銀の夢 紅の契り
2015年に開催した『宿語りシーガル』に参加し寄稿した作品です。
提出順だったらしく掲載が一番早かったようで、たくさんの感想を頂きました。
他にも素敵な作品がご覧になれる『宿語りシーガル』のサイトはこちら→http://wonmaga.jp/project/winter2015/contents/92605.html
ある人は言う。
「石もなければ彫り込みもない、飾り気のない指輪だ」と──。
如何にして飾りを失ったのか、輝きを無くしたのか、それは多分、彼女が関わっているのではないかと思う。
***
フィーナ・アライトレイはアライトレイ家一番の美人で愛らしい一人娘であった。
絹糸のように輝く金色の髪は見る者の目を惹き付ける。海のように深い蒼の双瞳は宝石のようだと賞賛される。加えて雪のように白い肌は人形のようだと誰もがいう。
背筋の凍りつく美しさを持つ娘は、同時に可愛らしく笑い、可憐に歌う歌い手となった。誰もが娘を賞賛し、娘を求めた。それに、アライトレイ家は街一番の資産家であった。
膨大な資産に、美しい娘。誰もが欲しいと願うだろう。手に入れば永遠と呼べる栄光を手に入れられるのだから。
「ねえ、お父様。今日はアイラに会いに行ってもいいかしら?」
「アイラ? ああ、今日は大事な食事会だ。フィーナ、お前はもう十七だ。そろそろアイラと会ってないで婚約者と顔合わせをしたらどうだい?」
「そうよ、フィーナ。あなたはアライトレイ家の資産を受け継ぐのよ。アライトレイ家に相応しい人と婚約しなければ」
「アイラはよくしてくれるわ」
「アイラは、あなたの使用人。あなたとアイラは一緒になれないのよ?」
「そんなのひどいわ」
「いずれ分かる。アイラもフィーナの幸せを願っている」
最近はいつもそう。アイラ──アイラ・ルーンブラッドという黒髪に黒い瞳の──少女。フィーナとは姉妹のように一緒に寄り添って育った娘だ。素朴で地味だと言われていたがフィーナはそうは思わない。
深みのある黒髪は艶々していて綺麗で、円らな瞳はキラキラとしている。フィーナから見ればアイラ・ルーンブラッドはとても魅力的な少女だ。
それに、いつも優しく気づかって、嬉しい言葉をくれる彼女の方が婚約者より余程魅力的だった。
彼女には、魅力的に見えたのだ。
「また考えさせて、お父様。今日は疲れたの、お部屋に戻りたいわ」
「分かった、フィーナ。でも、婚約のことはちゃんと考えないといけないよ」
「分かっているわ、でもまた今度」
フィーナはそう言って微笑み、部屋に向かって歩く。そう、部屋に帰れば大好きなアイラに会えるのだ。彼女がおやすみと話しかけに来てくれる。その瞬間が何より好きだった。かけがえのないものだった。
うきうきしながら扉を開いて窓際にある机と椅子に向かう。洋書が並ぶ机に向かい、適当な本を取ってページを開いた。
「昔々、あるところに美しい王子がいました……」
内容は王子が主役の、隣国のお姫様との恋愛ものだ。王子の国とお姫様の国は仲が悪く、互いに争っている。敵同士でありながら二人は恋をしてしまい、最後には──。そんな話だった。
「いやよ、こんな悲しい話」
適当な本を取ったら悲恋ものだったので投げ捨てるように戻した。表紙が赤く綺麗な本だったのでお気に入りだったようだが。
「……こんにちは」
「あ、アイラ」
ガチャリと扉が開く音を聞き、直ぐ様振り返ると、深い闇を模した黒髪が目に入る。部屋の明かりが仄かに光り、黒髪の艶を引き出している。円らな瞳が宝石のように煌めき、フィーナを映していた。
「まあ、アイラ。来てくれたのね」
「フィーナ……」
アイラはにこりと笑って首をかしげる。
「さっきね、お話を読んでいたの。王子さまとお姫様が互いに恋する話なの」
「……お姫様」
「そう、私の中ではアイラは世界で一番可愛いお姫様よ」
「フィーナ、は、王子さま?」
「そう! 私は王子さまね。おとぎ話は結ばれなくて離ればなれになるけど、私はアイラを迎えにいくわ」
