州議事堂
議事堂というだけあって、内装は煌びやかで厳かだ。中央には、真っ直ぐ伸びた先で左右に分かれた大階段。それを照らすのは、天井から吊られた絢爛豪華のシャンデリアだ。
「回る順番などは決められてますか?」
「はい?」
扉を閉めつつ警備員が問うた。
「もし見学のプランがなければ、ツアーガイドラインを元に私が案内することもできますが」
「あ、あぁ……えっと……その前に、トイレ行ってもいいですか?」
グレイは照れたフリをして、頭を掻いた。
「ええ、あちらの角ですよ」
警備員は行く手を指し示して先導した。グレイとチルドは、警備員の背後を取ったことになる。
「俺が『今だ』って言ったら、警備員さんに氷魔法を使って」
「わかったっ!」
グレイが耳打ちすると、チルドは拳をグッと握って応えた。
「いい? 攻撃じゃなくて、痛くないように、時間が経ったら溶けるようにかけてね」
「うんっ!」
グレイが覚えている限り、チルドがそのような程度の氷魔法を使ったのを見たことはないが、実戦以外でも授業や自習で、加減を調節することはできるのだろう。グレイは、チルドを信じることにした。
警備員が角を曲がった瞬間、グレイは時を悟った。
「今だ!」
グレイが囁くとほぼ同時に、チルドは角から飛び出して、警備員めがけて両手から冷気を放った。警備員は即座に振り返ったが、既にチルドの魔法を浴びていた。
「寒っ」
警備員は短く身震いした直後、ドサッと床に倒れ伏した。グレイはあまりの展開の早さに、呆気にとられて警備員を凝視した。
「えぇ……」
グレイは我に返り、まかり間違って目撃者がいないか、辺りを見回した。幸い、フロアにはグレイたちしかいないようだ。
「こんな感じなんだ……」
グレイはピクリとも動かない警備員を案じて、その身体を揺すった。服は濡らして冷凍されたかのようにカチコチで、触れた指先に僅かに霜がついた。だが、頬に触れると、肌にまとわりつく冷気の奥で、体温が確かに宿っているのが分かった。それに、息もしている。問題なく生きているようだ。
「どれくらいで戻るの?」
「うーん……2時間くらい!」
「そっか……」
グレイは安堵の溜め息を漏らした。
「さながら解凍待ちやな」
ボスタフがチルドのリュックから顔を出して言った。
「やっとこさ狭苦しいカバンから解放されたわ。もう人気の多い街中やあるまいし、出ててもええやろ? さすがに室内やったら、見られそうな気配を察知して隠れられるわ」
「……そうだな。ごめんな、長いこと窮屈な思いさせて」
「ええんやで」
ボスタフに許されたところで、グレイは凍りついた警備員を見つめた。このままではあまりに目立つ。彼をどこかに隠しておく必要がある。
「チルド、ちょっと待っててね」
「うん」
グレイは警備員を抱き起こし、トイレの個室に横たえた。
「これでしばらくは見つからないだろ」
グレイはトイレから出て言った。
「外からやと鍵かけれなくないか。誰かがトイレしに来たらどうするんや」
「それまでに知事と接触すればいい」
「行き当たりばったりやなぁ」
「人生そんなもんでしょ」
「は?」
グレイは角からそっと廊下の様子を窺った。少なくとも、このフロアはまだ無人らしい。
「よし、行こう」
グレイはチルドとボスタフを連れ立って、移動を開始した。灰色のローブを着ているため、他者からの認識は鈍くなるが、それでも誰かに見つかったらさすがにまずい。なるべく足音を立てず、なおかつ素早く。
グレイたちが歩く様は、端からすればまるで泥棒のソレだった。
「……それやったら、ずかずか堂々としとった方がいいと思うが」
ボスタフに言われ、グレイは隠密する自分の姿を省みた。
「……いや、それでも気づかれないようにするのが先決。誰かの気配がして、見つかりそうになったら普通に関係者のフリをすればいい」
