻撃に入る。
「”ハヤブサ・四連”!」
瞬間、オーガたちの背中にそれぞれバツ印のような傷跡がついた。
「す、すげえ!」
ヴァースは感嘆の声を上げる。
「グゥッ、ゴアアアアア!」
傷を負ったが、すぐにオーガたちは振り向きざま攻撃を仕掛ける。
「……やはり、体力だけはあるな。だが、それだけだ!」
ひらりとバックステップで避け、剣を鞘に納める。
「”居合・弐閃”」
言うと同時に開いた距離を一瞬で詰める。
ヴァースには、きれいに横一文字に伸びている抜き放った後の剣だけが映った。
オーガたちは動きが止まる。
そして、腰にピッと亀裂が入ったかと思うと、そこから黒い煙が立ち上り、やがてオーガたちの全身が消えていった。
消える間際、コロンと小さな赤い宝石が落ちるのが見えた。
テーラは完全に気配が消えたことを確認して納刀する。
「……ふう」
息を一つ吐いただけで、呼吸の乱れもない。
彼女には準備運動代わりにしかならなかった。
「すげえ! すごいよテーラ!」
ヴァースが興奮気味に駆け寄ってくる。
「かっこよかったよ! すごく! あっという間だったね!」
テーラを褒めたたえるヴァース。
「いいな~、すごいな~! こう、一瞬でビュババッと切りつけたり、最後のなんてほんと見えなかったっていうか、うん、すごくきれいだった」
「……ああ、ありがとう」
テーラは素っ気なくお礼を伝え、落ちた赤い宝石を拾う。
宝石は、テーラが持った瞬間、青く光り、それを持っていた袋にいれた。
その様子を見ていたヴァースが尋ねる。
「ねえねえ、それ何? 魔物から落ちたみたいだったけど」
テーラは無視しようか迷ったが、やはり無下にはできない性格がうらめしい。
「……たまに、魔物を倒すと落ちることがある。赤い宝石のまま放置すると、自然と消滅してしまうが、人や動物が触ると青にかわり、消えることはない。これを換金してコインに替えるんだ」
「へぇ~。知らないことがいっぱいだな~」
「お前が知らなさすぎるんだ」
テーラは袋の中をのぞく。
中にはコインと一緒に大小さまざまな青い宝石が入っている。
その中身と袋の軽さを感じて、思わずため息がもれる。
「……こいつがドカ食いしなければ……」
余裕があったはずの所持金は、変な拾いモノをしたせいで底が見え始めてしまった。
むろん、宝石を換金すれば多少は増えるが、心もとないことに変わりはない。
「あ~……なんかごめん。助けてもらったのに……」
「……もう済んだことだ」
「うん……でも、この恩は忘れないよ。じいちゃんも言ってた。”恩をもらったら返さなきゃならない。筋は通しなさい”って。だから、今すぐは無理かもしれないけど、いつか必ず返すから!」
ヴァースがテーラを真っ直ぐに見つめて、決意したような瞳で話す。
なんとなく、テーラはその瞳を見てつい信じてしまいたくなるような感覚がした。
「……期待しないでおくわ」
「ええ!? ちゃんと返すよ!」
「はいはい……」
そう言って、二人は見えていた巨大な門に向かって歩き出そうとして、数人の兵士がやってきていることに気づいた。
先頭を走っていた兵士が声をかける。
「大丈夫でしたか? 門番から魔物が現れたと聞いて……っと、テーラ様でありましたか。これは無用な心配でしたな。……そちらの方は?」
兵士がテーラだとわかると、右拳を胸の前に置いて敬礼をする。それにならって後ろの数人もすぐに敬礼をする。
「……やめろ。私はもう違うと言ってるだろ? こいつは行き倒れだったところを少し助けただけだ」
「行き倒れ?」
テーラの説明に兵士がいぶかしげにヴァースを見る。
ヴァースは苦笑いをしつつ、ペコリと頭を下げる。
「それより、どうなっている? オーガがこんな近くにいるなど、騎士団たちは何をしているんだ?」
「はっ、申し訳ありません。見回りがかかしておりませんが……本日はロベルフ様が担当で回っておりまして……」
「げ……」
テーラがその名前を聞いて嫌な顔をする。
「そろそろ戻られるはずなのですが……」
「ん? おお! テーラ! リステーラじゃないか!」
その言葉に反応するように、森から黒づくめに見える男が一人――その後ろからレテジス騎士団の兵士たちもぞろぞろと現れた。
葉っぱや木の枝を払いながら、先頭の黒づくめ――黒い鎧、黒い髪、腰にはこれまた黒い剣まで、全身黒一緒に武装された男がテーラに向かって愛想の良い笑顔で近づいてくる。
「いや~、こんなところで会えるなんて、これも運命だな。今日はどうした? ん? まさか、俺に会いに来たのか? そうなのか? そうなんだな? そうかそうか、俺もお前に会えて嬉しいぞ!」
「……はあぁぁ~」
自己中な発言に、テーラは盛大にため息をはいた。それに合わせるように、黒鎧の後ろの兵士たちも、小さく肩を落としてため息を吐いている。
「……この人は?」
ヴァースがテーラに近寄って聞いてくる。
「……ロベルフだ。レテジス三大騎士団のうちの一つ……”自称・黒狼のロベルフ”だ」
テーラは半分睨むような、呆れたような視線でロベルフを見る。
ロベルフはその視線を意にも介さず、ずんずんとテーラに近寄ってくる。
「ふ~ん?」
ヴァースはよくわかっていないようだったが、とりあえず自己紹介はすべきかなと思い、一歩前に出てしゃべろうとしたら、ロベルフは出てきたヴァースをいきなりドンと押してテーラと自分から離れさした。視線すらよこさずに。
さすがのヴァースもむっとしたが、ここはまだ我慢ができる範囲だった。しばし成り行きを見守る。