「わたしも、フィーナとはなれたくない……」
「私もアイラと一緒よ。あ、そうだわ」
「なあに?」
「アイラ、これあげる」
「……指輪?」
フィーナが取り出したのは銀色の指輪だった。光に当たってきらきらする、堀込も宝石もない小さな指輪。
「これはね、私が一生懸命お願いしてお揃いのものを作ってもらったの。アイラの手、いつも必死に見ながら合うかな、合うかなって。ほら──ぴったり」
「……フィーナは、王子さま?」
「そうよ、アイラの王子さま。何があってもアイラを守るわ」
「ほんと?」
「ええ、ホントよ。私ね、アイラのそばにずーっといるわ、アイラのことを守ってあげる」
「フィーナ、ありがとう」
「うふふ、おやすみ、アイラ」
「おやすみなさい」
暗闇のなか、二人の少女は笑い合う。密やかな約束を交わして、真似事のような契りを交わして、微笑む。例え、誰が笑おうとも私達は本気だった。私は婚約者よりもアイラの方が大切だった。
「アイラが──フィーナの指輪を盗んだのか?」
「ちがう! フィーナからもらったの!」
「強情な子だ……出ていけ……泥棒は屋敷になどいらん!」
「フィーナ、フィーナ……!」
「連れ出せ!」
───……。
──フィーナ……。
それっきり、アイラの行方は分からなくなった。
「えっ、アイラが?」
「フィーナ、アイラは婚約に使う指輪を盗み出した。私が発見してな」
父の声、手渡された指輪。きらきらする、銀色の指輪。私がアイラに渡した指輪だ。
「……そう、アイラはいなくなったの?」
「ああ、もうここにはいられないと、言って来てな。いい子だったのに」
信じていた。
アイラがいなくなることなんてないと、信じていた。でも、アイラはいなくなった。
フィーナは父の話に愕然とし、そして疑念を広めていく。
──家が傾いていることは知っていた。
「分かりました、明日、婚約のお見合い、お受けしますわ」
「ありがとう、フィーナ。我々の誇りの娘だ」
──ふふ。
「ありがとうございます、お父様」
──私はね、何もかも知っているのよ。
出ていく父の後ろ姿を見つめながらフィーナは微笑んだ。口だけで笑い、父から受け取った指輪を握り締める。
「アイラ……怖かったでしょう、苦しかったでしょう、痛かったはずだわ……でも、大丈夫よ」
指輪を握り、嵌めていない方の薬指に嵌める。ほら、二人はいつまでも一緒。何も怖くない。
「ふふ、私は、違うわ……」
笑ったまま、フィーナは部屋を抜け出した。窓から見える月は丸を描いていたが酷くぼやけていた。
藍色の空をぼかす白い雲。千切り千切りの白は色彩を奪っていく。
アイラのいない箱庭なんていらない。彼女が高らかに宣言したのは部屋を抜け出す前だった。
夜だった、それはのどかな夜だった。
「火事だ! 火事だ、燃えてるぞ」
「どこからなの!」
「それが、屋敷全体なんだ!」
「大変です! 鍵が開きません!」
「玄関の執事はおらんのか!」
「それが死んでいるんです!」
「なんだと!? 誰か、誰かおらんのか!」
──勢いを増す赤。
ちらちらと煌めく光。
全てを覆う炎が、人々を喰らい、飲み込んでゆく。まるで餓えた獣のように、空腹に耐えかねて次々と呑み込み、喰らい、すすり上げる。
恐怖からくる悲鳴、怒りからくる叫び。
されども、炎の前では何も効果がない。成す術もなく、崩れゆく屋敷。
家主とその妻、家来の名前が次々と上がり、全員の名前が上がり終えた。中にいた全ての人間の死を確認した。
だが、とある人の話により、屋敷の中には一人娘がいたという。
「煌めく絹糸のような金の髪、雪のように白くすべらかな肌、海を模した蒼い瞳。美しい娘が、いたらしい」
その傍らには、黒髪に黒い瞳の笑顔が可愛い少女。滅び去った屋敷から出てきた一欠片の写真に仲良く寄り添うようにして写っていたらしい。
それが、指輪に纏わる怖い話、である。
──ふふ、アイラ、また会えたわね。
吹きすさぶ冷たい風の中に、歌うような可憐な声が乗ってきたような気がした。