「ほんま行き当たりばったりやな、お前」
「人生ってそういうもんじゃない」
「それ気に入ったんか?」
「え? んー、そうなのかな。たしかに最近、よく言ってる気がする」
「いやそんなには聞いてない気ぃするが」
「え、そうだっけ」
「知らんけども。ワイはな」
考えてみると、前にも言ったことがあるような。グレイは妙な感覚を覚えたが、任務のことを思い出し、すぐに忘れてしまった。
「入り口のあたりに、ここの地図とかないかな。知事がいる場所の目星くらいつけとかなきゃ。警備員さんがガイドラインとか言ってたし」
グレイは建物へ入ってきたところまで戻った。探索すると、階段脇の壁に、何階に何の施設があるのかを簡易的に示す掲示物がかけられていた。
「あった。……知事の執務室」
「やったっ!」
チルドは楽しそうだ。彼女からすれば、本当にある種の社会科見学、兼探検のようなものであろうことを考えると、グレイは少し微笑ましくなった。
「どこにあるんや」
「最上階の一番奥」
「ベタやな」
片や、ボスタフは可愛いげがない。だが、チルドと二人きりだと、終始ほのぼのとした雰囲気になって緊張感に欠けるのは想像に難くない。グレイは、なんやかんやでボスタフが今回のチームのいいムードメーカーになっているのではないかと思い始めた。
「……エレベーターとかないかな。8階もあると、さすがに…………」
「エレベーターってなんや?」
「……この世界にはないんだったな」
「たしかに階段は面倒やが、こういう施設のワープホールは認証式やし、仮に認証を通過しても履歴が残る二重警備や」
「ワープホール……」
グレイはこの世界に来たばかりの頃、病院でレッジと共に使ったマンホールのようなものを思い起こした。建物内の移動に使う、規模の小さいヴァントのような魔法だ。
「加えて、知事のいるかもしれない議事堂ともあれば、そのロックは特に厳重やろうから、それを破るのは時間の限られてる現状は得策やない。素直に階段使うのが最善やろ」
珍しくボスタフが有用なアドバイスを提示したことはともかくとして、グレイはそれを聞き入れた方がいいと思った。
だが、まだ子どものチルドに足を使わせるのは気が引ける。
「……チルド。ちょっと疲れるかもしれないけど、階段でいいかな?」
「うん、大丈夫! チルド、疲れたりしないもん!」
ありがたいことに、チルドは上る気まんまんのようだ。
「頑張るんやで~」
「他人事だと思って……」
ボスタフは、チルドのリュックからニヤニヤ2人を覗いていた。
「お嬢ちゃんに足使わせるのを酷や思うんなら、おぶってあげればええんとちゃう?」
その上、悪魔のような提案を投げかけるボスタフ。
「…………」
聞いていて、グレイは、たしかにと思っていた。こんな子どもに8階分も階段を上らせるのは気が引ける。自分が背負ってあげて、そのまま駆け上がってしまえば、チルドに辛い思いをさせずに済むのではないか。
「……ほら、チルド」
グレイは前のめりにしゃがんで、後ろ手に背中に乗るよう促した。
「え」
言い出しっぺのボスタフはというと、面食らっている。
「えっ!? いいよ! チルド、平気なんだもん! 自分で上れる!」
チルドは慌てて首や手を激しく横に振ってみせる。
「いや、チルド、これは絶対に疲れる。だから乗るんだ。これから先はまだ長いし、体力温存ってやつ」
「ううん! チルド自分で上りたい! 疲れたらおぶってもらう! おにいちゃんありがと!」
チルドはグレイの脇を通り抜け、一気に眼前の階段を上り切った。チルドは息を切らした様子もなく振り返り、むしろ得意げにグレイを見下ろした。
グレイは若干の後ろめたさを覚えつつ、チルドのあとを追った。
「なんかすまん」
ボスタフは、バツが悪そうに謝った。




